霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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誰も知らなかった日本史
〈 2016年6月3日緊急発刊 〉
王仁三郎昇天50年目に発見された新事実が明らかになる!
『切紙神示と共に甦る孝明天皇の遺勅(予言) 誰も知らなかった日本史 皇室に隠された重大な真実』
出口恒(著) 飯塚弘明(協力) ヒカルランド
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本書の中に出てくる資料は「出口王仁三郎大学」でダウンロードできます
【新着情報】2017/3/17 王仁三郎関連書籍のPDFがこちらでダウンロードできます。たくさんあります。
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【附録】 出口王仁三郎聖師年譜

インフォメーション
題名:【附録】出口聖師年譜 著者:大本教学院・編
ページ: 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:
001(年齢は数え年)
002●明治4年(1871年)
003 旧7月12日京都府南桑田郡曽我部村字穴太小字宮垣内の農家・上田吉松の長男として生まれる。004幼名・喜三郎。
005●明治13年(1880年)10歳
006 偕行小学校に入学。
007●明治16年(1883年)13歳
008 小学校の代用教員として教鞭をとる。
009●明治18年(1885年)15歳
010 奉公を励む。
011●明治26年(1893年)23歳
012 船井郡園部の獣医・井上氏の書生となる。
013●明治27年(1894年)24歳
014 岡田惟平翁に就き始めて敷島の道を学ぶ。
015●明治29年(1896年)26歳
016 郷里穴太に牛乳搾取場精乳館を設置。
017●明治30年(1897年)27歳
018 父・吉松、019帰幽、020享年54歳。
021●明治31年(1898年)28歳
022 旧2月9日より一週間、023郷里高熊山にて修行をなす。
024 旧8月23日、025参綾。026初めて大本開祖と会見。027翌々日、028綾部を去る。
029●明治32年(1899年)29歳
030 7月3日、031開祖の迎えによりて再び参綾。
032●明治33年(1900年)30歳
033 1月1日、034出口澄子と結婚。
035 4月2日、036金明霊学会を設置。
037●明治35年(1902年)32歳
038 3月7日、039長女直日、040誕生。
041●明治36年(1903年)33歳
042 この秋「筆の雫」「霊の礎」等の執筆を始める。
043●明治37年(1904年)34歳
044 12月「道の栞」脱稿。
045●明治39年(1906年)36歳
046 9月、047京都の皇典講究所に入学。048雑誌「このみち」を創刊。
049●明治40年(1907年)37歳
050 4月、051皇典講究所卒業。
052 5月、053別格官幣社・建勲神社の主典となり12月辞任。
054●明治41年(1908年)38歳
055 8月1日、056金明霊学会を大日本修斎会と改称。
057●明治42年(1909年)39歳
058 3月、059雑誌「直霊軍」創刊。
060●大正3年(1914年)44歳
061 8月、062「敷嶋新報」創刊。
063 9月25日、064直霊軍を組織。
065●大正5年(1916年)46歳
066 3月9日、067直霊軍の別働隊なる白虎隊、068少年隊を組織。
069 4月、070大和畝傍山に参拝。
071 6月25日、072播州高砂沖の神島を開く。
073●大正6年(1917年)47歳
074 1月、075大本機関誌「神霊界」創刊。
076 12月、077機関紙「綾部新聞」創刊。
078●大正7年(1918年)48歳
079 4月、080大和三山を巡る。
081 11月6日(旧10月3日)開祖出口直子刀自昇天。082享年83歳。
083●大正8年(1919年)49歳
084 9月、085「綾部新聞」を廃刊し新たに「大本時報」を発刊。
086●大正9年(1920年)50歳
087 5月、088大和龍門嶽に登山。
089 9月、090大正日日新聞社を経営。
091●大正10年(1921年)51歳
092 2月12日、093大本事件起きる。
094 同日、095京都監獄未決監に収容され、096
097 6月17日、098責付出獄を許される。099この間の獄中生活126日に及ぶ。
100 8月、101「神霊界」を「神の国」と改題。
102 10月5日、103京都地方裁判所に於て大本事件の公判判決言い渡しあり。104不敬罪として懲役5年を言い渡される。105直ちに控訴。
106 同月、107本宮山神殿取毀命令下り、108官憲の手により破壊される。
109 同月18日(旧9月18日)より松雲閣に於て「霊界物語」の口述開始。
110●大正11年(1922年)52歳
111 2月4日、112大日本修斎会を大本瑞祥会と改称。
113●大正12年(1923年)53歳
114 7月、115国際語エスペラントを採用。
116 10月、117続いて日本式ローマ字を採用。
118 この年、119支那道院との提携成る。
120●大正13年(1924年)54歳
121 2月13日、122払暁ひそかに綾部を立ちて数名の同志と共に入蒙の途に就く。
123 3月3日、124奉天を出発。125洮南を経て公爺府(コンエフ)に入る。
126 6月21日、127白音太拉(パインタラ)に於て捕らえられる。
128 7月、129官憲に護送されて帰国。
130 同27日、131責付取消により再び大阪刑務所北区支所に収容される。
132 11月1日、133保釈許可となり帰綾。
134 12月15日、135再び「霊界物語」の口述を始める。
136●大正14年(1925年)55歳
137 1月20日、138大本及び大本瑞祥会の規約組織の大改革を行う。
139 5月11日、140最高点にて綾部町町議に当選。
141 同月20日、142世界宗教連合会を創立し、143北京に於て発会式を挙げる。
144 6月9日、145人類愛善会を設立。
146 7月15日、147大審院に於て大本事件は事実審理と決定。148従来の判決は破棄される。
149 10月、150「人類愛善新聞」発刊。151このほか「瑞祥新聞」「真如の光」エス文「大本」(後に国際大本と改題)文芸誌「明光」等続々発刊の運びに至る。
152●大正15年・昭和元年(1926年)56歳
153 2月頃より楽焼の製作を始める。
154 5月より歌日記執筆。
155 この間、156亀岡に於ては神苑の造営大いに進捗。
157●昭和2年(1927年)57歳
158 5月17日、159大赦令により7ヵ年にわたる大本事件解消。
160 12月、161渡台。
162●昭和3年(1928年)58歳
163 2月1日、164長女直日、165高見元男(日出麿)と結婚式を挙げる。
166 5月、167四国地方巡教。
168 7月、169東北地方巡教。
170 この間、171亀岡にては月宮殿をはじめ諸種の建築物の竣成。
172●昭和4年(1929年)59歳
173 3月、174四国巡教。
175 4月、176伊勢神宮及び香良洲神社参拝。
177 同月、178甲斐、179信濃地方巡教。
180 10月、181渡支、182一ヶ月余。
183 11月、184「北国夕刊新聞」大本の経営となる。
185 この年より全国各地に於て聖師作品展を開催。
186●昭和5年(1930年)60歳
187 3月、188京都にて開催の宗教博覧会に参加し大本館を特設して出品。
189 6月4日、190開島30周年に際し沓島、191冠島参拝。
192 9月、193山陰及び壱岐対馬巡教。
194 同月、195人類愛善新聞社及び人類愛善会東洋本部を亀岡より東京に移転。
196 12月、197再び台湾巡教。
198●昭和6年(1931年)61歳
199 8月、200満60歳の還暦を迎え更生祭を行う。
201 歌壇に進出し、20280有余の結社に加入。
203 数ヶ月に歌集数冊を発刊。
204 9月8日、205綾部鶴山山上に神声碑建立。
206 同月下旬、207山形、208更に北海道に巡教。
209 10月18日、210昭和青年会を結成し、211雑誌「昭和青年」(後に昭和と改題)を発刊。
212 12月、213四国地方巡教。
214 同月、215人類愛善会、216支那の聖道理善会(在理会)と提携。
217 愛善主義による各種精神運動団体との提携の歩は着々として進み、218既に提携せる主なものは支那の道院、219救世新教悟善社、220ドイツの白色旗団、221ブルガリヤの白色連盟等々あり。
222●昭和7年(1932年)62歳
223 2月、224開教40周年祭を挙行。
225 同月、226「丹州時報」大本の経営となる。
227 同月、228大阪にて開催の満蒙博覧会に参加して愛善館を特設。
229 4月、230京都満蒙支那大博覧会にも参加し愛善館を特設。
231 6月18日、232人類愛善会と喇嘛教との提携成る。
233 7月、234東京満州国大博覧会に参加出品。
235 8月13日、236大日本武道宣揚会創立。
237 11月1日、238昭和坤生会を結成。
239 同月、240北海道地方巡教。
241●昭和8年(1933年)63歳
242 旧1月1日付を以て大本を皇道大本と復帰し、243これまでの大本瑞祥会を解消。
244 3月、245紀州官幣大社熊野神宮に参拝。
246 同月、247伊勢神宮ならびに香良洲神社に参拝。
248 同月20日、249生母・世根子刀自帰幽。
250 10月4日、251亀岡天恩郷にて霊界物語「天祥地瑞」の口述を開始。
252●昭和9年(1934年)64歳
253 7月22日、254昭和神聖会創立。255全国遊説。
256●昭和10年(1935年)65歳
257 12月8日、258第二次大本事件起こる。259聖師松江より拘引、260京都市中立売警察署に収容される。
261●昭和11年(1936年)66歳
262 3月13日、263起訴される。
264●昭和15年(1940年)70歳
265 2月29日、266京都地方裁判所において判決、267治安維持法違反及び不敬罪として無期懲役を言い渡される。268直ちに控訴。
269●昭和17年(1942年)72歳
270 7月31日、271控訴審の判決あり、272治安維持法違反は無罪不敬罪は原審通り有罪の言い渡し。
273 8月7日、274夫人澄子、275出口伊佐男と共に保釈出獄、2766年8ヶ月ぶりにて亀岡へ帰る。
277●昭和20年(1945年)75歳
278 9月8日、279大審院の判決下る。280治安維持法違反は無罪と確定し、281相次いで不敬罪も解消。
282 10月、283第二次事件によって綾部、284亀岡の両聖地は当局の手により綾部、285亀岡両町に売り渡され、286法廷で争い続けていたが、287町との円満な解決によって無条件にて返還される。
288 12月8日、289事件解決奉告祭を綾部彰徳殿にて執行。
290●昭和21年(1946年)76歳
291 2月7日、292聖師の提唱により「愛善苑」新発足。
293 8月7日、294突如発病、295血圧昂進のため絶対安静。
296 12月5日、297中矢田農園より、298落成した瑞祥館に移り静養。
299 12月8日、300愛善苑会則改正により聖師は苑主となる。301愛善苑趣意書を改正し愛善苑主意書発表。
302●昭和22年(1947年)77歳
303 1月22日、304宗教法人令による法人組織の手続き完了。
305 8月27日(旧7月12日)喜寿を祝う瑞生祭を亀岡にて執行。
306 12月8日、307新生記念祭執行。308病勢やや悪化。309本部事務所竣成。
310●昭和23年(1948年)78歳
311 1月18日(旧12月8日)容体急変。
312 1月19日、313午前7時55分昇天。
314 1月30日、315綾部へ遷柩。
316 2月2日、317葬儀を愛善苑苑葬として執行。318天王平に埋葬される。