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55~95

インフォメーション
題名:55~95 著者:
ページ:29 目次メモ:
概要: 備考:2023/10/22校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-22 12:03:22 OBC :B115006c06
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正9年7月11日号(第120号) > たまの礎(裏の神諭)
(五十五)斯道(このみち)の正しき言葉を受けざる者は、心の外国人なり。(せき)は日本の人民なりとも、神は之を外国人と見なし給へばなり。故にいかにしても耳を傾けざる人には、この道は説くことなかれ、(かへ)りて神を(けが)し、道を(けが)し、又(なんぢ)()(けが)さん。
(五十六)暗きに隠れて信仰すべからず。いと高きに現れて、(この)暗き()(ともしび)となりて、人を救ひ、人を導くべし。かくてこそ神の御光(みひかり)(あらは)れ、神の御心(みこころ)にも(かな)ふものなれ。
(五十七)絹袖(きぬそで)(まと)ふもの、金銀を身に()けて飾るもの、心に洋服を着るもの、心に靴を穿()くもの、牛を(くら)ひ、豚を(くら)ひ、その(ほか)四ツ足を(くら)らふものは、大神の心に(かな)はざるものなり、慎むべし。
(五十八)平生(へいぜい)綿服(めんぷく)を身に(まと)ふ者、旅立(たびだち)菅笠(すげがさ)(ござ)(かぶ)るもの、草鞋(わらぢ)穿()きて行くもの、履物(はきもの)は栗の木下駄(きげた)に竹の皮緒(かはを)と、(わら)鼻緒(はなを)とを(もち)ゆる者は、大神の御心(みこころ)(かな)へる者なり。
(五十九)(ただ)しき道に(おもむ)かんとする時は、曲津神は之を()み畏れて、あらゆる妨害を試むるものなり。曲津神の好みて襲ふは(その)(いへ)の人なり、親の(くち)を用ゐて(さまた)ぐることあり。妻子(つまこ)(くち)を借りて妨ぐることあり。兄弟姉妹の(くち)を借りて妨ぐることあり。外形のみを見て、ゆめ正邪の審判を誤ることなかれ。
(六十)(いづ)御魂(みたま)(みづ)御魂(みたま)神代(かみしろ)を、神の宮と思ひて敬ふものは、神に近づくことを()べし。人と思ふものは、人の徳を受くべし。又悪魔と見做(みな)すものは悪魔となるべし。神は其人の心のまにまに守り玉へばなり。
(六十一)泥水(どろみづ)の世を固め給へる国常立命は、世界の父にして豊雲野命は母なり。父と母との御霊(みたま)(あらは)れて、世界の身魂(みたま)の罪を払ひ清めて、高天原へ導かせ玉ふ。
(六十二)変生(へんぜう)男子(なんし)を知りて、変生(へんぜう)女子(によし)の誠の心を汲み取ること(あた)はざる者は、誠の神の御心(みこころ)(かな)はざるものなり。男子(なんし)の苦労は()を以て見ることを()べしといへども、女子(によし)の苦労は容易(たやすく)見るべからざるなり。そは、変生(へんぜう)男子(なんし)は肉体の上に苦労あるのみならず、(いや)(うへ)にも身を慎みて、ひたすら筆先の御用にのみ仕へまつればなり。手足を動かして日常の仕事に従はぬ者は、批難の種を()かんにも、蒔くべき(いとま)とてなければ(なり)
(六十三)(これ)に反して、女子(によし)は実行を以て人を導くが故に、(その)一挙一動には表あり、裏ありて、常に善悪混交するを(まぬが)れず。内実は善き事も表面(うはべ)には悪しく見え、甲の喜ぶ事、必ずしも乙の賛する所とは成り難し。すべて表面(うはべ)より苦しく見ゆるものは、(かへつ)て心に(たのし)みあり。表面(うはべ)より気楽に見ゆる者は、(かへつ)て其心に苦しみあるものなり。
(六十四)神を(いつ)(まつ)らんとする者は、顕斎(けんさい)幽斎(ゆうさい)との区別を(わきま)ふべし。顕斎は神を祀るものなれば、宮殿(みやどの)あり、祝詞あり、供物(そなへもの)あり、奠幣(みてぐら)奠幣(みてぐら)とは、幣帛(へいはく)のこと。ありて、神の御徳(おんとく)を感謝する道なり。又幽斎は己れの霊を以て、まことの神の霊に対して祈るものなれば、(やしろ)(みや)もなく、又奠幣(みてぐら)供物(そなへもの)もなし。顕斎のみに偏るも、幽斎のみに偏るも、共に全き道にはあらざるなり。
(六十五)賢き者、(さと)き者は、かへりて神の御心(みこころ)を悟らず、幽界(かくりよ)の神の御守護(みまもり)あることを知らずして、何事も智識の働きと誤解するもののみ多し。彼等(かれら)の心の(くら)には、さまざまの雑物(ざうぶつ)充ち充ちたるが故に、(あらた)に神の教への宝を収むるの隙間もあらず。あはれむべき者は、智者、学者と呼ばるる(やから)なるべし。
(六十六)艮の金神を(いつ)きまつれる、(うる)はしき誠の宮は(いづ)身魂(みたま)(うち)に在り。坤の金神の、いと(うる)はしき宮は、(みづ)身魂(みたま)(うち)に在り。故にこの二個(ふたつ)の肉体は、父と母との住みませる、尊き宮居なれば、斯道(このみち)信徒(まめひと)たらんものは、慎みて之を(けが)さざるやう(こころ)()くべきなり。
(六十七)日光(につこう)の宮は、金銀を(ちりば)め、黄金(こがね)(あか)して造られたれば、世に並びなき御社(みやしろ)なり。されど(この)大本の信徒(まめひと)(たね)の、いと(ちい)さき者の肉体よりも(はるか)に劣れるものなり。誠の信徒(まめひと)の肉体は世界を救ふ、誠の水晶の神の隠れます。(みづ)御舎(みあらか)なればなり。
(六十八)今の世に国祖の神の(あらは)れ給ふは、(あたか)盗人(ぬすびと)の群に一人(いちにん)捕手(とりて)(あらは)れしが如し。逃げ迷ふものあり、力限り刃向ふものあり、又(おそ)れて心を改むるものなきにあらず。もとより鬼と(ぞく)との世の中なれば、悔ひ改むる者は(すくな)くて、敵対(てきと)ふものは限りなけれど、今や神界は、国常立の神の統理の(もと)に置かれたれば、従はざるものは、遂に厳しき審判(さばき)(まぬが)れざるべし。
(六十九)王仁(わに)初めは親を養ひ兄弟姉妹を育て、家を(ととの)へて、(しか)して(のち)に神に仕へたりしが、未だ親さへも養ひ得ざるうちに数多の(おそ)るべき罪を重ねたり。()して兄弟姉妹までも、それぞれに目鼻をつけんとする時は、その造る罪の幾干(いくばく)ぞや。(はか)り知るべからずと、(こころ)づきて道に(した)がひき。
(七十)親のいふことはいかなる無理難題といへども、素直に従ふべしとは、これまでに幾度(いくたび)もききし所なり。されどその親にして、悪を(すす)め身を(けが)さしめんとしたるときは、之に従ふべからず。かかる時は一時(いちじ)親に(そむ)きて誠の道に(おもむ)くべし。誠の道を覚りて(のち)に親を(いさ)めて、之を善に導くは子たる者の任務にして、根の国に落ち行く親を高天原へ救ひ上ぐる、いとも、正しき行ひと成るべし。
(七十一)日本に(うま)れたりとも、霊主体従(ひのもと)の神の行ひをせざる者は異邦人(とつくにびと)なり。又異邦人(とつくにびと)なりとも、この国の(をしへ)を守る者は霊主体従(ひのもと)の神の(たみ)なり。今の日本は上も下も大方(おほかた)異邦人(とつくにびと)となれり。そは大和(やまと)(だましひ)といふ精霊を失ひて、神の御国(みくに)を知らざるが故なり。
(七十二)至聖人(しせいじん)といへども、大賢人(だいけんじん)といへども、これ(みな)人より(たた)へしものなり。(まこと)の神の(まつた)(まなこ)より見そなはし給ふ時は、孔子も、釈迦も、基督も(いま)(まつた)きものにあらざるべし。()してや其他(そのた)の予言者に於てをや。天地(てんち)を造り固めなし給へる神より(ほか)に、(まつた)きはなきものと知れ。
(七十三)誠の(をしへ)を聞きて、誠の道の畑を(ひら)き、誠の道の種子(たね)()かんとする時は、(ゐのしし)(きた)りて(その)畑を荒らし、(からす)(きた)りて其種子(たね)(つひば)み、悪魔(きた)りて雑草の種子(たね)頻蒔(しきま)きす。故に種子(たね)を蒔きて苗の生立(おひた)つまでは、深く心を用ゐ、草を除き、(けもの)(しりぞ)け、害虫を払ひ、水を(そそ)ぐべし。刈込(かりこ)みの(とき)到らば、其(むく)(たちま)(あらは)るべし。
(七十四)貧しき者は(さいはひ)なり。そは高天原に到らん時、心に(かか)る重荷なければなり。富める者は種々(さまざま)の重荷身に(まと)ひて、高天原に到らんとすれども、(あた)はず。苦しみ(もだ)へつつ、(つひ)に奈落の底に沈み行くものなり。故に現世(このよ)にて、富める者ほど憐れむべきものはあらず。富める者の高天原に到らんとするは、(しじみ)を以て大海(たいかい)替乾(かへほ)さんとするよりも(がた)し。
(七十五)世の中の事は、大方(おほかた)金銀(きんぎん)を以て之を処分し()べく、(また)智識学術を以て之を解決することを()べし。されど、そは(まこと)(さかえ)にあらず。(まこと)(さかえ)は、高天原の神の差添(さしそへ)種子(たね)なり。そは金銀智識を以て()べからず。ただ心の誠を以て授かり()べきなり。
(七十六)或る日王仁(わに)西原(にしはら)に行きて、この道を述べ伝へて、迷へる信徒(しんと)を救はんとしける時、教祖は之を押しとどめ給へり。王仁(わに)怪しみて問ふて曰く、神は人を救ふを以て心とし給ふべきに、今之をとどめ給ふは何故ぞ。われ()は之を傍観するに忍びずと、いきまきたりき。
(七十七)その時教祖(けうそ)(おもむ)ろに諭し給はく、西原(にしはら)は神より(しばしば)不思議を示し、(あるひ)は病を癒やし、(あるひ)は家を富ませ、今迄に幾度(いくたび)となく信仰の手懸(てがか)りを与へ給ひ、われ(みづか)らも(しばしば)行きて教へ諭したれど、疑ひ深くして、正しき道に()くものはなし。立替(たてかへ)()到りなば、彼等(かれら)は厳しき懲罰(みせしめ)に逢ふべし。行くなかれ。行かば行くほど、説かば説くほど、彼等は自己(おの)(けが)れし心に引きくらべて、神の御心(みこころ)を曲解せむ。憐れむべきものなれど、因縁なき者は、之を助くるの手段(てだて)なしと教へ給ひき。
(七十八)或る日西原(にしはら)の人(なにがし)(きた)りて王仁(わに)(むか)ひ、われこの(たび)(はか)らざる不運に遇へり。願はくば救ひ玉へと、庭に(うづく)まりて(しほ)れ居りければ、王仁(わに)立所(たちどころ)に答へていはく、そは金子(かね)(こと)なるべし五円紙幣(さつ)二枚紛失したるならむ。(なんぢ)家に帰りて(くち)()の畳の下を捜せ。(なんぢ)の妻の置き忘れたるのみと言へば、急ぎ帰りて捜しけるに、(はた)して畳の下に(くだん)紙幣(しへい)は隠されありき。
(七十九)()の人の歓びしは暫時(しばし)()にて、四日五日と日の経つに連れて(かれ)は村の人々に向ひ、綾部の金神とは名ばかりにて実は狐を使へるならん。(しか)らざれば、一里も(へだ)てたる所に在りて吾が家の畳の下まで知るべき縁由(いはれ)なし。(おそ)るべき悪魔の巣窟(すみか)なれば、ゆめゆめ近寄るなかれと、悪しきざまに言ひ触らしければ、西原(にしはら)信徒(しんと)()、皆(おそ)れて()(をしへ)に遠ざかりき。
(八十)同じ村に野崎(のざき)(なにがし)といふ十八歳の男子(をのこ)三年(みとせ)(まへ)より悪霊(あくれい)()かれて(あら)び狂ひ、家族をはじめ、村人達を苦しめ居たりけるが王仁(わに)鷹栖(たかのす)帰神(かんがかり)修行場(しうげうば)(ひら)きける時、その(おや)狂へる子を連れ(きた)りて、病の(いや)されんことを乞ふ。王仁(わに)直ちに言葉もて、其の悪霊(あくれい)を逐ひ出しければ、(かれ)初めて()の覚めたる如く正気に(かへ)りたりき。
(八十一)(かれ)の親達いたく(よろこ)びて、厚く礼を述べて帰りぬ。(かれ)今や第二十連隊に入営して、いとまめまめしく服役しつつあり。(しか)るに西原(にしはら)の村人(たち)王仁(おに)なる人は悪魔の頭目(かしら)なるべし。悪魔の頭目(かしら)なるが故に、悪魔を追ひ出したるにこそとて、以前に増して、口々に悪しく(ののし)りたりき。
(八十二)同じ村に、西村(にしむら)(それがし)といへる少女(をとめ)、鬼に()かれて()とせ(いつ)とせ前より(たけ)り狂ひて、親兄弟、親族、村人に煩累(わづらひ)を掛けたりしが、王仁(わに)上谷(うへだに)にて修行なしける時、(かれ)の母(ともな)(きた)りて救助(すくひ)を乞ふ。王仁(わに)直ちに言葉もて鬼を逐ひ出しけるに、鬼(おどろ)きて娘を地の上に押倒(おしたふ)して逃げ出しけり。その時(むすめ)の身は硬化して石の如く、ただ()のみギロギロと光りて、物凄きこと言はん(かた)なし。王仁(わに)静かに彼の額に手を当てて、(なんぢ)(ゆる)さんと言へるに、その娘(こゑ)諸共(もろとも)に起き(あが)りて、(やまひ)全く()えたりき。(しか)るに悪に強き西原の者は、ますます王仁(わに)(ののし)りて、悪魔の頭目(かしら)なりとし、()ほ悪しき名を、(あま)ねく遠近(おちこち)の村にまで拡めたりき。
(八十三)誠の道を諭せども、悟ることを知らざるが故に、神は変生(へんぜう)男子(なんし)変生(へんぜう)女子(によし)を用ゐて不思議を現はし、恩沢(めぐみ)を与へ給へど、彼等は益々(ますます)疑ひて、悪の(まなこ)もて観るが故に、一つとして悟ることなし。心の(まなこ)を失ひたる(ほど)、世に憐れむべき者はなし。出口教祖が早くも之を看破し給へるには、王仁(わに)今更(いまさら)の如く深く感じて、その(のち)は西原の事を思ひ切りたりき。
(八十四)独りこの村のみならず、今の世界の隅々まで(みな)かくの如し。限りなき愛に充ちませる真正(まこと)の神は、天下の蒼生(あをひとぐさ)の罪を歎かせ給ひて、(おそ)れ多くも下津(したつ)岩根(いはね)竜宮館(りうぐうやかた)(いづ)(みづ)との経緯(たてよこ)御魂(みたま)(くだ)して、(にしき)御機(みはた)を織らせ給ふ。されば今の(うち)に早く悔ひあらためて、元の日本(やまと)(だましひ)立返(たちかへ)り、神の御業(みわざ)四方(よも)の国々島々までも輝かし(まつ)りて、神の御子(みこ)たるに()ぢざる行ひをなすべし。
(八十五)明治三十三年六月二十八日、王仁(わに)は二十一人の教徒(をしへこ)を伴ひ、丹後の沓島(めしま)に渡らんとして大本を立ち()でけるが、大石(おほいし)なる木下(きのした)慶太郎(けいたろう)が宅に、しばし足を休めける時、坤の金神王仁(わに)(かか)り給ひて、この(たび)教徒(をしへこ)の心を試さんが為めなれば疾風(はやて)(おこ)りて(なみ)()らく、船は屡次(しばしば)(くつがへ)らんとすることあらむ。されど神に任せて驀地(まつしぐら)に進み行け。神(これ)を守らんと諭し玉ひたりき。
(八十六)その時王仁(わに)半紙四十枚を命じて、一枚(ごと)に神の御名(おんな)を記し、肌の(まもり)にせよとて、二十人の教徒(をしへこ)に渡せば、(いづ)れも何心(なにごころ)なく打ち喜びて押し戴き、おのがじし懐中(ふところ)に収めたりき。かくて舞鶴なる船問屋(ふなどひや)大丹生屋(おほにふや)といふに着きて、舟子(かこ)四人と小船四艘を命じたりき。
(八十七)その時(そら)黒雲(くろくも)一面に塞がりて、風吹きすさみ、雨さへ降り(きた)りければ、(やと)へる四人の漁夫(りやうし)どもは、海の荒きを(おそ)れ、(めい)に応ぜずして帰り行けり。王仁(わに)宿(やど)主人(あるじ)に告げて曰く、今宵九時までに船を出し呉れなば、沓島(めしま)迄は雨も風もなく、いと(つつが)なく着くことを得む。それまでに船人(ふなびと)(やと)ひ呉れよといひければ、主人(あるじ)(うべな)ひて、舞鶴八百人の漁夫(れうし)(うち)にて、屈強の者四人を選びて連れ(きた)りぬ。
(八十八)主人(あるじ)漁夫(れうし)どもに打ち(むか)ひ、(この)人は誠に神の御使(みつかひ)なり。今迄に二度までも出口教祖と共に、冠島(をしま)沓島(めしま)(おもむ)かれし御方(おんかた)なれば、いかなる暴風にも、怒涛にも、(おどろ)くに及ばずと物語れば、漁夫(れうし)どもも日頃(ひごろ)頼める主人(あるじ)の言葉を疑はず、(ただち)に船の準備に(かか)りければ、その()に一行は(ぜん)に向ひて晩餐(ゆうげ)をしたためぬ。
(八十九)天候の険悪なるまま、思ひの(ほか)準備(したく)(ひま)(つひや)し、船の(いで)たるは(はや)十時なりき。船中にては一行打ち揃ひて、祝詞を唱へ乍ら、次第に港口(こうこう)へと進み行きけるが、やがて博奕(ばくち)と云へる岬を(めぐ)りて、洋々たる海の上に乗り出でたる折しもあれ、(はげ)しき風と共に、波浪は(にはか)に狂ひ出でぬ。
(九十)王仁(わに)は何気なく、うつらうつらと仮睡(うたたね)して居たりけるが、やがて(あわただ)しくわれを呼び(をこ)す声に驚かされて(まなこ)をあぐれば、東の空は(すみ)を流したるが如く黒きが(なか)に、火よりも(あか)き雲の打ち(まじ)りて、(ものすご)きこと言はん(かた)なく、今にも疾風(はやて)襲ひ来て、人も船も()と呑みにせんとする荒模様となり居たりき。
(九十一)風は益々(ますます)吹き(すさ)み、(なみ)はいよいよ逆巻(さかま)きて、乗れる小船のさながら手鞠(てまり)の如く(もてあそ)ばれんとするも、血気の船人(ふなびと)、日頃の手練(しゆれん)を見するは今ぞと、力限りに()(あやつ)れど、山なす怒涛をいかんともする(あた)はず、やがて総身(そうしん)綿(わた)の如く疲れ果てければ、かくと見たる二十一人の教徒(をしへご)も、顔の色は土の如く、生きたる心地ぞなかりける。
(九十二)教徒(をしへご)の一人声を(ふる)はして、竜宮さまは吾等(われら)を殺さんと()(たま)ふならむ。(ねが)はくは先生より神に謝して、(ゆる)されんことを祈り給へと打ち叫ぶ。王仁(わに)莞爾(くわんじ)として、少時(しばし)一同の顔を打ち(なが)め居たりしが、やがて(おもむ)ろに(くち)(ひら)きて、(なんぢ)()日頃千尋(ちひろ)の海より深き罪の海に沈めるを、そを少しも(おそ)るることを知らず。何とてかかる浅き海を(おそ)るることの(はなは)だしきや。されど(なんぢ)()(こころ)(やす)かれ、風も(なみ)(ただち)()ぎなんとて、船絃(ふなばた)に立ち、日の出の(あふぎ)をあげて、(かぜ)鎮まれと呼ばはりければ、風も(なみ)(にはか)に鎮まりたりき。
(九十三)漁夫(りやうし)達は驚きて、この人達は只人(ただびと)ならじ、吾等(われら)は海の上を(わが)(いへ)の如く思ひつれど、月日(つきひ)の如き疾風(はやて)に遇ひたるは初めてなれば、いかがはせんと、心ひそかに案じ居たるに、風も(なみ)御指図(おさしづ)に従ひけるは、不思議といふも(おろか)なりとて、舌を巻きてぞ感じける。教徒(をしへご)一同も、始めて神の御力(みちから)の大いなるには、今更の如く驚きたりき。
(九十四)教徒(をしへご)の中には信仰の薄きものありて、いたく風と(なみ)(おそ)れ、船の底にかぶり付きたるままの者ありき。王仁(わに)(これ)に打ち向ひ、(なんぢ)()(いへ)に在りて、青き畳の上にて悪しき(わざ)を為すを(おそ)るるや。又は神の御教(みをしへ)のまにまに、()らき海の上に漂ふを(おそ)るるやと問へば、(たがひ)(かほ)見合はすばかりにて、一人も答ふるものなかりき。
(九十五)(すなは)王仁(わに)諭して曰く、人の(この)世に在るや、(あたか)も吹き(すさ)む風と(なみ)とに闘ひつつ、際涯(はてし)なき海の上を行くが如し。誠に人の身の上ほど(あやふ)きものはなし。今この船に、(かぢ)船子(ふなびと)となからむか、(なんぢ)()(たちま)ち海底の藻屑(もくづ)と成り果てなむ。人も(また)神と信仰なき時は、一時(いちじ)生命(いのち)(つな)ぐこと(あた)はじ。

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