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07 円山応挙

インフォメーション
題名:07 円山応挙 著者:
ページ:8 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-01 18:24:35 OBC :B121808c10
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正10年2月1日号(第134号)【出口王仁三郎執筆】 > 故郷乃二十八年
 円山(まるやま)応挙(おうきよ)は本名を上田主水(もんど)と称したのである。京都の円山の(ほとり)に住んで妙筆(めうひつ)(ふる)つて居たので、画名を円山応挙と名告(なの)つたのである。然るに同じ穴太に丸山といふ姓があるので、応挙は丸山家から出たものと世人は誤解して居るのである。現に穴太(うま)れの丸山某は京都の町に居を(ぼく)し、何時の間にやら、(ぐわん)まるを(ゑん)まるに変更し、円山応挙六世の(そん)なぞといつて居るのである。厚顔無恥も、(ここ)に至つて極まれりと謂ふべしだ。
 丸山某といふ人は、明治の初年に伏見鳥羽(とば)の戦争に、長州の武士から人夫として雇はれ、敗戦の結果、多数の死者が出来た。その際に某氏は死骸の中に(もぐ)り込み、死者の懐中物(くわいちうもの)を一々探つて莫大なる金銀を集め、それを資本として郷里に数町(すうちやう)()田畑(でんぱた)購求(かうきう)し、(かたは)ら三百代言(だいげん)をして随分人に憎まれつつ持丸(もちまる)長者になつた所から、名誉欲に(そそ)られて、(つひ)に円山応挙の末裔と偽称するに至つたのである。某は金の(ちから)で京都に()で、三百三百代言=詭弁も余り面白からぬ()うになつたので、()る方法に依つて印紙屋を営み、数十万円の資産を造り上げ、府会議員まで(うなぎ)(のぼ)りに上つた、容易ならぬ敏腕家である。そこで郷里の穴太に円山応挙生誕地といふ立派な()()てて、裏面(りめん)には府会議員円山某と刻して居るやうな虚栄家である。
 たしかに明治十六年、王仁(わたし)が十三才の時であつた。丸山某氏が訪ねて来て、ここの家には上田主水(もんど)さんの()()(おろ)しが沢山にあると聞いたが、一度拝見したいと(まをし)込んで来た。そこで王仁(わたし)の両親は快く古長持(ふるながもち)の中に納めてあつた数百枚の()()き損じを出して見せた。某は非常に驚歎して帰つた。四五日を経て、某は再び訪ねて来ていふには、
『お前さん(とこ)にこんな反古(ほご)何時(いつ)までも大事に保存して置いた所で、何の役にも立たぬから、私は五円に買うて()げよう。五円あれば米が一石(いつこく)も買へる。正月にも沢山な餅を()いて子供を喜ばして()つては()うだ』
と謂つて、(しき)りに売れ売れと迫るのである。
 癇癪持(かんしやくもち)の父の吉松(きちまつ)は、丸山某の言草(いひぐさ)が気に喰はぬと、大変に(おこ)り出し、
『お前さんに買つて貰ふ(くらゐ)なら、ここで灰にして了ふ』
と謂つて、()の中から数十枚持ち出して某の眼の前で焼き捨てて了つたので、某は詮方(せんかた)なく無礼を詫びて帰つて往つた。それからは種々(いろいろ)と手を替へ、人を頼んで売却の()を申込んで来たが、頑固一偏の父は、最初の某の言草(いひぐさ)が気に喰はぬからと主張して、断乎として要求に応じなかつたのである。さうすると今度は、王仁(わたし)を養子に貰ひたい、大学へ入れて立派な人間に仕上げて()るからと、幾度(いくたび)となく出て来て、余り五月蠅(うるさ)くて(たま)らず、癇癪(かんしやく)親父が到頭大喧嘩をおつ(ぱじ)めて絶交して了うた。持丸(もちまる)長者の某が(やぶ)()水呑(みづのみ)百姓の小伜(こせがれ)を養子に呉れと申込んで来るのは普通ではない。何か三百代言(だいげん)だから深い魂胆が伏在するに相違(ちがひ)はないと謂つて、父が立腹して居たのが歴然として王仁(わたし)の記憶に今(なほ)残つて居るのである。
 然るに不幸にも上田の倭屋(わいをく)は、明治三十三年の二月七日明治33年(1900年)旧暦2月7日=新暦3月7日。神霊界でも「卅三年」。他の箇所では、神霊界で34年になっている箇所もある。祝融子(しゆくゆうし)火事のこと。の見舞ふところとなり、家財家具は言ふに及ばず、円山応挙に関する書類も絵画も、悉皆(しつかい)烏有(ういう)()したのである。サアさうすると、例の丸山某は得たり(かしこ)しとして、自分が応挙の六世の(そん)なりと宣言し、(つひ)に応挙生誕地の石碑までも建立するやうになつたのである。然るに丸山某は代々西穴太(にしあなを)に屋敷があつて、今は上田和市(わいち)氏の邸宅になつてをり、生誕地と書いてある記念碑の建設地は、明治十二三年頃に穴太寺(あなをでら)桑園地(さうゑんち)であつたのを購入して、新たに居宅を造り住んだのであるから、生誕地で無い事は明白な事実である。

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