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茶道の展開

インフォメーション
題名:茶道の展開 著者:大本七十年史編纂会・編集
ページ:1237 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195402c8513
 聖師のいだかれていた茶の精神を実践にうつし、これを教団内に普及するのにあずかって力のあったのは、三代教主のきよらかなたましいであった。教主は一七才のころ、長谷川宗美から裏千家流の手ほどきをうけたことがあり、その後は川那辺宗貴に師事した。川那辺の帰幽後は浜本宗俊の指諸行事にもとりいれ導をうけて、茶道に精進してきた。
 直日著『私の手帖』には、いくつかの茶についての見解がのべられているが、そのなかに、「茶について」のつぎの一文がある。
私の祖母(開祖)は、いわゆる世の茶の湯について、形の上では何のかかわりももたれなかったのですが、祖母は高い茶のこころを身につけていられているられました。まことに、たぐいまれなる大茶人であったと、私はいつも敬まっています。祖母の生活は、周辺にも、いつも、お茶でいう─和敬清寂─の境がただようていました。祖母の行ないの一節にも、茶の求めている美しい姿がやどっていました。そういう祖母の教を汲む人々には、いまの世の茶の実際の姿に反撥を感じられるでしょう。けれども、お茶というものは、本来、大本の教をふむ人がならって、決してそこに矛盾を感じるものはないはずで、むしろ、この教によって生き、暮してゆく上に必要なものを、身につけてくれるものでさえあると思っています。……近ごろは、道具にこる茶が流行しているようですが、私のところは、そういうことには染らんようにしてゆきたいものです。道具ばかり並べてみたところで、精神が抜けてしまっては仕方がありません。道具がないからといって、いくら笑われても、それは決して恥ずかしいことでもありません。それよりも道具に見栄をはって、うわついた茶にならぬように気をつけたいと思います。……浄らけき茶巾だにあらば、こわれ茶碗にでも茶は飲めるものにて候─という、初期の茶の精神は、今も変わりないはずですから、少しはそういう階級の人々にも、ほんとに茶をとおしてくる楽しみが喜べるという、そういうことが出来るように仕向けられたいものと思います。……けれども金をもっている人は、良い道具を楽しまれるのがよろしいのです。これは世の中をうるおす役に立つものと思いますから。でも、そればかりが茶でないのですから、まずしい人にも楽しめる茶がなければなりません。……現在、世上に流行しているような、上すべりのお茶がさかんになるとすれば、いつかはほろびてしまうでしょう。しかし、世間の茶は世間の茶で、大本は、神さまがおつくりになったお道の団体ですから、清らかな、本当に楽しい茶を行わさしていただきたいと思います(昭和31・1)。
 大本の茶のこころはすでに開祖の生活からはじまっており、茶道の精神と大本の教えが一致するものであって、庶民の生活とともにある、本来の茶のこころが大本にさかんとなることをのぞまれている。
 お茶は理屈でわかるものではない、まずのんでみることによってしたしみもでき、理解もできるとする教主は、大本への来客、信徒の面会者にたいしてはだれかれの区別なく、抹茶による接待をおこない、また信徒をまねいてのお茶事もさかんになされた。そのため信徒のお茶にたいする関心はますますたかまった。
 一九四九(昭和二四)年の一月から、聖師の命日である一九日には毎月、亀岡在住の信徒婦人(和敬会)によって聖師の霊前に献茶がおこなわれている。その後綾部の掬水荘や亀岡の朝陽館に「月釜」がかけられ、接茶がなされていたが、一九五八(昭和三三)年に亀岡に万祥軒が完成してからは、近畿各地の信徒をはじめ一般の来訪も月々おおきをかぞえるにいたった。道場修行のなかに茶道をとりいれ、本部の大祭や地方での祭典にも茶席がもうけられている。また一九五〇(昭和二五)年末からは竹田別院の本席で、聖師の耀盌が世にでたことを記念して、「天国茶会」が教主によってはじめられ、ゆかりのある人々をまねいてながくつづけられた。大本楽天社茶道部でも宇高宗好(裏千家教授)をまねいて、本部役職員・奉仕者への指導にあてるとともに、地方信徒への奨励をおこなったので、全国の信徒のあいだには茶道がいっそうひろまった。
 なお、第二次大本事件(昭和一〇年一二月)までには本部になかったものとして、竹田別院に本席のほか、綾部梅松苑に春秋荘の彩鳳軒(書院)・すみ子庵(三畳中板)・四畳半席、亀岡天恩郷に万祥殿の万祥軒(書院)、朝陽館の萩之軒(大爐)・直心庵(四畳半席)、春陽閣の二畳台目、葉がくれ居の四畳半席と、あわせて八つの茶室が三代教主によってつくられ、信仰と茶、生活と茶の一体化がはかられている。ときに教主は茶室で読書や写生をされ、一期一会のなつかしいのこり香をおしんで寝食をとられることさえある。また地方の別院・本苑にも茶室がもうけられ、おもな分苑・信徒のなかにも茶室をもつものがしだいにふえ、大本で茶道がいかに重視されるようになったかをものがたっている。
〔写真〕
○茶道は道場修行や本部地方における祭典 諸行事にもとりいれられている 綾部梅松苑 p1237
○和敬清寂 直心庵路地での教主 亀岡天恩郷 p1238
○清らかな楽しい茶として茶道は信徒の生活にとけこんでいる けいこにはげむ和敬会の人々 p1239

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