霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
目 次設 定
設定
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
フォント

ルビの表示



アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注 [?][※]や[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。まだ少ししか付いていませんが、目障りな場合は「表示しない」設定に変えて下さい。ただし[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]


文字の色
背景の色
ルビの色
傍点の色 [?]底本で傍点(圏点)が付いている文字は、『霊界物語ネット』では太字で表示されますが、その色を変えます。[×閉じる]
外字1の色 [?]この設定は現在使われておりません。[×閉じる]
外字2の色 [?]文字がフォントに存在せず、画像を使っている場合がありますが、その画像の周囲の色を変えます。[×閉じる]

  

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。


マーキングパネル
設定パネルで「全てのアンカーを表示」させてアンカーをクリックして下さい。

【引数の設定例】 &mky=a010-a021a034  アンカー010から021と、034を、イエローでマーキング。

          

第二二章 難症(なんしよう)〔一〇五九〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 篇:第5篇 正信妄信 よみ:せいしんぼうしん
章:第22章 第38巻 よみ:なんしょう 通し章番号:1059
口述日:1922(大正11)年10月18日(旧08月28日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年4月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
明治三十七、八年ごろは、日露戦争の勃発で四方平蔵、中村竹蔵ら十二人の幹部たちは、いよいよ世の立替で五六七の世になる、それまでに変性女子を改心させねばお仕組が遅れると信者の家を宣伝に回っていた。
十二人の熱心な活動のおかげで、喜楽の言うことを聞いて布教に従事してくれたのは、西田元教と、浅井はなという婆さんの二人だけであった。
三人は園部を根拠として細々と宣伝をやっていた。片山源之助という材木屋が園部に参拝して信者となり、幽祭の修業を始めた。天眼通を習得し、旅順の要塞を透視したり日露戦争の始末を予言したり不思議なことが実現したので、非常にたくさんの信者が集まってきた。
綾部から幹部が来て、喜楽は小松林の悪神が憑いていると吹聴しまくるから、信者たちは一も二もなく信じてしまい、会長を軽蔑して片山を先生と尊敬しだした。
西田はたいへんに憤慨したが、綾部の妨害がはなはだしいので挽回することができなかった。仕方なく自分は綾部に帰り、平仮名ばかりの経典を作って西田に持たせ、宣伝に歩かせた。
綾部にいると、中村や四方平蔵がやってきて、ふらふらとあちこち布教に歩いたりせずに早く改心しろと責め立てる。始末におえないので、しばらく経典を書くことに全力を尽くしていた。
西田が北桑田に来てくれと頼んできたので、八木の祭典の出張にかこつけて抜け出した。西田は山里で爺さんの鎮魂をしてリウマチスを治し、歩けるようにしてあげていた。
しかし非常に執着心の強い爺さんだったから、欲張って西田の怒りを買い、それきり偏屈人の西田は寄り付かなくなってしまった。また西田とともに、リウマチで苦しんでいた小西松元という男を訪問し、そこを根拠に布教していた。
小西は、川漁が得意で魚をたくさん取っては朝から晩まで女と酒を飲んでいるような親父だったので、リウマチにかかってしまった。
園部にやってきて西田の鎮魂で足が立つようになり、熱心な信者となった。しかし養生せずに川漁に出て川に落ち、またリウマチが再発して苦しんでいた。
この男を本復させて神様の御用に使おうと、西田と二人で訪ねて行ったのである。喜楽は初めて小西に面会し、二日ばかりの間に二三回鎮魂をしたところ、すっかり全快した。
小西は熱心に布教し、信者が集まってきて毎日二三十円ものお賽銭収入があるまでになった。すると小西はよい気になり、信者の女に手をかけたり、朝から晩まで酒を飲み始めた。
そのとき喜楽は京都の皇典講究所へ通っていたので小西の広間をかまうことができなかった。そうすると、小西は慢心して西田の言うことを聞かなくなってきた。
小西夫婦の息子は日露戦争に出征していたが、電報間違いで戦死の知らせが届いた。すると小西夫婦は西田を問い詰め、真冬の夜に外に出されて酷い目にあわされた。
しかし小西の息子・増吉は幾度も危険な目にあいながら神様に助けられ、連隊長の従卒になって楽に勤めて帰ってきたのであった。
また、自分が建勲神社の主典を務めていたとき、小西から手紙が来て矢代というところに大変にきつい曲津がいるから助太刀に来てほしい、と依頼があった。
そこで公務を繰り合わせて行ってみると、吉田竜次郎氏がひどい博奕打ちで祈祷してほしいという。明治四十年の夏の初めであった。吉田宅に行ってみると、自分が来るのを知って曲津は早くも逃げ出してしまっていた。
それから吉田氏と懇意になり、竜次郎氏は神社に訪ねてきて神勅をうかがったり、また細君の熱心で後に大本に帰依するようになった。
主な登場人物: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :rm3822
愛善世界社版:230頁 八幡書店版:第7輯 245頁 修補版: 校定版:234頁 普及版:122頁 初版: ページ備考:
001 明治(めいぢ)三十七八年(さんじふしちはちねん)(ごろ)日露(にちろ)戦争(せんそう)勃発(ぼつぱつ)四方(しかた)平蔵(へいざう)002中村(なかむら)竹蔵(たけざう)()十二人(じふににん)所謂(いはゆる)幹部(かんぶ)役員(やくゐん)(いよいよ)()立替(たてかへ)で、003五六七(みろく)()になる、004それまでに変性女子(へんじやうによし)改心(かいしん)をさしておかねばお仕組(しぐみ)(おく)れると、005しやちになつて、006信者(しんじや)(うち)宣伝(せんでん)にまはり……会長(くわいちやう)改心(かいしん)せず、007(また)小松林(こまつばやし)()(うち)は、008門口(かどぐち)(しきゐ)(ひと)(また)げさす(こと)はならぬ、009大変(たいへん)神罰(しんばつ)(あた)ると一生懸命(いつしやうけんめい)一軒(いつけん)(のこ)らず()(ある)いてゐる。010そしてどんな立派(りつぱ)(こと)会長(くわいちやう)()うても、011(ひと)つも()いてはならぬ、012小松林(こまつばやし)艮金神(うしとらのこんじん)さまの御仕組(おしぐみ)()りに()てるのだから……とふれまはした。013信者(しんじや)一人(ひとり)(のこ)らず、014熱心(ねつしん)十二人(じふににん)活動(くわつどう)で、015彼等(かれら)()(こと)(かた)(しん)じて(しま)ひ、016()園部(そのべ)(きつね)真似(まね)したのが大変(たいへん)(たた)つて、017信者(しんじや)一般(いつぱん)から()(あし)守護神(しゆごじん)(おも)ひこまれたからたまらぬ。018(この)(とき)喜楽(きらく)()(こと)()いて布教(ふけう)従事(じゆうじ)してゐた(もの)西田(にしだ)元教(げんけう)浅井(あさゐ)はなといふ五十余(ごじふあま)りの()アサン二人(ふたり)のみであつた。
019 西田(にしだ)浅井(あさゐ)とは(かは)(がは)園部(そのべ)十二時(じふにじ)(ごろ)()つて三里(さんり)(ばか)()をくらして綾部(あやべ)へやつて()て、020大槻(おほつき)鹿造(しかざう)(いへ)で、021夜中(やちう)ソツと会長(くわいちやう)会見(くわいけん)し、022教理(けうり)研究(けんきう)しては、023(また)(よる)()園部(そのべ)(かへ)り、024園部(そのべ)根拠(こんきよ)として、025細々(ほそぼそ)宣伝(せんでん)をやつて()た。026喜楽(きらく)()(けつ)して、027園部(そのべ)(まで)(よる)()浅井(あさゐ)()れられて、028()げのび、029船井郡(ふなゐぐん)北桑田郡(きたくはだぐん)信者(しんじや)未開(みかい)()宣伝(せんでん)して()た。
030 片山(かたやま)源之助(げんのすけ)といふ材木屋(ざいもくや)がふと園部(そのべ)支部(しぶ)参拝(さんぱい)して()て、031教理(けうり)()き、032(にはか)信者(しんじや)となつて、033幽斎(いうさい)修行(しうぎやう)(はじ)め、034天眼通(てんがんつう)修得(しうとく)し、035旅順(りよじゆん)要塞(えうさい)透視(とうし)したり、036日露(にちろ)戦争(せんそう)始末(しまつ)予言(よげん)したり、037いろいろと不思議(ふしぎ)(こと)実現(じつげん)したので、038非常(ひじやう)沢山(たくさん)信者(しんじや)(あつ)まつて()た。039さうすると(また)もや綾部(あやべ)連中(れんちう)(かぎ)つけやつて()て、040沢山(たくさん)信者(しんじや)(まへ)で、
041会長(くわいちやう)小松林(こまつばやし)といふ()(あし)守護神(しゆごじん)()いとるのだから、042相手(あひて)になつては()けませぬぞや、043貧之神(びんばふがみ)ですから』
044吹聴(ふいちやう)する。045片山(かたやま)天眼通(てんがんつう)呼物(よびもの)となつて沢山(たくさん)信者(しんじや)(あつ)まつて()た。046そこへ綾部(あやべ)から()て、047会長(くわいちやう)悪口雑言(あくこうざふごん)(なら)()てるので、048(わけ)()らぬ信者(しんじや)(いち)()もなく(しん)じて(しま)ひ、049会長(くわいちやう)軽蔑(けいべつ)し、050片山(かたやま)先生(せんせい)片山(かたやま)先生(せんせい)尊敬(そんけい)して、051(つひ)には会長(くわいちやう)邪魔者(じやまもの)(あつか)ひにするやうになつて(しま)つた。052西田(にしだ)大変(たいへん)憤慨(ふんがい)していろいろと活動(くわつどう)したけれ(ども)053綾部(あやべ)妨害(ばうがい)(はなはだ)しいので、054頽勢(たいせい)挽回(ばんくわい)する(こと)出来(でき)なかつた。055それから会長(くわいちやう)(ふたた)綾部(あやべ)(かへ)り、056仮名(かな)(ばか)りの教典(けうてん)(つく)り、057西田(にしだ)元教(げんけう)()たせて宣伝(せんでん)(ある)かすこととしてゐた。
058 (ふたた)綾部(あやべ)(かへ)り、059(はな)れの六畳(ろくでう)蟄居(ちつきよ)して教典(けうてん)()いてゐると、060(また)もや四方(しかた)中村(なかむら)幹部(かんぶ)がやつて()て、
061中村(なかむら)会長(くわいちやう)サン、062()けば()(ほど)茨室(いばらむろ)063(かみ)(そむ)いて(なん)なとして()よれ、064(ひと)つも思惑(おもわく)()ちは(いた)さんぞよ、065アフンとして(あを)(かほ)をして、066(いへ)のすまくらに()()んで、067(ひと)(かほ)もよう()はせず、068悄気(せうげ)てゐるのを()るがいやさに、069(かみ)がくどう()をつけるぞよ……と(あら)はしなさつた筆先(ふでさき)実地(じつち)御覧(ごらん)になつたでせうな。070さうだからどつこへも()くでないと仰有(おつしや)るのに、071小松林(こまつばやし)()(あし)にチヨロまかされて、072(また)しても(また)しても、073綾部(あやべ)飛出(とびだ)しなさるもんだから、074こんなザマに()ふのです、075モウこれからはどつこへも()かず、076教祖(けうそ)さまの御命令(ごめいれい)()いて役員(やくゐん)()(とほ)りになされ、077世界(せかい)人民(じんみん)(くるし)みますから』
078中村(なかむら)がそれみたか……といふやうな冷笑(れいせう)()かべて(しやべ)()した。079会長(くわいちやう)は、
080喜楽(きらく)『ナニ、081(わたし)失敗(しつぱい)したんでも(なん)でもないワ、082自分(じぶん)(こころ)がお(まへ)(わか)るものか、083細工(さいく)流々(りうりう)仕上(しあ)げを()(もら)はな(わか)らぬワイ』
084()はせも()てず、085中村(なかむら)(おほ)きな(こゑ)で、
086中村(なかむら)『コラ小松林(こまつばやし)087まだ改心(かいしん)(いた)さぬか、088ツツボにおとしてやろか、089慢心(まんしん)大怪我(おほけが)(もと)だぞよ』
090呶鳴(どな)りつける。091四方(しかた)平蔵(へいざう)(そば)から、
092四方(しかた)会長(くわいちやう)サン、093あんたの仰有(おつしや)(こと)(さき)になつたら(また)()時節(じせつ)()ますから、094(いま)(ところ)ではお()()らいでも辛抱(しんばう)して御用(ごよう)()いて(くだ)され、095今年(こんねん)来年(らいねん)世界(せかい)大峠(おほたうげ)096グヅグヅしてる(とき)ぢや(ござ)いませぬぞや、097これ(ほど)御大望(ごたいまう)差迫(さしせま)つて()()るのに、098大本(おほもと)御用継(ごようつぎ)ともある(ひと)が、099そこらをウロウロとウロつきまはるとは(なん)(こと)ですか、100教祖(けうそ)さまが、101(また)何時(いつ)もの(やまひ)()小松林(こまつばやし)がそこら(ぢう)へつれて(ある)くから、102役員(やくゐん)()をつけよ……と(きび)しう仰有(おつしや)るのですから、103こうして(みな)(もの)があなた一人(ひとり)(こと)()いて心配(しんぱい)して()るのに、104(まへ)サンは吾々(われわれ)役員(やくゐん)可哀相(かあいさう)なとは(おも)ひませぬか』
105(なぢ)りよる。106会長(くわいちやう)は、
107喜楽(きらく)『お(まへ)らがトボけてるのが可哀相(かあいさう)なから、108(はや)()をさましてやろうと(おも)うて、109いろいろと()をつけるけれども、110小松林(こまつばやし)()(あし)(ぬか)すのだなどといつて一口(ひとくち)もきかず、111()をさましてくれぬので、112綾部(あやべ)()つても(よう)がないので、113(いま)(うち)(ひと)つでも神界(しんかい)御用(ごよう)をしておかうと(おも)つて、114そこら(ぢう)布教(ふけう)(ある)くのだ。115日露(にちろ)戦争(せんそう)(おこ)つても、116それ(くらゐ)世界(せかい)立替(たてかへ)出来(でき)るものでない、117まだまだ世界(せかい)大戦争(だいせんそう)があり、118それから民族(みんぞく)問題(もんだい)(おこ)り、119いろいろ雑多(ざつた)(こと)世界(せかい)勃発(ぼつぱつ)して、120最後(さいご)にならねば立替(たてかへ)()()るものぢやない、121ここ十年(じふねん)二十年(にじふねん)で、122そう着々(ちやくちやく)(らち)があくものか、123(いま)(うち)にチツと()をさましておかぬと、124(この)戦争(せんそう)()んで(しま)ふなり、125立替(たてかへ)()()ぬなりすると、126(また)虚言(うそ)ぢやつたと()つて信者(しんじや)一人(ひとり)()りつかなくなつて(しま)ふ、127つまりお前達(まへたち)一生懸命(いつしやうけんめい)になつて(かみ)さまのお(みち)(つぶ)さうとかかつてるやうなものだ』
128といふのを(みな)まで()かず、
129『コレ会長(くわいちやう)サン、130(まへ)サン()何程(なにほど)小賢(こざか)しい理屈(りくつ)(なら)べても(たれ)()(もの)はありませぬぞ、131一分一厘(いちぶいちりん)(ちが)はぬお筆先(ふでさき)だと仰有(おつしや)(かみ)さまの御言(おことば)(ちが)うてたまりますか』
132などと頑張(ぐわんば)つて、133一言(ひとこと)聞入(ききい)れぬのみか、134益々(ますます)()(あし)(あつか)ひを(はじ)めて始末(しまつ)()へぬので、135澄子(すみこ)相談(さうだん)(うへ)136何事(なにごと)沈黙(ちんもく)(まも)り、137一時(いつとき)()時間(じかん)(をし)んで、138教典(けうてん)()(あら)はすことに全力(ぜんりよく)(つく)して()た。
139 そうした(ところ)西田(にしだ)(いつ)ぺん北桑田(きたくはだ)()てくれと(ひそ)かに(たの)みに()たので、140(なん)とかして(また)もや綾部(あやべ)()()さうと(かんが)へて()た。141(さいはひ)八木(やぎ)祭典(さいてん)出張(しゆつちやう)する(こと)となり、142(まへ)()べた(ごと)八木(やぎ)()ぬけして、143園部(そのべ)(はし)り、144それから人尾峠(ひとのをたうげ)乗越(のりこ)へて、145宇気(うけ)といふ山里(やまざと)()(くれ)(ごろ)(おち)つき、146安井(やすゐ)清兵衛(せいべゑ)といふリウマチスで身体(からだ)自由(じいう)(うしな)(くる)しんでゐる老爺(ぢい)サンの鎮魂(ちんこん)をなし、147(その)()はそこで一泊(いつぱく)する(こと)となつた。148西田(にしだ)鎮魂(ちんこん)をすると、149()イサンは(その)()(あし)()ち、150座敷中(ざしきぢう)(ある)いて()て、151大変(たいへん)(よろこ)び、152それから熱心(ねつしん)信者(しんじや)となつたが元来(ぐわんらい)村中(むらぢう)でも()けの(わる)親類(しんるゐ)財産(ざいさん)併合(へいがふ)して、153財産家(ざいさんか)になつたやうな(おやぢ)だから、154金銭(きんせん)執着心(しふちやくしん)(ひど)うてモ(ひと)つといふ改心(かいしん)出来(でき)ぬので、155(わづか)室内(しつない)(ある)くよにはして(もら)うたが、156まだ(そと)()(はたら)くまでにはならなんだ。157そこで()イサンが西田(にしだ)(たい)して()ふには、
158安井(やすゐ)『どうぞ(わたし)(やま)()けるよにして(くだ)さつたら、159(うち)(はやし)(すぎ)(ひのき)(くづ)をさがして()つて、160それで(かみ)さまのお(まつ)場所(ばしよ)()て、161教会(けうくわい)(ひら)き、162(わたし)隠居(いんきよ)(かは)りにお(もり)をさして(もら)ふ』
163(むし)のよい(こと)()()した。164そこで元教(げんけう)大変(たいへん)(はら)()て、
165西田(にしだ)(かみ)さまの御祭(おまつ)場所(ばしよ)()てるのに、166(くづ)をよつて()てるといふ(やう)(こと)()()イは(いや)だ。167一番(いちばん)よい()()げるのが信神(しんじん)(みち)ぢやないか、168そんな(こと)()うとると、169(また)(もと)(とほ)りいざりになつて、170折角(せつかく)(こしら)へた財産(ざいさん)(まで)なくなつて(しま)うぞ』
171()つたきり、172サツサと安井(やすゐ)(うち)飛出(とびだ)し、173それきり変屈人(へんくつじん)西田(にしだ)()りつかぬやうになつて(しま)うた。174(はた)して(この)(おやぢ)(もと)(とほ)りの難病(なんびやう)になり、175(よく)にためた財産(ざいさん)息子(むすこ)縫之助(ぬひのすけ)(ひと)にだまされて、176一獲千金(いつくわくせんきん)のボロ(まう)けをせうとして大失敗(だいしつぱい)をなし、177財産(ざいさん)九分(くぶ)(どほり)まで、178三年(さんねん)ほどの(あひだ)になくして(しま)うた。
179 さて会長(くわいちやう)西田(にしだ)(とも)(その)時分(じぶん)これもリウマチで平太(へた)つて()小西(こにし)松元(しようげん)といふ(をとこ)(うち)訪問(はうもん)して、180(しばら)(その)(いへ)根拠(こんきよ)として布教(ふけう)従事(じうじ)してゐた。181(この)小西(こにし)園部(そのべ)支部(しぶ)駕籠(かご)()つて()()て、182西田(にしだ)鎮魂(ちんこん)即座(そくざ)(あし)()ち、183大変(たいへん)(よろこ)んで、184材木(ざいもく)などを献納(けんなふ)し、185支部(しぶ)拡張(くわくちやう)までやつた(くらゐ)熱心家(ねつしんか)であつた。186(この)小西(こにし)川漁(かはれふ)大変(たいへん)上手(じやうづ)寒中(かんちう)でも一寸(ちよつと)()()ると、187三升(さんじよう)五升(ごしよう)川魚(かはうを)をとつて()河童(かつぱ)仇名(あだな)をつけられて()酒飲(さけの)(おやぢ)である。188毎日(まいにち)三升(さんじよう)(ぐらゐ)平気(へいき)(たひら)げて、189(あさ)から(ばん)まで(をんな)相手(あひて)(さけ)()んで()つた。190西田(にしだ)小西(こにし)病気(びやうき)(なほ)した(とき)今後(こんご)(けつ)して(うを)をとつてはいかぬ、191そして(さけ)二三年(にさんねん)()まぬやうにせぬと今度(こんど)はリウマチ(どころ)中風(ちうぶう)になつて(しま)ふと注意(ちうい)しておいたのも()かずに、192(かん)(うち)(つな)()つて宇津(うつ)川原(かはら)(こご)(うを)(すく)ひに()つて、193(やなぎ)のヌツと(かは)()た、194(みき)からふみ(はづ)し、195(かは)へドンブとおち()み、196(ふたた)大熱(だいねつ)(はつ)し、197(もと)(とほ)りにリウマチになり、198昼夜(ちうや)間断(かんだん)なくウンウン(うな)つて(くるし)んでゐた。199そこで西田(にしだ)(ふたた)鎮魂(ちんこん)をして余程(よほど)よくなつたが(しか)し、200(あし)(いた)みが()まつた(だけ)で、201行歩(かうほ)自由(じいう)(かな)はぬ。202そこで喜楽(きらく)綾部(あやべ)から引出(ひきだ)し、203小西(こにし)鎮魂(ちんこん)をして(もら)ひ、204病気(びやうき)本復(ほんぷく)させて、205(かみ)さまの御用(ごよう)使(つか)はうとしたのであつた。206喜楽(きらく)西田(にしだ)二人(ふたり)小西(こにし)(うち)(たづ)ねてゆくと、207小西(こにし)宮村(みやむら)内田(うちだ)官吉(くわんきち)といふ(おとうと)(いへ)世話(せわ)になり、208薬風呂(くすりぶろ)をわかして養生(やうじやう)をし(なが)ら、209(かみ)さまを(ねん)じてゐた。210そこで会長(くわいちやう)(はじ)めて小西(こにし)面会(めんくわい)し、211二日(ふつか)(ばか)逗留(とうりう)(あひだ)二三回(にさんくわい)鎮魂(ちんこん)をしてやつた(ところ)212(やうや)全快(ぜんくわい)六里(ろくり)(ばか)りの(みち)徒歩(とほ)宇津(うつ)(かへ)り、213一生懸命(いつしやうけんめい)(かみ)さまを(ねん)じてゐた。214沢山(たくさん)信者(しんじや)諸方(しよはう)から(あつ)まつて()毎日(まいにち)日日(ひにち)二三十円(にさんじふゑん)(ばか)りのお賽銭(さいせん)収入(しうにふ)があるので、215小西(こにし)がよい()になり、216ソロソロ信者(しんじや)(をんな)()をかけたり、217(あさ)から(ばん)まで(さけ)()(はじ)めた。218(その)(とき)喜楽(きらく)京都(きやうと)()つて皇典講究所(くわうてんかうきうしよ)(かよ)うてゐるので、219西田(にしだ)(まか)して宇津(うつ)小西(こにし)広間(ひろま)(はう)(かま)(こと)出来(でき)なんだ。220さうすると小西(こにし)がソロソロ慢心(まんしん)をし()して、221西田(にしだ)のいふ(こと)()かなくなつて()た。222一人(ひとり)息子(むすこ)増吉(ますきち)といふのが二十聯隊(にじふれんたい)入営(にふえい)し、223日露(にちろ)戦争(せんそう)出征(しゆつせい)してゐた。224そして(あさ)から(ばん)まで自分(じぶん)息子(むすこ)無事(ぶじ)(かへ)(こと)(ばか)りを(いの)(なが)ら、225沢山(たくさん)信者(しんじや)鎮魂(ちんこん)をやり、226()()信者(しんじや)はふえて()(ばか)りであつた。227さうした(ところ)(にはか)電報(でんぱう)間違(まちがひ)増吉(ますきち)戦死(せんし)したといふ()らせが、228北桑田(きたくはだ)郡役所(ぐんやくしよ)から(とど)いたので、229松元(しようげん)とお(すゑ)といふ夫婦(ふうふ)西田(にしだ)前後(ぜんご)より差挟(さしはさ)んで、230ソロソロ不足(ふそく)()ひだした。231(その)(すゑ)()アサンの(ことば)はザツと()(とほ)りである。
232(すゑ)『コレ(もと)はん(あま)りぢやないか、233(うち)増吉(ますきち)信心(しんじん)さへして()れば滅多(めつた)戦死(せんし)する気遣(きづか)ひはない、234金鵄勲章(きんしくんしやう)()つて(かへ)らしてやるというたぢやないか、235ソレに(この)電報(でんぱう)(なん)のこつちや、236奴狸(どたぬき)()(ひと)ダマしやがつてサア(はや)()てゆけ、237(うち)(おやぢ)(おやぢ)ぢや、238()第一(だいいち)といふ法華経(ほけきやう)信者(しんじや)が、239綾部(あやべ)(たぬき)にだまされて、240仕様(しやう)のない(かみ)をまつるもんだから、241こんな()()うたのだ。242(はや)(かみ)さまを(たた)きつぶして(かは)(なが)しなされ、243コラ元公(もとこう)(はや)ういなんか』
244(ゆき)二尺(にしやく)ほど(つも)つてゐるのに無惨(むざん)にも(そと)へつき()した。245西田(にしだ)()(くれ)(まへ)二尺(にしやく)(ほど)(つも)つてゐる(ゆき)(なか)(はう)()され、246(やうや)くにして半里(はんり)(ばか)りの山路(やまみち)(のぼ)り、247人尾峠(ひとのをたうげ)(いただ)きまで(のぼ)りつめると、248(かぜ)()きよせで(ゆき)五六尺(ごろくしやく)もつもり、249身動(みうご)きも出来(でき)ぬやうになり、250(その)()()きもつて()かした(こと)もあつた。251(しか)るに小西(こにし)増吉(ますきち)幾回(いくくわい)となく危険(きけん)場合(ばあひ)(かみ)さまに(たす)けられ、252(おな)(むら)から六人(ろくにん)召集(せうしふ)されて出征(しゆつせい)してゐた(もの)が、253五人(ごにん)まで負傷(ふしやう)したり戦死(せんし)したりしてゐるにも(かか)はらず、254増吉(ますきち)(だけ)怪我(けが)(ひと)つせず、255二十聯隊(にじふれんたい)全滅(ぜんめつ)した(とき)(わづ)二人(ふたり)(のこ)つた(その)一人(いちにん)であつた。256そして金鵄勲章(きんしくんしやう)(もら)うて聯隊長(れんたいちやう)従卒(じゆうそつ)となり(らく)(つと)めて(かへ)つて()たのである。257それから小西(こにし)がビツクリして西田(にしだ)葉書(はがき)をよこしあやまつて()て、
258『どうぞ(いつ)ぺん(あそ)びに()てくれ』
259というので西田(にしだ)(ふたた)小西(こにし)(たく)()き、260一所(いつしよ)(かみ)(みち)(ひら)いてゐたが、261(また)もや衝突(しようとつ)してそこを飛出(とびだ)して(しま)うた。262(その)(とき)会長(くわいちやう)はすでに別格官幣社(べつかくくわんぺいしや)建勲(けんくん)神社(じんじや)主典(すてん)をつとめてゐた。263そこへ小西(こにし)から手紙(てがみ)()て、
264矢代(やしろ)といふ(ところ)大変(たいへん)キツイ曲津(まがつ)()るから、265(わたし)()にあはぬよつて、266先生(せんせい)助太刀(すけだち)()(もら)いたい』
267といふので、268公務(こうむ)繰合(くりあ)はして宇津(うつ)へはるばる()つて()ると、
269周山村(しうざんむら)矢代(やしろ)といふ(ところ)吉田(よしだ)竜次郎(りうじらう)といふ(ひと)がありますが、270(その)(おく)サンが(この)(あひだ)から二度(にど)(ばか)(まゐ)つて()られますが、271主人(しゆじん)如何(どう)しても博奕(ばくち)をやめぬから、272やめるよに祈祷(きたう)がして(もら)ひたいといふのですが、273(かみ)さまに(うかが)うてみると大変(たいへん)曲津(まがつ)があこには()くうてゐるから、274(まへ)(ちから)ではどうせだめだから、275会長(くわいちやう)サンに御願(おねが)ひをせいと()はれましたから、276一寸(ちよつと)御手紙(おてがみ)()げました』
277()うてゐる。278それから小西(こにし)信者(しんじや)案内(あんない)をして(もら)うて矢代(やしろ)()つた。279丁度(ちやうど)明治(めいぢ)四十年(しじふねん)(なつ)(はじ)めで田植(たうゑ)最中(さいちう)であつた。280それから吉田(よしだ)(たく)()つて()ると、281自分(じぶん)()くのを()つて、282曲津(まがつ)(はや)くも()()し、283(なん)にも()らぬやうになつて()た。284(その)(いへ)主人(しゆじん)竜次郎(りうじろう)()はどつかへ()つて()つて不在(ふざい)であつたが、285妻君(さいくん)のお(つる)サンに面会(めんくわい)小西(こにし)()うたやうな(こと)()かされ、286そして曲津(まがつ)()りますか……と(たづ)ねるので、287(なに)()りませぬと(こた)へると、288たよりない先生(せんせい)ぢやなアと()ふやうな(かほ)をして、289(れい)だというて(きん)二円(にゑん)(つつ)んでくれた。290それから吉田家(よしだけ)懇意(こんい)になり竜次郎(りうじろう)()建勲(けんくん)神社(じんじや)二三回(にさんくわい)(たづ)ねて()て、291いろいろと神勅(しんちよく)(うかが)うたりし(なが)ら、292妻君(さいくん)熱心(ねつしん)何時(いつ)とはなしに大本(おほもと)帰依(きえ)するやうになつたのである。
293大正一一・一〇・一八 旧八・二八 松村真澄録)
   
オニド関連サイト最新更新情報
9/24【霊界物語ネット】『出口王仁三郎全集』の「第二篇 皇道我観」(第一~第十章)を校正しました。
9/21【霊界物語ネット】藤沼庄平「大本検挙」を掲載(詳細はページ冒頭のインフォメーション参照)。