霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第四章 微燈(びとう)(かげ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第1篇 日本より奉天まで よみ(新仮名遣い):にっぽんよりほうてんまで
章:第4章 微燈の影 よみ(新仮名遣い):びとうのかげ 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月15日(旧06月26日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年2月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
大正十三年新暦二月四日は、大本の年中行事の節分祭に相当した。中国暦でいうと、正月元日に当たる。そして本年は甲子に当たり、中国暦によると、十二万年に一度循環するという稀有の日柄であった。甲子は音が「更始」に通じている。
二月五日の早朝より元朝祭を行い、各国各地より集まってきた役員信徒は、日出雄を囲んで夜のふけるまで神界の経綸談を聞いていた。やがて皆おいおい帰国の途につき、広い教主殿も洪水の引いた後のように閑寂の気が漂っていた。
午後八時ごろ、教主殿の奥の間、ランプの光がかすかな一室に、日出雄は真澄別、隆光彦、唐国別の三人と共に海外宣伝の評議を行っていた。
まず、真澄別が朝鮮普天教との提携や、北京行きの結果を総括した。朝鮮には唯夫別と共に普天教教主を訪ね、日出雄教主の来鮮と教主会談を要請された。唯夫別は普天教の役員各として残留することとなった。
また隆光彦はシナの道院との連携と、中国各地での道院訪問の様子を述べた。
日出雄は、現在は監察の身ながら一度シナ、朝鮮を旅行してその道の人々と語り合い、世界宗教統一の第一歩を踏み出してみたいと、意を現した。その際、真澄別、隆光彦両人の同道を乞うた。
日出雄は唐国別からは、奉天の水也商会という武器屋を通じたシナ事情を聞いた。すると、河南督軍の軍事顧問を務めている岡崎鉄首という者が、張作霖とのつながりを利用して、蒙古の大荒野を開拓して日本の大植民地を作りたい、そのためには宗教で人心を収攬する策が一番だが、大本の日出雄聖師にその役をお願いできないか、と打診してきた話を語りだした。
そして、盧占魁という馬賊の大巨頭が内外蒙古に勢力を保っているので、聖師と引き合わせたい、という計画を打ち明けた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考:2023/12/29出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-12-29 01:03:12 OBC :rmnm04
愛善世界社版:29頁 八幡書店版:第14輯 558頁 修補版: 校定版:29頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 大正(たいしやう)十三(じふさん)(ねん)(しん)()(ぐわつ)四日(よつか)大本(おほもと)年中(ねんぢう)行事(ぎやうじ)(ひとつ)なる節分祭(せつぶんさい)相当(さうたう)大正11年(1922年)から大正13年(1924年)までの3年間の節分は2月4日だった。002(よく)五日(いつか)旧暦(きうれき)甲子(きのえね)(しやう)(ぐわつ)元日(ぐわんじつ)相当(さうたう)する吉辰(きちしん)である。003(しか)中国暦(ちうごくれき)(したが)へば()(ぐわつ)四日(よつか)(しやう)(ぐわつ)元日(ぐわんじつ)となつてゐる日本と中国では旧暦の計算基準が異なるため。004この(はう)正当(せいたう)らしい。005そして本年(ほんねん)甲子(きのえね)中国暦(ちうごくれき)によれば十二(じふに)(まん)(ねん)(ただ)一度(いちど)循環(じゆんくわん)(きた)ると()稀有(けう)日柄(ひがら)であつた。006()(ぐわつ)五日(いつか)(すなは)(きう)(しやう)(ぐわつ)元日(ぐわんじつ)早朝(さうてう)より元朝祭(ぐわんてうさい)(おこな)ひ、007天地(てんち)四方(しはう)(はい)し、008聖天子(せいてんし)仁徳(じんとく)感謝(かんしや)するのを恒例(こうれい)としてゐる。009そして甲子(きのえね)(すなは)更始(かうし)国音(こくおん)(あひ)(つう)じ、010百度(ひやくど)()(あらた)なる(とし)だと()はれてゐる。011この()各国(かくこく)各地(かくち)より(あつ)まり(きた)つた役員(やくゐん)信徒(しんと)元朝祭(ぐわんてうさい)()へ、012(ほと)んど(ひと)(たい)障壁(しやうへき)のない日出雄(ひでを)身辺(しんぺん)を、013()()くる(まで)()りかこんで神界(しんかい)経綸談(けいりんだん)()いて()た。014(くだ)つて(しやう)(ぐわつ)五日(いつか)信者(しんじや)もおひおひと帰国(きこく)し、015さしもに(ひろ)教主殿(けうしゆでん)洪水(こうずゐ)のひいた(あと)のやうに閑寂(かんじやく)()(ただよ)うた。016午後(ごご)(はち)()(ごろ)017教主殿(けうしゆでん)(おく)()018ランプの(ひか)(かす)かなる一室(いつしつ)金泰籃(きんたいらん)(つくゑ)をとりまいて真澄別(ますみわけ)019隆光彦(たかてるひこ)020唐国別(からくにわけ)(さん)(にん)(とも)にヒソヒソと海外(かいぐわい)宣伝(せんでん)評議(ひやうぎ)をやつてゐた。021(めい)晃々(くわうくわう)たる三日月(みかづき)四尾山(よつをやま)(いただき)(しづ)んで、022何処(いづこ)ともなく膚寒(はださむ)(かぜ)裸木(はだかぎ)()(なら)んだ神苑(しんゑん)()(わた)つて()る。023唐国別(からくにわけ)(かつ)海軍(かいぐん)奉仕(ほうし)し、024その(くわん)大佐(たいさ)であつた。025日出雄(ひでを)陶器(たうき)火鉢(ひばち)()をあぶり(なが)ら、
026日出雄真澄別(ますみわけ)さん、027朝鮮(てうせん)普天教(ふてんけう)(はう)北京(ペキン)(ゆき)結果(けつくわ)は、028どうなりましたか()かして(もら)()いものですな』
029真澄別(ますみわけ)『ハイ、030()命令(めいれい)(いただ)きまして唯夫別(ただをわけ)(ともな)()朝鮮(てうせん)(かみ)使節(しせつ)として往来(わうらい)せる(きん)勝玟(しようぶん)031(でん)炳徳(へいとく)その()二三(にさん)普天教(ふてんけう)信徒(しんと)(むか)へられ、032朝鮮(てうせん)鉄道(てつだう)()つて大田駅(たいでんえき)につき、033ここにて普天教(ふてんけう)幹部(かんぶ)(きん)正坤(しやうこん)()布教(ふけう)伝道(でんだう)(けん)につき懇々(こんこん)(だん)じ、034(きん)035(でん)二氏(にし)案内(あんない)にて井邑(せいいふ)なる同教(どうけう)本部(ほんぶ)参着(さんちやく)036教主(けうしゆ)(しや)潤洪(じゆんこう)()徹夜(てつや)快談(くわいだん)(いた)しましたが、037(しや)()は、038かねて()(およ)びしに(たが)はざる立派(りつぱ)神柱(かむばしら)で、039同教(どうけう)動機(どうき)教理(けうり)(とう)は、040その活動(くわつどう)舞台(ぶたい)朝鮮(てうせん)においた(まで)で、041(まつた)大国常立(おほくにとこたちの)(みこと)(さま)()経綸(けいりん)奉仕(ほうし)してゐる(ひと)ですから、042その教理(けうり)事情(じじやう)(おい)ては(いま)(あらた)めて()報告(はうこく)申上(まをしあ)げる(まで)もなく、043貴方(あなた)御存(ごぞん)じの(こと)(おも)ひます。044ただ(しや)()神界(しんかい)()都合(つがふ)により因縁(いんねん)(じやう)関係(くわんけい)とでも(まを)すものか、045あつぱれ表面(へうめん)()つて社会(しやくわい)(てき)活動(くわつどう)するは甲子(きのえね)(とし)同教(どうけう)神示(しんじ)(さだ)められてあるさうですが、046(これ)同時(どうじ)日出雄(ひでを)先生(せんせい)にお()にかかり()意見(いけん)()いた(うへ)でなくては、047公然(こうぜん)神業(しんげふ)完成(くわんせい)(むか)つて(すす)まれる(わけ)には()かない(こと)になつてゐるさうです。048その(すぢ)誤解(ごかい)俗人(ぞくじん)中傷(ちうしやう)(とう)もあつて049朝鮮(てうせん)独立(どくりつ)陰謀団(いんぼうだん)のやうに見做(みな)され、050聖地(せいち)(ごと)数多(あまた)警官(けいくわん)()()まれ、051非常(ひじやう)迷惑(めいわく)(かん)じた経緯(いきさつ)もあり、052それ(ゆゑ)(しや)()時節(じせつ)到来(たうらい)する(まで)多数(たすう)信者(しんじや)にでも(かほ)()せないやうに、053(やま)(ふか)()()り、054世間(せけん)にかくれて神界(しんかい)経綸(けいりん)(すす)めつつあると()状態(じやうたい)でありますが、055(みぎ)次第(しだい)()(かく)当分(たうぶん)(ところ)056大本(おほもと)()普天(ふてん)()ふのも、057(おのおの)その出現地(しゆつげんち)(おい)ての(とな)へであつて畢竟(ひつきやう)同一(どういつ)(かみ)(をしへ)でありますから、058相互間(さうごかん)諒解(りやうかい)十分(じふぶん)出来(でき)たので精神(せいしん)(てき)059内分(ないぶん)(てき)提携(ていけい)聯合(れんがふ)して帰国(きこく)しました。060(また)北京(ペキン)では(しゆ)として大学(だいがく)教授(けうじゆ)やその()思想家(しさうか)(たち)交遊(かういう)し、061(たがひ)意見(いけん)交換(かうくわん)をなし大本(おほもと)教理(けうり)詳細(しやうさい)()べた(ところ)062(かれ)()非常(ひじやう)感服(かんぷく)し、063再会(さいくわい)(やく)して一旦(いつたん)(たもと)(わか)つて(かへ)りました。064五大教(ごだいけう)道院(だうゐん)065悟善社(ごぜんしや)その()宗教(しうけう)団体(だんたい)隆光彦(たかてるひこ)さまが交渉(かうせふ)(にん)(あた)つて()られるので、066(わたし)()をつけないで()きました。067(ただ)将来(しやうらい)参考(さんかう)()するために、068北京(ペキン)宮城(きうじやう)万寿山(まんじゆざん)ラマ(でら)(とう)興味(きようみ)(もつ)調(しら)べて(まゐ)りましたが、069(じつ)立派(りつぱ)なものでありました。070(また)唯夫別(ただをわけ)(しや)教主(けうしゆ)相談(さうだん)(うへ)普天教(ふてんけう)役員格(やくゐんかく)として姓名(せいめい)(きん)仁沢(じんたく)(あらた)めて残留(ざんりう)させる(こと)(いた)し、071当分(たうぶん)(きん)()指導(しだう)のもとに朝鮮語(てうせんご)修得(しうとく)し、072交換(かうくわん)(てき)にエスペラントを(をし)ふる(こと)取計(とりはか)つておきました。073(まを)しおくれましたが、074普天教(ふてんけう)教主(けうしゆ)(はう)から日本(にほん)(はう)(うかが)ひますのが(かみ)(さま)経綸(けいりん)から()つても本意(ほんい)ですけれども、075当分(たうぶん)前陳(ぜんちん)(とほ)りの事情(じじやう)でございますから、076(おそれ)()りますが日出雄(ひでを)先生(せんせい)(なん)とか()都合(つがふ)をつけて、077一度(いちど)()しを(ねが)はれますやう、078(たの)んでは(くだ)さいませぬか。079さうせなくては(おもて)()つて活動(くわつどう)するを(ゆる)されませぬですからと()つて、080鶴首(かくしゆ)して()つてゐます』
081日出雄(ひでを)自分(じぶん)一度(いちど)侍天教(じてんけう)教主(けうしゆ)(そう)秉駿(へいしゆん)(はく)正しくは「駿」ではなく「畯」の「宋秉畯」(ソン・ビョンジュン、そう へいしゅん)。ここでは直さず底本通りの表記にした。大正(たいしやう)(ろく)(ねん)(なつ)提携(ていけい)して以来(いらい)082()うてゐないから機会(きくわい)()たら一度(いちど)()うて今後(こんご)宗教(しうけう)(てき)活動(くわつどう)方法(はうはふ)につき懇々(こんこん)相談(さうだん)して()たいと、083かねて(おも)つてゐた矢先(やさき)084朝鮮(てうせん)普天教(ふてんけう)提携(ていけい)出来(でき)たのを(さいは)ひ、085万障(ばんしやう)繰合(くりあは)して渡鮮(とせん)して()たいとも(おも)つてゐるが、086何分(なにぶん)()承知(しようち)(とほ)りの()(うへ)だからその()()(いま)(まで)グヅグヅしてゐたのだ。087乍然(しかしながら)人間(にんげん)には(いち)(にち)(いとま)()(こと)がないものだから、088(おも)ひきつて渡鮮(とせん)しようかとも(かんが)へてゐる。089支那(しな)五大教(ごだいけう)との提携(ていけい)完成(くわんせい)した(あかつき)だから、090済南(さいなん)母院(ぼゐん)参拝(さんぱい)をかね悟善社(ごぜんしや)へも()つて()たいと(かんが)へてゐる。091(さいは)隆光彦(たかてるひこ)さんが(かへ)つて()たから同教(どうけう)内情(ないじやう)()いた(うへ)092断行(だんかう)してもいい』
093隆光彦(たかてるひこ)節分祭(せつぶんさい)をあてに倉皇(さうくわう)として支那(しな)から(かへ)つて以来(いらい)094節分祭(せつぶんさい)のため各地(かくち)信徒(しんと)来訪(らいほう)寸暇(いとま)()復命(ふくめい)をおくれてゐました。095昨冬(さくとう)十一(じふいち)(ぐわつ)参綾(さんりよう)した五大教(ごだいけう)代表者(だいへうしや)(こう)延爽(えんさう)底本(全集)ではフリガナが「えんけう」になっているが「えんさう」に直した。第7章p47では「えんさう」になっている。()一緒(いつしよ)支那(しな)(わた)り、096()北京(ペキン)道院(だうゐん)(たづ)ねました。097道院(だうゐん)のすぐ(ちか)くのガーデンホテルで盛大(せいだい)歓迎会(くわんげいくわい)(ひら)いて()れ、098その(せき)(こう)()大本(おほもと)開祖(かいそ)(さま)(こと)から、099(あひ)(とも)思想(しさう)善導(ぜんだう)大道(だいだう)(あひ)握手(あくしゆ)するに(いた)つた経緯(いきさつ)(かた)り、100(わたくし)(また)大本(おほもと)歴史(れきし)から聖師(せいし)(さま)(こと)(かた)り、101日支(につし)親善(しんぜん)共存(きようぞん)共栄(きようえい)根本義(こんぽんぎ)精神(せいしん)(てき)両国民(りやうこくみん)結合(けつがふ)()なければならぬと答辞(たうじ)をかねて()べておきました。102道院(だうゐん)御存(ごぞん)じの(とほ)仏教(ぶつけう)103儒教(じゆけう)104道教(だうけう)105基督教(キリストけう)106回回教(ふいふいけう)五大教(ごだいけう)統一(とういつ)親和(しんわ)(はか)るもので、107その宗旨(しうし)教義(けうぎ)(わが)大本(おほもと)全然(ぜんぜん)(あひ)()たものでありますから、108(えう)するに(おな)()(かみ)(さま)()経綸(けいりん)になつたものと(かんが)へます。109(ぜん)国務(こくむ)総理(そうり)たりし(せん)能訓(のうくん)()陸軍(りくぐん)元帥(げんすゐ)110国務(こくむ)総理(そうり)代理(だいり)(こう)朝宗(てうそう)()111(わう)芝祥(ししやう)()(とう)高官(かうくわん)(はじ)め、112(かく)方面(はうめん)人士(じんし)歓迎(くわんげい)()け、113(また)悟善(ごぜん)総社(そうしや)幹部(かんぶ)万教(ばんけう)大同会(だいどうくわい)(えん)華瀛(くわえい)()とも会見(くわいけん)した(ところ)114(いづ)れも(みな)是非(ぜひ)一度(いちど)聖師(せいし)(さま)渡支(とし)(ねが)はれますまいか、115(さいはい)にお(こし)(ねが)(こと)()れば道院(だうゐん)勿論(もちろん)悟善社(ごぜんしや)建物(たてもの)提供(ていきよう)()いからと()つて、116やみませぬでした。117どうか綾部(あやべ)()都合(つがふ)さへつきますれば、118一度(いちど)()しになれば、119(さぞ)120(みな)満足(まんぞく)される(こと)(ぞん)じます。121()ちしてゐるのは五大教(ごだいけう)(ばか)りぢやありませぬ。122済南(さいなん)123南京(ナンキン)124上海(シヤンハイ)(わたし)通過(つうくわ)した(ところ)どこも聖師(せいし)()()いて()渡支(とし)渇望(かつばう)して()ります。125(わたくし)(しゆ)として北京(ペキン)済南(さいなん)本部(ほんぶ)滞在(たいざい)し、126支那(しな)五大(ごだい)霊山(れいざん)(ひとつ)たる泰山(たいざん)(のぼ)127曲阜(きよくふ)孔子廟(こうしべう)(まう)でて帰国(きこく)(いた)しました。128北京(ペキン)道院(だうゐん)乩示(けいじ)によりますれば(きた)(きう)()(ぐわつ)朔日(ついたち)神戸(かうべ)市外(しぐわい)六甲村(ろくかうむら)開院式(かいゐんしき)(ひら)(こと)になつてゐますから、129その(まへ)聖師(せいし)(さま)のお(とも)をして(ふたた)支那(しな)()()いと(おも)つてゐます』
130日出雄(ひでを)『それは非常(ひじやう)好都合(かうつがふ)だつた。131支那(しな)132朝鮮(てうせん)を、133それでは一度(いちど)旅行(りよかう)してその(みち)(おも)なる人々(ひとびと)世界(せかい)平和(へいわ)のため、134人類愛(じんるゐあい)のため、135(ふか)()神慮(しんりよ)のある(ところ)(かた)()ひ、136世界(せかい)宗教(しうけう)統一(とういつ)第一歩(だいいつぽ)()()すことにしよう、137その(とき)是非(ぜひ)真澄別(ますみわけ)138隆光彦(たかてるひこ)両氏(りやうし)同道(どうだう)して()しいものだ』
139真澄別(ますみわけ)普天教(ふてんけう)(はなし)もあり、140(また)(わたし)一度(いちど)道院(だうゐん)幹部(かんぶ)(れん)熟議(じゆくぎ)()らして()たいから是非(ぜひ)同行(どうかう)(ねが)ひませう』
141日出雄(ひでを)『これで教主輔(けうしゆほ)法学士(はふがくし)142支那語(しなご)学者(がくしや)三拍子(さんびやうし)(そろ)つた、143(おに)鉄棒(かなぼう)だ。144あゝ前途(ぜんと)光明(くわうみやう)(たしか)(かがや)いてゐる。145(とき)唐国別(からくにわけ)さん、146奉天(ほうてん)水也(みづや)商会(しやうくわい)()軍器店(ぐんきてん)()してゐられるさうですが、147支那(しな)事情(じじやう)余程(よほど)(くは)しいでせうな』
148唐国別(からくにわけ)海軍(かいぐん)退職(たいしよく)してから(なん)でも支那(しな)大陸(たいりく)一儲(ひとまうけ)をしやうと(おも)ひ、149()上海(シヤンハイ)商館(しやうくわん)(ひら)いて()(ところ)150いろいろの事情(じじやう)があつて百万(ひやくまん)(ゑん)(かね)(まう)(そこな)ひ、151()もなく上海(シヤンハイ)商店(しやうてん)閉鎖(へいさ)し、152(ちやう)作霖(さくりん)眤懇者(じつこんしや)(しよう)する(もの)よりすすめられ、153(ちやう)作霖(さくりん)軍隊(ぐんたい)武器(ぶき)供給(きようきふ)するため奉天(ほうてん)平安(へいあん)(どほ)りに水也(みづや)商会(しやうくわい)開設(かいせつ)する(こと)になりました。154(しか)(これ)も、155どうやら自分(じぶん)技術(ぎじゆつ)(ぬす)まれる(くらゐ)(おち)かも()れませぬ。156ついては聖師(せいし)がいよいよ渡支(とし)されるとなれば(ひと)つここに面白(おもしろ)事業(じげふ)(よこ)たはつてゐますが、157一応(いちおう)()いて(くだ)さいますまいか、158今晩(こんばん)(うかが)つたのはこの(けん)につき()意見(いけん)(うけたまは)()いと(おも)つたからです』
159日出雄(ひでを)(へそ)()きつて(はじ)めての海外(かいぐわい)旅行(りよかう)であり、160奉天(ほうてん)市街(しがい)日本人(にほんじん)()つてから非常(ひじやう)(ひら)けたやうに()いても()るし、161同地(どうち)支部(しぶ)へも立寄(たちよ)つて()たいとも(おも)つてゐる。162丁度(ちやうど)よい都合(つがふ)だ。163そして貴下(あなた)(はなし)()ふのは、164どう()ふことですか』
165唐国別(からくにわけ)(わたし)(この)大晦日(おほみそか)()聖師(せいし)()いて(いただ)いた、
 
166 日地月(につちげつ)(あは)せて(つく)串団子(くしだんご)(ほし)胡麻(ごま)かけ(くら)王仁口(わにぐち)
 
167()半折(はんせつ)(しよ)表装(へうさう)して商会(しやうくわい)(とこ)()にかけておいた(ところ)168河南(かなん)督軍(とくぐん)趙倜(てうてき)軍事(ぐんじ)顧問(こもん)をつとめてゐた岡崎(をかざき)鉄首(てつしゆ)()日本人(にほんじん)がやつて()て、169その掛物(かけもの)()をつけ、170大変(たいへん)(よろこ)び、171こんな(おほ)きな(こと)()(ひと)はよほど(かは)つてゐる。172この(うた)大変(たいへん)()()つた。173(いま)(わたくし)(ちやう)作霖(さくりん)内意(ないい)裕東(ゆうとう)印刷所(いんさつじよ)開設(かいせつ)しその技師長(ぎしちやう)となつて(つと)めてゐるが、174印刷所(いんさつじよ)開設(かいせつ)された動機(どうき)175(じつ)注意(ちうい)(ぶか)()にも蒟蒻(こんにやく)にも()かない(ちやう)作霖(さくりん)大秘密(だいひみつ)(ぞく)するもので、176やがて雪解(ゆきど)けともなれば奉直戦(ほうちよくせん)(ふたた)(おこ)形勢(けいせい)だから、177その(とき)必要(ひつえう)なる軍票(ぐんぺう)三千万(さんぜんまん)(ゑん)ばかり印刷(いんさつ)するためです。178(しか)吾々(われわれ)奉直戦(ほうちよくせん)などは如何(どう)でもいいです。179日本(にほん)国威(こくい)(あが)満蒙(まんもう)流浪(るらう)してゐる不逞(ふてい)鮮人(せんじん)安気(あんき)生活(せいくわつ)させてやりさへすればいいのです。180犬養(いぬかひ)先生(せんせい)頭山(とうやま)先生(せんせい)181内田(うちだ)先生(せんせい)182末永(すゑなが)(せつ)その()名士(めいし)(れん)(はか)肇国会(てうこくくわい)()高麗国(かうらいこく)建設(けんせつ)(はか)り、183末永(すゑなが)東京(とうきやう)方面(はうめん)での事務(じむ)をとり、184(わたし)満州(まんしう)(わた)つて内密(ないみつ)にその準備(じゆんび)をやつてゐるのです。185(この)(さい)蒙古(もうこ)大広野(だいくわうや)開拓(かいたく)日本(につぽん)(だい)植民地(しよくみんち)(つく)つたら国家(こくか)(ため)になるだらうと(おも)ひます。186こんな大事業(だいじげふ)吾々(われわれ)凡夫(ぼんぷ)何程(なにほど)よつても到底(たうてい)着手(ちやくしゆ)することも出来(でき)ない。187そして(もつと)人心(じんしん)収攪(しうらん)するものは宗教(しうけう)より(ほか)ないと(かんが)へ、188内地(ないち)既成(きせい)宗教家(しうけうか)(かしら)()いたが、189何奴(どいつ)此奴(こいつ)口先(くちさき)ばかりで実行(じつかう)する勇気(ゆうき)のない糞坊主(くそばうず)(にせ)キリストばかりだ。190大谷(おほたに)光瑞(くわうずゐ)でも内地(ないち)では豪僧(がうそう)のやうに()はれてゐるが、191南洋(なんやう)()つては失敗(しつぱい)し、192印度(いんど)からは追払(おひはら)はれ、193本願寺(ほんぐわんじ)追出(おひだ)され、194(ふね)(つく)つて天津(てんしん)上海(シヤンハイ)(あひだ)往復(わうふく)してゐるが、195それも在留(ざいりう)日本人(につぽんじん)一部(いちぶ)信用(しんよう)(たも)つて()(だけ)196評判(ひやうばん)(ほど)(こと)もない(あは)至極(しごく)状態(じやうたい)です。197どうです唐国別(からくにわけ)さま、198貴下(あなた)大本(おほもと)信徒(しんと)一人(ひとり)でもあり幹部(かんぶ)(かた)でもあるやうですから、199(わたし)意図(いと)日出雄(ひでを)聖師(せいし)()つて相談(さうだん)しては()れませぬか(とう)と、200いろいろの面白(おもしろ)計画(けいくわく)(はな)しました。201さて聖師(せいし)(さま)202()(かく)今度(こんど)渡支(とし)されたら水也(みづや)商会(しやうくわい)立寄(たちよ)つて鉄首(てつしゆ)()つて(もら)へますまいか』
203日出雄(ひでを)『ヤア()(かく)鉄首(てつしゆ)面白(おもしろ)(こと)()(をとこ)だ。204自分(じぶん)(じつ)紅卍字(こうまんじ)(くわい)()くとはホンのつけたりだ。205広袤(くわうぼう)千里(せんり)(つらな)蒙古(もうこ)大原野(だいげんや)一大(いちだい)王国(わうこく)建設(けんせつ)()いと(おも)つてゐるのだ。206乍然(しかしながら)表面(へうめん)紅卍字(こうまんじ)(くわい)207普天教(ふてんけう)(ゆき)としておかう』
208唐国別(からくにわけ)鉄首(てつしゆ)(いま)のお言葉(ことば)()いたら(よろこ)ぶでせう。209蒙古(もうこ)大原野(だいげんや)新王国(しんわうこく)建設(けんせつ)するについては、210(いま)から(じふ)(ねん)以前(いぜん)七万(しちまん)精兵(せいへい)をつれて内外(ないぐわい)蒙古(もうこ)進出(しんしゆつ)し、211庫倫(クーロン)をついて一時(いちじ)驍名(ぎやうめい)()せた()占魁(せんくわい)()大英雄(だいえいゆう)一度(いちど)聖師(せいし)会見(くわいけん)し、212意見(いけん)()うたら天下(てんか)のために大活動(だいくわつどう)をやつて(もら)()いものだと渇望(かつばう)してゐます。213大神(おほかみ)()経綸(けいりん)一端(いつたん)実行(じつかう)するには(じつ)絶好(ぜつかう)機会(きくわい)(おも)ひますが、214聖師(せいし)のお(かんが)へは如何(いかが)でせうかな』
215日出雄(ひでを)盧占魁(ろせんくわい)蒙古(もうこ)英雄(えいゆう)216馬賊(ばぞく)大巨頭(だいきよとう)()(こと)世間(せけん)周知(しうち)事実(じじつ)だ。217乍然(しかしながら)大本(おほもと)教主輔(けうしゆほ)218しかも無抵抗(むていかう)主義(しゆぎ)標榜(ひやうばう)して万有愛(ばんいうあい)実行(じつかう)天下(てんか)(しめ)さむとする自分(じぶん)としては、219馬賊(ばぞく)大巨頭(だいきよとう)提携(ていけい)するのは(かんが)(もの)だと(おも)ふ。220小胆(せうたん)なる大本(おほもと)信者(しんじや)誤解(ごかい)()け、221教壇(けうだん)底本(全集)では「教壇」だが、霊界物語入蒙記(校定版、愛善世界社版)では「教団」に修正されている。しかし「教壇」でも意味的におかしくはないので霊界物語ネットでは底本通りとする。破壊者(はくわいしや)(にら)まれるかも()れない。222なるべくはそんな危険(きけん)方法(はうはふ)()らずに精神(せいしん)方面(はうめん)のみでやつて()やうと(おも)ふ。223第一(だいいち)馬賊(ばぞく)()()大変(たいへん)面白(おもしろ)くない(かん)じを(あた)へるぢやないか』
224大正一四、八、一五北村隆光筆録)

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10/22【霊界物語ネット】王仁文庫 第六篇 たまの礎(裏の神諭)』をテキスト化しました。
5/8【霊界物語ネット】霊界物語ネットに出口王仁三郎の第六歌集『霧の海』を掲載しました。
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