霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一八章 蒙古(もうこ)気質(きしつ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 特別篇 山河草木 入蒙記 篇:第3篇 洮南より索倫へ よみ:とうなんよりそーろんへ
章:第18章 入蒙記 よみ:もうこきしつ 通し章番号:
口述日:1925(大正14)年08月 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年2月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
蒙古の宗教はラマ教である。ラマ寺はチベット式に建てられており、一つのラマ廟には、少なくて三百人、多くて七、八万人のラマ僧が大市街を構えている。
大庫倫には、先年清朝にそむいて蒙古皇帝を名乗った活仏があったが、現在は活仏の権威は有名無実なものとなり、ロシアの赤軍が割拠しているのだという。大庫倫には百七、八十万人の人口があり、日本人も数名住んでいるとのことである。
日出雄は蒙古の奥へ来てから、大神様のおかげにより、人民に尊敬され、心の限りの待遇を受けていた。一時的に老印君ほか二三の役人にやや冷遇を受けはしたが、一般の蒙古人からは少しもそのような扱いを受けなかったのである。
蒙古人の天真爛漫、子供のような性情に接して、まだ世の中に活きた生命のあることが楽しく思われた。
四月十四日に盧占魁は二百人の手兵を引率して、公爺府に到着した。盧は大勢の部下の前で日出雄に抱きついてうれし泣きに泣いた。日出雄も感慨の念に打たれたのである。互いに旅情を慰めあった後は、真澄別が事務を盧と協議した。
日出雄一行の日本人らは、蒙古人の歓待を受けた後、自分の子供をもらってくれとあちらこちらで請われて、迷惑をしていた。聞いてみると、日本人であれば、しかるべき世話をしてもらえるだろうから、という親心から来ているのだという。
ある日、ラマ僧が病人を祈祷をしているところへ出くわした。日出雄は家の主人に、病人を治してやろうと言い、病人の額に手を乗せて「悪魔よ、去れッ」と一喝した。たちまちに病人は全快し、ラマ僧たちは驚いて日出雄をますます尊敬するようになった。
白凌閣は日出雄、真澄別以外の日本人の言うことを聞かないので、あるとき猪野は怒って白凌閣の横顔を木片で殴りつけた。白は顔面が腫れ上がり、地がにじみ出たが、このことを自分の父に告げようともしなかった。
日出雄は見かねて白の手当てをし、鎮魂を施した。三十分もすると、腫れは引いてしまった。日出雄は白に、日本人にひどい目に合わされても、自分の親に告げに行かなかったのは感心だ、と言った。すると白は、『大先生の家来になったのだから、もはや父母を頼ることはできない。また、先生の代理である真澄別さんの言うことは聞きますが、その他の日本人に服従する義務はありません。道ならぬことをすれば、蒙古男子の恥になります。』と言った。
日出雄は感心して白を誉めたが、日本の慣習を言って聞かせて、今後は他の日本人の言うことも聞き、世話もしてもらいたい、と諭した。その後は白は他の日本人の言うことも聞くようになった。
またある日、白の父が訪ねてきて、一人息子だからあまり遠いところにはやりたくない、と日出雄に依頼して来た。日出雄は気の毒に思い、親孝行のために、父の言に従うよう白に諭した。
すると白は、蒙古男子がいったん誓った言葉は金鉄ですから、といって聞かない。これを見た父は観念したと見えて、『息子をよろしくお願いします』と言ったきり、公爺府出発の日にも訪ねては来なかった。
これらをみても、蒙古人の男性的気性が窺い知れるのである。後に白はパインタラでも難を逃れて、公爺府に無事に帰りつくことができた。これもこういう心がけであったから、神の保護を受けたものであろう。
主な登場人物: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:
愛善世界社版:161頁 八幡書店版:第14輯 607頁 修補版: 校定版:161頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 蒙古(もうこ)宗教(しうけう)(みな)喇嘛教(ラマけう)戸毎(こごと)仏壇(ぶつだん)鄭重(ていちよう)(まつ)つてゐる。002そして喇嘛寺(ラマでら)(すべ)西蔵式(チベツトしき)()てられ、003矮小(わいせう)貧弱(ひんじやく)蒙古人(もうこじん)()ず、004巍然(きぜん)として(くも)(そび)へ、005遠方(ゑんぱう)より凝視(ぎようし)すれば(あだか)立派(りつぱ)洋館(やうくわん)立並(たちなら)んだやうに()える。006さうして(ひと)つの喇嘛廟(ラマメウ)には、007(もつと)(すくな)いのが三百人(さんびやくにん)008(おほ)いのになると七八万人(しちはちまんにん)喇嘛(ラマ)(メウ)中心(ちうしん)として、009普通民家(ふつうみんか)とは(かは)つた立派(りつぱ)居宅(きよたく)(かま)へて大市街(だいしがい)をなしてゐる。010先年(せんねん)支那政府(しなせいふ)(そむ)いて独立(どくりつ)宣言(せんげん)し、011蒙古皇帝(もうこくわうてい)となつた大庫倫(だいクーロン)活仏(くわつぶつ)()んで()喇嘛廟(ラマメウ)(ごと)きは、012三十万(さんじふまん)喇嘛僧(ラマそう)沢山(たくさん)住宅(ぢゆうたく)(なら)べて()んでゐる。013現今(げんこん)では皇帝(くわうてい)(くらゐ)大活仏(だいくわつぶつ)権威(けんゐ)全然(ぜんぜん)有名無実(いうめいむじつ)になつて(しま)ひ、014露西亜(ロシア)赤軍(せきぐん)自由自在(じいうじざい)我儘(わがまま)振舞(ふるま)つてゐる。015さうして大庫倫(だいクーロン)には一百七八十万(いつぴやくしちはちじふまん)人口(じんこう)があつて、016日本人(につぽんじん)数名(すうめい)(すま)つてゐると()(こと)である。017それから(えい)018(べい)019(ふつ)020()人間(にんげん)二万(にまん)(ばか)住居(ぢうきよ)し、021ヤソ(けう)教会堂(けうくわいだう)()つて()るが、022蒙古人(もうこじん)信者(しんじや)一人(ひとり)もないと()(こと)である。023喇嘛教(ラマけう)()ふのは俗称(ぞくしよう)であつて、024喇嘛(ラマ)蒙古語(もうこご)僧侶(そうりよ)といふ意味(いみ)で、025その(じつ)仏陀教(ぶつだけう)()ふのが正当(せいたう)である。026蒙古(もうこ)では各地(かくち)王様(わうさま)よりも活仏(くわつぶつ)(はう)上位(じやうゐ)()り、027国民(こくみん)信用(しんよう)尊敬(そんけい)王様(わうさま)()して非常(ひじやう)(たか)い。028蒙古(もうこ)喇嘛(ラマ)(くに)()はれる(ほど)あつて、029総人口(そうじんこう)四分(よんぶん)(いち)以上(いじやう)喇嘛(ラマ)である。030(いづ)れも暗愚(あんぐ)無学(むがく)売主坊主(まいすばうず)(ばか)りであつて、031蒙古人(もうこじん)尊敬(そんけい)(まと)となつてゐる活仏(くわつぶつ)でさへも、032自分(じぶん)地位(ちゐ)利用(りよう)し、033沢山(たくさん)(をんな)(かん)し、034梅毒(ばいどく)(なや)んで、035病毒(びやうどく)伝播(でんぱ)()つて()るのが(おほ)い。
036 一般(いつぱん)蒙古人(もうこじん)貞操(ていさう)(ねん)(つよ)く、037有夫姦(いうふかん)(など)(いま)はしい醜行(しうかう)微塵(みぢん)()い。038さうして一夫多妻(いつぷたさい)であり(なが)ら、039(せま)(ひと)つの(いへ)沢山(たくさん)女房(にようばう)一所(いつしよ)(くら)して()て、040(すこ)しも悋気喧嘩(りんきけんくわ)(おこ)らないのである。041気候(きこう)(ゆゑ)淡白(たんぱく)食物(しよくもつ)影響(えいきやう)であらうが、042蒙古人(もうこじん)(あま)色情(しきじやう)(とう)には趣味(しゆみ)()たぬ人間(にんげん)らしい。
043 それに引替(ひきか)衆生済度(しゆじやうさいど)地位(ちゐ)にある高僧連(かうそうれん)(さか)んに醜行(しうかう)をなし、044風俗(ふうぞく)壊乱(くわいらん)首魁者(しゆくわいしや)となつてゐる。045(しか)(なが)蒙古人(もうこじん)活仏(くわつぶつ)醜行(しうかう)(たい)しては(すこ)しも(とが)めない。046活仏(くわつぶつ)のお()(かか)つた(むすめ)仏縁(ぶつえん)()つて立派(りつぱ)(をつと)()しづく(こと)出来(でき)ると()つて(むし)歓迎(くわんげい)してゐる(ふう)である。
047 日出雄(ひでを)数千里(すうせんり)(へだ)てた蒙古(もうこ)(おく)()て、048(その)人民(じんみん)からは(かみ)(ごと)くに尊敬(そんけい)され、049心限(こころかぎ)りの待遇(たいぐう)()けて、050(まつた)大神様(おほかみさま)のおかげだと(よろこ)んで()た。051日出雄(ひでを)神徳(しんとく)赫々(かくかく)として旭日昇天(きよくじつしようてん)(ごと)く、052遠近(ゑんきん)蒙古人(もうこじん)取囲(とりかこ)まれて面白(おもしろ)月日(つきひ)(おく)つてゐた。053一時(いちじ)老印君(らういんくん)(とう)支那政府(しなせいふ)(はばか)つて(やや)冷遇(れいぐう)をされた(かたむ)きがあつたが、054(これ)老印君(らういんくん)(その)(ほか)公爺府(コンエフ)(つか)へて()二三(にさん)役員(やくゐん)のみに(かぎ)つたので、055一般人(いつぱんじん)からは(すこ)しも冷遇(れいぐう)()けなかつた。056(また)内地人(ないちじん)支那人(しなじん)狡猾(かうくわつ)なるに(くら)べて蒙古人(もうこじん)(しん)天真爛漫(てんしんらんまん)057その性情(せいじやう)子供(こども)(ごと)く、058神代(かみよ)(ひと)(ごと)くである。059現代(げんだい)(ごと)悪化(あくくわ)した()(なか)に、060こんな天国(てんごく)があるかと(おも)へば、061まだ()(なか)()きた生命(せいめい)のある(こと)(たの)しく(おも)はれるのである。
062 さて四月(しぐわつ)十四日(じふよつか)063西北自治軍(せいほくじちぐん)総司令(そうしれい)上将(じやうしやう)として盧占魁(ろせんくわい)二百人(にひやくにん)手兵(しゆへい)引率(いんそつ)し、064轎車(けうしや)()つて無事(ぶじ)公爺府(コンエフ)到着(たうちやく)した。065()()(さま)仮司令部(かりしれいぶ)()り、066(その)(あし)日出雄(ひでを)宿舎(しゆくしや)(たづ)ねて()た。067日出雄(ひでを)()()たと()ふので門口(かどぐち)出迎(でむか)へると、068盧占魁(ろせんくわい)大勢(おほぜい)兵士(へいし)(まへ)日出雄(ひでを)()きついて(うれ)()きに()いた。069日出雄(ひでを)()にも感慨無量(かんがいむりやう)(なみだ)(うか)んでゐた。070それから盧占魁(ろせんくわい)鎮国公(ちんこくこう)から(おく)られた純白(じゆんぱく)乗馬(じやうば)日出雄(ひでを)(おく)り、071()沢山(たくさん)菓子(くわし)果物(くだもの)をすすめて旅情(りよじやう)(なぐさ)めた。
072 (その)()真澄別(ますみわけ)(かは)つて(すべ)ての事務(じむ)()協議(けふぎ)する(こと)となつた、073日出雄(ひでを)(うた)()んだり、074()(つく)つたり、075日記(につき)()いたり、076喇嘛(ラマ)村人(むらびと)覚束(おぼつか)ない蒙古語(もうこご)(かみ)(をしへ)()(さと)してゐた。
077 公爺府(コンエフ)(かたはら)(ささ)やかな(いへ)があつて、078そこの主人(しゆじん)丑他阿里太(ウツタアリタ)()二人(ふたり)妻君(さいくん)()つてゐる。079さうして一男二女(いちなんにぢよ)があり、080長女(ちやうぢよ)丑他倶喇(ウツタグラ)()ひ、081日出雄(ひでを)門前(もんぜん)(とほ)ると主人(しゆじん)が、
082『モンドユー、083イホエミト、084ポロハナ、085イルジー イルジー』
086(しき)りに(まね)くので白凌閣(パイリンク)(とも)(ちひ)さい蒙古包(もうこはう)(なか)這入(はい)ると、
087今日(けふ)喇嘛僧(ラマそう)二十人(にじふにん)(ばか)()んで、088御馳走(ごちそう)をするのですから、089ナラヌオロスのポロハナに(さき)()つて(いただ)()い』
090()つて、091メリケン()団子(だんご)(ひつじ)(にく)(あん)とし、092(ホープン)(うへ)牛糞(ぎうふん)()()でた団子(だんご)()へとすすめる。093日出雄(ひでを)(めう)(にほひ)のする団子(だんご)(すす)められ迷惑(めいわく)したが、094蒙古人(もうこじん)好意(かうい)(いな)(わけ)にも()かず、095感謝(かんしや)して(ふた)(みつ)頬張(ほほば)つた。096()(いへ)(つま)(しき)りに(ちや)()んだり、097団子(だんご)()つて()(すす)める。098日出雄(ひでを)は、
099()(うへ)団子(だんご)(はら)(おほ)きくて()へない』
100()つて(てい)よく(ことわ)り、101(ちや)煙草(たばこ)(しき)りに乾燥(かんさう)した(くち)(なか)(はう)()んでゐた。102此処(ここ)(むすめ)丑他倶喇(ウツタグラ)当年(たうねん)十四歳(じふしさい)(めづ)らしい美人(びじん)であり、103(とし)似合(にあ)はぬ大柄(おほがら)であつた。
104 ウツタグラと()名義(めいぎ)東洋一(とうやういち)美人(びじん)()意味(いみ)である。105どこともなく威厳(ゐげん)(そな)はり、106(いろ)(しろ)くて目元(めもと)(すず)しく、107丁度(ちやうど)観世音菩薩(くわんぜおんぼさつ)(やう)姿(すがた)である。108日出雄(ひでを)()少女(せうぢよ)(むか)つて、
109『チンニ セーナ ホンモン((なんぢ)110美人(びじん))』
111称揚(しようやう)すると、112その父親(てておや)()ぐに日出雄(ひでを)(むか)つて、
113『ピーシヤ、114ムツトルテ、115チンニン、116ウツタグラ、117シヤルトゲヤ』
118()つた。119(この)意味(いみ)は、
120貴下(きか)立派(りつぱ)(ひと)である。121(わたし)(むすめ)ウツタグラを貴下(きか)にあげませう』
122()ふのである。123そこで日出雄(ひでを)(なん)とも(こた)へず(わら)つて(かへ)つて()た。124さうすると(その)翌日(よくじつ)から少女(せうぢよ)がボロボロの着物(きもの)立派(りつぱ)衣服(いふく)着換(きか)へて、125日出雄(ひでを)(そば)へやつて()て、126(ちや)()んだり、127ハンケチを()(しぼ)つたりして、128()(わす)れて世話(せわ)をした。129よくよく()いて()ると『日本(につぽん)活仏(くわつぶつ)だから(けつ)して妻子(さいし)()いであらう。130(この)(むすめ)()げたならば、131屹度(きつと)自分(じぶん)()として相当(さうたう)(ところ)(かしづ)けてくれるだらう』と親心(おやごころ)から(おも)つたのだと()ふ。132蒙古人(もうこじん)日本人(につぽんじん)()ると『自分(じぶん)()をやらうやらう』と()(くせ)がある。133一行(いつかう)日本人(につぽんじん)も、134あちらや、135こちらで『()をやらうか』と()はれて有難迷惑(ありがためいわく)(かん)じてゐた。
136
137 或日(あるひ)ウツタナストの隣家(りんか)三十人(さんじふにん)(ばか)りの喇嘛(ラマ)(あつま)つて(あさ)六時(ろくじ)(ごろ)から夕方(ゆふがた)まで陀々仏陀々々仏陀(ダダブダダダブダ)とのべつ(まく)なしに経文(きやうもん)()げてゐるので日出雄(ひでを)(あや)しんで()(いへ)這入(はい)(のぞ)いて()ると、138一人(ひとり)大病人(だいびやうにん)真中(まんなか)()いて喇嘛(ラマ)一生懸命(いつしやうけんめい)祈願(きぐわん)をやつて()た。139病人(びやうにん)はダンダンと(くる)しむ(ばか)りで(すこ)しも快方(くわいはう)(むか)はない。140喇嘛(ラマ)()ふのには、
141一日(いちにち)(はや)国替(くにがへ)さして天国(てんごく)(すく)ひ、142病気(びやうき)()(すく)(ため)臨終(りんじゆう)(はや)くなる(やう)祈願(きぐわん)してゐるのだ』
143()つてゐる。144そこで日出雄(ひでを)(いへ)主人(しゆじん)(むか)ひ、
145即座(そくざ)(この)病気(びやうき)をなほしてやらうか』
146()つたら、147主人(しゆじん)低頭平身(ていとうへいしん)して祈祷(きたう)(たの)むだ。148日出雄(ひでを)(ただち)数多(あまた)喇嘛(ラマ)会釈(ゑしやく)し、149病人(びやうにん)(ひたひ)(かる)()をのせ『悪魔(あくま)よ、150()れツ』と一喝(いつかつ)した。151(たちま)大熱(だいねつ)()め、152(その)()病人(びやうにん)がムクムクと起上(おきあが)り、153(うれ)しさうにゲラゲラ(わら)()した。
154 あまりの奇瑞(きずゐ)喇嘛僧(ラマそう)(おどろ)いて、155益々(ますます)日出雄(ひでを)大活仏(だいくわつぶつ)として尊敬(そんけい)するやうになつた。156守高(もりたか)名田彦(なだひこ)とが柔術(じうじゆつ)自慢(じまん)(あさ)から(ばん)まで()つきりなしにやるので、157岡崎(をかざき)王元祺(わうげんき)立腹(りつぷく)してゐる(ところ)へ、158名田彦(なだひこ)岡崎(をかざき)()(にぎ)つて自慢(じまん)げに『柔術(じうじゆつ)はこんなものだ』と()つた(ところ)159岡崎(をかざき)はカツと(いか)つて小便(せうべん)のしてあつた金盥(かなだらひ)名田彦(なだひこ)(かほ)にぶつつけた。160名田彦(なだひこ)非常(ひじやう)口惜(くやし)がつたが、161岡崎(をかざき)権幕(けんまく)(おそ)れ、162()日出雄(ひでを)になだめられて歯切(はぎ)しりし(なが)らヤツと(むね)ををさめた。163それから日本人側(につぽんじんがは)白凌閣(パイリンク)日出雄(ひでを)真澄別(ますみわけ)(たい)してはいろいろの(よう)()くが、164(ほか)(もの)()(こと)()かないと()ふので大変(たいへん)白凌閣(パイリンク)(にく)み、165猪野(ゐの)敏夫(としを)()木片(もくへん)()つて白凌閣(パイリンク)(よこ)(つら)(きび)しく(なぐ)りつけた。166(たちま)顔面(がんめん)()(あが)り、167()(にじ)()た。168白凌閣(パイリンク)(かほ)(かか)へて、169(うづく)まり、170(なみだ)(なが)して気張(きば)つてゐた。171白凌閣(パイリンク)(ちち)(おな)公爺府(コンエフ)(ちか)(ところ)にゐるけれども、172(パイ)(この)乱暴(らんばう)日本人(につぽんじん)仕打(しうち)(ちち)()(やう)ともせず一歩(いつぽ)(うご)かずに()いてゐた。173日出雄(ひでを)見兼(みか)ねて(パイ)(かほ)焼酎(せうちう)()きかけてやり、174(かつ)鎮魂(ちんこん)(ほどこ)した(ところ)175三十分間(さんじつぷんかん)(ほど)(あひだ)(はれ)(なほ)り、176(かほ)(もと)(ふく)して(しま)つた。177日出雄(ひでを)(パイ)裏山(うらやま)散歩(さんぽ)()として()れて()き、178覚束(おぼつか)ない蒙古語(もうこご)で、
179『お(まへ)猪野君(ゐのくん)にあんなひどい()()はされても、180自分(じぶん)(おや)()らしに()かなかつたのは感心(かんしん)だ』
181()つて()めた(ところ)182(パイ)(よろこ)んで()ふやう、
183(わたし)大先生(だいせんせい)家来(けらい)になつたのですから、184最早(もは)(ちち)(たよ)(こと)出来(でき)ませぬ。185さうして(わたし)先生(せんせい)のお弟子(でし)となり喇嘛(ラマ)になる(つも)りですから、186先生(せんせい)代理(だいり)たる真澄別(ますみわけ)さまの命令(めいれい)()きますが、187(その)()日本人(につぽんじん)命令(めいれい)服従(ふくじゆう)する義務(ぎむ)はありませぬ。188仮令(たとへ)日本人(につぽんじん)(いか)つて(ころ)すとも(みち)ならぬ(ひと)命令(めいれい)()きませぬ。189そんな(こと)をしますと蒙古男子(もうこだんし)(はぢ)になります』
190()つた。191日出雄(ひでを)感心(かんしん)して(パイ)()めてやり、192さうして日本(につぽん)風俗(ふうぞく)習慣(しふくわん)(かた)()かせ、
193『お(まへ)()ふのも蒙古人(もうこじん)としては(もつと)もだらうが、194日本人(につぽんじん)にはそんな理窟(りくつ)(とほ)らないから、195()のある(とき)()日本人(につぽんじん)()(こと)()き、196世話(せわ)もして(もら)ひたい』
197(かた)つた(ところ)198(パイ)()いて(その)()誰彼(たれかれ)区別(くべつ)なく()(こと)()(やう)になつた。199(パイ)(ちち)白厘九(パイリチウ)がやつて()て、
200()(せがれ)一人息子(ひとりむすこ)ですから、201あまり(とほ)(ところ)へはやり()くありませぬ。202そして白凌閣(パイリンク)には隣村(りんそん)から(よめ)(もら)(こと)()まつて()りますから、203(なん)とかして(からだ)をあけて(もら)(こと)出来(でき)ますまいか』
204丁寧(ていねい)依頼(いらい)して()た。205日出雄(ひでを)(ちち)(げん)()いて()(どく)(おも)ひ、206白凌閣(パイリンク)に、
207『お(まへ)一人息子(ひとりむすこ)でもあり、208(まへ)(ちち)老年(らうねん)でもあるから大庫倫(だいクーロン)(まで)従軍(じゆうぐん)することは(おや)不孝(ふかう)になるかも()れぬ。209そして(おや)妻君(さいくん)(のこ)して遠征(ゑんせい)(のぼ)つても、210(まへ)()()であるまいから、211(ちち)言葉(ことば)(したが)へ』
212()つた(ところ)213(パイ)(くび)左右(さいう)()つて、
214『イエイエ一旦(いつたん)蒙古男子(もうこだんし)(ちか)つた言葉(ことば)金鉄(きんてつ)です。215(ちち)(つま)神様(かみさま)(まか)せておけば(よろ)しい。216(わたし)大先生(だいせんせい)()かるる(ところ)何処(どこ)(まで)もお(とも)(いた)します』
217()つて()かないので、218(ちち)観念(かんねん)したと()え、219『アハヽヽヽヽ』と(おほ)きく(わら)つて、
220『どうか(せがれ)(よろ)しく(たの)みます』
221挨拶(あいさつ)して(かへ)つたきり、222日出雄(ひでを)公爺府(コンエフ)出立(しゆつたつ)する(あさ)(まで)223その(ちち)(たづ)ねて()なかつた。224(これ)()ても蒙古人(もうこじん)男性的(だんせいてき)気性(きしやう)()れるのである。
225 (かれ)(パイ)はかう()心掛(こころがけ)()つて()たから(かみ)保護(ほご)()けたものか、226六月(ろくぐわつ)二十一日(にじふいちにち)白音太拉(パインタラ)遭難(さうなん)(とき)支那兵(しなへい)(とら)へられ、227銃殺(じうさつ)()()たされた一刹那(いつせつな)228参謀長(さんぼうちやう)()()て、
229『こんな子供(こども)(ころ)した(ところ)仕方(しかた)()い』
230()つて(パイ)()がしてやつた。231それより(パイ)色々(いろいろ)艱難(かんなん)辛苦(しんく)して、232無一物(むいちぶつ)公爺府(コンエフ)無事(ぶじ)(かへ)(こと)()たのである。
233大正一四・八 筆録)