絶世の美人小野小町は、艶麗なる花の姿の老いて萎ゆくを見て、
花の色は移りにけりな徒らに吾身世にふる眺めせしまに
と和歌に托して嘆いた。どうしても栄枯盛衰のある肉体として、いつまでも二八の花の姿を保つことはできない。すべての人間は年月の経つとともに、花の顔は皺面となり、歯は落ち、肉は痩せ、眼は弱り耳はとおくなり、頭髪は霜をおき、手足の活動力にぶり、見るかげもなく憐れな姿に変わってゆく。その欠点を補って、死するまでも、美なりし時の容姿と気品と威儀を保たしむる唯一の方法手段は、人工的化粧法によるのほかになんの道もないのである。
人間は人間にたいして、つねに美と愛と清雅の気分を感ぜしむるのは一つの道義であり、敬礼である。しかるに陳腐なる俗的の制裁を信じ、老人がはでな衣服を着用したり、淡白とした薄化粧をすることを、つねに軽侮の眼をもって遇し、はなはだしきは淫乱婆だの、返り咲きだの、雪隠の浸水でばばうきだのとののしるが、これはののしる者の方がまちがっていると思う。人は人との交際場裡にたって、醜悪なる皺面や黒い顔を見せるくらい敬意を欠き、また自分の人格を落下せしめ、対者の心に不快の念を起こさしむるものはない。ゆえに人は、ことに婦人は化粧に十二分の注意をはらって、あくまでもその美を人工的にも保有すべきである。若い間は天然の美が備わっているため、少々くらい化粧を怠っても、あまりに人にたいして不快の念を起こさしむるようなことはすくないが、老人のしわくちゃ面や生地の細かい縞物なぞは、いかにも幻滅の悲哀を感ぜしむる。
昔から六十の三ツ児といい、六十一歳の還暦を迎えると、子供にかえった象徴として、赤色の賀の小袖を着て祝うのが例となっている。「若やいで我にも可笑し賀の小袖」。
人間はたとえ肉体は老朽するも、その精霊は不老不死にして、男子は三十歳、女子は二十歳より精霊は永遠に老いないのだから、霊体一致の真諦より考うるも、老人はなるべく美しく化粧をなし、第一にわが本体たる精霊を歓ばせ、もって一生美と愛の生活をつづくるこそ人生の本意であらねばならぬ。しかし老女の不相応な厚化粧は考えものである。
(無題、『東北日記』四の巻 昭和3年9月10日)