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聖師伝
はしがき
01 御誕生
02 穴太の里
03 祖父の話
04 祖父の性行
05 祖父の再生
06 幼少年時代
07 小学校時代
08 久兵衛池事件
09 青年時代
10 獣医学の研究
11 父の死
12 青年時代の煩悶
13 高熊山出修の動機
14 高熊山の修行
15 使命の自覚
16 幽斎の修業
17 開祖との会見
18 聖師の大本入り
19 聖師と筆先
20 聖師の苦闘
21 神苑の拡張と造営
22 神島開き
23 大本の発展
24 第一次大本事件
25 霊界物語の口述
26 エスペラントとローマ字の採用
27 世界紅卍字会との提携
28 蒙古入り
29 世界宗教連盟と人類愛善会
30 大正より昭和へ
31 明光社の設立
32 急激な発展
33 第二次大本事件
34 愛善苑の新発足
35 晩年の聖師
36 御昇天
37 御昇天後の大本
【附録】出口聖師年譜
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三四、愛善苑の新発足
インフォメーション
題名:
34 愛善苑の新発足
著者:
大本教学院・編
ページ:
目次メモ:
概要:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
2021-10-03 01:49:43
OBC :
B100800c34
001
聖師は昭和十七年八月、
002
保釈出所後、
003
中矢田
(
なかやだ
)
農園に起臥して静養されました。
004
戦争はいよいよたけなわになって、
005
B29は自由自在に日本の上空を荒れまわりました。
006
聖師は、
007
よく「今度の戦争はあかんで、
008
何としても負けや」と、
009
こんなことをよく側近の人々に語られることもありました。
010
これが警察や憲兵隊の耳にでも入ったなら、
011
保釈が取消されるだけでない、
012
問題になると思って、
013
はたの人々ははらはらさせられました。
014
昭和十九年の暮から
楽焼
(
らくやき
)
の製作を始められました。
015
家族や周囲の人々が、
016
御健康にさわってはと案じて止めるのもきかれず、
017
聖師は全霊をこめて楽焼の製作にいそしまれました。
018
その数三千以上、
019
後年茶道美術評論家・加藤義一郎氏によって世に紹介され、
020
驚異の的となった
耀盌
(
ようわん
)
も、
021
この間に製作されたものでありました。
022
しかし、
023
何といってもお好きなのは和歌で、
024
保釈になってから先ず始められたのが和歌でありました。
025
その頃は視力が余程衰えられたために、
026
短冊や色紙に染筆されることも困難でありました。
027
その短冊帳、
028
色紙帳だけでも百幾冊出来ていたのでありましょう。
029
そしてひそかに次々と訪ねてくる信者に面接されました。
030
ついに戦争は敗戦となりました。
031
社会の情勢は一変し、
032
言論、
033
出版、
034
信教、
035
結社の自由が叫ばれ、
036
いろいろな団体は続々再建しました。
037
第二次大本事件によって、
038
大本をはじめ、
039
一さいの外郭団体は解散を命ぜられていたので、
040
聖師は大本は「
愛善苑
(
あいぜんえん
)
」という新しい名によって新発足するように提唱されました。
041
昭和二十年十二月八日、
042
綾部において大本事件解決奉告祭が執り行われました。
043
新聞紙上で知った全国各地の約八百の信者が綾部に参集しました。
044
祭典は綾部町から寄附した武徳殿を
彰徳殿
(
しょうとくでん
)
と改名してそこで執行されました。
045
この日の祭典は極めて簡素で、
046
聖師御夫妻が
神籬
(
ひもろぎ
)
の前にならんで
先達
(
せんだつ
)
をされ、
047
一同が天津祝詞を斉唱し、
048
玉串奉奠の後、
049
本宮山
(
ほんぐうやま
)
に向かって拍手礼拝がありました。
050
大本事件中の物故者慰霊祭は出口夫人の先達で天津祝詞の斉唱があり、
051
夫人は事件解消の顛末を霊前に
細々
(
こまごま
)
と告げられました。
052
祭典が終って、
053
聖師、
054
夫人の御挨拶にうつりました。
055
昭和二十年十二月八日――大本事件の起った日から満十年ぶりで、
056
聖師は綾部、
057
亀岡両町の当局者および信者の前に
起
(
た
)
たれたのであります。
058
聖師の
鬢髪
(
びんぱつ
)
は目だって白く、
059
お顔には長年月の獄中生活の御苦労がありありと現われていました。
060
満場水を打ったような中に、
061
聖師は黙ってただお辞儀をされました。
062
次いで夫人は簡単に挨拶をされ、
063
つづいて出口伊佐男氏は、
064
大本事件の経過を述べ、
065
われわれは当時の弾圧に対して当局を恨む気持は毛頭なく、
066
天の試練として、
067
どうしても経なければならなかった道であると宗教的な反省を示され、
068
形をつくることよりも先ず魂をつくり上げ、
069
心の準備、
070
心の用意の必要なゆえんを力説されました。
071
そして近く亀岡を根拠として、
072
愛善苑という世界平和を目標とする人類愛善運動を起こされることを宣言されました。
073
愛善苑は、
074
大正十四年六月に設立せられた人類愛善運動の趣旨をそのまま実地におこなってゆこうとするものであることが宣言されました。
075
聖師は綾部の祭典をおえ十日出発、
076
鳥取市外吉岡温泉に滞在、
077
越年して一月八日、
078
綾部に帰られましたが、
079
この吉岡温泉に滞在静養中、
080
聖師は来訪した新聞記者に大本弾圧の真相と新日本建設の感想を次のように述べておられます。
081
「自分は日華事変から第二次世界戦の終るまで囚われの身となり、
082
綾部、
083
亀岡の本部をはじめ、
084
全国四千余にのぼった教会を全部叩き壊されてしまった。
085
しかし信者は教義を信じ続けて来たので、
086
すでに大本は再建せずして再建されているのだ。
087
治安維持法違反は無罪となったが、
088
不敬罪は実につまらぬことで、
089
『日の光り昔も今も変らねど
東
(
あづま
)
の空にかかる黒雲』という浜口内閣時代
[
※
昭和4~6年
]
の暴政を言ったものを持ち出し、
090
これはお前が主権者になるつもりで、
091
信者を煽動した不敬の歌だといい出し、
092
黒雲は浜口内閣のことだと言ったが、
093
どうしても通らなかった。
094
自分はただ『全宇宙の統一和平』を願うばかりだ。
095
日本の今日あることは、
096
すでに幾回も予言したが、
097
そのため弾圧を受けた。
098
火の雨が降るぞよ、
099
の警告も実際となって、
100
日本は
敗
(
ま
)
けた。
101
これからは神道の考え方が変って来るだろう。
102
国教としての神道がやかましくいわれているが、
103
これは今までの解釈が間違っていたもので、
104
民主主義でも神に変りがあるわけはない。
105
ただ本当の存在を忘れ、
106
自分の都合のよい神社を偶像化して、
107
これを国民に無理に崇拝させたことが日本をあやまらせた。
108
殊に日本の官国弊社の祭神が神様でなく、
109
ただの人間を祭っていることが間違いの根本だ。
110
しかし、
111
大和民族は絶対に亡びるものではない。
112
いま軍備はすっかりなくなったが、
113
これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。
114
本当の世界平和は、
115
全世界の軍備が撤廃されたとき、
116
はじめて実現され、
117
いまその時代が近づきつつある。
118
」
119
かくして昭和二十一年二月七日をもって愛善苑は「愛善苑設立趣意書」を発表して新発足しました。
120
聖師は苑主として
起
(
た
)
たれたという報が伝えられると、
121
長い冬が過ぎて若草のもえ出るように運動はたちまち全国にひろがり、
122
続々と人々は綾部、
123
亀岡に集まって来ました。
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