大本が皇道大本と改称し、人類愛善会・昭和青年会・昭和坤生会の諸運動が、非常時日本の時局を背景に活発に展開されたその指導には、神示にもとづく立替え立直しの時期の切迫というぬきさしならぬ緊迫感が、底流にあったことは争われない事実である。
大本出現の基本となっている立教の精神には、いうまでもなく「三千世界の立替え立直し」が大きな骨子となっている。「国祖神、国常立尊の隠退によって三千世界が乱れ、創造主神の意図に反する世の中ができて、つひに行詰りとなつだので、国祖が再び出現して、立替え立直し、みろくの世をつくる」というのである。したがって皇道大本に改称されたとはいっても、当時流行のいわゆる神道的皇道論とは、根本的にその理念において相違するところがあった。
聖師は「天運循環して皇国は和光同塵の策をしりぞけ、その本来の聖なる天職使命を以て世界に処すべきの秋にたち到つた。現今世道暗澹として人心日に荒むと雖も、今にもあれ、皇道の大本を講明して以て神国神民の霊性に訴ふるときは、必然日本魂の発現し来つて天授の神魂に復帰すべきは論を俟たない」(『惟神の道』)とて、人間の本性、すなわち天授の神性開顕を主として説いた。そしてその皇道論は創造意志の本元に基づくものとして「皇道はもと天地自然の大法であつて、大虚霊明なるが故に無名無為である。実にスミキリである」といい、「大量は測るべからず、大度は尺すべからずとは、その容無くその究りなきを以てである。皇道は冲なり虚なり、玄々として乾天の位の如く、淵乎として万物の宗たり。虚なるが故に能く他を容れ、能く他を化するのである。名は無けれど世と倶に進み、容無けれど時と倶に移りて万教を同化し、万法を摂養す。虚中の虚、霊中の霊、神妙不可測の聖道である」とも「宇宙に瀰漫しているところの道を説くものである。それ故に皇道ともいふ」と説いて「天地惟神の大経たるが故に人為的の教でなく之を一国に施せば一国安く、之を万国に施せば万国寧く、一家之に依つて隆え、一身之に依つて正を保つの大経である」といっている。要するに宇宙本源の生成化育の霊元に基づく発展法則が皇道となることを説いたもので、それは天之御中主大神の実体のあらわれであり、神性のおのずからなる開顕である。これによって一切の万物が発生したのであるから、いわば万有は神の分霊分体である。大本教旨の「神は万物普遍の霊」というのもその原理からであり、「三大学則」の霊・力・体の観察もそこに発想されるのである。したがって聖師が「我国には太初より教なくして教あり、道なくして道あり、而して道の大本は天地神明に出づ」といっているゆえんである。この神より出ずる自己発展法則が皇道の大本であるから、皇道はその本源である宇宙創造の真因に基づく法則を極め、これを天道とし人道として「惟神の大道」というのである。そこで抻をはなれた皇道はなく、皇道の大本は神である。そこに祭政一致の道があり、祭教の本義がなり立つ。大本の四大綱領・四大主義はそのありかたを説いたものである。聖師は「自分は幼時より我国体の淵源を極めむとし、且つ明治三十一年以後今日に至るまで艱難辛苦を積み神界の真相の一端を究めた結果、宇宙の真理の一部を『霊界物語』として発表することとなつた」といっている。このことは大本の教義は皇道を説いたものであることを意味するものである。また「天運循環の神律は、日本国に幸ひ助け天照り玉ふ言霊の復活と、国祖の神聖なる垂訓によりて皇道を顕彰し給ひ、以て現代の無道無明を照し給ふべし。……荘厳なる国祖国常立尊の神威は暗黒界を照明して天下に皇道を実現せられ以て世の経綸を革正し、ここに神聖なる済世救民の御天職と永遠の平和を保全し玉ふは明瞭なり」と述べていることによっても、大本の教が惟神の道であるということがわかる。
聖師の説くところは神道家の説く「皇道は天皇の天下統治の道」と限定した狭義の意味でなく、天下統治の道をも含めた人群万類ことごとくに普遍した永遠の道であるというのが、聖師の皇道論であった。
こうした大本の皇道論については、天照大神を頂点とした日本国体論に立った解釈をしていたものからはもちろん批判された。そして、学者・神道家たちの間では、大本が「皇道大本」と「皇道」の文字を冠するのは、せんえつであると非難されもした。しかしながら「大本の神示」や「予言警告」は人心をひきつけ、きそって立替え立直しに関する文献を求める傾向が日ましにたかまってきた。そのこともあって大本の出版活動はますます活発となった。
第一次大本事件までの大本の宣伝には、上巻にも指摘したように、予言警告にもとづくところが少なくない。立替え立直しの前提としての悪病・飢餓・戦争・天変地異がいまにも起るような宣伝をしたのである。ところが昭和八年から一〇年にかけての宣伝は内容においては、神にかえれという主張のもとに、日本国のありかた、また日本人の使命などが、人類愛善の精神から解明される立場が濃厚であった。予言警告に関する言葉がつかわれていても以前のような狂信的な、また独善的な言説はあまりみられなくなっている。
だが、日本のファシズムが、既存の官僚機構などをそのままに維持して、その体質を変えようとする動きを示しつつあった時に、大本の独自の立場にたった皇道論も、そしてまたその運動も、結果的には、その意図するところと一致しなかったとはいいながら、ファシズムの体制実現への民衆的基盤を提供することになった。信仰と政治のギャップがそこに横たわっていたことを、軽視するわけにはいかないであろう。
〔写真〕
○(写真の見出し無し。「宇宙大本」の書) p147
○へだてなく……活発に…… 青年たちと語りあう聖師 p148
○地方の研修もさかんであった 岩手 p149