第九章 愛と信〔一二四二〕
001 大本開祖の聖言には愛の善と信の真とを骨子として説かれてある事は神諭を拝読した人のよく知る所なれば、002今更口述者が改めて述ぶる迄もないから、003其聖言は略する事とする。
004 善とは即ち此世の造り主なる大神の御神格より流入し来る神善である。005此神善は即ち愛其ものである。006真とは同じく大神の御神格より流入し来る所の神真である。007此神真は即ち信である。008さうして其愛にも善があり悪がある。009愛の善とは即ち霊主体従、010神より出でたる愛であり、011愛悪とは体主霊従と云つて自然界に於ける自愛又は世間愛を云ふのである。012今口述者が述ぶる世間愛とは決して世の中の所謂博愛や慈善的救済を云ふのではない。013己が種族を愛し、014或は郷里を愛し、015国土を愛する為に他を虐げ、016或は亡ぼして自己団体の安全を守る偏狭的愛を指したのである。017それから又信仰には真と偽とがある。018真の信仰とは心の底から神を理解し、019神を愛し、020神を信じ、021且つ死後の生涯を固く信じて神の御子たる本分を尽し、022何事も神第一とする所の信仰である。023又偽りの信仰とは所謂偽善者共の其善行を飾る武器として内心に悪を包蔵しながら、024表面宗教を信じ神を礼拝し、025或は宮寺などに寄附金をなし、026其金額を石又は立札に記さしめて、027自分の器量を誇る所の信仰である。028或は商業上の便利のために、029或はわが処世上の都合のために表面信仰を装ふ横着者の所為を称して偽りの信仰と云ふのである。030要するに神仏を松魚節として自愛の道を遂行せむとする悪魔の所為を云ふのである。031斯くの如き信仰は神に罪を重ね自ら地獄の門扉を開く醜行である。032真の神は愛善と信真の中にこそましませ自愛や偽信の中にまします筈はない、033斯る自愛や偽信の中に潜入する神は所謂八岐大蛇、034悪狐悪鬼餓鬼畜生の部類である。035高天原の天国及び霊国にあつては人の言葉皆其心より出づるものであるから、036其云ふ所は思ふ所であり、037思ふ処は即ち云ふ所である。038心の中に三を念じて口に一つを云ふ事は出来ない。039是が高天原の規則である、040今天国と云つたのは日の国の事であり、041霊国と云つたのは月の国の事である。
042 真の神は月の国に於ては瑞の御霊の大神と現はれ給ひ、043日の国に於ては厳の御霊の大神と現はれ給ふ。044さうして厳の御霊の大神のみを認めて瑞の御霊の大神を否むが如き信条の上に安心立命を得むとするものは、045残らず高天原の圏外に放り出されるものである。046斯くの如き人間は高天原より嘗て何等の内流なき故に次第に思索力を失ひ、047何事につけても正当なる思念を有し得ざるに立ち至り、048遂には精神衰弱して唖の如くなり、049或は其云ふ所は痴呆の如くになつて歩々進まず、050其手は垂れて頻りに慄ひ戦き、051四肢関節は全く力を失ひ、052餓鬼幽霊の如くなつて仕舞ふものである。053又瑞の御霊の神格を無視し、054其人格のみを認むるものも同様である。055天地の統御神たる日の国にまします厳の御霊に属する一切の事物は残らず瑞の御霊の大神の支配権に属して居るのである。056故に瑞の御霊の大神は大国常立大神を初め日の大神、057月の大神其外一切の神権を一身にあつめて宇宙に神臨したまふのである。058此大神は天上を統御したまふと共に、059中有界、060現界、061地獄をも統御したまふは当然の理である事を思はねばならぬ。062さうして厳の御霊の大神は万物の父であり、063瑞の御霊の大神は万物の母である。064総て高天原は此神々の神格によつて形成せられて居るものである。065故に瑞の御霊の聖言にも『我を信ずるものは無窮の生命を得、066信ぜざるものは其生命を見ず』と示されて居る。067又『我は復活なり、068生命なり、069愛なり、070信なり、071道なり』と示されてある。072然るに不信仰の輩は高天原に於ける幸福とは、073只自己の幸福と威力にありとのみ思ふものである。074瑞の御霊の大神は、075総ての神々の御神格を一身に集注したまふが故に、076其の神より起り来る所の御神格によつて高天原の全体は成就し、077又個々の分体が成就して居るのである。078人間の霊体、079肉体も此神の神格によつて成就して居るのは無論のことである。080さうして瑞の御霊の大神より起り来る所の神格とは即ち愛の善と信の真とである。081高天原に住める天人は、082総て此神の善と真とを完全に摂受して生命を永遠に保存して居るのである。083さうして高天原はこの神々によつて完全に円満に構成せらるるのである。
084 現界の人間自身の志す所、085為す所の善なるもの又思ふ所、086信ずる所の真なるものは、087神の御目より御覧したまふ時は、088其善も決して善でなく、089其真も決して真でない、090瑞の御霊の大神の御神格によりてのみ、091善たり真たるを得るものである。092人間自身より生ずる善又は真は、093御神格より来る所の活力を欠いで居るからである。094御神格の内流を見得し、095感得し、096摂受して茲に立派なる高天原の天人となる事を得るのである。097さうして人間には一霊四魂と云ふものがある。098一霊とは即ち真霊であり、099神直日、100大直日と称するのである。101さうして神直日とは神様特有の直霊であり、102大直日とは人間が神格の流入を摂受したる直霊を云ふのである。103さうして四魂とは和魂、104幸魂、105奇魂、106荒魂を云ふのである。107この四魂は人間は云ふに及ばず、108高天原にも現実の地球の上にも夫々の守護神として儼存しあるのである。109そして荒魂は勇を司り、110和魂は親を司り、111奇魂は智を司り、112幸魂は愛を司る。113さうして信の真は四魂の本体となり愛の善は四魂の用となつて居る。114さうして直霊は瑞の御霊の大神の御神格の御内流即ち直流入された神力である。115故に瑞の御霊の御神格は総ての生命の原頭とならせたまふものである。116此大神より人間に起来するものは神善と神真である。117故に吾々人間の運命は此神より来る神善と神真を、118如何に摂受するかによつて定まるものである。119そこで信仰と生命とにあつて是を受くるものは其中に高天原を顕現し、120又之を否むものは已むを得ずして地獄界を現出するのである。121神善を悪となし、122神真を偽りとなし、123生を死となすものは又地獄を現出しなくては已まない。124現代の学者は何れも自然界の法則や統計的の頭脳をもつて不可測、125不可説なる霊界の事象をおほけなくも測量せむとなし、126瑞の御霊の神示を否むものは暗愚迷妄の徒にして所謂盲目学者と云ふべき厄介ものである。127到底霊界の事は現実界の規則をもつて窺知し得べからざる事を悟らないためである。128神は斯の如き人間を見て癲狂者となし、129或は痴呆となして救済の道なきを悲しみ給ふものである。130斯かる人間は総て其精霊を地獄の団体に所属せしめて居るのである。131斯かる盲学者は神の内流を受けて伝達したる霊界物語のある個所を摘発して吾知識の足らざるを顧みず、132種々雑多と批評を加へ、133甚だしきは不徹底なる自己の考察力をもつて之を葬り去らむとする罪悪者である。134高天原の団体に其籍を置き、135現代に於て既に天人の列に列したる人間の精霊は吾人の生命及び一切の生命は瑞の御霊の御神格より起来せる道理を証覚し、136世にある一切のものは善と真とに相関する事を知覚して居るものである、137斯かる人格者の精霊を称して地上の天人と云ふのである。
138 人間の意思的生涯は愛の生涯であつて善と相関し、139知性的生涯は信仰の生涯にして真と相関するものである、140さうして一切の善と真とは皆高天原より来るものであり、141生命一切の事又高天原より来る事を悟り得るのが天人である。142故に霊界の天人も、143地上の天人も右の道理を堅く信ずるが故に、144其善行に対して他人の感謝を受ける事を悦ばないものである、145もし人あつて是等の諸善行を彼の天人等の所有に帰せむとする時は天人は大に怒つて引退するものである。146人の知識や人の善行は皆其人自してしかるものと信ずる如きは悪霊の考へにして到底天人共の解し得ざる所である。147故に自己のためになす所の善は決して善ではない、148何となれば夫れは自己の所為なるが故である。149されど自己のためにせず善のためになせる善は所謂神格の内流より来る所の善である。150高天原は斯の如き善即ち神格によつて成立して居るものである。
151 人間在世の時に於て自らなせる善、152自ら信ずる真をもつて、153実に自らの胸中より来るものとなし、154又は当然自分の所属と信じて居るものはどうしても高天原に上る事は出来ない、155彼の善行の功徳を求めたり、156又自ら義とするものは斯の如き信仰を有して居るものである。157高天原及び地上の天人は斯の如きものをもつて痴呆となし、158俗人となして、159大に忌避的態度を取るものである。160斯の如き人間は不断に自分にのみ求めて、161大神の神格を観ないが故に、162真理に暗き痴呆者と云ふのである。163又彼等は元より大神の所属となすべきものを己に奪はむとするが故に神より天の賊と称へらるるのである。164所謂人間は大神の御神格を天人が摂受するとの信仰に逆らうて居るものである。165瑞の御霊の大神は高天原の天人と共に自家存在の中に住みたまふ、166故に大神は高天原に於ける一切中の一切である事は云ふ迄もない事である。
167(大正一二・一・八 旧一一・一一・二二 加藤明子録)