病気鎮魂は許されているのであるから、左の注意の下に行うことを説示されたのであります。
一、取次(審神者)の心得
イ、同情の真心をもって先ず神様に祈願し、さて病人に対しては出来得る限り自己を離れただご神力をお取次する一個の媒介者と心得べきこと。
ロ、病人を見るため可哀相と思う念が起こっても神格の内流を妨げるから、かくの如き際には瞑想しておっても差し支えなきこと。
ハ、病気鎮魂には、神歌は必ず「ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、ふるべゆらゆら」の祝福の言霊を用い「ももちよろづ」を唱えざること。
右の次第であるから、鎮魂の際、求めて声を出したり、力味たりすることもよくないとのことであります。もしかくすれば神霊の流通は減弱し或いは遮断し、代わって自己の霊のみが注がるることとなるからであります。
御手代(お杓子)を用いて鎮魂する時も右同様であって、先ず瑞の御魂の大神を念じ患部と全身を撫でるのであります。この際、御手代を汚さぬよう白紙に包むことが必要であります。なお一つ心得べきことは、人々の守護神は神格をいただく方法が種々であるから、鎮魂の形式を一定にすることは良くないのであります。ただ大体において右の心得の下に奉仕すれば、他の細き点は各自の勝手であります。
御神諭ことに霊界物語を読み聞かせることは、病人にとっては誠に結構であり、かつ安全であります。なぜなれば神格が言霊によって病人に流入するからであって、この神格の内流が鎮魂の目的であり御神徳であります。ただし読む箇所と時間とは容態の如何により斟酌はもちろんであります。従って鎮魂の前に先ず神書を読み聞かせることや、お道を宣伝することが極めて必要であります。この際、快くまた熱心にそれを聞く病人であれば、お蔭は最も顕著であります。
一、病人の心得
病人は取次者について、決して人選びをしてはなりませぬ。ただ一意神恩を感謝、讃美祈願し、身の過ちをお詫びしておればよいのであります。
聖師様お造りの楽焼をもって、お神酒なりお水をいただかせ病気の治癒ったためしは、随所にたくさんあります。
さて病気鎮魂については、霊界物語の各所にその実例が説示してあるから、精読考慮すべきであります。たとえば真善美愛卯の巻(五十二巻)黄泉帰の章下におけるイク、サールの真心の如き、三十一巻主一無適の章における国依別の訓示の如きは、審神者及び病人の心得として主要なることであります。
またいわゆる病気直し専門にならぬよう注意することが肝要であります。ウッカリすると変な霊に乗ぜられ、五十二巻の総説にある薬師院快実の如きことがあっては、神様の御名を瀆すこととなるのであります。