庭の面に嫩葉戦ぎて風清く
日光暉き心地よき朝。
群雀庭の面に声清く
千代々々と鳴く朝晴れの空。
若葉もゆる梧桐の窓の文机に
光の家宗匠玉鏡見る。
光の家は何感ずらむ吾面を
すかし眺めて微笑漏らせり。
宇知麿を出迎への為栗原氏
満月伴ひ立出でにけり。
庭の面に立てる榎の大木に
雀集まり太祝詞宣る。
風清く陽はうららかに照る庭に
雀あつまり千代を寿ぐ。
花躑躅青葉となりて庭の面に
肌へ冷めたき初夏の風吹く。
宣伝の旅に出てより今日一日
身をくつろげて休む楽しさ。
橘の花庭の面に咲き充ちて
風に匂ひを送る清しさ。
黄金の玉を抱へて橙の
梢の茂み風に匂へる。
昼も蚊の立舞ふ讃岐に引替へて
夜も蚊帳の要らぬ新居浜。
寝そべりて吾詠む歌を記し行く
女の顔の白く輝く。
海国の馳走に飽きて香の物
梅干なぞの欲しくなりけり。
まめ人が心づくしの佳肴さへ
日を重ぬれば飽きにけるかな。
麦飯に香肴茶漬さらさらと
日に一二回食ひたくなりけり。
自動車に運ばれ汽車に乗る身さへ
疲れけるかな心の旅路に。
何船の出帆なるか汽笛の音
吾居間までも高く聞ゆる。
青葉もゆる庭の面を翩翻と
袖も軽げに白き蝶舞ふ。
葉桜の梢を亘る朝風に
黄蝶飛び交ふ状の淋しも。
○神の国の原稿にもと寸暇を利用し数首の道歌を詠む
空虚なる器物は巨大な音響を
発すと云へる諺もあり。
自然愛自己愛の花咲き充ちて
醜の実りの繁き葦原。
愛善の花咲き充つる神の代は
人の心も華やかなるらむ。
我国は徳主法従神の国
理屈斗りで治まらぬ国。
荒風に浪立ち狂ふ海原も
底の心は静なりけり。
開けたる御代の恵を浴び乍ら
生存難に苦しむ諸人。
衣食住外に望みの無き人は
生存競争の衢に彷徨ふ。
日の本の真の道も白浪の
沖に漂ふ葦原国人。
大日本国は更なり地の上の
凡てに道を明かす斯道。
惟神日本大道は世の人を
安きに救ふ真道なりけり。
かねてより憧憬せる白石を見んとてまめ人と共に川口より船を出だしぬ。
午後の二時沖の白石見んものと
人車にのりて浜辺に走せ行く。
川口ゆ五隻の漁船雇ひ入れ
白石さして漕ぎ出でにけり。
平穏な波に五隻の船浮けて
海原行けば心清しき。
鰐の如姿浮べる御代島は
浪の表に静に横たふ。
不動明王斎き祀りし石鎚の
霊山雲井にそそり立つ見ゆ。
満潮の船出ながらも白石の
姿は遠く浪の間に浮く。
御代島の頭に松の冠きて
浮ける端島の眺め佳きかな。
燐鉱石満載したる七千噸の
黒船沖に静にかかれり。
吾船は白石の側めぐりつつ
汽船の余波を浴びて揺らつく。
御代島を廻りて見れば常磐木の
松海水に映えて妙なり。
烏賊漁る小舟海上に並びつつ
網曳く状の面白きかな。
波煙る沖に浮べる四阪島
見渡す限り赤土のみなる。
海の上靄一文字にたなびきて
瀬戸内ながめ一入美はし。
桝網を曳ける海上艪を漕ぎて
渡る浅洲に船行き悩む。
犬の曳く人力にのりて白石氏
やかたに安く帰り休らふ。
信徒に面会済めば宇知麿は
斎主となりて夕拝行ふ。
何時までも忘れざるらむ瀬戸内の
白石がりに遊びし今日を。
儘ならば瀬戸内海に永久に
船中生活為さんとぞ思ふ。
白石の沖より東を見晴せば
伊予不二の峰雲の上にあり。
今日の太陽が西海に沈まんとする頃しも、衆議院議員小野寅吉、商工副会長真木宗一郎、銀行支店長宇野忠太郎、歯科医赤尾巌、垂水警部補の諸氏面会を求めたり。沈黙数分時にして去る。別にさしたる用事も無き様子なれば世間話なぞする暇もなく、吾も話しかけず其の儘にして別れたり。是れ二名渡島以来初めての地方有力者との会見なりしなり。夕陽吾居室を照らして凉風面を吹く。
陰暦四月四日の上弦の月は鍍金をかけて海上低う雲間に暉く。
人類愛講演の為女学校
講堂さして夕べ出で行く。
宇知麿や栗原岩田の三宣使
獅子吼せんとて講堂に向ふ。
宇知麿の艮の講演相終り
聴衆勇み立ちて帰宅す。
身一つにして面四つありと古事記に記されたる二名の島に、今回言霊将軍を率き具して、阿波、讃岐と転戦半月、昨日の夕方いよいよ伊予新居浜に着きぬ。新居の浜近き海上に遠き神代の昔より深き神秘を包みて清く浮べる白石の零巌、一目参観なさばやと、今日しも午下り未の上刻より、宣伝使信徒数十人と倶に舟出する事とは成りぬ。
白石氏館の表門を出づれば、腕車三台梶棒を卸して待てり。この腕車には赤茶色なす毛の生えし狗児先曳を為して行く。先曳の勇士は犬なればケン引力もワン力も又強からんなぞ無駄口を密に叩きつつ、四脚の狗力に守られて、王仁、宇知麿、八重野子三人浜辺に運ばれて行く。余り遠からぬ道程なれば、人々何れも徒歩にて従ふ。川口の運河には五隻の漁舟準備おさおさ怠りなく、吾等一行の到るを待てり。右手は砂丘の松原左手は河岸に添へる人家の建ち並ぶ市街の一部、その中間を流るる川口の運河を、悠々として異口同音に宣伝歌を合唱しながら、満潮時の船足迅く海に入りぬ。
前方に清く浮べる鰐の形せる老松生ふる端島は、名さへ目出度き御代島となむ云ふ。左手に石槌山の霊峯高く雲表に現はれて瀬戸の内海を睥睨し、右手には群峰を圧して立てる伊予不二の秀嶺、海面を瞰下せるその雄大なる景色、得も云はれぬ斗りなり。
浪和ぎ渡り風清く、巨船小舟行き交ふ海を水夫の操る艪の音勇ましく、北へ北へと辷り行く。
住友家の経営せる肥料の会社煙突は、林の如く浜辺に立ち並び、黒煙を吐く状恰も龍の昇天に似たり。四阪島は沖の彼方に兀々として横たはり、樹木一本も見えず。可惜風光妙なる瀬戸の内海に一点の疵痕を印したる思ひするかな。左手に浮ぶ大船は住友の運送船、約一千五百噸の北斗丸にて、貨物を積み込む起重機の音高く耳に響きて心持良からず。右手の沖合には約七千噸の巨船山の如く泰然として静に浮べるありて、住友王国の隆盛を偲ばしめたり。吾等の乗り来せし五隻の小舟は前に後に、右に左の波の秀をうねり乍ら、逸早くも音に聞えし白石の零厳近く進み寄る。地底より湧き出でし如き純白無垢の大理石岩にして、最と珍らしき物にぞありける。
御代島の尖端又大理石の白厳清く露出して、海水に其姿を移し、臥龍の老松其の上に苔を被りて樹てる状、恰も狩野派の山水画にも似て床し。白石との間隔三十間にして、海底には白厳並列して、その奇勝譬ふるに辞なし。一同の小舟は霊岩を中心に取り巻き乍ら、珍らしき風光に憧憬れ、感賞稍久しき折もあれ、沖を馳せ行く大船の余波、うねりうねりと渦巻き襲ひて、漁舟を木の葉の如く遠慮会釈もなく上下左右に翻弄して去り行く様いとも憎らし。
船は針路を西北に転じ、御代島に添ひて進めば、昔用ひたりしと云ふ灯台の跡淋しく波打際に建ちあり。全島悉く苔の生す黒松の林にして、住友王国の所有なり。奇厳所々に立並ぶその中にも秀でて大なる白石の厳、爰にも亦一個磯辺に浮くあり。然れども余り此の岩のみは人の賞揚せざるぞ不可思議なり。烏賊を漁る小さき舟いくつと無く海面に浮かびて、潮風に焦げたる黒き腕をむき出し乍ら、網曳く漁夫の俤なぞ見るも仲々面黒し。御代島の西端に吾舟進めば大小三つの松生ひ茂る岩を以て形造られたる端島山、瀬戸内の浪を真向に受けて静に浮く。瀬戸の島々伊予の山々、鏡の如く凪ぎ渡る海の面に影を浮かべ、一直線にかすめる波の煙に日光映えて、紫の幕を大海原に引きまはすが如く、その美観と其の雄大さ、荘厳さ、思はず手を拍つて讃嘆の声ほとばしる。
端島の四辺は暗礁点綴して船人の最も注意を要する関所とぞ聞く。船は漸くにして南に廻る。御代島に建てられし火薬庫のあたり、松の翠一入濃く美はしく波に映じて風光最も佳し。海は漸次浅みつつ、水底に潜む小魚の影さへ眼に入る。桝形の網長く広く引きまはされたる間を縫ひつつ東に進めば、浅き瀬ありて水の色まで変れるあり。干潮の時には新居浜より御代島まで徒歩にて渡り得ると云ふ。時恰も干潮の最中にて潮流激しく船行き悩む。王仁自ら水棹をとり水夫に力を添へ、辛ふじてこの難関を突破す。船中には、菓子、果実、弁当、サイダー等の接待ありて、賑はしく歓声湧く。
斯くて数十分の後舟は川口の運河に入る。両岸干潮の為川底現はれていとも見憎し。町の童が三々五々干潟に降りて、ツボと云へる貝を漁れる状風流めきたり。舟は危き古き桟橋に近づき、細き板子をさし渡して陸によぢ登る。待ちかまへたる例のワン車に揺られ、白石氏館に帰る。陽は西海に垂れた、茜の瑞雲天にたなびき、庭の面の樹々の若葉に映えて最とも美はしく、初夏の凉風吾窓を訪ふ。