霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二章 ⦿(ス)の意義

インフォメーション
題名:第2章 ⦿の意義 著者:出口王仁三郎
ページ:11
概要: 備考: タグ: データ凡例:2021/4/11底本と照合して校正 データ最終更新日:2021-06-02 09:35:09 文字数:8485 OBC :B121801c05
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]:神霊界 > 大正9年8月1日号(第122号) > 皇道大意
 新聞や雑誌などに昨年来(さくねんらい)、綾部(あやべ)の教団が、皇道(くわうだう)大本(おほもと)の名を冠(くわん)して居(ゐ)るのは、実に怪(け)しからぬ次第だ、僭上(せんじやう)至極(しごく)だと評論したのが沢山にあつた。私(わたくし)は余りの事に可笑(をか)しくて堪(たま)らなかつたのであります。皇道(くわうだう)と云(い)へば天皇の道であるにも拘(かかは)らず、臣民(しんみん)の分(ぶん)として余りに不敬であるとか、皇道(くわうだう)の美名に隠れて、大本(おほもと)は世人(せじん)を誤魔化(ごまくわ)す詐偽(さぎ)団体だとか、色々と誤託(ごたく)を並べたものである。今日(こんにち)と雖(いへど)も少数の人士(じんし)は、皇道(くわうだう)の名を冠する事を以(もつ)て、非国民(ひこくみん)の所作(しよさ)の様(やう)に見做(みな)し、且(か)つ攻撃して居(を)る人があるやうです。私は余りに世間に無智者(むちしや)の多いのに、呆れざるを得ない次第であります。又(また)中(なか)には皇道(くわうだう)と神道(しんだう)と同一に見て居(い)る人もあるやうですが[*神霊界では「~ですが、この区別は拙著王仁文庫(皇道我観)に載せてありますから、茲には只皇道の大意のみを~」になっている。]、この区別は此処(ここ)には唯(ただ)皇道(くわうだう)の大意のみを、説明することに致(いた)します。
 皇(くわう)はスベルともスメとも訓(よ)む。故(ゆゑ)に、主(しゆ)、師(し)、親(しん)の三徳(さんとく)を具備(ぐび)し、地球上を知食(しろしめ)す大君(おほぎみ)を皇御門(すめらみかど)と申(まを)し、御孫(おんまご)を皇御孫(すめみまの)命(みこと)と申(まを)し、日本(につぽん)神国(しんこく)は世界を統治すべき、天賦(てんぷ)の使命を有する国なるが故(ゆゑ)に、皇御国(すめらみくに)と称(とな)ヘまつるのである。皇御国(すめらみくに)に生(せい)を享(う)け、皇御国(すめらみくに)の大君(おほぎみ)に仕へ、皇御国(すめらみくに)の粟(あは)を食(は)みつつ、結構に生活さして戴いて居(ゐ)る皇大君(すめおほぎみ)の赤子(せきし)たる臣民(しんみん)が、皇御国(すめらみくに)の道を説き拡め、皇大神(すめおほかみ)と皇大君(すめおほぎみ)との御(ご)仁徳(じんとく)を、天下(てんか)に宣伝(せんでん)するのが何が悪いのでありませうか。子が親の大慈(だいじ)を崇(あが)め、兄弟に親の有難(ありがた)きこと、尊きことを説き聞かすのに、何処(どこ)に差支(さしつか)ヘる所があるであらうか。吾々(われわれ)は何処(どこ)迄(まで)も皇御国(すめらみくに)の人民(じんみん)として、皇大神(すめおほかみ)と皇大君(すめおほぎみ)とを主(しゆ)、師(し)、親(しん)として仰(あふ)ぎ奉(まつ)らねば日本(につぽん)臣民(しんみん)の義務を全(まつた)うする事が出来(でき)ないと思ふのである。猶(なほ)進んで皇(す)の言霊(ことたま)に就(つ)いて、大略を叙(じよ)して見よう。古事記の初(はじめ)に、独神(すに)成坐而(なりまして)隠身(すみきり)也(なり)とあるは、無色透明にして、至粋(しすゐ)、至純(しじゆん)、至聖(しせい)、至美(しび)、至真(ししん)、至善(しぜん)に坐(ま)しまし、無声(むせい)無形(むけい)の主神(すしん)なる事を、表示されたものであります。言霊学(げんれいがく)の上から、霊返(たまがへ)しの法に由(よ)つて調べて見ると、知(し)るの返(かへし)はスである。又知(し)らす、知食(しろしめ)す、澄(す)む、澄(す)ます、住(す)む、好(す)く、進(すす)む、縋(すが)る、助(たす)ける、覚(さと)る、醒(さま)す、栄(さか)ゆる、支(ささ)ふ、誘(さそ)ふ、直(す)ぐ等(とう)の霊返(たまがへ)しは皆(みな)スと成るのである。次にスは言霊学(げんれいがく)上(じやう)より鳥(とり)の霊(れい)である。主(す)、寿(す)、統一(す)は皆スの活用であります。
 又言霊学(ことたまがく)上(じやう)より、スの活用を示せば、中(なか)に集(あつ)まる言霊(ことたま)也、真中真心(まなか)也、八極(はちきよく)を統(す)べ居(を)る也、数(かず)の限(かぎ)り住(す)む也、本末(ほんまつ)を一徹(いつてつ)に貫(つらぬ)く也、玉(たま)也、結(むす)び産(う)む也、八咫(やあた)に伸(のび)極(きは)むる也、限(かぎ)り無(な)く無為(すみきる)也、出入(いでいる)息(いき)也、呼吸(こきふ)共(とも)に顕(あら)はるる声(こゑ)也、結柱(むすびはしら)也、安々(やすやす)の色(いろ)也、自由自在(するままにする)也、素(もと)の儘(まま)也、至大(しだい)天球(てんきう)の内外(ないぐわい)悉(ことごと)くを涵(ひた)し保(たも)ちて極乎(かみ)たり、無所不至(いたらざるところなき)也[*底本ではレ点が入り「無㆑所㆑不㆑至也」。]、無所不為(ならざるところなき)也[*底本ではレ点が入り「無㆑所㆑不㆑為也」。]、霊魂球(れいこんきう)を涵(ひた)す也、有(いう)の極(きよく)也、声(こゑ)の精(せい)也、外(そと)を統(す)ぶる義(ぎ)也等(とう)の言霊(ことたま)活用(くわつよう)を有するのである。
 猶(なほ)諸種(しよしゆ)のス声(ごゑ)の活用を略解すれば、
 『知(し)らす、知食(しろしめ)す、知(し)る』等(とう)の言霊は、万世(ばんせい)一系(いつけい)の天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)が、天(あめ)の下(した)四方(よも)の国を安国(やすくに)と平(たひら)けく統治(とうぢ)遊ばすと云(い)ふ事である。
 『澄(す)む、澄(す)ます』の活用は、神と大君(おほぎみ)の洪大(こうだい)無辺(むへん)なる一大威力によつて、混濁(こんだく)せる天地(てんち)一切(いつさい)を清浄ならしめ、至真(ししん)至美(しび)至善(しぜん)の国土を造り玉ひし言霊(ことたま)である。
 『住(す)む』の活用は万民(ばんみん)悉(ことごと)く神君(しんくん)の大慈(だいじ)の下(もと)に養(やしな)はれ、至誠(しせい)至直(しちよく)にして神を敬ひ皇室を尊(たふと)び国家の恩に報い奉(まつ)り、私心(ししん)私欲(しよく)[*底本では「至心至欲」だが神霊界では「私心私欲」。「至心至欲」は誤字であろう。]の念なし、霊体(れいたい)共(とも)に水晶の如(ごと)く透明潔白に社会に生存し、人生の本務(ほんむ)を各自(かくじ)が全(まつた)うするの意である。現代人の如(ごと)く私利私欲の外(ほか)敬神(けいしん)尊皇(そんわう)愛国(あいこく)の念慮(ねんりよ)薄くして修羅(しゆら)の巷(ちまた)にさまよふ如(ごと)きは「住(す)むに非(あら)ずして濁(にご)り居(を)るのである」、要するに霊主(れいしゆ)体従(たいじう)の生活者は所謂(いはゆる)住むと云(い)ふ資格を有すれども、体主(たいしゆ)霊従(れいじう)の生活を為(な)すものは濁(にご)り居(を)ると称すべきものであります。
 『好(す)く』と云(い)ふ言霊(ことたま)は、万国(ばんこく)の民(たみ)争(あらそ)うて日本(につぽん)皇国(すめくに)に生出(せいしゆつ)せむ事を好む事である。東方の君子(くんし)国(こく)、日出(ひいづ)る国、豊葦原(とよあしはらの)瑞穂(みづほ)、中津(なかつ)国(くに)、磯輪垣(しわがき)の秀妻(ほづまの)国(くに)、姫子(きし)国(こく)、世界の公園、天国浄土、大倭(おほやまと)日高見(ひだかみの)国(くに)、心安(うらやす)国(くに)、豊(とよ)秋津(あきつ)根別(ねわけの)国(くに)、言霊(ことたま)の幸(さちは)ふ国、言霊(ことたま)の生(い)ける国、言霊(ことたま)の清(きよ)き国、言霊(ことたま)の助(たす)くる国、言霊(ことたま)の天照(あまて)る国、惟神(かむながら)言挙(ことあげ)せぬ国、万世一系の君主(くんしゆ)国(こく)等(とう)種々(しゆじゆ)讃嘆(さんたん)の声を放ちて、皇国(くわうこく)の神境(しんきやう)を随喜(ずゐき)渇仰(かつかう)する、至尊(しそん)至貴(しき)の宝国(ほうこく)である。地球上の人類として、誰一人我(わが)神国(しんこく)を嫌ふものなき皇(す)、主(す)、好(す)の国であるてふ言霊(ことたま)であります。
 『進(すす)む』皇国(くわうこく)の大道(たいだう)は進歩(す)発展(す)主義(む)である。朝日の豊栄(とよさか)昇りに笑(ゑ)み栄(さか)ゆる神国(しんこく)である。楽天主義(すずし)、清潔主義(すむ)、統一主義(すぶる)と共に無限に発展し、宇宙一切を天国の神政に進める所の、天職を惟神(かむながら)に具備(ぐび)せる神皇(しんわう)の国土である、故(ゆゑ)に皇国(くわうこく)に生(うま)れ出(い)でたる人民(じんみん)は、夢にも悲観的の精神(せいしん)をもつてはならぬのである。
 『縋(すが)る』世界万国の民(たみ)、塗炭(とたん)の苦(く)を免(のが)れんとして、東方の君主(くんしゆ)国(こく)たる日本(につぽん)皇国(くわうこく)に君臨し玉ふ天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)の大(だい)慈徳(じとく)に、乳児(にうじ)の母乳に縋(すが)るが如(ごと)く、慕(した)ひ来(く)るといふ言霊(ことたま)である。我(わが)皇国(くわうこく)の天皇(てんわう)は、世界に於(お)ける主(しゆ)師(し)親(しん)の三大神徳(しんとく)を具有し玉ふが故(ゆゑ)に、日本国民たる者は、天皇の大御心(おほみこころ)を心(こころ)とし、世界万民の師範(しはん)となり、救(すく)ひ主(ぬし)となり、親切に導き、以(もつ)て世界平和の一大保証(ほしよう)に立たねばならぬ天賦(てんぷ)の職責を有(も)つて居(ゐ)るのであります。
 『助(たす)ける』皇国(くわうこく)の大道(たいだう)は万物一切を至善(しぜん)の教(をしへ)に導き助けて、各自(かくじ)其(その)使命を全(まつた)からしむるを以(もつ)て主旨(しゆし)とするのである。弱きもの、貧しきもの、幼(をさな)きもの、愚(おろか)なるもの、凡(すべ)て足(た)らざるを補(おぎな)ひ助けて、神と大君(おほぎみ)の大御心(おほみこころ)を安(やすん)じ奉(まつ)る可(べ)き責任ある皇国(くわうこく)の臣民(しんみん)である。茲(ここ)に於(おい)て始めて、スベラ御国(みくに)の臣民たる資格が備(そな)はるのであります。
 『覚(さと)る』とは天地(てんち)未剖(みぼう)陰陽(いんやう)未分(みぶん)の太古(たいこ)より、千億万年の後(のち)の事柄までも、鏡にかけたる如(ごと)く能(よ)く正覚(せいかく)する神智(しんち)神感(しんかん)力(りよく)を云(い)ふ。皇道(くわうだう)大本(おほもと)が古事記を真解(しんかい)し、大本(おほもと)教祖(けうそ)の神諭(しんゆ)を研究する事は、古今(ここん)を通じて謬(あやま)らず、中外(ちうぐわう)に施(ほどこ)して悖(もど)らざる、一大真理を覚悟し、以(もつ)て我(わが)皇国(くわうこく)並(ならび)に皇室の尊厳(そんげん)無比(むひ)にして、天下(てんか)を統御(とうぎよ)し玉ふ天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)の惟神(かむながら)の御(ご)天職(てんしよく)の、如何(いか)なるものなるかを覚(さと)ることを得(う)べし、故(ゆゑ)に皇道(くわうだう)は天地の迷雲(めいうん)を払ひ、真如(しんによ)の日月(じつげつ)を万民の心天(しんてん)に照(てら)す所の神鏡(しんきやう)であります。
 『醒(さま)す』体主(たいしゆ)霊従(れいじう)的人類天下(てんか)に充満して、天理人道を弁(わきま)へず、野獣毒蛇(どくだ)に等しき暗黒世界を、神の大道(たいだう)と大君(おほぎみ)の大勅(おほみことのり)とに由(よ)つて、神人(しんじん)合一(がふいつ)、霊肉一致、鎮魂(ちんこん)帰神(きしん)の権威(けんゐ)に由(よ)り、眠れる霊界(れいかい)物質界の眼(まなこ)を醒(さ)ます可(べ)き真教(しんけう)は、皇道(くわうだう)大本(おほもと)を措(お)いて他(た)に何物(なにもの)もないのであります。
 『栄(さか)ゆる』山(やま)青(あを)く水(みづ)清(きよ)き蓬莱(ほうらい)島(じま)なる日本(につぽん)神国(しんこく)は、皇大神(すめおほかみ)の殊更(ことさら)厚き御(ご)仁恵(じんけい)に依(よ)つて、国運(こくうん)日に月に栄え、竹の園生(そのふ)は万世(ばんせい)に弥(いや)栄えまし、国民(こくみん)は天(あめ)の益人(ますびと)と申(まを)して、人口(じんこう)益々(ますます)稠密(ちうみつ)[※「稠密」は「多く集まってこみあっていること」〔広辞苑〕]の度を日に月に加(くは)へ来(きた)る、実(じつ)に目出度(めでた)き神国(しんこく)であります。斯(かか)る結構な神国(しんこく)に生(うま)れ出(いで)たる臣民(しんみん)は、一日(ひとひ)も片時も神と君(きみ)との大恩(だいおん)を忘れ、不敬不忠の行動を夢にもすることは出来ませぬ。万々一誤(あやま)つて斯(かか)る不心得の事を行(おこな)つたならば、神罰立(たち)どころに到り、栄(さか)ゆベき吾人(ごじん)の名(めい)位(ゐ)寿(じゆ)富(ふ)は忽(たちま)ちにして消え失せ、身魂(しんこん)共に亡(ほろ)ぼさるるに到るのである、アア厳正なる哉(かな)、皇道(くわうだう)の権威。
 『支(ささ)ふる』政治、宗教、教育、実業、経済、哲学、思想界の行(ゆき)詰(つま)りを現出(げんしゆつ)し、社会は将(まさ)に転倒せむとする時に当(あた)りて、克(よ)く之(これ)を支持するものは、皇道(くわうだう)大本(おほもと)の教(をしへ)である。不言(ふげん)実行(じつかう)の大本(おほもと)の教(をしへ)である。斯(かく)の如き闇黒(あんこく)社会は、皇道(くわうだう)の大義(たいぎ)普(あまね)く天下に宣伝さるるに至つて、始めて完全に支持し改良する事の可能なるは、古事記並(ならび)に大本(おほもと)神諭(しんゆ)の示す所であります。
 『誘(さそ)ふ』宇宙万有一切に真(しん)の生命(いのち)を与(あた)へ、安心(あんしん)立命(りつめい)せしむる所の権威ある皇道(くわうだう)は、独り占有すべきもので無く、之(これ)を普(あまね)く天下に宣布(せんぷ)[*底本では「宣布」だが、神霊界では「誘導」。]すべきものである。如何(いか)に暗黒界に浮沈(ふちん)せし人民(じんみん)と雖(いへど)も、皇道(くわうだう)の一大光明(くわうみやう)を認(みと)むる時は、先を争うて集(あつま)り来(きた)り、神徳(しんとく)皇恩(くわうおん)に浴(よく)するは、即(すなは)ち惟神(かむながら)皇道(くわうだう)の実体であります。
 『直(す)ぐ』直(す)ぐなるは万有統一の本義である。大工(だいく)が墨縄(すみなは)を打つも、弓の矢の飛びて的(まと)に中(あた)るも、銃丸(じうぐわん)の的中するも、尺度(しやくど)を用(もち)ふるも、一切直(す)ぐなるを要(えう)す。人の心も亦(また)直(すぐ)ならざれば、何事(なにごと)も成功する事は出来(でき)ぬ。又(また)一旦(いつたん)決心した事は少しも躊躇(ちうちよ)せず、直(す)ぐに断行せざれば機(き)を逸(いつ)する虞(おそれ)がある。神諭(しんゆ)に、神の教(をしへ)を聞いて、其(その)場(ば)で直(す)ぐ分(わか)りて直ぐに改心の出来る者は、素直な身魂(しんこん)の持主(もちぬし)であると現(あら)はれて居(を)ります。十日も二十日も二三ケ月も、神諭(しんゆ)を調べて解(わか)らぬ如(や)うな人は、曲(まが)つた身魂(みたま)であります。直霊(なほひ)の御魂(みたま)の威力が弱い人であります。
 『主(す) 寿(す) 統一(す)』一天(いつてん)万乗(ばんじよう)の大君主(だいくんしゆ)が、天壌(てんじやう)と共に無窮(むきう)に神寿(しんじゆ)を保ち、万世一系に葦原(あしはらの)瑞穂(みづほの)国(くに)(地球の別名)を統一(とういつ)して、安国(やすくに)と平(たひら)けく安(やす)らけく、知食(しろしめ)すが故(ゆゑ)に、皇道(くわうだう)と云(い)ふのである。皇道(くわうだう)は天津(あまつ)誠(まこと)の御教(みをしへ)であつて、人民(じんみん)を愛撫(あいぶ)し仁徳(じんとく)を施(ほどこ)し、現人神(あらひとがみ)と君臨し玉ふ、天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)の御天職であり、覇道(はだう)は外国の帝王等(ら)の暴力を以(もつ)て民(たみ)に対し来(きた)つたもので、覇道(はだう)には権道(けんだう)が伴(ともな)ふのである。故(ゆゑ)に我(わが)皇国(くわうこく)の皇道(くわうだう)は、天地(てんち)開闢(かいびやく)の太初(たいしよ)より、天津神(あまつかみ)の定め玉ひし、所謂(いはゆる)天立(てんりつ)君主(くんしゆ)であつて、天に代(かは)つて道義的に統治遊ばす、惟神(かむながら)の御天職がましますのであります。
 神示は、皇道(くわうだう)の大意(たいい)は、拙著善言(せんげん)美詞(びし)の祝詞(のりと)及び感謝(かんしや)祈願(きぐわん)の辞(ことば)に明(あきら)かでありますから、之(これ)等(ら)を熟読されましたら、少しは判(わか)るであらうと思ひます。
 日本(につぽん)言霊学(げんれいがく)により、更に皇声(すごゑ)の略解を試みますれば、
 『中(なか)に集(あつ)まる言霊(ことたま)』とは、宇宙一切万事(ばんじ)は凡(すべ)て⦿(ス)に集まると云(い)ふことであります。地球の大中心なる(地質学上)日本国には、世界の文物(ぶんぶつ)自然に朝宗(てうそう)すると云(い)ふ国徳(こくとく)が備(そな)はつて居(を)ります。宗教にまれ、哲学にまれ、一切の思想問題にまれ、科学にまれ、自然的に集中するが故(ゆゑ)に、皇(す)の国(くに)と謂(い)ふのである。
 『真中真心(まなか)也、八極(はちきよく)に統(す)べ居(を)る也』の活用(くわつよう)は、日本国水土(すゐど)自然の皇国の天賦(てんぷ)的天職を示すものである。
 『数(かず)の限(かぎ)り住(す)む也』とは、神皇(しんわう)の洪慈(こうじ)大徳(たいとく)普(あまね)く行(ゆき)渡(わた)れる瑞穂(みづほの)中津(なかつ)国(くに)は、宇宙の所在(あらゆる)生物(せいぶつ)、人獣(じんじう)鳥魚(てうぎよ)虫介(ちうかい)一切其(その)所(ところ)を得て安住し、且(か)つ天(あめ)の益人(ますびと)の数(かず)は日に月に増加し、深山(みやま)の奥の奥までも煙の立たぬ所なきまで、生民(せいみん)の安住して、神恩(しんおん)霊徳(れいとく)に浴(よく)する天国浄土である。故(ゆゑ)に之(これ)を皇国(くわうこく)と申(まを)すのであります。
 『本末(ほんまつ)を一徹(いつてつ)に貫(つらぬ)く也』君(きみ)は万古(ばんこ)不易(ふえき)の君(きみ)たり、臣民(しんみん)は万古(ばんこ)の臣民(しんみん)たり、君臣(くんしん)の大義名分明(あきら)かにして、本末(ほんまつ)内外(ないぐわい)を過(あやま)たず、君(きみ)は民(たみ)を視(み)玉(たま)ふ事(こと)慈母(じぼ)の赤子(せきし)に於(お)けるが如く、民(たみ)は君(きみ)を敬ひ慕ふ事(こと)父母の如く、終始(しうし)一貫(いつくわん)万世一系真善美(しんぜんび)の国体(こくたい)を保てる我(わが)皇国は、天来(てんらい)の皇道(くわうだう)炳乎(へいこ)として千秋(せんしう)に輝き玉ふ所以(ゆゑん)であります。
 『玉(たま)也』五百津(いほつ)御統瓊(みすまる)の玉(たま)は、天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)の玉体(ぎよくたい)也、八面(はちめん)玲瓏(れいろう)一点の瑾(きづ)なき八尺(やさか)の真賀玉(まがたま)こそは、統治権の主体にして、皇道(くわうだう)の大極であります。
 『結(むす)び産(う)む也』天地交感(かうかん)して万物発生し、夫婦相(あひ)結(むす)びて子女(しぢよ)を産む、是(こ)れ高皇(たかみ)産霊(むすびの)神(かみ)、神皇(かむみ)産霊(むすびの)神(かみ)の妙用にして、皇道(くわうだう)の因(よ)つて来(く)る所以(ゆゑん)であります。
 『八咫(やあた)に伸(の)び極(きはむ)る也』八方十方に明(あきら)かに、神と皇上(くわうじやう)との大徳(だいとく)自然に伸長(しんちやう)し、至仁(しじん)至治(しち)の極徳(きよくとく)を宇内(うだい)に光被(くわうひ)し玉(たま)ふ、是(これ)を皇道(くわうだう)と申(まを)すのであります。
 『限(かぎ)り無(な)く無為(すみきる)也』不言(ふげん)の教(をしへ)無為(むゐ)の化(くわ)、これ皇道(くわうだう)の真髄である。古書(こしよ)にも惟神(かむながら)言挙(ことあ)げせぬ国とある如く、不言実行を以(もつ)て、天下を統御し玉ふ御(おん)国体(こくたい)であつて、下(しも)国民(こくみん)は天津神(あまつかみ)の御子孫なる歴代の天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)を奉戴(ほうたい)し、克(よ)く忠(ちう)に克(よ)く孝(かう)に、夫婦相(わひ)和(わ)し朋友(ほういう)相(あひ)信じ、兄弟(けいてい)に友(いう)に億兆一心(いつしん)、上下(じやうか)一致、以(もつ)て皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)の御(ご)遺訓(ゐくん)に奉答(ほうたふ)すべきは、皇国臣民(しんみん)の義務にして皇道(くわうだう)の大精神である。此(この)大精神を無限に世界各国に対して、実行の範(はん)を示すのが、皇道(くわうだう)の本義であります。
 『出入(いでいる)息(いき)也、呼吸(こきふ)共(とも)に顕(あらは)るる声(こゑ)也』酸素を吸入(きふにふ)し炭酸を吐出(としゆつ)する活用にして呼吸(こきふ)共(とも)にスースーと声を発す。此(こ)のスの声(ヽ)の活用こそ万物を生育し生命(せいめい)を与(あた)ふる神気(しんき)にして、天地(てんち)造化(ざうくわ)の一大機関である。天帝(てんてい)呼吸(こきふ)し太陽また呼吸し、太陰、大地、人類、万物一切呼吸せざるもの無く、斯(こ)の呼吸のスの声(こゑ)の活動(くわつどう)によりて、神人(しんじん)立命(りつめい)するのである。是(これ)を皇道(くわうだう)の大本(おほもと)と申(まを)すのであります。
 『結柱(むすびはしら)也』ウクスツヌフムユルウを言霊学(げんれいがく)の上より結(むす)びの段と云(い)ふ。其(その)中(なか)にて最(もつと)も統一する所の言霊(ことたま)はスの声(こゑ)である。即(すなは)ち結(むす)び柱(はしら)であり、七十五声(せい)の中に於(おい)て最(もつと)も権威ある言霊(ことたま)である。現今(げんこん)七十五箇(か)国(こく)を言向(ことむけ)和(やは)す、絶対的権威はスの声(こゑ)の活用、皇道(くわうだう)の発揮に依(よ)らねば成らぬのであります。
 『安々(やすやす)の色(いろ)也』小児(せうに)の寝て居(ゐ)る姿を見ると、実に安らかにスースーと息をして何(な)んとも言へぬ姿である。天下万民悉(ことごと)く皇道(くわうだう)発揚(はつやう)して、天下統一し、地上に天立(てんりつ)君主が君臨し玉ふ時は、小児の安々と眠りたる時の如く、世界万民枕(まくら)を高(たか)うして安息する事が出来、天国浄土の成就(ぜうじゆ)する時が来(く)るのである。是(これ)が即(すなは)ち皇道(くわうだう)の大精神である。皇国天皇の世界統御(とうぎよ)は、道義的御統一であつて、外国の如く侵略でも無く、併呑(へいどん)でも無く、植民政策でも無く、各自(かくじ)の国の天賦(てんぷ)的使命を全(まつた)うして、神恩(しんおん)君徳(くんとく)に悦服(えつぷく)するやうになるのであります。
 『自由自在(するままにする)也』天地は神の自由自在である。故(ゆゑ)に神の御子(みこ)たる人類は、天地の大道(たいだう)に遵(したが)つて、総(すべ)ての経綸(けいりん)を為(な)すも自由自在にして一片の障害も湧起(ゆうき)せぬ筈(はず)である。然(しか)るに万事(ばんじ)意の如く成らずと称して、天地神明(しんめい)を恨(うら)むものは、神に依(よ)りての精神統一言行(げんかう)一致が出来て居(を)らぬからである。皇道(くわうだう)の本義にさへ叶(かな)へば、天下何物(なにもの)と雖(いへど)も意の如く自由自在ならざるは無しであります。
 『素(もと)の儘(まま)也』天地自然の儘(まま)素地(そち)の儘(まま)にして、少しの粉飾も無く外皮(ぐわいひ)も無く、惟神(かむながら)の大道(たいだう)に従つて赤裸々(せきらら)なるを素(そ)と云(い)ふのである。仮(たと)へば皇道(くわうだう)にては神社を造営するにも白木(しらき)の素地(そち)の儘(まま)を用(もち)ひ、祭具(さいぐ)一切は木地(きぢ)の儘(まま)であるに引(ひき)替(か)へ、仏教の如きは、金銀其(その)他(た)の色を塗りて、仏堂(ぶつだう)、霊像(れいざう)、仏具を造るが如し。皇道(くわうだう)は素(そ)の儘(まま)なるを尊(たふと)ぶ、之(これ)を素(もと)の儘(まま)といふのである。何事(なにごと)も包み隠さず、有(あり)の儘(まま)赤裸々(せきらら)にして、純正純直なる言行(げんかう)を励(はげ)む。是(これ)が皇道(くわうだう)の本義であります。
 其(その)他(た)スの活用たるや[*底本では「其他スの活用たるや」だが神霊界では「其他皇道の大本スの活用たるや」になっている。]、至大(しだい)天球(てんきう)の内外(ないぐわい)悉(ことごと)くを涵(ひた)し保(たも)ち極乎(きよくこ)として神聖不可犯(ふかはん)の神権を具(そな)へ、無所不至(いたらざるところなく)、無所不為(なさざるところなく)[*底本ではレ点が入り「無㆑所㆑不㆑至、無㆑所㆑不㆑為」。]、一切の霊魂球(れいこんきう)を涵(ひた)し、有(う)の極(きよく)也。声(こゑ)の精(せい)也。地球外面(ぐわいめん)を統(す)べ治め、宇宙万有を生成(せいせい)化育(くわいく)せしむるの言霊(ことたま)にして、皇道(くわうだう)の大本元(だいほんげん)は⦿(ス)より始まりて⦿(ス)に納まる絶対無限の神力(しんりき)であります。[*神霊界ではここに文章が12行入る。]
 皇道(くわうだう)はもと天地自然の大法(たいはふ)であつて、大虚(たいきよ)霊明(れいめい)なるが故(ゆゑ)に無名(むめい)無為(むゐ)である。実にスミキリである。故(ゆゑ)に天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)天皇(てんわう)の皇室を中心として、団結せる大和民族の当然遵守(じゆんしゆ)すべき公道であつて、天地惟神(かむながら)の大経(たいけい)なるが故(ゆゑ)に、彼(か)の宗教教法(けいはふ)の如く、人為的の教(をしへ)ではなく、皇祖(くわうそ)天照(あまてらす)大神(おほかみ)の神勅(しんちよく)に源(みなもと)を発し、歴代の聖皇(せいくわう)之(これ)を継承し玉ひて、天武(てんむ)天皇の詔(の)らせ玉ヘる如く、斯乃(これすなはち)邦家(ほうか)之(の)経緯(けいゐ)、王化(わうくわ)之(の)鴻基(こうき)焉(なり)である。之(これ)を一国(いつこく)に施(ほどこ)せば一国安(やす)く、之(これ)を万国に施せば万国安く、一家之(これ)に依(よ)つて隆(さか)ヘ、一身(いつしん)之(これ)に依(よ)つて正(せい)を保(たも)つの大経(たいけい)である。
 上御一人(かみごいちにん)としては、万世一系天壌(てんじやう)無窮(むきう)の宝祚(ほうそ)を継承し、皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)を崇敬し、大(だい)日本(につぽん)国(こく)に君臨して、世界を統治し以(もつ)て皇基(くわうき)を鞏(かた)め給ひ、下(しも)臣民(しんみん)の翼賛(よくさん)に依(よ)りて、国家の隆昌(りうしやう)と其(その)進運(しんうん)を扶持(ふぢ)し玉ふ、而(しか)して祖宗(そそう)の恵撫(けいぶ)愛養(あいやう)し給ひし所の忠良なる臣民(しんみん)を親愛(しんあい)し、以(もつ)て其(その)福祉を増進し、其(その)懿徳(いとく)良能(りやうのう)を発達せしめむ事を期(き)し玉ひ、臣民(しんみん)と倶(とも)に之(これ)を遵守(じゆんしゆ)し、拳々(けんけん)服膺(ふくよう)して、其(その)徳(とく)を一にせむことを庶幾(こひねが)はせ給ふ所の御(おん)道(みち)たることは明治天皇の大(だい)勅語(ちよくご)に示させ玉ふ所であります。
 下(しも)臣民(しんみん)としては、
 皇祖(くわうそ)天神(てんしん)地祇(ちぎ)を崇敬し、皇室を尊び、祖先を鄭重(ていちよう)に祭祀し、且(か)つ祖先の遺風(ゐふう)を顕彰し、克(よ)く忠(ちう)に克(よ)く孝(かう)に義勇(ぎゆう)奉公(ほうこう)の至誠(しせい)を以(もつ)て、天壌(てんじやう)無窮(むきう)の皇運(くわううん)を扶翼(ふよく)し奉(まつ)り、国体(こくたい)の精華(せいくわ)たる皇道(くわうだう)を体(たい)して億兆其(その)心(こころ)を一にし、拳々(けんけん)服膺(ふくよう)して、以(もつ)て咸(みな)其(その)徳(とく)を一にせむことを期し、必ず実践躬行(きうかう)すベき天地の大道(たいだう)であります。
 大量(たいりやう)は測る可(べ)からず、大度(たいど)は尺(しやく)すベからずとは、其(その)容(かたち)無(な)く其(その)窮(きは)まりなきを以(もつ)てである。皇道(くわうだう)は冲(ちう)なり虚(きよ)なり。玄々(げんげん)として、乾天(かんてん)の位(くらゐ)の如く、淵乎(えんこ)として万物の宗(そう)たり。虚中(きよちう)に霊気(れいき)ありて自然の妙用を具(そな)ふ。虚(きよ)なるが故(ゆゑ)に能(よ)く他(た)を容(い)れ、能(よ)く他(た)を化(くわ)するのである。名(な)はなけれど世と倶(とも)に進み、容(かたち)無(な)けれど時と倶(とも)に移りて万教(ばんけう)を同化し万法(ばんぽふ)を摂養(せつやう)す。虚(きよ)中(ちう)の虚(きよ)、霊(れい)中(ちう)の霊(れい)、神妙不可測(ふかそく)の聖道(せいだう)である、亦(また)皇道(くわうだう)は、神洲(しんしう)の精気(せいき)であつて、日本(やまと)民族の血液である。皇国上代(じやうだい)の凡(すべ)ては自(おのづか)ら純朴(じゆんぼく)高雅(かうが)にして、烝々(じやうじやう)たる皇民(くわうみん)は、敬神(けいしん)尊皇(そんわう)報国(はうこく)の念(ねん)深く、其(そ)の人為(ひととなり)や天真(てんしん)爛漫(らんまん)にして、其(その)行動(かうどう)自然の法規に適(かな)ひ、諸外国の未開(みかい)野蛮(やばん)極(きは)まる風習と、相(あい)距(さ)る事雲泥(うんでい)の相違である。是(こ)れ全く神代(かみよ)以降列聖(れつせい)の皇道(くわうだう)を遵奉(じゆんぽう)して、国民の教養に神慮(しんりよ)を煩(わづら)はせ玉ひし、御(ご)余光(よくわう)に外(ほか)ならないのであります。

 畏(かしこ)くも明治天皇は、明治三年正月三日を以て『大教(たいけう)宣布(せんぷ)の詔(みことのり)』を降(くだ)し玉ひました。[*次の「大教宣布詔」及び「億兆安撫国威宣布の御宸翰」は詔勅の原本と照合してみると文字が間違っている箇所がある。しかしここでは底本通りとした。]
   大教宣布詔
『朕(ちん)恭(うやうや)シク惟(おもんみ)ルニ、天神(てんしん)、天祖(てんそ)極(きよく)ヲ立(た)テ統(とう)ヲ垂(た)レ、列皇(れつくわう)相(あひ)承(う)ケ、之(これ)ヲ継(つ)ギ之(これ)ヲ述(の)ブ。祭政(さいせい)一致(いつち)億兆(おくてう)同心(どうしん)、治教(ぢけう)上(かみ)ニ明(あきら)カニ、風俗(ふうぞく)下(しも)ニ美(び)ナリキ。而(しか)シテ中世(ちうせい)以降(いかう)時(とき)ニ汚隆(をりう)アリ。道(みち)ニ顕晦(けんまい)アリ。治教(ぢけう)ノ洽(あまね)カラザルヤ久(ひさ)シ。今(いま)ヤ天運(てんうん)循環(じゆんくわん)シ、百度(ひやくど)維(これ)新(あらた)ナリ。宜(よろ)シク治教(ぢけう)ヲ明(あきら)カニシ、以(もつ)テ惟神(かむながら)ノ大道(たいだう)ヲ宣揚(せんやう)スベキ也。因(よ)リテ新(あらた)ニ宣教師(せんけうし)ヲ命(めい)ジ教(をしへ)ヲ天下(てんか)ニ布(し)ク。汝(なんぢ)群臣(ぐんしん)衆庶(しゆうしよ)其(そ)レ 朕(ちん)ガ旨(むね)ヲ体(たい)セヨ。』

   億兆安撫国威宣布の御宸翰
         明治元年三月十四日
『朕(ちん)幼弱(えうじやく)ヲ以(もつ)テ猝(にはか)ニ大統(たいとう)ヲ紹(つ)ギ、爾来(じらい)何(なに)ヲ以(もつ)テ万国(ばんこく)ニ対立(たいりつ)シ、列祖(れつそ)ニ事(つか)ヘ奉(まつ)ランヤト、朝夕(てうせき)恐懼(きようく)ニ堪(た)ヘザルナリ。窃(ひそか)ニ考(かんが)フルニ中葉(ちうえう)朝政(てうせい)衰(おとろ)ヘテヨリ。武家(ぶけ)権(けん)ヲ専(もつぱら)ニシ、表(おもて)ハ朝廷(てうてい)ヲ推尊(すゐそん)シテ、実(じつ)ハ敬(けい)シテ是(これ)ヲ遠(とほ)ザケ、億兆(おくてう)ノ父母(ふぼ)トシテ、絶(た)ヘテ赤子(せきし)ノ情(じやう)ヲ知(し)ル事(こと)能(あた)ハザルヤウ計(はか)リナシ、遂(つひ)ニ億兆(おくてう)ノ君(きみ)タルモ唯(ただ)名(な)ノミニ成(な)リ果(は)テ、其(そ)レガ為(ため)ニ今日(こんにち)朝廷(てうてい)ノ尊重(そんちよう)ハ古(いにしへ)ニ倍(ばい)セシガ如(ごと)クニテ、朝威(てうゐ)ハ倍(ますます)衰(おとろ)ヘ、上下(じやうか)相(あひ)離(はな)ルルコト霄壌(しようじよう)ノ如(ごと)シ。カカル形勢(けいせい)ニテ、何(なに)ヲ以(もつ)テ天下(てんか)ニ君臨(くんりん)センヤ、今般(こんぱん)朝政(てうせい)一新(いつしん)ノ時(とき)ニ膺(あた)タリ天下(てんか)億兆(おくてう)一人(いちにん)モ其処(そこ)ヲ得(え)ザル時(とき)ハ、皆(みな) 朕(ちん)ガ罪(つみ)ナレバ今日(こんにち)ノ事(こと) 朕(ちん)自(みづか)ラ身骨(しんこつ)ヲ労(らう)シ心志(しんし)ヲ苦(くる)シメ、艱難(かんなん)ノ先(さき)ニ立(た)チ、古(いにし)ヘ列祖(れつそ)ノ尽(つ)クサセ給(たま)ヒシ跡(あと)ヲ履(ふ)ミ、治蹟(ぢせき)ヲ勤(つと)メテコソ始(はじ)メテ天職(てんしよく)ヲ奉(ほう)ジテ億兆(おくてう)ノ君(きみ)タル所(ところ)ニ背(そむ)カザルベシ。往昔(わうせき)列祖(れつそ)万機(ばんき)ヲ親(みづか)ラシ、不臣(ふしん)ノ者(もの)アレバ自(みづか)ラ将(しやう)トシテ之(これ)ヲ征(せい)シ給(たま)ヒ、朝廷(てうてい)ノ政(まつりごと)総(すべ)テ簡易(かんゐ)ニシテ、如此(かくのごと)ク尊重(そんちよう)ナラザル故(ゆゑ)、君臣(くんしん)相(あひ)親(した)シミテ上下(じやうか)相(あひ)愛(あい)シ、徳沢(とくたく)天下(てんか)ニ洽(あまね)ク国威(こくゐ)海外(かいぐわい)ニ輝(かがや)キシナリ、然(しか)ルニ近来(きんらい)宇内(うだい)大(おほい)ニ開(ひら)ケ、各国(かくこく)四方(よも)ニ相(あひ)雄飛(ゆうひ)スルノ時(とき)ニ当(あた)リ、独(ひと)リ我(わが)邦(くに)ノミ世界(せかい)ノ形勢(けいせい)ニ疎(うと)ク旧習(きうしふ)ヲ固守(こしゆ)シ一新(いつしん)ノ効(かう)ヲ計(はか)ラズ 朕(ちん)徒(いたづ)ラニ九重(ここのへ)ノ中(うち)ニ安居(あんきよ)シ、一日(いちにち)ノ安(やす)キヲ偸(ぬす)ミ百年(ひやくねん)ノ憂(うれひ)ヲ忘(わす)ルル時(とき)ハ、遂(つひ)ニ各国(かくこく)ノ凌侮(りやうぶ)ヲ受(う)ケ、上(かみ)ハ列祖(れつそ)ヲ辱(はづか)シメ奉(まつ)リ、下(しも)ハ億兆(おくてう)ヲ苦(くる)シメム事(こと)ヲ恐(おそ)ル。故(ゆゑ)ニ 朕(ちん)茲(ここ)ニ百官(ひやくくわん)諸侯(しよこう)ト広(ひろ)ク相(あひ)誓(ちか)ヒ、列祖(れつそ)ノ御(ご)偉業(ゐげふ)ヲ継述(けいじゆつ)シ、一身(いつしん)ノ艱難(かんなん)辛苦(しんく)ヲ問(と)ハズ、親(みづか)ラ四方(よも)ヲ経営(けいえい)シ汝(なんぢ)億兆(おくてう)ヲ安撫(あんぶ)シ、遂(つひ)ニ万里(ばんり)ノ波濤(はたう)ヲ拓開(たくかい)シ、国威(こくゐ)ヲ四方(よも)ニ宣布(せんぷ)シ、天下(てんか)ヲ富岳(ふがく)ノ安(やす)キニ置(お)カムコトヲ欲(ほつ)ス。汝(なんぢ)億兆(おくてう)旧来(きうらい)ノ陋習(ろうしふ)ニ慣(な)レ、尊重(そんちよう)ノミヲ朝廷(てうてい)ノ事(こと)トナシ神洲(しんしう)ノ危急(ききふ)ヲシラズ 朕(ちん)一度(ひとた)ビ足(あし)ヲ挙(あ)グレバ、非常(ひじやう)ニ驚(おどろ)キ、種々(しゆじゆ)ノ疑惑(ぎわく)ヲ生(しやう)ジ、万口(ばんこう)紛紜(ふんうん)トシテ 朕(ちん)ガ志(こころざし)ヲ為(な)サザラシムル時(とき)ハ、是(こ)レ朕(ちん)ヲシテ君(きみ)タル道(みち)ヲ失(うしな)ハシムルノミナラズ、従(したが)ツテ列祖(れつそ)ノ天下(てんか)ヲ失(うしな)ハシムルナリ。汝(なんぢ)能々(よくよく) 朕(ちん)ガ志(こころざし)ヲ体認(たいにん)シ、相(あひ)率(ひきゐ)テ私見(しけん)ヲ去(さ)リ公議(こうぎ)ヲ採(と)リ、朕(ちん)ガ業(げふ)ヲ助(たす)ケテ神洲(しんしう)ヲ保全(ほぜん)シ、列聖(れつせい)ノ神霊(しんれい)ヲ慰(なぐさ)メ奉(まつ)ラシメバ、生前(せいぜん)ノ幸福(かうふく)ナラム』
 嗚呼(ああ)畏(かしこ)し明治天皇の御(ご)神慮(しんりよ)を拝し奉(まつ)りて、陛下の赤子(せきし)たるもの至誠一貫聖旨(せいし)に報答(ほうたふ)せずにおけませう乎(か)。我(わが)等(ら)臣民悠々(ゆうゆう)として、長夜(ちやうや)の夢を貪(むさぼ)るべき時でありませう乎(か)。奮起せられよ、日本帝国の臣民諸士勤(つと)めよや、皇道大本の教信徒(けうしんと)諸氏
 以上の御(ご)宸翰(しんかん)を拝し奉(まつ)りて、陛下の御(ご)仁慈(じんじ)に感泣(かんきふ)せざるものが有(あ)りませう乎(か)。今日(こんにち)の世に斯(かく)の如き御神慮を、上下(じやうか)の臣民が遵奉(じゆんぽう)し奉(まつ)つたならば、天下は実に無事安穏(あんをん)でなければならぬ筈(はず)である。現代の日本国民中、以上の御宸翰を心得(こころえ)奉(まつ)り居(を)るものは、実に暁天(ぎやうてん)の星の数にも等しいやうな感じがするのである。社会主義やデモクラシーや労働問題や、サンヂカリズム[※サンディカリスム(syndicalisme)「19世紀末から20世紀初めにかけて、西ヨーロッパ、特にフランスで盛んであった急進的労働組合主義。労働組合が一切の政党活動を排除し、ゼネストや直接行動によって産業管理を実現し、社会改造を達成しようとする立場。」〔広辞苑〕]の如き不祥(ふしやう)なる言論は、旭日(きよくじつ)に露(つゆ)の消ゆるが如く、忽(たちま)ち其(その)影だにも無きに至るのであります。
 皇道大本は神明(しんめい)を敬ひ、皇祖(くわうそ)皇宗(くわうそう)の御遺訓を遵奉(じゆんぽう)し以(もつ)て、陛下の御(ご)聖旨(せいし)に答へ奉(まつ)らむとする、至誠純忠(じゆんちう)の人士を養成する聖なる教団であります。然(しか)るに好事(かうじ)魔(ま)多(おほ)しとても申しますか、商売主義の各地の新聞雑誌等(とう)は口(くち)を極めて、皇道大本を批難し甚(はなは)だしきは、不敬不忠の団体の如くに、罵(ののし)つたものさへ在(あ)るのであります。また一旦(いつたん)大本に入信し、大本に於(お)ける権力を握らむとして成(あ)らざりし、四五の偽(ぎ)信者(しんじや)などが、各地の新聞雑誌に投書したり、変態心理学者が大本を悪評して、世人(せじん)の機嫌をとり書籍の販売に便(べん)したり、色々雑多の妨害運動が今日至る処(ところ)に現(あら)はれて来ました。併(しか)し釈迦(しやか)にも提婆(だいば)、鯨(くぢら)に鯱(しやち)と云ふ事があつて、キリストも教敵(けうてき)の為弟子(でし)の為に十字架に釘(くぎ)付(つ)けられ、日蓮(にちれん)上人(しやうにん)が竜(たつ)の口(くち)に首を刎(は)ねられむとした如く、喬木(けうぼく)風(かぜ)強(つよ)く中(あた)るの例(たと)への通り、大(だい)なる器(うつは)には大なる陰(かげ)のさすもので、弥々(いよいよ)皇道大本も天下の大本と成りかけて来ました。併(しか)し世界二十億の人類は残らず聖人賢者斗(ばか)りでありませぬから、新聞や雑誌の無根(むこん)の記事を軽信(けいしん)して、折角の神縁(しんえん)に近づかない人が出来るのは斯道(しだう)の為に悲しむべき事であります。宗教家は自分等(ら)の奉ずる宗教を、死守せむとする打算上より殊更(ことさら)に大本を攻撃し、学者は自己の学説の光の薄らぐ事を防ぐために故意に大本を批難するのである。仏(ほとけ)の教(をしへ)にも弥勒(みろく)出現の際には、大自在天(だいじざいてん)[*底本は「在」ではなく「生」だが誤字であろう。]といふ強敵が現(あら)はれて、絶対的に反対をすると云ふ意味が示してある。何(いづ)れの世にも多少の反対や、妨害は免(まぬが)るべからざるものと覚悟して、何事も世間の批評は心意(しんい)に介(かい)せず、至誠一貫神界と君国(くんこく)の為に尽(つく)すのが吾々(われわれ)の永年(えいねん)の希望であります。
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