霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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澄の初奉公

インフォメーション
題名:02 澄の初奉公 著者:出口和明
ページ:46 目次メモ:
概要:子どもだけで留守番をしていてボヤ騒ぎ。借金返済のため、龍(10歳)も澄(7歳)も奉公に出ることになる。澄は福知山へ子守りの奉公に出る。 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-05-01 02:37:58 OBC :B138904c02
0001 昼間、0002母のいない淋しさを喧嘩やいたずらでまぎらわせていた澄も、0003慣れてくるといくらか落ちついて、0004梅子を加えた三人で山へ枯れ木集めに行くようになった。0005栗や(きのこ)も探した。0006採ってきたものは仕事から帰った母を喜ばせ、0007夜の粥に入れられてぐつぐつ煮られた。0008言いようもなくうまかった。0009貧乏人の子にも、0010それなりの楽しみが四季の野山にころがっていた。
0011 ある時、0012三人は稲山でひとかたまりの大きなしめじ茸を見つけた。0013眼をまん丸くみはった龍が、0014信じられぬように言った。
0015「ほんまのしめじじゃろか。0016毒茸と違うかいな」
0017 形をこわさぬよう家までかわるがわる運んだが、0018母の帰りを待つうちに、0019おなかがクーッとすいてくる。
0020 ついに澄が言った。
0021「ちょっと味試ししてみよで。0022毒やったらぐあい悪いもん……」
0023「そうやなあ」
0024 龍もすぐに賛成し、0025とってきた枯れ木をくどに入れて火をつけ、0026鍋でひとつだけ茹でてみた。0027茹で上がった茸をまず味見する。
0028「どうやい」と龍が聞くと、0029澄は「うまいでよう」と感に耐えぬ声を出す。
0030「毒茸ちがうやろなあ。0031まだおなか痛うならんか」と龍が不安げに聞いた。
0032「なんともあらへん」と澄は言い、0033「もう一つ」と茸を鍋に入れる。0034龍も梅子も負けずに自分の分を入れる。
0035 次々と茸は煮られ、0036子供たちの腹中に納まり、0037母が帰ってきた時はきれいに処分されていた。
0038「こんなにあったんやで」と、0039澄が両手をいっぱいに開いてみせ、0040梅子も負けずに両手を開いた。0041子供たちのあまりの喜びように、0042直は子供たちだけで火をいじったことをつい叱りそびれた。
0043 次の日、0044三人は若宮神社の裏山に登って、0045柴栗を拾った。0046昨日のしめじで味をしめた三人は、0047さっそく家に帰って栗を煮はじめた。0048煮えるまで石けりしようと龍と澄が表へ出た時、0049火のついた柴がくどからころげ落ち、0050そばの(わら)に燃え移った。0051梅子の異様な叫びでふり返ると、0052背よりも高く火柱があがっている。
0053「火事やでえ」
0054 澄が叫ぶ。0055向かいの安藤金助が聞きつけ、0056とんできて消し止めてくれた。
0057 金助は龍や澄を可愛がっていたが、0058この出来事には震え上がり、0059「もう絶対に火遊びなどせんでくれよ」と青い顔で言いきかせた。
0060 小心な金助は子供らを叱っただけで安心できず、0061組頭の四方源之助の家へ訴えに出かけた。0062間もなく源之助が金助と連れ立って来て、0063土間の様子を眺めまわし、0064ぶすりとつぶやいた。
0065「ほんまにこんな小さい子らに留守番させとくのはどてらい危険なこっちゃし、0066第一はた迷惑じゃのう」そして、0067声をやわらげて、0068「お母はんが戻ったら、0069用があるさかい、0070すぐ来てもろうて。0071忘れんとそう言うのやで」と念を押して引き揚げた。
0072 三人はしゅんとしてひとかたまりに坐ったまま、0073母を待った。0074今日ばかりは母の足音を聞くのがつらかった。
0075「もどったでえ」
0076 いつもの声が門口からかかる。0077三人はびくっと顔見合わせたが、0078覚悟を決めて、0079澄が土間に出迎えた。
0080「あのええ、0081組頭のおっちゃんがなあ、0082母さんが戻ってきたら、0083すぐ来てくれって……」
0084「そうかい、0085なんでじゃろ」
0086 直は首をかしげたが、0087澄はうつむいたきり、0088小火(ぼや)を出したことは言えなかった。
0089 その足で出て行き、0090やがて帰ってきた直は、0091じっと涙ぐんだ眼で子供たちに向かい、0092静かな、0093胸にしみるような声で言った。
0094「昨日のうち叱っとかなんだのは、0095母さんが悪かった。0096これで火の怖さはよう分かったやろさかい、0097もう自分たちで煮たきだけはせんようにな」
0098 この事件があって、0099組から出口家に強硬な申し出があった。
0100「こんな小さい子に留守番させとくのん、0101危のうてかなわん。0102子供たちを何とかするか、0103出口家が本宮から立ちのいてほしい」
0104 仕方なく直は、0105昼のうちだけ子供たちを北西町の大槻家へ預けることにした。0106直は米の夫である大槻鹿蔵の人柄をきらい、0107ふだんはあまり往き来しないのだが、0108幼い子を預けるとなると、0109やはり綾部では大槻家を頼るしかなかったのだ。
0110 龍と澄は母といっしょに家を出て途中で別れ、0111大槻家へ向かう。0112梅子も、0113昼間だけ金助の家へ預けられた。0114十二歳の伝吉は前垂れ姿で牛肉屋の店先で立ち働いているが、0115二人を見ると、0116嬉しそうにニッと笑って迎えるのだった。
0117 伝吉が二人のすぐ上の兄であることを、0118姉妹は知らされていた。0119だから姉妹も、0120伝吉には特別の親愛感を示した。
0121 伝吉は小学校を四年でやめ、0122朝間は店を手伝い、0123午後の一時を西新町の浄光寺住職の夫人楠はるえに学んでいた。0124だから直の八人の子のうち、0125曲がりなりにも師について読み書きを学んだのは伝吉だけである。
0126 家に入ると、0127すぐに鹿蔵につかまる。
0128「おお、0129ちょうどよいとこへ来たなあ。0130お澄、0131肩うってくれい」
0132 鹿蔵は、0133おとなしい龍よりも権太の澄の方が気やすいのか、0134肩たたきはいつも澄を指名する。0135澄が「よっしゃ」と気さくに肩を打つと、0136鹿蔵は退屈しのぎにからかう。
0137「お澄や、0138名案があるばい。0139お前はかわいい顔しとるさかい、0140町屋へ嫁にやる。0141お龍はそうでもないさかい、0142田舎の百姓家へやる。0143そしてわしは、0144お澄のとこから金と酒をせびってくる。0145お龍からは米と野菜をもらってくる。0146どうや」
0147「いやぜい。0148うち、0149おじさんが来ても、0150なんにもやらんわいな」と澄が言う。
0151 鹿蔵は急におそろしい声を出してみせる。
0152「わしのいうことをきけん奴は摂州(せっしゅう)へ年季奉公に出しちゃるぞ。0153摂州へ行くとな、0154お前らはちんこうて目方が軽いさかい、0155背中に重い石くくられて、0156一日米ふみさせられるぞう」
0157 綾部地方では、0158子供を叱るのに摂州をよく引き合いに出したらしい。0159たとえば「そんなことしたら、0160つのこにやるで」という風に。0161つのことは、0162津の国、0163つまり摂州をさすのであろう。0164摂州は寒天どころ、0165その出稼ぎはかなりつらかったらしく、0166おどす大人の言葉にも、0167迫真味(はくしんみ)があったことだろう。
0168 龍も澄も本気で怯える。0169やりかねない鹿蔵だからである。0170肩肌ぬいだ鹿蔵の背中一面の入墨(いれずみ)の弁天がにたっと笑ったようで、0171いっそう無気味である。0172鹿蔵はようやく肩たたきから澄を放免し、0173大きなのびをしながら、0174まだ憎いことをつけ加えた。
0175「よしよし、0176よう打った。0177褒美にはのう、0178牝牛の金玉や馬の角や蛙のへその雑煮を食わしちゃるでよ。0179ひとっ走り買うてこいやい」
0180 米は龍や澄にやさしくしてくれたが、0181澄は米のまわりにただようどこか崩れた雰囲気になじめなかった。0182米は「お澄や、0183よいもん見せたげる」と袂をめくり、0184むっちりした白い二の腕を突き出す。0185腕の中に玉ころがあった。0186澄が指先でさわると、0187熱くこりこりした感触で、0188気味悪い。
0189「これはなあ、0190宮絹という人の霊やでよ。0191これ宮絹はん……」
0192 米がさもいとしげに玉に口づけし話しかけると、0193玉は上下にころがり、0194あちこちと走り廻る。
0195「宮絹はん、0196ここにおっちゃったら誰にも邪魔されんさかい、0197遠慮せんといつまでも私の体にいとくれなはれ」
0198 その言葉が理解できるのか、0199玉は嬉々として跳ね廻り、0200その度にやわらかい皮膚が伸び縮んだ。
0201 宮絹が米の昔の恋人だったらしいとは、0202澄にも察せられた。0203鹿蔵という夫がありながら宮絹を忘れられぬという姉に、0204澄は不潔なものを感じるのであった。
0205 ある日、0206澄は一人で山へ登った。0207枯れ木を集めて束ね、0208小さな肩に背負う。0209手にもった袋は、0210拾った団栗(どんぐり)でふくれていた。0211枯れ木は大槻家のたき物になるが、0212団栗は拾いためておいて母に渡す。0213母はそれを石臼に入れて、0214てぐという槌で打ち、0215それを晒して団子にした。0216団栗団子はうまいとはいえないが、0217代用食によく食べた。0218母も屑買いの道すがら、0219団栗を拾い集めていた。
0220 母は何一つむだにせぬ人で、0221稲や麦の落ち穂をみつければ、0222ひとつでも大切にしまっておいて粥にした。0223「米一粒には神さまが三人いる」という俗諺(ぞくげん)を本気で信じていると思われるほど一粒の米も大事にした。0224麦は二、0225三合もたまると、0226臼でひいてハッタイ粉を作った。0227砂糖のない塩味だけだったが、0228龍も澄もそれが楽しみであった。0229(きび)を買ってきて石臼でひき、0230きび団子を作ったこともある。
0231 澄が母を思い出す時、0232いつもどこからか、0233ぐれんぐれんと廻る石臼の響きが聞こえてくるような気がする。0234石臼と母――この二つは一つにとけあって、0235いつも懐かしく思い浮かぶのだった。
0236 麓まで一気に下り、0237澄はとある農家の板塀ぞいの石に腰かけて、0238重い背中の柴を背負いなおした。0239ふと見ると、0240板塀の下から小さな白い花が道ばたまで群れている。0241この花が澄は大好きであった。0242名は知らないが、0243ほんのりと紅のまじった白い花が澄を見上げてのぞいており、0244そのひっそりと幼げな感じがいとしくて、0245しばらく立てなかった。
0246 ふいにワンと犬が吠えた。0247びっくりして顔を上げると、0248六匹の犬を連れた青年がこちらを見ている。0249青年は懐しそうに寄ってきた。
0250「なんや、0251清吉兄さんか」と澄はにっこりした。
0252 清吉は上野の家中の寅吉の所へ紙漉きの見習いに行っている。0253仕事が忙しいせいか、0254すぐ近くにいるくせに、0255なかなか顔を合わせる機会がなかった。
0256 兄妹は急には言葉もなく、0257じっとみつめ合った。0258黒目がちの涼しげな目もとや愛嬌のある口元がよく似た二人であった。0259負けん気の、0260無鉄砲な気性もそっくりである。
0261「何しとったんや」と清吉は、0262澄の見つめていた足もとをのぞき、0263
0264「ひな菊かいな。0265お澄、0266この花が好きこ?」
0267「大好きや。0268花のうち、0269一番好きや」
0270 澄はそう答えて「ひな菊……」と口の中で言ってみた。
0271 清吉は、0272すぐには別れがたい気持ちで、0273澄と並んで腰かけた。0274犬たちもおとなしく、0275そのまわりに寝そべった。
0276「兄さんの犬かいな、0277ぎょうさん連れて」
0278 澄はそっと手を出したが、0279犬は低くうなって横を向く。
0280「妹やぞ、0281こら……」
0282 清吉は犬を叱り、0283やさしく首をたたきながら誇らしく言った。
0284「みんな野良犬やわい。0285いつやらごろから、0286こいつらと友だちになってなあ。0287外へ出ると、0288(えさ)やりもせんのに、0289どこかしらん出てきてついてきよる。0290多いときは、0291二十匹もじゃ」
0292「ふうん、0293妙やなあ、0294兄さんて犬に好かれてんやなあ」と澄はしんから感心した。
0295 澄はまだ知らなかったが、0296清吉は闘犬が好きで、0297野良犬をいつもひき連れて歩いていたので、0298〈新宮の犬の庄屋どん〉と綽名され、0299若者たちの人気者になっていた。
0300「兄さん、0301また喧嘩しちゃったやろ。0302こないだ、0303兄さんにどつかれた人が、0304うちに頬っぺたの傷みせちゃったでよ。0305兄さんの暴れん坊は、0306町で有名やさかい……」
0307 清吉はにやりとして澄の頬をこづき、0308「それは猿のけつ笑いじゃ。0309お澄の権兵衛はどうやいな。0310新宮の喧嘩八兵衛はだれぞいな」と、0311白い歯を出して笑った。
0312 そのよく透る明るい笑い声を、0313澄は好きだった。0314思春期に入ったばかりのりりしい眉、0315清らかな額、0316まるみのある頬……、0317男前やなあと澄は見とれた。
0318「ほいで鹿蔵義兄さんとこはどうや。0319米姉さん大事にしてくれてか」
0320「うん、0321ときどき義兄さんにないしょで、0322たらし(おやつ)くれてやで。0323伝吉兄さんもやさしいなあ」
0324 澄は話題を思い出し、0325いきいきとしゃべり出した。
0326「あのええ、0327あそこではなあ、0328三度三度、0329鬼歯むくような白いご飯たべとってや。0330それにおかずにいつも焼き物がつくんや。0331夕飯(よめし)は、0332まだ暗うならんうちに障子あけてなあ、0333水うった庭の植木みながら食べとってや。0334ご飯のあとは、0335玉露ちゅう良いかおりのするお茶のんでやし、0336まるで殿さまみたいやで」
0337「お澄はお茶が好きか」
0338「お茶はかなわん。0339苦うてよう飲まんさかい、0340うち、0341井戸の水ばかり飲むけどな」
0342「ははは……。0343わしもいっしょじゃ、0344お茶はかなわん。0345ほんなら、0346お澄もお龍も、0347まるで夕飯は殿さまなみやな」
0348「ううん、0349うちらあ食べさせてもらうのん、0350お昼だけ……。0351夜は、0352母さんが帰っちゃってから、0353家で遅うにかゆ食べるさかい……」
0354「その間、0355なにしとるのや」
0356「お龍さんと二人、0357みんなが食べてんあいだ、0358外で遊んどるのや」
0359 清吉はちょっとむつかしい顔をしたが、0360気をとり直して言った。
0361「そんならせいだい昼飯に食いだめしとけ、0362夜まで腹がもつようになあ。0363お前らがどんのい食っても潰れるような今盛屋ちがう。0364(いんま)は綾部一の金持ちいう評判やさかい。0365それにお前らの食事代、0366ちゃんと母さんが銭出してなさる」
0367「へえ、0368昼飯代払とってんか。0369ほんまのこと言うたら、0370ちょっと遠慮しとったんや。0371よーし、0372ほんならお龍さんに言うて、0373気がねなしに二人でうんとお代わりしちゃろ」
0374 澄は母が食事代まで大槻家にはらっていることを知らなかった。0375その金を捻出するだけでも、0376どれほど母にとって難儀であるか、0377澄にもおぼろげに想像できた。0378すると、0379急に疑惑がむくむくと湧いてきた。
0380「母さんは弁当もって行けんほど貧乏やのに……姉さんはいっぺんも『ご飯たべていけ』って言うちゃらへんで。0381米姉さんはなんで母さんを助けてあげてないのん?……」
0382「それはなあ……人の情けにすがりとうない母さんの性分もあるし……。0383それに鹿蔵義兄さんや米姉さんは……」
0384 清吉が急に口ごもって言葉を切ったのは、0385澄に説明できるほど大人の心理は単純なものではなさそうだし、0386紙漉き職人といっても、0387親に渡せるほどの給金などもらえぬ自分の無力がくやしかったからでもある。
0388 清吉はよいしょとはずみをつけて立ち上がった。
0389「お澄も大きゅうなったらわかるわい。0390さあて、0391早う山へ行かな、0392親方にまたどやされんなん」
0393「山へなにしに行くん?……」
0394「紙の原料にするコウゾやサネカズラとりに行くんじゃ。0395お澄もあんまり権太せんように元気に暮らすんやぞ。0396そのうち兄さんが大人になったら、0397母さんやお前たちにうんと楽させてやるでな。0398殿さまみたいにな」
0399 山へ走り去る清吉の前後を、0400野良犬は競い合うように走った。0401別の犬が一匹、0402山の中から姿をあらわし、0403ぴたっと耳を伏せ、0404清吉の足もとにすり寄り、0405うずくまった。0406六匹の犬たちは、0407低くうなりながら新しい犬を囲んだ。
0408 清吉は新参の犬の顔を手で持ち上げ、0409目にみいると、0410「よし」と力強く叫んで首をたたいた。0411犬はとび上がって尾をふり、0412他の犬も嬉しそうにワンワン吠えあった。0413犬は七匹になって、0414清吉を守るように勇んで消えていった。
0415 ――桃太郎みたいじゃなあ、0416兄さんは。0417と、0418見送っていた澄は、0419ため息をついた。
0420 ――清吉兄さんは今に大人になったら、0421犬たちをお供にひき連れて鬼征伐に行ってじゃろう。0422そしたらわしもついて行こ。0423うちかて強うなるぞ、0424わる者に負けんように。0425強いだけやない。0426兄さんのように、0427野良犬にも好かれる人になる。0428野良犬みたいに、0429家もない、0430腹をすかせた人たちの味方になって、0431兄さんと一緒に戦おう。
0432 澄は頬を赤くして、0433瞳をもやした。
0434 枯れ木の束を背負った澄の孤影(こえい)が道に長く尾をひいていた。
0435 明治二十二年二月十一日。0436夜来の雪で美しくよそおわれた紀元節の朝、0437大日本帝国憲法が発布された。0438その式典を祝う市民のお祭り騒ぎの中で、0439大礼服姿の文部大臣(もり)有礼(ありのり)がテロに倒れる――。
0440 しかし憲法発布もテロも、0441丹波の奥深い綾部の貧民、0442出口直の耳には遥かに遠いことと聞こえた。
0443 小正月すぎて間もないある日、0444直は綾部の銀行につとめている新町の太平に呼びとめられた。
0445「お直はん、0446あれ、0447どうしてくれてん。0448ほれ、0449銀行の借金のことじゃがな」
0450 直はぎくりとして振り向いた。0451太平は直の粗末な姿を軽蔑の目で見下ろし、0452
0453「初めのうちは、0454まあまあ利子だけはきちきち入れてくれちゃったけど、0455その後はようとどこおらしてやがな。0456はよう返してないと、0457家とられても知らんで」
0458「はい、0459申しわけございまへん。0460せめて利子なりとと思うてますのやが、0461なんせその日暮しでござりますさかい……」
0462「それはそうじゃろが、0463七円に利がついて、0464もう七円五十銭ばかしになっとるでなあ」
0465「え、0466そんな……それは何かの間違いやござへんか。0467たしか利子いれても、0468六円にはならぬはずですが……」
0469「これはまたへんなこというてくれてやな、0470元金十円のうち返ったのは三円だけやさかい、0471あとの二円はどこへ消えたのかいや」
0472「二円はあのとき……」と直は蒼ざめた。
0473 問題の十円の借金は、0474政五郎の生存中、0475銀行から借りたものだった。0476辻村藤兵衛から借りた高利の金が払えず、0477「金がのうても、0478女子がうじゃうじゃおるやないか、0479女郎屋にでも売ってみなはれ、0480左うちわで暮らせるわな。0481それがいやなら、0482いよいよ家あけ渡してもらうでよ」と膝詰め談判。
0483 政五郎はのんきな顔だが、0484直は思案にあまって四方源之助に相談した。0485そこで源之助が保証人となって家を担保に銀行から十円借りてくれ、0486その金で辻村の方はかたをつけた。
0487 政五郎が元気で働いているうちはどうにか利子も払えたが、0488病気になると薬餌(やくじ)代に追われてそれもとどこおりがち。0489源之助が「銀行がやかましてならん」と言うので、0490今度は組中から三円借りて銀行の返済にあて、0491それから――。0492あれは政五郎の亡くなる前の年だったから、0493十九年の極月の二十五日。0494大槻鹿蔵が清吉の奉公先から二円前借りしてきてくれて、0495こう言った。
0496「あの金は、0497銀行に返してもらうように、0498ちゃんと源之助はんまで届けておいたで」
0499 直とすれば、0500当然二円は銀行に返済されたつもりでいた。0501だが返っていない。0502源之助は多忙な人だから、0503預かったまま忘れているのかも……。
0504 けっきょく二人は連れ立って四方源之助の家まで確かめに行く仕儀(しぎ)となったが、0505なんとしたことか、0506鹿蔵の届けたという二円は源之助まで達していなかった。
0507 太平は額に青筋をたててきめつけた。
0508「ともかく銀行に返ってきたんは、0509聞いての通り三円だけじゃ。0510あと七円五十銭がとこ残っとるのを忘れんようにな。0511今盛屋(鹿蔵の屋号)は綾部一の金持ちじゃそうなさかい、0512そこから工面してもろてなりと早う返しとくんなはれ。0513一円、0514二円では話にならんでよ。0515せめて元金の半分なりと……」
0516 ――七円五十銭。
0517 一人になって、0518直は(つぶや)いた。0519どんなに血のにじむ思いをしても、0520子供を抱えた女一人の細腕では払いきれぬ大金であった。0521子らと離れて糸引きに行き、0522多少まとまった金を持ち帰り、0523年に一度利子を納めるのが直の限界であった。
0524 ――源之助さんは嘘をつくようなお人でない。0525とすると……。
0526 考えたくない想像である。0527だが親子の最後のねぐらである家を守るために、0528重い足を引きずるようにして大槻家の裏口に廻った。
0529 直は娘の(よね)をそっと呼び出した。
0530「鹿蔵さんに清吉の給金から借りてもろた二円なあ、0531あれ、0532ほんまに源之助さんに渡してくれたんやろか」
0533「なんのことじゃいな。0534もうだいぶ前の話やないか」と、0535米は不審そうに眉をひそめた。
0536 直はうなずいて、0537縋るように言った。
0538「どういう手違いか知らんが、0539源之助さんまで届いておらんのや。0540どうぞ鹿蔵さんに聞いてみておくれな」
0541 米が奥へひっこんでしばらくすると、0542むっと機嫌のわるい面で鹿蔵が現れた。
0543「二円がどうしたというんじゃい。0544そんな昔のこと、0545なに覚えとろうやい」
0546「ほれ、0547お前さんが清吉から持ってきて、0548源之助さんに届けんなん言うてなさった……」
0549「ああ、0550あの銭か。0551うん、0552たしか四方はんに届けたわい」
0553「それでも届いておらんと……」
0554 直は必死であった。
0555 鹿蔵はふところ手のまま、0556上を向いてとぼけた。
0557「そうやったかいな。0558あ、0559それそれ、0560あの金は義母さんに渡したやないかい。0561なんぞに使うて、0562忘れとってんじゃろう」
0563「からかわんと……なあ、0564ほんまのこと言うとくれなはれ」
0565 急に鹿蔵は、0566居丈高にわめいた。
0567「言いがかりも程々にせんかい。0568第一、0569わしが預かったという証拠でもあるこ。0570あったら出してみい」
0571「あ、0572あんまりや。0573お米……」
0574 直は助けを求めるように、0575娘を見た。
0576「わたしは知りまへんで。0577それよりなんやいな、0578たった二円ぐらいのことで、0579ごてごて因縁つけにきて、0580うちの人やかて気しょくいわな」
0581 米はついと立って、0582店の方へ行ってしまった。0583実の娘のつれないそぶりに直は打ちのめされ、0584わなわなふるえた。0585すると鹿蔵は声を落として、0586
0587「義母さんも年やさかい、0588ぼけてしもて、0589自分で使うて忘れちゃったんじゃろ。0590わしもカッとなってついでかい声を出したが、0591思い違いは誰でもあるさかい、0592水に流しちゃるわな」
0593「……」
0594「銀行がごちゃごちゃぬかしたら、0595まだ手はあるでよ。0596わしがも一度、0597清吉や久の奉公先にかけ合うて給金を前借りしちゃるわい」
0598「もうそんなこと……やめにしておくれ」
0599 直は逃げるようにして大槻家を出た。0600人の弱みにつけこんで因縁をつけ、0601物をまき上げるのがうまい鹿蔵であった。0602うっかり口車にのれば、0603清吉や久にどのような迷惑がかかるか知れないのだ。
0604 仕事に行っても、0605金のことが念頭を離れない。0606組中から借りた三円は、0607久の奉公先の広小路の上助から給金を一円だけ前借りして返し、0608残った二円も再び久の奉公先の埴生の米利から前借りして清算した。0609だがもう、0610これ以上の無理は言えない。
0611 ――七円五十銭の借金。0612どうしよう、0613どうしよう。
0614 直は不安におののく胸をおさえて、0615他家の軒先に立った。
0616「なんぞお払い物はございまへんかいな。0617屑買いましょう」
0618「ないでよ」とすげない声がとんできて、0619開かれていた戸が内からぴしゃりと閉ざされる。0620こんなことにようやく慣れてきた直であったが、0621今日は、0622ずんと骨にこたえるようであった。
0623 銀行の借金は、0624保証人の四方源之助の仲介で、0625月々いくらかでも元金を返済することで話し合いがついた。0626しかしそれを可能にするためには、0627今でもぎりぎりの家計をさらに切りつめねばならなかった。0628それには、0629口べらししか残されていない。0630大槻家に払う娘二人の昼食費分だけでも、0631銀行に返済できれば……。
0632 直はいつもより早く仕事を終わり、0633大槻家に龍と澄を迎えに行き、0634大根葉ばかりのような粥をたいて、0635三人ですすった。
0636 すする、0637という単純な作業だけの夕食が終わると、0638直は改まった口調で言った。
0639「お龍は十歳、0640お澄は七歳になりなはった。0641いつまでも母さんのそばにおいてやりたいが、0642知っての通り家には借金がたんとあって、0643早う返さねばならんのじゃ。0644母さんはもっともっと働かねばならんし、0645今までのように、0646お前たちの昼飯代をつもりすることもむずかしい。0647かわいそうなけど、0648母さんを助けると思うて奉公に行っておくれでないか」
0649 それから深い眼で真剣に聞いている二人の娘を交互に見やり、0650
0651「わたしもお龍の年には奉公に行ってそれなりに重宝がられたものじゃが、0652お澄ではむりかも知れんなあ、0653まだ七つではなあ……」
0654 澄は眼を大きくみはって、0655響くように答えた。
0656「母さんが行け言うちゃったら、0657どこへでも行く。0658うち、0659お龍さんに負けへん」
0660 龍も、0661頬を紅潮させてうなずいた。
0662「うん、0663うちも奉公に行くで」
0664「よう言うてくれたのう。0665借金が返るまでの辛抱じゃ、0666こらえとくれいよ」
0667 そういいながら、0668直はせきあげる涙をおさえかねるのだった。
0669 間もなく龍は綾部の農家へ奉公に行った。0670そして一週間ばかりして、0671澄も福知山の農家へ子守りに行くことになった。
0672 明日は澄の門出という前の晩、0673直は四方家を訪ね、0674福知山の兄桐村清兵衛への手紙の代筆を頼み、0675表に兄の住所を書いてもらった。
0676 源之助の女房三津恵が、0677きちんとたたんだ(かすり)の四つ身を直の前に置いた。
0678「お澄はんが奉公に行くげなが、0679ちょうどお文に小そうなった着物があるさかい、0680お古でわるいが着せてやりなはれ」
0681 当時、0682物持ちの人といえども他人にかき餅一枚与えることもまれな慎ましい時代であり、0683まして田舎では衣類は貴重品であった。
0684「まあ……すみまへん」
0685 直はにじり寄り、0686押しいただいて受けとった。0687嬉しかった。
0688 乳を離れてからの澄が四方家を訪うことは少なくなったが、0689澄と文は乳姉妹といってよく、0690三津恵は澄をまるきり他人とは思えなかった。0691やがて三津恵は次の子を産み、0692家事に追われるうち、0693いつとなく澄のことを心に止めることもなくなった。0694だが、0695まだねんねで妹と母の愛を競っている文とさして年の違わぬ澄が、0696貧ゆえに他家へ奉公に行くと聞けば、0697さすがに不憫でならなかったのだ。
0698 翌日、0699直は弁当のにぎり飯を作って、0700ぐっすり眠っている澄を起こした。0701眠い眼をこすっていた澄が枕元においてある絣の着物を見つけると、0702いっぺんにとび起きた。0703一つ年下の文よりまだ小柄な澄には、0704着物のゆきも丈もぴったりで、0705よく映った。0706澄は嬉しさにじっとしておれず、0707梅子の家まで見せに走った。
0708 にぎり飯とわずかの着がえをくるんだ風呂敷を斜めに背負わせ、0709直は澄の左手首に住所を書いた手紙をくくりつけた。0710そして小さな澄の体を引き寄せ、0711かき抱いて言い聞かせた。
0712「あのなあ、0713お澄や、0714八幡さまの馬場を通って真っすぐトコトコ歩くんやで。0715福知山の伯父さんの家まで三里半じゃさかい、0716お前の足でもお昼過ぎに着くはずや。0717そしたら伯父さんが奉公先まで連れてって下さるでなあ。0718母さんが送って行ってやりたいのじゃが、0719仕事があってそれもできぬ。0720かわいそうなけど、0721一人で行かねばならんでなあ。0722この手紙の上に書いてある住所をな、0723忘れずに人に出会うたびに見せるんじゃで。0724辛いじゃろうが辛抱しておくれ。0725母さんがそばにおらいでも、0726神さまはきっと何事も見てござるでなあ」
0727 梅原おきと梅子が顔を出した。0728梅子は餞別のつもりか、0729塩豆の袋をくれた。
0730 門口に立って、0731母と梅原親子が見えなくなるまで手を振って送ってくれた。
0732 澄はピョンピョン跳びはねながら、0733心は新しい冒険にはずんでいた。0734まだ数え年七つ、0735いまなら小学校に入学する年である。0736楽天的な澄の性格では、0737奉公の辛さなど想像さえしなかった。0738ただちょっぴり無念なのは、0739先に奉公に出た龍に、0740勇ましい門出を見せられないことだった。
0741 幾らも行かないうち、0742誰かに呼び止められた。0743ふり返ると、0744向かいの安藤金助であった。
0745「おやおや、0746旅姿でまた、0747どこへ行ってんじゃい」と金助はおもしろそうに話しかけてきた。0748澄は口をぐっとつぐんで、0749左手首をさし出す。
0750「なんじゃい、0751これは?……」
0752「うちの行く先が書いたるんやげな。0753読んでみないな」
0754「う、0755うん。0756まあ……なんじゃな、0757わしは暗がりで字を習うたさかい、0758昼間はどうもなあ……」と金助は眼を白黒させた。
0759「あのええ、0760うち、0761福知山へ奉公に行くんじゃで」と澄は得意げに言った。
0762「奉公!……ふーん……男八兵衛が本宮から消えると、0763静かにはなるが何じゃら淋しいわい」
0764「辛抱しなよ。0765お宿下がりには帰ってきたげるさかい……」と反対に澄に慰められ、0766金助は吹き出しながら、0767
0768「おおきに、0769楽しみに待っとるでよ」
0770 金助はごそごそとふところを探り、0771紙に包んだ黒砂糖のかたまりを取り出した。0772黒砂糖は汗をかき、0773ところどころ紙が黒くにじみ、0774貼りついていたが、0775それをさも大切そうにはがした。0776〈黒砂糖さん〉と蔭でいわれるほど、0777金助の黒砂糖好きは近所でも知らぬ者はないのだ。
0778 澄は爪先立ちでのぞきこんだ。
0779「お澄はん、0780これ好きじゃろ」
0781「大好きじゃ」
0782「えっと好きか」
0783「えっとじゃ」
0784 澄が唾をのむと、0785金助は黒砂糖のひとかけを澄の口に入れ、0786自分の口にもほうりこんで眼を細めた。0787とろりとこくのある甘みとかおりが、0788澄の舌いっぱいに広がった。
0789 せつないような澄の表情の動きを見てとると、0790金助は虫くいだらけの黒い歯を出して満足そうに笑った。
0791「どうや、0792うまかろうが……黒砂糖はな、0793この世で何よりうまいもんじゃ。0794これさえあれば、0795わしは天国々々……はなむけに半分やるさかい、0796淋しゅうなったらねぶんなよ」
0797 金助は道ばたにしゃがんで、0798石ころで黒砂糖を割った。0799大小に割れたが、0800大きいのを少しけずって小さい方へ移し、0801公平になるように何度かやり直した。0802金助には律儀な面があり、0803半分といえば、0804どうでも半分でなければ気がすまなかった。
0805 秤で計ったようにきっちり半分を紙に包み、0806澄のふところに入れてやると、0807「早う帰れ」とも、0808「元気でやれ」とも、0809おざなりを言わなかった。0810ただ「もったいないさかい、0811ちびちびなめるんやでよ」という言葉を残し、0812金助は澄に与えた黒砂糖にまだこだわりながら、0813畑の方へ曲がって行った。
0814 八幡さまから先はまだ行ったことのない道だった。0815父の郷里の岡を過ぎ、0816鳥ヶ坪の辺まで来ると、0817だんだん心細くなってくる。0818道はときどき交差しながら、0819どこまでもきりなく続いていた。
0820 履きなれぬ新しい草鞋の緒がすれて、0821足の小指が痛む。0822道にしゃがんで片方の草鞋をぬぎ、0823梅子にもらった塩豆を噛んでいると、0824目の前を四十がらみの女が通りかかった。0825澄はあわてて立ち上がり、0826片足はだしのまま追いついて声をかけた。
0827「おばさん、0828これ読んでいな」
0829 澄が背のびしながら左の手首をさし上げると、0830
0831「どれどれ……」と女は眼を近づけて読み、0832
0833「……わしも福知へ行くさかい、0834連れどうて行こかいな。0835おや、0836足どないしちゃったん」
0837 女はしゃがんで赤くなった澄の小指を見、0838たもとから紙を出し、0839くるくると草鞋の鼻緒に巻きつけ、0840澄の足にはかせてくれた。
0841「これでちっと楽になろう。0842それで福知へ何しに行ってん?……」
0843「奉公に行くんや」
0844「まーや!……こんな小さな子を一人で奉公にやる親も親じゃが、0845行く子も行く子じゃ」
0846 あきれたように呟き、0847女は澄の手を引いて、0848歩調を合わせてくれた。0849澄は嬉しくなって、0850塩豆の袋をさし出した。
0851「おおきに、0852ご馳走さん……」
0853 ひとにぎり取って袋を澄に戻すと、0854女は豆を口に入れ、0855歩きながらポリポリかんだ。
0856「おばさんも、0857福知へ奉公に行ってん?……」
0858 女は笑って、0859
0860「わしは仕入れに行くんやでよ。0861綾部の〈まからず屋〉という店は、0862おばさんの店やでなあ」
0863「ああ〈まからず屋〉なら知っとる」
0864「そうか、0865大きゅうなったらご贔屓(ひいき)に……。0866なあ、0867お澄さん」
0868「うちの名前、0869なんで知っとってん?……」
0870「手紙に書いたるわな。0871新宮の男八兵衛やろいな」
0872「へえ、0873そんなことまで書いたるんかいな」
0874「いや、0875これは町の評判や。0876それでもこんな小さな子とは……」
0877 それから赤くなる澄を見ておかしそうに笑いながら、0878「わたしはおたつ、0879どうぞ、0880いじめんといてや」と頭を下げた。
0881 この〈まからず屋〉は通称で、0882店名を安達小間物店といった。0883田町の石橋の手前を東に入る小路、0884俗称〈せんだ町〉の入口、0885西本町側にあった。0886ついでにいえば、0887〈まからず屋〉の前には、0888綾部で最初のちっぽけな風呂屋があったという。0889明治三十六年一月一日発行の綾部の商店の広告集には、0890安達小間物店の名も見える。
0891 二人は塩豆をかじりながら、0892たあいないおしゃべりに興じて歩いた。0893澄は足の痛いのも忘れて楽しかった。
0894 高津・観音寺・石原(いさ)を越え、0895前田の手前の松並木で早い昼にした。0896一心に握り飯をほおばる澄に、0897たつは玉子焼きを二切れ分けてくれた。0898玉子焼きには砂糖が入っていた。
0899 福知山の入口で、0900〈まからず屋〉のたつと別れ、0901急に淋しくなった澄は道行く人に手紙を示してたずねながら、0902ようやく漆屋を業とする伯父桐村清兵衛の家にたどり着いた。
0903「お澄かい、0904よう一人できた、0905かしこい、0906かしこい。0907初めての遠い旅やで疲れたじゃろう。0908おう、0909着物の裾まで泥をはね上げて……」
0910 伯父は、0911母に似たやさしいまなざしで澄を歓迎してくれた。0912だが(すす)ぎを出してくれた伯母てつは、0913どことなくそっけなかった。
0914 伯父は、0915もう六十に近く、0916商売は主に長男の初治郎がしているようであった。0917ずっと年上の従兄妹のふちや源三にも紹介された。
0918 その夜、0919澄は静かな部屋で伯父といっしょに休んだ。0920母の生まれた里だと思うと、0921澄は福知山になじめそうな気がした。
0922 翌日、0923朝飯をすますとすぐ、0924澄は伯父に連れられて近所の農家へ行った。0925広い庭に鶏が餌をあさって群れている。0926板の間では野良着の男たちが四、0927五人、0928飯をかきこんでいた。0929伯父が中に入って挨拶している間、0930澄は足もとに寄ってきた鶏に気をとられ、0931ぼんやりしていた。
0932「お澄や、0933ようお頼みしたさかい元気で働くんやで。0934ときどき様子を見にくるでな」
0935 伯父は澄の頭を撫でて帰って行った。
0936「ま、0937上がりい」
0938 小鼻の張ったくぼ目の主人が、0939囲炉裏(いろり)の前に坐ったまま、0940澄を手招きした。0941その横で、0942はちきれそうな乳房を赤ん坊にふくませながら、0943女房はつっけんどんにいった。
0944「おむつのあて方ぐらい、0945知っとるやろな」
0946「知りまへん」
0947 主人の前に窮屈そうに膝を折りながら、0948澄は答えた。0949末子に生まれた澄は、0950今まで赤ちゃんなどに縁がなかった。0951母や兄姉におぶられた記憶ばかりで、0952まして赤ちゃんのおむつを代えたことなど一度もなかった。
0953「しゃあないな」と女房は舌うちし、0954実地に赤ん坊のおむつを代えて見せた。0955忙しくてあまり代えるひまはないのか、0956古いおむつはぐっしょり濡れ、0957前の方は赤くただれていた。0958赤ん坊は痛がって激しく泣いた。
0959「さ、0960これでわかったじゃろ。0961濡れたおむつはな、0962井戸端ですぐに洗って乾かすのや。0963ためといたらあかんでよ」
0964 赤ん坊は澄の背にくくりつけられた。0965ゆったりした母親の膝から小さな背に移された赤ん坊は、0966居心地わるげに手足をつっぱり、0967ぐずりはじめる。0968澄はどうしてよいかわからず、0969よろよろしながら庭に出た。0970縁先で日なたぼっこしていた爺さんが、0971歯のない口でふわっと笑った。
0972 井戸端で汚れたおむつを洗った。0973しゃがむと、0974赤ん坊の重みでうしろにひっくり返りそうだった。0975赤ん坊はむずかって、0976澄の髪をひっぱって泣く。
0977 澄は裏庭に干してある(むしろ)の上に赤ん坊を下ろした。0978頭と眉毛にじくじくとクサが出ていて、0979かゆいのか、0980顔中くしゃくしゃにして泣きわめく。
0981「よしよし、0982よい物くれちゃるわな」
0983 澄はふところから大事な黒砂糖を取り出した。0984重い赤ん坊を負うてすっかり汗ばんだ肌で、0985黒砂糖のまわりは溶けかかっていた。0986それを指にからませると、0987泣いている口に運んだ。0988赤ん坊は泣きやんで、0989吸いつくようにしゃぶり、0990なくなると「まんま」とねだった。0991澄は嬉しくなって欲しがるだけ与え、0992自分でもなめた。
0993 おむつを代える時、0994赤ん坊は太った足をばたつかせ、0995何回やっても蹴とばしてしまう。0996しまいには泣きたくなったが、0997どうにか代えた。0998さて、0999背負おうとしても、1000これだけは助けがないとどうにもならぬ。1001澄は走って、1002昼飯の支度にかかっている女房を呼びに行った。1003女房は不機嫌な顔でやってきたが、1004赤ん坊の黒く汚れた口のまわりを見て、1005「何やったんじゃ」と血相変えて咎めた。
1006「黒砂糖や。1007喜んでなめたでえ」
1008「阿呆たれ、1009勝手なもの食わしたらどもならん。1010腹でもこわしたら、1011どうしてくれるんじゃ。1012ほれ、1013お前の口もきちゃないわい」
1014 女房はさらに何かを言いかけたが、1015途中でやめ、1016荒々しく赤ん坊を澄に背負わせて去った。
1017「あんたのおかげで、1018おこられたあ」
1019 澄はぺろっと舌を出して笑い、1020ついでに口のまわりをなめた。1021すると、1022ぶるぶると小さな音がして背中がふるえたと思うと、1023澄の尻のあたりがじわじわとなま暖かくなった。1024なんやろうと手を廻して探った。1025赤子の着物の裾が冷たかった。
1026「あかん、1027また小便たれた」
1028 澄はあわてて女房を追った。
1029 裏庭から台所に戻ってきた女房は背のびして棚の上を覗き、1030「やっぱり……」と呟いた。
1031「どうもへんやと思うたら、1032戸棚の黒砂糖が滅っとるわな。1033なんとはしかい子じゃ」
1034「だれのこっちゃな」と縄をなっていた息子が聞いた。
1035「今度来た子守りじゃ。1036もう黒砂糖を盗み食いしとる。1037くせになるさかい、1038こっぴどく叱っちゃらなあかん」
1039「しゃっちもない(らちもない)。1040今朝きたばかりじゃし、1041つまみ食いなどするひまあろまい。1042それにあのチビ、1043棚の上まで手え届かんじゃろい」
1044「それでもげんに減っとるわな。1045踏み台いうもんもあるし……」と女房は口をとがらせた。
1046 そこへ澄が駆けこんできて、1047大声で訴えた。
1048「赤ん坊にしっこかけられちもた。1049うちの着物、1050ずくたんぼ(べたべた)じゃ」
1051 女房は澄の背から赤ん坊を下ろし、1052また舌うちした。
1053「なんちゅうおむつのあて方やいな。1054これではみんな素通しになってしまうわな。1055こんな役にも立たん子を、1056桐村はんはようまあ世話してくれちゃったもんじゃ」
1057 伯父のことを言われて、1058澄は濡れた尻をもじもじさせ、1059小さくなった。
1060 夜は土間の横の小さな板の間に蒲団を敷き、1061一人で寝た。1062一日赤ん坊を背にくくりつけられて、1063体全体がしびれたように感覚がなかった。1064濡れた着物は澄と赤ん坊の体温で、1065いつのまにか乾いていた。
1066 いままでは母と龍と三人で抱き合って寝ていた澄であったが、1067どこまで手を伸ばしてみても冷たい板の間に触れるだけであった。1068金助のくれた黒砂糖を口に入れ、1069「母さん……」と声を出して呼んだ。
1070 数日で、1071澄は綾部へ帰されることになった。1072迎えに来た伯父清兵衛に、1073女房は「なんせ小そうてなあ」と言い、1074澄にも、1075「もうちいとやあと大きゅうなったら、1076またおいでや」と心にもない愛想を言った。
1077 間に合わずひまを出される屈辱も忘れ、1078澄は母に会える喜びだけで、1079誰にでも、1080にこにこ顔を見せていた。
1081 愛知県地方の子守り唄にこんなのがある。
1082〽行かば行かんせ 行く人とめぬ
1083 あとへ来る人まつばかり
1084 どんなに辛くても、1085出ていけば代わりの子守りが来るだけで、1086主人はさっぱり困らない。1087澄より役に立つ、1088子守りの代わりが決まったのであろう。
1089〽守りさえい(よい)なあ出がわり来たで
1090   ここにおる気かおらぬ気か
1091〽ここにおる気もおらぬ気もないが
1092   おいてくれりゃおるわいな
1093 だが澄はおいてもらえず、1094綾部へ帰されたのである。
1095 澄がわずか数日で子守り奉公からひまを出されると、1096直は、1097「もう子供には、1098きっと火つかわせしませんで」と言って組内の了解を得、1099屑買いに行くあいだ、1100七歳の子を一人で留守番させることにした。1101大槻家におくと預け賃と食費を払わねばならず、1102それが重い負担になったからである。
1103 四月一日、1104町村制実施により、1105旧綾部町ほか旧町村が解消し、1106新しい綾部町が誕生している。1107初代町長は大槻藤左衛門で年報酬五円。1108なお町議会土木委員に組頭の四方源之助の名が見える。
1109 母のもとで思うさまゴンタ(わがまま)のできた日々は短く、1110梅雨明けの頃、1111澄は再び福知山へ奉公に行くことになった。1112役に立たずすぐ帰された前回の苦い経験にこりて、1113「今度はお龍さんに負けず、1114しっかり勤めてみせるぞ」と覚悟はできていた。
1115 一度往復した福知山までの道は迷わず歩き、1116新町の米屋の場所を人に聞いて、1117間もなくその店にたどり着いた。1118三軒間口の店先に立つと、1119細面の眼のつり上がった女房が赤子を背負い、1120客に米の計り売りをしていた。1121店の土間には足踏みの米つき機が三台あり、1122その横で背をまるくかがめた婆さんが米をひろげ、1123たんねんに小石やごみを拾っていた。
1124 客が帰るのを待ち、1125澄は代筆の母の手紙をさし出した。
1126「おばさん、1127これ読んでおくれいな」
1128 女房は米の品質を鑑定する目つきで、1129痩せた澄を眺めた。
1130「年なんぼやいな」
1131「七つや」と澄は申しわけなさそうに答え、1132女房がまだ疑わしげな顔でいるので、1133「細こうみえるけど、1134ほんまに七つです。1135うち、1136おむつの代え方も知っとるでよ」と力んでつけ加えた。
1137 女房はちょっとひっこむと、1138主人を連れて戻ってきた。
1139「あんた、1140こんなどんくさそうな(気のきかない)チビやけど、1141(きよ)の守りできるかいな」
1142「ためしに負わしてみい」と主人はぶすっとした表情で言った。
1143 赤ん坊は眠ったまま、1144女房の背から澄の背に移された。1145澄は思わずよろめいた。1146負うた子の足先は澄のふくらはぎのあたりまであって、1147ずしりと重かった。
1148 女房が主人を見て大げさに嘆息した。
1149「無理やで。1150どっちがおぶっとるか、1151わからんわな」
1152「清も三つやさかい、1153いつまでもおぶらしてばかりはおれん。1154少しは歩かせて、1155この子に遊び相手させいや」
1156「そやかてあんた、1157清にそこいらウロチョロされたら……」と言って、1158女房は言葉を切った。1159主人も気まずそうに黙ってしまう。
1160 突然、1161澄が子守り唄をうたい出した。1162あどけない澄んだ唄声が店先に流れた。
1163〽昔の昔のその昔
1164 まだまだ昔のその昔
1165 鶴さんと亀さんがおったげな
1166 鶴さんが亀さんに言うことにゃ
1167 わたしのお嫁になっとくれ
1168 お首が長いがいやのんか
1169 あんよの長いがいやのんか
1170 お首の長いがいやでない
1171 あんよの長いがいやでない
1172 鶴は千年亀万年
1173 お前が先に死んだなら
1174 あとの九千年がわしゃつらい
1175 素朴な節まわしで懸命にうたう澄を、1176米をより分けていた老婆が腰を伸ばすようにして眺めた。
1177 主人は女房に言った。
1178「えらい陽気な子や。1179わざわざ綾部から出て来たのに、1180じき()なすんもなんやから、1181まあ、1182しばらく置いてみちゃるか」
1183「米食い虫をふやしたようなもんやなあ」と女房は不満そうに、1184澄の背を押して家へ入れた。
1185 澄は清をおぶって、1186裏庭に出た。1187大きな土蔵には、1188農夫たちによって、1189収穫された麦が運びこまれていた。1190その土蔵の軒に燕がとび()うている。1191藁すべや土を運びこんでは忙しげに巣づくりに熱中する燕を、1192澄はぼんやり見上げた。
1193 婆さんがひょこひょこついてきて、1194いっしょに見上げた。
1195「あのつばくろ、1196なんちゅうて鳴いとるか知っとるかい」
1197「知っとる。1198百姓米食て、1199麦食て、1200わしゃ土食て、1201口しいぶい……」
1202「ほう、1203綾部ではそういうのかいの、1204福知ではな、1205殿さま米食て、1206百姓麦食て、1207わしゃ土食て、1208口しいぶい……」
1209「へえ、1210おもろいなあ」
1211「米つくる百姓は米食えん。1212米売る米屋も、1213よい米は食われへん。1214嫁はな、1215自分らあ握り飯こっそり食いよって、1216この年寄のわしには、1217小米(こごめ)の粥煮て食わすのじゃで。1218つばくろが巣を作る家は長者になるげなが、1219ふん、1220嫁はさぞ小金を残すじゃろい。1221どれ、1222無駄口はやめじゃ、1223嫁がうるさいでな」
1224 婆さんの後姿を見送りながら、1225「なあんだ、1226嫁さんの悪口か」と澄はおかしかった。
1227 清が足をばたつかせて「あっち、1228あっち」と外へ出たがる。
1229「よしよし、1230かどに行こな」
1231 澄は清をあやしながら、1232裏木戸から町へ出た。
1233「じゃんけんぽん、1234おっこいしょ。1235おっこいしゃんしゃん、1236じゃんけんぽん。1237あいこでしょ……」
1238 澄より年上の子供たちが町角に集まってじゃんけんをしている。1239鬼ごっこだろうか、1240かくれんぼだろうか。1241仲間に加わりたくて、1242むずむずしてくる。1243その誘惑から逃げるように急いで通り抜けた。
1244 かくれんぼに絶好の材木置場や雑木林などがあったが、1245家にいる時と違って、1246遊びほうけることは許されない。1247龍や梅子は今ごろ何しとるやろと思いながら長屋の前を抜けると、1248井戸端で洗濯していた四、1249五人の女たちが澄を見て何か囁きあった。
1250「ちょっと……その子、1251米屋の児やろ」
1252「はい、1253お清さんですわな」と澄は人なつっこい笑顔を見せて立ち止まった。
1254「あんた、1255しんまいの子守(こーも)りやな。1256ちっちゃいのに大きな子負うて、1257どうやいな。1258重いやろ、1259ちょっと降ろしてみないな」
1260 呼び止めた女が親切そうに清を抱きとった。1261澄も肩が楽になって、1262ほうっとした。1263ほかの女たちも清のまわりに集まってきた。
1264「かなんなあ、1265暑いのにこんな長いべべ着せられて……」
1266 女は清をそばの材木の上に立たせ、1267手をさぐった。1268長い袂にかくされていた清の両手は、1269この暑さに包帯が指先も見えぬほど厚く巻かれていた。
1270「かわいそうに、1271火傷じゃろうか」とはじめて包帯に気づいた澄が言い、1272周囲の女たちの熱っぽい視線にけおされて唾をのんだ。
1273「早う見なはれ」と一人が待ちかねたように囁いた。1274初めの女が「ちょっと包帯、1275まき直してやるわな」と澄にことわって、1276くるくるほどき始めた。
1277「あっ!……」
1278 思わず澄は叫んだ。1279清の五本の指の股に、1280家鴨(あひる)の水かきのような肌色の膜がぴったりはりついているではないか。1281澄の背筋に冷たいものが走った。
1282「やっぱり噂どおり……」
1283「水かきや、1284家鴨の生まれ変わりじゃ」
1285「なしたまあ、1286きしょくい。1287見なんだらよかった」
1288「親の因果が子にむくい……ちゅうわけやな。1289おとろしやの」
1290 女たちは好奇心のかなえられた満足を見せまいとして身ぶるいし、1291顔をそむけた。
1292「何ぬかす、1293あほたれ」
1294 我に返った澄は、1295女たちから清を奪いとって抱きかかえ、1296満身の怒りをこめてどなった。1297清が両手をひろげてワッと泣き出した。
1298「お清はんはお前らの見世物やないでよ。1299ようだましくさったな、1300あっちへ行きさらせ」
1301「えらい威勢のよい子やなあ」と一人が笑うと、1302ほかの女たちも声をたてて笑った。
1303 かっとなって澄は片手に砂をつかんだが、1304清がしがみついていて、1305投げることはできなかった。1306澄は地に落ちた包帯を拾ってきっと女どもをにらみつけ、1307清を抱えて引きずるように米屋の裏口へ歩いて行った。1308木戸の横にある庭石に腰かけて、1309澄は清の手に包帯を巻こうとしたが、1310清は手をふり廻して泣きわめき、1311とても手におえたものではない。
1312 その泣き声を聞きつけてとび出した女房がいきなり清を奪いとり、1313思うさま澄の頬に平手打ちをかました。1314澄の小さな体は庭石からころげ落ちた。
1315「わしの子は見世物やないで。1316なんちゅうドモナラズ(性格のわるい子)じゃ。1317もう家にはおいとけん、1318すぐ出て行け」
1319 女房は蒼白な唇をふるわし、1320激しい瞋恚(しんい)をこめたこぶしを振り上げ、1321澄を見すえた。1322あまり激しく、1323不意打ちだったので、1324澄は起き直ったままとっさに口がきけず、1325ただ首を振るだけだった。
1326 女房が泣き叫ぶ清を邪険に抱えて家に入ろうとすると、1327主人が出てきて「何したんや」と澄に難詰(なんきつ)の眼を向けた。1328澄は必死になって主人に(すが)り、1329包帯を解いたのは自分でなく井戸端にいる女たちだと弁解した。
1330 女房の勢いは急にそがれ、1331吊り上がった眼が宙をにらんだ。
1332「あいつらが……畜生」
1333 そして憎しみの余勢で澄の肩を突きとばした。
1334「お前がぶらぶらと歩き廻るさかい、1335清がなぶり者にされるんじゃ。1336もう二度と屋敷の外を出歩くことならんぞ」
1337 言い捨てて、1338女房は清を抱いて、1339足音荒く家に入って行った。1340泣くまいとして唇をゆがめている澄の片頬に、1341真っ赤に女房の手形が残っている。1342主人はそれから視線をそらし、1343気弱く言った。
1344「あれも気が立っとるでのう。1345お前は知らなんだんやで、1346しょうがない。1347清の指のこと、1348言うとけばよかったんじゃが、1349やっぱり言いにくうてなあ……」
1350 そう言って悄然(しょうぜん)と女房の後を追う主人を、1351澄はじっと見ていた。1352主人の言葉は澄の怒りをなだめた。1353怒りに代わって、1354いいようのない哀しみが満ちてきた。
1355 初めて見た清の指――障害の子を持つ両親の苦渋――それが幼い澄の胸にもせつなく響く。1356熱っぽくはれ上がってきた片頬を押え、1357また歪みそうになる唇をかんだ。
1358 町中へ出かけることを禁じられた澄は、1359米屋の庭だけを清をおぶって歩き廻った。1360しかし夏の日盛りを歩き廻るのは、1361負う方も負われる方も苦痛であった。1362いつか澄は木陰に清を坐らせ、1363うたったり、1364とび跳ねたり、1365母から寝物語に聞いた昔話をくり返し話し聞かせるようになった。1366泣き虫で陰気だった清はすっかり明るくなった。1367キャッキャッと笑い声をあげ、1368庭を裸足で走り廻った。1369しかし両手の包帯だけは女房が厳重に巻きかえて、1370誰にも触れさせなかった。1371手のつかえぬ清の口にご飯を運んで食べさせてやるのも、1372澄の役目になった。1373清は「チュミ、1374チュミ」と澄のあと追いをした。
1375 澄は清を背負って米つき機を足で踏み、1376米を精白することも覚えた。1377走り使いやら水汲みまでくるくる動いた。1378清の昼寝のあいまには、1379土間に坐って米をより分けている婆さんの手伝いをし、1380婆さんのぐちも根気よく聞いてやった。1381遊びと同様、1382働くことも心をこめてやればそれなりにおもしろかった。
1383 数え七歳のわりには重宝なので、1384初めのうちは「こんな子預って、1385ちょうちょうするで気がつきるわ」と言っていた女房も次第に心証をよくし、1386「こましゃくれやけど、1387わりとまにあうわな」と時に笑顔を向けてくれるようになった。
1388 小さな澄が大きな子をおぶって一生懸命に立ち働く姿を見て、1389米を買いに来た客がからかい半分、1390慰め半分に声をかけたものである。
1391「お澄はん、1392こういう唄があるわなあ」
1393〽なんぼ(つろ)てもこの子を連れな
1394 わしのお(まんま)の種じゃもの
1395 客のうたってくれた唄が不思議に心に残り、1396澄は晩年まで覚えている。
1397 一月ばかり無事につとめた頃、1398女房が「よう働いてくれたさかい、1399今夜は芝居に連れてっちゃるでよ」と言い出した。
1400 それは澄にとって信じられぬ驚きであった。1401綾部の水無月(みなつき)祭りの日に、1402町の衆が境内に小屋がけして素人芝居を演じた。1403澄は龍といっしょに舞台のかぶりつきにもぐりこみ、1404知っている連中が丁髷(ちょんまげ)を結ったり、1405顔にくまどりしたり、1406妙な声を出したりして全く別人に改まるのを、1407びっくりして眺めた記憶がある。1408だが金を出して本当の役者衆が演じる芝居を見られるなど、1409生まれて初めての出来事であった。
1410 澄以上に女房はこの思いつきに満足しており、1411客が来る度に吹聴した。
1412「この子を芝居に連れてってやりますのや。1413役に立たん奉公人でも、1414親元をはなれて来てるかと思うと不憫(ふびん)なさかい、1415ときどき親がわりにかもうてやりますのじゃ」
1416 婆さんに清を預け、1417女房と澄は重箱を下げて、1418夕方、1419御霊(ごりょう)神社のそば、1420中の町の芝居小屋へ出かけた。
1421「はい、1422いらはい、1423お二人さま、1424ご案内――」と木戸番に景気よく迎えられ、1425下足で履き物を預けると、1426澄はなんだか出世したような気分であった。1427暑い頃なので刺すような便所のにおいが鼻をおそったが、1428そんなことなどへでもなかった。
1429 客はもう六分の入りで、1430女房と澄は、1431花道近くの、1432前の方の畳に坐った。1433両側に桟敷(さじき)があり、1434一段と立派な身なりの人たちが重箱を幾つもひろげて、1435うまそうに物を食っていた。1436女房はお茶番から座蒲団一枚と煙草盆を借り、1437長煙管をとり出した。1438それから少しためらって駄菓子を買い、1439澄にあてがった。
1440 ずいぶん長く待った。1441やがて拍子木がなり、1442重そうな緞帳(どんちょう)が上がった。1443初めはもの珍しく役者の所作や衣装に気をとられていた芝居も、1444澄に内容など分かるわけもなく、1445次第に退屈になった。1446舞台より周囲の観客を眺める方がおもしろかった。
1447「あーあ、1448まあま、1449あれ、1450しゃっちもない、1451……なしたまあ……ふんふん、1452むごいことじゃのう」と役者の声音や表情につれそれなりの反応を示していちいち呟き相槌を打つ老婆、1453おいおい泣き出す女、1454知ったかぶって筋の先々を説明したがる男、1455いちいち善玉か悪玉かを傍の者に聞かねばわからぬ呑みこみのわるい客……。
1456 澄はきょろきょろ眺め廻しながら、1457駄菓子をバリバリ音立ててかんだ。1458女房が澄の(もも)をつねって、1459「うるさいでえ。1460こんなよい時に物など食べるやない」と叱ったが、1461そのくせ自分も手を伸ばして、1462無意識に菓子を口に運んでいた。
1463 長い幕間に重箱をひろげ、1464澄は夢中で食べた。1465おにぎりに玉子焼・こんにゃく・奈良漬であった。1466奉公に来て初めてのたいへんなご馳走であった。
1467 やがて疲れと満腹感で瞼がたまらなく重くなり、1468こくりこくりと舟をこぎ出した。1469キュッと股に痛みを感じてハッと目覚め、1470不愉快そうな女房の顔が遠くに見えるが、1471それもつかのま、1472舞台が夢か、1473夢が舞台か、1474区別もつかなくなってしまうのだった。
1475 恐ろしい夢に目覚めてみると、1476汗がぐっしょり肌を濡らしていた。1477真っ暗であった。1478手を伸ばせば、1479いつもの蒲団も冷たい板の間もなく、1480ざらざらした畳の感触が続いていた。1481たしかに異常なので、1482息をひそめて目が闇に慣れるのを待った。1483澄の寝場所は屋根裏で、1484天井板が頭につかえそうに低かったが、1485いまは気の遠くなるほど高くにあり、1486周囲もいやに広々としていた。1487悪夢の続きかも知れないと、1488澄は目をこすった。
1489 ここが芝居小屋だと呑みこめるまでに、1490長い恐怖の時間があった。1491手で探ると、1492女房が下足から運んでおいたものか、1493枕元に澄の草履がぽつんと置かれていた。
1494 方向の見当も何も分からなかった。1495早くこの恐ろしい小屋から逃げ出そうと手探りで出口を探し廻り、1496あっちへひょろひょろ、1497こっちへひょろひょろ、1498柱に頭をぶっつけたり、1499敷居にけつまずいたり、1500悲鳴をあげまいと歯をくいしばって、1501やっとのことで表へ出た。
1502 夜ふけの町は、1503見知らぬ世界のように、1504しいんと寝静まっていた。1505自分の足音にも怯えながらどうにか米屋の戸口まで帰りつき、1506気がねしながら戸を叩いた。1507必死になって帰ってはみても、1508それはよその家なのだ。
1509 やっと戸が開き、1510女房が寝巻き姿で現れた。
1511「うちを忘れて()んじゃったん?……」と澄がうらめしそうに聞いた。
1512 女房はけろっとして、1513「ああ、1514目が覚めたんかい。1515よう眠っとったさかい、1516置いてきたのや。1517今日はえらい楽さしてやったで、1518明日からその分うんと働いてとり返すのやで」、1519そして大きなあくびをし、1520
1521「戸じまり忘れたらあかんでよ」とつけ加えるのを忘れなかった。
1522 澄は床に入った。1523幼いながらも、1524奉公勤めのきびしさが身内にしみ通って、1525なかなか寝つかれなかった。
1526 朝食の後片づけをすませて(かわや)に入ろうとした澄は、1527はっと立ちすくんだ。1528気のせいか、1529母の声が――。
1530 店先まで走り出た。1531主人と話しているのはまぎれもなく母であった。1532澄はものも言えず、1533とんで行って、1534母の腰にしがみついた。
1535「気にかかってならんさかい、1536様子を見に来たのじゃ。1537元気そうでよかった」と直は澄の背を撫で、1538出てきた女房や使用人たちにも深く礼を言った。
1539 女房は得意げに言った。
1540「よう働いてくれちゃったさかい、1541こないだ芝居見に連れていきましたんやで」
1542 年が幾つか逆もどりしたように、1543澄は母の袂を握って離さなかった。
1544 主人の許しを得て、1545澄は清を背に、1546母といっしょに外に出た。
1547「重かろう、1548母さんが代わろう」と何べんか直は言ったが、1549澄は首を振って母の手をしっかり握ったまま、1550おし黙って歩いた。
1551 由良(ゆら)川の川原の見えるあたりで、1552澄の手がぶるんと痙攣(けいれん)した。1553直が驚いて見ると、1554澄は額に汗の粒をびっしり浮かべ、1555こわばった表情で変な歩き方をしている。
1556「どうしたんじゃ、1557腹でも痛いのかい」
1558「……」
1559「お澄、1560お澄……」
1561 直はうろたえて清を抱きとり、1562澄の額にさわった。1563澄は顔を赤らめ、1564母の手をはらいのけた。
1565「なんでもない、1566もうよいん……」
1567「よいって何が……」
1568 澄は母の耳に口を寄せ、1569石にも聞かせまいとする小声でやっといった。
1570「失敗したんや」
1571「え?……」
1572(かわや)に行きかけてたとこ、1573母さんが来ちゃったさかい……」
1574「え?……」
1575「こばっ(耐え)とったんやが、1576ウンチ出た。1577ああ、1578ほっこりした」
1579「……何もこばらいでも……草むらですればよかったのに……」と直はあきれて澄の顔をのぞきこんだ。
1580「いやでよう。1581母さんは、1582その間に帰んでしもてやもん」
1583 澄は激しく直にしがみついた。1584直はこみ上げそうになる涙をこらえ、1585澄の手を引いて川原の草むらに出た。
1586「母さんがよごれた所を川で洗うてあげるさかい、1587その間に水浴びしとんなよ」
1588「うん、1589ほんまにどこへも行かんといてよ」
1590 澄は念を押して裸になった。
1591 晩夏の由良川の水は澄みきって、1592背丈のぐんとのびた鮎の清楚な姿が水底にくっきり影を落としている。1593昼前のせいか、1594上流の淀みで泳ぐ子供たちのわずかな姿があるばかりだった。
1595「わあ、1596(ちめ)た、1597水に入るの、1598今年初めてじゃ。1599母さん、1600冷とうてよい気持ちやで」
1601 白く丸いお尻を水につけながら、1602澄が手をふって叫んだ。1603地に降ろされた清が、1604危っかしい足どりで河原を走った。1605澄の汚れた着物を片手に、1606あわてて直が追ってくる。
1607「チュミ、1608チュミ……」とばちゃばちゃ水辺に入ってくる清を、1609裸の澄が抱きとめた。
1610 直が笑った。
1611「元気な子やなあ。1612お澄が負うとるさかい、1613こんなに足が達者やと思わなんだ」
1614 水に入って、1615清の両手の包帯がぐっしょり濡れた。1616直が包帯に手をかけると、1617澄が叫んだ。
1618「ほどいたらあかん。1619お清さんの指、1620見たらあかんのや」
1621「それでも早う洗うて乾かさなんだら、1622この暑さに蒸れてしまうわな。1623乾いたらちゃんと母さんが巻いてあげるさかい……」
1624 澄は悲しげな目で母を仰いだ。1625包帯を解いた直は顔色をかえ、1626息をつめた。1627しかしすぐ笑顔に戻ると、1628やさしく清に話しかけた。
1629「かわいそうに、1630汗疹(あせも)だらけで気持ちわるいじゃろ。1631わしがここで番してあげるさかい、1632お澄と水遊びしてみなされ」
1633 裸んぼの二人は、1634きゃっきゃっとはしゃぎ廻り、1635水にたわむれた。1636青空の下で裸になって水遊びするのはおそらく初めての清だろう、1637まさに有頂天の喜びようだった。1638川下で包帯を洗い、1639澄の着物の汚れをつまみ洗いしながら、1640直は流れる涙を袖で拭った。
1641 働きもせず娘と遊ぶ極楽のような一時は、1642すぐ過ぎていった。1643夏の終わりとはいえ、1644河原にはね返る陽ざしはまだ強い。1645乾いた包帯と着物をとり上げ、1646直は子供たちを呼んだ。1647腰の手拭いで二人の体を拭き、1648すなおにさし出す清の手に包帯を巻いた。
1649 着物を着終わった澄は、1650すっかり甘えん坊になって母にからみつく。1651その手をそっと直は押しのけた。
1652「よう聞きなよ。1653忙しい時が過ぎて、1654御主人さまのおひまが出るまで、1655勝手には帰れんで。1656もう少しの辛抱やさかいな」
1657「かなわん、1658うち、1659いっしょに綾部へ帰る」
1660 母の袂をつかむ。1661その指の力のこもりように、1662澄の心があった。1663こんなにまで母を求めている子を他人の手にまかせて、1664また別れていかねばならない。1665強くならねばならんと、1666直は自分に言い聞かせた。
1667 清が二人の間に割って入って澄にしがみつき、1668「チュミ、1669チュミ」と叫んだ。
1670「お澄や、1671お前を慕うとる、1672この子を見なされ。1673みんな生まれながらに、1674業を背負うているのじゃ。1675どんなに辛くても、1676それをこらえて生きていくのが行じゃでよ。1677お前は、1678うんと強い子のはずじゃった、1679男八兵衛じゃもの……」
1680 やさしい母のもの言いの中に、1681それ以上さからえない力があった。1682澄は聞きわけたのか、1683うなだれながら、1684清に背を向けておぶった。1685いっしょに道まで上がると、1686直は言った。
1687「ここから見とるさかい、1688先にお帰り……」
1689 ほこりっぽい石ころ道を行く澄の後姿は、1690清の身でかくれてわずか足元しか見えぬ。1691それはいかにも頼りなげに、1692小さかった。1693引き戻してかきいだいてやりたい衝動を、1694直はこらえた。1695いくらも行かぬうち、1696曲がり角に消えていった。1697うなだれて、1698直は誰も待つ者のいない綾部に向かって歩き出した。
1699 澄は曲がり角まで引き返して、1700じっと見送っていた。1701頭髪もめっきり白くなり、1702老いのかげの深い母のうしろ姿を――。
1703 米屋の多忙な時期も一段落して、1704澄は帰されることになった。1705昔は食べさしてもらうだけで給金というものはなく、1706盆か正月に前掛けか着物をもらうぐらいだった。1707生まれて初めて、1708働いて手にしたお仕着せの着物をしっかり抱えて、1709澄の足は宙を浮くように軽かった。
1710 夏もすっかり過ぎ、1711秋風がこく身にしみる頃であった。
   
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11/30霊界物語音読霊界物語の音読(朗読)をユーチューブにアップしました。今回追加したのは第1巻と第68~72巻の計6巻分です。「音読まとめ」を見て下さい。
5/1【霊界物語ネット】霊界物語本文中の「ビクトリア」を「ビクトリヤ」に直しました。事情はオニペディアの「ビクトリヤ」の「ビクトリヤとビクトリア」をお読みください。
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