霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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金明霊学会

インフォメーション
題名:07 金明霊学会 著者:出口和明
ページ:287 目次メモ:
概要:明治33年(1900年)旧元日、喜三郎と澄の結婚式。4月2日、金明会と霊学会を合体させ金明霊学会とする。京都の支部で南部孫三郎の妄動、近松家の悲劇。 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-12-29 20:12:44 OBC :B138906c07
0001 明治三十三(一九〇〇)年、0002二十世紀の幕開けだ。
0003 一月三十一日は旧正月元旦、0004丹波には珍しい晴天である。0005塩見長聴(ながのり)は不機嫌であった。0006元旦早々起こった妻じゅん(四十八歳)との(いさか)いが、0007ざらざらと心を荒らした。
0008 確かに重箱には煮物が並び、0009家族そろって形ばかりの屠蘇(とそ)も祝った。0010じゅんは念入りに身づくろっていた。0011木綿の袷ではあったが、0012一張羅である。0013日頃になく浮き立っている。
0014「おい、0015どこか行くんかい」
0016「へえ、0017ちょこっとやらしてもらいます。0018今日は上田先生と、0019教祖さまのところのお澄さんの結婚式ですわな。0020わたしは仲人役をさせてもらいますで」
0021「元旦早々か」
0022 長聴の声には不満がこもっている。0023それはそうだろう、0024じゅんが仲人ならば、0025当然、0026夫である自分の出番もあるべきだ。
0027「お日どりは、0028神さまがお決めなさったこと。0029ありがたいこってすわな」
0030 夫を無視していることすら、0031じゅんの念頭にはないらしい。
0032 じゅんは羽織を着た。0033見なれぬ黒紋付である。
0034「その羽織、0035どうしたのや」
0036「へえ、0037借りましたわな、0038平蔵はんとこから――家には、0039もうとうから紋付なんてありまへんさかいなあ」
0040 長聴は、0041自分の生活力を批判されたようでむっとした。0042残った屠蘇をぐっとあけて、0043眼を怒らせる。
0044「しかし、0045妙やないか。0046仲人は女だけではつとまらん。0047男の方はどうするのやいな」
0048「ほんまは鷹栖の四方平蔵はんが仲人じゃがええ、0049奥さんが具合わるうて、0050急にわたしが教祖さまに頼まれましたんや。0051平蔵はんと仮夫婦ということやげなで」
0052「わしに断わりもなく仮夫婦やて。0053武士の女房が……他の男の紋どころなど平気で着おって……」
0054 吐き出すように長聴が言った。0055酔いも手伝っている。
0056「阿呆なこと言わんときなはれ。0057他のことならともかく、0058艮の金神さまのお世継が決まる、0059めでたいお式ですで」
0060 決めつけるじゅんの眼に、0061夫を立ち入らせぬ強い光があった。
0062「ほな、0063行かしてもらいます。0064せいや、0065あとのこと頼みましたで」
0066 娘せいは妻とうなずき合った。
0067 長聴は、0068若くして綾部藩の剣術指南役をつとめていた。0069明治三(一八七〇)年に田辺藩(現舞鶴市)の祐筆(ゆうひつ)役森市郎の長女じゅんと結婚。0070禄を離れ剣を捨てては、0071生きていく術も思いつかぬ。0072とまどう間もなく子供は生まれる。0073小さな山畑を耕し、0074夏は和知川で鮎をとって料亭に売り、0075秋は持ち山の松茸や柿を売って僅かな現金収入に代えた。
0076 定職を持たぬ夫につかえ、0077妻は健気にも貧苦と闘いぬいてきた。0078三男五女の八人の子を育て得たのは、0079ひとえにじゅんの働きといってよい。
0080 本宮新町の屑買い、0081大工出口政五郎の未亡人が気がおかしくなり、0082妙な予言や病気治しを始め出してから、0083妻の様子が変わってきた。0084子供の病気・けが・心配ごと、0085何であれ夫に相談する前に、0086直のもとへとんで行った。0087もっとも、0088幾度もその効験はあったようだ。
0089 ともかく子供らは一人も欠けずに無事に大きくなったが、0090かと言って、0091それがすべて妻の夢中になる艮の金神の御神徳やらどうやら知れたもんじゃない。0092否、0093むしろ被害の方がはるかに大きいと、0094長聴は思っている。
0095 日中は子供の世話や家事、0096手内職仕事にくるくると立ち働く妻も、0097子供らが寝入ってほっと一息つく夜にはいなくなる。0098夜ごとの参拝が唯一の楽しみらしい。
0099 妻は出口直の絶対の信奉者であったが、0100また説教は金光教会教師の足立正信に心酔していて、0101家に戻ってからも夫に口真似の話を説いて聞かせる。
0102 廃藩置県後も九鬼(くき)の殿さまの恩義を思って、0103一途にその菩提寺隆光寺の世話を続ける長聴にとっては、0104妻の神さん話など小癪なこと限りない。0105口論が昂ぶって離縁話が持ち上がった時、0106じゅんは毅然としてこう言った。
0107「一旦嫁した以上は、0108夫以外の所にわたしの家はござりまへん」
0109 士族の妻女の紋切り型のせりふだったが、0110どうやらそれも直の感化と思える。0111働きのある妻に子を置いて去られると一大事であったから、0112長聴もそれを汐に黙認のかたちとなった。
0113 直の日常は想像以上につましいとみえ、0114「教祖さまより贅沢してはすまぬ」と、0115質素な上にも生活を切りつめていった。
0116 糠に塩湯をまぜた糠汁が、0117朝の味噌汁代わりとなった。0118手内職で得る僅かな賃金の中からやりくりして、0119何かと神前に供えているらしい。0120畑の上がりものの大根やなすびなども、0121いつの間にか運んで行く。
0122 三女せいが年頃になってきて、0123母に染まり、0124上谷に通って神がかり修行を始めだす。0125家に帰っては普通の娘と変わりないが、0126近所の噂では、0127ひところ幽斎修行とやらで、0128とんだりはねたり、0129妙な託宣をやったりして人気を得ていたとか。
0130 じゅんは、0131下駄の歯音をぎしぎしきしらせ、0132斑雪(はだれゆき)を踏みくだいて出て行った。
0133 長聴は苦々しかった。0134しかし厳寒にもかかさず暁の水行を続け真剣に祈る妻の姿を見れば、0135なまなかな叱責など何の役にも立たぬと知るのだった。
0136 広前では、0137祐助と平蔵が喜三郎の指図のままに、0138てんてこ舞いで式場をつくっていた。0139台所のあれこれを終えた直と澄は、0140塩見じゅんの手をかりて、0141奥の間で式の着付けにかかる。
0142 銀髪を美しく梳いて、0143後で小さく丸めた直は、0144白衣の上に紫と白の染分け紐のある薄茶の格衣(かくい)0145木綿の白衣に緋の袴、0146長い黒髪を背にすべらしただけの花嫁は、0147何の飾りもない簡素な中に、0148天然の美しさを清々しく香らせている。
0149 平蔵の合図があって、0150じゅんは澄の手をとり広前へと導いた。0151花婿はと見るじゅんの眼は、0152一瞬とまどった。0153(なり)にかまわぬ、0154ずぼらなばかりの喜三郎とは打ってかわった端麗さ、0155高雅な気品。
0156「お澄はん、0157あれ、0158見なはれ」
0159 じゅんは思わず花嫁に囁いた。0160澄は眼を上げた。0161きらりと光が射た。0162喜三郎の胸に輝く勾玉(まがたま)と小さな方円の鏡だった。
0163 喜三郎は岩冠(いわかんむり)烏帽子(えぼし))、0164玉虫色の狩衣(かりぎぬ)切袴(きりばかま)0165烏帽子の紐は紙紐で、0166あごに掛けるだけの慣習を破って、0167烏帽子の上部にまで二重にまわした飾り紐をあごに大きく結んで垂らしていた。0168喜三郎の好みであろう(後でこの烏帽子結びは、0169大本独自のものとなった)。
0170 狩衣の上にかけた二連の勾玉の首飾りに鏡をつけ、0171紫の房を合わせたのは、0172喜三郎がかつて高熊山で霊視した神素盞嗚尊の御頚珠(みくびたま)……尊は自らそれを喜三郎に給わんとして、0173玉の緒をもゆらに取りゆらかして響かせ給うた……。
0174 その忘れ得ぬ霊妙な音色を恋うて、0175後に喜三郎が求めたもの。0176結婚に当たって、0177これを首に飾った。0178ひそかなる尊貴への憧れと世を救う神業への自覚、0179自負のためであった。
0180 四方平蔵よりお祓いを受け、0181御簾(みす)の奥、0182拝殿に進んで、0183直が結婚の由を言霊で奏上。0184大・中・小の雲かわらけを三方に乗せて平蔵が運び、0185直の注いだ神酒を受ける新郎・新婦の盃ごと。0186一同天津祝詞奏上と、0187式は簡潔にして力強く、0188(みやび)やかに進んだ。
0189 終って、0190朽木模様の戸張(とばり)をおろした神床を背に、0191中央の台上に直、0192その左に喜三郎が(しゃく)を構えて座し、0193右には澄が中啓(ちゅうけい)を手に記念写真を写した。0194直にとって、0195おそらく初めての写真であったろう。
0196 写したのは西本町の玉田写真館の主人玉田霞城(がじょう)で、0197のちに信者になっている。
0198 平蔵・じゅんの仮夫婦は、0199額の汗をふき、0200緊張を解いた。0201花嫁にも増して、0202じゅんはかちかちになっていた。0203だが直に命じられた仲人の役を無事に勤め上げた今、0204嬉しさにとび立つ思いで、0205直会(なおらい)の準備にかかる。
0206 御簾の外には、0207陪席した足立正信ほか数名の信者が、0208大方つまらぬ顔で並んでいた。0209親類の一人も参加はなかった。
0210 夕暮れ、0211喜三郎は澄を誘って本宮山に登った。0212人生の新しい旅の門出のこの日、0213あの時のように新妻の肩を抱き寄せ、0214雪の里にともる灯を眺めつつ、0215綾部の人となった思いをかみしめたかった。
0216 翌二月一日(旧正月二日)、0217土田雄弘は結婚の報を受けて新庄から参綾、0218前後して、0219八木の福島夫婦もとんできた。0220直と新郎新婦に祝いを述べた後、0221広前で足立正信や四方平蔵の接待を受けた。
0222「何がめでたいんやな。0223土田はん。0224あんたは知らんやろが、0225これで金明会もいよいよ終わりやで。0226まあ見とってみ、0227あの会長はんについていく阿呆があるかどうか……」
0228 こんな晴れの席であるのに、0229口を開くや足立は、0230日頃の喜三郎の行状を数えたて出した。0231四方平蔵の取りなしも眼中になく、0232正月酒の酔いも手伝って、0233ついには穴太での悪評判までさらけ出す。
0234 喜三郎の霊学に感じて金光教布教師から転向した土田雄弘は、0235いとこの南部孫三郎の命を助けられた恩もあり、0236師への悪口を聞くに耐えかね反論する。
0237「会長はんは、0238確かにアクの強いお方や。0239わしらには見当のとれんところがおます。0240けどわしらは、0241神示のお筆先のままに従う信者どっしゃろ。0242『上田を神の御用に使うぞよ』とあれば、0243素直に聞くのがわしらの誠や」
0244「ほんな、0245上田会長がどんな無茶をしても黙っとれと、0246あんたは言うんか。0247新庄にすっこんどるあんたはそれでよいやろけど、0248日常傍におるわしらの身にもなってみい。0249何のための役員やい。0250目に余るところは改心してもらわな、0251信者は増えるどころか減る一方じゃ」
0252「だいたい足立はんは、0253口が過ぎるというもんじゃ。0254昨日結婚したばかりの花嫁かていることやし……」
0255「おう、0256だからこそ、0257わしはお澄はんに聞かしたい」
0258「馬鹿」
0259 土田がなぐりかかる。0260足立も負けずにつかみ合った。
0261 澄が出てきて二人を引き分け、0262にっこりする。
0263「足立先生、0264心配はいりまへんで。0265うちも阿呆ですさかい、0266阿呆の婿はんでよい取り合わせや」
0267 足立はむうっと黙りこんだ。0268酒が出て、0269銘々が思いに沈みつつ、0270飲み始める。0271神がかりの鎮まった福島寅之助は、0272久の横におとなしく膝をそろえ、0273無言で飲んでいる。
0274 喧嘩の成行きをじっと見ていた久が、0275切り口上で喜三郎に向った。
0276「上田はん、0277あんたの日常のだらしない暮らしぶりは、0278八木にまで聞こえてますのやで。0279足立先生の今のお話聞いて、0280少しは反省してござるか。0281金明会(きんめいかい)の会長はんとしてなら、0282一信者のわたしも眼えつぶるかも知れまへん。0283けれど澄の婿になっちゃった以上、0284わたしは今日から義姉です。0285義姉として言わしてもらうさかい、0286聞いとくれなはれや」
0287 理屈っぽい性格をむき出して頭ごなしに言いたてる妻に、0288寅之助が弱った顔になった。0289久は両手をきっちり膝に置き、0290畳をすって近寄る。
0291「あんたは何になりなはったつもりや。0292三千世界を立替え立直す大本のお世継の婿じゃでよ。0293あんたに神さまがわかりますか」
0294 喜三郎は、0295だらしなく鼻の下をのばした。
0296「わしはお澄に惚れたさかい、0297亭主になっただけや」
0298 久は顔色を変えた。
0299「そんなええころかげんなことで、0300この大本がかまえますか」
0301「さあなあ、0302できるもできんも、0303神さまのお心次第やろ」
0304「なんちゅう情ない男やいな、0305この男は。0306できなんだら、0307とっとと去んどくれ」
0308「わしかて去にたいのは山々やが、0309神さまに縛られて、0310てこでも動かれへん」
0311 久は大きく溜息を吐き、0312
0313「平蔵はん、0314あんたが仲人じゃげなが、0315困った人を婿に世話してくれちゃったなあ」
0316「へい……」
0317 平蔵は苦笑する。
0318「話にもならん。0319金光教の先生方とは天地の相違や」
0320 足立が天井を向いてうそぶいた。
0321 喜三郎と澄には、0322二人だけの新婚生活などあるわけもなかった。
0323 翌二日の夕方、0324大槻鹿蔵が広前に上がりこんできた。
0325「出てこい。0326澄の男というのはどいつや」
0327 ぞろりと着流しの腰に日本刀を一本、0328これ見よがしにさしている。0329酒をひっかけた勢いで来たのか、0330眼が気味わるくすわっている。
0331「鬼が来た。0332因鹿(いんしか)や……」
0333 祐助老人や参拝の信者たちは震え上がって、0334喜三郎の居間に逃げこんだ。0335喜三郎が大槻鹿蔵を見るのは初めてだ。
0336「わしが澄の亭主の上田喜三郎。0337あんたは誰じゃい」
0338「お前、0339大槻鹿蔵の面も知らねえとは、0340どこからもぐりこんだ馬の骨じゃい」
0341「ああ、0342あんたは牛の骨……やなかった、0343牛の肉を扱う牛肉屋はん。0344聞いとる、0345聞いとる。0346大槻米はんの旦那やろ」
0347「気やすうぬかすな。0348この綾部はわしの縄張りのうちじゃ。0349誰知らん者もない丹波の侠客鹿蔵たあ、0350おれのことや」
0351「お米はん、0352機嫌ようしとってか」
0353「じゃかましわ。0354姉婿のこの大槻鹿蔵の顔をようつぶしてくれた。0355澄の結婚式になぜ招待せなんだ。0356さあ納得いくまで聞かしてもらおう」
0357 刀のつかに手をかけて、0358思わせぶりに赤錆だらけの刀身を抜いたり差したり。
0359「招待するせんは神さまの都合次第や。0360何でや知らんが、0361出口も上田も親戚は一人も来とらん。0362と言うても、0363納得するお前やないやろ。0364納得のいく返答ならこれか」
0365 侠客に理屈は禁物、0366意気と度胸だ。0367喜三郎はぱっと両肌脱いで、0368四股をふんだ。
0369「やるか」
0370 鹿蔵は身構えて錆刀を抜きかけたが、0371照れたようにパチンとさし直した。0372米をさらった頃の丹波三幅対(さんぷくつい)の一人、0373往年の因鹿の勢いも体力もない。0374年寄りの子供じみたおどかしとしか、0375喜三郎には見えぬ。
0376「どうした。0377やらんのか。0378その赤鰯(あかいわし)では牛肉は切れても、0379人の骨は無理やろなあ」
0380 鹿蔵は頬をひきつらせて笑った。
0381「おもろい、0382お前は足立と違うて手応えがあるわい。0383気に入ったぞ。0384今日はこれで()んでやるが、0385明日はまた(おとろ)しい土産を持ってきたるでよ」
0386「せっかくなら赤鰯はやめて、0387土産は鉄砲(ふぐの異称)か大砲にでもしとくれや」
0388「しゃれたことを……。0389よし、0390お前はほんまの兄弟分じゃ。0391たまには遊びに来い。0392血のしたたる牛肉でも食わせちゃるで」
0393「義姉さんによろしゅう」
0394 喜三郎は戸口まで鹿蔵を見送った。0395肩を怒らせ、0396刀のつかに手をかけて虚勢を張らずには歩けぬ老侠客の姿が、0397ふと哀れだった。
0398 四方春蔵は、0399上谷にこもって、0400広前に姿を見せなくなった。
0401「上谷こそ、0402経綸の地場。0403この方が因縁の身魂であるぞ。0404綾部は汚れたゆえに、0405新つに聖地を移して三千世界を立替えるぞよ」
0406 白衣に笏を持って、0407集まる信者たちに崇められているという。
0408 澄を喜三郎にとられて意気消沈した中村竹吉も、0409音沙汰がない。
0410 足立正信は、0411福島寅之助の神がかりを利用しての喜三郎追放の執念を捨て切れず、0412陰に陽に策動した。
0413 朝日が白梅の枝にしろじろとおく霜を融かして登る。
0414 直と喜三郎は縁先に並び立ち、0415大広間の庭に咲き匂う白梅の花を眺めていた。0416そこへ久しぶりで中村竹吉が参拝してきて、0417いっしょに眺める。
0418 直は白梅の見事な一枝をさし、0419しみじみと語る。
0420「お筆先に、0421『梅は寒中が花盛りであるぞよ。0422梅は苦労が長きぞよ。0423桜は花の(旧)三月時分で、0424よきおり、0425人も勇むおりの花であれども、0426梅は結構な実りがいたして、0427ながらく調法がりてもらう実りをいたすぞよ。0428桜は花はけっこうに申せども、0429実になれば、0430だれも調法がらぬ実であるぞよ。0431何ごとも苦労なしには、0432まことがでてこぬぞよ。0433つらぬかねば、0434名の残るようなことはないぞよ』とありますが、0435人は誰でもあの梅の花のようなものでありとうございますなあ」
0436 その直後、0437直の示した梅の梢がなくなった。0438そして、0439二、0440三日後、0441中村竹吉が(かみしも)姿で大広間に四角張って現われ、0442四方祐助に居間にいる喜三郎を呼びにやらせた。
0443 喜三郎が大広間に行くと、0444中村竹吉が神床を背に厳然と坐り、0445喜三郎に下座を示した。0446言われた通り、0447喜三郎は対座する。
0448「上田はん、0449これからおれが申し渡すこと、0450心して拝聴するのやで。0451教祖さまが『あの梅の花のようなものでありたい』と指された梅の一本、0452おれが切り取ってわが家へ持って帰ったんじゃな」
0453「そうか、0454盗人(ぬすっと)はあんたか。0455それでどうした」
0456「花瓶にさして一晩、0457花の薫りをおれの五体に吸いこませたんや。0458翌朝から、0459花は湯にひたして一片残らず食った。0460花をひたした湯も一滴残さず飲んだ。0461枝は焼いて灰にし、0462これもぜーんぶ食った。0463そこであの梅はすっかりおれの体内に納まったわけやが、0464この尊い意味が分かるやろか、0465会長はん」
0466「さっぱり分からんのう」
0467「ああ、0468情けない。0469会長はんとおれの二人の時に、0470教祖さまが神示しちゃったんやで。0471それをあんたは悟れなんだ。0472それだけでも金明会の会長は失格や。0473梅の花を食ったちゅうことは、0474教祖さまの御神徳をこの中村がみないただいたことやでよ。0475これからおれは三千世界の教祖であるぞよ」
0476 あまりのばからしさに黙っていると、0477中村はますます肩肱をいからす。
0478「朝夕に寒水(ひやみず)浴びた御神徳で、0479この結構な御用をうけたまわってござる。0480水行もせんようなずぼらな会長は、0481今日から御用はさし止めるぞよ。0482この中村の許しがなかったら、0483なんぼ会長はんかて筆先の拝読はさせまへんで。0484異存があったらあると言うてみな。0485この神柱が耳をかしたる」
0486 喋っているうちにますます逆上した中村は、0487庭に下りて左手に水桶、0488右手に杓を持って、0489水をまき散らす。0490空になった桶を置き、0491杓を片手に踊りながら、0492筆先の言葉を真似てわめき散らした。
0493「大本はひかえがこしらえてあるほどに、0494人民は改心いたして下されよ。0495吾こそは瑞の御霊、0496三千世界の神柱と明白(ありやか)になりたぞよ。0497あとの烏が先に立つと申してあろうがな。0498天と地がかえると申す筆先は今日のことであるぞよ。0499足元から鳥が立つまで知らなんだ上田殿はお気の毒、0500この上は上田を早く去なさねば、0501神の仕組みの邪魔になるぞよ」
0502 以来、0503中村は「(きちゃな)い人民の霊魂に白梅の花の化身の神柱が洗礼ほどこす」と称し、0504あたりの村々に杓と水桶を持って水をまいて廻る。0505その中村の狂態を見て村上房之助は誠の生神と信じ、0506役員信者に中村熱をあおる。
0507 四方平蔵は喜三郎と中村との善悪正邪の判断に迷い、0508鷹栖のわが家に引きこもって出てこなくなった。
0509 一方、0510四方春蔵は上谷に陣取って、0511神がかりを続ける。
0512「上田が霊学を持ちこんで綾部を汚しちゃったさかい、0513大神さまは綾部から上谷に移られた。0514中村竹吉や福島寅之助などの神がかりにまことの仕組みなど分からんがな。0515お蔭ほしくば上谷のわが家にござれ。0516盤古大神のおかかりなされた四方春蔵が、0517根本のまことのまことを説いて聞かせる」
0518 ほとんどの信者たちが綾部を捨てて、0519上谷の四方春蔵館に参拝するようになった。
0520 澄が喜三郎と結婚したことによって、0521役員信者たちの心はおのが向き向きになっていく。0522この時とばかり足立正信は、0523中村竹吉、0524四方春蔵、0525そして時々八木からやってくる福島寅之助の神がかりを利用して喜三郎追放に暗躍する。0526東四辻の広間は、0527急激に参拝者が減っていた。
0528 ついに直は、0529足立に綾部退去を命じた。0530うろたえた足立は喜三郎への服従を誓ったが、0531神示として直は許さなかった。0532四方純は一月二日に足立の子を産み、0533重次と名付けている。0534純にも重次にも後髪をひかれながら、0535足立は遠州浜松在の金光教信者久保某を頼って引き揚げて行く。
0536 四面楚歌の時、0537喜三郎は常に思い切った手を打って局面の打開をはかる。
0538 四月二日(旧三月三日)、0539金明会と霊学会を合体させて金明霊学会と改称し、0540新役員を任命した。
0541 金明霊学会の会則は九章四十一条からなるが、0542その趣旨。
0543一、0544本会は、0545金甌(きんおう)無欠の皇室を仰ぎ、0546朝旨を遵守し、0547皇典を講究して国体を弁明し、0548古今の成蹟を推考して国家の実益を謀り、0549天神地祇八百万の神を崇敬し、0550以て報恩謝徳の道を拡充し惟神の徳性を宇内(うだい)に宣揚するを主要とす。
0551二、0552皇室の聖教を発揮し、0553国武彦命の大教を遵奉し、0554出口開祖の幽玄聖美なる神訓を顕彰し、0555聖教本義を講究して、0556神理を闡明(せんめい)するを以て目的とす。
0557三、0558本会は宗教上の主義より結集するものに非ざれば、0559何教何宗の信徒の入会するも不都合なきものとす。
0560 当時の国家主義的な国民教化の線にそった作文である。0561新しい思想が育っていくためには情勢に応じた衣が必要であり、0562そこに組織者としての喜三郎の苦心があった。0563第二条では「出口開祖の幽玄聖美なる神訓(筆先)を顕彰し」と明治二十六年から書き続けた筆先に光を当てながら、0564その筆先の本質が三千世界の立替え立直し、0565現状破壊であることには触れられていない。
0566 金明霊学会の特異な体質として、0567希望者は「修行」することができる。0568会則によれば、0569修行は学術・顕斎・幽斎の三科に分けられ、0570学術は神典を読踊してその意義を研究し、0571顕斎は祝詞の文例や祭典方式を学んで実習し、0572幽斎は最高の研究として各自の霊魂が幽冥へ感合することを修行した。0573もちろん信者の関心は、0574神霊の実在を認識し得る幽斎研究に集中したことはいうまでもない。
0575 京都の蛸薬師(たこやくし)角で八百屋を営む田中善吉(三十三歳)は、0576北野天神にお参りし、0577境内の白梅の下に立つ若い芸妓のあで姿に見惚れていた。
0578「花よりおなご……か」と背後から声がかかった。
0579 田中善吉は、0580びくりと振り向いた。
0581「なんや、0582南部はんか……あんまり梅がきれいどすで……」
0583 とっさに弁解口調が先に立った。
0584「あんたも好きやさかい……花が。0585ふっふっ……」
0586 南部孫三郎(三十五歳)は、0587濃い髭面を崩して、0588意味ありげに笑う。0589善吉は、0590田螺(たにし)のような眼をぐりっとさせた。
0591 さらに押しかぶせるように、0592南部は言う。
0593「女はあかんで、0594女は……隠しても、0595あんたの心のうちは見えるのや」
0596 善吉は腹が立った。0597断わりもなく人の心に立ち入らせてよいほど、0598この男と親しくした覚えはなかった。
0599「あんたはんこそどないです。0600この頃は派手な噂も聞こえしまへんが」
0601 しっぺ返しのつもりだった。
0602 南部孫三郎は金光教の京都島原教会長・杉田政治郎の弟子で、0603学識もある有能な布教師であった。0604ずっと以前、0605善吉も金光教一信徒としての彼の教話を聞いたことがある。0606弁は立つし、0607説得力もあった。0608京都から尾州・遠州・駿州あたりまで自力で十七ケ所も広前をひらきながら、0609その度ごとに女関係で失敗、0610杉田に破門追放されたと聞く。
0611「わしかい。0612あいにくと女どころではなかったで……」
0613 まだ肌寒いのに薄汚れた単衣一枚の南部の姿を見て、0614善吉はうなずいた。
0615 ――ずっと宗教で飯を食っていた者が、0616その飯の種を奪われては、0617まったく女どころやない。0618水掻きを失った家鴨やろ。0619自業自得や。
0620 その善吉の心中をまたも言いあてるように、0621南部は続けた。
0622「ほんまに自業自得や。0623二度も死病(しにやまい)にとりつかれて、0624二度生き返った。0625わしはどえらい神さんに寿命をのばしてもろたんや」
0626 いまいましいと思いつつ、0627つい善吉は問いかえす。
0628「金光大神さんにどすか」
0629「いやいや、0630そんなどこやおへん……」
0631 南部の目が妖しく光った。
0632「鬼門の祟り神、0633艮の金神さんや。0634丹波の綾部というところには、0635奇妙な人たちがおってやで。0636節分の豆まきには、0637『鬼は内、0638福も内』と称えるんや」
0639「へっ、0640わざわざ鬼を呼びこむ阿呆がおりまんのかいな」
0641「わしらが鬼やいうて炒り豆をぶつけとるのは、0642ほんまは元の親神、0643艮の金神さまやと彼らは信じとる。0644ともかく変わっとるで。0645その金神さん祀る金明会には、0646鎮魂帰神いう神術がおます。0647病気なんぞは、0648立ちどころに治さはる。0649千里先も見通す者など、0650ざらにいやはる。0651こう言うわしかて、0652綾部に行って、0653その霊術をみっちり習うてきたとこどす。0654二ケ月の修行で、0655たいていは会得してしもた。0656腕前は折り紙付きどっせ。0657けど、0658こんな道端で立ち話もなんやなあ」
0659 言いながら、0660南部は小料理屋の看板に眼を止めた。
0661 ――なるほど、0662うまいこと言うて昼食をたかりたいのか。0663女を征服するのもこの手やな。
0664 警戒しつつも、0665田中善吉はその先を聞きたくて、0666南部の背を押し小料理屋の暖簾を分けた。0667結局は二階の座敷で銚子を頼み、0668湯豆腐をつつく。
0669「杉田先生に破門されてから行くとこはなし、0670妹の家に居候してたんやが、0671悪い時には悪いことが重なるもんで、0672ここをやられてなあ……」
0673 南部は痩せた胸を叩いた。
0674「二、0675三年ぶらぶらしとったが、0676とうとう枕も上がらんようになってしもた……『あかん、0677こんなことで死んでしもたら、0678地獄に堕ちるほか道あらへん。0679も一度浮き上がりたい。0680人生をやり直したい』、0681わしは天地金之神さんに必死に祈った。0682が、0683広前を破門された者にまで、0684神さんは手が回らんわなあ。0685意識ものうなって、0686あちこちに危篤の電報が打たれたそうや。0687それが昨年の十月十三日。0688一週間後には、0689母や妹の話では実際に一度は息絶えたそうな。0690ところがどうしたわけか、0691わしは三途の川から突き戻されてきた。0692ふっと気づいたらまだ確かにこの世なんや。0693ずんずん体も回復してきよる……」
0694「そら、0695けっこうなお神徳(かげ)をいただかはったなあ」
0696 月並みに相槌打ちながら、0697善吉は馴染の女の顔を思い浮かべた。
0698 ――なんや、0699お神徳話か、0700くそおもろない……ここまで引っ張りこまれたのを悔いてもいた。
0701 南部は手酌でついで口に運ぶと、0702
0703「いや、0704話はこれからどすで。0705わしの従兄に土田雄弘という男がいます。0706前に八木で金光教の布教師をしてたが、0707善さん、0708知ってはらへんか」
0709 善吉は、0710首を横に振った。
0711「その頃、0712土田は、0713丹波の綾部にでけた金明会ちゅう宗教に転宗したばかりや。0714その土田が、0715危篤の電報に折り返し速達を寄こしおった」
0716 南部は箸を動かすことも忘れて、0717熱をこめて語り出した。
0718 明治三十三(一九〇〇)年十月十三日、0719京都府船井郡新庄村村橋の土田雄弘の自宅に、0720上田喜三郎・四方平蔵が立ち寄った。0721駿河の稲荷講社を訪ねての帰途だという。0722土田が喜んで喜三郎から霊学の話などを聞いているところへ、0723南部危篤の電報が届いた。0724土田が祈願を頼むと、0725喜三郎は「今から七日目が大峠、0726三年間、0727命を延ばしてもらうよう神さまに頼んでやる。0728後は行状を見届けた上」と言った。
0729 南部は一息ついて、0730盃を呑みほした。
0731「土田の速達には、0732その事情がこまごま書いたる。0733手紙を書いた日付けは、0734電報を打った十月十三日。0735その七日目の二十日が、0736わしにとっては確かに大峠どした。0737床に起き上がれるようになった頃、0738土田が見舞いに来て、0739『お前の病気が治ったんは艮の金神さんと上田先生のお神徳や』と言うんですわな。0740『それは偶然の一致やろ。0741かりに上田先生の祈願で治ったにしても、0742それは、0743天地金之神さまが艮の金神さんや上田先生を使うて治してくれはったんで、0744そんならやっぱり……大方は金光教のご恩どっしゃろ。0745げんにわしの母も妹も島原の広前にご祈願に通うてくれたし、0746わしかて床の中から金光大神を拝んどった。0747本人が頼みもせんのに横から治してくれはる、0748お節介やきの神さんなどおへん』と、0749こう言い返したんどすわ」
0750「そらそうや。0751理屈に()うとる。0752やっぱり金光教のおかげやで」
0753「そう信じたさかい、0754わしも床上げしてから、0755恥をしのんで破門された島原へお礼参りにも行ったし、0756母や妹にも行かせたんどすわ。0757それが善さん、0758一月ほどしたらにわかにものすごい腹痛(はらいた)や。0759わしは転げまわった。0760かわいそうに、0761またぞろ母と妹がかわりばんこに島原通いや。0762けど、0763さっぱり効き目があらへん。0764こらいよいよ神さんにも見放された、0765もうあかんとなってから、0766大学病院へかつぎこまれた。0767その時は手遅れどすわ。0768重症の盲腸炎で切開手術以外に方法はないが、0769衰弱がひどいんで命はうけ合えん……こういう診断や」
0770「ちっとも知らなんだわ」
0771「死ぬとわかって腹切られるのんかなんさかい、0772家へ連れ戻してもろうて、0773また親戚知人に危篤の電報や。0774ほったら善さん、0775折り返し土田の奴から返電どすわ。0776『アヤベニムカッテテヲアワセ』……どきんとなった。0777かなわん時の神頼みやが、0778後にも先にもあんなに真剣に拝み倒したことないで。0779と、0780どうな、0781寒中というに、0782一寸ばかりの大きな(あぶ)が、0783ほんまに見たこともない大虻がどこからや知らんが飛んできて、0784わしの上を二、0785三回まわったと思うたら、0786急に岩でも砕けるような音がして、0787穢い話やけど肛門からバケツ一杯ほどの血膿が噴き出しよってな、0788それで嘘みたいに腹痛は治まった。0789そのことを土田が上田先生に報告すると、0790『ああ、0791あの時、0792わしが虻に化けて助けてやったんじゃ』とけろっと答えはった」
0793「そんな阿呆な……」と善吉がげんなりした声を出す。
0794「誰かてそう思いまっしゃろ。0795土田もそない言うたら、0796上田先生が『よし、0797そんなに疑うなら、0798帰りに三の宮(綾部より東へ三里)で一服しとれ。0799虻になって飛んで行って、0800お前の蝙蝠傘の廻りを三辺廻ったる』と言わはった。0801まさかと思いながらも三の宮の道ばたで休んどったら、0802大きな虻が飛んできて、0803傘の廻りを三辺廻って、0804どこかへ行ってしもた」
0805「なんと……ほんまに……」
0806「土田はびっくりしてもてすぐ綾部へ引き返し、0807畏れ入って疑うたお詫びをした。0808すると上田先生は、0809『あんたらは知らんやろが、0810肉体だけではとても間に合わんさけ、0811わしは虻になってあちこち支部を飛び廻っとるんじゃ』と笑わはるさかい、0812二度びっくり」
0813「とても信じられん」
0814「余談になったが、0815わしはそれ以来すきっと回復して、0816一月後には土田の導きで油小路八条の谷口房次郎宅にある霊学会支部にお礼参りどすわ」
0817 谷口房次郎は前述の谷口熊吉の父であり、0818高利貸を廃業して霊学会支部を開設、0819みずから支部長となり、0820土田雄弘が幹部となって信者を集めていた。0821しかし谷口は野心ある人物で、0822営業気分で神を祀っていたのである。
0823 それから南部は、0824人力車をとばし綾部に初参拝して修行したこと、0825出口直と筆先、0826上田喜三郎の霊力・霊学など、0827酒も忘れて真剣に語った。
0828 善吉は、0829どこまで信じてよいかわからなかった。0830南部の人柄は女ぐせの悪いのが難であるが、0831根は正直なよい男と聞いている。
0832 善吉のいとなむ青物問屋は、0833順調に伸びていた。0834男の甲斐性としての女遊びに心を迷わすのが、0835唯一の楽しみである。0836善事といえば、0837たまさかの罪ほろぼしに、0838金光教会へ顔を出すくらいだ。0839思えば、0840人生にはいつどんな落とし穴があるか知れぬ。0841そんな時、0842南部みたいに救いの虻が飛んできてくれるあてはなかった。0843急に心細くなってきた。
0844 南部に別れた足で、0845河原町姉小路の宮大工近松政吉(四十四歳)の家にまわった。0846政吉の妻自由(じゆう)(四十歳)は、0847善吉の実姉である。0848自由は長火鉢に寄りかかり、0849煙管で煙草を吸っている。0850その背に回って、0851若禿でつるつる頭の政吉が肩をもんでやっていた。0852自由のこめかみには、0853十年来見つけている四角い頭痛膏。
0854「義兄さん、0855大変どすなあ」
0856 大工仕事は重労働にちがいない。0857疲れて帰った政吉が遊んでいる妻の肩を揉むのを、0858見かねて言った。0859姉への皮肉もこめていた。
0860「なに、0861女房の肩もみくらい……」
0862 政吉は人の良さそうな眼をしばしばさせ、0863長い顔で笑った。
0864「ほんまやで。0865頭痛も、0866肩こりも、0867皆うちの人が甲斐性なしやさかいえ」
0868 平然と自由は言い放つ。0869それから猫撫で声になって、0870
0871「おまき、0872叔父さんにお茶を入れておあげ」
0873「はい、0874母さん」
0875 まきは、0876隣室から縫いものを置いて立ってきた。
0877 十三歳になるまきは、0878身のこなしの美しい姪である。0879この家に来るたび、0880改めて善吉は姉の横暴さに胸つまり、0881義兄政吉や娘たちを哀れまずにおれぬ。
0882 政吉の母やすは京都の御殿医近松(うた)之助の長女。0883伊丹で暖簾を誇った造酒屋飯塚藤兵衛と結婚したが、0884夫の死後、0885上京区社家(しゃけ)長屋町の村山作蔵との間に政吉を産んだ。
0886 政吉は子供の頃から十年の年期奉公で宮大工に出され、0887長じて善吉の姉である東九条の青物商、0888田中捨吉の三女自由を嫁にもらった。
0889 明治二十二年、0890政吉は脚気で腰が抜け、0891寝たり起きたりの状態になった。0892生活は、0893たちまち窮した。0894自由は島原の金光教会へ日参したが、0895甲斐はなかった。
0896 ついに京都に住みかね、0897遠縁をたよりに、0898一家は三十石船で大阪へ流れていった。0899当時、0900生まれて間なしの長男光次郎と安子(九歳)・まき(四歳)の娘たちがいた。
0901 貧乏は身震いするほど嫌い、0902働くのが一層嫌いの自由は、0903この年、0904幼いまきを大阪の遊廓新町の置屋森田キクの養女に売り、0905安子が足袋を縫って内職。
0906「持病の血の道はその時からどす。0907原因は腰抜けの亭主のせいどすえ」
0908 これが、0909のちのちまで自由の口癖となった。0910姉はそのつもりでないかも知れぬが、0911聞きようでは、0912欲求不満を天下に広言しているようで見苦しいと、0913善吉は思う。
0914 明治二十四年、0915村山政吉は母の実家近松謌之助の養子となり、0916近松性を継ぐ。0917病床についた謌之助は、0918政吉の長女安子を京都衣笠村等持院の自宅へ呼び寄せ、0919看病させた。
0920 養子にはしたものの、0921政吉の嫁自由を嫌った謌之助は、0922明治二十五年、0923安子を養女にして、0924「財産は皆お前のもの、0925好きなようにせいよ」と遺言、0926明治二十九年に没した。
0927 莫大な近松家の資産を継いだ安子の元へ、0928大阪の政吉夫婦が乗りこんで来た。0929近松家には老いた謌之助未亡人が生存していたが、0930十六歳の安子に財産を守る力はなかった。
0931 自由は、0932意のままに次々家財を売り放しては費消。0933今までの貧苦の屈辱をあながうつもりか、0934底抜けに豪遊した。0935芝居にうつつを抜かし、0936役者に夢中になった。0937京都の建仁寺の茶席もかつては近松家のもので、0938有名な京の鳩居(きゅうきょ)堂にも、0939かなりの家宝が渡ったと聞く。
0940 適当に茶屋遊びに励んでいる弟の身では、0941善吉も大きなことは言えぬが、0942しかし、0943姉は度が過ぎている。0944政吉はようやく体も回復、0945腕の良い宮大工として珍重されている。0946少し慎ましくさえすれば暮らしに不自由せぬのに、0947さしもの近松家の家財も売りつくしたあげく、0948今の貧乏暮らしに落ちた。0949政吉の働きが自由の濫費に追いつかないからで、0950責任の大半は姉にある。0951夫を責めるなら、0952自分こそ省みるべきではないか。
0953 それより哀れなのは、0954姉の犠牲になった二人の娘であった。0955四歳のまきを置屋に売っておき、0956近松家の遺産を勝手にできた頃は忘れていながら、0957売り尽くして貧乏になってから急にまきを恋しがる。
0958 あろうことか一昨年、0959近所の藪医者の世話で十八歳になった美しい安子を先斗(ぼんと)町の村政に売り、0960その金で十三歳のまきを買い戻した。0961幼い時からそうしつけられたものか、0962安子は母に逆らいもせず売られていったという。
0963 まきは、0964なじまぬ実母の元に急に引き取られ、0965かわいそうに、0966実母の顔色を見ながら暮らしている。
0967 姉の心を()めるのは、0968もはや夫政吉や弟善吉の手にあまる。0969金光教では効きめがなかったが、0970鬼門の金神という、0971名前からして強そうな神さんならあるいは……そうだ、0972霊学を修得したと誇る南部孫三郎を試すのはこの時。
0973 茶を注ぐまきの繊細な手指に見とれながら、0974善吉は切り出した。
0975「姉さん、0976今おもろい話聞いてきたんや。0977本物の生神さんが、0978丹波の綾部にあらわれはったそうどっせ」
0979「へえ、0980願いごとなら何でもよう当てはるか」
0981「いやいや、0982そんな稲荷さげやこっくりさんみたいのとは違うで。0983艮の鬼門の金神、0984生神さんや。0985病気治しなど、0986そらあらたかなもんやそうどっせ」
0987「鬼門いうたら、0988祟り神さん……」
0989 怯えと好奇の色が、0990自由の面に走った。0991善吉はしめたと思った。
0992「わしの受け売りより、0993南部いう先生の口から、0994じかに綾部のことなど聞いてみはったらどうや。0995聞くだけなら損にはならへんし……」
0996 南部孫三郎が田中善吉に案内されて近松家を訪れたのは、0997それから二、0998三日後であった。0999即座に、1000南部は自由の頭痛を鎮めた。1001南部は毎日通ってきた。
1002 自由は南部の霊力と弁舌に魅きこまれ、1003南部なくては夜も日も明けぬ熱の入れようであった。1004夢中になれば我を忘れるのが、1005昔からの自由の癖だ。1006十年来の頭痛・いらいら・冷え症・やっかいな血の道の病が晴れ渡り、1007小娘みたいに若やいでいた。
1008 こんなに機嫌のよい妻を見たこともないくらいだと政吉は思った。1009喜びのあまり、1010夫妻して、1011近松家に長くとどまってくれるよう南部に懇望した。1012妹のえ(三十三歳)の家に居候したなりの南部は、1013渡りに舟と承知し、1014近松家に移ってきた。
1015 南部の学識・弁舌に加える病気治しの力・天眼通・天耳通など、1016近所から集まる人々を魅了した。1017お神徳も恐ろしく立った。
1018 前述のように、1019谷口房次郎が京都市油小路八条に開いた金明会支部は、1020参拝者でにぎわった。1021が、1022慢心した房次郎は息子の熊吉と相談して金明会を脱会、1023大成教の看板を借りて女房を教主に艮教会を開設した。
1024 谷口の変節を怒った土田雄弘と南部は谷口と絶縁、1025それを機会に、1026南部は近松家に霊学会支部を設置した。1027金光教信者たちまで噂を聞いて詰めかけてきて、1028実地の霊力を見せられ、1029たちまち転向。1030信者はどんどん増える。1031それらは大本につながる信者というより、1032南部個人の崇拝者たち、1033やがて南部を生神と崇める一群に育っていった。
1034 六月十九日、1035田中善吉は、1036南部孫三郎に連れられて初参綾した。1037まだ綾部までの山陰線は開通していなかった。1038京都から大阪まわり福知山までは、1039去年(明治三十二年)七月に開通して間なしの汽車に乗り、1040福知山からは人力車に乗って綾部へ入った。
1041「大本の飯はまずうて食われんさかい、1042まず腹ごしらえせんなん」という南部の提案に従って、1043亀甲屋の隣のうどん屋で夕食にした。
1044 当時の広間は東四辻にあった。1045喜三郎は地方宣教に出ていたし、1046澄はおらず、1047直だけに会った。
1048「教祖はんのしなはること、1049言わはることを観察して、1050ようお神徳をもらうのどっせ」
1051 南部に言われていたので、1052田中は、1053直の一挙一動に注意を怠らなかった。
1054「遠いところから来なはりましたけれど、1055あいにくと先生は留守でございますが……」と、1056直は気の毒がる。
1057 挨拶をすましてぐずぐずしていると、1058直はつと立って、1059間もなく箱膳に夕食を運んできた。
1060「京都のお方、1061何もござりませんが、1062御膳をお上がりなされ」
1063 さあ、1064しまったと思ったが、1065追いつかぬ。
1066「うどん食べたから言うて断わってくれ」
1067 善吉は小声で南部に哀願。
1068「せっかく仕度してもろうたんやさかい、1069善さん、1070まあ、1071よばれよいな」と南部が箸をとる。
1072 飯と沢庵二切れ。1073飯は大根が大半混じったべちゃべちゃ。1074粥とまではいかぬが、1075おごった口にはとても食われたものではない。1076涙がこぼれるほどの思いで、1077ようやく一杯を平らげた。
1078「お代りを上げたいが、1079もうこれきりしかございまへんでなあ」
1080 直が気の毒そうに言う。
1081「いや、1082けっこうどした。1083おおきに……」
1084 やれ助かったと、1085安堵の胸を撫で下ろした。
1086 夜、1087南部は綾部在住の知り合いの信者の家に泊まりに行った。1088一人になって、1089善吉は心細かった。
1090 直は行燈の灯を片頬に受けて、1091しずかに語り出した。
1092「わたしは筆をただ持つだけでござります。1093筆先を書かせてくださるのは、1094私にかかりなさる神さまですわな。1095艮の金神さまが世にお出ましになるとおっしゃるさかい、1096誰よりもそれを信じておるだけでございます。1097もしや艮の金神さまのおっしゃることを聞こうと思いなさるなら、1098よその教会とはまるで違いますで。1099先生のありがたいお話のようなものはございまへんし、1100神さまの言われたとおりをどんなことでもするという覚悟がいりますのやで」
1101 理屈ぬきに、1102ただ神命をなしとげる。1103善吉はとまどった。1104それにはよほどの信仰がなければとび込めぬ。1105たじろぐ思いで直を仰ぐと、1106髪も目も頬も銀の炎が燃えたつみたいに眩しかった。
1107 都会の歓楽の巷にこそ喜びを求めてきた善吉には、1108今宵の直との対座くらい、1109場ちがいな奇妙な感じはなかった。1110ここに在る自分すら、1111信じられぬ思いだ。
1112 帰りの予定を聞かれて、1113善吉は言った。
1114「明朝七時に出発させてもろて、1115途中で人力車拾いますわ。1116福知山を十時に出る汽車に乗るつもりどす」
1117「それでも明日は俥には乗られませんのやで。1118お土を踏んでお帰りなされ」
1119 妙なことを言わはる。1120銭さえ出せば俥には乗れるものを。1121銭はまだかなりあった。1122銭さえあれば安心だった。
1123「それでは、1124京都のお方、1125お休みなされ」
1126 敷いてくれた床に入った。1127直は丁寧に掛け布団の四隅をぽんぽんと叩いてまわった。
1128「風邪をひかぬように用心してお休みなされや」
1129 やさしく言い、1130隣の部屋に去る。
1131 ――やれやれ、1132肩が凝った。1133わしには、1134とても辛抱できそうにないわい。
1135 善吉は寝返ろうとしたが、1136びくとも動かぬ。1137手も足も、1138頭から爪の先まで……。
1139 ――とんでもないとこに来てしもた。1140やさしげなあの婆さんが、1141あの時、1142蒲団の四隅を叩いたふりして、1143わしを縛ったんやろか。1144いや、1145そうやない。1146見物かたがた参綾したので、1147神さまから叱られたのや。
1148 そう感じると、1149必死に神に祈った。1150一時間ほどですうっと楽になった。1151うとうとまどろんだと思えば、1152水音で目ざめた。1153外は闇。1154も一度目ざめた時、1155寝ている部屋から、1156土間に動く直の影が見えた。1157一番鶏が鳴いていた。
1158 目ざめている善吉に気づいて、1159直は微笑んだ。
1160「まだ早うござりますで、1161ゆっくり休んでおいでなされや」
1162 眠られぬままに、1163床の中から直の炊事の仕度を眺める。1164直は井戸から水を汲んできて、1165二度芋(じゃが芋)を洗う。1166米をとぎ、1167行平鍋に入れ、1168その上に二度芋を乗せて竈にかけ、1169松葉を燃やす。1170火あかりが土間を浮き上がらせた。
1171 直は井戸端に出て洗い物をしたり、1172庭の草を引いたり、1173こまめに体を動かし続けている。
1174 飯が炊き上がると、1175行平を走り元へ置き、1176(ざる)に二度芋だけを取り上げる。1177ご飯をお(ひつ)に移す。1178二度芋の皮を一つずつ丁寧にむき、1179また行平の中へ戻して、1180醤油と砂糖で味をつけて煮る。1181取りのけた芋の皮は、1182手で丸めてすっと口へ入れた。1183善吉は目を疑った。1184後から塩をごくわずかつまんで口へ。
1185 うーん、1186芋の皮を……教祖ともあろうお方が……。
1187 直と共に朝拝して、1188やがて朝ご飯。1189白飯であった。1190昨夜、1191大根飯で眼を白黒させたのを見て哀れまれたのかと、1192冷汗が出た。1193直は、1194茶碗の底の一口ほどの飯を口にしただけで箸を置いた。1195おかずはさっきの芋の皮ですませたつもりらしい。1196後で知ったが、1197白飯も砂糖入りの芋の煮つけも、1198大本では大変なご馳走であった。
1199 帰りに半紙二十枚ばかりを綴じた筆先一冊と「うしとらのこんじん、1200ひつじさるのこんじん、1201りゅう〓(ぐ)うのおとひめ、1202ひのでのかみ、1203あらわれるぞよ」と書いた守札二十枚をもらった。1204それから、1205三角の握り飯四つの昼の弁当。
1206 気がつくと、1207七時を回っていた。1208福知山まで三里半、1209よほど急がぬと間に合わぬ。1210南部はまだ二、1211三日滞在の予定だった。
1212 直は、1213田んぼ道まで送って出ながら言った。
1214「田中さん、1215俥に乗らいでもようよう間に合うよう、1216神さまが御守護くださります。1217この筆先をお持ちじゃと妙に雨がふりますが、1218濡れるほどではありません。1219心配ござりませんで」
1220 ともかく善吉は道を急いだ。1221春風が耳のはたで鳴った。1222八幡さまのあたりで、1223雨がぱらぱら降り出した。1224見上げた空には雲もない。1225この天気に……狐の嫁入りじゃわい。1226が、1227ただの天気雨とも違っていた。1228道行く人は平気なのだ。1229雨は、1230自分の頭上にだけ、1231追うように降っていた。1232妙やなあと思いつつ、1233雨から逃げるように二町ばかり行くと、1234雨が晴れた。
1235 綾部から一里半、1236観音寺のあたりで空俥に出会った。1237福知山までの賃銭三十銭という。1238往きに福知山・綾部三十五銭だったので、1239半分の行程とみて二十五銭に値切ってみた。1240と、1241俥夫は「エーエー」と聞き返すばかり。1242幾度かくり返して言ったが、1243通じぬ風にぽかんとしている。1244ばかにしていると善吉は腹を立て、1245行き過ぎた。
1246 前田でまた空俥をつかまえた。
1247「福知山まで二十五銭でどうだす」と俥夫が言う。
1248「半分以上も来てしもたんや。1249二十銭に負けとき」と言ったが、1250やはり先方へ通じぬのか、1251「なんぼ、1252なんぼ?」と俥夫はくり返す。
1253 癪にさわってならぬから、1254行き過ぎる。1255石原でまた空俥を呼び止めた。1256二十銭というので十五銭につけたが、1257俥夫は首をひねって耳に手を当てる。
1258「十五銭でどうやい」と相手の耳元でどなる。
1259「へえ、1260なんぼです」
1261「こいつ、1262阿呆ちゃうか」
1263 言い捨てて、1264善吉は歩き出した。1265この辺の俥夫は人の悪い耳なしばかりや。
1266 かっかと怒りながら、1267そばの茶店で一杯一銭の飴湯二杯を飲んだ。
1268 ――どうせ十時の汽車には間に合わん。1269ゆっくり行くとしよう。
1270 あきらめて茶店を出た。
1271 福知山駅に着いて懐中時計を見た。1272八時半、1273おや、1274止まったかな。1275善吉は針の音を確かめた。1276確かに動いている。1277途中、1278茶店で一服したのだ。1279三里半の道のりを一時間余でくるわけはない。1280駅夫に時間を訊くと、1281
1282「八時半やで」
1283「確かどすかい」
1284「駅の時計が狂うてどうなるんや」
1285「けど、1286わしは七時十五分に綾部を出たんや」
1287「あんたの時計が間違うとるのやろ」
1288「いや、1289時計は駅のとちゃんと合うとりまっせ」
1290「俥でよほど飛ばしなすったんじゃろ」
1291「いや、1292いや、1293歩いてどっせ」
1294 善吉はむきになった。1295駅夫は足元をのぞきこみ、1296
1297「ええころかげんなこと、1298言わんときなはれ。1299ほれ、1300あんたの履き物も裾も、1301ちっとも埃がかかっとらんわな。1302俥で来ちゃったんに違いはない、1303ない」
1304 駅夫は一人合点して行ってしまった。1305駅夫の言うとおりであった。1306土の上を踏んだとは思えぬほど、1307下駄はきれいであった。
1308 予定より一時間早い九時の汽車に乗りながら、1309重なる不思議に、1310善吉は考えるすべも失っていた。
1311 霊学に触れて日の浅い南部孫三郎は、1312自分の霊力に酔っていた。1313破門され、1314信者たちにも見捨てられ、1315食うことにすら卑しくなっていた彼が、1316突如生神になったのだ。1317自分の身魂にかかり、1318願いのままに信じがたいばかりの霊威を発揮するのは、1319明らかに巨大な意志をもって天降る自分以外の神霊であった。1320その神を畏怖し、1321その神と合して手足となった初心の敬虔さを、1322南部孫三郎はもう失いかけていた。
1323 金明霊学会会長の上田喜三郎より受けた霊主体従の教えをきびしく信奉して、1324直霊(なおひ)である省みる力の統率のもと、1325勇親愛智の四魂(しこん)まったき働きを祈る日々も短く過ぎた。1326人々の驚嘆・憧憬のまなざしは南部自身に向って注がれ、1327称賛の囁きは快く身内をくすぐる。1328奇跡を行うのは即ち自力であるとの自惚れが、1329いつとはなし直霊を曇らせる。
1330 その得意の絶頂で、1331封じ込めたつもりの体欲の虫が(うごめ)き始めていた。1332女だ……甘い女の味……。
1333 南部孫三郎の熱い視線が、1334支部に集う信者たちの頭上を流れて、1335一隅の女性に留まった。1336地味によそおって目立つまいと無意識につとめる風ながら、1337見目形のよさは人目を集めずにはおかぬ。1338特別の願いごともせず、1339教話だけ聞くと、1340ひっそりと帰る。
1341 それがこの家の姉娘、1342近松安子と知って、1343南部の興味は一層つのった。1344「芸者あがり」1345「囲い者」などの噂も耳に入った。それとなく母親の自由に聞くと、1346あっさりとこう言う。
1347「あの子どしたら、1348この春、1349室町押小路にあるお召問屋の老舗(しにせ)梅田のぼんぼんに落籍(ひか)されましてん。1350調べてもろたら、1351梅田はんは放蕩が過ぎて二年前に勘当、1352廃嫡(はいちゃく)の身やそうどすえ。1353なんぼ老舗のぼんでも、1354財産ももらえん男ではしょうがありまへんなあ。1355梅田のぼんも、1356どこが良うてあんな娘を。1357妙に固い、1358可愛げのない()どっせ」
1359「ふーむ」
1360 南部は目をつぶった。
1361「なんぞ見えるのどすか、1362先生」と自由が乗り出す。
1363「どうも気になりますなあ。1364その梅田という男……早う別れなんだら、1365安子はんの身にえらい不幸がふりかかってきますでなあ」
1366「やっぱりうちの思うたとおりや……。1367お安はうちに何一つ打ち明けてくれまへんけど、1368近所の話では、1369梅田はんはお安を身請けしても、1370おとなしゅうしてはったん、1371ほんのちょっとの間どすで。1372すぐあきて、1373近頃は毎晩また茶屋通いで、1374家においやらへんそうな」
1375 自由は流し目に南部を見上げた。1376南部は、1377何かとらえるように半開きの目を宙に凝らしている。1378やがて、1379はじけるような破れ声が、1380南部の腹中からとび出した。
1381「われこそは正真の金光大神の霊魂であるぞ。1382この南部孫三郎の肉の宮と安子とは、1383昔からの因縁の霊魂の夫婦でありたぞよ。1384神界の仕組み成就のため、1385時来りて元の夫婦に戻すぞよ。1386そうなれば、1387近松の家は末(なご)う栄えるぞよ」
1388 自由はとびすさって平伏。1389批判の余地もなかった。
1390 早速、1391その夜のうちに夫政吉と連れ立って、1392安子の囲われている瀟酒(しょうしゃ)なたたずまいの家に出かける。1393安子は独りぽつねんと留守をしていた。
1394「もったいないことやで。1395南部の生神さまが、1396お安とは因縁の夫婦じゃとお告げにならはったえ。1397梅田はんとは直ぐに手をお切りやす。1398お受けせなんだら、1399どんな神罰に触れても、1400もうかもうてはやらぬ。1401親子の縁もこれまでどすえ」
1402 自由は頭から決めつけた。1403安子は、1404救いを求めるように父親を見る。1405政吉は、1406信ずる者の目で、1407自由と共に安子の決意をうながすばかり。
1408「あては梅田の妻どす。1409お母さん……」
1410 小声でようやく安子は言った。1411自由はいら立って叫びだした。
1412「ようまあ、1413そんなきれいな口がきけたもんや。1414芸者あがりの身も忘れて。1415世間には、1416親のために死ぬ娘もあるのにどすで。1417今まで育ててもろた親の恩を忘れて……なんちゅう情け知らずの親不幸もんやろ、1418この娘は……」
1419 激昂のあまり前後もかまわず罵る妻をなだめながら、1420政吉は帰っていった。
1421 茫然と安子は坐り続けた。
1422 ――自分は、1423いったい、1424何なのだろう。1425なぜここに、1426こうして在るのだろう……傷だらけになりながらも、1427親のため妹のために生きてきたというたった一つのひそかな自負が、1428自分をここまで支えてきたのだ。1429その一つすら、1430みじんに打ち砕いた母……。1431あの人は、1432ほんまにあてを産んでくれはったお母さんやろか。
1433 もの心ついてから、1434幾度となく考え続けてきた恐ろしい疑惑であった。1435母は、1436妹まきを、1437気まぐれにせよ可愛がっていた。1438安子には決してかけぬ甘いとろけるような声で、1439まきを呼ぶ。1440幼心にも、1441安子はそれがねたましかった。
1442 自分もあんな声で呼ばれてみたかった。1443やさしい、1444母の愛のぬくみがこもる声で――。1445たて続けに、1446尻上がりに安子を呼びつける癇走った母の声。1447だから決まって返事は(すく)む。
1448「好かん娘や、1449ほんまに……」
1450 いらいらと用事を言いつけながら、1451母はつけ加える。
1452「お前はなあ、1453藪の中に捨てられて泣いとった子え。1454それをあてが拾うてきてやったんえ」
1455 安子は、1456ひょろ長くのびた手足をぎゅっと縮める。1457初めて聞かされた時の衝撃の覚えはない。1458きっと意味も解けぬ幼いうちから、1459くり返し耳にしてきた言葉なのだろう。
1460 安子が九つの時、1461なぜか母は、1462可愛いはずのまきを他人手(ひとで)に渡した。
1463「可愛そうなまきや……」
1464 母は慟哭し、1465憎さげに安子を睨んだ。
1466 実の娘を売って、1467藪の中から拾った子を手元に置くわけが、1468安子にはわからなかった。1469母が泣くと、1470病床の父も忍び泣く。1471安子は二重に辛かった。1472父の看病のあい間に、1473行燈の灯影で必死に内職の足袋を縫った。
1474 曽祖父である近松謌之助の傍に引き取られたのは十二歳の暮れ。1475老いた夫妻に仕えての平穏な日々も四年間で終った。1476謌之助が死に、1477父母が移ってきて、1478近松家はまたたくうちに変貌した。1479安子に譲られた遺産は、1480母自由が目の仇のようにして蕩尽した。
1481 謌之助が死んだ頃、1482何かの機会で安子は戸籍を見た。1483戸主近松政吉・妻自由・長女まき・長男光次郎・明治二十五年に双子で生まれた次男房次郎・三男房吉まで、1484すべて父母の欄には政吉・自由の名がきちんと入っている。1485一番最後に妹安子。1486父不詳・母不詳・続柄不詳……。
1487 墨壺が倒けたように、1488頭の中がまっ暗になった。1489父と思いこんでいた政吉が、1490実は二十四も年齢の違う兄なのか。1491政吉が近松家に入籍する前の、1492つまり政吉の父作蔵が戸主である頃の古い戸籍をたぐってみた。1493戸主村山作蔵・長男政吉、1494そして長女安子……。
1495 安子は、1496作蔵五十二歳の時の子。1497母は不詳。1498祖父と思いこんでいた作蔵がはたして実父なのか。1499それともやはり祖父で、1500何かの事情から……。
1501 いろいろの場合がめまぐるしく想定され、1502打ち消され、1503最後に、1504あっと安子は思いあたった。1505政吉と自由がいつ事実上結婚したかは知らぬが、1506しかし自由の入籍は明治十七年、1507安子の生まれた三年後である。1508政吉は、1509どこかの女に産ませた安子を父作蔵の子として籍に入れ、1510自由と結婚したのではないか。1511そのため、1512安子のために、1513政吉が自由に頭の上がらぬ夫になったのでは……。
1514 その想像が安子を苦しめる。1515自分の出生は政吉の重荷であり、1516生さぬ仲の自由には憎い邪魔者でしかないのだ。1517安子を置いてまきを売ったのは、1518当時まだ生存していた近松謌之助や村山作蔵への遠慮からではなかったか。
1519 あてが幸せであってはあかんのや。1520まきが不幸なうちは……と安子は悟った。
1521 ある日、1522安子は自由に願った。
1523「あてを芸者に売って、1524そのお金でまきを身請けしとくれやすな」
1525「そうやなあ」
1526 自由は目を輝かせた。1527近松家から消え失せたたくさんの遺産の最後に、1528十八歳の安子が売られていった。1529八十円であった。
1530 先斗町の村政から、1531半玉(はんぎょく)として安子は客席に出た。1532男の機嫌をそこねぬよう、1533うまく座をとりもつことは、1534安子の性分では苦痛であった。1535若い客には、1536「親御はんが心配しておいやすやろ……」と思い、1537派手な客には、1538「お店の金、1539使い込んではらへんやろか」と気をもむ。1540嫌われると知りつつ。
1541 飲めぬ酒を夜ごと飲んだ。1542酔わねば過ごせぬ夜々であった。
1543 安子は、1544二年間の苦界から法外な金を払って自分を救い出してくれた、1545梅田常次郎を愛している。1546日陰の身ではあっても、1547うちは梅田の妻。1548その自覚だけが、1549今では安子の生き甲斐であった。1550安子の身も心も梅田のもの。1551母の意のままには、1552もう自分を捨てまい。1553他のどんな男のおもちゃにもなるまい……。
1554 そう思うそばから、1555安子は、1556淋しさ、1557やるせなさ、1558生への不安にのめり込んでいく。1559頼りと思う夫は三日前、1560「お安、1561ちょっと行ってくるで」と家を出たまま。1562銭がなくなるまでは流連(いつづけ)て、1563孤閨(こけい)を守る妻のことなど思い出しもすまい。1564夫常次郎をとりまいて、1565昼夜、1566芸妓たちのさんざめく煌々たる座敷が、1567なまじ茶屋の裏表を知っているだけに、1568より現実的に安子の目前に浮かんでくる――。
1569 常次郎の父梅田常七は、1570一代で西陣お召の大問屋「梅常」を築きあげた男であった。1571反物の両端を赤糸で織った「赤耳お召」は梅常の暖簾を誇る登録商品であり、1572他店に真似はできなかった。1573三越百貨店以外には納品しない矜持(きょうじ)を保っていた。1574中京区烏丸三条上ルの店は二階建ての奥行きの深い家で、1575真夏でもひんやりするくらい。
1576 生まれて三つで、1577常次郎は母を失った。1578夜中には、1579決って紫の雲にのった生母の霊がやってくる。1580幼心にも母を恋い、1581癇を高ぶらせて夜泣きした。
1582 祖父母はこの哀れな孫を溺愛した。1583梅常を継ぐべき一人息子でもあったから、1584大番頭から丁稚、1585下女まで二十人近い奉公人は、1586「ぼんよ、1587ぼんよ」と機嫌をとる。1588ただ甘やかされ、1589気ずい気ままに育っていった。
1590 父常七が後妻テルを迎えたのは、1591常次郎十一歳の時。1592わけもなく癇をつのらせて、1593常次郎は逆らった。1594テルはきつい義母でもあった。
1595 反発が昂じて十代のうちから茶屋遊びの味をおぼえ、1596病みつきとなって入りびたる。1597二十代には廃嫡。1598それでも親にせびれば、1599遊ぶ金には不自由しなかった。
1600 すらっとした長身の男前に加えて、1601育ちのよさからくる鷹揚さ、1602仕舞・謡・長唄、1603何をさせても粋にこなして、1604惚れ惚れするほど男らしい。1605気風(きっぷ)はよいし、1606遊び方はきれい。1607女たちには好きなだけ飲ませ振舞いながら、1608自分は杯一つ傾けずに酔い心地を楽しむ。
1609「梅田はんいうたら、1610お酒も飲まんとお饅頭(まん)食べて散財おしやすのえ」と女たちは笑った。
1611雁治郎(がんじろう)はんによう似てはりますえ」、1612「いんえ、1613幸四郎はんにそっくりどす」など、1614当代の人気役者になぞらえて、1615芸者たちは騒ぐ。
1616 だから、1617ひかえ目な安子が梅田の目にとまり贔屓(ひいき)になった時、1618ずいぶんたくさんの芸者たちにそねまれ、1619意地悪もされた。1620梅田は、1621(さら)うようにして、1622安子を強引に落籍せた。1623安子の救いは、1624梅田に妻のないことであった。
1625「孝行に売られ不幸に請け出され……川柳はうまいこと言うたもんや」常次郎は笑った。
1626 安子は常次郎に連れられておずおずと烏丸の梅田家に行ったが、1627敷居さえまたがせてもらえなかった。1628義母テルが、1629ひややかに常次郎に告げた。
1630「金で買うた女どすやろ。1631わての息のある間は、1632梅田の家へは入れんといとくれやす」
1633 常次郎は安子を連れてとび出すと、1634小さな家を借り、1635二人で住んだ。1636二十二歳と二十歳の、1637世間知らずの夫婦であった。
1638 家も財産も正式の妻の名もいらぬ、1639ただ愛だけがほしいと安子は願った。1640しかし、1641その愛も、1642独り占めできた間は短い……。
1643 自由はあきらめず、1644説得と脅迫をくりかえして通ってきた。1645夫が帰ってきて、1646それを知ったらどうなるだろう。1647思うだけでも恥ずかしく、1648恐ろしい。
1649 悶々と泣きあかして一週間目、1650夢とも現ともなく、1651神々しいばかりの白髪の老女を見た。1652それは安子の心の底まで見透かすような、1653いたわりをこめた目であった。
1654「もしや、1655綾部の教祖はんと違いますやろか」
1656 自分の叫びに驚いて、1657安子は我にかえった。
1658 翌日、1659自由が来た時、1660安子はきびしく拒絶した。1661自分の内に潜む勇気に、1662安子自身驚く思いであった。
1663「姉さん、1664ちょっと家に来てみておくれやす。1665母さんが……」
1666 まきであった。
1667「母さんがどないしやはったんえ」
1668 十五歳のまきは、1669涙ぐんだ目をそらせて口ごもる。
1670 久しぶりで近松の家へ帰った。1671神前には見違えるばかり血色もよく、1672貫禄を加えた南部が尊大に構えていて、1673その脇に吸い付くように、1674白衣姿の母が(はべ)っている。1675どきんとして、1676下座の父を見た。
1677 政吉は嬉しげに言う。
1678「ああ、1679お安、1680神さんが母さんを御入用といわはるさかい、1681喜んで差し上げたんや。1682変性(へんじょう)男子(なんし)さまと、1683変性女子(にょし)さまお二方そろうて、1684これで近松家も安泰になる……ありがたいこっちゃ。1685さあ、1686お前も御挨拶してきな」
1687「お父さん……」
1688 居たたまれずに、1689安子は外へ走り出た。1690自分が犠牲を拒んだばかりに、1691父が……母が……取り返しのつかぬ親不幸の罪を犯してしまった。1692これから近松家はどうなるのだろう。1693思えば思うほど頭が混乱し、1694狂いたってくる。
1695 安子は、1696幻にみた綾部の教祖はんにすがって、1697手を合わせ続けた。
1698 瓢然と常次郎が戻ってきた夜、1699ねだりごとをせぬ安子が、1700初めて夫にせがんだ。
1701「お願いがおす。1702一度どうぞあてを綾部へ参らせておくれやす」
1703「綾部……ああ、1704妙な金神はんのいるいうとこやろ。1705阿呆らし、1706やめとき」
1707「綾部さえ連れてってもろたら、1708旦那はんがお遊びやしても……じっと待っとりますえ。1709そやさかい、1710どうぞ……」
1711 安子の懸命さに負けて、1712常次郎はしぶしぶ言った。
1713「しゃない奴ちゃ。1714金神参りに連れて行く代償に公認の浮気か。1715ほな連れてったろ」
1716 明治三十三年七月、1717梅田常次郎と安子は、1718土埃の舞い立つ乾ききった街道を、1719福知山から俥を連ねて綾部に入った。
1720「ようおいでなさりましたなあ。1721あんたはんを待っとりましたんですで」
1722 真綿でくるみこむような、1723やさしい老女の声、1724安子はその前にひざまずき、1725あふれる涙にすぐには声も出ぬ。1726現実の教祖出口直は、1727安子のみた幻の像と寸分違わなかった。1728何を訴えるまでもなく、1729直の前に在るだけで、1730安子の心は和んだ。1731生まれてこの方、1732無数の傷を負いながら癒やされることのなかった魂が、1733温い慈母の懐に抱かれるような快さであった。
1734 常次郎は、1735顔をしかめて箸を出すのをためらったが、1736安子には、1737直の手料理と和知川で獲れたという鮎の塩焼きも、1738かつて味わったことのないおいしさであった。1739走り元の釜が、1740顔の映るほど磨かれていた。
1741 今年結婚したという世継の澄は、1742安子より二歳年下の十八と言ったが、1743安子はその初々しい野性の美しさにも目を瞠った。1744こんな田舎にようこんな美しい女がと、1745京の芸妓たちの厚化粧の下には見出せぬ素肌の清純さに目を洗われる。
1746 安子を見て、1747澄は澄で嘆息した。
1748「なしたきれいな女子はんじゃろ。1749絵からぬけ出たような。1750うちら田舎者じゃさかい、1751恥ずかしてかなんわな」
1752 安子は、1753心を残しつつ帰途についた。
1754「祟り神でも、1755かましまへん。1756一生、1757あの神さまについていきますさかい……旦那はん、1758許しとくれやすか」
1759「神さんぼけせんほどに、1760好きにしたらええ」
1761 常次郎はそう言った。
1762 とび立つばかりに、1763安子は嬉しかった。1764信心で、1765夫の心を取り戻せたら……だが、1766常次郎には、1767艮の金神よりも、1768お光という新しく馴染んだ芸者の方がはるかに魅力があった。
1769 梅田夫婦が帰ったあと、1770大本には京都よりの客人が続いた。1771雨の宵、1772加茂茄子を土産に、1773野崎宗長(むねなが)と実弟の松井元利が初参綾。1774野崎宗長は千家流茶道の宗匠で、1775大谷法主に茶を教えたこともある人。1776松井元利は本願寺の名望高い職員である。
1777 野崎は、1778島原の金光教会、1779杉田政次郎の弟子で、1780広前の役員であったが、1781「かつての同僚南部孫三郎が破門されてのち綾部で修行して、1782不思議な霊力を身につけた」との噂に近松家を訪れた。1783初めて見る霊術のあやしさに魅き込まれて、1784兄弟で南部の元に通った。1785まやかしであれば看破してやろうと南部につきまとったが、1786仕掛けがわからぬ。1787そのうち、1788転宗する金光教信者が相ついで、1789近松家は足の踏み場がないまでになった。
1790 やがて、1791南部の地金が現われてきて、1792近松政吉の妻自由とおかしくなった。1793二人は、1794人目もかまわず、1795夫婦きどりで夫政吉を顎で使い出す。
1796「生神さんに取られた(かか)を、1797亭主がありがたがって拝んだはるそうどすで」と、1798たちまち町中の評判になった。
1799 野崎、1800松井兄弟は南部に抗議したが、1801「神の仕組みじゃ」と取り合わぬ。
1802 霊学に傾斜しかけた彼らは、1803この醜態を見て疑問を感じた。1804果たして、1805こんなばかげた神の仕組みがあるのか。1806綾部の大本では、1807いったい、1808南部孫三郎の行状を何と見るか。1809自分の目で確かめる必要があった。
1810 野崎は実状を訴え、1811悲憤の口調も激しく喜三郎にせまった。1812喜三郎は鎮魂の姿勢となり、1813ややあって言った。
1814「神さまに願って、1815今日限り南部孫三郎の霊力は止めましたさかい、1816こらえとくれやす」
1817 野崎は松井と顔見合わせた。1818喜三郎は、1819神霊の実在・神と人との関係・人と生まれての使命を説き、1820艮の金神の出現と金明霊学会の教旨を説明した。
1821 教祖出口直の人柄にも触れ、1822その筆先を知り、1823実地の鎮魂帰神を見聞に及んで、1824兄弟は感激して入信を誓った。1825滞在は、1826日一日と延びた。
1827 知識階級である彼らと喜三郎の結びつきは、1828中村竹吉や四方春蔵を脅かした。
1829「二人も学者が来て、1830いろは四十八文字の身魂の大本を乱す」と、1831騒いだものである。
1832 南部の霊力がぴたりと止まり、1833お神徳が立たなくなると、1834信者たちはあきれて寄りつかなくなった。1835騙されたと知った政吉は、1836「嬶を返せ」と半泣きで訴えるが、1837強気の南部は居すわって動かぬ。
1838 当時、1839大工が普請する時には、1840地元の侠客に挨拶を通す習慣があった。1841明治三、1842四十年代の関西の大親分は、1843東山区川端通り四条の山本覚太郎。1844その身内の親分には土岡甚平(亀岡南桑田方面)・いろは組の長谷川幸吉(西陣島原方面)・増田伊三郎(伏見方面)・山中某(篠山在)・石田某(北桑田方面)がいた。
1845 いろは組の長谷川幸吉は東山区宮川町に住む。1846近松家は、1847いろは組の系列の子分衆とつながりをもっていた。1848実際には、1849幸吉の息子のいろはの房ぼん(長谷川房次郎)、1850その異母弟のいろはの幸太(こた)ぼん(長谷川幸太郎)がにらみをきかし、1851その配下にはそれぞれ子分衆を擁する橋本清・兵隊武・水車政などがいた。
1852 政吉は、1853水車政に南部追い出しを頼んだ。1854水車政は「電車の先を走る」と言われ、1855その早足をもてはやされていた。1856彼は近松家に乗りこみ、1857南部をおどして苦もなく追い出した。
1858 噂はおもしろおかしく広まった。1859この事件を、1860京極の大寅座の馬鹿八という座主が(にわか)芝居に脚色、1861近松家の喜劇として、1862小屋に毒々しげな絵看板まで上げてしまった。
1863 信者からの急報で喜三郎は上京、1864政吉を励まして、1865ともかく芝居興行を止めさす工夫に走りまわった。1866いろは組の幸太郎は、1867喜三郎の申し出を受けて、1868幹部の祇園の侠客山田重太郎を仲裁に馬鹿八座主にかけあわせた。1869結局、1870看板料五十余円を投げ出してこの事件は治まる。
   
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