霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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宗教不要の理想へ

インフォメーション
題名:宗教不要の理想へ 著者:出口王仁三郎
ページ:180
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2016-12-10 01:36:09 OBC :B195302c21
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『神の国』大正13年1月号
 本文は綾部在住大本信者の家族一同が、月一回食堂に集まって家族的に食事を共にし、互いに意思の疎通を図るための会合「みろく会」席上で、食事後瑞月(ずいげつ)氏がなされた談話の大要を筆記したものであります。(まこと)に結構なお話で、大正十三年の新春を迎うるに当り、広くこれを読者諸賢にお伝えしたいと思い、ここに掲ぐる次第であります。
 (前略)大本(おほもと)は筆先にある通り、世の中が至粋至純であれば、神様の教は要らぬのであります。世が乱れて、人々が互に(にく)み・妬み・(そし)りなどする世の中となって居るからして、中にも日本人はそんな癖が多く、所謂(いわゆる)島国根性であって、外国からも探偵気分が多いと言われる状態(ありさま)で、他人(ひと)の非を探すことを痛快事と考えるような(くせ)があるのである。他人の悪いと思う所は、直接其人に忠告をし、決して他人の非を言わぬに限るのであります。即ち善言美詞(ぜんげんびし)に限るのである。さればとて、巧言令色とは違うのである。善言美辞は、愛に発するものでなければならぬ。
 愛は善のため愛のための愛であって、決して自己のための愛であってはならぬ。戦争に立って国のためになったと言うが、それも実は矢張(やは)り自己愛の拡張に過ぎぬのであって、もひとつ大きい「世界愛」でなければならぬのであります。人類人主義・万有愛の神愛でなければならぬ。
 三千世界とある筆先の意味もよく考えて見れば、三の数は霊・力・体の三つであって、霊の世界即ち天国・地獄・高天原とか、極楽とかいうのがそれであるが、吾人の現実の体にも亦霊がなければ、全身(まつた)く活動がなくなるのであって、其霊があり、次に体があって、(ここ)にはじめて力となるのであるからして、霊に偏して体を忘却しても悪い。また体に偏すれば精神が忘却されてしまう。即ち霊体二者の調和から生ずる力でなければならぬのであって、この霊体合一して発する処の力が、神力であり、神徳と申すものである。これが梅の花の五大洲にたとえて、一度に開かねばならぬのであります。
 大本には色々の思想の人が集まって居るが、『霊界物語』を始めてから大分一変して来たけれども、まだ極旧(ごくふる)いもの、中位のもの、新しき人と混合している状態(ありさま)である。みろく会を開く事も、これらの覚りの準備の役に立てねばならない。然るに各地方では、そろそろ変性女子(へんじようによし)が暴れ出して「がい国」にしてしまうと、憤慨している者もある。エスペラント・バハイ教・支那の宗教と、もの喰い上手のワニが、第二の大本事件を惹起(ひきおこ)すかも知れぬと言って居る。
 然し乍ら、大本は世界的のものであって、神は万有を愛するのが主意であるから、固すぎて孤立する事は駄目である。日本は世界に孤立し、大本は日本から孤立している現状である。此点は大本が悪いのである。(くら)がりにいるからである。大きな目が開けていないからである。時代に棄てられては、醒る頃には世に遅れてしもうて、折角(せつかく)醒ても世の中の役に立たぬことになってしまうのである。吾々は(これ)を憂えて、根本から変化の必要を感じているのである。
 エスペラント語やローマ字を始めるのも、此精神に外ならないのである。この事は決して神意にも(そむ)いては居ないのであって、百説紛々として(まとま)らぬより、実地を見せるに限ると決心して、誰にも相談せずに断行した訳である。横暴のようにもあるが、神意の然らしむる処と喜んでいる次第である。神意に(そむ)いていないと信ずるから、ローマ字やエスペラントを奨励して、世界的に進んで行かねばならぬのであります。先ずローマ字やエス語を知り、余力を以て日本人全般に押し拡げ、やがて世界各国に此運動を及ぼしたいと覚悟しているのである。今年は準備時代であるが、来年は学校を起し、支那・朝鮮・欧米まで逆輸入をせねばならぬのである。学校の資金等の事に就ても、色々考えているが、神意だから大丈夫と思って居る。此後(このさき)どんな事になるか、使命は後にならねば解らぬから、如何(いか)なる事があっても心配して止めないように願います。併し深い考えのある時には、直接忠告をして貰いたい。取締を通じて話して貰っても結構である。万事にかけて意思疎通して貰って、互に了解し合い、根なし草を()やして身魂(みたま)を汚すような事のないようにせねばならぬ。また次に、皆の者が神の事が真実(ほんと)に解って居ない。大本の旧い人の意思が害をなしている。唯一つの「(まこと)」が一列一体に伝わらねば、別れ別れの考えを有っている間は、一つの(まこと)に達していないのである。そんな事では駄目である。すべての宗教にしても、時代々々に応じて、それ相応の感化の必要に基づいて居るのであるが、時代が進むに随って、旧宗教にも採るべきものと、採るべからざるものとがあるのは自然の道理である。こんな訳で、大本はすべての事に相応し、利用が出来るように教え導きて、其(もとい)を打立ねばならぬ。
 祖先以来、愛国主義が誤って排他に陥り、自己愛になってしまっては善くない。世界同胞の考えを持たねばならぬ。排他は神意に反することであって、今の時代、小さい事を言っているようなことでは駄目である。(しか)し日本人としては、兵役の義務・納税の義務の如きものには、よく其義務に服すベきであって、誤解があってはならぬが、これ(だけ)でなく、更に神の愛の「情動」がなければいかぬのである。
 真の愛は親の愛であって、理智を伴わぬものである。神の愛は真の愛であって、俗に謂う神の罰など、神は決して罰を(あて)るものではない。罰というのは人間の作った法律であって、神の愛はそんなものとは違うのである。すべて善悪不二(ふじ)のもので、善悪超越する時、そこに初めて真善が在るのである。国法の定むる善悪に先ず従いつつ、更に神意を考えて行かねばならぬ。これまでは所謂(いわゆる)学者達が集まって講演をしたから、私はあまり講話をしなかった。変った事を言えば、(かえ)って動揺を起す恐れがあるから、(ひか)えていた次第であった。
 事件以来、狂乱的状態から一変して、やや(あま)岩戸(いわと)が開けるような心地がし出して来たが、これも時節の力で斯くなって来たので、(まこと)に結構なことである。今後世界を愛し、人類を愛し、万有を愛する事を忘れてはならぬ。善言美詞を以て、世界を言向和(ことむけやわ)す事が、最も大切である。神の前のみでなく、人の前でも同様に善言美詞を用いねばならぬのである。神に救われんとして、(かえ)って神に(そむ)くことが少くないから、決して他人を排したり批難したりするものでない。
 祝詞(のりと)のことばが真の善言美詞であって、実は今の日本語も外国語を輸入した言葉が大部分であるから、中途半端の日本語は決して善い事はないのであって、外国語を排するならば、現今の日本語も同様の意味で外国語として排斥せねばならぬ訳になって了う。こんなわけで、ローマ字やエス語を学んで、早く五大洲に共通の言語を開くのが必要なことであるから、宗教はみろくの世になれば無用のものであって、宗教が世界から全廃される時が来なければ駄目なのである。主義・精神が第一であって、大本であろうと何であろうと、名は少しも必要ではないのである。
 今までより広い大きい考えで、世を導く精神にならねばならぬ。大本は大本の大本でもなく、また世界の大本でもなく、神様の大本、三千世界の大本であることを取違いしてはならない。因縁あって聖地に集まった者は、世の人に先んじて特別に善行をせねばならぬのであるが、今は(かえ)って(これ)に反している。
 女の人には、殊に(にく)み・恨み・妬みなどがあって善くない点が(すくな)くないから、絶対に慎まねばならぬ。
 (かか)る次第で、神は元は一つの神に統一されているのであるから、別々に争うベき筈のものでない。すべての争い・悪み・妬みを止めて、善言美辞を以て言向(ことむ)(やわ)さねばならぬから、世界を言向(ことむ)くる世界共通語のエス語を第一に研究せねばならぬ。ローマ字も亦真の善言美詞の日本語を保存して行く上に、大なる必要があるのである。総じて前述の世界愛・万有愛の神の愛に押し拡げて、大きな精神になって貰わねばならぬのであります。
(「神の国」、大正十三年一月号)
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