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樺太の美観

インフォメーション
題名:樺太の美観 著者:月の家
ページ:172
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195303c306
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『東北日記 四の巻』昭和3年9月1日(原題は無題)
 山河の景色は、見る人の主観によつて大部分決定するものだから、これを他にしいるわけにもゆかぬが、かのラスキンがいつたように、「煤煙と溷濁した空気と、労働者の流れと灰色の霧のなかにもロンドンの美はみとめられる」というような気持ちで、四囲を眺めるならば、伐採でも流送でも、一として詩的ならぬはなく、美ならざるはない。ことに色彩の美という点においては、樺太は内地のいずれの地にもけつして譲らない。古来の日本人が絶好の風景だといつているもの、すべてが形態の上からきた美である。
 たとえば、日本三景の一と称する天の橋立にしても、白砂青松という色彩の上からきた美も多少はあるだろうが、長い嘴が遠く海中に突きだして、松がはえているという処に、その美をみとめたものらしい。宮島にしても、人工の社殿が満潮に水廓を現わすところに美をたたえ、松島は、大小無数の奇異な形態をした島々に、松がのこらずはえてつづいておるところに、美をみとめたのであるらしい。また頼山陽が、天下の奇勝であると称揚した耶馬渓にしても、ごく小範囲にかぎられた奇岩怪石の集団にすぎない。朝鮮の海金剛にしても、やはり形態上からみた一小区域内の美にすぎない。
 かくのごとく形態にのみ美をみとめるという風は、まさしく支那から渡来したもので、支那人は昔から奇岩怪石を讃美する風がある。これに反し西洋人は、形態の美とともに色彩の美を非常に尊重する風があつて、ラスキンなども、ロンドンの夕靄の美を讃美している。この色彩の点からみると、亜寒帯の樺太はとうてい他にて求めえられない美がある。ことに緑色鮮緑という言葉の意味は、樺太の緑にしてはじめて適用される。緑といえばただちに南国を連想するが、南国の緑はけつしてあざやかなものでない。南国はつねに温暖なるがため、落葉すべき葉がよういに落葉せず、いつまでもついているため、南国の緑はいちじるしく不純である。去冬、台湾、琉球、大島に旅して、ますますこの感を深くしたのである。しかるに樺太は、夏に入ると気温が一時にあがり、日中がながく、くわうるに空気が透徹しているため、緑のあざやかなことは天下一品である。
 元来、植物は、夜間において成長するのを通則とし、内地のごとく気温の高い処では、日中はたいてい萎びているに反し、樺太では気温の関係で昼間もさかんに成長する。したがつて野草のなかでも、内地では見られぬほど大きく発育しているものがある。蕗にしても蝙蝠草にしても、また林木にしても立派な成長ぶりであるが、その代わりこれらは生育のはやいだけ、幹根の質が緻密でなく、木材としての利用価値劣り、樹齢などの短いという欠点もあるが、一方ではこれを補うにたる美点もあるようだ。つぎに美麗な草花に富めることも、内地普通の地ではけつしてみられない。野原に爛漫として空き地なく咲きみだれている花は、内地なれば五、六千尺(約1,500~1,800メートル)以上の高地のある部分で、ようやくみうけらるるものである。
 さらに地形の上に眼を転ずるなれば、大小の山背のあらわす曲線の美にいたつては、とうてい筆舌をもつてつくしえられぬものがある。いつたい神さまのつくられたものは曲線から、人間のつくつたものは直線からなつている。たとえば、自然界にある山川、樹木、人体なぞはことごとく、曲線をもつてなつているにたいして、人間のつくつた家居や物入れ、火鉢などいう物はほとんど、直線を主としてできあがつている。
 すべての画家は好みて人体、なかんずく婦人の裸を描く。これは神のつくられたもののうちにて、人体はもつとも美なるものとしてあるからで、婦人の曲線は自然美の極致である。樺太の山は裸体夫人を見るごとき曲線の美がある。大きい山の曲線があるかと思えば、小さな山の曲線があつて、どこまでもつづき、また大きな山の緩い曲線がつらなり、じつにその妙をつくしている。もつとも西海岸鵜城付近の釜伏山とか、真岡付近の女の子山といつたような火山系統的の山のある近くには、いわゆる古代の日本人が好愛しそうな奇岩怪石もあるにはあるが、自然の曲線美の山々にくらぶれば、あまり問題にもならない。
 本島いたる所に散在せる処女林のごときも、内地にてはよういに見られない眺めである。本島の山林は年々伐採されたり、数十日もつづけるひんぴんたる山火事のために、ついには見られなくなつてしまうだろうと思えば、じつに惜しいものである。つぎには河川であるが、留多加、内淵、幌内川のごときは三大河と称せられて、それぞれに変わつた趣がある。ことに幌内川は延長の点から見ても国内まれに見るの大河で、さらに雄大の感を与える。
(『東北日記』 四の巻 昭和3年9月1日)
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