神さまに祭典を執行し、いろいろの幣帛や供物をする時の祝詞にも、海川山野種々の美し物を、八足の机代に横山のごとくおき足わして捧げまつるとか、甕の閉高知り、甕の腹満て並べて云々と唱えるのが、日本固有の美しき風儀であって、たとえすこしの供物でも、横山のごとくと、神直日大直日に見直し詔り直しつつ、神人を和めまつるのは、神人一貫の妙辞にして、言霊の幸わう国の特色であります。
これはすこしの物を、横山のごとく置き足わしてたてまつると申しても、けっして神さまにたいして嘘言にならぬのであります。その真情を神界から納受あそばすのであつて、神さまは勇ましきことや盛んな言辞を非常に歓ばれて、悲観的の言葉をお嫌いになるからであります。
人間界で、物を土産として贈答する日用の言辞に、これは誠に粗末な物なれどもお目にかけるとか、まずい物なれど進上いたすとか、きわめて軽少ながらとか言って平然としているのは、たいへんなまちがった行為であります。実際に粗末な品なれば、人に贈っては礼を欠く、まずい物を土産にするというは失礼になるのである。これも知りつつ嘘をついていて、そうとうの礼儀をつくしているように誤解している一例であります。
(随筆、「神霊界」大正8年11月1日)