一九一七(大正六)年一月、「敷島新報・このみち」は改題されて、「神霊界」が発刊された。「敷島新報」の号数をうけついでいるので、「神霊界」の一月号は第四三号となっている。B5版の大きさで三〇頁から四〇頁の内容をなし、はじめは月刊であったが、翌一九一八(大正七)年から月二回、さらに八年から旬刊として、六〇頁~八〇頁くらいのものとなった。
「神霊界」を発刊して全国的宣教にふみだそうということは、かねがね王仁三郎が意図するところでもあったので、浅野が綾部に移住してきたのを機として着手された。したがって、それはまた浅野が第一になした仕事ともなった。浅野は東大在学中から文学的な方面に関心をもち、大学三年のころから「帝国文学」誌上に自作のものを発表し、卒業後も「新声」という文学雑誌の主筆をしていた経験があったので、「神霊界」の主筆兼編集長を引きうけたのである。だから、内容的にもそれ以前の機関誌とはことなって、めだって充実したものとなった。創刊の辞には「神霊界新たに世に出ず、けだし時の力なり、神の力なり、而してまた人の力なり、吾人は神人両界にわたりて多事なりし大正五年を送り、ここに生気萌え、希望萌え、新緑亦萌えなん六の歳の新春を迎へ、読者と共に新たに霊の叫びを交さんとす」とのべられており、萌えいずるような希望が托されている。そして「由来大声は俚耳に入らず、真人はしばしば迫害を嘗む。思ふに本誌の前途は決して平々坦々なる能はじ。されど千百の犠牲も迫害も、誤解も困難も、一たび吾等同人の責任の重大にして、且つ其影響の深甚なるに想到せば、固より歯牙に掛くるに足らざるを覚ゆ」と、その前途の困難が訴えられ、あわせて決意のほどが示されている。
「神霊界」の第二号には「直霊軍の檄」として、「去る明治廿五年の正月から出口直子という大確言者、大救世者が現はれまして、世界一切の出来事を前知し、之を世人に警告されましたが、一々実現して来て居りますのみならず、今後に来るべき世界の大騒乱、大変革をも日々神諭のまにまに筆にして居られます」という一文が草されており、大本の予言の的中を強調して「我々直霊軍は慨世愛国の至情に駆られて止むを得ず、微弱なる団隊乍らも立って、我皇祖の為、世界の為に一身一家を顧る暇無く大活動を初めました。たとひ世の人々から狂と嘲られ、痴と譏られ、其上種々の迫害に向って戦ひつつ、勝利の都に達する迄は死すとも退却せない覚悟を固めました」と非常の覚悟がのべられている。さらに、今後の日本国の運命、世界の変遷、欧州戦終局後の日本の運命、今後の教育・宗教・実業などの諸問題を提起し、皇道大本は言霊学・神霊学のうえより皇祖皇宗の遺訓を解説し、世界一切のものに真の生命を与え、幽斎により神人合一の妙法を伝授し、難病をも全治しうる惟神の神法をもつ、とよびかけられている。これらによって大本が時代相を反映し、時代とともに、急激に社会的現実にふれはじめてくることがうかがえる。
「神霊界」の発行所は綾部であるが、これをひろく世にだすために、東京本郷の有朋堂を「神霊界」の大売捌所とした。
「神霊界」の一月号をみると、それには、皇道大本の「学則」・「信条」・「誓約」が掲載されている。「学則」と「誓約」はこれまでとかわりはないが、「信条」のなかで、大本の開祖は「宇内の大予言者」とあるのを「宇内の救世主」とあらため、「タカマガハラ」を「タカアマハラ」としたり、「大本直日大神に祈らば」を「真の神に祈らば」などと改正しているのが注意される。
「誓約」は一二ヵ条であったが、その後「神霊界」五月号には、これをつぎのような七ヵ条にあらためた。
第一条 朝は五時に起き先づ身体を清め、東天を拝し次で神前に向ひ、天津祝詞及大本祝詞を奏上し、鎮魂を自修し、人生の天職を自覚すべし。
第二条 夜は神前に拝跪し、感謝祈願並に神言を奏上し、十時必ず寝に就く可し。
第三条 天地を以て経と為し、日月を以て教と為し、終日其業を勤む可し。
第四条 神を敬する如く人を敬し、身を敬す可し。
第五条 我霊性を自覚し、天分を越ゆ不可らず。
第六条 衣食住は総て内国品を用ゐ、且つ質素を守るべし。
第七条 吾人の身魂は総て天地の神の分霊分体なれば、衛生に注意し無病、長寿を祈る可し。
なお「神霊界」の二月号には「皇道大本の鏡璽劔」として、「皇道大本の本質」につき「皇道大本の基礎は八咫鏡なり。八咫鏡は皇祖の御遺訓なり、神典なり、大日本学なり。されば皇道大本の本質は、神聖なる大哲学なり、皇基発揚の基礎なり。国家経綸の憲法なり、世界和平の源泉なり、人本教育の本源なり、理化発明の中枢なり」と記され、さらに「皇道大本の真髄は日本人の智能の啓発なり。されば皇道大本の発足は、神人一致の経律なり、天地人道の教典なり、経世安民の本律なり、利用厚生の規範なり、経理救済の法則なり、世界国是の基本なり」とのべられている。
〔写真〕
○神霊界 p351
○畑のなかにあった大本役員室の一部 p353
○神諭原稿 ふでさきの原本 p354