毎年二月の立春の前夜には、大本にとってもっとも盛大な祭典である節分大祭がとりおこなわれている。節分大祭は今までの世を根本から立替え立直して、ミロクの世をきたらすと宣言せられた国祖神の神慮にもとづいておこなわれる、大本にとってもっとも意義のふかい祭儀である。
大本の節分大祓は、古くから一般につたえられる大祓とは本質的に意味を異にするものがある。大本では大祓の意義について「大祓には三種あり、大潔斎、中潔斎、小潔斎これなり。一身を清め一家を清むるは小潔斎なり。国土を潔斎するは中潔斎なり。天地の妖気を払ひ乾坤を清むるは大潔斎なり。一言に大祓といふ時は、大中小三種の大祓を兼ね称して、これを大祓といふなり。現代の人々の解釈する所の潔斎大祓は小潔斎に止まり……天地の潔斎とは換言すれば、天神地祇を真実に祭祀することなり……天神地祇の御神慮のまゝをこの土に真釣合すなり。真実に天地の潔斎を成就せむには、真釣のほか毫もだに手段のあるべきなし。大祓は即ち天地の真釣なり、祭祀なり」(「神霊界」大正7・5・1)とのべられている。
まつりの真の意義は実に天地万有すべてのもの、霊界・現界を問わず、物心両面を一貫しての大祓にあるとした。神がすべての事物を真のまつりの姿たる一大調和体に完成されつつある進化発展への道程にあって、大祓はその間の新陳代謝をつかさどる清潔法であるとする。大祓によって生成化育がおこなわれ、穢れが清められてゆくのであり、立替え立直しもまた天地の大祓行事であるとされている。罪とけがれについては、「天然自然に賦与せられたる水力、火力、電力、磁力、鉱物、動物等その他あらゆる自然力、自然物の利用開発を怠る罪をいう」と教示されているように、創造された万物にはそれぞれの使命があり天性がある。その使命、天性を阻害し開発しないことは罪とされる。
大本の立替え立直しの思想には、地上物質世界の進歩開発とともに、精神界の立直しが強調されている。罪を清めけがれを祓う大祓はすなわち天地のまつりで、この節分の祭典は開教後はやくからおこなわれて、今日にいたっているものである。
節分大祭・大祓行事は、綾部のみろく殿において夜を徹しておこなわれる。祭員・瀬織津姫二〇〇余人が奉仕して祭典を執行し、節分大祭についで大祓行事にうつる。大祓行事は天地六合を祓い清める大祓の神事によってはじまる。宇宙の大祓のはじめに「天の数歌」が奏上され、八雲琴の奏楽のうちに舞姫により大御神楽が舞われ、斎主の七五声の言霊で宇宙の大潔斎の大祓がおこなわれ、その後神言の奏上がはじまって中潔斎となり、世界中の国々の大祓がなされる。つづいて海外はじめ全国からよせられた人型の読みあげがなされて小潔斎がとりおこなわれるのである。なお、宇宙の大祓の神事は、『天祥地瑞』(子の巻第七章「太祓」)にしめされた紫天界の紫微天宮における「太祓」にのっとった神事で、一九五六(昭和三一)年からはじめられたものである。
なお、大本でおこなっている節分大祓い行事は「聖師さまが直接に神示を得て創始されしもの」で、「人型は一枚一まい、その本人の全身をなでた上で送るべきもの」(『信仰覚書』七巻)とされている。
節分大祓運動は、一九五二(昭和二七)年開教六十周年記念の大祓運動を契機として活発となり、小潔斎としての人型もその年二五万体であったものが、四〇万体余、五四万体余、五六万七七九六体、六三万五六三九体、六八万二四七一体と逐年増加し、一九五八(昭和三三)年には一〇〇万一二〇五体となった。その後も、一一一万一六七五体、一一五万体余、一二五万体余とふえ、一九六二(昭和三七)年には一四一万一七九七万体の人型大祓がおこなわれた。
この節分大祓運動をいっそう効果的にするための努力が傾注された。一九五九(昭和三四)年の二月には、人型特別奉仕隊が、東海・北陸・島根本苑で結成され、主要都市で人型奉仕をおこないつつ、自動車や徒歩で綾部にむかい、大祭の雰囲気をもりあげた。三丹主会でははやくから近隣地域を対象に、宣伝カーや映画班・幻灯班を巡回させて、大祓運動の啓蒙につとめていたが、この年の一〇月からは本部に映画宣伝班が編成され、全国各地で宣伝をおこなった。翌昭和三五年の一月には、電波宣伝もとりいれられ、全国の民放一〇局からスポット放送がながされ、その年の一〇月には全国統一運動日を設定して、全国一斉に運動を展開している。
〔写真〕
○型代用紙 左 人型用 右 大型用 昭和34年 p1050
○節分大祭での大潔斎神事 綾部みろく殿 p1051
○瀬織津姫行事 人型は和知川の清流にながされる綾部 p1052