霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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山吹の花

インフォメーション
題名:山吹の花 著者:
誌名:神霊界 掲載号: ページ:37
概要: 備考:著者名は「某」だが出口王仁三郎が書いた文章だと思われる。 タグ:南朝 データ凡例:共通凡例A データ最終更新日:2024-07-04 01:12:00 OBC :M192919170601c06
 四月二十四日午前八時半、総勢十一人の奇妙な一行が綾部停車場に集つた。女性が総計三人、その中最年長者が五十余りの身材(せい)のスラリとせる婦人、鳥なら先づ鶴といふ姿。最年少者が三十余りの婦人で、これも同じく背の延びた方、植物にすれば竹なぞを連想せしめる、モ一人年輩の五十に近い人は、肉付の善い、小柄な婦人で、頭髪に挿した小型の金簪が、日光を受けて星のやうに光る。
 女性連の風采は格別奇妙でもないが、残る八人の男性連の風采がこの一行をして奇抜ならしめた。バラリと肩に懸けた頭髪が尺に余りて、体格岩畳、浪花節語りにしては人品が高尚に過ぎ、又力士にしては身材(せい)が少々低過ぎるといふ人が居る。金縁の近眼鏡は現代式だが、頭の毛が半延びに延びて(えり)を没する所は随分非現代式な男も居る。三四寸延びた頭の毛を後へ垂れて、若旦那然と懐手(ふところで)をしてノベツ幕なしに巻莨(まきたばこ)を吸つて居る人も居る。頭髪八九寸、髭髯四五寸、身材五尺強、力士小常陸を更に小型にしたやうな肥満漢も居る。身の丈四尺七寸五分の半白の小男も居る。延びかけた頭髪(かみ)を辛ふじてチヨコンと後で結んだ所は、十五六の少年らしいが、前へ廻つて顔を見ると四十余り、筋骨の逞しい、背の最も高い大男も居る。ブラリと隣家でも訪問せんとするが如き服装の村長然たる男も居れば、洋服に脚絆草鞋といふ物々しい旅装束の男も居る。
 停車場まで送られた数十人の人達に送られて、右の十一人の一行は京都行の汽車に乗込んだ。狭苦しい二等車は大方この一行の為めに占領されて居たので、格別他人から注目さるるには至らなかつたが、さて京都の停車場に下車して見ると、人の視線は悉くこの一行の上に集つた。なかんずく凝視の焦点となるのが、長髪連で、御丁寧にわざわざ歩調を速めて、前へ廻つて振り返つて見る者さへ居た。坊主頭ばかりの現代では、全く長髪は注目を惹く。奇を好み、物数奇に走るやうにも見られる。しかし今後長髪ばかりの世の中になつたら、坊主頭はいかに無細工に、不自然に見えるだらう。延びるべく付与されたる頭の毛をバリカンでクリクリ坊主にしたり、(はさみ)でチヨキチヨキ角刈りにして見たり、帽子を被つて禿げさせたりして、それが文明だと心得て居る。これが為めに日本人がドレ程頭脳を悪くしたり、容貌を醜悪にしたりして居るかは毫も考へず、ただワケもなく猿の人真似をして文明がるとは実に文句の言ひやうがない。浅草の奥山では、猫の毛を剃り剥がして、寒さにブルブル(ふる)へて居る奴を、一種の怪獣と唱へて、見せ物にして居た事があつた。クリクリ坊主なぞも、何時かはその中、見せ物になる時代が来るかも知れぬ。その時代になつて急に延ばさうとしても、頭の毛ばかりはさう自由が利くものでない。半歳位はキマリを悪くせねばなるまい。気の毒な話だ。
 この一行は京都の停車場の二階で昼飯を食ひ、その間に何やら電話をかけたり、車を走らせたり、洋服着た当世紳士然たる人々の来訪を受けたりして二三時間を費したが、やうやく午後二時頃になつて再び車中の人となつた。奈良を過ぎてからは、車窓から頻りに大和の三山を指点しつつ、三山と三種の神器との関係の講釈を長髪先生から聞かされなどして居たが、日暮に近き頃吉野駅に下車した。吉野は目下桜花の満開で、山上には盛んに電灯などを点け、千客の万来に任せ、大変な景気であつたが、この一行は別に桜の花に浮かれる気分もせぬものと見え、車を走らせて上市(かみいち)に向つた
 翌二十五日午前九時頃には、この一行は既に上市の旅亭を出発し、吉野川に沿ひて、更に奥深く進み入つた。車が五台、これには三人の女性と二人の男性が乗つたが、男女の別なく車上の人々は皆髪が長い。徒歩連はこれを長髪組又は柔弱党と称して嘲つた。残る六人は草鞋連と下駄連で、天下無双の勇猛党の筈であつたが、数里ならずして足が痛み出し、準柔弱党の部類に編入さるべき者もあつたやうに見受けられた。
 川沿ひの道は、一里また一里、段々景色がよい。殊に長さ一丁にも及ばん(いかだ)が、巧みに筏夫に操縦されつつ、屈曲して奇巌怪石の間を縫つて降る風致は誠に得も言はれぬ。山には鬱蒼たる杉と檜の林叢昼なほ暗く、林尽くればツツジ、山吹の今を盛りと咲き誇る岩山の、天を摩して聳ゆるあり、峰と峰との僅かの傾斜地を(たひら)げて鳥の巣を構ふるにも似たる山村の、思ひも寄らぬ天辺(てつぺん)縹茫(ひょうびょう)として現はるるあり。進むに従つて、川はいよいよ深く、水は益々清く、景色は次第に佳い。確かに海内(かいだい)有数の勝地と称して可なりである。今回の小旅行は決して探勝の目的ではないが、眼がある上は、好い景色は矢張り眼で見て善い感ずる。イクラ租税流行の世の中でも幸ひ眼に税は懸らず、山水見物に木戸銭は無用であるから、上市より柏木に至る七里の間、思ひ存分、腹一パイ、遊覧の欲を(ほしいまま)にして行つた。車の上の柔弱党は午後の五時頃、また膝栗毛の勇猛党(?)は同六時頃柏木の旭月館と称する旅亭に疲れ切つた足を投げ出した。山村には案外小奇麗な宿屋で一夜の安眠を買ふには充分であつた。
 翌二十六日には一同午前四時頃に(ふすま)夜具を蹴つて起き上つた。かくて夜の明け亙る頃にゾロゾロ宿を出掛けて、更に吉野川の左岸を上つた。モーこの辺からは人家は絶えて、断崖高さ数十丈、左右の山は大部分巌石から成り、川を挿みて相屹立し、風光一段の美を増し、観光の客としてわざわざ来遊するだけの価値は十二分にある。が、この一行は単に景色を賞観するのが目的でもないものか、長髪先生を先頭にして、左視右顧しつつ山の奥へ奥へと進んだ。
 この近傍には種々の巌窟がある、水晶の窟、菊の窟、不動の窟など一ニ里の間に散在して居る。いはゆる吉野行者の行場と称するもので、大概例の役行者小角と関連せる所の伝説を有して居る。現在はどの巌穴(いはや)にも扉を設け、観覧料を徴収する。なかなか欲が深い。
 一行が先づちよつと足を留めたのが菊の窟であるが、中へは入らず暫時にして出発、行々岩面に附着せる苔様のものにつきて、この種の苔と鉱物との関係などを長髪先生から講釈される。何もかも霊学から割り出された神の直授、直伝。いはゆる採鉱家などの物質的、経験的、常識的研究とは訳が違つて、ちよつと聴く時は突飛千万、奇怪至極、キ(じるし)囈語(げいご)たわごとの如くににも感ぜられる。それはその筈である。時間と空間とを超越して、現界から幽界、現在から天地創造時代への一足飛びの仕事である。到底容易に普通人が随伴し得る限りでない。随伴し得ぬのは、自分の足りない所、及ばざる所であるのに気がつかず、(かしこ)がり、エラがるのが当世人士の通弊である。なかんずく始末に行けぬのが仏教の坊さんだの、基督教の宣教師だの、哲学者だの科学者だのといふ肩書き附の連中で、天地間の真相の万万分の一をも知らぬ癖に、余ほど知つた気でエラがつて居る。エラがるだけならまだ善いが、他人をも自己の異端愚説に引き入れずんば止まざるだけの自惚れと執念とがある。その罪悪たるや実に深い。白刃を振ふ所の兇漢は僅かに一人か三人の生命を奪ふに止まる。然るにこの種の人間は一時に万人の生命を奪ふ。モー神人両界の大掃除の暁が眼前に接迫した。心霊の堕落は、取りも直さず肉体の滅亡をも意味する。筆や口でヘラズ口を叩いて居る閑日月は全然無いのだ。
 話が少々脱線したが、一行は決して脱線せず奥へ奥へと前進した。一枚の地図もなく、一人の案内者も雇はず、ただ神霊の指示に従つて断崖を()ぢ、細径を拾ひて、驀進する五十丁にして、ゆくりなくも八幡の社に達した。長髪先生が、十有余年に亘りて幾度となく霊眼に指示されたる神縁の境域==一同泥を払ひ、裾を降ろして社前に礼拝、祝詞を奏上し、更に三長髪男子と一婦人とはここで厳粛なる帰神の状態に入つた。霊眼に映ずるものはそも何物、金縁眼鏡の男の吹き鳴らす神笛の音は単り深山の沈黙を破り、四辺には黄金をあざむく山吹の花の、今を盛りと咲き乱るるのみであつた。
 ここで一時間ばかりを費やして踵を廻りし、今度は案内者を柏木から呼びて先づ不動の巌穴(いはや)に入つた。巌穴(いはや)の深さ二丁ばかり狭き所は四ツ足の姿勢で匍匐(ほふく)すべく余儀なくされ、広い所は高さ十間にも及ぶべく、瀧あり、川あり、仏名を附したる諸種の天然石像あり、随分陰気な、鬼気人に迫る怪窟であつた。この中で斃れた行者どもの亡霊は幾体となく現出し、役の小角までが現はれたが、長髪先生に瀧の上まで追撃されて敗亡した。小角は母を提げて海外に逃れたなどと伝へられて居るが、実はこの巌穴(いはや)で往生したに相違ない。
 一行はこの巌穴(いはや)で随分胸を悪くし次に菊の巌穴(いはや)へ入つたがここは守護神が居るのみで、全体の空気は甚だ晴朗であつた。しかし何れの天然石にも直ちに仏名を附けて勿体振る坊主連の悪戯(いたづら)はこの窟にも行はれ、単に馬鹿々々しく感ぜらるるのみであつた。兎に角窟の探険などは一行の目的でも何でもなく、単に道の(つひ)での道楽三昧に過ぎぬので、善きほどに切りあげ、正午再び旭月館に引き上げた。
 昼餐後直ちに出発、昨日の道を逆戻りしたが、途中の風光は何度見ても矢張り善い。が、足は何度歩いても矢張り達者とはまゐらず、村長さん、四尺七寸五分さん、近縁眼鏡さん、小「小常陸」さんなどは、到底勇猛党の名称を返上せねばならぬ程に弱り切り、かはり番に車の厄介などになりながら、午後七時過ぎ再び上市の宿屋に着き、グツスリその晩は寝込んでしまつた。
 翌二十七日には吉野山を横目に見たままで、再び元来た道を汽車で運ばれ、京都で一人の婦人が減つて一行十人となり日暮れ無事綾部へ戻つた。何にしろ疲れ切つて睡いばかり、筆を執りてこの紀行を書いても、寝語を並べるやうにボンヤリした事ばかり、肝心の中身無しの文字故、自分ながら面白くない事は保証します。(終)
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