霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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回顧録

インフォメーション
題名:回顧録 著者:瑞月(出口王仁三郎)
誌名:神霊界 掲載号: ページ:59
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-07-31 05:48:26 文字数:18546 OBC :M192919210201c10
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]:出口王仁三郎著作集 > 第一巻 神と人間 > 『霊界物語』 抄 > 回顧録
瑞月
序
 王仁(わたし)が明治(めいぢ)丗一年(ねん)旧(きう)二月(がつ)九日(ここのか)、神使(しんし)に伴(ともな)はれ丹波(たんば)穴太(あなを)の霊山(れいざん)高熊山(たかくまやま)に一週間(しうかん)の霊的(れいてき)修行(しうげふ)を了(を)えてより天眼通(てんがんつう)、天耳通(てんじつう)、自他神通(じたしんつう)、天言通(てんげんつう)、宿命通(しゆくめいつう)の大畧(たいりやく)を神得(しんとく)し、治教(ちけう)皇道(かうどう)大本(おほもと)の教義(けうぎ)をして今日(こんにち)あるに至(いた)らしめたるに就(つい)ては、千変(せんぺん)万化(ばんくわ)の波瀾(はらん)があり、縦横(じうわう)無限(むげん)の曲折(きよくせつ)が在(あ)る。旧役員(きうやくゐん)の反抗(はんかう)、信者(しんじや)の離反(りはん)、官憲(くわんけん)の圧迫(あつぱく)、宗教家(しうけうか)の迫害(はくがい)、親族(しんぞく)、知友(ちいう)の総攻撃(そうこうげき)、新聞(しんぶん)雑誌(ざつし)、単行本(たんかうぼん)の熱罵(ねつば)嘲笑(てうせう)、社会(しやかい)の誤解(ごかい)等(とう)、実(じつ)に筆紙(ひつし)口舌(こうぜつ)の能(よ)くする所(ところ)のもので無(な)い。王仁(わたし)は唯々(ただただ)開教後(かいけうご)廿四年間(ねんかん)の経緯(いきさつ)を極(きは)めて簡単(かんたん)に記憶(きおく)より喚起(かんき)して、其(そ)の一端(いつたん)を示(しめ)す事(こと)にする。
 
 皇道(かうどう)大本(おほもと)には変性(へんじやう)男子(なんし)の神系(しんけい)と、変性(へんじやう)女子(によし)の神系(しんけい)との二大(にだい)神系(しんけい)が、歴然(れきぜん)として区別(くべつ)されて居(を)る。出口(でぐち)大教祖(だいけうそ)は国祖(こくそ)国常立尊(くにとこたちのみこと)の表現神(へうげんしん)として綾部(あやべ)の地(ち)の高天原(たかあまはら)に現(あら)はれ、神世(しんせい)出現(しゆつげん)の予言(よげん)と警告(けいこく)を発(はつ)し、以(もつ)て神世出現(よはね)の神業(しんげふ)を専行(せんかう)し、水(みづ)を以(もつ)て身魂(みたま)の洗礼(せんれい)を施(ほどこ)し、救世主(きりすと)の再生(さいせい)、再臨(さいりん)を待(ま)つて居(を)られたので在(あ)る。ヨハネの初(はじめ)てキリストに対面(たいめん)する迄(まで)には殆(ほと)んど七年(ねん)の間(あひだ)、野(や)に叫(さけ)びつつ在(あ)つたのである。そして変性(へんじやう)男子(なんし)は女体(によたい)男霊(だんれい)にして、五十七才(さい)始(はじ)めて茲(ここ)に厳(いづ)の御魂(みたま)の神業(しんげふ)に参加(さんか)し玉(たま)ひ、明治(めいぢ)二十五年(ねん)の正(せう)月(がつ)元旦(がんたん)より、同(どう)四十五年(ねん)の正(せう)月(がつ)元旦(がんたん)まで、前後(ぜんご)満(まん)二十年間(ねんかん)の水洗礼(すゐせんれい)を以(もつ)て現世(げんせ)の汚濁(をだく)せる体系(たいけい)一切(いつさい)に洗礼(せんれい)を施(ほどこ)し、世界(せかい)革命(かくめい)の神策(しんさく)を実現(じつげん)し玉(たま)ふたのである。彼(か)の欧刕(おうしう)大戦乱(だいせんらん)の如(ごと)きは、厳(いづ)の御魂(みたま)の神業(しんげふ)の発動(はつどう)にして、三千(さんぜん)世界(せかい)の一大(いちだい)警告(けいこく)であつたのである。
 変性(へんじやう)女子(によし)は瑞(みづ)の御魂(みたま)の神業(しんげふ)に参加(さんか)奉仕(ほうし)し、霊(れい)を以(もつ)て世界(せかい)万民(ばんみん)に洗礼(せんれい)を施(ほど)こすの神務(しんむ)である。明治(めいぢ)丗一年(ねん)の二月(がつ)九日(ここのか)を以(もつ)て瑞霊(ずゐれい)の表現者(へいげんしや)として現(あら)はれ、大正(たいしやう)七年(ねん)二月(がつ)九日(ここのか)を以(もつ)て前後(ぜんご)満(まん)二十年間(ねんかん)の霊的(れいてき)神業(しんげふ)を完成(くわんせい)したのである。物質(ぶつしつ)万能(ばんのう)主義(しゆぎ)、無神(むしん)無霊魂(むれいこん)説(せつ)に、心酔(しんすゐ)累惑(るゐわく)せる体主(たいしゆ)霊従(れいじう)の現代(げんだい)も、稍(やや)覚醒(かくせい)の域(ゐき)に達(たつ)し、神霊(しんれい)の実在(じつざい)を認識(にんしき)するもの日(ひ)に月(つき)に多(おほ)きを加(くわ)え来(きた)れるは、即(すなは)ち瑞霊(ずゐれい)の偉大(ゐだい)なる神機(しんき)発動(はつどう)の結果(けつくわ)にして、決(けつ)して人智(じんち)人力(じんりよく)の致(いた)す所(ところ)では無(な)いのである。
 誤(あやま)れる信者(しんじや)の中(なか)には、今日(こんにち)の皇道(かうどう)大本(おほもと)の発展(はつてん)と天下(てんか)の覚醒(かくせい)は、役員(やくゐん)信者(しんじや)の忠実(ちうじつ)熱心(ねつしん)なる努力(どりよく)の結果(けつか)なりと称(しよう)すれども、如何(いか)に神智(しんち)偉能(ゐのう)ありとも、厳瑞(げんずゐ)二霊(にれい)の深甚(しんじん)なる御(ご)経綸(けいりん)と、神界(しんかい)の御(ご)加護(かご)なくしては、一人(いちにん)と雖(いへど)も首肯(しゆかう)せしめ入道(にうだう)せしむる事(こと)は出来(でき)ないのである。
 
 変性(へんじやう)男子(なんし)は五十七歳(さい)にして神世開祖(よはね)の神業(しんげふ)に入(い)り、爾来(じらい)二十有(いう)七年間(ねんかん)神筆(しんぴつ)を振(ふ)るひ、以(もつ)て物質界(ぶつしつかい)の大改正(だいかくせい)を促進(そくしん)し、今(いま)や霊界(れいかい)に入(い)りても其(そ)の神業(しんげふ)を継続(けいぞく)奉仕(ほうし)されつつ在(あ)るのである。
 次(つぎ)に変性(へんじやう)女子(によし)は三十年間(ねんかん)の神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)して以(もつ)て五六七(みろく)神政(しんせい)の成就(ぜうじゆ)を待(ま)ち、世界(せかい)を道義的(だうぎてき)統一(とういつ)し、以(もつ)て神皇(しんかう)の徳沢(とくたく)に浴(よく)せしむるの神業(しんげふ)であると聞(き)く。神業(しんげふ)奉仕(ほうし)以来(いらい)、本年(ほんねん)を以(もつ)て満(まん)二十三年(ねん)、残(のこ)る七ケ年(ねん)こそ女子(によし)に取(と)りて、最(もつと)も重大(じうだい)なる任務(にんむ)遂行(すゐかう)の難関(なんかん)である。神諭(しんゆ)に曰(いは)く、『三十年(ねん)で身魂(みたま)の立替(たてかへ)立直(たてなほ)しと致(いた)すぞよ』と。変性(へんじやう)男子(なんし)の三十年(ねん)の神業(しんげふ)成就(ぜうじゆ)は、大正(たいしやう)十一年(ねん)の正(せう)月(がつ)元日(がんじつ)である。変性(へんじやう)女子(によし)の三十年(ねん)の神業(しんげふ)成就(ぜうじゆ)は、大正(たいしやう)十七年(ねん)二月(がつ)九日(ここのか)である。神諭(しんゆ)に、身魂(みたま)の立替(たてかへ)立直(たてなほ)しとあるを、能(よ)く考(かんが)へて見(み)ると、水(すゐ)洗礼(せんれい)の体系的(たいけいてき)革命(たてかへ)が三十年(ねん)であつて、是(これ)はヨハネの奉仕(ほうし)すべき神業(しんげふ)であり、霊(れい)洗礼(せんれい)の霊魂(れいこん)的(てき)革令(たてなおし)が、前後(ぜんご)三十年(ねん)を要(えう)すると謂(い)ふ神示(しんじ)である。然(しか)し乍(なが)ら三十年(ねん)と神示(しんじ)されたのは、大要(たいえう)を示(しめ)されたもので、決(けつ)して確定(かくてい)的(てき)のものでは無(な)い。伸縮(しんしゆく)遅速(ちそく)は到底(たうてい)免(まぬが)れない。是(これ)は神界(しんかい)の御(ご)方針(はうしん)は一定(いつてい)不変(ふへん)であつても、天地(てんち)経綸(けいりん)の司宰(しさい)たるべき奉仕者(ほうししや)の身魂(みたま)の研(けん)不研(ふけん)に依(よ)つて変更(へんかう)されるのは止(や)むを得(え)ないのである。
 神諭(しんゆ)に『天地(てんち)の元(もと)の先祖(せんぞ)の神(かみ)の心(こころ)が真実(ほんと)に徹底了解(わかり)たものが三人(にん)有(あ)りたら樹替(たてかへ)樹直(たてなほ)しは出来(でき)るなれど、神界(しんかい)の誠(まこと)が解(わか)りた人民(じんみん)が無(な)いから神(かみ)は何時(いつ)までも世(よ)に出(で)る事(こと)が出来(でき)ぬから、早(はや)く改心(かいしん)致(いた)して下(くだ)されよ。一人(ひとり)が判(わか)りたら、後(あと)の信者(しんじや)は判(わか)つて来(く)るなれど、肝心(かんじん)の御方(おかた)に判(わか)らぬと曰(い)ふのも、是(これ)には何(なに)か一(ひと)つの原因(わけ)が無(な)けねば成(な)らぬぞよ。自然(しぜん)に気(き)の付(つ)く迄(まで)待(ま)つて居(を)れば、神業(しぐみ)は段々(だんだん)遅(おく)れる斗(ばか)りなり、心(こころ)から発根(ほつこん)との改心(かいしん)で無(な)ければ、教(をし)へて貰(もら)ふてから合点(がつてん)する様(やう)な身魂(みたま)では、到底(たうてい)この大神業(だいしんげふ)は勤(つと)まらぬぞよ』云々(うんぬん)。
 実際(じつさい)の御(ご)経綸(けいりん)が分(わか)つて来(こ)なくては、空前(くうぜん)絶後(ぜつご)の大革正(だいかくせい)の神業(しんげふ)に完全(くわんぜん)に奉行(ほうかう)する事(こと)は出来(でき)るものでは無(な)い。実(じつ)に神様(かみさま)は歯痒(はがゆ)く思(おも)つて居(を)らるるでありませう。
 
 御(ご)神諭(しんゆ)に身魂(みたま)の樹替(たてかへ)、樹直(たてなほ)しと謂(い)ふ事(こと)がある。大抵(たいてい)の信者(しんじや)は、此(こ)の身魂(みたま)を混同(こんどう)して、ミタマと云(い)へば霊魂(れいこん)のみの事(こと)と思(おも)つて居(を)る人(ひと)が沢山(たくさん)に在(あ)るらしい。身(み)は身体(しんたい)、亦(また)は物質界(ぶつしつかい)を指(さ)し、魂(たま)とは霊魂(れいこん)、心性(しんしやう)、神界(しんかい)を指(さ)し玉(たま)ふたのである。総(すべ)て宇宙(うちう)は霊(れい)は尊(たふと)く、体(たい)が次(つ)ぎと成(な)つて居(を)る。身(み)の方面(はうめん)即(すなは)ち物質(ぶつしつ)的(てき)現界(げんかい)の改革(かいかく)を断行(だんかう)されるのは国祖(こくそ)大国常立(おほくにとこたちの)神(かみ)であり、精神界(せいしんかい)、神霊界(しんれいかい)の改革(かいかく)を断行(だんかう)したまふのは、豊国主(とよくにぬし)の神(かみ)の顕現(けんげん)たる瑞(みづ)の御魂(みたま)の神権(しんけん)である。故(ゆゑ)に宇宙(うちう)一切(いつさい)は霊界(れいかい)は主(しゆ)であり、現界(げんかい)が従(じう)であるから、之(これ)を称(しよう)して霊主(れいしゆ)体従(たいじう)と曰(い)ふのである。
 大本(おほもと)の信者(しんじや)の大部分(だいぶぶん)は真正(しんせい)に神諭(しんゆ)の了解(れうかい)が出来(でき)て居(ゐ)ないから、体的(たいてき)経綸(けいりん)の神業者(しんげふしや)ヨハネを主(しゆ)とし、霊的(れいてき)経綸(けいりん)の神業者(しんげふしや)を従(じう)として居(を)る人(ひと)が多(おほ)い。否(い)な全部(ぜんぶ)体主(たいしゆ)霊従(れいじう)の信仰(しんかう)に堕落(だらく)して居(を)るのである。神諭(しんゆ)に『艮(うしとら)の金神(こんじん)が天(てん)の御(ご)先祖(せんぞ)様(さま)、五六七(みろく)の大神(おほかみ)様(さま)の御(ご)命令(めいれい)を受(う)けて、三千(さんぜん)世界(せかい)の身魂(みたま)の立替(たてかへ)、立直(たてなを)しを致(いた)すぞよ。それに就(つい)ては、天(てん)の神様(かみさま)地(ち)に降(お)りて御手伝(おてつだい)遊(あそ)ばすぞよ』とあり、(天(てん)の神様(かみさま)地(ち)に降(お)りて御手伝(おてつだい)遊(あそ)ばすぞよ)との神示(しんじ)に注意(ちうい)すべきである。此(この)間(あひだ)の神界(しんかい)の御(ご)経綸(けいりん)が分(わか)らなければ、皇道(かうどう)大本(おほもと)の真相(しんさう)が解(わか)らぬ。真相(しんさう)が解(わか)らぬから何時(いつ)までも体主(たいしゆ)霊従(れいじう)の誤(あやま)つた宣伝(せんでん)を続行(ぞつかう)して益々(ますます)天地(てんち)の大神(おほかみ)の御(ご)経綸(けいりん)を妨(さまた)ぐる事(こと)になるのである。神諭(しんゆ)にも『途中(とちう)の鼻高(はなだか)が我(われ)はヱライと慢心(まんしん)いたして、神(かみ)を尻敷(しりしき)にいたして居(を)るぞよ』とあるが、是(これ)が判(わか)つた人(ひと)が、一日(いちにち)も早(はや)く出(で)て来(き)て欲(ほ)しい。身(み)と魂(たま)と一致(いつち)して神業(しんげふ)を完成(かんせい)するのは、三代(さんだい)の御用(ごよう)と云(い)ふ事(こと)も、以上(いじやう)の消息(せうそく)が解(わか)つて来(こ)ない間(あひだ)は、実現(じつげん)するもので無(な)いのである。
 神諭(しんゆ)にも『斯(こ)の大本(おほもと)は男子(なんし)と女子(によし)との筆先(ふでさき)と、言葉(ことば)とで開(ひら)く経綸(しぐみ)であるから、外(ほか)の教(おしへ)を持(もち)て来(き)て開(ひら)ひたら大変(たいへん)な間違(まちが)ひが出来(でき)て来(き)て、神(かみ)の経綸(しぐみ)の邪魔(じやま)になるから、役員(やくゐん)の御方(おんかた)心得(こころえ)て下(くだ)されよ。慢神(まんしん)致(いた)して我(が)を出(だ)したら、神(かみ)の真似(まね)を致(いた)して筆先(ふでさき)を人民(じんみん)が出(だ)したら、何辺(なんべん)でも後戻(あともど)りを致(いた)すぞよ。今(いま)は初発(かかり)であるから、成(な)る様(やう)に致(いた)して、御用(ごよう)聞(き)いて貰(もら)はねばならぬなれど、五六七(みろく)様(さま)がお出(いで)ましになりたら、男子(なんし)女子(によし)の外(ほか)は筆先(ふでさき)は出(だ)されんぞよ』云々(うんぬん)と所々(ところどころ)に示(しめ)されてある。此(こ)の筆先(ふでさき)と云(い)ふ神意(しんい)は新聞紙(しんぶんし)の事(こと)では無(な)い。要(えう)するに役員(やくゐん)さん等(たち)の発行(はつかう)されつつある単行本(たんかうぼん)の中(うち)でも、教義的(けうぎてき)意味(いみ)を含(ふく)んだものを指(さ)されたのである。何程(なにほど)人間(にんげん)の智慧(ちゑ)や学文(がくもん)の力(ちから)でも、深玄(しんげん)微妙(びめう)なる神様(かみさま)の大御心(おほみこころ)が判(わか)るもので無(な)い。故(ゆゑ)に大本(おほもと)の歴史(れきし)に関(かん)する著述(ちよじゆつ)は差支(さしつか)えないが、苟(いやし)も教義(けうぎ)に関(かん)する著書(ちよしよ)は、神諭(しんゆ)の解(わか)つた役員(やくゐん)信者(しんじや)から根本的(こんぽんてき)に改変(かいへん)して貰(もら)はぬと、何時(いつ)迄(まで)も神様(かみさま)は公然(あつぱれ)と現(あら)はれ玉(たま)ふ事(こと)が出来(でき)ぬので在(あ)ります。
 今迄(いままで)の著書(ちよしよ)と雖(いへど)も、全部(ぜんぶ)誤(あやま)つて居(を)るのでは無(な)い。唯(ただ)教義的(けうぎてき)意味(いみ)ある箇所(かしよ)に限(かぎ)つて人意(じんい)が混同(こんがう)して居(を)るだけである。然(しか)し乍(なが)ら、仮令(たとへ)一(いち)小部分(せうぶぶん)でも間違(まちが)つて居(を)つては実(じつ)に大変(たいへん)である。王仁(わたし)は学者(がくしや)の意味(いみ)を尊重(そんちよう)して、今日(こんにち)迄(まで)は隠忍(いんにん)して和光(わかう)同塵(どうじん)策(さく)を持(ぢ)して来(き)たのであるが、最早(もはや)今日(こんにち)と成(な)つては信者(しんじや)も多(おほ)く、又(また)神霊界(しんれいかい)の読者(どくしや)も日(ひ)に月(つき)に増加(ぞうか)し、天下(てんか)の注意(ちうい)を曳(ひ)く如(よ)うに成(な)つて来(き)たから、黙視(もくし)するに忍(しの)びず、涙(なみだ)を呑(の)んで此(こ)の稿(かう)を書(か)いたので在(あ)る。何程(なにほど)立派(りつぱ)な神(かみ)が憑(かか)つて、書(しよ)を著(あら)はしたり、口(くち)で説(と)いても根本(こんぽん)の経綸(けいりん)は解(わか)つた神(かみ)はない。皆(みな)近頃(ちかごろ)現(あら)はれる神(かみ)の託宣(たくせん)や予言(よげん)は全部(ぜんぶ)守護神(しゆごじん)が大本(おほもと)の神諭(しんゆ)を探(さぐ)り、似(に)たり八合(はちがう)の事(こと)を行(や)つて居(を)るもの斗(ばか)りである。今後(こんご)未(ま)だ未(ま)だ所々(ところどころ)に偽(にせ)予言者(よげんしや)、偽(にせ)救主(すくひぬし)が出現(しゆつげん)して、世人(せじん)を惑(まよ)はせ、世人(せじん)をして其(そ)の本末(ほんまつ)軽重(けいちよう)を謬(あやま)らしむる事(こと)が出(で)て来(く)るから、読者(どくしや)の深甚(しんじん)なる注意(ちうい)を望(のぞ)む次第(しだい)であります。
一 霊山修行
 高熊山(たかくまやま)は上古(じやうこ)は高御座(たかみくら)山(やま)と称(しよう)し、後(のち)に高座(たかくら)と曰(い)ひ、次(つい)で高倉(たかくら)と書(しよ)し、終(つゐ)に転訛(てんか)して高熊山(たかくまやま)と成(な)つたので在(あ)る。丹波(たんば)穴太(あなを)の山奥(やまおく)にある高台(たかだい)で、上古(じやうこ)には開化(かいくわ)天皇(てんのう)を祭(まつ)りたる延喜式(えんぎしき)内(ない)小幡(をばた)神社(じんじや)の在(あ)つた所(ところ)である。武烈(ぶれつ)天皇(てんのう)が継嗣(けいし)を定(さだ)めむと為(な)し玉(たま)ふた時(とき)に穴生(あなふ)の皇子(わうじ)はこの山中(さんちう)に隠(かく)れたまひ、高倉山(たかくらやま)に一生(いつしやう)を送(おく)らせ玉(たま)ふたと言(い)ふ古老(こらう)の伝説(でんせつ)が遺(のこ)つて居(を)る霊山(れいだん)である。天皇(てんのう)は何(ど)うしても皇子(わうじ)の行衛(ゆくへ)が解(わか)らぬので止(や)むを得(え)ず皇族(かうぞく)の裔(えい)を探(さが)し出(だ)して継体(けいたい)天皇(てんのう)に御位(みくらゐ)を譲(ゆづ)り玉(たま)ふたので在(あ)ります。又(また)此(こ)の高熊山(たかくまやま)には古来(こらい)一(ひとつ)の謎(なぞ)が遺(のこ)つて居(を)る。
『朝日(あさひ)照(て)る、夕日(ゆふひ)輝(かがや)く、高倉(たかくら)の、三(み)ツ葉(ば)躑躅(つつじ)の其(そ)の下(もと)に、黄金(こがね)の鶏(にはとり)小判(こばん)千(せん)両(れう)埋(い)けおいた』
 昔(むかし)から時々(ときどき)名(な)も知(し)れぬ鳥(とり)が鳴(な)いて、里人(さとびと)に告(つ)げたと曰(い)ふ事(こと)である。王仁(わたし)は登山(とざん)する毎(ごと)に、三葉(みつば)躑躅(つつじ)の株(かぶ)は無(な)いかと探(さが)して見(み)たが、何時(いつ)も見当(みあた)らなかつた。昨(さく)九年(ねん)の春(はる)、信者(しんじや)と倶(とも)に登山(とざん)して休息(きうそく)して居(を)ると、王仁(わたし)の脚下(あしもと)に、その三(み)ツ葉(ば)躑躅(つつじ)が生(は)えて居(を)るのを見出(みいだ)し、初(はじ)めて其(そ)の歌(うた)の謎(なぞ)が解(と)けたのであります。
 朝日(あさひ)照(て)ると言(い)ふ意義(いぎ)は、天津(あまつ)日継(ひつぎ)天皇(てんわう)の御稜威(みいづ)が旭日(きよくじつ)東天(とうてん)の勢(いきほひ)を以(もつ)て、八紘(はつかう)に輝(かがや)き渡(わた)り、夕日(ゆふひ)輝(かが)やくてふ、西洋(せいやう)諸国(しよこく)までも皇徳(かうとく)を光被(くわうひ)し玉(たま)ふ黄金(わうごん)時代(じだい)の来(く)る事(こと)であつて、此(こ)の霊山(れいだん)に神威(しんゐ)霊徳(れいとく)を秘(ひ)め置(お)かれた神界(しんかい)の謎(なぞ)である。
 三(み)ツ葉(ば)躑躅(つつじ)とは、三の御霊(みたま)、瑞霊(ずゐれい)の意(い)である。ツツジの言霊(ことたま)は、万世(ばんせい)一系(いつけい)天壌(てんじやう)無窮(むきう)の皇運(かううん)を扶翼(ふよく)し奉(まつ)る神人(しんじん)の意(い)である。小判(こばん)千(せん)両(りやう)埋(い)けおいた、大判(おほばん)は上(かみ)を意味(いみ)し、小判(こばん)は下(しも)にして、確固(かくこ)不動(ふどう)の権力(けんりよく)を判(ばん)と云(い)ふのである。即(すなは)ち小判(こばん)は小幡(こばん)ともなり、神教顕現地(こばん)ともなるのである。穴太(あなを)の産土(うぶすな)小幡(をばた)神社(じんじや)の鎮座(ちんざ)ありしも、御(ご)祭神(さいじん)が開化(かいくわ)天皇(てんのう)であつたのも、深(ふか)い神策(しんさく)の在(あ)りませる事(こと)と、恐察(けうさつ)し得(う)るのである。之(これ)を思(おも)へばアア明治(めいぢ)卅一年(ねん)如月(きさらぎ)の九日(ここのか)、富士(ふじ)浅間(せんげん)神社(じんじや)の祭神(さいじん)、木花(このはな)咲耶姫(さくやひめの)命(みこと)の神使(しんし)、芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)に導(みちび)かれて当山(たうざん)に王仁(わたし)が一(いつ)週間(しうかん)の神示(しんじ)の修行(しうぎやう)を命(めい)ぜられたのも、決(けつ)して偶然(ぐうぜん)では無(な)いのであります。
 神示(しんじ)の随々(まにまに)に高熊山(たかくまやま)に出修(しゆつしう)したる王仁(わたし)の霊力(れいりよく)発達(はつたつ)の程度(ていど)は、非常(ひじやう)に迅速(じんそく)であつた。汽車(きしや)よりも飛行機(ひかうき)よりも、電光(でんくわう)石火(せきくわ)よりも迅速(じんそく)に霊的(れいてき)研究(けんきう)は進歩(しんぽ)したのである。譬(たと)えば幼稚園(えうちえん)の生徒(せいと)が大学(だいがく)を卒業(そつげふ)して、博士(はかせ)の地位(ちゐ)に進(すす)んだ如(よ)うな進歩(しんぽ)であつた。過去(くわこ)現在(げんざい)未来(みらい)に透徹(とうてつ)し、神界(しんかい)の秘奥(ひおう)を窺知(きうち)し得(う)ると共(とも)に、現界(げんかい)の出来事(できごと)なぞは数百(すうひやく)年(ねん)数千(すうせん)年(ねん)の後(のち)まで知悉(ちしつ)し得(え)られたのである。然(しか)し乍(なが)ら、総(すべ)て一切(いつさい)神秘(しんぴ)に属(ぞく)し今日(こんにち)之(これ)を詳細(しやうさい)に発表(はつぺう)する事(こと)の出来(でき)ないのを遺憾(ゐかん)とする次第(しだい)である。
 故(ゆゑ)に王仁(わたし)が前後(ぜんご)一週間(いつしうかん)に於(お)ける修行(しうげふ)に依(よ)りて肉体(にくたい)霊魂(れいこん)上(じやう)に得(え)たる神徳(しんとく)の結果(けつか)を発表(はつぺう)する事(こと)にのみ、留(とど)めて置(お)かうと思(おも)ふ。
二 業の意義
 霊界(れいかい)の業(げふ)と云(い)へば世間(せけん)一般(いつぱん)に深山(しんざん)幽谷(ゆうこく)に入(はい)つて、出世間(しゆつせけん)的(てき)難行(なんぎやう)苦行(くぎやう)の事(こと)とのみ考(かんが)えて居(を)る人(ひと)が多(おほ)い様(やう)である。跣足(はだし)や裸体(はだか)になつて、山神(さんじん)の社(やしろ)に立籠(たてこも)り断食(だんじき)を為(な)し、断湯(だんたう)をなし、火食(くわしよく)を止(や)めて神仏(しんぶつ)に祈願(きぐわん)を凝(こ)らし、妙(めう)な動作(どうさ)を為(な)し、異行(いかう)を敢(あへ)てする事(こと)を以(もつ)て徹底(てつてい)的(てき)修行(しうげう)を完了(かんれう)した如(よ)うに思(おも)ひほこる人々(ひとびと)が多(おほ)いのである。
 総(すべ)て業(げふ)は行(ぎやう)である以上(いじやう)は顕幽(けんゆう)一致(いつち)身魂(しんこん)一本(いつぽん)の真理(しんり)に依(よ)り、顕界(けんかい)に於(おい)て可及(かきふ)的(てき)大活動(だいくわつどう)を為(な)し以(もつ)て天地(てんち)の経綸(けいりん)に奉仕(ほうし)するのが第一(だいいち)の行(ぎやう)である。例之(たとへ)一ケ月(げつ)でも人界(じんかい)の事業(じげふ)を廃(はい)して山林(さんりん)に隠遁(いんとん)し、怪行(かいかう)異業(ゐげふ)に熱中(ねつちゆう)するは一ケ月間(げつかん)の社会(しやかい)の損害(そんがい)であつて、所謂(いはゆる)神界(しんかい)の怠業者(たいげふしや)、亦(また)は罷業者(ひげふしや)である。総(すべ)て神界(しんかい)の業(げふ)と云(い)ふものは現界(げんかい)に於(おい)て生成(せいせい)化育(かいく)、進取(しんしゆ)発展(はつてん)の事業(じげふ)に竭(つく)すを以(もつ)て第一(だいいち)の要件(えうけん)とせねばならぬ。
 今日(こんにち)の大本(おほもと)の或(あ)る一部(いちぶ)の人士(じんし)の様(やう)に何事(なにごと)も惟神(かんながら)々々(かんながら)と云(い)つて難(なん)を避(さ)け、易(やす)きに就(つ)かむとするは神界(しんかい)より御覧(ごらん)に成(な)ると実(じつ)に不都合(ふつがふ)不届(ふとどき)至極(しごく)の奴(やつ)と曰(い)はねばならぬのである。少(すこ)しも責任(せきにん)観念(かんねん)と云(い)ふものが無(な)いのみか、尽(つく)すべきを尽(つく)さずして神業(しんげふ)の妨害(ばうがい)斗(ばか)り為(し)乍(なが)ら、却(かへ)つて神界(しんかい)へ対(たい)して不足(ふそく)斗(ばか)り謂(い)つて居(を)る。是(これ)が大本(おほもと)内部(ないぶ)の黄泉(よもつ)醜人(しこびと)である。神諭(しんゆ)に、『綾部(あやべ)の大本(おほもと)へは世界(せかい)の落武者(おちむしや)が出(で)て来(く)るから用心(ようじん)をせよ』と云(い)ふ事(こと)が示(しめ)されてある。神界(しんかい)の業(げふ)と曰(い)ふものはそんな軽々(かるがる)しき容易(ようい)なものでは無(な)い。
 
 王仁(わたし)が前(まへ)に述(の)べた様(やう)に山林(さんりん)に分入(わけい)りて修行(しうぎやう)する事(こと)を批難(ひなん)して置(お)きながら、肝心(かんじん)の御(ご)本尊(ほんぞん)は一週間(しうかん)も高熊山(たかくまやま)で行(ぎやう)をしたのは、自家(じか)撞着(どうちやく)も甚(はなは)だしいでは無(な)いかとの、反問(はんもん)も出(で)るであらうが、併(しか)し王仁(わたし)はそれ迄(まで)に二十七年間(ねんかん)の俗界(そくかい)での修行(しうぎやう)を遂行(すゐかう)した。其(そ)の卒業式(そつげふしき)とも云(い)ふべきものであつて、生存中(せいぞんちう)只(ただ)一回(かい)のみ空前(くうぜん)絶後(ぜつご)の実修(じつしう)であつたのである。
 世(よ)には釈迦(しやか)でさへ檀特山(だんとくざん)に於(おい)て数(すう)ケ年間(ねんかん)の難行(なんぎやう)苦行(くげふ)をやつて仏教(ぶつけう)を開(ひら)ひたではないか、それに僅(わづ)か一週間(しうかん)位(ぐらゐ)の業(げふ)で、三世(さんぜ)を達観(たつかん)する事(こと)を得(う)る如(や)うになつたとは余(あま)りの大言(だいげん)では在(あ)るまいかと、疑問(ぎもん)を抱(いだ)く人々(ひとびと)もあるであらうが、釈迦(しやか)は印度国(いんどこく)浄飯王(じやうぼんわう)の太子(たいし)と生(うま)れて社会(しやかい)の荒(あら)き風波(かぜなみ)に遇(あ)ふた事(こと)の無(な)い坊(ぼ)ンさんであつたから、数(すう)年間(ねんかん)の種々(しゆじゆ)の苦難(くなん)を味(あぢ)はつたのである。王仁(わたし)は之(これ)に反(はん)し幼少(えうしやう)より極貧(ごくひん)の家庭(かてい)に生(うま)れて、社会(しやかい)の所在(あらゆる)辛酸(しんさん)を嘗(な)め尽(つく)して来(き)たために、高熊山(たかくまやま)に登(のぼ)る迄(まで)に顕界(けんかい)の修行(しうげふ)を了(を)え、亦(また)幾分(いくぶん)かは幽界(ゆうかい)の消息(しやうそく)にも通(つう)じて居つたからである。それ故(ゆゑ)僅(わづ)か一週間(しうかん)位(ぐらゐ)で修行(しうげふ)の功(こう)を顕(あら)はしたのである。
三 現界の苦行
 高熊山(たかくまやま)の修行(しうげふ)は一時間(じかん)神界(しんかい)の修行(しうげふ)を命(さ)せられると、現界(げんかい)は二時間(じかん)の比例(ひれい)で修行(しうぎやう)を命(さ)せられたのである。併(しか)し二時間(じかん)の現界(げんかい)の修行(しうげう)より、一時間(じかん)の神界(しんかい)の修行(しうげう)の方(はう)が数(すう)十倍(ばい)も苦(くる)しかつたのである。現界(げんかい)の修行(しうげう)と謂(い)つては寒(さむ)いのに襦袢(じゆばん)一枚(まい)と成(な)つて、前后(ぜんご)一週間(しうかん)水(みづ)一抔(ぱい)呑(の)まず一食(しよく)もせず岩(いは)の上(うえ)に静座(せいざ)して無言(むごん)で居(を)つた事(こと)である。其(そ)の間(あひだ)には降雨(かうう)もあり、寒風(かんぷう)も吹(ふ)き来(き)たり、夜中(やちう)になつても狐狸(こり)の声(こゑ)も聞(き)かず、虫(むし)の音(ね)も無(な)く、時々(ときどき)山(やま)も崩(くづ)れむ斗(ばか)りの怪音(かいおん)や、何(な)んとも言(い)へぬ厭(いや)らしい身(み)の毛(け)の震慄(しんりつ)[※底本では「森立」。]する怪声(くわいせい)が耳朶(じだ)を打(う)つのである。寂(さび)しいとも恐(おそ)ろしいとも何(な)んとも形容(けいよう)の出来(でき)ぬ光景(かうけい)である。たとへ狐(きつね)でも、狸(たぬき)でも、虎(こ)狼(ろう)でも構(かま)はぬ生(せい)ある動物(どうぶつ)が出(で)て来(き)て生(い)きた声(こゑ)を聞(き)かして欲(ほ)しい。其(そ)の姿(すがた)なりと、生物(せいぶつ)であつたら見(み)たいものだと憧憬(あこが)れる如(や)うに成(な)つた。アヽ生物(せいぶつ)位(ぐらゐ)人(ひと)の力(ちから)に成(な)るものは無(な)いと思(おも)つて居(を)ると、傍(かたはら)の小篠(をざさ)の中(なか)からザアザアと足音(あしおと)をさして黒(くろ)い影(かげ)の動物(だうぶつ)が自分(じぶん)の静座(せいざ)する、一尺(しやく)程(ほど)前(まへ)までやつて来(き)た。夜眼(よめ)には確(たし)かにそれと判(わか)り兼(かね)るが慥(たしか)に大(おほ)きな熊(くま)であつた。
 此(こ)の山(やま)の主(ぬし)は巨大(きよだい)な熊(くま)であると云(い)ふ事(こと)を常(つね)に古老(ころう)から聞(き)かされて居(を)つた。そして夜中(やちう)に人(ひと)を見付(みつ)けたらその巨熊(おほぐま)が八裂(やつざき)にして松(まつ)の枝(えだ)に懸(か)けておくと云(い)ふ事(こと)を聞(き)いて居(を)つたので王仁(わたし)は今夜(こんや)こそ斯(こ)の巨熊(おほぐま)に引裂(ひきさか)れて死(し)ぬのかも知(し)れないと其(そ)の瞬間(しゆんかん)に思(おも)つた。
 侭(まま)よ何事(なにごと)も随神(かんながら)に一任(いちにん)するに如(し)かずと心(こころ)を臍下(さいか)丹田(たんでん)に落付(おちつ)けた。サアそうなると恐(おそ)ろしいと思(おも)つた巨熊(おほぐま)の姿(すがた)が大変(たいへん)な力(ちから)となり、其(そ)の呻声(うなりごゑ)が恋(こひ)しくて堪(たま)らぬ様(やう)に成(な)り、世界(せかい)一切(いつさい)の生物(せいぶつ)に仁慈(じんじ)の神(かみ)の生魂(いくみたま)が宿(やど)り玉(たま)ふと云(い)ふ事(こと)が感(かん)じられた。
 斯(かか)る猛獣(まうじう)でさえも寂(さび)しい時(とき)には力(ちから)に成(な)るものを況(いは)んや万物(ばんぶつ)の霊長(れいちやう)たる人(ひと)に於(おい)ておやだ。アヽ世界(せかい)の人々(ひとびと)を悪(にく)んだり、怒(おこ)らしたり、侮(あなど)つたり、苦(くる)しめたり、人(ひと)を何(な)んとも思(おも)はず、日々(にちにち)を暮(くら)して来(き)た自分(じぶん)は何(なん)とした勿体(もつたい)ない罰当(ばちあた)りで有(あ)つたのか、仮之(たとへ)仇敵(きうてき)悪人(あくにん)と雖(いへど)も皆(みな)神(かみ)様(さま)の聖霊(せいれい)が宿(やど)つて居(を)る。人(ひと)は神(かみ)である。否(い)な人(ひと)斗(ばか)りでは無(な)い、一切(いつさい)の動物(だうぶつ)も植物(しよくぶつ)も皆(みな)我々(われわれ)の為(ため)には、必要(ひつえう)なる力(ちから)であり、頼(たの)みの杖(つえ)である。
 人(ひと)は堂(どう)しても一人(ひとり)で世(よ)に立(た)つ事(こと)は出来(でき)ぬものだ。社会(しやかい)の御恩(ごおん)と云(い)ふ事(こと)を忘(わす)れては人(ひと)の道(みち)が立(た)たぬ。人(ひと)は持(も)ちつ持(も)たれつ相互(さうご)に助(たす)け合(あ)ふて行(ゆ)くべき物(もの)である。人(ひと)と名(な)が付(つ)けば鬼(おに)でも蛇(じや)でも構(かま)はぬ、大切(たいせつ)に為(せ)なくては成(な)らぬ。それに人(ひと)は少(すこ)しの感情(かんじやう)や利害(りがい)の打算(ださん)から互(たがひ)に憎(にく)み嫉(ねた)み争(あらそ)ふとは、何(な)んたる矛盾(むじゆん)であろう。不真面目(ふまじめ)で在(あ)ろう。人間(にんげん)は神(かみ)様(さま)である。人間(にんげん)をおいて力(ちから)に成(な)つて呉(く)れる神(かみ)様(さま)が何処(どこ)に在(あ)るで在(あ)ろう乎(か)。
 神界(しんかい)には神(かみ)様(さま)が第一(だいいち)の力(ちから)で在(あ)り、便(たよ)りであるが、現界(げんかい)では人間(にんげん)様(さま)こそ我(われ)等(ら)を助(たす)くる誠(まこと)の生(い)きたる尊(たふと)い神(かみ)様(さま)であると心(こころ)の底(そこ)から考(かんが)へて来(く)ると、人間(にんげん)様(さま)が尊(たふと)く難有(ありがた)[※「難有」は底本通り。以下同じ。]く思(おも)はれて争論(そうろん)なぞは到底(たうてい)出来(でき)るもので無(な)い。出来(でき)る事(こと)なら人間(にんげん)様(さま)は第一(だいいち)、禽獣(きんじう)虫魚(ちうぎよ)と雖(いへ)ども、粗末(そまつ)に取扱(とりあつか)ふ事(こと)は天地(てんち)の神明(しんめい)に対(たい)して恐(おそ)れありと云(い)ふ事(こと)を悟了(ごれう)したのである。
 是(これ)が王仁(わたし)の万有(ばんゆう)に対(たい)する慈悲心(じひしん)の発芽(はつが)であつて、末(すゑ)に仁愛(みろく)の大神業(だいしんげふ)に奉仕(ほうし)するの基礎(きそ)的(てき)実習(じつしふ)で在(あ)つたのであります。
四 現実的苦行
 次(つぎ)に王仁(わたし)の第一(だいいち)に難有(ありがた)く感(かん)じたのは水(みづ)であつた。一週間(しうかん)と云(い)ふものは水(みづ)一滴(いつてき)口(くち)に入(い)れる事(こと)も出来(でき)ず、咽喉(のど)は時々(じじ)刻々(こくこく)に渇(かは)いて来(き)て何(な)んとも言(い)へぬ苦痛(くつう)である。たとへ泥水(どろみづ)でも好(よ)い水気(みづけ)の在(あ)るものが欲(ほ)しい。木(き)の葉(は)でも噛(か)んで見(み)たら少々(せうせう)位(ぐらゐ)水(みづ)は含(ふく)んで居(を)るで在(あ)ろうがそれも一週間(しうかん)は神界(しんかい)から飲食(いんしよく)一切(いつさい)を禁止(きんし)されて居(を)るので、手近(てぢか)に在(あ)る木(こ)の葉(は)一枚(まい)口(くち)に入(い)れると云(い)ふ訳(わけ)には行(ゆ)かぬのである。其(そ)の上(うえ)日々(じじ)刻々(こくこく)に空腹(くうふく)で気力(きりよく)も衰(おと)ろへ、お土(つち)一片(いつぺん)口(くち)にする事(こと)は出来(でき)ぬ。膝(ひざ)は崎嶇(きく)たる巌上(がんじやう)に静座(せいざ)せる事(こと)とて、是(これ)位(くら)ゐ痛(いた)くて苦(くる)しい事(こと)は無(な)い。寒風(かんぷう)は肌身(はだみ)を切(き)る如(やう)である。
 王仁(わたし)が不図(ふと)空(そら)を向(む)く途端(とたん)に松(まつ)の露(つゆ)がポトポトと雨後(うご)の風(かぜ)に揺(ゆ)られて、王仁(わたし)の唇辺(くちびる)に落(お)ちかかつた。何心(なにごころ)なく之(これ)を口(くち)にした。只(ただ)一滴(いつてき)の松葉(まつば)の露(つゆ)のその味(あぢ)は、甘露(かんろ)とも何(なん)とも譬(たと)へられぬ美味(おいしさ)であつた。
 是(これ)を考(かんが)へて見(み)ても、結構(けつこう)な水(みづ)を火(ひ)にかけて湯(ゆ)に沸(わか)して温(ぬる)いの熱(あつ)いのと小言(こごと)を云(い)つて居(を)る位(くら)ゐ勿体(もつたい)ない事(こと)は無(な)い。
 草木(くさき)の葉(は)一枚(いちまい)でも神(かみ)様(さま)の御(お)許(ゆる)しが無(な)ければ戴(いただ)く事(こと)は出来(でき)ず、衣服(ゐふく)は何程(なにほど)持(も)つて居(を)つても神(かみ)様(さま)の御(お)許(ゆる)しなき以上(いじやう)は着(き)る事(こと)も出来(でき)ず、恰(あだか)も餓鬼道(がきだう)の修業(しうげふ)であつた。其(そ)の御(お)蔭(かげ)に依(よ)つて水(みづ)の恩(おん)を知(し)り、衣食住(いしよくじう)の大恩(だいおん)を知(し)り、贅沢(ぜいたく)なぞは夢(ゆめ)にも思(おも)わぬ様(やう)に、何(ど)んな苦難(くなん)に逢(あ)ふも驚(おどろ)かず、悲(かな)しまず、如何(いか)なる反対(はんたい)や嘲笑(てうせう)熱罵(ねつば)も只(ただ)勿体(もつたい)ない難有(ありがた)い難有(ありがた)いで平気(へいき)で、社会(しやかい)に泰然(たいぜん)自若(じじやく)、感謝(かんしや)のみの生活(せいくわつ)を楽(たの)しむ事(こと)が出来(でき)る如(よ)うに成(な)つたのも全(まつた)く修行(しうぎやう)の御(お)利益(かげ)である。
 それに就(つい)て今一(いまひと)つ衣食住(いしよくじう)よりも人間(にんげん)に取(と)つて尊(たふ)とく難有(ありがた)いものは空気(くうき)である。飲食物(いんしよくぶつ)は十日(とうか)や二十日(はつか)位(くらゐ)廃(はい)した所(ところ)で、死(し)ぬ様(やう)な事(こと)は滅多(めつた)に無(な)いが、空気(くうき)は唯(ただ)の二三分間(ぷんかん)でも呼吸(こきう)せなかつたならば直(ただ)ちに死(し)んで了(しま)ふより途(みち)は無(な)い。王仁(わたし)がこの修行中(しうげふちう)にも空気(くうき)を呼吸(こきふ)する事(こと)だけは許(ゆる)されたのであつた、人(ひと)は衣食住(いしよくぢう)の、大恩(だいおん)を知(し)ると同時(どうじ)に、空気(くうき)の御恩(ごおん)を感謝(かんしや)せなくては成(な)らぬのである。併(しか)し以上(いじやう)述(の)べたる所(ところ)は、王仁(わたし)が高熊山(たかくまやま)に於(お)ける修行(しうげふ)の現界(げんかい)的(てき)即(すなは)ち肉体(にくたい)上(じやう)に於(お)ける神示(しんじ)の修行(しうぎやう)であります。霊界(れいかい)に於(お)ける神示(しんじ)の修行(しうげふ)は到底(たうてい)前述(ぜんじゆつ)の如(ごと)き軽(かる)い容易(ようい)なものでは無(な)かつた。幾(いく)十倍(ばい)とも幾(いく)百倍(ばい)とも知(し)れぬ大苦難(だいくなん)的(てき)修練(しうれん)であつた。
五 霊界の修行
 霊界(れいかい)には神界(しんかい)と幽界(ゆうかい)の二大(にだい)境域(けふゐき)があつて、神界(しんかい)は正(ただ)しき神々(かみがみ)や正(ただ)しき人々(ひとびと)の霊魂(れいこん)の安住所(あんぢうしよ)である。幽界(ゆうかい)は邪神(じやしん)の集(あつ)まる所(ところ)であり、悪罪者(あくざいしや)の霊魂(れいこん)の堕(お)ち行(ゆ)く所(ところ)である。そして神界(しんかい)は至善(しぜん)、至美(しび)、至明(しめい)、至楽(しらく)の神境(しんけふ)で天(てん)の神界(しんかい)、地(ち)の神界(しんかい)に別(わか)れて居(を)り、天(てん)の神界(しんかい)にも地(ち)の神界(しんかい)にも各自(かくじ)三段(さんだん)の区劃(くくわく)が定(さだ)まつて居(を)り、上(ぜう)中(ちう)下(げ)の三段(さんだん)の御魂(みたま)の夫(そ)れ夫(ぞ)れに鎮(しづ)まる楽園(らくえん)である。幽界(ゆうかい)にも根(ね)の国(くに)底(そこ)の国(くに)に別(わか)れ各自(かくじ)三段(さんだん)に区劃(くくわく)され、罪(つみ)の軽重(けいちよう)、大小(だいせう)に由(よ)りて、夫(そ)れ夫(ぞ)れに落(おと)されて行(ゆ)く、至悪(しあく)、至醜(ししう)、至寒(しかん)、至苦(しく)の刑域(けいゐき)である。今(いま)王仁(わたし)は茲(ここ)に神界(しんかい)の御(お)許(ゆる)しを得(え)て神幽(しんゆう)両界(れうかい)の大要(たいえう)を表示(へうじ)して見(み)やう。
神幽両界の大要
[#図 神幽両界の大要]
 霊界(れいかい)の大要(たいえう)は大畧(たいりやく)前記(ぜんき)の通(とほ)りであるが王仁(わたし)は芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)の先導(せんだう)にて幽界(ゆうかい)探険(たんけん)の途(と)に上(のぼ)る事(こと)と成(な)つた。勿論(もちろん)身(み)は高熊山(たかくまやま)に端座(たんざ)して只(ただ)霊魂(れいこん)のみが往(い)つたのである。
 行(ゆ)く事(こと)数(すう)百千里(り)空中(くうちう)飛行船(ひかうせん)以上(いじやう)の大速力(だいそくりよく)で、足(あし)も地(ち)に就(つ)かず殆(ほと)んど十分(じつぷん)斗(ばか)り進行(しんかう)を続(つづ)けたと思(おも)ふとそこにて芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)は立留(たちど)まつて王仁(わたし)を顧(かへり)み弥(い)よ弥(い)よ是(これ)からが幽界(ゆうかい)の関門(かんもん)であると云(い)つて大変(たいへん)な大(おお)きな河(かは)の辺(ほとり)に立(た)つた。一寸(ちよつと)見(み)た所(ところ)では非常(ひぜう)に深(ふか)いやうで在(あ)るが渡(わた)つて見(み)ると余(あま)り深(ふか)くは無(な)いが不思議(ふしぎ)にも王仁(わたし)の着(き)て居(ゐ)た紺衣(こんい)は水(みづ)に洗(あら)はれたのか忽(たちま)ち純白(じゆんぱく)に変(へん)じたのである。別(べつ)に衣服(いふく)の一端(いつたん)をも水(みづ)に浸(ひた)したとも思(おも)はぬに肩先(かたさき)まで全部(ぜんぶ)が清白(せいはく)になつたのである。
 芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)と共(とも)に名(な)も知(し)らぬ此(こ)の大河(おほかは)を対岸(たいがん)へ渡(わた)り切(き)り、水瀬(みなせ)を眺(なが)めると不思議(ふしぎ)にも水(みづ)の流(なが)れと思(おも)つたのは誤(あやま)りで、大蛇(だいじや)の群(むれ)が幾(いく)百万(まん)とも限(かぎ)り無(な)き程(ほど)集(あつ)まつて各自(かくじ)に頭(あたま)を擡(もた)げ火焔(かえん)の舌(した)を吐(は)ひて居(を)るのには驚(おどろ)かされたのである。
 それから次々(つぎつぎ)に渉(わた)り来(き)たる数多(あまた)の旅人(たびびと)らしきものが何(いづ)れも皆(みな)大河(おほかは)と思(おも)つたと見(み)えて王仁(わたし)の渉(わた)つたやうに各自(かくじ)に裾(すそ)を捲(ま)き上(あ)げて居(を)るのである。そして不思議(ふしぎ)な事(こと)には各自(かくじ)の衣服(いふく)が種々(しゆじゆ)の色(いろ)に変化(へんくわ)する事(こと)であつた。或(あるひ)は黒(くろ)に或(あるひ)は黄色(きいろ)に茶褐色(ちやかつしよく)に其(その)他(た)雑多(ざつた)の色(いろ)に忽然(こつぜん)として変(かは)つて来(く)るのを、何処(どこ)もなく五六人(にん)の恐(こわ)い顔(かほ)をした男(をとこ)が一々(いちいち)姓名(せいめい)を呼(よ)び止(と)めて一人(ひとり)々々(ひとり)に切符(きつぷ)の様(やう)なものをその衣服(いふく)に付(つ)けて与(や)る。そして速(はや)く立(た)てよと促(うなが)す。
 旅人(たびびと)は各自(めんめ)に前方(ぜんぱう)に向(むか)つて歩(ほ)を進(すす)め、一里(り)斗(ばか)りも進(すす)んだと思(おも)ふ所(ところ)に、一(ひと)つの役所(やくしよ)の如(や)うなものが建(た)つて在(あ)つた。其(その)中(なか)から四五の番卒(ばんそつ)が現(あら)はれて其(そ)の切符(きつぷ)を剥(は)ぎ取(と)り、衣服(いふく)の変色(へんしよく)の模様(もやう)によつて上衣(うはぎ)を一枚(まい)脱(ぬ)ぎ取(と)るもあり、或(あるひ)は二枚(まい)三枚(まい)と脱(ぬ)ぎ取(と)られ下衣(したぎ)一枚(まい)に為(し)られるもあり丸裸(まるはだか)に為(し)られるのもある。又(また)一枚(まい)も脱(ぬ)ぎ取(と)らずに他(た)の旅人(たびびと)から取(と)つた衣物(きもの)を或(あるひ)は一枚(まい)、或(あるひ)は二枚(まい)三(さん)枚(まい)、中(なか)には七八枚(まい)も被(き)せられて苦(くる)しさうにして出(で)てゆくものもある。
 一人(ひとり)々々(ひとり)に番卒(ばんそつ)が付(つ)き添(そ)ひ各自(かくじ)規定(きてい)の場所(ばしよ)へ送(おく)られて行(ゆ)くのであつた。
六 八街の光景
 爰(ここ)は黄泉(よみ)の八街(やちまた)[※「八街」は底本通り。]と曰(い)ふ所(ところ)であつて米(こめ)の字(じ)形(かた)の辻(つぢ)である。其(そ)の真中(まんなか)に一(ひと)つの幽界(ゆうかい)の政庁(せいちやう)が在(あ)つて牛頭(ぎうたう)馬頭(ばたう)の恐(こわ)い番卒(ばんそつ)が猛獣(まうじう)の皮衣(ひい)を身(み)に付(つ)けたのも在(あ)り、丸裸(まるはだか)に猛獣(まうじう)の皮(かは)の褌(まわし)を締(し)め込(こ)み、突棒(つくぼう)や手槍(てやり)や、鋸(のこ)や、斧(おの)、鉄棒(てつぼう)に、長(なが)い火箸(ひばし)なぞを携(たづさ)えた奴(やつ)が沢山(たくさん)に出(で)て来(く)る。王仁(わたし)は芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)の案内(あんない)でズツト奥(おく)へ通(とほ)ると其(そ)の中(なか)の小頭(こがしら)とも云(い)ふ如(よ)うな鬼面(おにづら)の男(をとこ)が長剣(ちやうけん)を杖(つえ)に突(つ)き乍(なが)ら出迎(でむか)えた。
 そして芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)に向(むか)つて御(ご)遠方(ゑんぽう)の所(ところ)、遥々(はるばる)御(ご)苦労(くろう)でありました。今日(こんにち)は何(なん)の御用(ごよう)にて御(ご)来幽(らいゆう)になりましたかと恐(こわ)い顔(かほ)に似合(にあ)はぬ慇懃(いんぎん)な挨拶(あいさつ)である。王仁(わたし)は意外(いがい)の感(かん)に打(う)たれて両者(りやうしや)の応答(おうたふ)を聞(き)くのみで在(あ)つた。
 そうすると芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)から、神界(しんかい)の大神(おほかみ)の命(めい)に依(よ)り大切(たいせつ)なる神人(しんじん)を案内(あんない)申(まを)して参(まゐ)りました。即(すなは)ち此(こ)の御方(おかた)で在(あ)りますが、今回(こんかい)は現(げん)神(しん)幽(ゆう)改革(かいかく)の使命(しめい)を帯(お)び、第一(だいいち)に幽界(ゆうかい)の視察(しさつ)を兼(か)ねて修行(しうぎやう)に見(み)えたのでありす。此(こ)の方(かた)は丹州(たんしう)高倉山(たかくらやま)に古来(こらい)秘(ひ)め置(お)かれました三(み)ツ葉(ば)躑躅(つつじ)の神霊(しんれい)であります。何卒(なにとぞ)大王(だいわう)に此(この)旨(むね)御(ご)伝達(でんたつ)を願ふと、言語(げんご)に力(ちから)を篭(こ)めての依頼(いらい)であつた。
 小頭(こがしら)は王仁(わたし)に軽(かる)く一礼(いちれい)して急(いそ)ぎ奥(おく)へ行(い)つた。待(ま)つこと稍(やや)少時(しばし)奥(おく)には何事(なにごと)の起(おこ)りしかと思(おも)はるる斗(ばか)りの物音(ものおと)が聞(きこ)ゆるので、芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)に聞(き)いて見(み)ると、曰(いは)く神人(しんじん)来幽(らいゆう)に付(つ)き準備(じゆんび)せむが為(ため)であると。
 王仁(わたし)は怪(あや)しみて神人(しんじん)とは誰(だれ)ぞ、答(こた)へて曰(いは)く、瑞(みづ)の身魂(みたま)なり、肉体(にくたい)ある人(ひと)幽界(ゆうかい)に来(く)る時(とき)は何時(いつ)も庁内(ちやうない)の模様(もやう)を一時(じ)変更(へんかう)さるる定(さだ)めなり。今日(けふ)は別(わ)けて神界(しんかい)より前(まへ)以(もつ)て沙汰(さた)無(な)かりし故(ゆゑ)に要(えう)するに幽庁(ゆうちやう)は狼狽(ろうばい)の体(てい)なりと。
 王仁(わたし)は問(と)ふて曰(いは)く瑞(みづ)の身魂(みたま)とは誰(たれ)ぞや、答(こた)へて曰(いは)く、汝(なんぢ)の守護神(しゆごじん)なり。茲(ここ)に於(おい)て初(はじ)めて王仁(わたし)は、我(わが)本守護神(ほんしゆごうじん)を知(し)つたのであつた。
 
 静(しづ)かに隔(へだ)ての戸(と)を開(ひら)いて、前(まへ)の小頭(こがしら)先導(せんだう)に立(た)ち、数名(すうめい)の役員(やくゐん)らしきもの出(い)で来(き)たり、軽(かる)く二人(ふたり)に目礼(もくれい)し前後(ぜんご)に付添(つきそ)ひて奥(おく)へ奥(おく)へと導(みちび)き行(ゆ)くのである。上段(じやうだん)の間(ま)には白髪(はくはつ)異様(いやう)の老人(ろうじん)が机(つくえ)を前(まへ)に置(お)き端座(たんざ)して居(を)る。何(なん)となく威厳(ゐげん)があり且(か)つ優(やさ)しみがある。そして極(きは)めて美(うつ)くしい面貌(めんばう)であつた。
 芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)は少(すこ)しく腰(こし)を屈(かが)め乍(なが)ら其(そ)の右前側(うぜんそく)に座(ざ)して何事(なにごと)か奏上(そうじやう)する様子(やうす)である。役人(やくにん)は綺羅星(きらほし)の如(ごと)くに中段(ちうだん)の間(ま)に列(なら)んで居(を)る。老人(ろうじん)は王仁(わたし)を見(み)て美(うる)はしき顔(かほ)に、一層(いつそう)美(うる)はしき光(ひか)りを湛(たた)へ、笑顔(ゑがほ)を作(つく)り乍(なが)ら、瑞(みづ)の身魂(みたま)殿(どの)、遠方(ゑんぱう)大儀(たいぎ)なり疾(はや)く是(これ)にと、自(みづか)ら左前側(さぜんそく)に王仁(わたし)を着座(つか)しめられた。芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)と三人(にん)は三角形(さんかくけい)の陣(ぢん)を取(と)つた。王仁(わたし)は座(ざ)に就(つ)き老人(ろうじん)に向(むか)つて低頭(ていとう)平身(へいしん)敬意(けいい)を表(へう)した。老人(ろうじん)も亦(ま)た仝(おな)じく敬意(けいい)を表(へう)して頓首(とんしゆ)し玉(たま)ひ告(つ)げ玉(たま)はく、我(われ)は根(ね)の国(くに)底(そこ)の国(くに)の監督(かんとく)を天(てん)より命(めい)ぜられ、三千有余(いうよ)年(ねん)当庁(たうちやう)に主(しゆ)たり、大王(だいわう)たり。今(いま)や天運(てんうん)循環(じゆんかん)弥々(いよいよ)我(わ)が任務(にんむ)は一年(いちねん)余(あまり)にして終(をは)る。余(よ)者(は)汝(なんじ)と共(とも)に神界(しんかい)現界(げんかい)に出(い)で相(あひ)提携(ていけい)して以(もつ)て宇宙(うちう)改造(かいざう)の大神業(だいしんげふ)に参加(さんか)せむ。併(しか)し乍(なが)ら我(われ)は既(すで)に永年(えいねん)幽界(ゆうかい)を主宰(しゆさい)したれば今更(いまさら)幽界(ゆうかい)を探究(たんきう)するの要(えう)なし。汝(なんぢ)は今(いま)初(はじ)めての来幽(らいゆう)なれば、現幽(げんゆう)両界(れうかい)の為(ため)実地(じつち)の試練(しれん)さるるの要(えう)あり。然(しか)らざれば今後(こんご)に於(おい)て現界(げんかい)を救(すく)ふ可(べ)き大慈(だいじ)の神人(しんじん)たる事(こと)を得(え)ざる可(べ)し。是非(ぜひ)々々(ぜひ)根(ね)の国(くに)、底(そこ)の国(くに)を探究(たんきう)の上(うへ)帰現(きげん)されよ。汝(なんぢ)の産土(うぶすな)の大神(おほかみ)を招(まね)き奉(まつ)らむとて、天(あま)の石笛(いはふえ)の音(ね)も爽(さは)やかに吹(ふ)き立(た)て玉(たま)へば、忽然(こつぜん)として白衣(はくい)の神姿(しんし)、雲(くも)に乗(の)りて降(くだ)り玉(たま)ひ、三人(にん)の前(まへ)に現(あら)はれ丁重(ていてう)なる態度(たいど)を以(もつ)て何事(なにごと)か小声(こごゑ)に大王(だいわう)に詔(の)らせ玉(たま)ひ、次に庁(ちやう)の数多(あまた)の列座(れつざ)に向(むか)ひて厚(あつ)く礼(れい)を述(の)べ、次(つぎ)に芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)に対(たい)して氏子(うじこ)を御(お)世話(せわ)であつたと感謝(かんしや)され、最後(さいご)に王仁(わたし)に向(むか)つて一巻(かん)の書(しよ)を授(さづ)け玉(たま)ひ、頭上(づじやう)より神息(しんそく)を吹(ふ)き込(こ)みたまふや、王仁(わたし)の腹部(ふくぶ)殊(こと)に臍下(さいか)丹田(たんでん)は、俄(にわか)に暖(あたた)かさを感(かん)じ、身魂(みたま)の全部(ぜんぶ)に無限(むげん)無量(むれう)の力(ちから)を得(え)たるを覚(おぼ)えたのである。
七 幽庁の審判
 茲(ここ)に大王(だいわう)の聴許(ちやうきよ)を得(え)て、王仁(わたし)は産土(うぶすな)の大神(おほかみ)、芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)と共(とも)に審判廷(しんぱんてい)の傍聴(ばうちやう)を為(な)す事(こと)を得(え)た。仰(あふ)ぎ見(み)る斗(ばか)りの高座(かうざ)には大王(だいわう)出御(しゆつぎよ)あり、二三尺(じやく)下(した)の座(ざ)には形相(げうさう)凄(すさま)じき冥官(めいかん)等(など)の列座(れつざ)して居(を)る。最下(さいか)の審判廷(しんぱんてい)には数多(あまた)の罪人(ざいにん)が土下座(どげざ)になつて畏(かし)こまつて居(を)る。見(み)渡(わた)せば王仁(わたし)に続(つづ)ひて大蛇(おろち)の川(かは)を渉(わた)つて来(き)た旅人(たびびと)も早(はや)既(すで)に多数(あまた)罪人(ざいにん)の中(なか)に混(ま)じり込(こ)んで審判(しんぱん)の言(いひ)渡(わた)しを待(ま)つて居(を)る。日本人(にほんじん)斗(ばか)りかと思(おも)へば支那人(しなじん)朝鮮人(てうせんじん)西洋人(せいやうじん)なぞも沢山(たくさん)に居(を)るのを見(み)た。王仁(わたし)は或(あ)る川柳(せんりう)に『唐人(たうじん)を入(い)り込(こみ)にせぬ地獄(ぢごく)の絵(え)』と云(い)ふのが在(あ)る、其(そ)れを思(おも)ひ出(だ)して、この光景(こうけい)を怪(あや)しみ仙人(せんにん)に耳語(じご)して其(そ)の故(ゆゑ)を尋(たづ)ねた。何(な)んと思(おも)つたか、仙人(せんにん)は頭(かしら)を左右(さゆう)に振(ふ)つた限(き)り、一言(ひとこと)も答(こた)えて呉(く)れぬ。王仁(わたし)も強(し)ひて尋(たづ)ねる事(こと)を控(ひか)えたのである。
 不図(ふと)大王(だいわう)の容貌(ようばう)を見(み)ると、アツト驚(おどろ)いて倒(たふ)れむ斗(ばか)りになつた。そこを産土(うぶすな)の大神(おほかみ)と仙人(せんにん)とが左右(さゆう)から支(ささ)えて下(くだ)さつた。若(も)し此(この)時(とき)に二柱(ふたはしら)の御(ご)介抱(かいはう)が無(な)かつたら王仁(わたし)は気絶(きぜつ)したかも知(し)れぬのである。今(いま)迄(まで)温和(おんわ)優美(ゆうび)にして犯(をか)す可(べ)からざる威厳(ゐげん)を具(そな)え、美(うる)はしき無限(むげん)の笑(ゑ)みを湛(たた)え玉(たま)ひし、大王(だいわう)の形相(げうさう)は忽(たちま)ち真紅(しんく)と変(へん)じ、眼(め)は非常(ひじやう)に巨大(きよだい)に、口(くち)は耳(みみ)の辺(あたり)まで引裂(ひきさ)け、口内(こうない)より火焔(かえん)の舌(した)を吐(は)き玉(たま)ふ、冥官(めいかん)亦(ま)た仝(おな)じく形相(げうさう)凄(すさ)まじく、面(おも)を上(あ)げて見(み)る能(あた)はざるの光景(こうけい)にて、審判廷(しんぱんてい)は俄(にわ)かに物凄(ものすご)さを増(ま)して来(き)た。
 大王(だいわう)は中段(ちうだん)に座(ざ)せる冥官(めいかん)の一人(いちにん)を手招(てまね)きし玉(たま)へば、冥官(めいかん)畏(かし)こまりて御前(ごぜん)に出(い)づ。大王(だいわう)は冥官(めいかん)に一巻(かん)の書帳(しよてう)を授(さづ)け玉(たま)へば、冥官(めいかん)恭(うやうや)しく押(おし)戴(いただ)き元(もと)の座(ざ)に帰(かへ)りて、一々(いちいち)罪人(ざいにん)の姓名(せいめい)を呼(よ)びて判決文(はんけつぶん)を朗読(ろうどく)するのである。
 番卒(ばんそつ)は順次(じゆんじ)に呼(よ)ばれたる罪人(ざいにん)を引(ひき)立(た)てて幽廷(いうてい)を退(しりぞ)くのである。現界(げんかい)の裁判(さいばん)の如(ごと)く予審(よしん)だの控訴(かうそ)だの大審院(だいしんゐん)だのと云(い)ふ如(よ)うな設備(せつび)も無(な)ければ弁護人(べんごにん)も無(な)く、単(たん)に判決(はんけつ)の言(いひ)渡(わた)し而己(のみ)で極(きは)めて簡単(かんたん)である。
 王仁(わたし)は仙人(せんにん)を顧(かへり)みて、何(なに)故(ゆゑ)に冥界(めいかい)の審判(しんぱん)は斯(かく)の如(ごと)く簡単(かんたん)なりやと尋(たづ)ると、仙人(せんにん)は答(こた)えて人間界(にんげんかい)の裁判(さいばん)は常(つね)に誤判(ごはん)がある。人間(にんげん)は形(かたち)の見(み)えぬものには一切(いつさい)駄目(だめ)である。故(ゆゑ)に幾度(いくど)も慎重(しんちやう)に審査(しんさ)せなくては成(な)らぬが、冥界(めいかい)の審判(しんぱん)は三世(さんぜ)洞察(どうさつ)自在(じざい)の神(かみ)の審判(しんぱん)なれば、何程(なにほど)簡単(かんたん)で在(あ)つても毫末(がうまつ)も過誤(くわご)は無(な)い。又(また)罪(つみ)の軽重(けいちやう)大小(だいせう)は、大蛇川(おろちがは)を渡(わた)る時(とき)、着衣(ちやくい)の変色(へんしよく)に由(よ)りて明白(めいはく)に判(はん)ずるを以(もつ)て、再(ふたた)び審査(しんさ)の必要(ひつえう)は絶無(ぜつむ)なりと教(をし)えられたのである。
 一順(いちじゆん)言(いひ)渡(わた)しが済(す)むと大王(だいわう)は座(ざ)を静(しづ)かに立(た)ちて元(もと)の御(お)居間(ゐま)に帰(かへ)られた。王仁(わたし)も亦(また)再(ふたた)び大王(だいわう)の御前(おんまへ)に招(せう)ぜられ、恐(おそ)る恐(おそ)る顔(かほ)を上(あ)げると、コハそも如何(いか)に、今迄(いままで)の恐(おそ)ろしき形相(げうさう)は跡形(あとかた)も無(な)く変(かは)らせ給(たま)ひて、亦(ま)た元(もと)の温和(おんわ)にして慈愛(じあい)に富(と)める美(うる)はしき御(ご)面姿(めんし)に返(かへ)つて居(を)られたのであつた。大本(おほもと)神諭(しんゆ)に
『出口(でぐち)直(なを)は因縁(いんねん)ありて昔(むかし)から鬼神(おにがみ)と言(い)はれた、艮(うしとら)の金神(こんじん)の其(その)侭(まま)の御魂(みたま)であるから、改心(かいしん)の出来(でき)た誠(まこと)の人民(じんみん)が前(まへ)へ参(まゐ)りたら結構(けつこう)な言(い)ふに言(い)はれぬ優(やさ)しい神(かみ)であれども、一寸(ちよつと)でも心(こころ)に身欲(みよく)が在(あ)りたり、慢神(まんしん)致(いた)したり、思惑(おもわく)がありたり、敵対心(てきたいごころ)のある人民(じんみん)が直(なを)の前(まへ)へ出(で)て参(まゐ)りたら直(す)ぐに相格(さうがう)は変(かは)りて鬼(おに)か大蛇(おろち)の様(やう)になる恐(こわ)い身魂(みたま)であるぞよ。』
と示(しめ)されて在(あ)るのを、始(はじ)めて拝(はい)した時(とき)は堂(どう)しても今度(このたび)の冥界(めいかい)に来(きた)りて大王(だいわう)に対面(たいめん)した時(とき)の光景(かうけい)を思(おも)ひ出(だ)さずには居(を)られなかつたのである。亦(ま)た出口(でぐち)教祖(けうそ)に初(はじ)めて拝顔(はいがん)した時(とき)に、其(そ)の優美(ゆうび)にして温和(おんわ)、且(か)つ慈愛(じあい)に富(と)める御(ご)面姿(めんし)を見(み)て、大王(だいわう)の御(お)顔(かほ)を思(おも)ひ出(だ)さずには居(を)られ無(な)かつたのである。
 
 大王(だいわう)は座(ざ)より立(た)つて王仁(わたし)の手(て)を堅(かた)く握(にぎ)り乍(なが)ら、両眼(りやうがん)に涙(なみだ)を湛(たた)えて、三葉(みつば)様(さま)御(ご)苦労(くろう)なれど是(これ)から冥界(めいかい)の修行(しうげふ)の実行(じつかう)を願(ねが)はねば成(な)らぬ。顕幽(けんゆう)両界(れうかい)の救世主(きうせいしゆ)たるものは、救世主(きうせいしゆ)の実学(じつがく)を習(なら)つて置(お)かねば成(な)らぬ。湯(ゆ)なりと進(しん)ぜ度(たい)は山々(やまやま)なれど湯(ゆ)も水(みづ)も修行中(しうげふちう)に禁制(きんせい)である。扨(さ)て一時(じ)も早(はや)く実行(じつかう)に掛(かか)られよと御声(みこゑ)さえも湿(しめ)らせ給(たま)ふので在(あ)つた。茲(ここ)で産土(うぶすな)の大神(おほかみ)は大王(だいわう)に何分(なにぶん)宜(よろ)しく御(お)頼(たの)み申(まを)し上(あ)げると仰(おふ)せられた侭(まま)、跡(あと)をも向(む)かず再(ふたた)び高(たか)き雲(くも)に乗(の)りて何(いづ)れへか帰(かへ)つて行(い)かれた。
 仙人(せんにん)も亦(また)大王(だいわう)に黙礼(もくれい)して王仁(わたし)には何(なに)も言(い)はず早々(さうさう)に退座(たいざ)せられた。跡(あと)に取(と)り遺(の)こされた王仁(わたし)は少(すこ)しく狼狽(ろうばい)の体(てい)で在(あ)つた。大王(だいわう)の御(ご)面相(めんさう)は俄然(がぜん)一変(いつぺん)して其(そ)の眼(め)は鏡(かがみ)の如(ごと)く、光(ひか)り輝(かがや)き口(くち)は耳(みみ)まで裂(さ)け、再(ふたた)び面(おもて)を向(む)ける事(こと)が出来(でき)ぬのである。そこへ先程(さきほど)の冥官(めいかん)が番卒(ばんそつ)を引連(ひきつ)れ来(き)たり、忽(たちま)ち王仁(わたし)の白衣(はくい)を脱(ぬ)がせ、灰色(はいいろ)の罪人服(ざいにんふく)に着替(きがへ)させ、第一(だいいち)の門(もん)から突(つ)き出(だ)されて了(しま)まつた。
 外(そと)へ出(で)て見(み)ると一筋(ひとすぢ)の汚(きた)ない細(ほそ)い道路(だうろ)に、枯草(かれくさ)が塞(ふさ)がりその枯草(かれくさ)が皆(みな)氷(こほり)の針(はり)の如(よ)うに成(な)つて居(を)る。跡(あと)へも帰(かへ)れず進(すす)む事(こと)も出来(でき)ず、横(よこ)へ行(ゆ)かうと思(おも)へば深(ふか)い広(ひろ)い溝(みぞ)が掘(ほ)つてあり、其(そ)の溝(みぞ)の中(なか)には恐(おそ)ろしい厭(いや)らしい虫(むし)が充満(じうまん)して居(を)る。王仁(わたし)は進(すす)み兼(かね)、思案(しあん)に呉(くk)れて居(を)ると、空(そら)は真黒(まつくろ)な怪(あや)しい雲(くも)が出(で)て雲(くも)の中(なか)から恐(おそろ)しい顔(かほ)をした鬼(おに)の如(や)うな物(もの)が睨(にら)み詰(つ)めて居(を)る。跡(あと)からは恐(こわ)い顔(かほ)した中(なか)と云(い)ふ字(じ)のついた柿色(かきいろ)の法被(はつぴ)を着(き)た冥卒(めいそつ)が穂先(ほさき)の十字形(じふじがた)を為(な)した鋭利(えいり)な槍(やり)で突(つ)き刺(さ)さうとする。止(や)むを得(え)ず前(まへ)へ逃(に)げる様(やう)にして進(すす)むのであつた。
 四五丁(ちやう)斗(ばか)り往(い)つた処(ところ)に、橋(はし)の無(な)い深(ふか)い広(ひろ)い川(かは)が在(あ)る。何心(なにごころ)なく覗(のぞ)いて見(み)ると先(さき)へ行(い)つた罪人(ざいにん)と見(み)えて、汚(きた)ない血(ち)とも膿(うみ)とも判(わか)らぬ水(みづ)に落(お)ちて身体中(からだぢう)を蛭(ひる)が集(たか)つて空身(くうしん)の無(な)い所(ところ)まで、血(ち)を吸(す)ふて居(を)る。罪人(ざいにん)は苦(くる)しさうな悲(かな)しさうな声(こゑ)でヒシツテ居(を)る。王仁(わたし)も此(こ)の溝(みぞ)を越(こ)えねば成(な)らぬが、翼(つばさ)無(な)き身(み)は如何(いか)にして此(こ)の広(ひろ)い深(ふか)い溝(みぞ)が飛(と)び越(こ)えられやうか。跡(あと)からは赤(あか)い顔(かほ)した番卒(ばんそつ)が、鬼(おに)の相格(さうがう)に化(な)つて鋭利(えいり)な槍(やり)を以(もつ)て突(つ)き刺(さ)さうとして追(お)ひかけて来(く)る。進退(しんたい)維(これ)谷(きは)まつて、泣(な)くにも泣(な)けず煩悶(はんもん)して居(を)つたが、俄(にわか)に思(おも)ひ出(だ)したのは先程(さきほど)産土(うぶすな)の大神(おほかみ)から授(さず)かつた一巻(かん)の書(しよ)である。懐中(くわいちう)より取出(とりだ)し押(おし)戴(いただ)き披(ひら)[*底本では「被」。]いて見(み)ると畏(かしこ)くも、天照(あまてらす)大神(おほかみ)、惟神(かんながら)霊(たま)幸(ちはへ)坐(ませ)と筆跡(ふであと)、墨色(すみいろ)ともに、美(うる)はしく鮮(あざや)かに認(したた)めて在(あ)る。王仁(わたし)は思(おも)はず知(し)らず、天照(あまてらす)大神(おほかみ)、惟神(かんながら)霊(たま)幸(ちはへ)坐(ませ)と唱(とな)へた途端(とたん)に[*底本では「に」ではなく「は」。]、身(み)は溝(みぞ)の向(むか)ふへ渡(わた)つて居(を)つた。
 番卒(ばんそつ)はスゴスゴと元(もと)の途(みち)へ帰(かへ)つて行(ゆ)くので在(あ)つた。先(ま)づ一安心(ひとあんしん)して歩(ほ)を進(すす)めた。俄(にわ)かに寒気(かんき)酷烈(こくれつ)に成(な)りて、手足(てあし)が凍(こご)えて堂(どう)する事(こと)も出来(でき)ぬ。かかる所(ところ)へ現(あら)はれたのは黄金色(こがねいろ)の光(ひか)りで在(あ)つた。ハツト思(おも)つて王仁(わたし)が驚(おどろ)いて見(み)て居(を)ると光(ひか)りの玉(たま)が脚下(きやくか)二三尺(じやく)の所(ところ)に忽然(こつぜん)として現(あら)はれた。
八 女神の出現
 不思議(ふしぎ)に堪(た)えずして、王仁(わたし)は金色(きんしよく)燦爛(さんらん)たる珍玉(ちんぎよく)を、何(なん)と無(な)く、力(ちから)強(づよ)く感(かん)じられて、眺(なが)めて居(を)つた。次第(しだい)々々(しだい)に、玉(たま)は大(おお)きく成(な)ると共(とも)に、水晶(すゐしやう)の如(よ)うに、澄(すみ)切(き)り出(だ)して、忽(たちま)ち美(うる)はしき、女神(めがみ)の御姿(みすがた)と、変化(へんか)し玉(たま)ふた。全身(ぜんしん)金色(こんじき)にして、仏祖(ぶつそ)の所謂(いはゆる)、紫摩(しま)黄金(わうごん)の肌(はだゑ)で、其(そ)の上(うへ)に、玲瓏(れいろう)透明(とうめい)に坐(ま)し坐(ま)して、白(しろ)の衣裳(いそう)と、下(した)に緋(ひ)の袴(はかま)を穿(うが)ち玉(たま)ふ、愛情(あいじやう)溢(あふ)るる斗(ばか)りの、女神(めがみ)であつた。女神(めがみ)は、王仁(わたし)の手(て)を採(と)り、笑(ゑみ)を含(ふく)んで、吾(われ)は大便所(かはや)の神(かみ)なり。汝(なんぢ)に之(これ)を捧(ささ)げむと、言下(げんか)に御(ご)懐中(かいちう)より、八寸(はつすん)斗(ばか)りの比礼(ひれ)を、王仁(わたし)の左手(ゆんで)に握(にぎ)らせ玉(たま)ひ、再会(さいかい)を約(やく)して、亦(ま)た元(もと)の如(ごと)く金色(こんじき)の玉(たま)となりて、中空(ちうくう)に舞(まひ)上(のぼ)り、電光(でんかう)石火(せつか)の如(ごと)く、九重(ここのゑ)の雲(くも)深(ふか)く、天上(てんじやう)に帰(かへ)らせ給(たま)ふたので在(あ)る。
 其(そ)の当時(たうじ)は、如何なる神(かみ)様(さま)なるや、又(また)王仁(わたし)に対(たい)して、何故(なにゆゑ)に、斯(かく)の如(ごと)き珍宝(ちんぽう)を、斯(か)かる寂寥(せきれう)の境域(きやうゐき)に降(くだ)りて、授(さず)け給(たま)ひしや、疑問(ぎもん)であつた。併(しか)し参綾後(さんれうご)、初(はじ)めて氷解(ひようかい)出来(でき)た。出口(でぐち)教祖(けうそ)の御(お)話(はなし)に、禁闕要(きんかつかね)の神(かみ)は、全身(ぜんしん)黄金色(わうごんしよく)で在(あ)つて、大便所(かはや)に、永年(ながねん)の間(あひだ)、落(お)とされて苦労(くろう)艱難(かんなん)の、修行(しうぎやう)を積(つ)んだ、大地(だいち)の金神(こんじん)様(さま)である。その修行(しうぎやう)が積(つ)んで、今度(こんど)は世(よ)に出(で)て、結構(けつこう)な御用(ごよう)を、遊(あそ)ばす如(よ)うに、なりたのであるから、人間(にんげん)は大便所(かはや)の掃除(さうじ)から、歓(よろこ)んで致(いた)すやうな、精神(せいしん)にならぬと、誠(まこと)の神(かみ)の御用(ごよう)は出(で)きぬ。夫(そ)れに今(いま)の人民(じんみん)さんは、高(たか)い処(ところ)へ上(あが)つて、高(たか)い役(やく)をしたがるが、神(かみ)の御用(ごよう)を致(いた)すものは、汚穢所(きたないところ)を、美(うつく)しくするのを楽(たのし)んで致(いた)すもので無(な)いと、三千(さんぜん)世界(せかい)の、大洗濯(だいせんたく)、大掃除(おうさうぢ)の御用(ごよう)は、到底(たうてい)勤(つと)め上(あが)らんぞよとの御(お)言葉(ことば)を承(うけたまは)り、且(か)つ神諭(しんゆ)の何処(いづこ)にも記(しる)されたるを拝(はい)して、奇異(きゐ)の感(かん)に打(う)たれ、神界(しんかい)の、深遠(しんえん)微妙(びめう)なる御(ご)経綸(けいりん)に驚(おどろ)いたのである。
 女神(めがみ)に別(わか)れ、只(ただ)一人(ひとり)、太陽(たいやう)も、月(つき)も、星(ほし)も、見(み)えぬ、山野(さんや)を、深(ふか)く進(すす)むので在(あ)つた。
  山(やま)深(ふか)く分(わ)け入(い)る我(われ)は日(ひ)も月(つき)も
    星(ほし)さへも見(み)ぬ狼(おほかみ)の声(こゑ)
 この歌(うた)を詠(よ)んだのは、此(この)時(とき)の事(こと)であつた。冷(つめ)たい途(みち)の傍(かたはら)に、沼(ぬま)とも、池(いけ)とも知(し)れぬ汚(きた)ない水溜(みづたま)りが在(あ)つて、其(そ)の水(みづ)に美(うつ)くしい三十才(さい)余(あま)りの、青年(せいねん)が陥(おちい)り、諸々(もろもろ)の虫(むし)に集(たか)られ、顔(かほ)は其(その)侭(まま)であるが、首(くび)から下(した)は、全部(ぜんぶ)蚯蚓(みみづ)に成(な)つて了(しま)ひ、見(み)るまに、顔(かほ)までが、悉皆(しつかい)数万(すうまん)の、蛆虫(うじむし)に成(な)つて了(しま)つた。私(わたくし)は思(おも)はず、天照(あまてらす)大神(おほかみ)、産土(うぶすなの)大神(おほかみ)、惟神(かんながら)霊(たま)幸(ちはへ)坐(ませ)』と二回(にくわい)繰(く)り返(かへ)すと、不思議(ふしぎ)にも、元(もと)の美(うつ)くしい青年(せいねん)に成(な)つて、其(そ)の水溜(みづたま)りから、這(はひ)上(あが)り、嬉(うれ)し相(さう)な顔(かほ)[*底本では「顔」ではなく「願」。]して礼(れい)を述(の)べた。
 その青年(せいねん)の語(かた)る処(ところ)に由(よ)ると、大変(たいへん)に竜女(りゆうじよ)を犯(をか)した、祖先(そせん)の罪(つみ)に由(よ)つて、自分(じぶん)も亦(ま)た、悪(わる)い後継者(こうけいしや)となつて、竜女(りゆうじよ)を犯(をか)した。その罪(つみ)に依(よ)つて、斯(こ)う言(い)ふ苦(くる)しみを、受(う)くる事(こと)に、成(な)つたので在(あ)るが、今(いま)王仁(わたし)の神文(しんもん)を聞(き)いて、忽(たちま)ち斯(こ)の通(とほ)り、助(たす)かつたと言(い)つて感謝(かんしや)するのであつた。其(そ)の顔(かほ)の御(ご)本人(ほんにん)の肉体(にくたい)は、今(いま)猶(な)ホ皇道(かうだう)の大本(おほもと)に於(おい)て、重要(じうえう)なる、役員(やくゐん)の一人(ひとり)である。
 それから、王仁(わたし)は、天照(あまてらす)大神(おほかみ)の御(ご)神号(しんがう)を、一心(いつしん)不乱(ふらん)に唱(とな)へつつ、前進(ぜんしん)した。月(つき)も無(な)く、烏(からす)も無(な)く、霜(しも)は天地(てんち)に充(み)ち、寒(さむ)さ酷(きび)しく、膚(はだえ)を断(き)る如(ごと)く、手(て)も足(あし)も、棒(ぼう)の如(や)うに成(な)り、息(いき)も凍(こご)らんとする時(とき)亦(また)もや、天照(あまてらす)大御神(おほみかみ)惟神(かんながら)霊(たま)幸(ちはへ)坐(ませ)と、口唱(こうしやう)し奉(まつ)つた。不思議(ふしぎ)にも言霊(ことたま)の神力(しんりき)著(いちじる)しく、忽(たちま)ち全身(ぜんしん)に、暖(だん)を覚(おぼ)え、手(て)も足(あし)も、湯(ゆ)に入(い)りし如(ごと)くなつた。
 アヽ地獄(ぢごく)で神(かみ)とは、此(この)事(こと)であると、感謝(かんしや)の念(ねん)は、涙(なみだ)の滝(たき)と、流(なが)るる斗(ばか)りである。四五(しご)十(じゆつ)丁(ちやう)も、辿(たど)り行(ゆ)くと、其処(そこ)に、一(ひと)つの断崕(だんがい)に衝(つき)当(あた)る。止(やむ)を得(え)ず、引(ひ)き返(かへ)さむとすれば、鋭利(えいり)なる槍(やり)の尖(さき)が、近(ちか)く五六(ごろく)寸(すん)の処(ところ)に、来(き)て居(を)る。此(この)上(うへ)は神(かみ)に任(まか)し奉(たてまつ)らむと、決意(けつい)して、氷(こほり)に足(あし)をすべらせつ、右手(めて)を見(み)れば、深(ふか)き谷川(たにがは)があつて激潭(げきたん)飛沫(ひまつ)、流声(りうせい)物(もの)すごき中(なか)に、名(な)も知(し)れぬ、見(み)た事(こと)も無(な)き、恐(おそ)ろしき動物(だうぶつ)が、川(かは)へ落(お)ちたる旅人(たびびと)を、口(くち)にくわえて、谷川(たにがは)の流(なが)れに浮(うか)びたり、沈(しづ)んだり、旅人(たびびと)は、助(たす)けて助(たす)けてと、一点張(いつてんばり)に叫(さけ)んで居(ゐ)る。王仁(わたし)は、再(ふたた)び神号(しんがう)を唱(とな)へてやると、旅人(たびびと)を喰(くは)へて居(ゐ)た、怪物(かいぶつ)の姿(すがた)は、沫(あわ)と消(き)えて了(しま)つた。
 助(たす)かつた旅人(たびびと)の名(な)は舟木(ふなき)と曰(い)ふ。彼(かれ)は喜(よろ)こんで、王仁(わたし)の後(あと)に、付(つ)いて来(く)るのである。王仁(わたし)も一人(ひとり)の道連(みちづ)れを得(え)て、幾分(いくぶん)か、心(こころ)は丈夫(じやうぶ)に成(な)つて来(き)た。危(あや)ふき断崕(だんがい)を辛(か)ろうじて、五六十(ごろくじゆ)丁(てう)斗(ばか)り進(すす)むと、途(みち)が無(な)くなつて了(しま)ふ。
 薄暗(うすぐら)い途(みち)を、行(ゆ)く二人(ふたり)は、茲(ここ)に停立(ていりつ)して、思案(しあん)に暮(く)れて居(ゐ)た。そうすると、何処(どこ)とも無(な)く、大声(おほごゑ)で、ソレ彼(かれ)等(ら)二人(ふたり)を、免(のが)すなと呼(よ)ぶ、俄(にわか)に騒々(さうざう)しき物音(ものおと)が、頻(しき)りに聞(き)こえて、口(くち)の巨大(きよだい)なる怪物(かいぶつ)が、幾百(いくひやく)とも無(な)く、二人(ふたり)の方(はう)へ向(むか)つて、襲(おそ)ひ来(く)る様子(やうす)である。
 二人(ふたり)は進退(しんたい)維(こ)れ谷(きは)まり、如何(いかん)はせむと、狼狽(らうばい)の体(てい)であつた。何程(なにほど)神号(しんがう)を唱(とな)えても、少(すこ)しも退却(たいきやく)せず、益々(ますます)迫(せま)つて来(く)る。今迄(いままで)怪物(かいぶつ)と思(おも)つたのが不思議(ふしぎ)にも其(そ)の面部(めんぶ)だけは、人間(にんげん)に成(な)つて了(しま)つた。其(そ)の中(なか)で、巨魁(きよかい)らしき魔物(まもの)は、忽(たちま)ち長剣(ちやうけん)を揮(ふる)つて、両人(りやうにん)に迫(せま)り来(き)たり今(いま)や斬(き)り殺(ころ)されんとする刹那(せつな)に、白衣(はくい)金膚(きんぷ)の女神(めがみ)が、再(ふたた)び其(その)場(ば)に、光(ひか)りと倶(とも)に現(あら)はれた。そして、比礼(ひれ)を振(ふ)らせ玉(たま)へと言(い)つて、姿(すがた)は忽(たちま)ち消(き)えて了(しま)つた。
 懐中(ふところ)より神器(しんき)の比礼(ひれ)を出(だ)すや否(いな)や、上下(じやうげ)左右(さゆう)に払(はら)つた。怪物(かいぶつ)は、追々(おひおひ)と遠(とほ)く退却(たいきやく)する、ヤレ嬉(うれ)しやと思(おも)ふ間(ま)も無(な)く、忽然(こつぜん)として、大蛇(おろち)が現(あら)はれ、巨口(きよこう)を開(ひら)いて、両人(りやうにん)を呑(の)んで了(しま)つた。両人(りやうにん)は、大蛇(おろち)の腹(はら)の中(なか)を、探(さぐ)り探(さぐ)り進(すす)んで往(ゆ)く。今迄(いままで)寒(さむ)さに、困(こま)つて居(ゐ)た肉体(にくたい)は、何処(どこ)とも無(な)く、暖(あたたか)い湯(ゆ)に、浴(よく)した様(やう)な、心持(こころも)ちであつた。
 轟然(ごうぜん)たる大音響(だいおんきやう)と共(とも)に幾百千(いくひやくせん)里(り)とも分(わか)らぬ、奈落(ならく)の底(そこ)へ落(お)ち行(ゆ)くのであつた、
 不図(ふと)気(き)が就(つ)くと、幾千丈(いくせんじやう)とも知(し)れぬ、高(たか)い滝(たき)の下(した)に、両人(りやうにん)は身(み)を横(よこ)たえて居(ゐ)た、自分(じぶん)の周囲(しうゐ)は、氷(こほり)の柱(はしら)が幾万本(いくまんぼん)とも、知(し)れぬ程(ほど)、立(た)つて居(を)る。両人(りやうにん)は、此(この)高(たか)い瀑布(ばくふ)から、地底(ちてい)へ急転(きふてん)直落(ちよくらく)した事(こと)を覚(さと)つた。一寸(いつすん)でも、一分(いちぶ)でも、身動(みうご)きすると、冷(ひ)え切(き)つた、氷(こほり)の剣(つるぎ)で、身(み)を破(やぶ)る。起(お)きるにも、起(お)きられず、同伴(どうはん)の舟木(ふなき)を見(み)ると、魚(うを)を串(くし)に刺(さ)したやうに、長(なが)い鋭(するど)い氷剣(ひようけん)に、胴(どう)の辺(あた)りを貫(つら)ぬかれ、非常(ひじやう)に苦(くる)しんでゐる。王仁(わたし)は、満身(まんしん)の力(ちから)を、篭(こ)めて、アマテラスオホミカミサマと、一言(ひとこと)づつ、漸(やう)やくにして、唱(とな)え奉(まつ)つた。神徳(しんとく)忽(たちま)ち現(あら)はれ、王仁(わたし)も、舟木(ふなき)も、身体(しんたい)自由(じゆう)になつて来(き)た。今迄(いままで)の瀑布(ばくふ)は、何処(どこ)ともなく、消(き)え失(う)せて、只(ただ)茫々(ばうばう)たる雪(ゆき)の原野(げんや)と、化(か)して了(しま)つた。
 雪(ゆき)の中(なか)に、幾百(いくひやく)万(まん)人(にん)とも分(わか)らぬ程(ほど)、人間(にんげん)の手(て)や、足(あし)や、頭(あたま)の一部(いちぶ)が出(で)て居(ゐ)る。自分(じぶん)の頭(あたま)の上(うへ)から、俄(にわか)に山岳(さんがく)も、崩(くづ)るる斗(ばか)りの、響(ひびき)がして、雪塊(ゆきだま)が落(お)ちて来(き)て、王仁(わたし)の全身(ぜんしん)を、埋(うづ)めて了(しま)ふ。俄(にわか)に、比礼(ひれ)を振(ふ)ろうとしたが、容易(ようい)に手(て)が言(い)ふことを聞(き)かぬ。丁度(てうど)鉄(てつ)で拵(こし)らえた、手(て)の如(よ)うに成(な)つた。一生(いつしやう)懸命(けんめい)に惟神(かんながら)霊(たま)幸(ちはへ)坐(ませ)を、是(これ)も一言(ひとこと)づつ唱(とな)へた。幸(さいはひ)に王仁(わたし)の身体(しんたい)は、自由(じゆう)が利(き)くやうになつた。傍(あた)りを見(み)ると、舟木(ふなき)の全身(ぜんしん)が、亦(また)雪(ゆき)に没(ぼつ)せられ、頭髪(とうはつ)だけが、現(あら)はれて居(を)る。其(その)上(うへ)を比礼(ひれ)を以(もつ)て、二三回(にさんかい)左右左(さゆうさ)と、振(ふ)りまはすと、舟木(ふなき)は苦(くる)しそうな顔(かほ)をして、雪中(せつちう)から、全身(ぜんしん)を露(あら)はした。沢山(たくさん)の人々(ひとびと)の身体(しんたい)は、或(あるゐ)は一部(いちぶ)、或(あるゐ)は全部(ぜんぶ)、雪中(せつちう)より露(あら)はれた。天(てん)の一方(いつぱう)より、亦々(またまた)金色(こんじき)の光(ひかり)現(あら)はれて、人々(ひとびと)の身辺(しんぺん)を照(て)らした。原野(げんや)の雪(ゆき)は、見渡(みわた)す限(かぎ)り、一度(いちど)にパツト消(き)えて、短(みじ)かい雑草(ざつさう)の原(はら)と変(かは)つた。
 数多(あまた)の人々(ひとびと)は、満面(まんめん)笑(ゑみ)を含(ふく)んで、王仁(わたし)の前(まへ)に鰭(ひれ)伏(ふ)し、救主(きうしゆ)の出現(しゆつげん)と、一切(いつさい)に感謝(かんしや)の意(い)を表(へう)し、今後(こんご)は救主(きうしゆ)と共(とも)に、三千(さんぜん)世界(せかい)の神業(しんげふ)に、参加(さんか)せむ事(こと)を、希望(きばう)する人々(ひとびと)も、沢山(たくさん)あつた。其(そ)の中(なか)には、実業家(じつげふか)もあれば、教育家(けういくか)もあり、医者(いしや)や、学者(がくしや)も、沢山(たくさん)に混(まじ)つて居(を)つた。今(いま)大本(おほもと)に来(き)て、神業(しんげふ)に参加(さんか)して、居(を)る人々(ひとびと)の顔(かほ)も、其(その)中(なか)に見(み)えて居(を)つた。
 以上(いじやう)は、水獄(すゐごく)の中(うち)にて第一段(だいいちだん)の処(ところ)であつた。第二段(だいにだん)第三段(だいさんだん)と、成(な)ると、斯(こ)んな軽々(かるがる)しき苦痛(くつう)では、無(な)かつたのである。王仁(わたし)は、今(いま)この時(とき)の事(こと)を思(おも)ひ出(だ)すと、慄然(りつぜん)として、肌(はだえ)に粟(あわ)を、生(しやう)ずる次第(しだい)である。
九 雑草の原野
 雑草(ざつさう)の原野(げんや)の状況(じやうきやう)は実(じつ)に殺風景(さつぷうけい)であつた。王仁(わたし)は何時(いつ)しか亦(また)一人(ひとり)と成(な)つて居(ゐ)た。頭(あたま)の上(うへ)の方(はう)からザラザラと怪(あや)しい音(おと)がする。何心(なにごころ)なく仰向(あふむ)く途端(とたん)に両眼(れうがん)に砂(すな)の如(よ)うなものが飛(とび)込(こ)み、眼(め)を開(ひら)く事(こと)も出来(でき)ず、第一(だいいち)に眼球(めだま)が焼(や)ける如(よ)うな痛(いた)さを感(かん)ずると共(とも)に、四面(しめん)暗黒(あんこく)になつたと思(おも)ふと、何物(なにもの)とも知(し)らず王仁(わたし)の左右(さゆう)の手(て)を抜(ぬ)けん斗(ばか)りに曳(ひ)くものがある。亦(また)両(れう)の脚(あし)を左右(さゆう)に引(ひき)裂(さか)うとする。何(な)んとも形容(けいよう)の出来(でき)ぬ苦(くる)しさである。頭上(づじやう)からは冷(つめ)たい冷(つめ)たい氷(こほり)の刃(やいば)で梨割(なしわり)にされる。百雷(ひやくらい)の一(いち)時(じ)に轟(とどろ)く様(やう)な音(おと)がして地上(ちじやう)は波(なみ)の如(よ)うに上下(じやうげ)左右(さゆう)に激動(げきどう)する。怪(あや)しい、いやらしい、悲(かな)しい声(こゑ)が聞(きこ)える。王仁(わたし)は一生(いつしやう)懸命(けんめい)になつて、例(れい)の、アマテラスを、切(き)れ切(ぎ)れに漸(や)つと口唱(こうせう)する途端(とたん)に、天地(てんち)開明(かいめい)の心地(ここち)して目(め)の痛(いた)みも直(なほ)り、俄(にわ)かに王仁(わたし)は女神(めがみ)の姿(すがた)に化(か)して居(ゐ)た。
 舟木(ふなき)は遙(はる)かの遠方(えんぱう)から比礼(ひれ)を振(ふ)りつつ此方(こちら)へ向(むか)つて帰(かへ)つて来(く)る。王仁(わたし)は其(その)姿(すがた)を見(み)た時(とき)の嬉(うれ)しさ、何(な)んとも言(い)えぬ心持(こころもち)であつた。二人(ふたり)は再会(さいかい)の歓喜(かんき)に充(み)ち、暫時(ざんじ)休息(きうそく)して居(を)ると、後(あと)より松(まつ)と云(い)ふ字(じ)の印(しるし)を着(つ)けた悪鬼(わるをに)が出(で)て来(き)て、光(ひか)り凄(すさ)ましき氷(こほり)の刃(やいば)で切(き)つて掛(かか)る、舟木(ふなき)は直(ただち)に比礼(ひれ)を振(ふ)る。王仁(わたし)は神名(かみな)を唱(とな)へる、悪鬼(あくき)は二三の同類(どうるゐ)と共(とも)に足早(あしばや)に南方(なんぱう)指(さ)して逃(に)げて行(ゆ)くのである。
 
 どこからとも無(な)く北(きた)へ北(きた)へと呼(よば)はる声(こゑ)に、王仁(わたし)は機械(きかい)の如(ごと)く身体(からだ)が自然(しぜん)に進(すす)んで行(ゆ)く。そこへ坤(ひつじさる)と云(い)ふ字(じ)の付(つ)いた王冠(わうかん)を戴(いただ)いた女神(めがみ)が小松林(こまつばやし)と云(い)ふ白髪(しらが)の老人(ろうじん)と共(とも)に現(あら)はれて一本(いつぽん)の太(ふと)い長(なが)い筆(ふで)を王仁(わたし)に渡(わた)して姿(すがた)を隠(かく)された。
 見(み)る間(ま)に不思議(ふしぎ)や其(そ)の筆(ふで)の筒(つつ)から硯(すずり)が出(で)る、墨(すみ)が出(で)る、半紙(はんし)が山(やま)程(ほど)出(で)て来(く)る。そして姿(すがた)は少(すこ)しも見(み)えぬが、頭(あたま)の上(うへ)から筆(ふで)を持(も)てと云(い)ふ声(こゑ)がする。二三人(にん)の童子(どうじ)が現(あら)はれて硯(すずり)に水(みづ)を注(つ)ぎ、墨(すみ)を摺(す)つたまま是(これ)も姿(すがた)をかくした。
 王仁(わたし)は立派(りつぱ)な女神(めがみ)の姿(すがた)に変化(へんか)した侭(まま)で一生(いつしやう)懸命(けんめい)に半紙(はんし)に向(むか)つて筆(ふで)を走(はし)らすのであつた。随分(ずゐぶん)長(なが)い時間(じかん)であつたが、冊数(さつすう)は慥(たし)かに五百六十七冊(さつ)であつた如(よ)うに思(おも)ふ、そこへ俄(にわ)かに何物(なにもの)かの足音(あしおと)が聞(きこ)えたと思(おも)ふ間(ま)もなく、前(まへ)の中(なか)の字(じ)の鬼(おに)が現(あら)はれて槍(やり)の先(さき)に数(すう)十冊(さつ)つつ突(つき)刺(さ)し、折(をり)からの暴風(ばうふう)目(め)がけて[※底本では「見かけて」。]中空(ちうくう)に散乱(さんらん)させて仕舞(しま)ふ、そうすると、亦(また)もや数十(すうじう)冊分(さつぶん)の同(おな)じ容積(ようせき)の半紙(はんし)が王仁(わたし)の前(まへ)に何処(どこ)からとも無(な)く湧(わ)いて来(く)る。亦(また)是(これ)も筆(ふで)を走(はし)らさねば成(な)らぬ様(やう)な気(き)がするので、寒風(かんぷう)の吹(ふ)き荒(すさ)ぶ野原(げんや)[※「野原」にルビ「げんや」は底本通り。]の枯草(かれは)の上(うへ)に坐(すは)つて、凹凸(おうとつ)の甚(はなは)だしい石(いし)の机(つくゑ)に紙(かみ)を伸(の)べ、左手(ゆんで)に押(おさ)えてはセツセと何事(なにごと)かを、書(か)くのであつた。そこで今度(こんど)は眼球(めだま)の四ツある怪物(かいぶつ)を先導(せんだう)に、中だの、木だの、後だの、田だの、竹だの、村だの、与だの、藤だの、井だの印(しるし)の入(はい)つた法被(はつぴ)を着(き)た鬼(おに)かやつて来(き)て残(のこ)らず引(ひつ)さらえ、二三町(てう)先(さき)の草(くさ)の中(なか)え積(つ)み、重(かさ)ねて之(これ)に火(ひ)を掛(か)けて焼(や)くのである。
 そこへ西(にし)と云(い)ふ印(しるし)のついた色(いろ)の白(しろ)い男(をとこ)が出(で)て来(き)て、一抱(ひとかか)え抜(ぬ)き出(だ)して王仁(わたし)の前(まへ)へ持(も)つて来(く)る。鬼(おに)どもは一生(いつしやう)懸命(けんめい)に西(にし)印(じるし)を追(おひ)かけて来(く)る。王仁(わたし)が比礼(ひれ)を振(ふ)ると、驚(おどろ)いて皆(みな)逃(に)げて行(ゆ)く、火(ひ)は大変(たいへん)な勢(いきほひ)で王仁(わたし)の書(か)いたものを灰(はい)にして居(を)る。黒(くろ)い煙(けむり)が竜(りう)の姿(すがた)に化(な)つて天上(てんじやう)へ昇(のぼ)つて行(ゆ)く、天上(てんじやう)では電光(でんかう)の様(やう)に光(ひか)つて、数(かず)限(かぎ)りなき星(ほし)と化(か)して了(しま)ふた。其(そ)の星明(ほしあか)りに西(にし)印(じるし)の男(おとこ)は書類(しよるゐ)を抱(かか)えて、南(みなみ)の空(そら)高(たか)く姿(すがた)を雲(くも)に隠(かく)すのであつた。女神(めがみ)の王仁(わたし)の姿(すがた)は何時(いつ)とは無(な)しに変化(へんか)して亦(また)元(もと)の囚徒(しうと)の衣(ころも)に復(かへ)つて居(を)つた。俄然(がぜん)寒風(かんぷう)吹(ふ)き荒(す)さみ、歯(は)はガチガチと震(ふる)うて来(き)た。そして何(なん)だか畏(おそ)ろしいものに襲(おそ)はれたやうな寂(さび)しい心持(こころもち)が仕出(しだ)した。
一〇 二段目の水獄
 王仁(わたし)は寒(さむ)さと寂(さび)しさに唯(ただ)一人(ひとり)、天照(あまてらす)大神(おほかみ)の神号(しんがう)を唱(とな)えて居(を)ると、俄(にわか)に全身(ぜんしん)暖(あたた)かくなり、空中(くうちう)に神光(しんかう)輝(かがや)き渡(わた)る間(ま)も無(な)く芙蓉(ふよう)仙人(せんにん)が眼前(がんぜん)に現(あら)はれた。余(あま)りの嬉(うれ)しさに近寄(ちかよ)り抱(だ)き付(つ)かうとすると仙人(せんにん)は遂(つゐ)に見(み)た事(こと)も無(な)い険悪(けんあく)な顔色(かほいろ)をして可(い)けませぬ。大王(だいわう)の命(めい)なれば三葉(みつば)殿(どの)、我(われ)に近寄(ちかよ)つては今迄(いままで)の修行(しうげふ)は水泡(すゐほう)に帰(き)すべし。是(これ)にて一段目(いちだんめ)は大略(たいりやく)探険(たんけん)されしならん。第二段(だいにだん)の門扉(もんぴ)を開(ひら)く為(ため)に来(き)たれりと言(い)ひも終(をは)らぬに、早(はや)くもギイーと、怪(あや)しい音(おと)がしたと思ふと、王仁(わたし)は既(すで)に門内(もんない)に投込(なげこ)まれて居(を)つた。仙人(せんにん)の影(かげ)は其処(そこ)らに無(な)い。
 ヒヤヒヤとする氷(こほり)の暗(くら)い途(みち)を倒(こけ)つ転(まろ)びつ地(ち)の底(そこ)へ底(そこ)へと辷(すべ)り込(こ)むのである。暗黒(あんこく)で何一(なにひと)つ見(み)えぬが、前後(ぜんご)左右(さゆう)に何(な)んとも言(い)へぬ苦悶(くもん)の声(こゑ)がする。遙(はる)か前方(まへ)と思(おも)ふ所(ところ)に女(をんな)の苦(くる)しさうな叫(さけ)び声(ごゑ)が聞(き)こえる。血醒(ちなまぐ)さい臭気(しゆうき)が鼻(はな)を突(つ)いて、胸(むね)が悪(わる)くて嘔吐(はきけ)を催(もよ)ほして来(く)る。脚元(あしもと)が辷(すべ)つて何(なん)百間(けん)とも知(し)れぬ様(やう)な深(ふか)い地底(ちそこ)へ急転(きうてん)直落(ちよくらく)した。腰(こし)も足(あし)も頭(あたま)も顔(かほ)も岩角(いはかど)に打(うた)れて血塗(ちみどろ)に成(な)つて了(しま)ふた。神名(しんめい)を奉唱(ほうしやう)すると王仁(わたし)の四辺(しへん)数(すう)十間(けん)の面積(めんせき)が稍(やや)明(あ)かく成(な)つて来(き)た。王仁(わたし)の身体(しんたい)一面(いちめん)の傷(きづ)を見(み)て大(おほい)に驚(おどろ)き惟神(かんながら)霊(たま)幸(ちはへ)坐(ませ)を二度(にど)繰返(くりかへ)して、手(て)に息(いき)を掛(か)けて全身(ぜんしん)を撫(な)ぜ擦(さす)つて見(み)た。神徳(しんとく)忽(たちま)ち現(あら)はれ、傷(きず)も痛(いた)みも全部(ぜんぶ)恢復(かいふく)して了(しま)つた。直(ただち)に大神(おほかみ)様(さま)に拍手(はくしゆ)し感謝(かんしや)を奉(たてまつ)つた。惟神(かんながら)霊(たま)幸(ちはへ)坐(ませ)の言霊(ことたま)で四辺(しへん)遠(とほ)く暗(やみ)は晴(は)れ渡(わた)り、俄(にわ)かに陽気(やうき)付(づ)いて来(き)たのである。
 再(ふたた)び上(うへ)の方(はう)で、ギイーと音(おと)が為(し)たと思(おも)ふ瞬間(しゆんかん)に、十二三人(にん)の罪人(つみびと)が転落(てんらく)して王仁(わたし)の脚下(あしもと)に現(あら)はれ助(たす)けて助(たす)けてと頻(しき)りに合掌(がつしやう)するのである。王仁(わたし)は比礼(ひれ)を其(そ)の頭上(づじやう)目(め)がけて[※底本では「見掛けて」。]振(ふ)つて与(や)ると、忽(たちま)ち起(おき)上(あ)がり救世主(きうせいしゆ)様(さま)と叫(さけ)んで一同(いちどう)声(こゑ)を合(あ)はして泣(な)き立(た)てた。此(この)一行(いつかう)の中(うち)には、宗教家(しうけうか)、教育家(けういくか)、思想家(しさうか)、新聞(しんぶん)雑誌(ざつし)記者(きしや)、薬種商(やくしゆしやう)、医業者(いげふしや)も混(まじ)つて居(を)つた。王仁(わたし)の姿(すがた)は亦(また)もや崇高(すうかう)にして威厳(ゐげん)ある女神(めがみ)の姿(すがた)と変化(へんか)した。一行(いつかう)は氷(こほり)の途(みち)を徒歩(とぼ)徒歩(とぼ)と王仁(わたし)の背後(はいご)から付(つ)いて来(く)るのである。
一一 大幣の霊験
 一歩(いつぽ)々々(いつぽ)辛(から)ふじて前進(ぜんしん)すると広大(かうだい)な池(いけ)があつて、池(いけ)の水(みづ)は全部(ぜんぶ)いやらしい毛虫(けむし)が、ウザウザして居(を)る。其(その)中(なか)に混(まじ)つて、馬(うま)の首(くび)を四ツ合(あは)せた様(やう)な顔(かほ)をした蛇体(じやたい)で角(つの)が生(は)えたものが赤(あか)い舌(した)をペロペロ吐(はき)出(だ)して居(を)る。この広(ひろ)い池(いけ)には細(ほそ)い細(ほそ)い氷(こほり)の橋(はし)が一筋(ひとすぢ)長(なが)く向(むか)ふ側(がは)へ渡(わた)して在(あ)る斗(ばか)りである。後(あと)から松(まつ)印(じるし)、中(なか)印(じるし)、小(こ)印(じるし)の鬼(おに)が十字形(じふじけい)の尖(とが)つた槍(やり)を以(もつ)て、突(つ)きに来(く)るので、前(まへ)へ進(すす)むより、仕方(しやう)は無(な)いのである。十(じふ)人(にん)が十(じふ)人(にん)ながら、この細(ほそ)い橋(はし)から、池(いけ)へ辷(すべ)り落(お)ちて、毛虫(けむし)に全身(ぜんしん)を刺(さ)され、何(ど)れも此(こ)れも、腫(は)れ上(あ)がつて、痛(いた)さと寒(さむ)さに、苦悶(くもん)の声(こゑ)を虫(むし)の鳴(な)く如(よ)うに、呻(うな)つて居(を)る状態(じやうたい)は、殆(ほと)んど瀕死(ひんし)の、病人(びやうにん)同様(どうやう)であつた。其(その)上(うへ)怪蛇(かいだ)が一人(ひとり)々々(ひとり)、カブツとくわえては吐(は)き出(だ)し又(また)くわえては吐(は)き出(だ)し、骨(ほね)も肉(にく)も搾(しぼ)つた如(よ)うになつて居(を)る。王仁(わたし)も堂(どう)しても渡(わた)らねばならぬ。仮令(たとへ)自分(じぶん)は首尾(しゆび)能(よ)く渡(わた)り得(う)るも、連(つれ)の人々(ひとびと)は如何(どう)するであろうかと心配(しんぱい)でならぬ。躊躇(ちうちよ)逡巡(しゆんじゆん)進(すす)み兼(かね)たる所(ところ)へ三葉(みつば)殿(どの)と頭(あたま)の上(うへ)から優(やさ)しい女(をんな)の声(こゑ)が聞(きこ)えたかと思(おも)ふと、一本(いつぽん)の大幣(おほぬさ)が前(まへ)に降(くだ)つて来(き)た。王仁(わたし)は手早(てばや)く手(て)に採(と)つて、思(おも)はず祓戸(はらひどの)大神(おほかみ)祓(はら)ひ玉(たま)へ清(きよ)め玉(たま)へと唱(とな)へた。広(ひろ)い池(いけ)は忽(たちま)ち平原(へいげん)と変化(へんか)し、鬼(おに)も怪蛇(かいだ)も姿(すがた)を消(け)して了(しま)つた。数万(すうまん)人(にん)の老若(ろうにやく)男女(なんによ)の幽体(ゆうたい)は忽(たちま)ち蘇生(そせい)したやうに元気(げんき)な顔(かほ)をして一切(いつさい)に救世主(きうせいしゆ)と叫(さけ)んだ。其(そ)の声(こゑ)は天地(てんち)も崩(くづ)れん計(ばか)りの勇(いさ)ましさであつた。各自(かくじ)の産土(うぶすな)大神(おほかみ)は綺羅星(きらぼし)の如(ごと)くに出現(しゆつげん)されて、自分(じぶん)の氏子(うぢこ)々々(うぢこ)を引連(ひきつ)れ、歓(よろこ)び勇(いさ)んで帰(かへ)つて行(ゆ)かれるのであつた。
 
 王仁(わたし)は比礼(ひれ)の神器(しんき)を舟木(ふなき)に渡(わた)して困(こま)つて居(を)つた所へ、禁闕要(きんかつかね)の神(かみ)より大幣(おほぬさ)を玉(たま)はつたので百万の援軍(えんぐん)を得(え)たる心地(ここち)して、名(な)も知(し)れぬ平原(へいげん)を只(ただ)一人(ひとり)亦(また)もや進(すす)んで行(ゆ)くのであつた。
 一つの巨大(きよだい)な洋館(ようかん)が厳然(げんぜん)として高(たか)く雲表(うんぺう)に聳(そび)え立(た)つて居(を)る。門口(もんぐち)には厳(いか)めしき冥官(めいかん)が鏡(かがみ)の様(やう)な眼(め)を見張(みは)つて前後(ぜんご)左右(さゆう)を首(かうべ)を回(めぐ)らして監視(かんし)して居(を)る。部下(ぶか)の冥卒(めいそつ)が数限(かずかぎ)りも無(な)く各自(かくじ)に罪人(ざいにん)を酷遇(こくぐう)して居(を)る。その光景(かうけい)は筆紙(ひつし)に尽(つく)されない惨酷(ざんこく)さである。王仁(わたし)は大幣(おほぬさ)を振(ふ)りながら館内(かんない)へ歩(ほ)を進(すす)めた。冥官(めいかん)も冥卒(めいそつ)も只(ただ)黙(もく)して王仁(わたし)の通行(つうかう)するのを知(し)らぬ風(ふう)をして居(を)つた。
 キヤツキヤツと叫(さけ)ぶ声(こゑ)に振(ふ)り返(かへ)つて見(み)ると、沢山(たくさん)の婦女子(ふじよし)が口(くち)から血(ち)を吐(は)いたり、槍(やり)で腹部(ふくぶ)を突(つき)刺(さ)されたり、沢山(たくさん)の赤児(あかご)の群(むれ)に全身(ぜんしん)の血(ち)を吸(す)はれたり、毒蛇(どくだ)に首(くび)を捲(ま)かれたりして悲鳴(ひめい)を上(あ)げて七転(しちてん)八倒(ばつたう)して居(を)る。冥卒(めいそつ)が竹槍(たけやり)の穂(ほ)で頭(あたま)と云(い)はず腹(はら)と言(い)はず、身体(しんたい)処(ところ)かまはず突(つ)き刺し、血(ち)は滝(たき)の如(ごと)くに流(なが)れて異臭(ゐしう)を放(はな)ち、惨状(さんじやう)目(め)も当(あ)てられぬ光景(かうけい)である。王仁(わたし)は大幣(おほぬさ)を左右左(さゆうさ)に二三回(くわい)振(ふ)り廻(まは)すと、今迄(いままで)の凄(すさ)まじき幕(まく)は明(あ)いて婦女子(ふじよし)の多勢(おほぜい)が王仁(わたし)の脚下(あしもと)に涙(なみだ)を流(なが)して集(あつ)まり来(き)たり、中(なか)には身体(しんたい)に口(くち)を着(つ)けて救世主(きうせいしゆ)様(さま)難有(ありがた)ふ難有(ありがた)ふと、異口(いく)同音(どうおん)に嬉(うれ)し泣(な)きに泣(な)いて居(を)る。一天(いつてん)忽(たちま)ち明光(めいこう)現(あら)はれ、各自(かくじ)の産土(うぶすな)大神(おほかみ)は、氏子(うじこ)を伴(とも)なひ、合掌(がつしやう)しながら光(ひか)りと共(とも)に何処(どこ)とも無(な)く帰(かへ)つて行(ゆ)かれるのであつた。天(てん)の一方(いつぱう)に歓喜(かんき)に充(み)ちた声(こゑ)が聞(きこ)えたが、次第(しだい)次第(しだい)に遠(とほ)ざかつて終(つゐ)には風(かぜ)の音(おと)のみ耳(みみ)へ這入(はい)るのであつた。
(つづく)
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