霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
×
設定
URL:
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
話者名の追加表示 [?]セリフの前に話者名が記していない場合、誰がしゃべっているセリフなのか分からなくなってしまう場合があります。底本にはありませんが、話者名を追加して表示します。[×閉じる]
表示できる章
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
行間
ルビの表示


アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注[※]用語解説 [?][※]、[*]、[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。[※]は主に用語説明、[*]は編集用の脚注で、表示させたり消したりできます。[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]

脚注[*]編集用 [?][※]、[*]、[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。[※]は主に用語説明、[*]は編集用の脚注で、表示させたり消したりできます。[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]

外字の外周色 [?]一般のフォントに存在しない文字は専用の外字フォントを使用しています。目立つようにその文字の外周の色を変えます。[×閉じる]
現在のページには外字は使われていません

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。

第一六章 禁猟区(きんりようく)〔一〇五三〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第38巻 舎身活躍 丑の巻 篇:第3篇 冒険神験 よみ(新仮名遣い):ぼうけんしんけん
章:第16章 禁猟区 よみ(新仮名遣い):きんりょうく 通し章番号:1053
口述日:1922(大正11)年10月17日(旧08月27日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年4月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
農作業の忙しい盛りの明治四十二年六月二十一日、喜楽、梅田柳月、大槻伝吉の三人は冠島・沓島参拝に出立した。しかし海は荒れており、頼んだ水夫も今は冠島の明神が御渡海される日だからと舟を出そうとしない。
喜楽の説得に、水夫はしぶしぶ、明朝一時まで天気を待つことになった。時間になると水夫たちがやってきたが、案の定天気は治まっている。二時に出港して、いつもは十二時間はかかる航海が、四時間足らずの六時前に着いた。
喜楽は冠装束いかめしく神前に進み、供物を献じて祝詞を奏上し、拝礼した。綾部から持ってきた石と、神前の丸石を一個交換して頂戴した。
祭礼で泊まり込んでいた氏子たちの誘いを厚く感謝しつつ断って、すぐに船着き場に戻っていった。昨年来、名木の冠島桑が何者かに盗伐されたり、鯖鳥が密猟されて激減したりといった事件を、水夫が悲しそうに物語る。
続いて舟は沓島の釣鐘岩の下に漕ぎつけた。明治三十四年、出口教祖は三十五名教え子を引き連れて参拝し、天岩戸の産水と竜宮館の真清水を海原に散布し給い、祈願をされた。
教祖は世界平和のため、日東帝国の国威宣揚のために祈願をさせ給うたのである。水夫に頼んで舟をつけてもらい、岩をかき登った。
到着早々癪に障ったのは、かかる神聖なる神島にまで密猟者が入り込み、平地にわら小屋を結んで鳥網を張回している。しきりにアホウドリを捕獲していたが、教服姿の自分たちを見てあわてて逃げだした。
残っていた一人を招いて、このような神域での危険な殺生商売をやめるようにと懇切に説いたが、耳に入りそうな気配はない。裁判官でなくて安心した、と口走るのが関の山であった。
昨年来、出口教祖は冠島・沓島の密猟を嘆き、鳥族がいたづらに生命を奪われることを憐み、祈願を御執行されていた。本日は満願の日のため、自分たちを特に御派遣になったのである。
不思議にも、明治四十二年六月二十二日、京都府の告示にてこの両島を含む地域が禁猟区域となったのである。
十年以前に出口教祖が建設せられた神祠は半ば朽廃し、来春までに造営せんことを神前に祈願宣誓した。それから自分たちはお籠りの岩に歩を進めた。
見れば上は絶壁に隔てられ、眼下は深き谷底に海水が青くただよっていてものすごい。ここに教祖の真筆をもって歴然と神の御名を記されている。改めて教祖の豪胆と熱誠に感じて拍手九拝、感嘆の声が口をついて出てきた。
大槻伝吉は、教祖と五野市太郎氏と三人で、十三日間静座して日露戦争全勝祈願をこらしたときの思い出を語った。舟人たちも、教祖がこんな無人島で荒行をされた思い出を話している。
正午に帰路につき、二十二日の午後四時、舞鶴の大丹生屋に安着した。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-11-06 11:12:51 文字数:6584 OBC :rm3816
愛善世界社版:165頁 八幡書店版:第7輯 220頁 修補版: 校定版:169頁 普及版:87頁 初版: ページ備考:
001 梅雨(ばいう)朦朧(もうろう)として昼(ひる)尚(なほ)暗(くら)く、002湿潤(しつじゆん)家(いへ)に満(み)ちて万物(ばんぶつ)黴花(かび)を生(しやう)じ、003山色(さんしよく)空朦(くうもう)烟光(えんくわう)霏々(ひひ)たる六(ろく)月(ぐわつ)の二十一(にじふいち)日(にち)、004狭田(さだ)も長田(ながた)も手肱(たなひぢ)に水泡(みなわ)かき足(た)り、005向股(むかもも)に泥(ひじ)かきよせて早乙女(さおとめ)の三々(さんさん)伍々(ごご)隊(たい)を成(な)し、006蓑笠(みのかさ)の甲冑(かつちう)を取(とり)よろひ、007手覆(ておひ)脚絆(きやはん)の小手(こて)脛当(すねあて)、008声(こゑ)勇(いさ)ましく田歌(たうた)を歌(うた)ひつつ、009国(くに)の富貴(ふうき)を植(う)ゑて行(ゆ)く、010狗(いぬ)の手(て)も人(ひと)の手(て)てふ農家(のうか)の激戦(げきせん)場裡(ぢやうり)、011安閑坊(あんかんばう)喜楽(きらく)、012梅田(うめだ)柳月(りうげつ)、013大槻(おほつき)伝吉(でんきち)の三(さん)人(にん)の土倒(どたふ)し者(もの)は、014今(いま)しも本院(ほんゐん)を立出(たちい)でて、015本町(ほんまち)西町(にしまち)とふみ抜(ぬ)く道(みち)は狭(せま)くも広小路(ひろこうぢ)、016駆(か)け出(だ)す馬場(ばば)や六(む)つの足(あし)、017綾部(あやべ)停車場(ていしやば)にと走(は)せ付(つ)けた。018往(ゆ)くは何処(いづこ)ぞ和知(わち)の川(かは)、019音無瀬(おとなせ)鉄橋(てつけう)音(おと)高(たか)く、020梅雨(ばいう)を犯(おか)して梅迫駅(うめざこえき)、021停車(ていしや)間(ま)もなく、022真倉(まくら)の洞穴(トンネル)、023小暗(こぐら)き中(なか)を吾物顔(わがものがほ)に轟々(ぐわうぐわう)と脱(ぬ)け出(い)づれば、024山媛(やまひめ)の青(あを)き御袖(みそで)を振(ふり)はえて、025炭団(たどん)の如(ごと)き三(さん)人(にん)の顔(かほ)を暫(しば)し掩(おほ)はせ玉(たま)ふも、026時(とき)に取(と)つての風情(ふぜい)である。027車中(しやちう)乍(なが)ら心(こころ)も勇(いさ)み胆(きも)躍(をど)り、028欣喜(きんき)の余(あま)り手(て)も足(あし)も舞鶴駅(まひづるえき)に舞下(まひくだ)り、029新橋詰(しんばしづめ)の船問屋(ふなどんや)西川(にしかは)方(かた)へと流(なが)れ込(こ)んだ。
030 折柄(をりから)切(しき)りに降(ふ)り注(そそ)ぐ大粒(おほつぶ)の雨(あめ)に胆(きも)を打(う)たれたか、031予約(よやく)の水夫(すいふ)は刻限(こくげん)来(きた)るも俤(おもかげ)だに見(み)せぬ。032天道殿(てんだうどの)は罪(つみ)重(おも)き三(さん)人(にん)の参島(さんたう)の企(くはだ)てをおぢやんにせむず御心(みこころ)にや、033意地(いぢ)悪(わる)く間断(かんだん)なく、034無遠慮(ぶゑんりよ)に天水分(あめのみくまりの)神(かみ)を遣(つか)はせ玉(たま)ふ。035何時迄(いつまで)待(ま)つても空(そら)が晴(は)れさうにも無(な)いが、036雨(あめ)は元(もと)より覚悟(かくご)の前(まへ)だ。037併(しか)し肝腎(かんじん)の舟(ふね)の神(かみ)が御(お)出(いで)にならぬのには大閉口(だいへいこう)、038さりとて中途(ちうと)に帰(かへ)るのは死(し)んでも厭(いや)な三(さん)人(にん)、039畳(たたみ)の上(うへ)に居(ゐ)ても死(し)ぬ時(とき)には死(し)ぬる、040生死(せいし)は天(てん)なり、041惟神(かむながら)なり、042是非(ぜひ)水夫(すいふ)を呼(よ)びにやつて下(くだ)さいと促(うなが)す。043西川(にしかは)の後家(ごけ)サンも止(や)むを得(え)ず、044田中(たなか)、045橋本(はしもと)二人(ふたり)を、046人(ひと)を以(もつ)て呼寄(よびよ)せた。047出口(でぐち)教祖(けうそ)が始(はじ)めて沓島開(めしまびら)きをなされた時(とき)に御(お)供(とも)をした水夫(すいふ)である。048数千(すうせん)の漁夫(ぎよふ)の中(なか)にて最(もつと)も剛胆(がうたん)な、049熟練(じゆくれん)な聞(きこ)えある選抜(よりぬ)きの漁夫(ぎよふ)、050これなら大丈夫(だいぢやうぶ)、051何時(いつ)でも二(ふた)つ返辞(へんじ)で往(い)つて呉(く)れるだらうと喜(よろこ)び勇(いさ)んだ甲斐(かひ)もなく、052案(あん)に相違(さうゐ)した弱音(よわね)を吹(ふ)くのである。
053『何(なん)ぼ信神(しんじん)で参拝(まゐ)るにしても、054神(かみ)様(さま)の御(ご)守護(しゆご)があるにしても、055此(この)気色(けしき)では鬼(おに)で無(な)くて行(ゆ)けんでの、056マア二三(にさん)日(にち)ゆるりと遊(あそ)んで待(ま)つてお呉(く)れ。057天候(けしき)が定(き)まつたら、058お伴(とも)をさして貰(もら)はうかいの、059明日(あす)は又(また)冠島(をしま)様(さま)の一(いち)年(ねん)一度(いちど)の御(ご)祭典(さいてん)で、060今晩(こんばん)は冠島(をしま)の明神(みやうじん)が神船(かみふね)に乗(の)つて、061対岸(たいがん)の新井崎(にゐさき)神社(さん)に御(ご)渡海(とかい)になるので恐(おそ)ろしい夜(よ)さだ。062中々(なかなか)舟(ふね)は出(だ)せぬでの、063若(も)し神(かみ)の御心(みこころ)にでも障(さわ)つたら大変(たいへん)だ。064桑名(くはな)の亀造(かめざう)で無(な)けら、065今晩(こんばん)舟(ふね)を出(だ)す者(もの)は無(な)いわいの』
066と臆病風(おくびやうかぜ)に魅(みい)せられたか、067一向(いつかう)色(いろ)よい返事(へんじ)をしてくれぬ。068三(さん)人(にん)は況(ま)して今夜(こんや)の様(やう)な行(ゆ)けぬと云(い)ふ日(ひ)に行(い)つて見(み)たいのが希望(きばう)だ。069是非(ぜひ)々々(ぜひ)賃金(ちんぎん)は厭(いと)はぬ、070やつてくれい……と泣(な)く様(やう)に頼(たの)む。071水夫(すいふ)は益々(ますます)恐怖心(きようふしん)に駆(か)られ、072ソロソロ卑怯(ひけふ)にも逃(に)げ帰(かへ)らむとする。073逃(に)げられては堪(たま)らぬので、074口々(くちぐち)に宥(なだ)めつ賺(すか)しつ、075直往(ちよくわう)勇進(ゆうしん)断々乎(だんだんこ)として行(おこな)へば鬼神(きじん)も之(これ)を避(さ)くとの教祖(けうそ)の神諭(をしへ)を楯(たて)に取(と)りて動(うご)かぬ。076互(たがひ)に押問答(おしもんだう)の果(はて)しもなく、077遂(つひ)には水夫(すいふ)も口(くち)をとぢて呆然(ばうぜん)として、078只々(ただただ)謝絶(しやぜつ)一点(いつてん)張(ば)り、079波(なみ)に取(と)られた沖(おき)の舟(ふね)で、080取付(とりつ)く島(しま)がない、081吾(われ)等(ら)平時(へいじ)に於(おい)てこそ温柔(おんじう)なること綿羊(めんやう)の如(ごと)くなれ、082目的(もくてき)遂行(すゐかう)に対(たい)しては猛虎(まうこ)の如(ごと)く、083一向(いつかう)直進(ちよくしん)眼中(がんちう)風雨(ふうう)なく海洋(かいやう)なし、084満腔(まんこう)の勇気(ゆうき)は烈火(れつくわ)の如(ごと)く挺身(ていしん)突撃(とつげき)死(し)を見(み)る帰(き)するが如(ごと)き覚悟(かくご)ありと雖(いへど)も、085如何(いかん)せむ舟(ふね)を操(あやつ)ることを知(し)らない三(さん)人(にん)は、086肝腎(かんじん)の機関士(きくわんし)に見放(みはな)されたが最後(さいご)、087神(かみ)ならぬ石仏(いしぼとけ)同様(どうやう)の身(み)、088海上(かいじやう)一寸(ちよつと)も進航(しんかう)することが出来(でき)ぬのである。089外(ほか)の水夫(すいふ)も雇入(やとひい)れむにも、090生憎(あひにく)一(いち)人(にん)も応(おう)ずる者(もの)がない。091とうとう根負(こんまけ)して、
092『そんなら明朝(みやうてう)一(いち)時(じ)まで自分(じぶん)等(ら)は待(ま)つ事(こと)にせう、093キツと雨(あめ)も止(や)み、094快晴(くわいせい)になるは請合(うけあひ)の西瓜(すゐくわ)だ、095吾々(われわれ)の出修(しゆつしう)には必(かなら)ず天祐(てんいう)があるから安心(あんしん)して行(い)つてお呉(く)れ』
096と口(くち)から出任(でまか)せ、097覚束(おぼつか)なき予言(よげん)を二人(ふたり)は嘲笑(からか)ひ、098自分(じぶん)等(ら)を馬鹿(ばか)にした様(やう)な面付(つらつき)でシブシブ帰(かへ)つて行(ゆ)く。
099 三(さん)人(にん)問屋(とんや)の部屋(へや)でガツト虫(むし)の様(やう)に小(ちひ)さく縮(ちぢ)かんで寝(しん)に就(つ)いた。100大方(おほかた)白川(しらかは)夜船(よぶね)でも漕(こ)いで居(ゐ)たであらう。101一眠(ひとねむり)したと思(おも)ふ時分(じぶん)に、102大丹生(おほにふ)屋(や)の門口(かどぐち)を打叩(うちたた)き、
103『お客(きやく)さん昼(ひる)の船頭(せんどう)が来(き)た』
104と叫(さけ)んでゐる。105……サア占(しめ)た……と一度(いちど)にはね起(お)き、106又(また)も御意(ぎよい)の変(かは)らぬ内(うち)と、107直(ただち)に支度(したく)に取(とり)かかつた。
108『船頭(せんどう)さん、109天気(てんき)はゼロだらう』
110とからかへば、
111『イヤ気色(けしき)は大変(たいへん)よい様(やう)だが、112往(ゆ)ける丈(だけ)行(い)つて見(み)な判(わか)らぬ』
113とまだ煮(に)え切(き)らぬ返事(へんじ)である。
114 時節(じせつ)到来(たうらい)港口(かうこう)を出(で)たのは廿二(にじふに)日(にち)の正(まさ)に午前(ごぜん)二(に)時(じ)であつた。115ヤハリ空(そら)は曇(くも)り切(き)つて星(ほし)一(ひと)つ青雲(あをくも)一片(いつぺん)見当(みあた)らぬが、116米価(べいか)のあがる糠雨(ぬかあめ)が、117ピリピリと怖(こわ)相(さう)に一行(いつかう)の顔(かほ)を嘗(な)める位(くらゐ)。118例(れい)の南泊辺(みなみとまりへん)まで乗(の)り出(だ)すと、119火光(くわくわう)海面(かいめん)を照(て)らして疾走(しつそう)せる一隻(いつせき)の大汽船(だいきせん)に行違(ゆきちが)うた。120其(その)動波(どうは)の為(ため)に吾(わが)小舟(をぶね)を自由(じいう)自在(じざい)に翻弄(ほんろう)されたのは、121実(じつ)に癪(しやく)にさわつて堪(たま)らぬ。122暫(しばら)くすると天(てん)は所々(ところどころ)雨雲(あまぐも)の衣(ころも)を脱(ぬ)いで、123蒼(あを)い雲(くも)の肌(はだへ)を現(あら)はし、124点々(てんてん)明滅(めいめつ)、125天書(てんしよ)現(あら)はるるも、126連日(れんじつ)の降雨(あめ)で内海(うちうみ)の部分(ぶぶん)は水(みづ)が濁(にご)つて居(を)るせいか、127今夜(こんや)は清(きよ)き星(ほし)が波(なみ)に宿(やど)を借(か)りて居(を)らぬ。128博奕(ばくち)ケ崎(さき)も後(あと)に見(み)て漕(こ)ぎ行(ゆ)く程(ほど)に、129東天(とうてん)紅(くれない)を潮(てう)して遥(はるか)の山頂(さんちやう)より隆々(りうりう)朝瞰(てうとん)を吐出(はきだ)し、130冠島(をしま)沓島(めしま)は眼前(がんぜん)に横(よこた)はり、131胸中(きようちう)濶然(くわつぜん)欣扑(きんべん)歓呼(くわんこ)覚(おぼ)えず拍手(はくしゆ)神島(しま)を遥拝(えうはい)し、132各自(かくじ)に感謝(かんしや)祈願(きぐわん)の祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)し奉(たてまつ)る。133海上(かいじやう)は至極(しごく)平穏(へいおん)で、134縮緬(ちりめん)の様(やう)な波(なみ)が奇麗(きれい)に流(なが)れて居(ゐ)る。135水夫(すいふ)は汗水(あせみどろ)になつて力限(ちからかぎ)り艫(とも)と舳(へさき)とから漕(こ)ぎ付(つ)ける。136小舟(こぶね)は矢(や)を射(い)る如(ごと)く、137鳥(とり)の翔(た)つ如(ごと)く冠島(をしま)へ着(つ)いたのは恰度(ちやうど)六(ろく)時(じ)に五分前(ごふんまへ)であつた。
138 何時(いつ)でも片道(かたみち)に十(じふ)時間(じかん)以上(いじやう)十二(じふに)時間(じかん)はかかるものを、139今回(こんくわい)に限(かぎ)つて僅(わづか)に四(よ)時間(じかん)足(た)らずとは実(じつ)に意外(いぐわい)であつた。140喜楽(きらく)は得意(とくい)満面(まんめん)に溢(あふ)れて、
141喜楽(きらく)『罪(つみ)の軽(かる)い安閑坊(あんかんばう)が参拝(さんぱい)すると此(この)通(とほ)りだ、142神(かみ)様(さま)は公平(こうへい)無私(むし)で在(あ)らせられる』
143と一人(ひとり)で調子(てうし)に乗(の)つて居(ゐ)る。144冠装束(かむりしやうぞく)いかめしく徐々(じよじよ)神前(しんぜん)に進(すす)み、145供物(くぶつ)を献(けん)じ、146祝詞(のりと)を奏(そう)し、147拝礼(はいれい)了(をは)つて、148恭(うやうや)しく社殿(しやでん)を罷(まか)りさがつた。149記念(きねん)の為(ため)に自分(じぶん)は神前(しんぜん)の丸石(まるいし)を一個(いつこ)頂戴(ちやうだい)した。150勿論(もちろん)交換(かうくわん)の石(いし)を持参(ぢさん)して居(ゐ)るのであるから、151只(ただ)頂戴(ちやうだい)したのではない、152今日(けふ)は明神(みやうじん)の祭日(さいじつ)とて、153前日(ぜんじつ)から数名(すうめい)の氏子(うぢこ)が社務所(しやむしよ)に出入(でい)りして、154境内(けいだい)の掃除(さうぢ)を行(や)つて居(ゐ)る。
155『早(はや)うから参詣(さんけい)でしたなア、156マア一服(いつぷく)なさい』
157と座(ざ)を譲(ゆづ)る親切(しんせつ)を厚(あつ)く感謝(かんしや)しつつ、158再(また)海浜(かいひん)の船繋場(ふなつなぎば)に引返(ひきかへ)した。159名木(めいぼく)の冠島桑(をしまくは)は去年(きよねん)の夏(なつ)、160或者(あるもの)の為(ため)に盗伐(たうばつ)されて了(しま)つて影(かげ)も止(とど)めず、161僅(わづか)に三尺(さんじやく)許(ばか)り周(まわ)つた桑樹(さうじゆ)が波打際(なみうちぎは)に根(ね)こじに古自(こじ)て横(よこ)たへられてある。162実(じつ)に憤慨(ふんがい)に堪(た)へぬ次第(しだい)である。
163『一昨年(いつさくねん)あたりから、164横浜(よこはま)や神戸(かうべ)あたりから六七十(ろくしちじふ)人(にん)の団体(だんたい)がやつて来(き)て、165五六十万(ごろくじふまん)羽(ば)の鯖鳥(さばとり)を密猟(みつれふ)したので、166近頃(ちかごろ)は大変(たいへん)に鳥(とり)が減(へ)つて、167漁猟(ぎよれふ)に差支(さしつかへ)て皆(みな)の者(もの)が困(こま)つとるわいの』
168と水夫(すいふ)二人(ふたり)が悲(かな)しさうに物語(ものがた)りつつ、169早(はや)くも沓島(めしま)に向(むか)つて漕出(こぎだ)した。
170 冠島(をしま)沓島(めしま)の中津(なかつ)神岩(かみいは)には数十羽(すうじつぱ)の沖(おき)つ鳥(とり)、171胸(むな)見(み)る姿(すがた)羽(は)たたきも此(こ)れ宜(よ)しと流(なが)し目(め)に、172一行(いつかう)の舟(ふね)を見送(みおく)つて居(ゐ)る。173浅久里(あさぐり)、174棚(たな)の下(した)の巌壁(がんぺき)を面白(おもしろ)く左手(ゆんで)に眺(なが)めて、175諸鳥(もろどり)の囀(さへづ)る声(こゑ)は鐘(つりがね)の岩(いは)の真下(ました)に漕(こ)ぎつけた。176奇絶(きぜつ)壮絶(さうぜつ)胸為(むねため)に清涼(せいりやう)を覚(おぼ)ゆ。
177 去(さ)る明治(めいぢ)三十四(さんじふよ)年(ねん)、178見渡(みわた)せば山野(さんや)は靉靆(あいたい)として花(はな)の香(か)に匂(にほ)ひ、179淡糊(うすのり)を解(と)いて流(なが)したやうな春霞(はるがすみ)はパノラマの如(ごと)き景色(けしき)の配合(はいがふ)を調和(てうわ)して、180鳥(とり)は新緑(しんりよく)の梢(こずゑ)に謳(うた)ひ、181蝶(てふ)は黄金(わうごん)の菜(な)の花(はな)に舞(ま)うてゐる好時節(かうじせつ)、182舞鶴(まひづる)の海(うみ)は白波(はくは)のゆるやかに転(ころ)び来(きた)つて、183遠(とほ)きは黄(き)に近(ちか)きは白(しろ)く、184それが日光(につくわう)に反射(はんしや)して、185水蒸気(すゐじようき)の多(おほ)い春(はる)の海(うみ)を縁取(ふちど)つて、186得(え)も言(い)はれぬ絶景(ぜつけい)天下(てんか)泰平(たいへい)の真最中(まつさいちう)、187出口(でぐち)教祖(けうそ)は三十五(さんじふご)名(めい)の教弟(をしへご)を引連(ひきつ)れられて、188此(この)鐘岩(つりがねいは)の絶頂(ぜつちやう)に登(のぼ)り立(た)ち、189丹後国(たんごのくに)宮川(みやがは)の上流(じやうりう)、190天岩戸(あまのいはと)の産水(うぶみづ)と竜宮館(りうぐうやかた)の真清水(ましみづ)を汲(く)み来(こ)られ、191眼下(がんか)の海原(うなばら)見(み)かけて、192恭(うやうや)しく撒布(さんぷ)し玉(たま)ひ、193祝(しゆく)して仰(あふ)せらるるやう、
194教祖(けうそ)『向後(こうご)三(さん)年(ねん)の後(のち)には必(かなら)ず日露(にちろ)の開戦(かいせん)がある。195其(その)時(とき)は巨人(きよじん)の如(ごと)き強大国(きやうだいこく)と小児(せうに)の如(ごと)き小国(せうこく)とが、196世界(せかい)列国(れつこく)環視(くわんし)の下(もと)で、197所謂(いはゆる)晴(は)れの場所(ばしよ)、198檜舞台(ひのきぶたい)の上(うへ)での腕比(うでくら)べの大戦争(だいせんそう)であるから、199万々一(まんまんいち)不幸(ふかう)にして、200我(わが)国(くに)が不利(ふり)の戦争(せんそう)に終(をは)るやうな事(こと)になつたら、201それこそ大変(たいへん)、202万劫(まんごふ)末代(まつだい)日本(にほん)帝国(ていこく)の頭(あたま)が上(あが)らぬ。203そこで国祖(こくそ)の神霊(しんれい)大(おほい)に之(これ)を憂慮(いうりよ)し玉(たま)ひ、204今(いま)此(この)老躯(らうく)をここに遣(つか)はし、205世界(せかい)平和(へいわ)の為(ため)、206日東(につとう)帝国(ていこく)の国威(こくゐ)宣揚(せんやう)の為(ため)祈願(きぐわん)せさせ玉(たま)ふなり、207あゝ艮(うしとら)の大金神(だいこんじん)国常立(くにとこたちの)尊(みこと)よ、208仰(あふ)ぎ願(ねが)はくは太平洋(たいへいやう)の如(ごと)く広(ひろ)く、209日本海(にほんかい)の如(ごと)く深(ふか)き御(ご)庇護(ひご)を我(わが)神国(しんこく)日本(にほん)の上(うへ)に降(くだ)し玉(たま)ひて、210此(この)清(きよ)けき産水(うぶみづ)と美(うる)はしき真清水(ましみづ)の海洋(かいやう)を一周(いつしう)し、211雲(くも)となり、212雨(あめ)となり、213或(あるひ)は雪(ゆき)となり霰(あられ)となつて、214普(あまね)く五大洲(ごだいしう)を潤(うるほ)はし、215天下(てんか)の曲霊(まがひ)を掃蕩(さうたう)し、216汚穢(をゑ)を洗滌(せんぜう)し、217天国(てんごく)を地上(ちじやう)に建設(けんせつ)し、218豊葦原(とよあしはらの)瑞穂国(みづほのくに)をして、219真(まこと)の楽境(たかま)となさしめ、220黄金(わうごん)世界(せかい)を現出(げんしゆつ)せしめ玉(たま)へ』
221と満腔(まんこう)の熱誠(ねつせい)と信仰(しんかう)をこめ、222天地(てんち)も崩(くづ)るる許(ばか)りの大音声(だいおんじやう)を振(ふ)り上(あ)げて祈願(きぐわん)されし断岩(だんがん)は即(すなは)ち此(こ)れであると、223喜楽(きらく)の談(はなし)を聞(き)いた一行(いつかう)は、224是非(ぜひ)一度(いちど)登岩(とがん)して見(み)たき一念(いちねん)期(き)せずしてムラムラと湧起(ゆうき)し、225矢(や)も楯(たて)も堪(たま)らぬやうになつた。
226 水夫(すいふ)に頼(たの)んでカツカツにも舟(ふね)を着(つ)けて貰(もら)ひ、227かき登(のぼ)つて見(み)ると、228手足(てあし)がワナワナするやうな心地(ここち)がして教祖(けうそ)の勇気(ゆうき)に充(み)たせられて居(を)られることを、229今更(いまさら)のやうに感歎(かんたん)せずには居(を)られぬやうになつた。230音(おと)に名高(なだか)き弥勒(みろく)菩薩(ぼさつ)は自然岩(しぜんがん)に厳然(げんぜん)として其(その)英姿(えいし)を顕(あら)はし、231恰(あたか)も巨人(きよじん)が豆(まめ)の如(ごと)き人間(にんげん)を眼下(がんか)に睥睨(へいげい)して居(ゐ)るやうで、232どこともなく神聖(しんせい)不可犯(をかすべからず)の趣(おもむき)が拝(をが)まれる。233遠(とほ)く目(め)を東北(とうほく)に放(はな)てば日本海(にほんかい)の波浪(はらう)は銀屏(ぎんぺい)を連(つら)ねたるが如(ごと)く、234黄金(こがね)の大塊(たいくわい)東天(とうてん)に輝(かがや)き、235足下(そくか)の海(うみ)は翠絹(すゐけん)の褥(しとね)の如(ごと)く、236美絶(びぜつ)壮絶(さうぜつ)快感(くわいかん)譬(たと)ふるに物(もの)なし。237歎賞(たんしやう)久(ひさし)うして再(ふたたび)舟(ふね)に上(あが)り、238鰐(わに)の巣(す)突当岩(つきあていは)を巡見(じゆんけん)するに、239奇(き)又(また)奇(き)、240怪(くわい)又(また)怪(くわい)、241妙(めう)と手(て)を拍(う)ち、242絶(ぜつ)と叫(さけ)び、243精神(せいしん)恍惚(くわうこつ)として羽化(うくわ)登仙(とうせん)したるの思(おも)ひであつた。
244 舟(ふね)は容赦(ようしや)もなく鬼岩(おにいは)の眼下(がんか)を脱(ぬ)け出(い)で、245辛(から)うじて戸隠岩(とがくしいは)に漕付(こぎつ)いた。246到着(たうちやく)早々(さうさう)癪(しやく)にさわつたのは、247不届(ふとど)き至極(しごく)にも斯(か)かる神聖(しんせい)なる神島(しま)にまで、248密猟者(みつれふしや)が入込(いりこ)み、249少(すこ)し許(ばか)りの平地(へいち)を卜(ぼく)して藁小屋(わらごや)を結(むす)び、250雨露(うろ)を凌(しの)ぎつつ、251日夜(にちや)鳥網(とりあみ)を張(は)りまはし、252棍棒(こんぼう)を携帯(けいたい)し、253垢面(くめん)八字髭(はちじひげ)を貯(たくは)へた見(み)ても恐(おそ)ろしい様子(やうす)、254腹(はら)でも空(す)いたら人間(にんげん)でも容赦(ようしや)なく餌食(ゑじき)にし兼間(かねま)じき五十(ごじふ)男(をとこ)が、255張本人(ちやうほんにん)と見(み)えて、256数多(あまた)の壮丁(さうてい)を使役(しえき)して頻(しき)りに信天翁(あはうどり)を捕獲(ほくわく)して居(ゐ)た真最中(まつさいちう)であつたが、257彼(かれ)等(ら)は教服姿(けうふくすがた)の吾(われ)等(ら)一行(いつかう)を遥見(えうけん)して、258何故(なにゆゑ)か右往(うわう)左往(さわう)にあわてふためき、259山上(さんじやう)見(み)かけて駆(か)け登(のぼ)るあり、260断岩(だんがん)を無暗(むやみ)に疾走(しつそう)するあり、261何事(なにごと)の起(おこ)りたるかと怪(あや)しまるる程(ほど)であつた。262稍(やや)落付顔(おちつきがほ)の一人(ひとり)を近(ちか)く招(まね)いて、
263喜楽(きらく)『あなた等(ら)は何(なに)を以(もつ)てか俄(にはか)にあわて迷(まよ)ふぞ。264自分(じぶん)等(ら)は信仰(しんかう)上(じやう)より梅雨(ばいう)を冒(をか)して今(いま)此(この)神島(しま)に参詣(さんけい)した者(もの)だが、265見(み)ればあんた等(ら)は海鳥(かいてう)の密猟者(みつれふしや)と見(み)えるが、266併(しか)し商売(しやうばい)とは云(い)ひ乍(なが)ら、267かかる危険(きけん)な殺伐(さつばつ)な所業(しよげふ)を止(や)めて、268他(た)の正業(せいげふ)に就(つ)き玉(たま)へ』
269と三(さん)人(にん)は熱誠(ねつせい)を籠(こ)めて説(と)き諭(さと)せ共(ども)、270固(もと)より虎(とら)狼(おほかみ)の如(ごと)き人物(じんぶつ)、271一言(ひとこと)も耳(みみ)に入(い)り相(さう)な気配(けはい)だにない。272「自由(じいう)の権(けん)構(かま)てなやホツチツチ」と言(い)はぬ許(ばか)りの面構(つらがま)へ、273要(い)らぬ奴(やつ)が来(き)やがつて、274人(ひと)をビツクリさしやがつたが、275マア裁判官(さいばんくわん)でなくて大安心(だいあんしん)……と口走(くちばし)つたのは滑稽(こつけい)の極(きは)みであつた。276抑(そもそ)も昨年来(さくねんらい)出口(でぐち)教祖(けうそ)は冠島(をしま)沓島(めしま)の密猟(みつれふ)を非常(ひじやう)に惜(をし)まれ、277且(か)つ罪(つみ)もなき鳥族(てうぞく)の徒(いたづら)に生命(せいめい)を奪(うば)はるるを憐(あはれ)み玉(たま)ひ、278鳥族(てうぞく)保護(ほご)の祈願(きぐわん)まで、279朝夕(あさゆふ)神前(しんぜん)にて御(ご)執行(しつかう)あつたが、280本日(ほんじつ)は満願(まんぐわん)の日(ひ)なれば、281神明(しんめい)へ謝礼(しやれい)の為(ため)に種々(しゆじゆ)の供物(くもつ)を持(も)たせ、282自分(じぶん)等(ら)を特(とく)に御(ご)差遣(さけん)になつたのである。283それが又(また)偶然(ぐうぜん)か神(かみ)の摂理(せつり)か、284不可思議(ふかしぎ)にも今日(けふ)即(すなは)ち明治(めいじ)四十二(しじふに)年(ねん)六(ろく)月(ぐわつ)廿二(にじふに)日(にち)、285京都府(きやうとふ)告示(こくじ)第(だい)三百(さんびやく)十九(じふく)号(がう)を以(もつ)て、286加佐郡(かさぐん)西大浦(にしおほうら)村(むら)大字(おほあざ)三浜(みはま)小橋(こばし)及(および)此(この)両島(りやうたう)の区域(くゐき)を禁猟(きんれふ)区域(くゐき)となし、287今後(こんご)十(じふ)年間(ねんかん)は年内(ねんない)を通(つう)じて該(がい)区域内(くゐきない)に棲息(せいそく)する鳥類(てうるゐ)及(およ)び雛(ひな)の捕獲(ほくわく)又(また)は採卵(さいらん)を禁止(きんし)せられた当日(たうじつ)であつた。
288 十(じふ)年(ねん)以前(いぜん)に出口(でぐち)教祖(けうそ)の建設(けんせつ)せられた神祠(しんし)は積年(せきねん)の風雨(ふうう)に曝(さら)されて、289半(なかば)朽廃(きうはい)に帰(き)し、290見(み)るからに畏(おそ)れ多(おほ)く、291一(いち)日(にち)も早(はや)く改築(かいちく)し奉(まつ)りたく、292是非(ぜひ)来春(らいしゆん)までに造営(ざうえい)せむことを神前(しんぜん)に祈誓(きせい)した。293畏(かしこ)み慎(つつし)み祠前(しぜん)に進(すす)み、294各自(かくじ)に供物(くもつ)を献(けん)じ灯火(とうくわ)を奉点(ほうてん)し、295例(れい)の祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)し奉(たてまつ)る。296捕(と)り残(のこ)された数万(すうまん)の信天翁(あはうどり)は不遠慮(ぶゑんりよ)に自分(じぶん)等(ら)斎員(さいゐん)の頭上(づじやう)を飛(と)びまはり、297神聖(しんせい)なる教服(けうふく)の袖(そで)に糞汁(ふんじふ)の雨(あめ)を降(ふ)らせ、298一帳羅(いつちやうら)を台無(だいな)しにする。299まだ其(その)上(うへ)に業(ごう)のわいた、300気楽(きらく)相(さう)に怪(あや)しい声(こゑ)を絞(しぼ)り出(だ)して、301八釜(やかま)しく、302自分(じぶん)等(ら)を嘲笑(てうせう)して居(ゐ)る様(やう)に、303心(こころ)の勢(せい)か、304感(かん)じられるのである。305それから肝(きも)を投出(なげだ)して、306お籠(こも)り岩(いは)に辛(から)うじて歩(ほ)を進(すす)めた。
307 見(み)れば上(うへ)は絶壁(ぜつぺき)に隔(へだ)てられ、308眼下(がんか)は深(ふか)き谷底(たにそこ)に海水(かいすい)が青(あを)く漂(ただよ)うて物凄(ものすご)い。309足(あし)の裏(うら)がウヂウヂするやうな難所(なんしよ)に、310教祖(けうそ)の真筆(しんぴつ)を以(もつ)て歴然(れきぜん)と神(かみ)の御名(みな)が記(しる)されてある。311教祖(けうそ)の豪胆(がうたん)と熱誠(ねつせい)に感(かん)じて、312思(おも)はず拍手(はくしゆ)九拝(きうはい)感歎(かんたん)の声(こゑ)口(くち)をついて出(で)て来(き)た。313始終(しじう)沈黙(ちんもく)を守(まも)つて居(ゐ)た大槻(おほつき)は此(この)時(とき)思(おも)ひ出(だ)した様(やう)に語(かた)る。
314大槻(おほつき)『日露(にちろ)戦役(せんえき)の真最中(まつさいちう)、315教祖(けうそ)のお供(とも)をして、316十三(じふさん)ケ日間(にちかん)此(この)岩窟(がんくつ)に静坐(せいざ)し、317敵艦(てきかん)全滅(ぜんめつ)、318我(わが)軍(ぐん)全勝(ぜんしよう)の祈願(きぐわん)をこらした時(とき)は、319ズイ分(ぶん)困窮(こんきう)を極(きは)めた。320清水(しみづ)は一滴(いつてき)も無(な)し、321三(さん)人(にん)の中(なか)へ僅(わづ)か三升(さんぜう)の煎米(いりごめ)がある丈(だけ)、322これを生命(いのち)の親(おや)として、323幾十(いくじふ)日(にち)も食(く)はねばならぬ、324昼夜(ちうや)にドンドンドンと怪(あや)しい、325何(なん)とも譬(たと)えやうの無(な)い音(おと)がして寂(さび)しいやら、326凄(すさま)じい様(やう)で、327人(ひと)心地(ここち)はせず、328陸上(りくじやう)との交通(かうつう)は無論(むろん)断絶(だんぜつ)なり、329雨(あめ)は毎日(まいにち)毎夜(まいや)勤務(つとめ)の様(やう)に降(ふ)り続(つづ)ける、330喉(のど)はかはく、331腹(はら)はすく、332手足(てあし)はワナワナする、333目(め)はマクマクする、334腹(はら)はガクガクして、335死(し)んでるのか生(い)きてるのか、336吾(われ)乍(なが)ら終(つひ)には判別(はんべつ)が付(つ)きかねる。337そこへ雨育(あめそだ)ちの体(からだ)を俄(にはか)の暑熱(しよねつ)に当(あ)てられる。338思(おも)ひ出(だ)してもゾツとする。339教祖(けうそ)は平素(へいそ)の修行(しうぎやう)の結果(けつくわ)にや、340神色(しんしよく)自若(じじやく)として容顔(ようがん)麗(うるは)しく、341ますます元気(げんき)が増(ます)許(ばか)り、342二十(にじふ)日(にち)や三十(さんじふ)日(にち)の辛抱(しんばう)が出来(でき)ぬ様(やう)では、343日本(につぽん)男児(だんじ)の本領(ほんりやう)はどこに在(あ)るか、344チと勇気(ゆうき)を出(だ)したが宜(よ)からうと御(お)叱(しか)りになる、345自分(じぶん)等(ら)はモウ此(この)上(うへ)一片(いつぺん)の勇気(ゆうき)も精力(せいりよく)も出(だ)すことが出来(でき)ぬのである。346然(しか)るに天(てん)の与(あた)へか向(むか)ふの岸(きし)に滴(したた)りおつる水(みづ)に塩気(しほけ)がないと云(い)ふ事(こと)を、347フト発見(はつけん)した。348恰(あたか)も地下(ちか)の世界(せかい)から脱出(ぬけで)た様(やう)な心持(こころもち)で、349色々(いろいろ)と工夫(くふう)をこらし、350携(たづさ)へ持(も)てる竹筒(たけづつ)を受(う)けて水(みづ)を取(と)り、351漸(やうや)く渇(かつ)を医(い)したといふ始末(しまつ)で、352万一(まんいち)此(この)水(みづ)が無(な)かつたなら、353自分(じぶん)等(ら)は生命(いのち)を全(まつた)うすることが出来(でき)なかつたかも知(し)れぬのであつた。354併(しか)し一(いち)時(じ)は水(みづ)で息(いき)をしたが何時迄(いつまで)も水(みづ)許(ばか)りでは堪(たま)らない。355煎米(いりごめ)はモウ三日前(みつかまへ)に終(をは)りを告(つ)げた。356斯(こ)んな無人島(むじんたう)に居(ゐ)て死(し)ぬよりも、357陸上(りくじやう)にあつて幾(いく)らでも国家(こくか)の為(ため)に尽(つく)すことが出来(でき)るであらうから、358一(いち)日(にち)も早(はや)く帰(かへ)らせて貰(もら)ひたいと教祖(けうそ)に泣(な)きついた所(ところ)が、359教祖(けうそ)も可愛相(かあいさう)に思召(おぼしめ)したか、360……そんなら明日(あす)は迎(むか)への舟(ふね)の来(く)る様(やう)に神界(しんかい)へ祈願(きぐわん)してやらう……と仰(あふ)せられ、361早速(さつそく)御(お)願(ねがひ)になると、362天祐(てんいう)か偶然(ぐうぜん)か、363但(ただし)は島神(たうじん)聴許(ちやうきよ)ましましたか、364翌朝(よくてう)旭(あさひ)の豊栄昇(とよさかのぼ)る頃(ころ)、365遥(はるか)の海上(かいじやう)より七隻(しちせき)の漁舟(ぎよしう)が沓島(めしま)を目(め)がけて漕(こ)ぎ寄(よ)せて来(く)る。366其(その)時(とき)の嬉(うれ)しさは死(し)んでも忘(わす)れられないと思(おも)ひました。367数名(すうめい)の漁夫(りようし)は自分(じぶん)等(ら)三(さん)人(にん)の顔(かほ)を熟視(じゆくし)して、368てつきり露探(ろたん)と誤認(ごにん)し、369俄(にはか)に顔色(がんしよく)を変(か)へて震(ふる)ひ出(だ)し、370……露人(ろじん)が一人(ひとり)に日本人(にほんじん)が二人(ふたり)だ。371恐(おそ)ろしい迂濶(うくわつ)に相手(あひて)に成(な)れないぞ……と互(たがひ)に目(め)曳(ひ)き、372袖(そで)曳(ひ)き、373逸足早(いちあしはや)く逃(に)げ帰(かへ)らむとする。374逃(に)げ帰(かへ)られては堪(たま)らないから、375自分(じぶん)は手(て)を合(あは)さぬ許(ばか)りにして、376事情(じじやう)を逐一(ちくいち)説明(せつめい)して頼(たの)み込(こ)んだ。377彼(かれ)等(ら)も漸(やうや)くの事(こと)に納得(なつとく)し、378兎(と)も角(かく)も舞鶴(まひづる)まで送(おく)つてくれることになつた。379所(ところ)が其(その)甲斐(かひ)もなく、380漁夫(れふし)は体(てい)よく口実(こうじつ)を設(まう)けて、381自分(じぶん)等(ら)を安心(あんしん)させ、382油断(ゆだん)させて置(お)いて、383一人(ひとり)も残(のこ)らず逃(に)げ帰(かへ)つて了(しま)つたのである。384大方(おほかた)村役場(むらやくば)へでも報告(はうこく)する為(ため)であつたのでせう。385そこで止(や)むを得(え)ず後野(ごの)氏(し)が断岩(だんがん)を辷(すべ)りおりて、386鰐(わに)の巣(す)まで危難(きなん)を冒(をか)し、387海水(かいすゐ)を泳(およ)ぎなどして、388鐘岩(つりがねいは)の真下(ました)迄(まで)行(い)つて見(み)ると、389一人(ひとり)の漁夫(ぎよふ)がそこに波浪(はらう)を避(さ)けて糸(いと)を垂(た)れ鯛(たひ)を釣(つ)つて居(ゐ)る最中(さいちう)で、390裸体(らたい)の儘(まま)に立(た)つて居(ゐ)る後野(ごの)氏(し)の姿(すがた)を見(み)てビツクリし……生命(いのち)知(し)らずの馬鹿者(ばかもの)奴(め)、391お前(まへ)は鰐(わに)の巣窟(さうくつ)を通(とほ)つて来(き)たなアと叫(さけ)びつつ、392直(ただち)に船(ふね)に乗(の)せて戸隠岩(とがくしいは)の真下(ました)に漕(こ)ぎ寄(よ)せた。393教祖(けうそ)は漁夫(ぎよふ)に向(むか)ひ、394厚(あつ)く感謝(かんしや)せられ……さてバルチツク艦隊(かんたい)も近日(きんじつ)の中(うち)に対馬沖(つしまおき)にて全滅(ぜんめつ)するから安心(あんしん)ぢや、395お前(まへ)さまも村(むら)へ帰(かへ)つて村(むら)の人(ひと)に知(し)らしてやつて安心(あんしん)させるがよいと……仰(あふ)せられたが、396果(はた)して其(その)お言葉(ことば)通(どほ)り、397七日(なぬか)程(ほど)経(た)つた所(ところ)で、398日本海(にほんかい)の大海戦(だいかいせん)で、399あの通(とほ)りの大勝利(だいしようり)、400自分(じぶん)も其(その)時(とき)は余(あま)りの事(こと)で呆(あき)れました』
401と懐旧談(くわいきうだん)を切(しき)りにやつて居(ゐ)る。402二人(ふたり)の水夫(すいふ)も話(はなし)の尾(を)に付(つ)いて、
403『私(わたし)等(ら)も二人(ふたり)で此島(ここ)へ御(お)伴(とも)して参(まゐ)りましたが、404教祖(かみ)さまが……モウお前(まへ)サン等(ら)は帰(かへ)つてくれ、405そして四十(しじふ)日目(にちめ)に船(ふね)を持(も)つて迎(むか)ひに来(き)てくれ、406万一(まんいち)居(ゐ)なかつたら、407又(また)四十(しじふ)日(にち)経(た)つた所(ところ)で来(き)てくれ……と仰(あふ)せられたが、408こんな無人島(むじんたう)に荒行(あらぎやう)なさるかと思(おも)へば、409俄(にはか)に悲(かな)しくなつて、410二人(ふたり)共(とも)泣(な)きました』
411と朴訥(ぼくとつ)な口(くち)から話(はな)して居(ゐ)る。412帰路(きろ)冠島(おしま)の覗岩(のぞきいは)に舟(ふね)を泛(うか)べて和布(わかめ)を刈(か)り、413貝(かひ)や蟹(かに)を捕獲(ほくわく)しつつ、414五丈岩(ごぢやういは)三丈岩(さんぢやういは)等(とう)の勝景(しようけい)を感賞(かんしやう)しつつ、415順風(じゆんぷう)に真帆(まほ)をあげ、416帰路(かへりぢ)に就(つ)く。417正(まさ)に午時(ひる)であつた。
418 船中(せんちう)にて昼飯(ちうはん)を喫(きつ)し、419舞鶴(まひづる)湾口(わんこう)の蕪(かぶら)、420久里(くり)、421博奕(ばくち)ケ崎(さき)、422白黒岩(しろくろいは)も何時(いつ)しか後(あと)に見(み)て、423横波(よこなみ)、424南泊(みなみどまり)と進(すす)む程(ほど)に、425早(はや)松原(まつばら)にと差(さし)かかれば、426水夫(すいふ)は潔(いさぎよ)く、
427『田辺(たなべ)見(み)たさに松原(まつばら)越(こ)せば、428田辺(たなべ)がくしの霧(きり)が込(こ)む』
429と唄(うた)ひ乍(なが)ら、430廿二(にじふに)日(にち)の午後(ごご)四(よ)時(じ)、431大丹生(おほにふ)屋(や)へ安着(あんちやく)した。
432(大正一一・一〇・一七 旧八・二七 松村真澄録)
このページに誤字・脱字や表示乱れなどを見つけたら教えて下さい。
返信が必要な場合はメールでお送り下さい。【メールアドレス】
合言葉「みろく」を入力して下さい→