霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一八章 月下(げつか)の露(つゆ)〔一七二〇〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第67巻 山河草木 午の巻 篇:第4篇 山色連天 よみ(新仮名遣い):さんしょくれんてん
章:第18章 月下の露 よみ(新仮名遣い):げっかのつゆ 通し章番号:1720
口述日:1924(大正13)年12月28日(旧12月3日) 口述場所:祥雲閣 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1926(大正15)年8月19日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
シャカンナは岩屋を引き払い、娘スバール姫と部下コルトンだけを従え、朝倉谷へ隠れた。
一ケ月ほどしたある夜、山道に迷ったスダルマン太子とアリナが小屋へやってくる。
コルトンは天狗と間違えて追い払おうとするが、シャカンナは二人を小屋へ泊める。
世情を伺う話の中から、太子とアリナの素性が明らかになり、またシャカンナがアリナの父の元政敵であったことがわかる。
アリナはシャカンナに父の罪を謝し、太子はシャカンナに帰城を勧めるが、断られる。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-08-21 17:57:13 文字数:5157 OBC :rm6718
愛善世界社版:235頁 八幡書店版:第12輯 117頁 修補版: 校定版:237頁 普及版:68頁 初版: ページ備考:
001 シャカンナはタニグクの山(やま)の麓(ふもと)なる岩窟(いはや)に附属(ふぞく)せる建物(たてもの)を全部(ぜんぶ)焼(やき)払(はら)ひ、002スバール姫(ひめ)とコルトンを従(したが)へ、003朝倉谷(あさくらだに)へ隠(かく)れ、004世(よ)を忍(しの)んで一(いつ)ケ月(げつ)許(ばか)りも淋(さび)しき月日(つきひ)を送(おく)つた。005十五夜(じふごや)の満月(まんげつ)は頭上(づじやう)高(たか)く輝(かがや)いてゐる。006シャカンナ及(および)スバール姫(ひめ)は室内(しつない)に横(よこ)たはり、007早(はや)くも鼾(いびき)の声(こゑ)さへ屋外(をくぐわい)に聞(きこ)えてゐる。008コルトンは気(き)が立(た)つて眠(ねむ)られず、009谷川(たにがは)の流(なが)れに月(つき)の影(かげ)が映(うつ)つて、010面白(おもしろ)く砕(くだ)けて流(なが)るる様(さま)を見(み)て興(きよう)に入(い)つてゐた。011そこへ上(うへ)の方(はう)の山(やま)から012小柴(こしば)をペキペキ踏(ふ)み折(をり)乍(なが)ら、013うら若(わか)い二人(ふたり)の貴公子(きこうし)が降(くだ)つて来(き)た。
014貴公子(きこうし)(アリナ)『エ、015一寸(ちよつと)物(もの)をお尋(たづ)ね申(まをし)ますが、016ここは何(なん)といふ処(ところ)で厶(ござ)いますか』
017コル『此処(ここ)は山奥(やまおく)だ。018そして谷川(たにがは)の畔(ほとり)だ。019昔(むかし)から人(ひと)の来(き)た事(こと)のない場所(ばしよ)だから、020名前(なまへ)などあるものか。021マア、022ココと名(な)をつけておけば可(い)いのだ。023一体(いつたい)今(いま)ごろにウロウロと、024此(この)山奥(やまおく)に何(なに)してゐるのだ。025そしてお前(まへ)は何(なん)と云(い)ふ名(な)だ。026聞(き)かしてくれ』
027貴(き)(アリナ)『ハイ私(わたし)はアリナと申(まを)します。028モ一人(ひとり)の方(かた)は私(わたくし)の御(ご)主人(しゆじん)で厶(ござ)いますが、029つい山野(さんや)の風光(ふうくわう)に憧(あこが)れて、030知(し)らず識(し)らずに斯様(かやう)な処(ところ)へ迷(まよ)ひ込(こ)み、031此(この)山(やま)の上(うへ)で因果腰(いんぐわごし)をきめて野宿(のじゆく)をせうと思(おも)ふて居(を)りました所(ところ)、032猛獣(まうじう)の声(こゑ)は切(しき)りに聞(きこ)えて来(く)る。033コリヤ斯(か)うしては居(を)られないと谷底(たにぞこ)を見(み)れば、034木(こ)の間(ま)に幽(かす)かな火影(ほかげ)がまたたいてゐたので、035これは確(たしか)に人(ひと)の住居(すまゐ)してゐる家(いへ)だらう。036何(なに)は兎(と)もあれ、037あの火(ひ)を目当(めあて)に辿(たど)りついて、038一夜(いちや)の宿(やど)を願(ねが)ひたいと、039主従(しゆじゆう)二人(ふたり)が茨(いばら)にひつかかり足(あし)を傷(きず)づけ、040或(あるひ)は辷(すべ)り転(ころ)げなどしてヤツと此所(ここ)迄(まで)参(まゐ)りました。041どうか一夜(いちや)の宿(やど)をお願(ねが)ひ申(まを)したう厶(ござ)います』
042コル『此処(ここ)は杣(そま)小屋(ごや)だから、043俺(おれ)の外(ほか)誰(たれ)もゐないのだ。044そして一夜(ひとよさ)の宿(やど)を宿泊(しゆくはく)さして泊(と)めてくれと云(い)つた所(ところ)で、045食物(しよくもつ)の食(く)ふ物(もの)もなし、046夜具(やぐ)の蒲団(ふとん)もなし、047どうする事(こと)も出来(でき)やしない。048こんな穢苦(むさくる)しい内(うち)で厄介(やくかい)になるよりも三(さん)里(り)許(ばか)り、049此処(ここ)を東(ひがし)へ向(むか)つて行(い)かつしやい。050其処(そこ)には大(おほ)きな岩窟(いはや)があると云(い)ふ事(こと)だ。051平(ひら)に真平(まつぴら)御免(ごめん)蒙(かうむ)りますワ』
052アリナ『左様(さやう)では厶(ござ)いませうなれど、053今日(けふ)で三日(みつか)三夜(みよさ)、054碌(ろく)に食物(しよくもつ)もとらず、055身体(しんたい)縄(なは)の如(ごと)く疲(つか)れ果(は)て、056命(いのち)カラガラ、057此(この)あかり目当(めあて)に参(まゐ)つたので厶(ござ)います。058此処(ここ)で貴方(あなた)に断(ことわ)られては、059大変(たいへん)に御(ご)主人(しゆじん)が力(ちから)を落(おと)されます。060私(わたし)だつて、061最早(もはや)一歩(いつぽ)も進(すす)む勇気(ゆうき)は厶(ござ)いませぬ。062どうか杣(そま)小屋(ごや)の中(なか)で一夜(いちや)お泊(と)め下(くだ)さいませぬか』
063コル『エー、064しつこい男(をとこ)だな。065厭(いや)と云(い)つたら、066どこ迄(まで)も厭(いや)だ。067お前(まへ)のやうな天狗(てんぐ)の狗賓(ぐひん)を泊(と)めてたまるものか。068サアサアとつとと帰宅(きたく)して帰(かへ)つて下(くだ)さい。069茅屋(あばらや)なれど即(すなは)ち要(えう)するに、070取(とり)も直(なほ)さず、071此(この)家屋(かをく)の家(いへ)は、072俺(おれ)の拙者(せつしや)の僕(ぼく)の住居(ぢうきよ)の住(すま)ひ場所(ばしよ)だ』
073 太子(たいし)は『ハヽヽヽ』と力(ちから)なき声(こゑ)に笑(わら)ふ。
074コル『オイ天狗(てんぐ)の狗賓(ぐひん)、075何(なに)が可笑(をか)しう厶(ござ)いますか。076別(べつ)に面白(おもしろ)い生活(せいくわつ)の暮(くら)しでもなし、077杣(そま)の木挽(こびき)の只(ただ)一人(ひとり)、078独(ひと)りで、079営々(えいえい)と稼(かせ)いでをるのですよ。080アタ厭(いや)らしい笑(わら)ひをして下(くだ)さるな。081エー、082一月前(ひとつきまへ)から碌(ろく)なこた、083チツとも出来(でき)やしないワ。084玄真坊(げんしんばう)がやつて来(き)やがつて、085それからあんな悲惨(ひさん)なみじめな態(ざま)になり、086ヤツと此処(ここ)迄(まで)遁走(とんそう)して逃(に)げて来(き)て、087厭世(えんせい)して隠(かく)れてをれば、088お山(やま)の天狗(てんぐ)の狗賓(ぐひん)がソロソロかぎつけて、089一夜(いちや)の一夜(ひとよさ)を、090宿泊(しゆくはく)させて泊(と)めてくれなんて、091たまつたものぢやありませぬ。092玄真坊(げんしんばう)を一夜(いちや)泊(と)めた許(ばか)りで、093あんな大騒動(おほさうどう)の大騒(おほさわ)ぎが起(おこ)つたのだ。094モウ客人(きやくじん)の人(ひと)を泊(と)めるのはコリコリだ。095どうか、096外(ほか)をお尋(たづ)ね下(くだ)さい。097私(わたし)は僕(ぼく)は拙者(せつしや)は之(これ)から就寝(しうしん)して寝(ね)ます。098左様(さやう)なら……』
099と云(い)ふより早(はや)く杣(そま)小屋(ごや)の中(うち)に姿(すがた)をかくし、100中(なか)から突(つ)つ張(ぱり)をかうて了(しま)つた。
101 二人(ふたり)は最早(もはや)歩行(ほかう)する勇気(ゆうき)もなく、102空(そら)を仰(あふ)いで月(つき)の面(おもて)を眺(なが)め乍(なが)ら、103述懐(じゆつくわい)を歌(うた)つてゐる。
104太子(たいし)『大空(おほぞら)に三五(さんご)の月(つき)は輝(かがや)けど
105心(こころ)の空(そら)は雲(くも)に包(つつ)まる。
106いかにせむ火影(ほかげ)頼(たの)みて来(き)てみれば
107げにもすげなき杣(そま)の目(め)はぢき[※「目はぢき」は「目弾き(めはじき)」だと思われる。まばたき、めくばせ、という意味。]』
108アリナ『あゝ吾(わ)れは太子(たいし)の君(きみ)と諸共(もろとも)に
109此(この)山奥(やまおく)に亡(ほろ)びむとぞする。
110腹(はら)はすき足(あし)はだるみて力(ちから)なく
111月(つき)の影(かげ)のみ力(ちから)とぞ思(おも)ふ。
112此(この)宿(やど)の主(あるじ)に心(こころ)あるならば
113今宵(こよひ)は安(やす)く息(いき)つがむものを』
114太子(たいし)『あゝ、115アリナ116私(わたし)も張詰(はりつ)めた勇気(ゆうき)が、117どこへやら消(き)え失(う)せ、118ガツカリとして来(き)た。119世(よ)の中(なか)は何(なん)と云(い)ふ無情(むじやう)なものだらうな』
120アリ『御尤(ごもつと)もで厶(ござ)います。121今(いま)の世(よ)の中(なか)はおちぶれ者(もの)と見(み)れば、122足(あし)げにして通(とほ)るといふ極悪(ごくあく)世界(せかい)で厶(ござ)いますから、123人情(にんじやう)うすき事(こと)紙(かみ)の如(ごと)く、124到底(たうてい)此(この)家(や)にも、125泊(と)めてはくれますまい。126然(しか)しながら最早(もはや)一歩(いつぽ)も歩(あゆ)めませぬから、127谷川(たにがは)の流(なが)れを眺(なが)め乍(なが)ら月下(げつか)に眠(ねむ)りませう』
128 屋内(をくない)にはシャカンナの声(こゑ)、
129シャ『オイ、130コルトン、131汝(きさま)、132今(いま)外(そと)で、133何(なに)独(ひと)り言(ごと)を云(い)つてゐたのだ』
134コル『ヘー、135別(べつ)に独(ひと)り言(ごと)云(い)つてゐたのぢや厶(ござ)いませぬ。136天狗(てんぐ)の狗賓(ぐひん)が二人(ふたり)もやつて来(き)ましてアダをするし、137宿泊(しゆくはく)さして泊(と)めてくれの、138何(なん)のと言(い)ふものですから、139極力(きよくりよく)力(ちから)限(かぎ)り拒否(きよひ)して拒(こば)んでゐたのです。140中々(なかなか)執拗(しつえう)なしぶとい、141代物(しろもの)で厶(ござ)いましたよ』
142シャ『それでも、143汝(きさま)、144人間(にんげん)の声(こゑ)で物(もの)を云(い)つてゐたぢやないか。145よもや天狗(てんぐ)ぢやあるまい。146兎(と)も角(かく)、147泊(と)めてやつたらどうだ』
148コル『メヽ滅相(めつさう)な、149あんな怪物(くわいぶつ)の化物(ばけもの)を屋内(をくない)の家(いへ)の中(なか)へ入(い)れてたまりますか。150恐怖心(きようふしん)が恐(おそ)ろしがつて、151手足(てあし)が戦慄(せんりつ)して慄(ふる)ひます。152どうか、153そんな事(こと)を云(い)はない様(やう)にして下(くだ)さい』
154シャ『待(ま)て待(ま)て、155俺(おれ)が一遍(いつぺん)査(しら)べて来(く)る。156汝(きさま)では訳(わけ)が分(わか)らぬ』
157と云(い)ひ乍(なが)ら、158粗末(そまつ)な柴(しば)の戸(と)を押(おし)あけ、159屋外(をくぐわい)に出(で)て見(み)れば、160雪(ゆき)を欺(あざむ)く白面(はくめん)の青年(せいねん)が二人(ふたり)、161顔面(がんめん)を月(つき)に照(てら)され乍(なが)ら、1611早(はや)くも横(よこ)たはつてゐる。
162シャ『何(いづ)れの方(かた)かは知(し)らぬが、163そんな所(ところ)に寝(ね)てゐては、164夜露(よつゆ)がかかつて、165身体(からだ)の衛生(ゑいせい)に能(よ)くない。166むさ苦(くる)しい茅屋(あばらや)なれど、167お構(かま)ひなくば、168お泊(とま)りなさつたら何(ど)うです』
169 此(この)声(こゑ)に二人(ふたり)は天使(てんし)の救(すく)ひの御声(みこゑ)の如(ごと)く打(うち)喜(よろこ)び、170やをら身(み)を起(おこ)し、171丁寧(ていねい)に辞儀(じぎ)をし乍(なが)ら、172力(ちから)なき声(こゑ)にて、
173アリ『私(わたくし)はタラハン城(じやう)に住(す)んでゐる若者(わかもの)で厶(ござ)いますが、174つい山野(さんや)の風光(ふうくわい)に憬(あこが)れ、175次(つぎ)から次(つぎ)へと景勝(けいしよう)を探(さぐ)る内(うち)、176道(みち)に踏(ふ)み迷(まよ)ふて今日(けふ)で三日(みつか)が間(あひだ)パンも食(く)はず、177此(この)山中(さんちう)に迷(まよ)ひ込(こ)み、178漸(やうや)く幽(かす)かな火光(くわくわう)を認(みと)めて、179此処(ここ)迄(まで)辿(たど)りつきましたので厶(ござ)います。180当家(たうけ)の若(わか)い方(かた)にいろいろと御(お)願(ねが)ひ致(いた)しましたけれど、181手厳(てきび)しく拒絶(きよぜつ)されましたので、182主従(しゆじゆう)が困果腰(いんぐわごし)をすゑ、183お庭先(にはさき)で休(やす)まして頂(いただ)いてをつた所(ところ)で厶(ござ)います』
184シャ『何(なに)、185タラハン市(し)の住人(ぢうにん)とな。186フーン、187併(しか)し乍(なが)ら兎(と)も角(かく)泊(とま)つて下(くだ)さい。188お腹(なか)がすいて居(を)れば、189パンの一片(ひときれ)や二片(ふたきれ)はありますから、190それを進(しん)ぜませう。191茶(ちや)も幸(さいは)いあつう沸(わ)いて居(を)ります』
192 二人(ふたり)の喜(よろこ)びは例(たと)ふるに物(もの)なく、193其(その)親切(しんせつ)を簡単(かんたん)に感謝(かんしや)し乍(なが)ら、194主(あるじ)の後(あと)に跟(つ)いて極(きは)めて小(ちひ)さき茅屋(ばうをく)の入口(いりぐち)を潜(くぐ)り、195ヤツと安心(あんしん)して木(き)であんだ床(とこ)の上(うへ)に萱(かや)の敷(し)いてある座敷(ざしき)へ腰(こし)を打(うち)かけ、196ホツと一息(ひといき)をついた。
197シャ『オイ、198スバール、199此(この)二人(ふたり)の方(かた)にパンをあげてくれ。200そして松明(たいまつ)の火(ひ)を明(あか)くしてあげてくれ。201お茶(ちや)も汲(く)むのだよ』
202 スバールは『ハイ』といひ乍(なが)ら、203恥(はづ)かしげにパンを取出(とりだ)し、204麗(うるは)しい玉(たま)の様(やう)な掌(てのひら)にのせて、205二人(ふたり)の前(まへ)に突(つき)出(だ)した。206二人(ふたり)は、
207『ハイ有難(ありがた)う』
2071といふより早(はや)く、208餓鬼(がき)の如(ごと)くに頬(ほほ)ばつて了(しま)つた。209スバールは茶(ちや)を汲(く)んで、2091前(まへ)におき乍(なが)ら、210柴(しば)で編(あ)んだ衝立(ついたて)の蔭(かげ)にかくれて了(しま)つた。
211シャ『お前(まへ)さまは、212最前(さいぜん)タラハン市(し)の住人(ぢうにん)だと云(い)つたが、213此(この)頃(ごろ)の人気(にんき)はどんな物(もの)ですかな』
214アリ『ハイ、215どうも不景気(ふけいき)風(かぜ)が吹(ふ)きまくつて、216経済界(けいざいかい)は殆(ほとん)ど行詰(ゆきづま)りです。217それに金価(きんか)が三割(さんわり)も暴騰(ばうとう)したものですから、218紙幣(しへい)が下落(げらく)し、219経済界(けいざいかい)の混乱(こんらん)と云(い)つたら、220実(じつ)にみじめなものです。221大(おほ)きな商店(しやうてん)がバタバタと次(つぎ)から次(つぎ)へ倒(たふ)れて行(ゆ)く有様(ありさま)です。222そこへバラモン軍(ぐん)が近(ちか)い内(うち)に攻(せ)めて来(く)るといふ噂(うはさ)で人心(じんしん)恟々(きようきよう)として、223上(うへ)を下(した)への大混雑(だいこんざつ)で厶(ござ)います』
224シャ『此(この)方(かた)は女(をんな)のやうな綺麗(きれい)な、225気品(きひん)の高(たか)い御人(ごじん)だが、226ヤハリ、227タラハン市(し)の御(お)生(うま)れですかな』
228アリ『ハイ、229私(わたくし)の主人(しゆじん)で厶(ござ)います』
230シャ『お名(な)は何(なん)と云(い)ふかな』
231アリ『ヘーエ、232此(この)方(かた)はアリナさまと申(まをし)ます。233そして私(わたし)の名(な)はバイタと申(まをし)ます』
234シャ『ハハア、235アリナさまにバイタさま。236何(なん)と良(い)い名(な)ですこと、237時(とき)にカラピン王(わう)様(さま)は壮健(さうけん)にしてゐられますか』
238アリ『貴方(あなた)はこんな山奥(やまおく)に居(を)つて、239カラピン王(わう)様(さま)の事(こと)を御存(ごぞん)じで厶(ござ)いますか』
240シャ『何(なに)程(ほど)山奥(やまおく)と云(い)つても、241此所(ここ)はヤツパリ、242カラピン王(わう)様(さま)の御(ご)領分(りやうぶん)だ。243其(その)領分(りやうぶん)に住(す)んでゐる人間(にんげん)として、244王(わう)様(さま)の御(おん)名(な)を知(し)らいでなるものか、245ハヽヽヽ』
246アリ『何(なん)と、247王(わう)の威勢(ゐせい)といふものは偉(えら)いもので厶(ござ)いますな。248こんな所(ところ)迄(まで)御(ご)威勢(ゐせい)が届(とど)いてゐるとは夢(ゆめ)にも存(ぞん)じませなんだ。249今晩(こんばん)此処(ここ)で御(ご)厄介(やくかい)になるのも、250カラピン王(わう)様(さま)の御(ご)余光(よくわう)に浴(よく)したやうなもので厶(ござ)いますな』
251シャ『さうです共(とも)、252「普天(ふてん)の下(もと)率土(そつど)の浜(ひん)、253皆(みな)王身(わうしん)王土(わうど)にあらざるなし」と云(い)ふぢやありませぬか』
254アリ『王(わう)様(さま)の御(ご)布令(ふれい)が、255かやうな山奥(やまおく)まで、256とどいてゐるので御座(ござ)いますか』
257シャ『ナアニ、258王(わう)様(さま)の御(ご)布令(ふれい)が届(とど)かなくつても、259王(わう)様(さま)ある事(こと)を心(こころ)にとめて居(を)りさへすればそれで天下(てんか)は太平(たいへい)だ。260斯様(かやう)な猛獣(まうじう)の吠(ほえ)猛(たけ)る山奥(やまおく)に淋(さび)しい生活(せいくわつ)をして居(を)つても、261心強(こころづよ)う其(その)日(ひ)を送(おく)つて行(ゆ)くのは、262タラハン城(じやう)に王(わう)様(さま)がゐられるといふ事(こと)を力(ちから)にしてゐるから住(す)んで行(ゆ)けるのですよ。263時(とき)に左守(さもり)のガンヂー殿(どの)や、264右守(うもり)のサクレンス殿(どの)は達者(たつしや)にして居(ゐ)られますか』
265アリ『能(よ)くマア詳(くは)しい事(こと)を御(ご)承知(しようち)で厶(ござ)いますな。266私(わたし)は実(じつ)の所(ところ)、267左守(さもり)の悴(せがれ)で厶(ござ)います』
268 シャカンナは打(うち)驚(おどろ)いた様(やう)な面(かほ)して、269声(こゑ)を震(ふる)はせ乍(なが)ら、
270シャ『ナアニ、271お前(まへ)があの左守(さもり)の悴(せがれ)であつたか。272フーム、273心(こころ)汚(きたな)き左守(さもり)にも似(に)ず、274お前(まへ)の容貌(ようばう)といひ、275声(こゑ)の色(いろ)といひ、276実(じつ)に見上(みあ)げたものだ。277丁度(ちやうど)鳶(とび)が鷹(たか)を生(う)んだやうなものだなア。278そしてお前(まへ)の御(ご)主人(しゆじん)と云(い)つた以上(いじやう)は、279此(この)御(お)方(かた)はカラピン王(わう)の太子(たいし)様(さま)におはさぬか。280どこ共(とも)なしに気品(きひん)の高(たか)い、281お姿(すがた)だから……』
282アリ『イヤ、283もう斯(か)うなれば、284何(なに)もかも申(まをし)上(あ)げます。285お察(さつ)しの通(とほ)りで厶(ござ)います。286そして貴方(あなた)は何方(どなた)で厶(ござ)いますか』
287シャ『十(じふ)年(ねん)以前(いぜん)には、288カラピン王(わう)様(さま)の左守(さもり)と仕(つか)へてゐた、289私(わたし)はシャカンナだ。290王妃(わうひ)の君(きみ)が悪霊(あくれい)に誑惑(けうわく)され、291日々(ひび)残虐(ざんぎやく)な行為(かうゐ)を遊(あそ)ばされ、292国民(こくみん)の怨府(ゑんぷ)となり、293已(すで)にクーデター迄(まで)起(おこ)らむとした。294其(その)危機(きき)を救(すく)はむ為(ため)に、295女房(にようばう)と共(とも)に、296死(し)を冒(をか)して直諫(ちよくかん)し奉(たてまつ)つた所(ところ)、297カラピン王(わう)様(さま)は大変(たいへん)に御(ご)立腹(りつぷく)遊(あそ)ばし、298大刀(だいたう)を引(ひき)抜(ぬ)いて、299此(この)左守(さもり)を切(き)りすてむと遊(あそ)ばした刹那(せつな)、300吾(わが)女房(にようばう)が身代(みがは)りとなつて、301其(その)場(ば)に命(いのち)をおとし、302私(わたし)は城(しろ)の裏門(うらもん)より逃(にげ)出(だ)し、303やうやう六(ろく)才(さい)になつた娘(むすめ)を背(せ)に負(お)うて、304此(この)山(やま)に逃(にげ)込(こ)んで、305時(とき)の至(いた)るを待(ま)つてゐたのだ。306お前(まへ)の側(そば)で、307こんなことは言(い)ひたくないが、308お前(まへ)の父(ちち)のガンヂーは右守(うもり)となつて仕(つか)へてゐたが、309残虐(ざんぎやく)非道(ひだう)の行為(かうゐ)を遊(あそ)ばす王妃(わうひ)様(さま)をおだて上(あ)げ、310益々(ますます)国難(こくなん)を招(まね)き、311殆(ほと)んど収拾(しうしふ)す可(べか)らざる、312国家(こくか)は破目(はめ)に陥(おちい)つたのだ。313今(いま)は私(わたし)の後(あと)を襲(おそ)ふて左守(さもり)の司(かみ)となり、314国民(こくみん)に道(みち)を布(し)いて、315大変(たいへん)な人気(にんき)ださうだ。316それを聞(き)いて自分(じぶん)も、317少(すこ)し許(ばか)り国家(こくか)の為(ため)に安心(あんしん)はしてゐるが、318何(なん)とかしてガンヂーを戒(いまし)め、319モウ一層(いつそう)、320善(い)い人間(にんげん)になつて、321国政(こくせい)をとらせたいと、322それ許(ばか)りを念(ねん)じてゐるのだ』
323アリ『承(うけたま)はれば承(うけたま)はる程(ほど)、324恐(おそ)れ入(い)つた事(こと)許(ばか)り、325驚(おどろ)きに堪(た)へませぬ。326貴方(あなた)のお説(せつ)の通(とほり)、327私(わたし)の父(ちち)は余(あま)り心(こころ)の好(よ)い人(ひと)だとは存(ぞん)じませぬ。328併(しか)し乍(なが)ら大王(だいわう)様(さま)の御(ご)親任(しんにん)厚(あつ)きが為(ため)に、329漸(やうや)く沢山(たくさん)の役人(やくにん)共(ども)を統一(とういつ)し、330国家(こくか)も余(あま)り大(おほ)きな騒動(さうだう)もなく、331細々(ほそぼそ)と治(おさ)まつて居(を)ります。332併(しか)し乍(なが)ら何時(いつ)事変(じへん)が突発(とつぱつ)するか分(わか)らないと云(い)つて、333若君(わかぎみ)様(さま)と私(わたし)とが始終(しじう)歎(なげ)いてゐるので厶(ござ)います』
334シャ『若君(わかぎみ)様(さま)、335ムサ苦(くる)しい所(ところ)で厶(ござ)いますけれど、336どうかおくつろぎ下(くだ)さいませ。337誠(まこと)に失礼(しつれい)を致(いた)しました』
338太(たい)『イヤ余(よ)は結構(けつこう)だ。339どうぞ心配(しんぱい)をしてくれな』
340シャ『ハイ、341有難(ありがた)う厶(ござ)います。342時(とき)にアリナさま、343お前(まへ)は親(おや)にも似(に)ず、344誠忠(せいちう)無比(むひ)の青年(せいねん)だ。345どうか、346私(わたし)は此(この)様(やう)に世捨人(よすてびと)になり、347最早(もはや)国政(こくせい)に参与(さんよ)することは出来(でき)ないから、348お前(まへ)は若君(わかぎみ)様(さま)を助(たす)けて、349立派(りつぱ)な政治(せいぢ)をやつて下(くだ)さい』
350アリ『いろいろと御(ご)親切(しんせつ)なお言葉(ことば)、351さぞ私(わたし)の父(ちち)は貴方(あなた)に御(ご)迷惑(めいわく)をかけたで厶(ござ)いませうが、352其(その)お怒(いか)りもなく、353私(わたし)に対(たい)し斯様(かやう)な親切(しんせつ)な言葉(ことば)をおかけ下(くだ)さいまする、354公平(こうへい)無私(むし)な貴方(あなた)の赤心(まごころ)、355実(じつ)に感謝(かんしや)に堪(た)へませぬ』
356シャ『夜(よる)も余程(よほど)更(ふ)けた様(やう)でもあり、357若君(わかぎみ)様(さま)もお疲(つか)れだらうから、358今晩(こんばん)はゆつくり泊(とま)つて頂(いただ)いて、359明日(あす)ゆるゆるとお話(はなし)を聞(き)かして頂(いただ)きませう。360サア、361若君(わかぎみ)様(さま)、362お寝(やす)み下(くだ)さいませ』
363太(たい)『あゝお前(まへ)が忠臣(ちうしん)の誉(ほまれ)を今(いま)に残(のこ)してゐる左守(さもり)のシャカンナであつたか。364天(てん)は未(いま)だタラハン国(ごく)を捨(す)てさせ玉(たま)はぬとみえる。365どうぢや。366お前(まへ)、367モウ一度(いちど)思(おも)ひ直(なほ)して、368今(いま)や亡(ほろ)びむとするタラハン国(ごく)を救(すく)うてくれる気(き)はないか』
369シャ『御(ご)勿体(もつたい)ない、370太子(たいし)の君(きみ)のお言葉(ことば)。371かやうな老骨(らうこつ)、372最早(もはや)お間(ま)には合(あ)ひませぬ。373それよりも此(この)アリナを重(おも)く用(もち)ひ遊(あそ)ばして、374王家(わうけ)の基礎(きそ)を固(かた)め、375国家(こくか)を泰山(たいざん)の安(やす)きにおいて下(くだ)さいませ。376それが、377せめてもの私(わたくし)の老後(らうご)の頼(たの)みで厶(ござ)います』
378太(たい)『あゝ兎(と)も角(かく)、379余(あま)りくたぶれたから寝(やす)まして貰(もら)はう。380シャカンナ381許(ゆる)せよ』
382と云(い)ひ乍(なが)ら、383ゴロリと横(よこ)になり、384早(はや)くも雷(らい)の如(ごと)き鼾(いびき)をかいてゐる。385コルトンは此(この)話(はなし)を聞(き)いて吃驚(びつくり)し、386床(ゆか)の下(した)にもぐり込(こ)んで蜘蛛(くも)の巣(す)だらけになつて、387一眠(ひとねむ)りも得(え)せず夜(よ)をあかして了(しま)つた。388十個(じつこ)の鼻口(はなくち)より出入(しゆつにふ)する空気(くうき)の音(おと)は389恰(あたか)も鍛冶師(かぢし)の鞴(ふいご)の様(やう)に聞(きこ)えてゐた。390春(はる)の夜(よ)は容赦(ようしや)もなく更(ふ)けてゆく。391大空(おほぞら)の月(つき)は満面(まんめん)に笑(ゑみ)を湛(たた)へて、392此(この)不思議(ふしぎ)なる主従(しゆじゆう)の数奇(すうき)極(きは)まる邂逅(かいごう)を清(きよ)く照(てら)してゐる。
393(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 松村真澄録)
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