さて聖師様にミロクの御用についての一切のことを神授されましたのは、ご承知の通り明治三十一年二月高熊山における一週間のご修業と、さらに下山後居宅における一週間のご修業とによるのであります。高熊山のご修業については霊界物語第一巻に詳述してありますから省略して、後者について大略をお話し致します。
一週間も飲まず食わずで下山なさったのであるから、先ず充分飲食して就眠されたのでありますが、間もなく下山後三日目霊的関係(床縛り)の下に体動及び言語が不可能となり、他覚的には病気とも何とも判らぬ状態の下に再び修業させられたのであります。最先きに医診を受けられましたが、無論判るはずのものでなく、加持祈祷禁厭も何の効もないので、ヤガテ親戚隣人の一部より憑霊のためと見なされ、種々と手を換え乱暴な処置を受けられかけたのでありますが、いよいよ実施の間際になると、いつもお祖母さんと母君との懇請により中止されたのであります。聖師様の意識は当初より極めて明晰であって、これらの騒ぎは何もかもお判りになっていたのであります。そして一週間の後には忽然として常態に復されたのであります。(舎身活躍子の巻三十七巻、第六章、手料理 参照)
この出来事は、高熊山における神界幽界のご修業に対して、現界的のご修業であり、型であったのでありまして、聖師様は「自分に関する現界の出来事については決して心配は要らぬ。いかなる危険も困難も一厘のところで良くなるのは既往に徴してみても明瞭である」とのお言葉であります。(聖師様入道以後十年ばかりの間における暗打ち、毒害等のご危難、大本事件、近くは蒙古におけるご遭難等大小幾多の出来事は最も著しきものであります)
かくして神幽現に亘り過現未を通じての種々なる見聞と体験とは、ここにミロク神業奉仕の要綱一切を修得されたのであります。