二十八歳の頃
夏陽てる庭に麦こなす真昼間を三人づれの男訪ひ来る
三人は岩田弥太郎入江幸太郎射場久助印地の百姓
三人の来意を問へば弥太郎の妻の狂ひを頼むとのこと
養蚕をすれば蚕の虫を喰ひ一日に飯を三升食うといふ
狸奴がついてゐるのに違ひなしおとしてくれよと合掌をする
麦こなし母と弟にまかせおきて印地の岩田氏方に出でゆく
岩田氏は道みち妻の狂態を眉をひそめて語らひにけり
入江射場両氏も言葉の尻につき狸の仕業と語るをかしさ
修行者の石田こすゑも諸共に審神者の修行と同行なせり
五月田の風にそよげる田圃路を辿りて小林の里に着きたり
小林の井筒屋旅館に休憩し一行五人茶を飲みかたらふ
岩田氏の妻のおふじを調ぶべく種種霊的の打合せせり
千代川の小林小川高野林千原川関越えて八木に入る
川関と八木のさかひの寅天の井堰のかたへの茶屋に休らふ
この茶店教祖の三女福島久子嫁入りしたる家にてありけり
狸の憑依
八木町の大橋渡り印地の里にやうやくつけば午後三時なり
岩田家の狭き家居の内外に参拝する人充ち満ちてをり
わが一行門をくぐれば妻のふじ子上田さんはと主人にとひをり
上田さんは残念ながら留守だつたそれ故ぜひなく帰りたといふ
岩田ふじはわれを指さしあの人は巡査でないかと夫に問ひをり
参詣者次第しだいに詰めかけて身うごきならぬ人の波打つ
岩田ふじは祭壇の前に合掌し天津祝詞の奏上をなす
ふじの声次第しだいにかすれつつ狸のごとき目をむき出せり
つぶらなる目をむき出だし歯ぎりかみ祭壇を背に向きなほる凄さよ
岩田ふじ相好次第にかはりゆきて全然狸の容貌となる
上田様御苦労ですとこの狸両手をついてあいさつをなす
弥太郎について穴太へ行きました皆の話は聞いたと笑ふ
その方は何者なるかとつめ問へば伏見の白城明神と宣る
白城明神は伏見稲荷の白狐なりうそを云ふなときめつけて見し
神かけてうそは申さぬ私を認めて欲しいと泣きつつ頼む
その方は妙見山の新滝の四郎衛門狸と急所をつきたり
白城明神ならぬ狸の四郎衛門真を宣れと吾きめつける
頑強な狸もさすがに我を折りて仰せの通りとうつむきて泣く
妙霊教会一時は守護したりしが今は神座をはねられしといふ
千人の人の生命を助けたるわれに神座を賜へとたのむ
数百の参拝人はこのさまを目前に見ておどろきあへり
その日より岩田のふじは狂乱もぴたりと止みて神に仕へし
四郎衛門狸がやまひを治すとて朝夕おちこち人のあつまる
穴太より狸の親方とんできてふじ子を許したと噂ひろがる
二人の攻撃
この噂次第しだいに広まりて治郎松由松の耳に入りたり
治郎松はこれ幸ひとわが家に来たりて吾をねめつけてをり
飯綱ばかり使うと思へば狸まで貴様は使うか狸野郎奴
こら喜楽もう正体が現はれた早くこの家を出てうせと呶鳴る
応挙の生れたこの家を飯綱使ひ狸の貴様がけがしたと歎く
正体があらはれし上は狸など祀らさぬとて祭壇を毀つ
由松もまた治郎松と気を合せともに祭壇こぼちて笑ふ
神界のことさまざまに説きつれど馬耳東風の二人はあばれる
神界の道理を説いてもなだめても耳にもかけぬ二人の気狂ひ
祭壇をまた毀たれて黙然とわれうつむきつ落涙をなす
三組紛争
園部より三ツ屋喜衛門帰りきてこの有様にあきれてゐたり
こりや三ツ屋俺の兄貴をだましたと目を睜らして飛びかかりたり
飛びかかりさまに三ツ屋の禿頭ぴしやりとなぐり顔をひきかく
かかれたる三ツ屋の顔は血ばしりて二筋残るみみずばれのあと
こんな目にあはした由松を警察へ訴へてやると三ツ屋は怒る
腰間の矢立取り出し三ツ屋親爺告訴状をばしたためてをり
告訴状見るより由松治郎松は雲をかすみと逃げ去りにけり
喜衛門は残念至極と云ひながら涙ふきつつ狼泣きする
下司熊にだまされ金は吸ひ取られまたここへ来て虐待と泣く
由松に臭い飯をば食はさねば腹が癒えぬと執念深き三ツ屋
二心出した報いとわれいへば済まなかつたと掌を合し詑ぶる
下司熊に加担なしたる神罰でこんな憂目と爺の述懐
これからは私は駿河へ立ち帰りつぶさに言上すると息巻く
このさまを駿河へ報告されてはとわれは三ツ屋をなだめすかしつ
いきせきとこの場に下司熊追ひ来りやにはに三ツ屋の頭をなぐる
どぶ狸糞食狐といひながら下司熊は三ツ屋をなぐりつづける
この親爺相場に勝たすと云ひながら損をさしたと下司は目をつる
虎の子を相場にとられてしまつたのも狸親爺のわざよと怒る
乳牛が虎になつたかおもしろいと笑へば下司熊にが笑ひする
狸親爺社会のために警察へ訴へ出るといきまく下司熊
訴へるなら訴へよと喜衛門が頭かかへつ泣き声にいふ
訴へるといつたら美事に訴へる後へはひかぬと威張る下司熊
この様子うかがひゐたる由松が治郎松ともなひ現はれ来たる
下げゝゝゝ司しゝくゝ熊うゝ牛をどゝゝしたけゝゝ警察と由松がどもる
下司熊は三ツ屋を告訴するといひ由松下司を告訴するといふ
三人が手を震はせて思ひおもひ告訴状かく状のをかしも
告訴状われに見せよと三人にいへば各めいわれに渡せり
三人の告訴状をばひとまとめばりばり破りてわれ鼻をかむ
三人の脅喝的の告訴状破りてはなかみしときの気持よさ
三人は怒りもならずこら喜楽馬鹿にするなと罵るのみなり
同じ神の道にあるもの和睦せよといへば下司熊酒買へといふ
仲裁の酒宴
治郎松とわれを合せて五人連天田の料亭に仲直りにゆく
天田屋の料亭の二階に陣取りていよいよ和睦の宴を開きぬ
芸妓二人しらして和睦の宴席の中円満にとりもたせけり
酒の酔まはるにつれて下司熊はそろそろ三ツ屋を罵りかけたり
喜衛門は薬鑵頭に湯気たてて盃下司の額に投げつく
由松は下司熊を打ち治郎松は三ツ屋の頭かきむしりたり
折角の和睦の酒宴もたちまちに修羅の巷となり変りたり
下司熊は徳利を投げる喜衛門は膳投げつけるがちやがちやの騒ぎ
由松と治郎松二人は酔ひしれてあばれる芸者はきんきり声出す
乱痴気の騒ぎに芸者の三味線の棹をぽくりと二つに踏み折る
三味線の賠償をせよ道具代出せよと亭主厳談に来る
賠償は私がしますとことわれば亭主すごすご階段を下る
下司熊と三ツ屋は四つに組みながら階下にどつところげ落ちたり
両人が咆哮怒号の声たかく料亭の前は人の山なり
漸くにやつと二人をひきわけてふたたび二階に登らしめたり
下司熊は右のひぢ打ち喜衛門は頭に凸凹こしらへてをり
喜楽奴がこんな所へ連れて来て怪我をさせたと無茶いふ下司熊
由松は大いに怒り自分から怪我しておいてと熊公をなぐる
下司熊は右腕を痛めて止むを得ずかたわの左手をかすかに振れり
治郎松は乱痴気騒ぎのすきを見て闇にまぎれて姿かくせり
治郎松のをらぬに由松心付きしかそと裏口ゆ逃げ帰りゆく
巡査出張
何者の訴へたるかサーベルの音がちやがちやと警官入り来る
下司熊と三ツ屋はひとまづ交番へわれも共ども従ひてゆく
両人に訊問すれども酔ひしれて呂律まはらず巡査を困らす
警官はわれより始終のいきさつを聞きて二人を放免なしたり
乱痴気のさわぎのあとの賠償をわれことごとく負はされ苦しむ
下司熊は園部へ帰り喜衛門は大阪おもてをさして出でゆく
由松と治郎松の反対執拗にわが神祀るさまたげのみなす
どこまでも神の大道に仕へむと日夜涙の洗礼受けたり
精神上の欠陥者には惟神まことの道を説くもせんなし
衣食住を人生唯一の宝ぞとする小人をさとす道なし
信仰の道したがへば不思議にも親兄弟が敵たひ来たる