霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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出雲詣で

インフォメーション
題名:出雲詣で 著者:出口王仁三郎
ページ:377
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-10-31 06:24:00 OBC :B120900c71
四王山(よつわうやま)新緑はえて萌えあがりふくれあがりつ夏はふかめり
何鹿(いかるが)()()はおほかた植ゑられて若き稲苗(いねなへ)風になびけり
山つつじあかあかもゆる夕暮を雲(ひく)うして時鳥(ほととぎす)()
時鳥(ほととぎす)八千八(はつせんや)(こゑ)()きはててまだ五月雨(さみだれ)()()まぬなり
瀬戸川(せとがは)のあやめの花はむらさきに夏を匂ひて雨しとどなり
長途の旅
御開祖ははるばる出雲に詣でんといとおごそかに神示()らせり
御神示にそむく(よし)なく痛む足をこらへしのびて出雲に(むか)
約百()山陰道を辿り行く其頃の旅を遠しと思へり
汽車もなく船の便(べん)なき出雲路(いづもぢ)に旅ゆく五月十五日の(あさ)
御開祖はじめ澄子(すみこ)平蔵(へいざう)慶太郎(けいたらう)すべて一行十五人なり
五月雨(さみだれ)のそぼ()野路(のぢ)をたどりつつ開祖にしたがひ福知(ふくち)(むか)
御開祖は御年(おんとし)六十六才の夏を長途(ちやうと)の旅にたたせり
福知山(ふくちやま)の料亭に長途(ちやうと)を休憩し信徒(まめひと)たちは(わか)れを惜しめり
立原の宿
()やみなく()五月雨(さみだれ)をものとせず立原(たつはら)の宿に(ゆふ)べを着きぬ「立原」とは現・福知山市立原(たつわら)のことだと思われる。
そぼぬれし蓑笠(みのかさ)ぬぎて足あらひ宿の夕餉(ゆふげ)を楽しみにけり
和田山(わだやま)()(さき)こえて(せき)(みや)日数(ひかず)かさねて岩井(いはゐ)につきたり
長旅の疲れに足をいためつつ神の守りに岩井(いはゐ)につきたり
温泉の幸
岩井温泉駒屋(こまや)一夜(いちや)を宿りつつわれ温泉にはじめてひたる
温泉に()りしことなき(われ)にして腰のいたみのなほりしに驚く
十数年(いた)みとほせしわが腰も一夜(いちや)温泉(いでゆ)に全治なしたり
四方(しかた)平蔵(へいざう)竹村(たけむら)野崎(のざき)松原(まつばら)ら湯かぶり(うた)(きよう)じゐたりき
われもまた湯かぶり唄をうたひつつ温泉(いでゆ)(よる)を興じたりけり
温泉(をんせん)のいさをしるけく今一夜(ひとよ)宿らんと思へどせんなく旅ゆく
千代川
一行の先にたちつつ御開祖は御足(おんあし)まめに進みたまへり
雨けぶる日本海(につぽんかい)(おも)みつつ(こころ)はるけし出雲路(いづもぢ)の旅
鳥取にやうやくつけば雨はれて海路(うなぢ)の無事を大社教(たいしやけう)に祈る
大社教(たいしやけう)分院教師に海上(かいじやう)の無事の祈祷をたのまひにけり
大社教(たいしやけう)鳥取分院たちいでて千代川(せんだいがは)泥舟(どろぶね)にのる
千代川(せんだいがは)濁水(だくすゐ)滔滔(たうたう)みなぎりて棚無(たななし)泥舟(どろぶね)あやふく渡る
加露ケ浜
千代川(せんだいがは)舟に(くだ)れば加露(かろ)(はま)波の()旅館に(ゆふ)べをつきたり
加露(かろ)(はま)ゆ舟をやとひて三保(みほ)(せき)に渡らんとすれば海()れにけり
風強く波狂ひつつ日本海(にほんかい)漁舟(いさりぶね)さへ()でずなりけり
宿ごとに烏賊(いか)(いわし)を食はされて野菜物(やさいもの)などほしくなりたり
野菜なき山陰道の旅枕(たびまくら)やや腹具合(はらぐあひ)()しくなりたり
日本海(にほんかい)沿岸視察の(めい)おびて伊東(いとう)海軍中将(きた)
わが宿(やど)に中将伊東(いとう)祐享(いうきやう)同宿(どうしゆく)なして親しく語らふ
大本の話を聞きて祐享(いうきやう)氏開祖の威厳にうたれたるらし
御開祖は諄諄(じゆんじゆん)として中将に神のしぐみをとき給ひけり
ともかくも御国(みくに)のために活動を願ふと云ひて中将いでゆく
福林(ふくばやし)竹村(たけむら)木下(きのした)烏賊(いか)にあたり吐きつ(くだ)しつもだへ苦しむ
竹村はわが座の前ににじりより手を(あは)せつつ泣きてたのめり
今までの無礼をおゆるし下されと泣きつつ竹村合掌してをり
吐き(くだ)()せおとろへし竹村はわが言霊(ことたま)恢復(くわいふく)なしたり
福林(ふくばやし)木下(きのした)二人は(やまひ)かるく二日目の朝ゆおき()でにけり
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