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第三章 皇位論

インフォメーション
題名:第三章 皇位論 著者:出口王仁三郎
ページ:406 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B121802c162
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正7年4月15日号(第60号) > 皇位論(一)
 「天国は近づけり悔い改めよ」と絶叫して、万民の為に十字架に登つて命と愛とを換えことしたイエス基督は、実に立派なエライ聖者で在ったに相違ない。崇敬すベき人格の高い神の子で在つたと讃美するも憂も無理ではない。併しながらキリストの絶叫してから、今に二千歳に成らむとするけれども、未だ一度も天国が地に降って来ない。近づいた天国が二千歳も地上に来らず、悔い改めの真意義に達した現象がない。悔い改めざるが故に天国が来ないの乎、天国が来ないから悔い改めないの乎、兎も角も、双方ともに実現する事が非常に困難であつて、基督教国に未だ天国が来らず、修羅の現象はいつの世にも同様に、吾人の眼に映じて居るのである。
 印度に出た釈迦如来は、三十二相八十種好の紫磨金色の仏であつて、其の荘厳端正なること比喩すぺきものがない。加之其の説法には大乗あり、俗諦あり、真諦あり、真に至れり尽せりの教義である。
 細を穿ち微に入り、一代の説教は無量無限であると謂うても好い。然るに釈迦の出たる印度は、疾くの古に滅亡して他の属国と成り、次で仏教国たりし所の東洋の諸国に、仏教の最高理想とする所の娑婆帰寂光の真意義が現われた事もなく、即身成仏の人として数うべき人が、古往今来幾人在ったであろう乎。
 地獄に陥るものは大地の砂の数よりも多く、仏になるものは爪上の土よりも稀であると云う。実に仏教は難信難解の宗門である。西方の阿弥陀仏からは今に一度も通信が無いので、幾人の浄土参りが出来たかは知る事が出来ぬけれども、大乗仏教の真意義は娑婆即寂光にあって現在安穏に在るを以て見れば、仏教国に未だ一度も極楽が築けた時が無いと云うても差閊あるまい。
 仏教の理想は三千年を通じて、未だ一度も実現した事がない。或はある一部の人々、少数の人々をして開悟せしめたという利益は、永い間には在ったかも知れない。或は多少世上の風紀上・道義上に利益した点が無いでもなかろう。然しそれは大乗仏教の究極の目的ではない。少数とか一部とかいうようなことをいうのは小乗教の事である。大乗教は十界同時の成仏であって、天国極楽を斯土に求めるのが本義である。然るに仏教のこの本義は、三千載を通じて一度も世上に実現したことがない。キリスト教は二千載を通じて其教義が未だ地上に現出せず、仏教は三千載を通じて其理想が未だ地上に毫も陰影を止めないのである。
 二千載三千載ばかりは、宗教家の眼から見れば実に一瞬間と見えるかも知れない。併し随分二千載三千載は人間から見ては短かい時間ではない。然も其間に無心なる献身的な伝道者が沢山出た事で、この二、三千載の間に於ける仏耶の発展に、或る意味から謂えば随分広くも深くも伝わったと云うて好いであろうと思うのである。幾多の伝道者が犠牲と成つて熱心に弘通したのは確かである。然も仏教も基督教も、未だ毫も素志を達する事が出来て居ない。如斯な有様で、果していつの世にか其素志が達せられようかと、吾人は疑っても見たくなる。二千載三千載の永い過去の経歴を以て、未来を推考した時に、宗教を職業として居る特殊なる人々の考は別として、永く冷静に考えて見た時に、過去を以て未来の予想が大概は着くではないか。五百歳等の語が出てからも、最早六百載の余になるではないか。
 仏教やキリスト教を以て、誠に役に立たぬ教とは云わぬ。まだ夫れまでの断言はせないが、過去を以て将来を推考して見ると、本当の基督教、本当の仏教が採るべき手段、採るぺき途に於て、欠陥がありはせぬかと言うて見たくなる。吾人は、キリスト教や仏教が従来のままの方法や手段や途を辿るのでは、永遠に彼等の目的は達せられないものと断言する。仏教は大乗と云う意味が解って居ないのではあるまいか。キリスト教は天国の真意義が本当に解って居ないのではあるまいか。真実の天国が判れば直ちに分らねば成らぬ事柄が必ずあるに、未だキリスト教にては夫れに気が附いて居ないようである。『馬太伝』の祈祷の詞を熟読して見よ、何と書いてあるのか。『馬太伝』の祈祷の詞が分らなければ、キリスト教は分らないのである。この『馬太伝』の祈祷の詞は外国人には到底分らぬのだ。日本人でなくては分らないのだ。如何にも偏頗な事をいうようであるが、其の通りである。天国の国体及び天国の政体が、この祈祷の中に説いて在るのだが、その天国の国体も政体も外国人には全然分らないのである。その天国が近づくと謂ったのみでは一向に分らないではないか。
 天国とは何ぞ。其国体は如何。其政体は如何。これが充分に分らねば、キリスト教は有名無実のキリスト教である。いかに絶叫したとて天国が来て(たま)るものか。永遠に天国が来る筈がない。天国を知らずしては悔い改め方もないようなものだ。天国の人と成るがために悔い改めを為すのではないか。悔い改めと、天国とは、隔離して居る筈がない。然るにキリスト教は、天国と悔い改めとが隔離して居る。更にその天国が本当の天国ではない。『馬太伝』の祈禧にある天国でない。現今の如き天国を説くに於ては、キリスト教は永遠に駄目で以て果るのである。これが(かれ)の運命であるのだ。宜なる哉、二千載の熱烈なる運動も全く画餅の如きものであるでは無いか。これがキリスト教の根本誤解からくる結果である。議論が必らずある事であろうが、希くは承りたいものである。
 仏教に於ても、キリスト教と同様の誤解がある。仏教は理論だと思って居る(やから)には論じた所で分らない。尠くとも仏教の要は、立正安国に在りという程の人々ならでは吾人の説は分るまい。馬鹿げた論をするよりも信徒でも殖して、美衣美食に耽るの考えを廻らし玉え。西方に極楽があるなら在るでよい。
 仏教は高尚なものだ。信仰が根本だ。仮令八万の法蔵を知るとも、後世を知らざるものを愚者とすなど謂って、信仰の無いものは相手にせぬなど、高く構えるが良かろう。国賊等や亡国病者には、此方から接近を御免蒙るのである。一切衆生と共に艱苦を伴にし、安楽を共にせないような宗教家は、小乗時代の採るに足らぬ手合である。極楽へ往つて何とするか。自分の親も兄弟も地獄で吟呻して居ても、自分は蓮華台上で栄華を極めようとするのか。斯様な教義が世の秩序を害い、人を地獄や餓鬼畜生に陥し入れた罪は夥しいものである。仏教の要は前にもいうごとく、現世安穏、後世善処であるのだ。現世安穏は治国安民である。政治を無視した宗教が何の役に立つものか。極楽国土の国体や如何。政体や如何。極楽国土の国体も政体も知らずに、何をウロウロ神聖なる大日本国で囁言て居るのだ。宗教は全く亡国の因である。
 宜なる哉、仏教国は悉く亡国に瀕して居るのである。最早亡国を実現して居る所も眼前にあるのである。教祖の国が既に然りで在る。可恐々々。幸にも日本国は仏教に司配されずして、却て仏教を司配して来たから、現今の有様で維持したけれども、仏者に油断したら、今に教祖の国同様の運命に至る事は明白である。仏教家に根本的誤解があるとは茲である。極楽の国体や政体が分らないで、何を説く考であろう。阿弥陀経や法華経の読める僧侶が日本に幾人あるだろう。僧侶は毎日アミダ経も法華経も誦んで居るけれども、論語読の論語知らず以上に可憐な輩のみで、一度も仏教と日本の御皇位との関係が、経文に明記してあることに気が附かぬであろう。好しや多少気が附いて研究して居る僧侶でも、曲解されずして、天国も極楽も来るものでない事に気がつかなければ、仏教もキリスト教も廃絶は眼前である。
 二千載や三千載の長い過去が充分に証明して居るのである。寧ろ廃絶するのが当然であろうと思われる。
 大日本の皇道は毅然として、彼等の千辛万苦を一朝に成就し給う大偉力がましますことを傍観せよ。
 宗教家が大誤解を懐いて居る間は、夜が明けないのだ。草薙神剣(艮金神)の威力が当然加えらるべき約束かも知れない。仏耶の徒は議論が好きだ。必ず余輩の言を此のままに聞き捨にはすまいが、併しいかにアガイても駄目である。科戸の風や吹く時の用意せよ。世を改造すべきの用意せよ。
(大正七、四、一五、神霊界誌)
   
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