霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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筆のすさび

インフォメーション
題名:筆のすさび 著者:出口王仁三郎
ページ:438
概要: 備考:2023/09/28校正 タグ:蒟蒻(菎蒻) データ凡例: データ最終更新日:2023-09-28 14:34:51 OBC :B121805c220
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『神の国』大正15年11月号
 蒙古に捕はれ銃殺を宣告されたる当夜ほど心落ち付きたる日は無かりし。その()は初めて蒙古旅行に於ける熟睡の味はひを知り得たり。嗚呼(ああ)人間は最後にはならねば(しん)の安心は得ざるものか。
  (もも)余り八十(やそ)日数(ひかず)蒙古地(もうこち)に落ち付き得たり(けい)されむとして
  渺邈(べうばく)と限りも知らぬ蒙古野(もうこの)に果てむとする()神に在りけり
  千万(ちよろづ)希望(のぞみ)を胸に畳みつつ天津神国(みくに)に行くを楽しみしよ
  親も()も妻も忘れて(ただ)神と大君(おほぎみ)()に心()せけり
  (うつ)し世の執着心も死の神の前には風の如く散りぬる
 辛苦の極みを(つく)して悪事のみを続行する人ほど憐れむべきは無し。()れど善言美辞を連ね、善行を売物(うりもの)として安気(あんき)に生活する人ほど憎むべく(また)憐れむべきものはなし。
  ひたすらに罪となるべき醜業(しこわざ)(こころ)苦しむ人(あは)れなりけり
  善人の仮面被りて世に()くる人ほど憎く憐れなるは無し
  よしやよし善言善行(ぜんかう)装ふとも誠なき(ほど)苦しきは無からむ
 世の中の凡ての(わざはひ)なるものは決して偶然に起り(きた)るものでなし。(きた)るべきに(きた)り、去るべきに去る。(これ)当然の正しい理性に由るものである。そこに現代の禍根が伏在してゐるのだ。
  世の中の凡ての禍福(くわふく)吉凶事(きつきようじ)(おこ)るべき(よし)ありて(おこ)れる
  (わざはひ)の多き世なりと()恨みそ防げば防ぐ道も(さは)なる
 現代人は文学書を読むに(あた)りても、一般的に(ぜん)の字よりも悪の字に、より深い興味と親しみを感ずると云ふ不祥の世の中だ。アア教育の罪か、社会の罪か、(われ)には判断付き難し。
  善言(ぜんげん)や美辞を(うと)んじ悪の声()きて歓こぶ歎かしき世かな
  さかさまの世なりと開祖(みおや)()たまひき悪しきを(ゑら)ぐ人(おほ)くして
 良人(をつと)としては温順柔和の人を妻は愛するやうなれども、愛人としては(むし)ろ粗野なる人が慕はれるやうである。
  良人(をつと)たる人は温和の最上も愛人としては粗野を好く女かも
  何事も妻の(ことば)()るる人は良人(をつと)に持ちて心よきかな
  物事に頓着のなき野人(やじん)こそ(むし)ろ女の愛する人なる
 至誠至善として世間より尊敬されて居る人よりも、大悪人として時人(じじん)に疎外されて居る人に(かへつ)て深い人間性が味ははれるものだと思ふ。
  善き人よ賢き人と敬はる人にもまして味ある悪人
  逆様(さかさま)(この)世になりせば悪人は(かへつ)善者(ぜんしや)と誤まるるなり
  悪人と世に(うと)まるる人の中に心(うる)はし人の潜める
 女人(によにん)は最初から逃げる目的を以て逃げるもので無い。最後には必ず(とら)へられむことを期待しつつ逃げて見るのである。
  家出せし女房の腹はいやはてに捕へられむと望みつつ逃ぐる
  ある家の(しうとめ)吾に尋ねきて逃げて見たいが如何(いかが)とぞ問ふ
  逃ぐるとも追ひかけくるるもの無くば如何(いかが)せむやと問ふぞ可笑しき
 桔梗(ききやう)苅萱(かるかや)女郎花(をみなへし)(すすき)(つた)(はぎ)藤袴(ふぢはかま)など秋を(いろど)る七草は今を盛りと四方(よも)の山に野にしとやかに寂しみのある、俗塵(ぞくじん)を離れたやうな姿を涼風に(さら)して居る(かう)季節となつた。この七草に(つい)ては古来丹波には面白い伝説が残つて居る。昔の神代(かみよ)の頃音無瀬川(おとなせがは)和知川(わちがは)の下流)の傍に音無瀬姫と呼ぶ女神が住んでゐた。そして男神(をがみ)(からす)(だけ)の神と二人で、そこらあたりの美しい自然の中に心ゆくままに清らかな空気を呼吸してゐました。ある秋の(しづか)なる日、女男(めを)二神は長田野(をさだの)と云へる広い広い清い美しい原野で遊んでゐた時、男神(をがみ)はその美しさに心の底から歓喜し、七色の虹を採つて絵具(ゑのぐ)として神南山(かむなみやま)と云ふ小さい岡を色(うる)はしく彩色(さいしき)し給うた。さうすると神南山は一面の紅葉(もみぢ)に成つてしまつたが、その時七色(なないろ)をとかした絵具皿(ゐのぐざら)を思はず女神は手から(おと)した。その絵具に染まつた草は秋の七草になつたと伝説はかう云ふ(ふう)に面白く色づけて居るのである。男神(をがみ)と女神の秋のたはむれ、その真偽はさておき、古人(こじん)の罪なき伝説には(ゆか)しい所がある(やう)だ。
  二柱(ふたはしら)神の染めたる秋の野はさながら神の姿なりけり
  音無瀬(おとなせ)の姫はいつしか名をかへていま佐保姫(さほひめ)となりにけるかな
  七色(なないろ)の錦を飾る神南(かむなみ)の山にもまして(しる)き丸山
 (われ)郷里の穴太(あなを)菎蒻屋(こんにやくや)と云ふ家号の付いた田舎屋がある。(われ)幼年の頃には(さかん)に菎蒻を製造し、(かたはら)豆腐を製して付近の村落に販売してゐた。その時の同家(どうけ)の看板を思ひ出し、余り面白ければ一寸(ちよつと)徒然(つれづれ)埋草(うめぐさ)に書いて見たいと思ふ。
  一しろとふ(白豆腐)  一あぎどふ(揚豆腐)
  一やけどふ(焼豆腐)  一こんぎやく(菎蒻)
  一じ(たま)あり(地卵(ぢたま)あり)
 右一々見てゆけば、一として仮名(かな)の間違つて居ないものは無いが、それでも大変に商売は繁昌して居た。世の中は実に面白いものだと思ふ。
 今一つ可笑(をか)しいのは汽車の踏切りの立札(たてふだ)である。大抵の(ふだ)には(きしやにちゆういすべし)と書いた事である。学者の多い鉄道省のことだから(きしやにちういすべし)と改めて欲しいものだ。
(大正十五年十一月号 神の国誌)
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