本年更生祝ひをした
此私が青年会の会長となりましたが、六十一になつてをつて青年会長としてたつ事はをかしい
様でありますけれども、神界から言へば──神界にはタイムも何もない、時間も空間も超越してゐるのであります。過去、現在、未来を一貫してゐるのであります。それで神の方から
見、霊的から見たならば、人間といふものには年といふものは一つもないものである。
只現界に
早う
生れたか
遅う
生れたか
丈のものである。
然し六十一のものが九十
迄生きるといふとまだ三十ある。本年十歳の子供が廿才で亡くなるといふと矢張り六十一才の親父の方が若い勘定になつて来る。それで今度は規則を改正しまして、十五歳以上は総て青年会へ
入る人は
入れるといふ事になつたのであります。
大本でも色々とこれ迄に
御筆先にも出て居ります通り、何となくこの世の中は
変転大動乱に近づきましたが、これを何かいいものが来る様に思つて待つて居た信者が沢山ある。それが
嘘やつたというて
止めたものも沢山あります。然しかう云ふ事が来る事は決して喜ばしい事ではない。
何処迄も天下太平に、この
儘神様は世の中をつぶさずに栄えさして行きたいといふのが神様の御精神でありますが、最早
今日は世界的に不景気にもなり、
随つて
人心が
荒んで
来、満蒙問題が
起り、
或は
内には色々と妙な思想が
浸潤し蔓延しまして、
何時どんな事が
起るか判らぬ様になつたのであります。この
際に吾々神様に仕へてゐる者は、神様の青年として
余程覚悟して置かねばならないのであります。
何十万、何百万の群衆があつても、個々別々の意見を有して争ふのであるならば、これは烏合の衆であつて、何も仕事が出来ないのでありますが、団結力を固めて神様の旗の
下に一つになつたならば、何十万の烏合の衆よりも、
僅か十人、
或は四五十人かたまつた──一つになつて動く所の団体の方が
何程効力があるか判らないのであります。
今日は非常の時であり、非常の時には非常の人物が
現はれて、非常の事をするといふ事は御筆先にも出て居りますが、私も『神霊界』にいつか書いた様に思うて居ります。
愈々瑞の
神歌に私が歌つておいた事が実現する時期になつたのでありまして、老年と云はず、青年と云はず、つまり神様からの
赤子──吾々は青年であります、
或は幼年かも知れない。この
赤子が一致団結してサアといふ時に国家の為に、
名実共に誠の道の為に働かねばならない時期がさし迫つたのであります。
それで今まで
宇智麿が会長としてやつて居りましたけれども、私の方から進んで『お前
止めて
副になれ、わしが会長になつてやる』というたのであつて、実は推戴されたのでも何でもない、自分の方から望んでなつたのであります。それに
就ては、普通の自分の覚悟ぢやない、考へぢやない、余程総てのものが切迫してゐるといふ事を感じたからであります。
然し
乍ら青年の
方は
何処迄も
落着いて、沈着に、静かに、静粛に、団結力を固めて、騒がない様にして貰はねばならぬ。今かう言うても直ぐになるか、
或は二年先になるか、三年先になるか、それは判らない。さう無茶苦茶に動かれるものではないのであります。一度動いたならば
屹度これを成功させねばならぬのであります。いい加減な事で世の中の物笑ひを残す様な事ではつまらぬ。それで吾々も慎重に時の到るを考へ、そして無茶苦茶に騒がない考へで居りますから、
兎に
角、
内実の
力──団結の力を青年会に
於て養つて置き、さあと云へば
何時でも
蹶起出来る覚悟をして居つて貰ひ
度い事を望んで居ります。
話はこの
位で
止めて置きます。これ以上色々な事を云ふと
却て誤解を受けたり、妨害されては困りますから……。私の精神なり、昭和青年会の働き及び目的といふものは判つたと思ひますから、この位で話は
止めておきます。
(昭和六・一一・三 於昭和青年会会旗奉戴式 同七年一月号 昭和誌)
○
昭和青年会、昭和
坤生会、大日本武道宣揚会の諸氏に厚く
御礼を申し上げます。
私も
愈々六十三才の
誕辰を迎へまして、満六十二才であります。国家は今日超非常時に直面して居ります。が、私の心にいつも残つてゐるのは神界の経綸が十年延びた、十二年延びたといふ事であります。
如何にも私の考へではすでに十二年も十五年も延びたのであります。然しせめてこれが五十才
位であるなれば大活動が出来るのに、惜しい事ぢやと始終思ふのであります。しかし不思議なことに私は十才の頃には非常に弱く、食事も人と同じ様にいかず、二十才の頃になつて少し固い
御飯が食べられる様になり、三十台になつて米の
飯を食べてやうやく腹にさはらぬ様になり、四十才で少し壮健になり、五十才で一通り整つた。そして六十才になつて、骨は固くなつたかも知れませんが、肉体として精神として
益々若くなつた
様な気がします。
又強健になつた様に感じまして、非常にこれは国家の前途についてのみならず、会員諸氏及び世間
大方のため結構な事ぢやと思つて居ります。国家は
益々多端でありまして今日は非常時と云ふけれども、それ以上超非常時に直面してゐるのであります。
多くの人の中にはもう停戦条約が出来て安心だといふ様な声を聞きます。しかし決してそんな浅薄なものではありません。世の中を
とことん乱さうとする
悪神に対抗すべく、何千年間誰にも知らさず誠の神は御経綸遊ばした、その御経綸の表に
現れる時機が
愈々迫つて来たのであります。
これは
自惚か知りませぬが、御筆先には神様の御経綸は私が
壮健な時でなければ出来ぬと云ふ事が書いてあります。私の年から考へても余り二十年も三十年もかかるものではないといふ事も
明かに悟らされるのであります。無論御経綸は十二三年も遅れたのでありますから、
是からは
一分の間もあつちを向いたりこつちを向いたりする間もない
程時機が切迫して来てゐるのであります。さうして
何時太平洋の
真中に
於て
英米西大国と日本が共同大演習を始めるかわからない状勢になつて居ります。
又日本の上空に
於て、防空
或は空中戦の大演習を、
英米西大国やある巨大なる国とやらなければならないかも知れない形勢が見えてゐるのであります。
外に
於て色々複雑な問題で危機を
孕んでゐると同時に、
内に
於ても
種々切迫を
来してゐるのであります。
でこの際は
益々結束を固くして、まさかに備へなければなりませぬ。
今日では
如何に多くの団体があつても、それに結束がなければ結局烏合の衆で
何等事の
間には合はないのであります。どうか皆様は一致団結して、国家のために
或は世界平和と幸福のため、
御神慮のあるところを御考へ下さいまして、
撓まず屈せず、この神様の
御目的を奉戴して猛進されむ事を希望します。
○
昭和青年会、昭和
坤生会、武道宣揚会は今の軍隊の組織でありまするが、これは平和の神軍であり愛善の神軍であります。人から恨まれる事もなければ
怖れられる事もない、ほんとの愛善の神の
使であります。これは国の内外を問はず、宗教の異同を問はず、総て
何処へ持つて行つても歓迎される神軍でありまするが、中には神の御意志がわからずして、
其ために
他の団体から色々の嫌疑を受けたり
或は怖れられたりするのは、神軍そのものがわかつて居らぬ証拠であります。
日本の国体を
掩護するには三種の神器があります。これは
畏くも万世一系の皇室におかせられまして御継承されるのであります。そして万民はこの御威徳によつて平安無事にその日その日を
暮させて頂くのであります。
大本の
教も
所謂璽鏡剣といつて神は
璽であり、
教は
鏡であり、昭和青年会、昭和坤生会、武道宣揚会は
剣であります。愛善の神軍でありますから武道を使ふ必要はないのでありますけれども、これはなければならないものであります。抜かずして世を治めるのが
武であります。
今度
或る一人の人から、武道宣揚会を馬鹿にしとるから行進の時などは先にやらして
呉れと言つて来ましたが、これは大体に神意に
悖つた言ひ分であります。
霊が
元で
剣が守る役になつてゐるのでありますから、先へやらして呉れとか
後へ行くのがどうだとか争ふのは本義を
弁へざることで、
真の武道精神ではないと思ひます。武道と云ふものは肩をそびやかしたり腕まくりするのではなく、大日本宣揚会の武道は肩を下げて地蔵さんの様な肩になつてゐて、
愈々の時になつて
退くことのないやう愛善の精神を
以てやつて貰ひ
度いのであります。無論
植芝会長はこんな
教をされる
筈はない。又
内輪同志の事であるから先にやらせとか、どうのとかいふ事はお互ひ譲り合つて貰ひたいと思ひます。
数からいつても、これは多い方が先であるし、
璽鏡剣の順序からいつてもさうであります。こんな事に誤解のないやう内部に
於て色々な小さい考へを
起さないやうに一つの
家内となつて、一つの手足となつて活動をして貰ひ
度いのであります。
世界の情勢は切迫してゐるのであります。一刻と
雖も国民は
晏如として居られないのであります。
恰度大蛇の背中の上に
蛙が乗つてゐる形で、自分を食ふ蛇とも知らないでゐるといふ状態であります。
此のところをよく御考へになつて昭和青年会、坤生会、武道宣揚会の
方々は今後に処する考へをもつて頂きたいのであります。
それから今日までは皆様と一緒になつて働いて居りましたが、今後は
或は
神業によつて単独で活動をせんならん事があるかも知れませぬ。そんな時でも決して心配せん
様に
予めお
含みを願ひます。
(昭和八・八・四 於鶴山山上生誕祭表賀式 同八・八・一七号 真如の光誌)