神理の蘊奥を極め、至善、至美、至真の皇道を宣揚し、天下万民をして、神皇の徳沢に浴せしめむが為に、千辛万苦して、皇道大本を天下に拡充するに到つたことは、決して人間の努力のみでない。又如何に知識が万人に卓絶して居つても、如何に忍耐力が強くても、如何に勇気があつても、今日の治教、皇道大本の勢力を造る事は、到底出来るものでないのだ。昔から聖人、君子、志士、仁人の出でて、治国安民のために心血を搾り、心志を労し、以て人生を指導補益したる神人は沢山にあつた様だ。然れど其の人の生前に於て、皇道大本の如く、天下の問題となり、天下に不可抜の大勢力を発揮し得たるは少いのだ。是全く時の力の然らしむる所である。王仁は以下順を逐うて、二十八歳、初めて道を宣伝するに立到つた一切の径路と、参綾後の波瀾縦横の生活を極めて簡単に、真面目に、一点の構造もなく、装飾もなく、誇張もなく、赤裸々に筆にしてみたいと思ふのだ。併し元来の浅学不文の悲しさは、事実の万分一をも描写することの出来ないのを遺憾とする次第である。
古人曰ふ。書は言を尽す能はず、言は意を尽す能はずと。況んや五十年以前の記憶からひき出すに於てをやだ。けれども、嬉しい事と悲しい事とは一生忘れられぬものなりと云ふ事がある。実に至言である。王仁もその嬉しかつた事と悲しかつた事実だけは、今猶歴然として記憶に存して居る。否存するのみならず、極めて悲しかりし事の在つた為に、自己の神魂が発動して終に天下の治教、皇道大本を開設するの動機を造らしめられたと謂つてもよいのだ。