[#初出は『神霊界』大正10年(1921年)2月1日号「故郷乃二十八年」だが、冒頭の「執筆の理由」と「序」は全集からは省かれている。]
王仁は祖先が源平であらうと、藤橘であらうと、将又その源を何の天皇に発して居ようと、詮議する必要はない。ただ王仁は日本人であつて、畏くも天照大御神様の御血統の御本流たる天津日嗣天皇様の臣民である事だけは、動かぬ事実だ。そして、王仁の生家は上田家である。丁髷の爺さんの話によると、昔から上田、松本、斎藤、小島、丸山の五ツの苗字をもつてゐる家柄を、御苗と謂つて、顔が良い家柄だと謂つて、蛙切りの土百姓の癖に、村内の田五作や杢平等が威張つたものだ。縁組一つするにも、御苗が何うの、帯刀御免のと八釜敷く御苗以外の家柄を、平と蔑視したものだと聞いた。上田家は御苗の所謂家柄であつて、貧乏して居つても、それだけは世間並に自慢したものであつた。丹波国、南桑田郡、曽我部村、大字穴太の宮垣内といふ所に、茅屋は破るるに任せ、檐廂は傾くに委し、壁は壊れて骨露はれ、床は朽ちて落ちむとする、悲惨なる生活に甘んじ、正直男と名を取つた、水呑百姓の上田吉松といふのが王仁の父である。