一、高天原の天界には、地上の世界と同様に住所や家屋があって、天人が生活していることは地上の世界における人間の生活と相似ているのである。
かくいう時は現界人は一つの空想として一笑に付し、かえりみないであろう。
それもあながち無理ではないと思う。一度も見たこともなく、また天人なるものは人間だと言うことを知らぬ故である。また天人の住所なるものは、地球現界人の見る天空だと思うから信じないのである。打ち見るところ天空なるものは冲虚なるが上に、その天人というものもまた一種の気体的形体に過ぎないものと思うからである。ゆえに地の世界の人間は、霊界の事物にもまた自然界同様であるという事を会得することができぬからである。
現実界即ち自然界の人間は、霊的の何ものたるかを知らないから疑うのである。
地上の現界を霊界の移写だということを自覚せないから、天人と言えば天の羽衣を着て、空中を自由自在に飛翔するものと思っているのは人間の不覚である。天人はこれらの人間を癲狂者と言って笑うのである。
一、天人の生活状態にも、おのおの不同があって、威厳の高きものの住所は崇高なものである。またそれに次ぐものはそれ相応の住所がある。ゆえに天人にも現界人の如く名位寿福の願いを持っていて進歩もあり向上もあるので、決して一定不変の境遇にいるものではない。
愛と信との善徳の進むに従ってますます荘厳の天国に到り、または立派なる地所や家屋に住み、立派なる光輝ある衣服を着し得るものである。いずれも霊的生活であるから、その徳に応じて主神より与えへらるるものである。
すべての疑惑を捨てて天国の生活を信じ死後の状態を会得する時は自然に崇高偉大なる事物を見るべく、大歓喜を摂受し得るものである。
一、天人の住宅は地上の世界の家屋と何らの変わりもない。ただその美しさがはるかに優っているのみである。その家屋には地上の家屋の如く奥の間もあり、寝室もあり、部屋もあり、門もあり、中庭もあり、築山もあり、花園もあり、樹木もあり、山林田畑もあり、泉水もあり、井戸もあって、住家櫛比し、都会の如くに列んでいる。また坦々たる大道もあり、細道もあり、四辻もあること地上の市街と同一である。
一、天界にもまた士農工商の区別あり。されど現界人の如く私利私欲に溺れず、ただその天職を歓喜して天国のために各自の能力を発揮して公共的に尽すのみである。
天国における士は決して軍人にあらず、誠の道即ち善と愛と信とを天人に対して教うる宣伝使のことである。地上において立派なる宣伝使となり、その本分を尽し得たる善徳者は、天国に住みても依然として宣伝使の職にあるものである。
人間はどこまでも意志や感情やまたは所主の事業を死後の世界まで継承するものである。
また天国、霊国にも、貧富高下の区別がある。
天国にて富めるものは地上の世界においてその富を善用し、神を信じ神を愛するために金銀財宝を活用したる者は、天国においては最も勝れたる富者であり、公共のため世人を救うために財を善用したるものは中位の富者となっている。
また現界においてその富を悪用し、私心私欲のために費し、または蓄積して飽くことを知らなかった者は、その富たちまち変じて臭穢となり、窮乏となり、暗雲となりて霊界の極貧者となり下がり、大抵は地獄に堕するものである。
また死後の世界において歓喜の生涯を営まむと思う者は、現世において神を理解し、神を愛し神を信じ、歓喜の生涯を生前より営みていなければならぬのである。
死後天国に上り地獄の苦を免れんとして、現世的事業を捨てて山林に隠遁して世事を避け、霊的生活を続けんとしたる者の天国に在るものは、やっぱり生前と同様に孤独不遇の生涯を送るものである。
ゆえに人は天国に安全なる生活を営まんと望まば、生前において各自の業を励み、最善の努力を尽さねば死後の安逸な生活は到底なし得ることはできないのである。士は士としての業務を正しく尽し、農工商共に正しき最善を尽して、神を理解し知悉しこれを愛しこれを信じ善徳を積みておかねばならぬ。
また宣伝使は宣伝使としての本分を尽せばそれで良いのである。世間心を起こして、農工商に従事する如きは宣伝使の聖職を冒涜し、一も取らず、二も取らず、死後中有界に彷徨する如き失態を招くものである。ゆえに神の宣伝使たるものはどこまでも神の道を舎身的に宣伝し、天下の万民を愛と信とに導き、天国、霊国の状態を知悉せしめ、理解せしめ、世人に歓喜の光明を与うることに努力せなくてはならぬのである。
天界に坐します主の神は仁愛の天使を世に降し、地上の民を教化せしむべく月の光を地上に投じ給うた。宣伝使たるものは、この月光を力として自己の霊魂と心性を研き、神を理解し知悉し、愛と信とを感受し、これを万民に伝うべきものである。
主一無適の信仰は、宣伝使たるものの第一要素であることを忘れてはならぬ。天界地上の区別なく神の道に仕うる身魂ほど歓喜を味わう幸福者はないのである。
アヽ惟神霊幸倍坐世。