「神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の司宰なり。神人感合して茲に無限の権力を発揮す」とは、吾曹のかつて唱導せるモツトーである。
深夜天地静まって後、おもむろに人生はいかなるものなるかを考うる時、燦然として胸中に輝くものは人生本来の光明である。人はこれ宇宙の断片、いな宇宙そのものであり、宇宙即人である。
吾曹は社会人類のため地上に平安と幸福とを来さんとして、つねに孜々として活動すれども、その本然の誠にたちかえってわが心性をかえりみるとき、かならずや自己愛的幻影をみとむることを悲しまざるをえないのである。しかしながら、宇宙に我あり、我に宇宙ありという心境に到達せるとき、我宇宙のために改善の神業をつくさんと思う。
自分が創造した大宇宙、わが本体たる宇宙または世界のために活動するは、その実、わが畠に生えたる雑草をひき抜き、わが植えつけたる苗の完全に発達せんことを希うのあまり、自己のかならずなすべき神業として全力をつくすにあるのみである。いずくんぞ社会のため、人類のため、他人のために真につくすの誠意あらんや。各人が神人合一の真理にめざめたるとき、各人は世界いつさいの事物にたいして我有となし、活動するにいたるのである。一木一草といえども、みな宇宙神霊の宿りたまわざるはない。みなこれ我の所現にして、千古不磨の真理である。ゆえに人は、天地経綸の司宰であり、天地の花であり、万物の霊長であり、神の生宮であるのだ。
天を背景として地を舞台となし、青雲の振り袖を神風にひるがえし、わが所有物たる宇宙啓発のために一大飛躍をこころむるもまた、人としての大快事である。ゆえに人間は、けっして他のために活動するほどの誠意もなければ、親切も余裕もない。ただただ大なる宇宙我有ある大欲望のためにのみ、活動をつづけるのみである。
大宇宙我有なりと思ふより千辛万苦も楽しかりけり
(「瑞祥新聞」大正14年8月11日)