歌詠み人には悪人がない。歌を詠まぬ人は油断がならぬ。ただ現代の歌人は力というものがない。とかく、デリケートな心の持ち主で、偏狭で、消極的で、女性的で、嫉妬深い傾向があるが、大本の歌人はご神徳をいただくから力がでてくる。わたしは芸術は宗教の母なりと主張しているのだ。言霊の幸はう国、神さまは歌をたてまつるのが、海河山野種々の供物よりもいちばんお気にいるのである。皆は、子の宗教宣伝には熱心であるが、親の芸術を忘れがちである。これではいかぬ。
歌を詠まぬものは、いかなる力のある人であろうとも、だんじて神業の第一戦には立てぬ。そのつもりで各自勉強するがよい。忙しいからとか、下手だからだとか、上手に詠めたらだの、その「から」や「たら」がいちばんいけない。まずくてもだんだん詠んでおれはよく詠めるものである。神徳は努力の上に加わるのである。明光は月日の光に相応する。月日の光をうけぬものが、どうして神さまの御用に使えるものか。またわたしが皆に「明光」に出詠するようにというのは、その歌によつて皆の心の動きを見てよくしてやろうと思うからである。
(「明光」 昭和10年5月)