だが、『霊界物語』の発表は、なんの抵抗もなしにおこなわれたのではなかった。
『霊界物語』の口述を筆録した原稿は、これをかならずみろく殿において音読し、綾部在住の役員や信者にきかしたうえで印刷にまわされたのであるが、その発表直前に、とくに問題になったひとつは、第一巻総説のなかにみえるつぎの点である。
神諭にも「斯の大本は男子と女子との筆先と言葉とで開く経綸であるから、外の教を持て来て開いたら大変な間違ひが出来て来て、神の経綸の邪魔になるから、役員の御方心得て下されよ。慢心致して我を出したら、神の真似を致して筆先を人民が出したら、何辺でも後戻りを致すぞよ。今は初発であるから、成る様に致して、御用聞いて貰はねばならぬなれど、五六七様がお出ましになりたら、男子女子の外は筆先は出されんぞよ」云々と所々に示されてある。此の筆先と云ふ神意は新聞紙の事ではない。要するに役員さん等の発行されつつある単行本の中でも教義的意味を含んだものを指されたのである。何程人間の知慧や学文の力でも、深玄微妙なる神様の大御心が判るもので無い。故に大本の歴史に関する著述は差支えないが、苟くも教義に関する著書は、神諭の解った役員信者から根本的に改変して貰はぬと、何時迄も神様は公然と現はれ玉ふ事が出来ぬので在ります。
つまり浅野ら幹部たちの、これまでの教義に関する教説や単行本などが、『霊界物語』によって根本的に否認されたのである。そのため浅野らから強硬な抗議がでた。それにたいして、王仁三郎は右の全文を削除し、とれをかきあらため、一九二一(大正一〇年)一二月三〇日、天声社より第一巻がはじめて出版された。さらに第一〇巻の印刷にかかっていた一九二二(大正一一)年八月には、王仁三郎によって、
時に天声社(霊界物語発行所)より便りあり、大本の幹部たりし某々二、三氏より、霊界物語はくだらないから印刷発行停止され度しとの申込みありたりと。実に御尤もなる要求である。現代の文明とか云ふ学問を詰込みたる人士の耳には、馬鹿らしくて、気に容らぬは当然であります。されど本教の大精神のある所を普く世に紹介するには、物語の方法に依らなくては、余り立派な学究的な書物は、一般の人々に諒解しがたきを以て止むを得ず、神様から親切にお示し下さるので、決して瑞月が頭脳のみの産物ではありませぬ。只私は惟神の侭に従ふより外に道なく、如何なる妨害も圧迫も恐れず口述し、且つ世に広く発表する考へであります。大正十一年八月二十四日(旧七月二日)、於伊豆湯ケ島、瑞月誌
とのべられている。その記述より推しても、当時の幹部の一部には、なお『霊界物語』の刊行については根づよい抵抗があったことがうかがえる。しかし王仁三郎はそれにもかかわらず、つぎつぎと刊行に拍車をかけ、一ヵ月余に一巻づつ刊行し、第一巻以来満七年四ヵ月を経過して、第七二巻までが出版されたのである。
なぜ『霊界物語』の口述とその刊行とが、内部の抵抗があるにもかかわらず、このようにいそがれたのか。そのことは以上の文献の記述によっても察知できるように、大本事件以前においては、筆先の解釈は幹部によって思い思いにおこなわれ、教義の理解についても、いたずらに混乱をまねくきらいがあった。偏狭な国家主義からとくものもあれば、選民思想によった排他主義もある。精神主義にのみ終始して、文化の発展を悪魔的と非難するものもあれば、立替え立直しを天変地異ととり、また、時節まちの信仰のみをとくものもあった。したがって王仁三郎によって、この機会に信仰の革新を断行する必要が感じられ、その絶好の時期がきたとみなされたことが第一の理由であり、みろくの教説がいままでは断片的にしかとかれていなかったので、統一的に一切をあきらかにする時機と、その要請がたかまってきたのが第二の理由である。そして第三の理由としては、事件の第一審が懲役五ヵ年の判決であったことが考えられる。
事件はただちに控訴されたが、万一有罪が確定すれば、入獄がながくなることも予想されていた。王仁三郎不在中の信者にたいする指導書としても、少しでもはやくその刊行をしておきたいとの意向も切実であったとおもわれる。当初は、『霊界物物語』も五巻でその大要がのべられるつもりであったのが、公判もおくれる見とおしがついたので、口述がすすむにつれて長編にすることに口述方針があらためられた。『霊界物語』六三巻(普及版64巻)の総説には「今日迄の口述せし所を熟読なし下さらば、凡て神界の御経綸も大神の御心も判然する筈でありますから、是にて口述が止まっても、神教を伝ふる点に於ては、余り不便を感ずる事は有るまいと思ひます」(大正12・5・29)とのべられており、口述日数二五〇日で六三巻までの口述がおわっている。
このように、これまでの大本信仰の革新的発展がいそがれていた。浅野らの一部幹部が、『霊界物語』の発表を阻止しようとする強力な抵抗にもめげず、また当局のいかなる弾圧にもひるむことなく、神の意志をつらぬき、将来への構想と光明を一日もはやく全信者にあたえんとした不折不撓の精神は、全巻にみなぎっている。
王仁三郎が入蒙(本編第三章参照)にさきだってかきのこした「錦の土産」のなかには
弥勒出生して五十二歳、茲に改めて苦集滅道を説き、道法礼節を開示すと仏祖の予言せし所は、即ち伊都能売の御魂の口を通して現はれたる霊界物語である(大正12・旧10・12)。
霊界物語は世界経綸上の一大神書なれば、教祖の伝達になれる神諭と共に最も貴重なれば、本書の拝読は如何なる妨害現はれ来るとも、不屈不撓の精神を以て断行すベし(大正12・旧10・13)。
と記されている。『霊界物語』の権威とともに、これに対する妨害をなお予測して、このようにのべられたものであろう。
〔写真〕
○霊界物語の普及には全力がつくされた 大正日日新聞の広告 p675