一八九二(明治二五)年に開教した大本は、一九三五(昭和一〇)年には開教四十三周年を迎えていた。その開激動する時流のなかで大本宣教が力強くくりひろげられてきた姿は、第二編から第五編までに記述してきたとおりである。ここで、昭和一〇年ごろにおける教勢をたしかめておこう。しかし、第二次大本事件によって教団本部に保存されていた記録の多くは失われてしまった。そのため、次頁からの一覧は当時地方に配布され保存されていた印刷物や、笊二次大本事件のさい当局が作成した資料などによって再整理したものである。なお、資料を作成した時点は、とくに汪記したもの以外は、昭和一〇年一一月現在としている。
〔図表〕
○組織・機構 p291
○教団の人事 p292
○地方の施設と機関 1、総括表 p293
○2、地方(主会)別の分布 p294
○3、別院 p296
○4、分院 p296
○5、分社 p297
○主会・聯合会の人事 p298
○建造物 1、綾部総本部 p300
○2、亀岡本部 p303
○3、穴太瑞泉郷 p306
○4、その他 306
○5、教碑 p306
○6、出口王仁三郎聖師の歌碑 p306