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建造物破却の命令

インフォメーション
題名:建造物破却の命令 著者:大本七十年史編纂会・編集
ページ:432 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195402c6232
 起訴決定と団体解散命令に引きつづき、内務省は同じ三月一三日に、本部および地方をふくむ全教団建造物の強制破却処分を発令した。この発令は即日京都府に、ついで一五日には全国に示達された。これは「将来の信仰の対象として残ることを恐れて」という徳永検事正の談話(「大阪毎日新聞」昭和15・2・28)にも端的にしめされている。すなわち国家権力は、信者の組織的活動にとって不可欠となる建造物を地上から抹殺し、収入の道を失った教団にさらに破却のための経済的負担をかけることによって、解散処分の実効をあげようとした。
 京都府は一八日、つぎの命令書および戒告書を王仁三郎およびすみ子に手交した。
  京都府達第二一五号 命令書
別記地番所在ノ皇道大本ノ布教施設ハ明治五年大蔵省達第一一八号無願社寺創立禁制ノ件ニ違反セルモノナルヲ以テ昭和十一年五月十五日迄ニ別記地番上ノ建物ハ全部破却スヘシ
  昭和十一年三月十八日 京都府知事 鈴木信太郎
 この命令書には「記」として、綾部町大本総本部・亀岡町天恩郷・曽我部村瑞泉郷の全部にわたる地名番地が記されており、これらの地域内の建物はことごとく破却せよと命じたのである。戒告書はつぎのとおりである。
  京都府達第二一五号 戒告書
昭和十一年三月十八日付京都府達第二一五号命令書ヲ以テ命シタル皇道大本ノ布教施設ニ対スル破却命令ハ該命令書記載ノ期日迄ニ之ヲ履行セサルトキハ行政執行法第五条第一項第一号ニ依リ官庁ニ於テ破却行為ヲ執行シ其ノ費用ヲ義務者ヨリ徴収ス 右戒告ス
  昭和十一年三月十八日 京都府知事 鈴木信太郎
 第一次大本事件に際して本宮山神殿を破壊したのと同じように、「無願ニシテ社寺(地蔵堂・稲荷ノ類)創立致シ候儀従前ノ通禁制タルヘキ事」(明治五年八月晦大蔵省達第百十八号)にもとづいて破却命令をだし、しかも破却の費用は王仁三郎およびすみ子に負担せよというのである。
 中京区刑務支所で王仁三郎は、中村純一にあてた破却命令実行に関する委任状の文案を高橋警部から示されて、これを強要されるままに書かされた。この日警察では伊佐男をよびだし、亀岡・綾部の建物中大本教団の用に供されていたものは当然破却の運命にあることをほのめかし、懇談的に交渉したが、伊佐男は言を左右にして態度をあきらかにせず、「東京日日新聞」(昭和11・3・14)が報道しているように、伊佐男は破却命令書のでていることは聞かされなかったので、ついに破却には同意しなかった。しかしその日に、京都府では綾部・亀岡・穴太等の右土地建物の測量を開始していたのである。
 まず当局は破却の準備として、家具・備品・機械類を強制的に売却させた。すなわち亀岡では天声社在庫の紙類いっさいを六〇〇〇円、印刷機械外七点を一万一〇〇〇円、安生館(第一・第二・第三)・天声社印刷工場・豊生館・亀年館・保生倉庫二〇余の建造物を畳・建具つきで二〇〇〇円で売却した。このようにして古道具屋に競売させた亀岡の動産売却代はわずか約六万円であったといわれる。綾部では神光社・売店・青龍舎・鶴山織工場・染工場・湯浅斎治郎および波田野義之輔等の個人住宅その他七棟を一括して一二八〇円、二代すみ子によってすえつけられた鶴山の手織機四八台は、おなじく警察の手によって三〇一円で、また神光社にあった動力織機・手織機(大四、小二五)・付属器具・製品・糸類一切は三一七六円で売却された。たとえば畳は一畳一〇銭~五銭、ふとんは四〇〇組を一〇〇円(一組二五銭)というように、高値よりもできるだけ安値へと売りたてた。いずれにしても捨値同然の売価であったが、このように二束三文の強制売却をさせたのは、大本を経済的に窮乏させ、公判の場合の弁護費用の捻出を不可能にさせようとした当局の策略によったものである。
 また綾部・亀岡にあったご神体と認められるもの、祭壇・神具など祭祀に関するもの、王仁三郎らの揮毫した書画や手造りの楽焼、出口一家の日常および珍重愛川した家具什器類、大本発刊の書籍・雑誌類・神旗・会旗・その他信者が尊重すると認められるものはことごとく押収され、綾部・亀岡の両神苑内で連日にわたって焼却された。ご神体となっている霊石などは、「水上署の船で日本海の真ん中に捨て」られたり地中に埋められた。またなかにはもち去られたものもあった。天声社在庫の書籍は約八万四〇〇〇冊あったというが、これも天恩郷の空壕で焼却された。これらの書籍・その他は一ヵ月もくすぶりつづけたというから、この処置がいかに大規模であったかが察せられる。さらに、京都市内では押収物件のうち取調べに必要のない約二万点(トラック一四台分)も、この時期に杭迫ら立会のうえ京都市の塵埃焼却場で焼かれた。
 なお大検挙以来、綾部・亀岡の大本神苑は多数の警察官によって交代で警備がつづけられていたが、その間交代ごとに貴重品や目ぼしい物品がつぎつぎもち去られて行った。これを見かねて「一体これが日本の警察官か」と警備の隊長にねじこんだ一巡査は、かえって叱られて現場からひきもどされるという場面もあったという。
 綾部の天王平(田野才ケ首)は、一九一八(大正七)年大本から一反三畝二一歩を綾部町に寄付して共同墓地とし、そのうちの三畝二一歩を開祖の奥都城にあてていたのであるが、当局の指示により綾部町は三月二四日緊急町会をひらき、天王平の「町営墓地ハ昭和十一年三月二十五日限リ之ヲ廃止スルモノトス」と決議してしまった。そして五月一一日、破却工事の第一槌がこれにくわえられたのである。まず、天王平の開祖の奥都城を掘りおこして、柩をその近くにある一般の共同墓地の片隅へうつし、ささやかな墓標がたてられた。そのささやかな墓地をつくるときにさえ、当局は干渉した。出口一族や信者の悲しみはいかばかりであったろう。そのときの悲痛なおもいは直日によって、〝死して猶安からぬ祖母ふたたびも逆賊の名に墓あばかれつ〟〝吾が心臓石の如くに脈うたずあばかれむとすも祖母の墳墓は〟〝惟神の道ましぐらにあゆみたる祖母也成仏は願ひたまはず〟(『ちり塚』)と歌われ、さらにまた、「衆人に頭を踏まさねば成仏出来ぬ大罪人極悪人なりとて……特高課長のさしづにて、腹部と思ふあたりに墓標は建てられしなり」と付記されている。ついで当局は出口家の墓碑や信者の納骨堂を破壊し、信者の墓碑にきざまれた贈宣伝使・贈修斎など大本独自の用語の部分をけずりとらした。「出口政五郎第四女出口龍子」とある墓石にたいしては「政五郎」の三字をけずり、誰の四女かわからぬようにさえしてしまった。
 納骨堂の破壊にさきだって遺骨は、当局の命令で綾部の浄光寺ヘ一時あずけ、遺族に遺骨をうけとりにくるよう往復ハガキをだすことになった。しかし祖霊社の台帳は焼却されていたので、通知先不明のものもでてきた。そこで受取人のない遺骨はこれをまとめて共同墓地におさめられた。神苑の鶴山山頂では教碑・歌碑の破壊がはじまった。
 部分的破却をおわっていよいよ本格的破壊作業となり、綾部・亀岡両本部および穴太の破却工事は三万〇二〇四円で清水組がこれを請負った。警保局保安課の「特高外事月報」(昭和11・5)につぎのごとく記されている。「請負たる清水組に於ては、十八日(五月)以降連日綾部に百五十名、亀岡に三百名前後の人夫を派遣し、更に建物の一部及敷地等を買受けたる綾部町商工会並に亀岡町当局に於ても、百名乃至二百名前後の人夫を使役して夫々一斉に工事を開始し、各々破却の完了を急ぎたるが、破却の目的物件が広汎多数に上ると共に、各物件が何れも堅牢に施工しありたる等のため意外の手数を要し、漸く五月末日迄約半月を費して猶ほ各施設、建物等の外形を一応倒壊せしめたる程度に留り、礎石類の発掘、毀却特殊地域の地均し工事、又は倒壊物件の細密なる破却搬出等は引続き六月上、中旬に於て夫々処理することとなりたり。……殊に大本幹部等が一般信者をして『霊線を以て月界より守護し居るが故に人力を以て破壊し得るものに非ず』とすら罔信せしめつつありし亀岡本部所在の月宮殿の如きは、頑丈なる鉄骨に網状の鉄筋を配したるコンクリート工事を施して強靭堅牢を極め、数十発の、ダイナマイトを一時に爆破せしむるも僅かに局部的損傷を見るに過ぎざりしが、種々工作して主要部鉄骨鉄筋の露出を計りて之を酸素瓦斯にて熔解切断する等、異常の苦心を重ねて漸く之を破却し得たる実情にありたり」。また「斯くて日を重ぬること月余、之に要したる取締総延人員六七八五人、破却従事員九九三四人、茲に魔境の一切は全く地上より払拭滅尽せらるるに至る」と杭迫は書いているが、ここに取締総延人員とあるのは破却工事を取締る警察官のことで、破却人夫一〇人にたいして取締警察官七人というおどろくべき警戒ぶりであった。
 各新聞は破却の状況を連日にわたってくわしく報道したが、そのうち「大阪朝日新聞」(昭和11・5・22)は「本部第一の建造物たる五六七殿は二十一日午後二時を期し、二つのロクロを据ゑワイヤーをかけ、ロクロを巻いて一大音響とともに引倒された。春秋二季の大祭や朝夕の礼拝に数千の信者を擁したさしもの大殿堂もつひにペシヤンコになってしまった。黄金閣も引続き取毀ち、ここに全く潰滅するに至った(綾部)」とつたえ、「大阪毎日新聞」(昭和11・5・24)は「大本破却記」の結語に「かくて明治二十五年一月から今日まで四十五ケ年間といふ永い間地上に姿を現してゐた大本も根こそぎ地上から消された」と報じた。
 綾部の五六七殿・亀岡の月宮殿・穴太の玉水殿など「六四点二四〇余棟」のすべての破却がおわり、綾部の金龍海はうずめて地ならしされ、亀岡では石垣や石段をはじめ霊石その他大きな庭石まで破壊しつくし、両聖地がみるかげもない広漠たる荒野と化したのは六月一二日であった。月宮殿破却には「二一日間、ダイナマイト一五〇〇発以上」をついやし、その爆発音は遠くはなれた人家の戸や障子を振動させた。綾部の建物破却によってできた残骸の材料約三〇万才は二一〇〇円で落札された。そして、これを全部三尺以下の割木に断ち切り、約八〇○台のトラックで搬出した。亀岡の分は入札一九六五円で売却された。破壊工事をながめていた綾部や亀岡の町の人が、「あゝもつたいないことや」といっただけで、これを聞きとがめた警察の手によって、留置場へほうりこまれたりすることもあった。在住の信者としては、すべての建物が無残に破却されていくごう音を耳にするたびに、わが生命をちぢめられる思いがしたという。
 しかも破却を命じられたのは布教施設であったにもかかわらず、まったく関係のない私宅その他の建物までことごとく破壊され、私有財産までが処分されてしまった。権力の横暴は誰の眼にもあきらかである。
〈別院・分院・歌碑の破却〉 本部や京都府下の教団施設の破却と並行して地方施設の破却がすすめられたのはいうまでもない。とくに王仁三郎と直接の関係があった別院・分院・歌碑にたいしては、痕跡をとどめないまでに徹底した破壊がおこなわれた。別院や分院にたいしても所在の庁長官、府・県知事名で「破却命令」と「戒告」がそれぞれ発令され、破却の期限は命令書到達の日より三〇日以内、しかも破却の費用はすべて地元信者の負担とされた。こうして別院・分院の土地・建物、大本に関する文献・備品などの一切が破却や売却を強制され、個人の住宅・宅地をかねていたものは徹底的な改修、大本関係物件の撤却をよぎなくされたり、また改修のうえ個人名義にきりかえさせ、大本関係への使用が厳禁された。
 つぎにその実例を示せば、島根別院では、「国賊といはるる者の屋敷を買収しては末がよくあるまい。又将来信者から怨まれるやうなことがあっては」ということで買手もなく、当局もその処分に手をやいた。結局建物は一括して当局が斡旋し、わずか一〇〇〇円の捨値で鴻池組に売却された。同組はこれを転売して三六亭は川津村の霊巌寺に、開明殿は玉造の公会堂に移築されたという。松楓荘はイギリス人宣教師パクストンが建てた英国風の建築であったため、山陰の貴重な文化財として保存するよう市会議員などが奔走したが、解体されてしまった。当局はそれでもあきたらず、別院の樹木はすべて「目通り三尺の高さ」に刈り込むことを要求した。そして破却に要した費用の六三〇円は、建物の売却費一〇〇〇円からさしひかれ、手許にはわずか三七〇円がのこっただけであった。しかし別院の土地は信者が買いうけたことにしてたくみにのこされた。中国別院(岡山県)もわずか一五〇〇円の捨値で警察の手で売却され、その金額も破却費として没収された。東北別院の破却にさいしては建築のさいの借入金までが信者個人の負担とされてしまった。また北陸別院(石川県)の神殿は月津村に寄付されることとなったが、大本の痕跡をとどめないよう徹底した改築を強要した。「中外日報」によれば「更生社会館」として真宗大谷派の説教所となったという。また教主殿は片山津の温泉旅館へ売却された。
 歌碑の破却はおおくの場合、建物の破却と一括しておこなわれたが。島根県ではとくに「明治十七年十月四日太政官布達第二十五号墓地及埋葬取締規則第七条及明治十八年三月十日島根県甲第五十三号墓地及埋葬取締規則第十七条」を歌碑の破却に適用した。ここでもかびくさい太政官布達が利用されていることが注目させる。北は北海道山部の神生歌碑から、南は喜界島宮原山にたてられた神声歌碑にいたるまで、のこらずノミで碑面をけずりとり、ダイナマイトで爆破された。そのうえ礎石まで掘りおこし、こなごなに砕いてすてた。しかも破壊の手は王仁三郎の歌碑にとどまらず、王仁三郎が建立した恩師岡田惟平の歌碑(園部町南陽寺境内)や、歌人前田夕暮の歌碑(亀岡天恩郷内)にまでおよんだ。
 警保局の発表(昭和11・4)によれば、撤去の命令によってとりさられた建物・碑文は四月までで次頁一覧表のおおきをかぞえている(碑石は主として王仁三郎の歌碑。改修程度の建物は省略)。
 綾部・亀岡両本部の施設をはじめ、二七をかぞえた別院や分院・分社四一、歌碑四〇のすべてはまたたく間に地上から抹殺されてしまった。しかも当局は売却費が大本再建の資金となることをおそれて、その価格にまで強い干渉をくわえたのである。
 日本海にうかぶ孤島の沓島や播州沖の神島にまつってあった神祠も、信者のしらぬ間に破壊され、海中になげこまれてしまった。
〔写真〕
○命令書をにぎりしめる杭迫特高課長 p432
○公判をまたず当局は不法にも布教施設の破却を強行した 建物破却命令書と戒告書 p433
○てあたりしだいたたき売り…持ち去り…焼却されていった 灰燼でうずまった天恩郷の空壕 p434
○心の底からこみあげるいかり……三代出口直日の書簡より p436
○この暴虐! 開祖の奥都城はうつされ玉垣はくずされ樹木はひきぬかれて墓地と化した 綾部 p437
○身をさかれるような悲しみと怒り……上右から 倒壊寸前の華麗をほこった言霊閣 きびしい監視のなかで長生殿礎石は爆破され穹天閣の屋根ははぎとられた 柱を切りロープをかけ一大音響とともに引きたおされた五六七殿 下右から 樹木を切りはらい神殿をうちこわし金龍海は埋めたてられた 石垣 根石 石段もすべてほりおこしてくだかれた ひきさかれた柱や瓦れきの散乱する祖霊社跡 綾部の神苑 p438
○この暴挙をゆるしてはならない……上右から ハンマーで石をくだきガスで鉄骨を焼き切り1500発のダイナマイトで粉砕された月宮殿 天井も壁もおとされた光照殿 人夫にふみあらされる大祥殿 土けむりとともにくずれゆく透明殿 下右から 根こそぎつぶされた高天閣 更生館 一面の廃虚と化した天声社跡 殿堂をこわした用材は三尺以下に切りきざみのこらず薪として売りはらわれた 亀岡天恩郷 p440
○全国の別院は官憲によって破壊され費用は負担させられた 上 北陸別院の解散奉告祭 下 破却直前の中国別院と官憲 p442
○歌碑の文字はけずりとられ碑石はうちくだかれた 上 根こそぎひきたおされた本宮山上の三基の碑 下 爆破された天恩郷の歌碑 p443
○昭和一一年四月までに破却された全国の別院・分院・歌碑の一覧 p444
   
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