一
皇祖皇宗の御遺訓は、月日の如く明らけく、古事記に顕はれて、天武聖帝の神勅に、邦家之経緯と詔り給ひ、王化之鴻基と示されて、我国体の淵源と、我日の本の天職を、宇麻良に詳細に説せらる。然れど御国の内情は、カラの教の侵入り、大河の溢るる勢いに、恨を呑て大和路の、樽井の里に雲隠れ、神政成就の暁を、待たせ給ひし畏こさよ。止む無く和光同塵の、神策採らせ給ひつつ、茲に殆ど二千年、摂取蘊蓄せる中に、儒仏の害毒凄まじく、我神国は日に月に、爛熟腐敗の極点に、達し政治に教育に、物質本位の学術に、国の精華を揚ぐる可き、知覚全く失ひぬ。ア丶此の危急存亡を、救済せむと皇神は、綾の高天に現らはれて、伊都の御魂に神懸り、教え覚させ千早振、神代の昔の神政に、復す世界の経綸を、行ひ給ふぞ畏こけれ。
二
皇大神の神勅を、発揮し奉りて万国に、無比なる御国体の精華をば、顕はし奉り政教の、根本革正に上下が、揃ひて仕え奉りなば、御国に不安の雲も無く、国常立の松の代と、開けて茲に惟神、神代乍らの日本魂、忠勇孝慈奉公の、至誠を発揮し国民は、忠誠義烈身を献げ、天津日継の皇運を、扶翼し奉り祖々の、遺風を顕揚す可き也。大く正しき大御代の、機運を知らず何時迄も、外国魂の教えたる、陳腐姑息の政策を、続行するは水源を、濁して清流求むるの、愚劣無効の至り也。一時も早く覚醒し、神の御国の天職に、仕え奉りて万世に、動かぬ御代を守れかし。
三
大く正しき七の年、一月三日の夕陽を、跡に残して大本の、出口の王仁は国徳を、従がへ京都に上り行く。心も清く降る雪を、犯して山家和知の駅、六百フイトの胡麻の郷、殿田園部や八木の町、万代祝ふ新年の、名さえ目出度亀岡や、保津の溪間潜り抜け、嵯峨の嵐の六の花、積る花園妙心寺、道も二条の停車場、多数の人に迎えられ、京都本部に着にけり。
四
新年会の余興とし、例年福引催さる。王仁の曳き得し福引は、懐暖き懐炉灰、是大本の内容の、充実すベき瑞兆を、示し給ひし神意なり。去年引き得し福引は、只一輪の梅花なり。一昨年の福引は、天下統一の瑞相を、寿ぎ奉りし○の御魂、三年前より神界の、経綸の全く整える、我大本の発光と、祝ひ納むる午の春。翌れば四日午後一時、大本王仁を始とし、森氏牧氏に星田氏、谷高随行諸共に、赤き心の嵯峨につき、日本心の小笠原、義之大人の旧邸に、人軍を連ね走り行き、新年祝辞も簡単に、一先づ息を休めける。
迦具槌の神を祭りし愛宕山、一の鳥居も跡に見て、最とも峻しき坂道の、岩の根木の根踏みさくみ、上りつ下りつ雪の道、五つの身魂も清滝の、宝を開く鍵庄の、眺望妙なる川の上、離れ座敷に入にけり。山野河海の美はしき、其饗応に心満ち、清滝川に横たはる、猿橋渡りて奥深く、右へ右へと辿りつつ、空也の麓に月の輪の、保護林にと近付きぬ。
天津御祖の御威徳と、吾皇室の尊厳を、維持し奉りて国恩の、万分一に報ゐんと、心も赤き益良雄が、搗き固めたる礎の、百と六段の石階の、其頂きに千木高く、仕え奉りし瑞の宮、真木の柱の弥太く、清々しくも神の森、天の御蔭や日の御蔭、隠れ奉りし小笠原、宮の構成も義之の、嘉門の名誉永遠に、月日と共に伝え行く、神の教の大本の、瑞の御魂は勇みつつ、今日の生日の良き時ぞ、誉れを代々に酉の刻、国家興々と鎮めたる、出雲八重垣妻ごみに、八重垣つくる八重垣の宮、速須佐之男の大神の、憑り玉ひて千早振、古き神代を開かれし、国常立大御神、天照坐大御神、豊国主の大神の、珍の御魂を祭り初め、教主の口を借り給ひ、天津御祖の神々の、中にも別けて清滝の、瑞の御魂ぞ鎮まると、太祝詞言称えまし、猶も重ねて久方の、天の御柱搗固め、国の御柱永遠に、千代も八千代も万世も、動がざらまし神の国、此神言を詔り了えて、心穏ひに鎮みまし、猶琴玉の清滝と、名付けて上り坐にけり。
五
落ち込む水も清滝の、夕陽に映る水煙り、三十有三尺の水勢は、四方に響きて音高く、天津乙女の舞降りて、琴を調ぶる思ひあり。断崖絶壁よぢ登り、千曳の岩屋に入り見れば、醜の行者の六年振り、住み荒したる形跡は、今歴々と松が枝に、懸けし白衣の汚れたる、菱田行者の遺留品、心行ざる思ひにて、元来し道を岩伝い、覚束なくも滝の根に、下れば一行待受けて、滝の景色を賞で称ふ、琴玉滝の名も清く、流れに添ひて小笠原、義之主の住宅に、一先づ足を洗ひけり。
(「神霊界」大正七年二月号)