霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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統管随筆第二篇

インフォメーション
題名:統管随筆第2篇 著者:
ページ:408 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B195502c21052
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『統管随筆』第二篇(昭和9年11月28日)
統管随筆

      出口王仁三郎

(二)

 病気の大半は忘るる時に全治する。元来心から起るものだ。病体となれば大半は医術の必要がある。併し十中の八九は病気なのだ。
 自分の存在を永く世間から忘れさせない様に努力するのは一種の長寿法である。人は何処までも進展主義を実行すべきである。
 神を信ずるが故に人に信ぜられ、人を愛するが故に人に愛せらる。又人を敬するが故に人に敬愛さる」のである。真の信仰に生きたる人は千百の難苦に逢ふも胸中常に光風霽月(せいげつ)にして一点の隈もなく精神的に自若新生し得るものである。
 万事を処理する秘訣は虚心坦懐、(ちう)を選んで進むべきである。語に曰く『中は天下の大本(たいほん)なり、和や天下の達道なり、君子は中庸に居り、小人は中庸に反す』と、(むべ)なる哉言や。吾神聖会は左にあらず右にあらず、皇道の大本即ち天下の中道を邁進する而已(のみ)である。
 本日印刷した統管随筆を読んで呆然自失の面色(おももち)を為しながら、風力七十五メートルだと謂つた人がある。然り宇宙間一切の塵を吹き払はむとする百二十パーセントの意気で立つてゐる神聖会だもの。
 吾人の神聖運動たるや第一に国法を重んじ、国法の欠陥を補ふべく、神如無垢の精神を以て身を殺し愛善を行ふ覚悟を要する。
 清廉にして剛毅の達士、即ち侠客的国士を歓迎し且つ厚遇し、以て神聖運動に尽さしめ、以て国家の綱紀を振粛し社会の元気を涵養すべきである。之が神聖運動に於ける重要点である。
 今日の政治家の無責任のみを責むるは余りに酷である。要するに国民の政治上に対する責任観念の衰へたのも一つの原因である。国民の反省を望む。
 神聖運動の主たる目的は先づ腐敗の極に達せる社会の一般に荒して神聖化するにある。差当り緊急なる問題は、
一、国防の充実
一、思想問題の改善
一、農工商の救済
一、国教の樹立
一、外交問題の改革
一、教育制度の刷新
一、国防道路の全国貫通
等々である。
 日本人は大家族制の国家の同胞である。互に敬愛せなくてはならぬ。併しながら赤色に染つた連中は籍は日本人でも、その霊魂は最早日本人でなく、同胞でなく、他国人である。昔からの諺にも「アカの他人」といふことが伝はつて居るではないか。
 米国人はペルリ来航以来、威嚇と脅迫とを以て日本に対する外交のモツトーとして来た。諸外国も亦米国に倣つて日本に対する外交方針として来たのだ。最近日本各新聞紙の報ずる所によると、米国のミツチエルとか云ふ乱暴将軍が大航空船五十隻を以て僅か二日以内に日本を撃破し得ると大言壮語して日本を脅迫せむとしてゐるが、今日の日本人は最早その手には乗らないぞ。米国の咆哮と恫喝は恰も軸画に描いた猛虎と同様である。画の虎は動きもならず噛み付きも出来ない。只病人の如うに床に就いてブラブラしてゐるだけが関の山だ。
 日本の軍備が充実して居れば彼等外人は一指をも染め得ないのだ。平和の保障は軍備の充実に限るのだ。
 露満国境には妖雲天地に塞がり、今にもウラルの嵐は神洲日本の空に何時襲来するか判らない形勢である。吾同胞よ、精神力を強大ならしむるべく大同団結せよ。
 現今の日本は全く危機に瀕してゐる。噴火山上に舞踏してゐる皇国今日の現状(うた)た寒心に堪へず、いよいよ吾等は舎身的活動を励まねばならぬ焦眉の問題である。
 猶太人の陰謀は最近に始まつた事ではなく、約二千年以前からの根強き活動である。そして世界の経済界の八分以上は猶太が掌握してゐるのだ。上流社会にも深く喰ひ入つて日本を危機に陥れつつあるのだ。
 独逸の独裁総統ヒツトラー氏の著書『我が戦ひ』の中にも左記のやうな事実が掲載されてある。
『猶太人は欧羅巴の国人を秘かに害してゐる。男でも女でもない私生児に変へて了へることをよく承知してゐる。又日本人といふアジア国家に同じ運命を課することの困難なる事もよく承知してゐる。これ猶太人がこの覇権を握らむとする前に、まづ日本を破壊せむとする野望である。即ち今日猶太人は、すベての国家を日本反対の地位に就かしめむと試みてゐる。之恰も往年独逸に対して試みたと同じ手段ではないか』(以下省略)
と我国に対しても説き及んでゐる。忠誠なる我同胞は十二分の注意を払ふべき緊要事であると思へ。
 神聖運動に就ては既に已に宣伝に努力すべき事は命令してある筈だ。本部支部の会員は勿論常住不断の活動を続けねばならない。又本、支部の未だ設置なき地方と雖も、神聖会の前衛隊たるベき昭和青年は必死的の活動を為すべき義務ある事を覚悟するがよい。千載一遇の好機を逸するな。青年の起つべき時は迫つて来たぞ。何時ウラルの嵐は秋津島根を襲ふか知れないぞ。吾人は戦争を好まないが、到底避くべからざる世界の状勢に注意せなくては、神洲国民の使命が果せないのだ。国民の奮起と大同団結の一日も早からむことを熱望するのだ。
 治教皇道大本の宣伝を度外視して余は神聖運動を起したのではない。余は地下工作として三十七年間活動してゐたのだ。昭和青年会と云ひ、昭和坤生会と云ひ、人類愛善会と云ひ、其他の余が設立したる凡ての会は今日あることを前知して其準備に掛りつつあつたのだ。何事を為すにも信仰が土台とならねばならぬ。信仰なくして世上百般の事成就せる例が只の一度もないのだ。飽くまでも皇道大本の信徒は前進的活動を続けて瞬時の油断もしてはならないのだ。
 余は世間往々にして精神異状者として遇するものがある。然り余は気違ひである。併し発狂者ではないのだ。世間一般人に比して少しばかりは気が違つてゐるのは余自身も認識してゐるのだ。余をして精神異状者とするならば、豊臣秀吉もワシントンもナポレオンも釈迦も孔子も基督も乃至空海も親鸞も日蓮も全部精神異状者である。大本事件の時杉田医学博士は余を診断して法医学上の見地からすれば叡智病だが、宗教的に言へば生きた神だと云つた事がある。余は精神異状者と呼ばれるのを却つて光栄だと思つて居るのだ。精神異状者と英雄偉人とは白紙一枚の障があるのみだ。要するに平素の目的が成功すれば即ち英雄偉人となり、平素の抱負と宣言が成就せない時は気違ひ又は発狂人と言はるるのだ。古来大事業を成し遂げた人物は何れも凡夫の所謂精神異状者であり気違ひであるのだ。
 神聖運動は世界を浄化し、一切の謬れる行為を改めしめ、又社会の模範となり得る人に而已許さるる運動である。故に神聖会員たるものは一切カフエーに出入すべからず、スポーツに加はるベからず、西洋ものの活動写真を見るべからず。併し参考として見物する時は所属の長に届け置くべし。
 次に囲碁に将棋に麻雀に博奕、花札を弄ぶ等の行為を慎むベし。故に吾等の運動は最も神聖にして毫も犯すべからずと知るべし。
 スペインの内乱、カタロニアの独立新共和国成立を宣言し大統領にはコンパニースが就任したといふ。之は要するに左翼共和党員が臨時政府を組織したものであるが、カタロニア独立派の立てた政庁に対して政府軍が砲撃を開始し、且つカルタヘナ軍港碇泊中の軍艦五隻を急派し全国混乱の巷と化せしめたり。赤色労働者必死の反抗は全国に波及し事態益々重大化したりといふ。
 いよいよ欧州は是より大動乱になりつつあるのである。皇国民たるものの決して対岸の火災視すべき事柄にあらざるを覚るべきである。
 農林省の発表したる調査によると全国農村本年度の損害は八億円に達するとの事である。農村の窮迫せる今日、農林省は一時も早く之が根本救済方法を講じ且つ全国民に安心させて貰ひたいものである。
 風水害によりて耕田は残らず川原と化し去り、今後四五年を要せざれば復旧不可能なる惨状を視察遊ばされた某県庁の御役人様が『石の川原も努力で稔る』との御託宣が降つたとかで、該地方の農民諸氏が当局者の余りに無情なるに憤慨してゐるが到底現代の○○に誠意があると思つて居るのが間違ひだ。彼等は自己愛の外何物もないのだから。自力更生の力の無い細民に向つて自力更生を説くのと同じ筆法にて実に情なき次第である。
 先頃陸軍省内の新聞班から発見した『国防の本義と其強化の提唱』といふ小冊子を出したのは陸軍の横暴だと云つて文官や政党や資本階級が目に角を立てて騒ぎ立てて居るのは実に苦々しきことである。陸軍の発表した小冊子の何処が悪いのか、吾人が殆んど了解に苦しむ次第である。止むに止まれぬ今日の場合として、天下に軍部の意のある所を示したもので、(まこと)に時宜に適したる美挙とより吾人の目に映らない。愛国の至情に燃ゆる国民なれば、決して批議すべき余地はない筈である。農村の振興は陸軍をして国防の上に強味を加へる所以である。陸軍は農村てふ地盤の健全なる発達振興を図るのは当然すぎる程当然の事である。陸軍は皇国の鎮護である。決して軽視してはならない。軍人は決して横暴ではない、以外の連中に余り意気地がないのだ。文官も資本家も軍人精神の爪の垢でも煎じて飲めば国防の須要欠くべからざる理由が少しは判明するだらう。
 天の時、地の利、人の和と三拍子揃うて吾は今日本国内隈なく神聖運動の旅行を為す。天高く気澄み切りて心静なり。天下国家の為め勇往邁進すべき秋とはなりぬ。
 目的正しければ必ず成る。成し遂ぐる信念あれば必ず成就す。要は正しぎに向つて堂々前進するのみ。
  抑日本は何処へ行く
  皇道経済樹立して
  政治外交教育に
  その他諸般の施設をも
  根本的に改善し
  神洲日本の光暉をば
  御稜威と倶に地の上の
  所在世界に押し拡め
  人類愛善実行し
  万世不易の神政を
  神人ともに楽しまむ
 深考熟慮の後何事も決意断行すべし。
 敢て動き、容易に断行し、而して後之を燮理(せふり)措置その宜しきを制するに努むるもよし。
 一君万民の日本は皇室を中心として国民全体が之を尊敬輔翼し奉るを以て一大生命となし且つ必然の大使命とせざるべからず。大和民族たるもの此使命と生命を永遠に維持し発揚する前には何物もあるべからず。万一にも此使命を妨る者あらば、父子兄弟その親疎を眼中に置かず断々乎として自己の生命を捧げ進んで皇室に殉ずるの大覚悟を要すべきなり。
 国家を生かし救はむとするには、総て政党や宗教等を超越し、先づ自己を虚うしてその歴史に還るべきものとす。
 現下の我皇国は政治に、経済に、外交に、財政に、思想に、教育に、産業に、宗教に、食糧に、金融等々全部行き詰つて来た。それ故上下人心の不安はその極に達し、国民はこの世相に直面して何を考ヘ何を為しつつあるか。惶慌趦趄(くわうくわうししよ)只だ無稽杜撰(むけいづさん)なる空評論のみに日を送つて居るのだ。日本もこれでは致し方がない。吾々は一日も早く皇道経済実施に向つて奮闘努力せなくてはならないのだ。
 将来の日本の最も憂慮に堪へざるものは、青年の老成気分であり老廃せる政治機構である。更生の日本の此現状は根本的に改革すべきである。神聖会の前衛隊たる昭和青年会の組織は精神上の青年を以てし肉体の老若は問題にしないのである。余も亦六十四歳ではあるが精神の溌剌たる事決して現代日本の青年に劣らない覚悟である。青年重ねて来り、一日再び晨ありてふ元気を以て社会に処すべきである。要するに怠惰の意にあらず、若返り若返りつつ世に処するの意なるを知るベし。
 現代の為政者は皇国未曾有の国難に対して、趦趄(ししよ)逡巡之を打開するの勇気なく知識なく又徳なし。恰も沐猴(もくこう)にして冠するものが国家の枢局に坐して弥縫糊塗(びほうこと)是事(これこと)とし、一時の苟安に僥倖し以て国家百年の大計を誤るの恐れあるを大いに寒心するものである。余は万世一系の皇国の為に敢然身を興して天下に大獅子吼する所以である。
 英雄の心境には本来彼此の区別はなく、清濁併せ呑むの度量がなければならぬ。故に茫漠として捕捉し難き輪廓の広く大きい人物に世間の輿望(よばう)は集中するものである。
 物質が人心を支配する世相を称して闇黒無明澆季の世といふのだ。モチト明るい日本に一日も早く進めたきものである。国民が祭政一致の大道に目覚めたならば、皇国は一朝にして透明なる世界と輝くべきは疑問の余地なきことである。
 世の中に心境を脱離した人物ほど偉大なものはない。西郷南洲の如きは西南の役に官軍に包囲され可愛ケ岳から逃げ出す途中で一寸駕籠を下させ戦状を瞰視し『アアこの位日本の陸軍も進歩したか、これなら結構だ』と歓び、其後従容として死に就いたと伝ヘられる。
 皇国の憲法には政党政派を認めない。然るに世の政党者流にして、皇国の国政上に対し常に憲政の常道を云為(うんゐ)するは其意のある所を疑はるるのである。現在の政党は要するに利害と感情とに因り集散離合せる朋党比周のみである。
 アダム・スミスの経済論に禍ひされた世界は完全に現代の行き詰りを招来し西洋各国は苦悶の淵に沈んでゐるにも拘らず、我国の為政者は依然として之を踏襲し外国同様に苦悶してゐる。斯う行き詰つた国家経済を打開するには、余の唱導する皇道経済の真意に目覚めて、経済機構の根本革正を為さねば、日本は如何なる忌はしき事件が突発するかも計り知るべからざるものがある。実に寒心に堪へないのだ。
 現代の皇国には会計と経済との区別を知つた学者も為政者もないやうだ。『一円に二円を加ふれば三円になる。三円を三つ合はせば九円になる。十円を二つに割れば五円が二つになる』こんな勘定法は会計法である。経済はそんな消極的なものではない。一粒の粟を蒔いて秋になつて一万粒の収穫を得る如きは即ち経済の本義である。
 余が十七歳の時であつた。父は農業の傍醤油の小売を営んで生計の補助としてゐた。毎月末に掛取りに行く。時としては余をして掛金徴収に行く事を命じた。或る家に僅か五十銭の売掛代金を受取りに行つた。その時家の主人は丁寧に『今日御払ひすべきであるが少し都合が悪いから五、六日待つて貰ひたい』と断つた。そこで余は五、六日経て又其家に掛金取りに行つた。さうすると小さい二室作りの奥の間に主人の声が聞えてゐる。其家の妻は襖をそつと細目に開いて何か小声で囁いた。主人の声として『今日は留守だと云つて帰つて貰へ』と云つてゐる。そこで妻女は『主人は留守だから後日来てくれ』とおづおづして云ふ。余は少々怪しみながら『御主人の声が聞えてゐるぢやありませぬか』と反問した。妻女は妙な顔して再び主人の居間に入つて余の言を伝ヘた。主人は大喝一声『肝心の主人が、主人は留守だと云つてゐるぢやないか、是ほど慥な事があるか』と。余は金融の都合が悪いなと思つて『宜しく頼みます』と云つてその儘帰宅した。それから三日目の夕方其家の主人が自分で出て来て『先日は失礼しました。金がなくて会はす顔がないので留守を使ひました。今日金が手に入りましたから、御払ひやら謝罪に参りました』と。人の性は善である。時によつて嘘も吐かねばならぬ人生だと、余はその時に感じたのである。
 釈迦、基督、マホメツト、孔子等は宗教の始祖としては世界人類の歴史に輝いてゐる偉大な人物だ。併しながら二千五百年の今日では最早吾人を救導するの力は皆無である。如何となれば彼等は死神死仏である。屁一発()る力も現代には持つて居ない。要するに死せる獅子であり虎である。死獅子死虎よりも生きた一疋の猫の方が余程活動力があり、人間生活上にもネヅミの番を勤むる点に於て重宝である。生きた猫は死虎や死獅子を自由に噛み自由にさいなむ事が出来る。併しながら古の是等偉大なる宗教的人物の言行録を読み其意志の力の絶大さを思ひ(かんが)へ、日常の吾人の生活上、心理上の模範とするは有益な事もある。彼等に祈願して希望を達せむとするものは愚者であり迷信である。
 我皇国民は宜しく生きたる真の神様を崇敬すべきである。生きたる神様とは何か。天地開闢の太初より宇宙の主宰者として現はれ給ヘる天神の御子孫連綿として万世一系に主師親の三徳を具有保全して君臨し給へる現人神即ち天皇陛下であらせられる。我皇国の天皇は世界の主であり師であり親である。斯かる尊き親神様の赤子たる日本人が縁も由緒もない死神死仏を親として仕へ且つ祈願して救はれむとするの愚を憐れむものである。要するに外来の宗教の祖を奉祀し恭敬礼拝するは他家の死んだ数千年の親に孝を尽すと等しきもので見当違ひの甚しきものである。吾家の先祖や現在の父母を忘れて他家の先祖に孝行してゐるのが日本現代の既成宗教の盲信の徒輩である。
 余が身辺には種々雑多の奇蹟あり。中にも俗眼に最も判り易き奇蹟は入道以来三十七年間只の一回も吾旅行に当り降雨なく日本晴の好天気なる事なり。偶々降雨ある時は乗車中又は就寝中にして覚醒中に雨に遇ひし事皆無なり。天神地祗常に余が身辺を守らせ給ふその仁慈洪徳に感謝措く能はざるもの也。
 神聖会所期の会員を獲得したる時又は彼の日の来りたる時は断然として入会を拒絶すべき也。
 ケマルパシヤー、ムツソリーニ、ヒツトラー等の英雄の心事は(ひそ)かに余が常に抱ける思想に酷似したるを見て余は大に意を強うするものである。必ず新しき日本を建設して見せる覚悟である。余は世間の団体員の如く決して空手形は振り出さない。屹度実行して見せる。強大なる組織と偉大なる宣伝力と正義に基づく実行力とによつてだ。
 松江神聖会本部の発会式に先立ちて賛同者十一万人余、会員二千人を獲得したのは()運動に関して記録破りであるが、何れの地方と雖も是以上の賛同者は容易に得らるべき筈である。只地方会員の勇猛心の強弱に由つて差等が付くのみである。余は天の時の到るを約三十七年間待ちつつあつたのだが、今やその時期の到達せる事を知つて立ち上つたのである。此時此際会員の奮励努力を希望する。正しき運動の為に会員は飽く迄も勇往邁進を続けて必ず所期の目的を達成すベきである。彼の日の来つたる時は余は断じて新たに会員は募らない。又希望者があつても之を拒絶する考へである。
 現内閣当路者の無策なる、一億円の増税を以て日本財政の欠を補はむといふ。実に呆然たらざるを得ないのである。一日も早く余の唱導する皇道経済機構に目を覚し快刀乱麻を断つの施設に出たならば必要の財力は一朝にして得られ、世界の不景気は直に挽回さるるのだ。かかる大国策を弁へないとは実に薄野呂様(うすのろさま)と云ひたくなつて来るではないか。
 大政治家たらむとするには自分のその日々の進退や呼吸に対し他をして容喙の機会とその乗ずべき間隙を無くするの大手腕が必要である。
 日本一国を単位として先づ皇道経済を施行し漸次皇室の御稜威の発展に伴ひ海外諸国に及ぼすべきである。国際的経済機構は此際断然廃絶すべきである。政治、教育、宗教亦日本は日本としての特殊の機構がなくてはならない。
 思想は思想に由つて利導し決して法制の力に依りて左右する事は不可能である。凡て思想なるものは水の如きもので自然に委するを可とする。恰も禹の洪水を治めたる如くなるべし。隻手以てよく防ぐべからず。俗謡に曰ふ『大海は水だもの、(てのひら)ぢや防がれぬ、駄目だよ、放つとけ人の口』。
 皇室憲法の条章には只の一ケ所も政党政治を認めてない筈だ。政党政治は皇国の国体と国情に背反し天津日嗣天皇の大権を冒涜するものである。故に此意味に於て国民は政党政治を否認すべきは当然である。
 世間の万事を処理するのは掌上にある豆腐を切るやうに実に易々たるべきである。併し之を切るには宜しく竹製の包丁こそ適切なるべし。剃刀の鋭利なるを用ゆる時は不知不識その掌を切り出血淋漓としてその豆腐を汚濁するに至る。故に最初豆腐を切りたる目的は零となるを知るべし。
 西洋かぶれの所謂現代の学者連は不徹底極まる言論を吐露して神聖なる神国日本をシヤベリ潰し書き潰した暗黒界を此際シヤベリ直し書き直して真の日本に復帰せしめる神聖会の活動は実に勇猛心を要する。日本は古来惟神言挙げせざる国と謂つて不言実行を以て国民の精神とするのであるが、斯くの如く破壊されたる日本は黙する訳には行かない。故に余はシヤベリ直し書き直しでなくて直日に見直し宣り直しを為むとするものである。
 竹製の包丁は童女の玩具と見るが故に人々は心を安んじ居るが為、座辺に放置して更に意に介せざれども、若しそれが剃刀ならば必ず之を布片に包みて厳重に函に納め棚に上げて鼠糞蜘網の(うち)に平素は不用物として同居せしめられるものである。天才天智あるもの常に其の処を得ず、却つて凡夫の其の処を得るあるは、要するに世人の之に安心すると然らざるに存するものなれば此点は宜敷く注意すべき事である。
 権貴の門には衆愚集まり寒窶(かんく)の街には時に百錬の志士があるものだ。治教は国家政機の運転を円滑ならしむる油である。又治教は空気の如く六合到る処に瀰漫する性質がある。また歴史的道徳の反射でもあり、また法制の母胎であり、国家の安全弁であり、政治の上乗なるものは祭政一致である。故に歴史を離れ治教を否認せる政治ほど国家民人に危険なるものなしである。即ち治教は皇祖皇宗の遺訓を奉じ之を皇道の生きたる宗教と見るもよしと思惟すべきである。
 広大無辺なるものの前に跪く心、全智全能なるものの前に懼れ慎む態度、無始無終の愛の懐に抱かるる思ひこそ、人生最大の要諦である。
 語に曰く大奸は大聖に似たり、又曰く聖人は愚なるが如しと。某々教団の教主等の智謀に注意すべきである。大救世主、大教主と自分から名告(なの)るもの多き現代なるよ。
 蓋世(がいせい)の英雄、千古の偉人は思想極めて単純なり。而して其偉業の複雑にして動作の端睨すべからざるもの在るが如きは、その構想の天空海濶にして、その施設の高遠茫漠なるに帰する所その思想極めて単純明朗広大無辺にして能く人の言を容れ、能く事物を包容するの雅量と気宇の存するあるに因る。即ち万象一に帰するてふ(かたち)あるなり。
 人の短所は長所であり、その長所こそはまた短所でもある。長所と言ひ短所と評するものも其間に髪を容れず。また聖人は愚なるが如くなるものである。その迂愚なる如きものに大知識があり賢人がある。また極悪人と極善人とは、敢て逕庭なく恰も東の最極端は西の最極端であり、昼の前後は夜、夜の最後は昼なると同様である。(昭和九・一〇・二八)

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