宇宙初発の際に言霊あり、言霊は神なり、又仏陀と曰ひ真言と曰ふ。
我国は天地開闢の時に、最初に造られたる真正無比の国土にして、地球の総領国なり。又言霊の法清く美しく、円満にして朗かなり。故に我国を言霊の幸ふ国、言霊の天照る国、言霊の助くる国、言霊の生ける国と、古より言ひ伝ふ。日本神州神民の声音は、円満清朗にして、其数最も多く、清音のみにして且つ言霊に権威を伴ふ。他国の言霊は、甚だしく混濁して、日本神民の三分の一の数を用ひ、且つ不正の声音を発し、言霊の権威は絶無にして、只々意思を伝ふる用に供するのみ。其他の下級動物に至るに従ひ、声音の数益々少く、論ずるに足らず。
惟神の大道は、天地自然の性に従ふものなるが故に、世界各その教を設くるにも、国霊と風土の関係に由つて、差別あるなり。皇国は国霊も風土も、清浄潔白にして、其国民は恰も神明に等しければ、神命を奉じ、万世一系の皇室を戴き、大君は神の御心を心とし、民を以て本となし、天国の善政を施き、臣民を率ゐて、天地経綸の司宰者たる天職を尽すべく教へ導き、天が下を安国と平けく、知食玉ふが故に、我大君は主、師、親の三徳を惟神に具有し給へば、我国民は、天津神の霊統を継がせ玉へる、現人神に在し坐す、大君の御神勅を、畏み仕ヘ奉りて、上下一致億兆一心の、天津誠の道を遵奉し奉り、天地の神明に愧ぢざる善行を為し、天下に範を示すベき神州清潔の神民なれば、外国の如く、小賢く言挙げせざる大御国なる事も、弁ヘ知るベし。又印度の如く風俗悪く、従つて国霊劣りて、頑愚度し難き人民を、教化し済度せんとせば、彼の釈迦の如く、仏の教なるものを作り、地獄極楽の説、因果応報の教旨など、種々の方便を設けて、国人の心を和め、且つ之を導くは、是その国土人心に相応したる教誡なり。故に印度人としては、最も適当なる唯一の教理と曰ふべし。されど我国に是を応用するは、人類の食膳に向つて、牛馬の喰ふべき食物を供するが如くにして、必ずしも、適当なる教と曰ふべからず。日本人は皇国固有の教を遵奉し、印度人は印度国に適したる仏教を遵奉せば安心立命し、以て人生の本分を尽し得るなり。
支那の如きは、人民の心を本として教を立て、天下は天下の天下なり、一個人の左右すべきものに非ずてふ精神に基きて、教を立てたる国土なれば、仮令天下の主なりと雖も、暴逆にして民心を失ひたる時は、之を伐ち、之を放ちて、其位に代るを以て、自然の良道とするなり。故に孟子の言にも、民為[#レ]貴、社稷次[#レ]之、君為[#レ]軽と在り。土神穀神の社殿と雖も、旱魃洪水などの変災頻りに起りて、之を禦ぐこと能はざる時は、直ちに無能不用の神として、其社殿を毀ちて之を更改す。況んやそれに次ぐと為せる、国君の不徳にして民を治むる事能はず、暴逆無道にして、民心に背反する時は、明君出てその位に替るも、皆その風土国霊に相応して、聖賢の立たる自然の道なり。それとは亦格別にして、我皇国は神の造りし国、神の治むる国、神の建てたる国なれば、万世一系の皇統を、天津日継と申し奉る事は、天地開闢の太初より、高天原に在します所の、皇祖天照大御神の御子孫にして、天津日の御跡を継ぎて、天下に君臨し給ふと曰ふ、尊称なる事は、古典明かに之を教ヘ給ふなり。『茜刺す天照国の日の宮の聖の御子云々』と続日本紀の歌にも載せられ、我国体の尊厳無比なるは、古往今来国民の普く知悉せる所なり。万葉集の長歌にも『天地の初の時ゆ久方の、天の河原に八百万、千万神の神集ひ、集ひ居まして神分り、分りし時に天照日女尊、天をば知しめしぬと葦原の、瑞穂の国を天地の、依相の極み知しめす、神の命と天雲の、八重掻別けて神下り坐し奉りし』など詠めるも皇祖大神の高天原を知召し、皇孫瓊瓊岐命の、此の地上の国土へ降臨し給ひたる、神事を云へる神歌にして、君を君として立て、所謂天立君主、立憲制の御国土なるが故に、古の摂家、清家の家々も皆天上より陪従し来りて、事ヘ奉りたる神人の裔孫支流にして、天地開闢の初より、君臣の大義名分なるもの、自然に定まりて、幾度世を代ふるとも、毫も動揺する事無く、天津日継の高御座は、万世一系にして擾れ給ふ事無き、誠に至善至美至真の御国体なれば、斯の神国に生を託するものは、神と皇上との殊恩を、片時も忘却すベからず、実に神聖無比の天国浄土たるなり。然のみならず、其皇子に源平等の姓を賜ひて、皇族の御方々と雖も、一度臣下の列に成らせ給ひたる時は、仮令皇子、親王、諸王と雖も、再度皇位を継がせ給ヘる事実なき、霊威不可犯の尊位に在しまして、国民は実に有難く、忝なき次第と云ふべし。我歴代の天皇は、上は天津神の御心を心と成し給ひ、下は臣民の心を以て、政治の大本と為し玉ふが故に、畏くも明治天皇は
『罪あれば我を咎めよ天津神、民は我身の生みし子なれば』
と仰せられ又 『我臣民億兆の中に、一人にても、其所に安んぜざる者あらば朕の罪なり』
と仰せられし御聖旨を伺ひ奉るに於ては、我皇上の臣民たるもの、一人として感泣せざる者あらむや。実に尊く忝なく、御仁慈の程は山よりも高く、海よりも深く、恰も慈母の赤子に於けるが如しと曰ふ可し。畏くも皇宗天武天皇の、古事記を撰録せしめ給ひし時、その御序文に
『於是天皇詔之 朕聞諸家。之所[#レ]賚 帝紀及本辞。既違[#二]正実[#一]。多加[#二]虚偽[#一]。当[#二]今之時[#二]。不[#レ]改[#二]其失[#一]未[#レ]経[#二]幾年[#一]。其旨欲[#レ]滅 斯乃邦家之経緯。王化之鴻基焉。故惟撰[#二]録帝紀[#一]。討[#二]覈旧辞[#一]。削[#レ]偽定[#レ]実欲[#レ]流[#二]後葉[#一]。』
以上の御聖旨に由るも、皇典古事記の最も正確にして、勅撰に成れる事実は、昭々として日月の如く、一点の疑惑を容れ奉るの余地無し、古典学者の輩浅学薄慮にして、神聖なる皇典古事記の深奥を解せず、徒に文字音句の上に拘泥し、偶、穴穂御子(安康天皇)の大日下王を殺し、其妹なる長田太郎女を皇后と為し給ひ、其子目弱王に弑せられ給ひし事跡などを捕へ来つて、古事記は上代の出来事を、最も赤裸々に伝へられしものにして、主上の暴逆を記載せられたるは、寧ろ古典の美点なりなど唱へて泰然たるは、実に恐懼の至りなりと曰ふべし、我歴代の天皇は、上は天神の御心を体し、下は臣民の安危を以て念慮と為させ給ふが故に、天下を知食し給ふや、時代の人情治乱を以て、我が不徳の罪と為し、下万民に代りて天神に罪を謝し万民を無罪の神子と、見直し、聞直し、詔直し給ふ、主、師、親三徳全備の現人神に在し坐せるが故に、其御宇の人民の罪悪を赦し、御自身の御行跡の如くに伝へ給ひて、臣民を庇護し給ふ、大慈大悲の大御親心に出でさせ給ふを、伺ひ奉る可し。之に反して紀、記両書の伝ふる事跡を、文辞の儘に解す可きものとすれば、何を以て天武天皇の『斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉』と詔らせ玉ふ可きや。
吾人の常識を以て判断するも、自明の理ならずや、次いで日本書紀の一節、武烈天皇紀に『天皇の御所行総て残忍に在坐して孕婦の腹を割きて其胎を観給ひ、人の頭髪を抜きて樹に登らしめて、之を射墜し給ふ』などの、大悪逆有らせられし事を記されたるが、我列聖の大君は、元来大慈大悲の、天津御神の珍の御子孫に在し坐し、民を見給ふ事、恰も我身を傷むが如く、思召し給ふが故に、何れの君主も皆時代に応じたる、善政を布き給ひて、天意に順応し給ふが故に、御一方として、悪逆無道の君主出で給ひし事無きは当然なり。然りと雖も、我国歴代の至尊は、天祖天照皇大神の、此の豊葦原瑞穂国は、吾児の世々知さむ国と詔り給ひて、全地球の御支配権を、任さし給へる大君に在し坐すが故に、現代の極東日本国のみならず、全世界の人民をも、赤子の如く治め統ベ愛くしみ給ふ御天職の在しませば、仮令、異域の出来事と雖も、責任を帯ばせ給ひ、全世界に於ける主、師、親の全徳を発揮し玉ふ、歴朝の大御心より、当時に於ける異域の悪逆無道の出来事までも、一身に引受け、異域の悪王の所行と雖も、之を見直し、聞直し、詔直し玉ひて、千座の置戸を負はせ給へる、尊き忝なき御神慮には、日本臣民は言ふも更なり、外国の臣民たりとも、感泣せざるを得ざる大御心と、仰ぎ奉りて、猶余りありと謂ふべし。然る深遠なる、大慈大悲の御神慮の御在します事を、奉解し能はざる、群盲象評的の似而非国学者輩頻出して、尊厳無比なる、皇祖皇宗の御遺訓なる古典を誤解し、武烈天皇紀の御事跡に対して『斯の如ぎ大悪逆を為し給ひし大君も、崩御し給ふまでは、臣下に誰一人、これを弑し奉らむと思ふ者無く、天皇と仰ぎ奉りたるは、君臣の名分定まりては、妄りに動かし難き、風土の然らしむるに由るなり』など論ずるは、寧ろ古典を汚す、不忠不敬の盲目学者と謂ふベし。吾年来主唱せる皇道大本の解説は、皇祖皇宗の大御心を奉体して、弁明を降し奉るものなれば、前人未解の真意義を解し、以て全世界を、精神的に改造し神皇の洪大なる御恩徳に、浴せしめむとするに在るのみ。