霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一〇章 空縁(からえん)〔九五一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第34巻 海洋万里 酉の巻 篇:第2篇 有情無情 よみ(新仮名遣い):うじょうむじょう
章:第10章 空縁 よみ(新仮名遣い):からえん 通し章番号:951
口述日:1922(大正11)年09月13日(旧07月22日) 口述場所: 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年12月10日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
建野ケ原の神館は小高い丘の上に建てられており、信徒がひっきりなしに参拝して神徳は四方に輝きわたっていた。
一年前に婿入りし神館の主となった建国別は、黙然として想いにふけり、妻の建能姫の呼びかけにも気が付かないほど悩んでいた。建国別は、自分は今でこそ立派な名をもらって建日別命の後を継いでいるが、幼名は金太郎と言い父母の顔も知らず育ったため、父母に会いたいという執着心にさいなまれているのだと建能姫に明かした。
建能姫は、今日はちょうど建国別が婿入りして神館の後を継いで一年になる吉日のため、夫婦そろって神様にお礼を申し上げ、役員信者にお神酒を饗応しようと提案した。建国別は妻の心遣いに感謝した。
夫婦そろって奏上する祝詞は相和して得も言われぬ風韻が境内に隈なく響き渡った。役員信者たちは今日の祝宴に列して口々に建国別夫婦の高徳を称えあっていた。
そこへ、玉公に案内されて黒姫がやってきた。玉公は門番に、黒姫が建国別の母親かもしれないと告げて、建国別に目通りを願い出た。
建国別は神前での感謝祈願を終わって、建能姫に、自分の両親は立派な宣伝使となって活動しているような感覚を得たので、非常に心が晴れたことを告げていたところであった。
そこへ門番の幾公があわててやってきた。幾公はてっきり黒姫が建国別の母親だと早合点して、注進にきたのであった。建能姫は、まずは自分が黒姫を案内してくるので、その上で面会して真偽を確かめようと言い、幾公に口止めする。あわて者の幾公はすでに幹部の健彦をはじめ、数人に話してしまった後であった。
建能姫は幾公のあわて振りや脱線振りに笑いをこぼしながらも、黒姫に挨拶をなして奥座敷に案内をした。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-09-19 14:04:22 文字数:5095 OBC :rm3410
愛善世界社版:127頁 八幡書店版:第6輯 408頁 修補版: 校定版:133頁 普及版:53頁 初版: ページ備考:
001 建野(たけの)ケ原(はら)の神館(かむやかた)は、002風景(ふうけい)よき小丘(せうきう)の上(うへ)に小薩張(こざつぱり)として新(あたら)しく建(た)てられて居(ゐ)る。003千年(ちとせ)の老樹(らうじゆ)、004鬱蒼(うつさう)として境内(けいだい)を包(つつ)み、005実(じつ)に神々(かうがう)しき地点(ちてん)である。006前(まへ)は激潭(げきたん)飛沫(ひまつ)を飛(と)ばす深谷川(ふかたにがは)が横(よこ)ぎつて居(ゐ)る。007朝(あさ)から晩(ばん)迄(まで)信徒(しんと)の参集(さんしふ)する者(もの)踵(きびす)を接(せつ)し、008神(かみ)の神徳(しんとく)は四方(よも)に輝(かがや)き渡(わた)つて居(ゐ)た。
009 館(やかた)の奥(おく)の間(ま)には建国別(たけくにわけ)の宣伝使(せんでんし)脇息(けふそく)に凭(もた)れ乍(なが)ら深(ふか)き吐息(といき)をついて居(ゐ)る。010襖(ふすま)をそつと引(ひ)き開(あ)け、011湯(ゆ)を盆(ぼん)にもつて淑(しと)やかに入(はい)つて来(き)た絶世(ぜつせい)の美人(びじん)は建能姫(たけのひめ)であつた。
012建能姫(たけのひめ)『吾(わが)夫様(つまさま)、013お早(はや)う御座(ござ)います。014お湯(ゆ)が沸(わ)きました、015どうぞ一(ひと)つ召(め)し上(あ)り下(くだ)さいませ』
016と差出(さしいだ)す。017建能姫(たけのひめ)の声(こゑ)にも気(き)がつかぬと見(み)え、018目(め)を塞(ふさ)ぎ黙念(もくねん)として何(なに)か冥想(めいさう)に耽(ふけ)つて居(ゐ)る。019建能姫(たけのひめ)は少(すこ)しく声(こゑ)を高(たか)め、
020建能姫(たけのひめ)『モシモシ吾(わが)夫様(つまさま)、021お湯(ゆ)が沸(わ)きました、022召(め)し上(あ)り下(くだ)さいませ』
023 此(この)声(こゑ)にハツと気(き)が付(つ)いたやうな面持(おももち)にて、
024建国別(たけくにわけ)『ヤア其方(そなた)は建能姫(たけのひめ)、025お湯(ゆ)が沸(わ)きましたかな、026有難(ありがた)う頂戴(ちやうだい)致(いた)しませう』
027建能姫(たけのひめ)『吾(わが)夫様(つまさま)、028貴方(あなた)は妾(わらは)の家(うち)にお越(こ)し下(くだ)さいましてから、029恰度(ちやうど)今日(けふ)で満(まん)一(いち)年(ねん)になります。030然(しか)るに唯(ただ)の一度(いちど)も妾(わらは)に対(たい)し御(ご)機嫌(きげん)のよいお顔(かほ)を見(み)せて下(くだ)さつた事(こと)は御座(ござ)いませぬ。031妾(わらは)も初(はじめ)の間(うち)は不束(ふつつか)なもの故(ゆゑ)お気(き)に召(め)さぬかと存(ぞん)じ色々(いろいろ)と気(き)を揉(も)みましたが、032貴方(あなた)様(さま)はいつも妾(わらは)を可愛(かあい)がつて下(くだ)さいますので合点(がてん)が行(ゆ)かず、033何(なに)か深(ふか)い秘密(ひみつ)がお有(あ)りなさるのであらうと、034常々(つねづね)に済(す)まぬ事(こと)ながら御(ご)様子(やうす)を伺(うかが)つて居(を)りました。035然(しか)る処(ところ)或夜(あるよ)のお寝言(ねごと)に……父上(ちちうへ)母上(ははうへ)に一目(ひとめ)遇(あ)ひ度(た)い……と仰有(おつしや)つた事(こと)が妾(わらは)の耳(みみ)に今(いま)に残(のこ)つて居(を)ります。036何卒(どうぞ)女房(にようばう)の妾(わらは)に何(なん)の遠慮(ゑんりよ)もいりませぬから、037ハツキリと仰有(おつしや)つて下(くだ)さいませ』
038と恐(おそ)る恐(おそ)る問(と)ひかけたるに、039建国別(たけくにわけ)は、
040建国別『女房(にようばう)の其方(そなた)に隠(かく)して居(を)つて誠(まこと)に済(す)まなかつた。041水臭(みづくさ)い夫(をつと)と恨(うら)んで下(くだ)さいますな。042貴女(あなた)は由緒(ゆいしよ)ある建日別(たけひわけの)命(みこと)様(さま)の御(お)息女(むすめご)、043此(この)建国別(たけくにわけ)は父母(ふぼ)両親(りやうしん)の所在(ありか)も分(わか)らず、044況(ま)して素性(すじやう)は如何(いか)なるものか些(ちつ)とも見当(けんたう)が取(と)れませぬ。045今(いま)は建日別(たけひわけの)命(みこと)様(さま)の後(あと)をつぎ、046建国別(たけくにわけ)と云(い)ふ立派(りつぱ)な名(な)を頂(いただ)き、047尊(たふと)き神(かみ)様(さま)にお仕(つか)へをして居(を)りますが、048私(わたくし)の幼時(えうじ)は金太郎(きんたろう)と云(い)つて姓(せい)も知(し)れず、049人(ひと)に拾(ひろ)はれ他人(たにん)の情(なさけ)によつて、050漸(やうや)く三十五(さんじふご)の今日(けふ)迄(まで)成人(せいじん)して来(き)ました。051私(わたくし)の父母(ちちはは)はもう今頃(いまごろ)は此(この)世(よ)に生(いき)て居(を)られるか、052或(あるひ)は彼(あの)世(よ)の人(ひと)になつて居(を)られるか、053何(なん)だか知(し)らぬが、054両親(りやうしん)に遇(あ)ひ度(た)い遇(あ)ひ度(た)いと云(い)ふ執着心(しふちやくしん)がムクムクと腹(はら)の底(そこ)より起(おこ)つて来(き)て、055いつも知(し)らず識(し)らず顔(かほ)がふくれ、056不機嫌(ふきげん)な顔(かほ)をお前(まへ)に見(み)せました。057何卒(どうぞ)気(き)を悪(わる)くして下(くだ)さるな』
058建能姫(たけのひめ)『勿体(もつたい)ない何(なに)を仰(あふ)せられます。059今日(けふ)は夫(あなた)の吾(わが)家(や)に入(い)らせられてより満(まん)一(いち)年(ねん)の吉日(きちにち)、060何卒(どうぞ)機嫌(きげん)をお直(なほ)し下(くだ)さつて、061夫婦(ふうふ)揃(そろ)うて神(かみ)様(さま)にお礼(れい)を申上(まをしあ)げ、062心祝(こころいは)ひに皆(みな)の役員(やくゐん)信者(しんじや)に御(お)神酒(みき)でも饗応(ふれまひ)申(まう)しませうか。063神(かみ)様(さま)のお蔭(かげ)で貴方(あなた)も御(ご)両親(りやうしん)にキツトお遇(あ)ひなさる事(こと)が何(いづ)れは御座(ござ)いませう。064何卒(どうぞ)その様(やう)に落胆(らくたん)せずに、065潔(いさぎよ)く暮(くら)して下(くだ)さいませ』
066建国別(たけくにわけ)『ハイ有難(ありがた)う、067そんなら今日(けふ)は機嫌(きげん)よう神(かみ)様(さま)にお礼(れい)を致(いた)しませう。068さうして役員(やくゐん)信者(しんじや)に御(お)神酒(みき)を頂(いただ)かしませう』
069 建能姫(たけのひめ)は嬉(うれ)し気(げ)に、070いそいそとして酒宴(しゆえん)の用意(ようい)を役員(やくゐん)の建彦(たけひこ)に命(めい)ずべく此(この)場(ば)を下(さが)つて仕舞(しま)つた。
071 後(あと)に建国別(たけくにわけ)は双手(もろて)を組(く)み、072両親(りやうしん)の身(み)の上(うへ)及(およ)び建能姫(たけのひめ)の親切(しんせつ)なる言葉(ことば)に感謝(かんしや)の涙(なみだ)止(と)め難(がた)く、073教服(けうふく)の袖(そで)に時(とき)ならぬ夕立(ゆふだち)の雨(あめ)を降(ふ)らして居(ゐ)る。074建能姫(たけのひめ)は襖(ふすま)を静(しづか)に開(ひら)き丁寧(ていねい)に両手(りやうて)をつき、075言葉(ことば)静(しづか)に、
076建能姫(たけのひめ)『吾(わが)夫様(つまさま)、077建彦(たけひこ)に今日(けふ)の祝宴(しゆくえん)は一切(いつさい)命(めい)じて置(お)きました。078サア、079妾(わらは)と二人(ふたり)これから神前(しんぜん)へお礼(れい)に上(あが)りませう』
080 建国別(たけくにわけ)は建能姫(たけのひめ)のやさしき言葉(ことば)に満足(まんぞく)の面(おもて)を照(てら)しながら神殿(しんでん)深(ふか)く進(すす)み入(い)り、081感謝(かんしや)祈願(きぐわん)の祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)するのであつた。082玉(たま)を転(ころば)す如(ごと)き建能姫(たけのひめ)の声(こゑ)、083音吐(おんと)朗々(らうらう)たる建国別(たけくにわけ)の祝詞(のりと)の声(こゑ)と琴瑟(きんしつ)相(あひ)調和(てうわ)して、084得(え)も云(い)はれぬ風韻(ふうゐん)が境内(けいだい)に隈(くま)なく響(ひび)き渡(わた)り、085神々(かうがう)しき光景(くわうけい)が溢(あふ)れてゐる。
086 建彦(たけひこ)以下(いか)の幹部(かんぶ)役員(やくゐん)を初(はじ)め、087数多(あまた)の老若(らうにやく)男女(なんによ)は早朝(さうてう)より詰(つ)めかけ、088今日(けふ)の祝宴(しゆくえん)に列(れつ)すべく和気(わき)靄々(あいあい)として、089境内(けいだい)の各所(かくしよ)に三々(さんさん)五々(ごご)群(むれ)をなし、090建国別(たけくにわけ)夫婦(ふうふ)の高徳(かうとく)を口々(くちぐち)に讃歎(さんたん)して居(ゐ)る。091上下(しやうか)一致(いつち)相和楽(あひわらく)して恰(あたか)も天国(てんごく)浄土(じやうど)の趣(おもむき)が館(やかた)の内外(ないぐわい)に十二分(じふにぶん)に溢(あふ)れて居(ゐ)る。092かかる処(ところ)へ表門(おもてもん)を叩(たた)いて入(い)り来(く)る男女(だんぢよ)二人(ふたり)の道者(だうしや)があつた。
093女(をんな)『モシモシ、094一寸(ちよつと)此(この)門(もん)を開(あ)けて下(くだ)さいませぬか。095妾(わたし)は自転倒(おのころ)島(じま)より参(まゐ)りました黒姫(くろひめ)と申(まを)す者(もの)で御座(ござ)います。096火(ひ)の国(くに)の高山彦(たかやまひこ)の宣伝使(せんでんし)が女房(にようばう)だと仰有(おつしや)つて下(くだ)されば、097建国別(たけくにわけ)様(さま)はキツとお会(あ)ひ下(くだ)さるでせうから……』
098 門番(もんばん)の幾公(いくこう)は高山彦(たかやまひこ)の女房(にようばう)と云(い)ふ声(こゑ)に驚(おどろ)き慌(あわ)てて表門(おもてもん)をサツと開(ひら)いた。099数多(あまた)の参詣者(さんけいしや)の出入(でいり)する門(もん)は横(よこ)の方(はう)にある。100此(この)門(もん)は唯(ただ)建国別(たけくにわけ)個人(こじん)としての住宅(ぢうたく)の門(もん)であつた。101黒姫(くろひめ)は、
102黒姫『御(ご)苦労(くらう)さま』
103と云(い)ひ乍(なが)ら此(この)門内(もんない)に慌(あはただ)しく進(すす)み入(い)る。104幾公(いくこう)は一人(ひとり)の男(をとこ)の顔(かほ)を見(み)て、
105幾公(いくこう)『アヽお前(まへ)は玉(たま)さまぢやないか。106どうして又(また)このお方(かた)の御(ご)案内(あんない)をして来(き)たのだ』
107玉公(たまこう)『チツと合点(がつてん)の行(ゆ)かぬ事(こと)があるのだ。108ひよつとしたら建国別(たけくにわけ)様(さま)の此(この)方(かた)はお母(か)アさまかも知(し)れないよ。109夫(それ)で兎(と)も角(かく)も御(ご)案内(あんない)申(まを)したのだ』
110と、111耳(みみ)の辺(はた)に口(くち)を寄(よ)せ他聞(たぶん)を憚(はばか)るやうな面持(おももち)にて囁(ささや)いて居(ゐ)る。
112幾公(いくこう)『それや大変(たいへん)だ。113今日(けふ)は建国別(たけくにわけ)様(さま)のおこし遊(あそ)ばしてから満(まん)一(いち)年(ねん)の祝宴(しゆくえん)が開(ひら)かれてゐる処(ところ)だ。114こんな芽出度(めでた)い場所(ばしよ)へお母(かあ)さまがお越(こし)になるとは益々(ますます)もつて芽出度(めでた)い事(こと)だ。115オイ玉公(たまこう)お前(まへ)何卒(どうぞ)暫(しばら)く俺(おれ)に代(かは)つて門番(もんばん)をして居(ゐ)て呉(く)れ。116俺(おれ)はこれから建国別(たけくにわけ)様(さま)にこの吉報(きつぱう)を注進(ちうしん)して来(く)るから……』
117と云(い)ひ捨(す)て黒姫(くろひめ)に追(お)ひつき行(ゆ)く。
118幾公(いくこう)『モシモシ建国別(たけくにわけ)のお母(かあ)さま、119ボツボツ来(き)て下(くだ)さい。120私(わたくし)が先(さき)に御(ご)主人(しゆじん)に御(ご)注進(ちうしん)申上(まをしあ)げ、121お迎(むか)へに参(まゐ)ります。122何卒(どうぞ)この中門(なかもん)の傍(そば)に御(ご)苦労(くらう)乍(なが)ら暫(しばら)く立(た)つて待(ま)つて居(ゐ)て下(くだ)さいませ』
123と早(はや)くも慌者(あわてもの)の幾公(いくこう)は、124建国別(たけくにわけ)の母親(ははおや)と固(かた)く信(しん)じて仕舞(しま)ひ、125不遠慮(ぶゑんりよ)に奥(おく)の間(ま)さして慌(あは)ただしくかけ込(こ)んだ。
126 奥(おく)の一間(ひとま)には建国別(たけくにわけ)夫婦(ふうふ)、127向(むか)ひ合(あ)ひとなつて祝(いはひ)の酒(さけ)を汲(く)み交(か)はして居(ゐ)る。
128建能姫(たけのひめ)『吾(わが)夫様(つまさま)、129今日(けふ)位(くらゐ)気(き)の何(なん)となく嬉(うれ)しい時(とき)は御座(ござ)いませぬなア。130それについても貴方(あなた)の御(ご)両親(りやうしん)様(さま)が此(この)席(せき)にお出(いで)になり、131親子(おやこ)夫婦(ふうふ)が斯(か)うして睦(むつま)じう直会(なほらひ)のお神酒(みき)を頂(いただ)くのならば、132何程(なにほど)嬉(うれ)しい事(こと)で御座(ござ)いませう』
133建国別(たけくにわけ)『あゝさうですなア。134併(しか)し私(わたくし)は今(いま)神前(しんぜん)に御(ご)祈願(きぐわん)の最中(さいちう)、135フツと妙(めう)な考(かんが)へが起(おこ)りました。136私(わたくし)の両親(りやうしん)はキツト此(この)世(よ)に生(い)きて居(ゐ)て神(かみ)様(さま)の為(ため)に立派(りつぱ)な宣伝使(せんでんし)となり、137活動(くわつどう)して居(を)られるやうな感(かん)が致(いた)しました。138そうして今日(けふ)は何(なん)となしに両親(りやうしん)に会(あ)ふ手蔓(てづる)が出来(でき)るやうな気分(きぶん)が浮(う)いて来(き)て、139酒(さけ)の味(あぢ)も一層(いつそう)よくなりました』
140建能姫(たけのひめ)『夫(それ)は夫(それ)は何(なに)よりも嬉(うれ)しい事(こと)で御座(ござ)います。141キツト神(かみ)様(さま)のお引(ひ)き合(あは)せで誠(まこと)さへ積(つ)んで居(を)れば、142御(ご)両親(りやうしん)様(さま)に御(ご)対面(たいめん)が出来(でき)ませう。143妾(わらは)も一昨年(いつさくねん)両親(りやうしん)に別(わか)れ力(ちから)と頼(たの)むは唯(ただ)吾(わが)背(せ)の命(みこと)ばかり、144そこへ御(ご)両親(りやうしん)様(さま)がお見(み)えにならうものなら、145どれ程(ほど)嬉(うれ)しい事(こと)で御座(ござ)いませう。146妾(わらは)はキツト生(うみ)の父母(ちちはは)と思(おも)ひ、147力(ちから)限(かぎ)り孝養(かうやう)を尽(つく)しますから何卒(どうぞ)御(ご)安心(あんしん)下(くだ)さいませ』
148と涙(なみだ)ぐむ。149建国別(たけくにわけ)は、
150建国別『ハイ有難(ありがた)う』
151と云(い)つたきり感謝(かんしや)の涙(なみだ)に咽(むせ)び、152無言(むごん)の儘(まま)俯向(うつむ)いて居(ゐ)る。
153 その処(ところ)へ足音(あしおと)高(たか)く慌(あは)ただしく入(い)り来(きた)るは門番(もんばん)の幾公(いくこう)であつた。154ガラリと襖(ふすま)を無造作(むざうさ)に引(ひ)きあけ、155片膝(かたひざ)を立(た)てたまま手(て)をついて、156ハアハアと息(いき)をはづませ、
157幾公(いくこう)『もしもし御(ご)主人(しゆじん)様(さま)、158大変(たいへん)な事(こと)が出来(でき)ました。159天(てん)が地(ち)となり、160地(ち)が天(てん)になるやうな突発(とつぱつ)事件(じけん)で御座(ござ)いますよ』
161 建国別(たけくにわけ)は稍(やや)気色(けしき)ばみ、162忽(たちま)ち立膝(たてひざ)となり、
163建国別(たけくにわけ)『お前(まへ)は門番(もんばん)の幾公(いくこう)、164大変事(だいへんじ)が突発(とつぱつ)したとは何事(なにごと)だ。165早(はや)く云(い)つて呉(く)れないか』
166幾公(いくこう)『ハイ、167大変(たいへん)も大変(たいへん)地異(ちい)天変(てんぺん)、168手(て)の舞(ま)ひ足(あし)の踏(ふ)む所(ところ)を知(し)らずと云(い)ふ喜(よろこ)びが降(ふ)つて来(き)ました。169お目出度(めでた)う御座(ござ)います。170御(ご)夫婦(ふうふ)様(さま)お喜(よろこ)びなさいませ。171あゝ嬉(うれ)しい嬉(うれ)しい目出度(めでた)い目出度(めでた)いおめでたい』
172と手(て)を拍(う)つて立(た)ち上(あが)り、173キリキリと舞(ま)うて見(み)せた。174夫婦(ふうふ)は合点(がてん)ゆかず、175ヂツと幾公(いくこう)の乱舞(らんぶ)を見詰(みつ)めて居(ゐ)る。
176幾公(いくこう)『これはこれは御(ご)主人(しゆじん)様(さま)、177余(あま)り嬉(うれ)しうて肝腎(かんじん)の申上(まをしあ)げる事(こと)を忘(わす)れました。178目出度(めでた)い時(とき)には目出度(めでた)事(ごと)が重(かさ)なるものですなア、179貴方(あなた)のお母(かあ)さまが、180建国別(たけくにわけ)の館(やかた)は此処(ここ)か、181一度(いちど)会(あ)ひたいと仰有(おつしや)つて、182今(いま)、183村(むら)の玉公(たまこう)の案内(あんない)でお見(み)えになりました。184中門(なかもん)の口(くち)に待(ま)つて居(を)られますから、185何卒(どうぞ)御(ご)夫婦(ふうふ)様(さま)機嫌(きげん)よくお出迎(でむか)へ下(くだ)さいませ。186嘸(さぞ)お母(かあ)さまもお喜(よろこ)びで御座(ござ)いませう』
187 建国別(たけくにわけ)は、
188建国別『ハテナア』
189と云(い)つたきり双手(もろて)を組(く)み又(また)もや思案(しあん)に沈(しづ)む。190幾公(いくこう)は焦慮(もどかし)さうに、
191幾公(いくこう)『これはしたり御(ご)主人(しゆじん)様(さま)、192ハテナも何(なに)もあつたものですか。193愚図(ぐづ)々々(ぐづ)して居(を)られますと、194お母(かあ)さまが怒(おこ)つて帰(かへ)られたら、195それこそつまりませぬ。196喜(よろこ)びも一緒(いつしよ)に帰(かへ)つて仕舞(しま)ひます。197何卒(どうぞ)早(はや)くお出迎(でむか)ひなさつて下(くだ)さいませ。198中門(なかもん)の口(くち)に立(た)つて居(を)られますから……』
199建能姫(たけのひめ)『御(ご)主人(しゆじん)様(さま)、200兎(と)も角(かく)も貴方(あなた)は此処(ここ)に居(ゐ)て下(くだ)さいませ。201妾(わらは)が実否(じつぴ)を検(しら)べて参(まゐ)ります』
202建国別(たけくにわけ)『御(ご)苦労(くらう)だが貴方(あなた)往(い)つて来(き)て下(くだ)さい、203仮令(たとへ)真偽(しんぎ)は分(わか)らなくとも御(ご)丁寧(ていねい)に奥(おく)へお通(とほ)し申(まを)しゆつくりと話(はなし)を承(うけたま)はりませう。204可成(なるべく)人(ひと)の耳(みみ)に入(い)らないやうにして下(くだ)さい』
205建能姫(たけのひめ)『ハイ承知(しようち)致(いた)しました。206それなら妾(わらは)がお迎(むか)ひに参(まゐ)ります……これ幾公(いくこう)や、207お前(まへ)此(この)事(こと)は真偽(しんぎ)の分(わか)る迄(まで)誰人(だれ)にも云(い)つてはなりませぬよ』
208 幾公(いくこう)は頭(あたま)を掻(か)きながら、
209幾公(いくこう)『ハイ併(しか)し乍(なが)ら、210あまり嬉(うれ)しいので四五(しご)人(にん)の連中(れんちう)に喋(しやべ)つて了(しま)ひました。211もう今頃(いまごろ)は建彦(たけひこ)の幹部(かんぶ)にも耳(みみ)に入(い)り、212やがてお祝(いはひ)にテクテク詰(つ)めかけるでせう。213今更(いまさら)口留(くちどめ)する訳(わけ)にもゆきませず、214どうしませうかなア』
215建能姫(たけのひめ)『何(なん)とまア気(き)の早(はや)い男(をとこ)だなア、216万一(まんいち)人違(ひとちが)ひで、217真実(ほんと)のお母(かあ)さまで無(な)かつた時(とき)はお前(まへ)どうなさる積(つも)りかえ』
218幾公(いくこう)『真実(ほんと)でも嘘(うそ)でもお母(かあ)さまはお母(かあ)さまですよ。219此(この)幾公(いくこう)だつてお母(かあ)さまが無(な)いのだもの、220烏(からす)がカアカア云(い)ふ声(こゑ)を聞(き)いても懐(なつ)かしくなるのだから、221嘘(うそ)でも真実(ほんと)でも構(かま)ひませぬ。222お母(かあ)さまと聞(き)いてこれがどうしてヂツとして居(を)れませうか』
223建国別(たけくにわけ)『ハヽヽ困(こま)つた男(をとこ)だなア。224これ幾公(いくこう)、225お湯(ゆ)を一(ひと)つ汲(く)んでおくれ』
226幾公(いくこう)『お湯(ゆ)を汲(く)んでお母(かあ)さまに上(あ)げるのですか。227余(あま)り門口(かどぐち)では失礼(しつれい)ぢやありませぬか。228折角(せつかく)探(たづ)ねてお出(いで)になつたお母(かあ)さまに、229乞食(こじき)か何(なん)ぞのやうに門口(かどぐち)でお湯(ゆ)を上(あ)げるなんて些(ちつ)と失礼(しつれい)ぢや御座(ござ)いませぬか』
230建国別(たけくにわけ)『分(わか)らぬ男(をとこ)だなア。231お湯(ゆ)を私(わたし)に汲(く)んでくれと云(い)ふのだよ』
232幾公(いくこう)『一寸(ちよつと)お待(ま)ちなさいませ。233親(おや)より先(さき)へお湯(ゆ)を頂(いただ)くと云(い)ふ、234そんな不道理(ふだうり)な事(こと)がありますか。235今(いま)までは御(ご)両親(りやうしん)の行方(ゆくへ)が分(わか)らないものだから、236此(この)家(うち)の大将(たいしやう)で貴方(あなた)が一番(いちばん)先(さき)にお湯(ゆ)なり御飯(ごはん)なりお食(あが)り遊(あそ)ばしたのだが、237もう今日(けふ)となつては長上(めうへ)をさし置(お)いて貴方(あなた)が先(さき)へお茶(ちや)を飲(の)むと云(い)ふ道理(だうり)はありますまい。238そんな事(こと)で三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)が勤(つと)まりますか』
239建国別(たけくにわけ)『ヤア、240長々(ながなが)とお前(まへ)のお説教(せつけう)で私(わたし)も感心(かんしん)した。241そんならお湯(ゆ)を頂(いただ)く事(こと)だけは暫(しばら)く見合(みあは)して置(お)かう』
242幾公(いくこう)『遉(さすが)は三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)建国別(たけくにわけの)命(みこと)様(さま)、243物(もの)の道理(だうり)がよく分(わか)ります哩(わい)。244さうだから此(この)幾公(いくこう)も貴方(あなた)の抱擁力(ほうようりよく)の偉大(ゐだい)なるに平素(へいそ)から感服(かんぷく)して、245門番(もんばん)を甘(あま)んじて勤(つと)めて居(ゐ)るのです。246これから御免(ごめん)蒙(かうむ)りまして、247お母(かあ)さまをお迎(むか)ひに参(まゐ)つて来(き)ます……サア建能姫(たけのひめ)様(さま)、248早(はや)くお出(い)でなさいませ。249お母様(かあさま)が門(もん)の外(そと)で痺(しびれ)を切(き)らして待(ま)つて被居(いらつしや)いますよ』
250建能姫(たけのひめ)『左様(さやう)ならば吾(わが)夫様(つまさま)、251一寸(ちよつと)お迎(むか)へに行(い)つて来(き)ます。252幾公(いくこう)、253あまり喋(しやべ)らないやうにして下(くだ)さいや』
254幾公(いくこう)『ハイハイ委細(ゐさい)承知(しようち)致(いた)しました。255サア参(まゐ)りませう』
256と建能姫(たけのひめ)をつき出(だ)すやうに捉(うなが)しながら中門(なかもん)のそば迄(まで)やつて来(き)た。257幾公(いくこう)は中門(なかもん)を無造作(むざうさ)にパツと開(ひら)き、
258幾公(いくこう)『お母(かあ)さま、259長(なが)らくお待(ま)たせ致(いた)しました。260サア何卒(どうぞ)お入(はい)り下(くだ)さいませ。261これは建能姫(たけのひめ)と云(い)ふ女房(にようばう)で御座(ござ)います。262何卒(どうぞ)実(じつ)の吾(わが)子(こ)のやうに可愛(かあい)がつてやつて下(くだ)さいませ。263建能姫(たけのひめ)も一寸(ちよつと)聞(き)いて居(ゐ)ましたら、264建国別(たけくにわけ)様(さま)の御(ご)両親(りやうしん)が見(み)えたら、265生(うみ)の父母(ちちはは)のやうに思(おも)うて孝養(かうやう)を尽(つ)くすと云(い)うてくれました。266何卒(どうぞ)気兼(きがね)は入(い)らぬから吾(わが)子(こ)の家(うち)へ帰(かへ)つたと思(おも)うて、267気楽(きらく)にお入(はい)り下(くだ)さいませ』
268建能姫(たけのひめ)『これこれ幾公(いくこう)、269お前(まへ)それは何(なに)を云(い)ふのですか』
270幾公(いくこう)『ハイ、271私(わたし)は御(ご)主人(しゆじん)の代(かは)りに参(まゐ)つたのですから、272一寸(ちよつと)代弁(だいべん)を致(いた)しました。273これ建能姫(たけのひめ)殿(どの)、274早(はや)くお母(かあ)さまに御(ご)挨拶(あいさつ)をしやいのう』
275建能姫(たけのひめ)『ホヽヽヽヽ、276仕方(しかた)のない男(をとこ)だなア……もしもし旅(たび)のお方(かた)様(さま)、277よう此(この)破家(あばらや)をお訪(たづ)ね下(くだ)さいました。278内密(ないみつ)にお伺(うかが)ひしたい事(こと)が御座(ござ)いますから、279何卒(どうぞ)お入(はい)り下(くだ)さいませ』
280黒姫(くろひめ)『ハイ有難(ありがた)う御座(ござ)います。281私(わたくし)も筑紫(つくし)ケ岳(だけ)の高山峠(たかやまたうげ)の頂(いただ)きで、282一寸(ちよつと)此方(こちら)の御(ご)主人(しゆじん)の事(こと)を承(うけたま)はり、283些(すこ)し許(ばか)り心(こころ)に当(あた)る事(こと)が御座(ござ)いまして、284火(ひ)の国(くに)の都(みやこ)に参(まゐ)ります途中(とちう)、285此(この)村(むら)の玉公(たまこう)と云(い)ふお方(かた)に案内(あんない)されてお邪魔(じやま)を致(いた)しました。286左様(さやう)なら遠慮(ゑんりよ)なう通(とほ)らして頂(いただ)きませう』
287と建能姫(たけのひめ)に従(したが)つて奥(おく)に姿(すがた)をかくす。
288幾公(いくこう)『まア何(なん)と上流(じやうりう)社会(しやくわい)の挨拶(あいさつ)と云(い)ふものは七面倒(しちめんだう)臭(くさ)いものだなア。289俺(おれ)だつたら出遇(であ)ひ頭(がしら)に……ヤアお前(まへ)は、290ヤア、291貴方(あなた)は吾(わが)夫(つま)建国別(たけくにわけ)さまのお母(かあ)さまであつたか、292ヤアお前(まへ)は嫁御(よめご)であつたか、293思(おも)はぬ所(ところ)で遇(あ)ひました。294お母(かあ)さま、295嫁女(よめぢよ)などと手(て)つ取(と)り早(ばや)く名乗(なの)つて了(しま)ふのだがなア。296まだこれから奥(おく)へいつて徳利(とくり)に詰(つ)めた味噌(みそ)を剔(ほじく)りだすやうな辛気臭(しんきくさ)い掛合(かけあひ)が初(はじ)まるのであらう、297繁文(はんぶん)縟礼(じよくれい)を忌(い)み簡明(かんめい)を尊(たふと)ぶ世(よ)の中(なか)に、298サテモサテモ上流(じやうりう)の家庭(かてい)と云(い)ふものはどこ迄(まで)も旧套(きうたう)を脱(だつ)し得(え)ないものと見(み)える哩(わい)』
299(大正一一・九・一三 旧七・二二 加藤明子録)
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