霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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序文(じよぶん)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第54巻 真善美愛 巳の巻 篇:前付 よみ(新仮名遣い):
章:序文 よみ(新仮名遣い):じょぶん 通し章番号:
口述日:1923(大正12)年02月21日(旧01月6日) 口述場所:竜宮館 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年3月26日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
そもそも霊界物語は、神代における神々の神示によって著されたものであり、学者の歴史でも歴史家の歴史でもない。世の腐儒者や気魄なき歴史家やデモ宗教家の所説は、ひとつとして宇宙開闢の真相を真に理解したものはない。
今日の新聞においても、記者の眼識の程度によって見解が異なり矛盾と誤謬が多きことは、一昨年の大本事件の記事が無根と虚構によって充たされ、真相を報道した新聞がなかったことによって悟ることができる。
また前後二十有余年間、大本に日々出入りし親しく教祖に接し教示を賜り、その御行動を実地目撃しながら、未だに教祖の御心意がどこにあるかを知らざる者ばかりである。
瑞月が教祖と共に大神の道に舎身的奉仕の誠を尽くしたるを見て、これを何か神慮に背反せる行為のごとくみなし、長年排斥と侮蔑と圧迫を試みながら、自分らの行動は全部神に叶えるものと信じ、妄動を続行している。
一昨冬に初めて本書の口述を始めたときも、重要な位置にある役員の一部は、これをもって取るに足らない悪言となし、極力妨害を加えようとした者さえあったくらいである。神意の存するところを知らず、自分の暗迷な眼識によって身魂相応の解釈を試みようとするから、このようなことになる。
現代人は癲狂痴呆の度が強くなっているのだから、瑞月が神示に由れるこの物語に対して、我関せずの態度に出たり、また反対の挙に出るものあるべきは、当然の帰結としてすでに覚悟の前である。
本書は現代の学者、宗教家、歴史家の思潮を憂慮せる熱誠慷慨の余声として、はたまた神明の摂理の一部として編述したもので、今日の有識者の所説に対して一歩も譲らないことを信ずるのである。
先入思想を全然放擲して従順に神の御声に耳を傾け眼を注ぐときは、遠き神代の世界の史実は言うもさらなり、中古近古の歴史の真相も幾分か捕捉することができるだろうと信じる。
虚空の外に心身をおいて神代の史実と神の意志とを顕彰し、一瞬に転回して宇宙の真相をしめそうと、神示のまにまに物語を現したその苦心は、言うに言われない。
大神の神格を精霊に充たし予言者に来らしめて、万民救治のために明示された神書に対し、ある大本幹部役員の口からも軽侮嘲笑の言が出たことは、ちょっと面喰わざるを得なかった。
しかしながら、天下に一人でも具眼の者が現れて、ひとたび心を潜めてこの物語の真面目に臨めば、必ずや一節ごとに深遠微妙の真理を蔵し、五味の調度よろしき弥勒胎蔵の神意と神智や、苦集滅道の本義を発見し、肯定し、帰依するに至るであろう。
本物語の目的は、霊界現界の消息を明らかにし、諸人が死後の覚悟を定め、永久に天国浄土の悦楽に入るべく、仁慈の神の御賜物として人間一般に与えられたものである。現界に用いては、大は治国平天下の道から、小は吾人の修身斉家の基本となるべき神書である。
昨大正十一年の秋、瑞月は筆録者をはじめ、天声社における編集者は、この物語に対してどこまでの信仰を有するかを試みるため、神示にしたがって、万々一本書の中において教典として採用すべき金玉の文字あらば抜粋してこれを別冊となし、宣伝用に宛て、熱誠な宣伝使や信者に分かつべし、と言った。
全巻みな神の目より見れば金玉の文字、人間の作物ではない。それを真面目に取捨選択し、各自数か月熱心調査の結果として余に示した。神明に伺い見たところ、神は大いに笑わせ給い、人間の盲目と無鉄砲には呆れたり、との御言葉であった。
これを思えば人間は自我心を出さず、何事も聖慮に素直に従順に仕えるより外に道はないと思う。この神書をもって、普通の稗史小説または単なる滑稽物語および心学道話の一分と見ているくらいの程度では、到底この書の眼目点をつかむことはできない。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:0000-00-00 00:00:00 文字数:2601 OBC :rm540001
愛善世界社版:前付 1頁 八幡書店版:第9輯 617頁 修補版: 校定版:前付 1頁 普及版:前付 1頁 初版: ページ備考:
001 抑(そもそも)霊界(れいかい)物語(ものがたり)は神代(かみよ)に於(お)ける神々(かみがみ)の神示(しんじ)に由(よ)りて著(あらは)されたるものであつて、002現代(げんだい)の所謂(いはゆる)学者(がくしや)の歴史(れきし)でもなく、003又(また)歴史家(れきしか)の歴史(れきし)でも無(な)い。004世(よ)の腐儒者(ふじゆしや)や興国(こうこく)的(てき)気魄(きはく)なき歴史家(れきしか)や、005デモ宗教家(しうけうか)の所説(しよせつ)は、006徹頭(てつとう)徹尾(てつび)憶測(おくそく)と受売(うけうり)のみにして、007一(いつ)として歴史(れきし)の真相(しんさう)を伝(つた)へ、008且(か)つ之(これ)を真解(しんかい)し得(え)たものは絶無(ぜつむ)と謂(ゐ)つても可(い)い位(くらゐ)である。009况(いは)ンや宇宙(うちう)開闢(かいびやく)の真相(しんさう)に於(おい)てをやである。010試(こころ)みに今日(こんにち)朝夕(てうせき)発刊(はつかん)せる新聞紙(しんぶんし)の記事(きじ)を見(み)るも、011同日(どうじつ)の出来事(できごと)を記者(きしや)自(みづか)ら実地(じつち)に臨(のぞ)み之(これ)を目撃(もくげき)して、012直(ただち)に紙上(しじやう)に掲載(けいさい)するに当(あた)り、013各(かく)新聞(しんぶん)記者(きしや)の眼識(がんしき)の程度(ていど)如何(いかん)に由(よ)つて其(その)観察点(くわんさつてん)を異(こと)にし、014同一(どういつ)の出来事(できごと)を報道(ほうだう)するに甲(かふ)、015乙(おつ)、016丙(へい)、017丁(てい)各(かく)その見解(けんかい)を異(こと)にして筆(ふで)を採(と)るを以(もつ)て、018その矛盾(むじゆん)と誤謬(ごびう)の多(おほ)きことは一般(いつぱん)識者(しきしや)の感知(かんち)する処(ところ)である。019現(げん)に一昨年(いつさくねん)の大本(おほもと)事件(じけん)の記事(きじ)の如(ごと)きは、020一切(いつさい)無根(むこん)と虚構(きよこう)とに由(よ)つて充(みた)され、021一(いつ)として其(その)真相(しんさう)を報道(ほうだう)したる新聞紙(しんぶんし)の無(な)かつたのを見(み)ても、022思(おも)ひ半(なかば)に過(す)ぐるものあるを覚(さと)るべきである。023又(また)前後(ぜんご)二十(にじふ)有余(いうよ)年間(ねんかん)、024大本(おほもと)に日々(にちにち)出入(しゆつにふ)し親(した)しく教祖(けうそ)に接(せつ)し口(くち)づから教示(けうじ)を承(うけたま)はり、025且(か)つ日々(にちにち)の御(ご)行動(かうどう)を実地(じつち)目撃(もくげき)し乍(なが)ら、026未(いま)だ教祖(けうそ)の御(ご)心意(しんい)の奈辺(なへん)にありしかを知(し)らざるもの而己(のみ)なるを見(み)ても証明(しようめい)することが出来(でき)る。027又(また)瑞月(ずゐげつ)が教祖(けうそ)と共(とも)に大神(おほかみ)の道(みち)に舎身(しやしん)的(てき)奉仕(ほうし)の誠(まこと)を竭(つく)したるを見(み)て、028之(これ)を何(なに)か神慮(しんりよ)に背反(はいはん)せる行為(かうゐ)の如(ごと)く見做(みな)し、029甚(はなは)だしきは邪神(じやしん)の憑依(ひようい)せるものとして、030永年間(ながねんかん)排斥(はいせき)と侮蔑(ぶべつ)と圧迫(あつぱく)とを一生(いつしやう)懸命(けんめい)に試(こころ)み、031以(もつ)て自分(じぶん)等(ら)の行動(かうどう)は全部(ぜんぶ)神(かみ)に叶(かな)へるものと信(しん)じ妄動(まうどう)を続行(ぞくかう)し居(ゐ)たる如(ごと)きは其(その)好適例(かうてきれい)である。032一昨冬(いつさくとう)始(はじ)めて本書(ほんしよ)の口述(こうじゆつ)を為(な)せる折(をり)も、033重要(ぢうえう)の位置(ゐち)にある役員(やくゐん)の一部分(いちぶぶん)は之(これ)を以(もつ)て取(と)るに足(た)らざる悪言(あくげん)となし、034極力(きよくりよく)妨害(ばうがい)を加(くは)へむと為(な)したるものさへあつた位(くらゐ)である。035之(これ)全(まつた)く神意(しんい)の存(そん)する所(ところ)を知(し)らず且(か)つ自分(じぶん)の暗迷(あんめい)なる眼識(がんしき)によつて身魂(みたま)相応(さうおう)の解釈(かいしやく)を試(こころ)みむとするが故(ゆゑ)である。
036 又(また)現代(げんだい)の学者(がくしや)、037宗教家(しうけうか)、038歴史家(れきしか)は本書(ほんしよ)を以(もつ)て支離(しり)滅裂(めつれつ)、039つかまへ所(どころ)の無(な)い物語(ものがたり)と成(な)し又(また)は放胆(はうたん)なる断定(だんてい)に失(しつ)せる作物(さくぶつ)と批難(ひなん)し、040傍若(ばうじやく)無人(ぶじん)と譏(そし)り、041怪乱(くわいらん)狂妄(きやうまう)見(み)るにたえざる悪書(あくしよ)と貶(けな)し、042相手(あひて)にも為(し)て呉(く)れないであらう。043永年(ながねん)大本(おほもと)に出入(しゆつにふ)し乍(なが)ら大本(おほもと)の主義(しゆぎ)精神(せいしん)の主要点(しゆえうてん)が分(わか)らない処(ところ)まで、044現代人(げんだいじん)は癲狂(てんきやう)痴呆(ちはう)の度(ど)が強(つよ)くなつて居(を)るのだから、045瑞月(ずゐげつ)が神示(しんじ)に由(よ)れるこの物語(ものがたり)に対(たい)して我(われ)不関(くわんせず)焉(えん)の態度(たいど)に出(いで)たり、046又(また)は反対(はんたい)の挙(きよ)に出(い)づるもの在(あ)るべきは当然(たうぜん)の帰結(きけつ)として、047既(すで)に已(すで)に覚悟(かくご)の前(まへ)である。
048 本書(ほんしよ)は現代(げんだい)の学者(がくしや)、049宗教家(しうけうか)、050歴史家(れきしか)の思潮(してう)を憂慮(いうりよ)せる熱誠(ねつせい)慷慨(こうがい)の余声(よせい)として、051将(は)た又(また)神明(しんめい)の摂理(せつり)の一分(いちぶ)として編述(へんじゆつ)したもので、052今日(こんにち)の有識者(いうしきしや)の所説(しよせつ)に対(たい)して一歩(いつぽ)も譲(ゆづ)らない事(こと)を信(しん)ずるのである。053今日(こんにち)世界(せかい)に流布(るふ)せる国々(くにぐに)の歴史(れきし)は、054空々(くうくう)漠々(ばくばく)として殆(ほとん)ど雲(くも)を掴(つか)むが如(ごと)く、055如何(いか)なる史家(しか)も之(これ)を史上(しじやう)に於(おい)てその真相(しんさう)を捕捉(ほそく)する事(こと)は出来得(できえ)ないのである。
056 頼(たよ)りなき口碑(こうひ)や、057伝説(でんせつ)や、058その他(た)の先入(せんにふ)思想(しさう)を全然(ぜんぜん)放擲(はうてき)して、059柔順(じうじゆん)に神(かみ)の御声(みこゑ)に耳(みみ)を傾(かたむ)け眼(まなこ)を注(そそ)ぐ時(とき)は、060遠(とほ)き神代(かみよ)の世界(せかい)の史実(しじつ)は言(い)ふも更(さら)なり、061中古(ちうこ)近古(きんこ)に於(お)ける歴史(れきし)の真相(しんさう)をも幾分(いくぶん)か捕捉(ほそく)し得(え)らるるであらうと信(しん)ずる。062我国(わがくに)の歴史(れきし)と雖(いへど)も、063その大部分(だいぶぶん)は神武(じんむ)聖帝(せいてい)以後(いご)の歴史(れきし)であつて、064太古(たいこ)神代(かみよ)の事蹟(じせき)は束(つか)ねて之(これ)を筑紫(つくし)の不知火(しらぬひ)の海(うみ)に投(とう)ぜられたのである。065之(これ)史家(しか)が神(かみ)ならざる以上(いじやう)は史眼(しがん)暗(くら)くして盲目(まうもく)の如(ごと)く、066書契(しよけい)以前(いぜん)の史実(しじつ)を映写(えいしや)し得(え)ざるがために歴史(れきし)の真相(しんさう)が伝(つた)はらないのである。067瑞月(ずゐげつ)が茲(ここ)に神代(かみよ)の事蹟(じせき)の一分(いちぶ)を口述(こうじゆつ)編纂(へんさん)したる所(ところ)の本書(ほんしよ)に対(たい)し、068世(よ)の驕慢(けうまん)なる学者(がくしや)の眼(まなこ)には時代(じだい)錯誤(さくご)の世迷言(よまいごと)を陳列(ちんれつ)したものと見(み)えるであらう。069天(てん)は蒼々(さうさう)として永久(とこしへ)に高(たか)くして広(ひろ)く、070地(ち)は漠々(ばくばく)として際限(さいげん)なきに似(に)たり、071虚空(こくう)の外(そと)に心身(しんしん)をおいて神代(かみよ)の史実(しじつ)と神(かみ)の意思(いし)とを顕彰(けんしやう)し、072一瞬(いつしゆん)に転廻(てんくわい)して宇宙(うちう)の真相(しんさう)を示(しめ)さむと、073神示(しんじ)のまにまにこの物語(ものがたり)を著(あら)はしたるその苦心(くしん)、074之(これ)を酌(く)むものは大本(おほもと)信徒(しんと)を始(はじ)めとし、075世上(せじやう)果(はた)して幾人(いくにん)あるであらうか、076或(ある)幹部(かんぶ)役員(やくゐん)たりし某々氏(ぼうぼうし)はこの物語(ものがたり)を評(ひやう)して、077……霊界(れいかい)物語(ものがたり)は譬(たとへ)ば砂利(じやり)の山(やま)の様(やう)なもので、078吾々(われわれ)は其(その)沢山(たくさん)の砂利(じやり)の中(なか)から自分(じぶん)の之(これ)と認(みと)めた僅(わづ)かに包(つつ)める砂金(さきん)を採取(さいしゆ)するの考(かんが)へを以(もつ)て之(これ)に対(たい)するのである……と話(はな)してゐられた。079瑞月(ずゐげつ)はこの意外(いぐわい)にして不遜(ふそん)なる某氏(ぼうし)の談(だん)を聞(き)いて、080未(いま)だ神(かみ)の権威(けんゐ)の大本(おほもと)幹部(かんぶ)たりし識者(しきしや)に容(い)れられず、081了解(れうかい)されてゐない事(こと)に嗟嘆(さたん)せざるを得(え)なかつた、082大神(おほかみ)の神格(しんかく)を精霊(せいれい)に充(みた)し予言者(よげんしや)に来(きた)らしめて、083万民(ばんみん)救治(きうち)のために明示(めいじ)されたる神書(しんしよ)に対(たい)し、084余(あま)りに無理解(むりかい)にして且(か)つ学者(がくしや)の鼻(はな)の高(たか)きには感心(かんしん)したのである。085軽侮(けいぶ)嘲笑(てうせう)の的(まと)となるであらうとは予期(よき)しては居(ゐ)たものの、086大本(おほもと)幹部(かんぶ)の口(くち)から斯様(かやう)な言(げん)が出(で)るとは一寸(ちよつと)面喰(めんくら)はざるを得(え)なかつた。
087 然(しか)し乍(なが)ら天下(てんか)一(いち)人(にん)の具眼者(ぐがんしや)が現(あら)はれて、088一度(ひとたび)心(こころ)を潜(ひそ)め真面目(しんめんぼく)に臨(のぞ)まむか、089必(かなら)ずや一節(いつせつ)毎(ごと)に深遠(しんゑん)微妙(びめう)の真理(しんり)を蔵(ざう)し、090五味(ごみ)の調度(てうど)宜(よろ)しき弥勒(みろく)胎蔵(たいざう)の神意(しんい)と、091神智(しんち)や苦集(くしふ)滅道(めつだう)の本義(ほんぎ)を発見(はつけん)し、092肯定(こうてい)し、093帰依(きえ)するに至(いた)るであらう。094本物語(ほんものがたり)の目的(もくてき)は霊界(れいかい)現界(げんかい)の消息(せうそく)を明(あきら)かにし、095諸人(もろびと)が死後(しご)の覚悟(かくご)を定(さだ)め、096永久(えいきう)に天国(てんごく)浄土(じやうど)の悦楽(えつらく)に入(い)るべく、097仁慈(じんじ)の神(かみ)の御(おん)賜(たまもの)として人間(にんげん)一般(いつぱん)に与(あた)へられたものである。098現界(げんかい)に用(もち)ゐては大(だい)は治国(ちこく)平(へい)天下(てんか)の道(みち)より、099小(せう)は吾人(ごじん)が修身(しうしん)斉家(せいか)の基本(きほん)となるべき神書(しんしよ)である。
100 昨(さく)大正(たいしやう)十一(じふいち)年(ねん)の秋(あき)瑞月(ずゐげつ)は筆録者(ひつろくしや)を始(はじ)め、101天声社(てんせいしや)に於(お)ける編輯者(へんしふしや)は、102この物語(ものがたり)に対(たい)して何処(どこ)までの信仰(しんかう)を有(いう)するかを試(こころ)みむため、103神示(しんじ)に従(したが)つて……万々一(まんまんいち)本書(ほんしよ)の中(なか)に於(おい)て教典(けうてん)として採用(さいよう)すべき金玉(きんぎよく)の文字(もじ)あらば抜萃(ばつすゐ)して之(これ)を別刷(べつさつ)となし宣伝用(せんでんよう)に宛(あ)て、104熱誠(ねつせい)なる宣伝使(せんでんし)や信者(しんじや)に頒(わか)つべし……と言(い)つた。105そして是(これ)等(ら)の人々(ひとびと)の感想(かんさう)や著眼点(ちやくがんてん)の奈辺(なへん)にあるかを探(さぐ)らせられた。106然(しか)るに驚(おどろ)くべし、107全巻(ぜんくわん)皆(みな)神(かみ)より見(み)れば金玉(きんぎよく)の文字(もんじ)、108人間(にんげん)の作物(さくぶつ)でないものを、109真面目(まじめ)に取捨(しゆしや)選択(せんたく)し各(かく)之(これ)を数(すう)ケ月(げつ)熱心(ねつしん)調査(てうさ)の結果(けつくわ)として余(よ)に示(しめ)された。110直(ただち)に神明(しんめい)に伺(うかが)ひ見(み)し所(ところ)、111神(かみ)は大(おほい)に笑(わら)はせ玉(たま)ひ、112……人間(にんげん)の盲目(まうもく)と無鉄砲(むてつぱう)には呆然(あきれ)たり……との御(お)言葉(ことば)であつた。113瑞月(ずゐげつ)もこの神示(しんじ)には大(おほい)に面喰(めんくら)つたのである。114故(ゆゑ)に定(さだ)めて抜萃(ばつすゐ)に尽力(じんりよく)されし人々(ひとびと)は驚(おどろ)かるることでありませう。115大本(おほもと)神諭(しんゆ)に示(しめ)されたる如(ごと)く、116矢張(やは)り霊魂(みたま)の因縁(いんねん)相応(さうおう)より口述者(こうじゆつしや)と雖(いへど)も分(わか)らないものと歎息(たんそく)したのである。
117 之(これ)を思(おも)へば人間(にんげん)は自我心(じがしん)を出(だ)さず、118何事(なにごと)も聖慮(せいりよ)に素直(すなほ)に柔順(じうじゆん)に仕(つか)ふるより外(ほか)に途(みち)はないと思(おも)ふ。119この神書(しんしよ)を以(もつ)て普通(ふつう)の稗史(はいし)小説(せうせつ)又(また)は単(たん)なる滑稽(こつけい)物語(ものがたり)及(およ)び心学(しんがく)道話(だうわ)の一分(いちぶ)と見(み)てゐる位(くらゐ)の程度(ていど)では到底(たうてい)この書(しよ)の眼目点(がんもくてん)をつかむ事(こと)は出来(でき)ない。120アア日(ひ)暮(く)れて途(みち)いよいよ遠(とほ)しの感(かん)に打(う)たれざるを得(え)ない次第(しだい)であります。
121かむながら幸(さち)はひまして世(よ)の人(ひと)に
122さとらせ玉(たま)へ是(これ)の神書(みふみ)を
123   大正十二年正月元旦
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