霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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総説(そうせつ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第54巻 真善美愛 巳の巻 篇:前付 よみ(新仮名遣い):
章:総説 よみ(新仮名遣い):そうせつ 通し章番号:
口述日:1923(大正12)年02月21日(旧01月6日) 口述場所:竜宮館 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年3月26日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
誇張なく単純なものほど至高の芸術であると喝破したワルト・ホイットマン氏に、瑞月王仁は賛成する。この物語が単純であり一定の分体が具わっていないと言われようが、少しも意に介せない。
神の著せしものはすべて単純であり、一定の文体無きをもってかえってその博き文想に感嘆するものである。瑞月は決して物好きで口述するのではない。ただ吾が口を通じて著されたその作物に、邪魔物を垂れないように勉めているのみである。
吾々が今表白するところのものは偽らず、飾らず、惟神のままである。本書もまた吾が大本の信仰に対し現代を救うの道として止むに止まれない場合が差し迫ったために神勅によって編述することになったもので、決して瑞月王仁や真澄、隆光、明子、介昭氏らの物好きで作ったものではない。
大本においても、この書を変性女子の遊戯的作物として軽視し、一回も本書を手にしない方々があるのは実に遺憾の至りである。
予言的精神に充たされた本書は、あらゆる形式美を尽くして朝日に輝く雲のように虹色を呈して虚空に架かっている程の覚悟をもって進んでいる。もし人が言わざるを得ないものを持っているならば、石が地に落ちるように、何事もなく単純に率直に漏れ出ずるものである。
すべて現れ出たものの根底には、必然なるものが潜んでいるものであると思う。記してもって総説に代える。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-03-27 17:31:18 OBC :rm540002
愛善世界社版:3頁 八幡書店版:第9輯 621頁 修補版: 校定版:3頁 普及版:1頁 初版: ページ備考:
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]出口王仁三郎全集 > 第五巻 言霊解・其他 > 【随筆・其他】 > 芸術の真諦
001 『至高(しかう)芸術(げいじゆつ)表現(へうげん)栄光(えいくわう)002文学(ぶんがく)光明(くわうみやう)(かがや)きは単純(たんじゆん)である。003単純(たんじゆん)より()(もの)はない、004実相(じつさう)誇張(こちやう)欠乏(けつぼう)矯正(けうせい)()るものは単純(たんじゆん)(のぞ)いて(ほか)にない。005衝動(しようどう)澎起(はうき)持続(ぢぞく)して智力(ちりよく)奥底(あうてい)滲徹(しんてつ)(すべ)ての楽旨(がくし)音節(おんせつ)(あた)ふるのは平凡(へいぼん)(ちから)でも()ければ、006(きは)めて突飛(とつぴ)(ちから)でもない。007けれども動物(どうぶつ)動作(どうさ)(きは)めて(ただ)しく、008しかも無遠慮(ぶゑんりよ)奔逸(ほんいつ)なものや、009(もり)木立(こだち)010路傍(ろばう)(くさ)()()れぬ(かん)じを文学(ぶんがく)(あら)はすのは芸術(げいじゆつ)瑕瑾(かきん)()勝利(しようり)である。011それを完成(くわんせい)したものを()たらば、012(すなは)国家(こくか)時間(じかん)とに超越(てうゑつ)した一大(いちだい)芸術家(げいじゆつか)()たのである。013大詩人(だいしじん)一定(いつてい)した(いちじる)しい文体(ぶんたい)()たず、014思想(しさう)事物(じぶつ)との(すい)(みやく)増加(ぞうか)することも()減退(げんたい)することも()く、015(かれ)自身(じしん)自由(じいう)なる水脈(すいみやく)である』
016とワルト・ホイツトマンは()つたことがある。017瑞月(ずゐげつ)王仁(おに)はこの物語(ものがたり)単純(たんじゆん)であり、018一定(いつてい)文体(ぶんたい)(そな)はつてゐないと()はれやうが(すこ)しも()(かい)せない。019(いな)吾々(われわれ)はワルト・ホイツトマン()意志(いし)(さん)するものである。020(かみ)(あらは)せしものは(すべ)単純(たんじゆん)であり()一定(いつてい)文体(ぶんたい)なきを(もつ)(かへ)つてその(ひろ)文想(ぶんさう)感嘆(かんたん)するものである。021瑞月(ずゐげつ)(けつ)して物好(ものず)きで口述(こうじゆつ)するのでは()い。022(ただ)(わが)(くち)(つう)じて(あら)はされたその作物(さくぶつ)優美(いうび)023原因(げんいん)024結果(けつくわ)(ゑが)いて(まく)のやうに自己(じこ)(ひと)との(あひだ)邪魔物(じやまもの)()れないやうと(つと)むる而巳(のみ)である。025(かみ)著述(ちよじゆつ)には(だん)じて邪魔物(じやまもの)はない(はず)だ。026(また)(けつ)して(うつく)しい(まく)さへも()られて()(もの)だ。027神示(しんじ)()りて吾々(われわれ)(かた)(ところ)(まさ)()くあるべき(もの)なるが(ゆゑ)(かた)るのみである。028吾々(われわれ)(いま)表白(へうはく)する(ところ)のものは(いつは)らず、029(かざ)らず、030惟神(かむながら)のままである。031(すべ)ての立派(りつぱ)芸術(げいじゆつ)作品(さくひん)必然(ひつぜん)(すなは)()むに()まれぬ要求(えうきう)絶対(ぜつたい)真実(しんじつ)()つてゐなければ()らぬと()観念(くわんねん)()つて()なければ()らない。032本書(ほんしよ)(また)033(わが)大本(おほもと)信仰(しんかう)(たい)現代(げんだい)(すく)ふの(みち)として()むに()まれない場合(ばあひ)差迫(さしせま)つた(ため)神勅(しんちよく)によつて編述(へんじゆつ)することになつたもので、034(けつ)して瑞月(ずゐげつ)王仁(おに)真澄(まさずみ)隆光(たかてる)035明子(はるこ)036介昭(かいせう)()()物好(ものず)きで(つく)つたものでは()い。037(いづ)れも(かみ)(めい)のまにまに著者(ちよしや)病躯(びやうく)(おこ)して、038()むに()まれず着手(ちやくしゆ)したものなることを()了知(れうち)(うへ)()愛読(あいどく)あらむ(こと)希望(きばう)する次第(しだい)であります。039今日(こんにち)(ところ)では(いま)だこの(しよ)地方(ちはう)によると、040役員(やくゐん)信者(しんじや)()まれない(ところ)沢山(たくさん)あるやうなり、041大本(おほもと)(おい)ても変性(へんじやう)女子(によし)遊戯(いうぎ)(てき)作物(さくぶつ)として軽視(けいし)し、042一回(いつくわい)本書(ほんしよ)()にしない方々(かたがた)()るのは(じつ)遺憾(ゐかん)(いた)りであります。043本書(ほんしよ)(ふる)神代(かみよ)物語(ものがたり)()ひながら、044時代(じだい)(さき)んじた文語(ぶんご)文学(ぶんがく)(てき)形式(けいしき)採用(さいよう)してゐるのは、045不都合(ふつがふ)だと()つてゐる(ひと)があるが、046それでは表現(へうげん)範囲(はんゐ)(ひろ)めることは出来(でき)ない。047予言(よげん)(てき)精神(せいしん)(みた)された本書(ほんしよ)は、048所在(あらゆる)形式美(けいしきび)(つく)して朝日(あさひ)(かがや)(くも)(やう)虹色(にじ)(てい)して虚空(こくう)(かか)つてゐる(てい)覚悟(かくご)(もつ)(すす)んでゐるのである。049(また)従来(じゆうらい)(ひと)()はなかつた(あたら)しい(こと)()ひ、050人間(にんげん)表現(へうげん)限界(げんかい)拡張(くわくちやう)せむが(ため)に、051原始(げんし)(てき)法則(はふそく)(かへ)らざるを()ない場合(ばあひ)(やや)(おほ)くある。052(すなは)人間(にんげん)感情(かんじやう)そのものが(おのづか)(なが)()言葉(ことば)に、053惟神(かむながら)詩韻(しゐん)(あら)はれるものである。054(ひと)にして()()はざるを()ないものを()つて()るならば、055(いし)()()ちる(やう)に、056何事(なにごと)もなく単純(たんじゆん)に、057率直(そつちよく)に、058自然(しぜん)()()づるものである。059(いし)()ちて()るのには(けつ)して(ふた)つの形式(けいしき)()いのを()ると、060(すべ)(あら)はれ(いで)たものの根底(こんてい)には、061必然(ひつぜん)なるものが(ひそ)んでゐるものであると(おも)ふ。062()して(もつ)総説(そうせつ)()ふ。
063   大正十二年二月十八日
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