皇道大本は、神政開祖出口直子刀自の神随に神勅を奉じて、世界一切の事柄を、筆と言葉にて御示諭下されました。真正の教旨に基づき、皇典古事記の明文を奉釈する神庭でありますから、現今の十三派の神道宗教の説く所とは、元より天壌の差があるのであります。皇道大本の綱領は、政教慣造の四大項目に分ちて解釈を下すのが便宜であるから、左に其大綱を挙げて、略解を試みやうと思ひます。
一、政 万世一系
一、教 天授之真理
一、慣 天人道之常
一、造 適宜之事務
以上の四大綱領は、大本に於て神懸修業の際、神界より直示されたもので、是が皇道大本の教の由つて出づる源泉であります。決して本田翁の所説を採録したといふ様な訳ではないのであります。
政──政は万世一系也。天照大神の神勅を奉じて、天上より下土に降臨し給ひ、主、師、親の三徳を具備して、全世界を平けく安らけく知召し給ふ、天津日嗣天皇の御天職であります。由来天上の厳正なる御政治を、地上に移させ給ひし神聖の国土は、豊葦原の水穂中国なる、我日本国であります。天上に於ては、君、大臣、臣、民の四階級歴然として区別され、各自霊性の位に応じて、完全無欠の神政が、永遠無窮に樹立されて在るのであります。其天上の神聖なる政治を地上に移して、天上と地上との真釣に真釣り合せて、神政を布き施し玉ふは、我天津日嗣天皇の惟神に定まれる御天職であつて、決して臣民の夢にだも、窺ひ奉る可き事柄では無いのである。中世平将門や、弓削の道鏡の輩が、畏くも天位を窺ひ奉つた事がありましても、忽ち天譴降下遊ばされて、遂に滅亡したのも、皇国天位の尊厳無比にして、神聖霊聖犯すべからざる証拠であります。今私は天照り幸ひ助け玉ふ言霊の妙用に由りて、マツリゴトの略解を試みやうと思ひます。
(一)ま 一の位に当る也。一が此世に出たる也。全く備る也。
つ 強く続く也。大造化の極力也。霊々神々赫々也。大金剛力也。
り 法の力也。億兆の極り也。定り極る也。貫き極る也。
ご 父母の精神也。極精髄の脳髄也。中に固る也。
と 皆治る也。行届也。能く産出也。一切を能く結び治る也。
(ま)(一)一の位也とは、一は日也。火也。父也。天也。霊也。上御一人也。即ち政治は一天万乗の天立君主が、一天、一地、一君の神政を司どり玉ふ可き言霊である。万世一系、天壌無窮に天下を統一し、光華明彩八紘に光被し玉ふ、主、師、親の大徳を具有し玉ふ、天皇の御位に坐すと言ふ言霊であります。
(二)一が此世に出たる也。皇祖天照大神の神勅を奉じて、皇孫二々岐命が、天の八重雲を伊都の千別き千別きて天降りまし、現大地上の統治権を授けられ、中国に君臨し玉ひし言霊であります。
(三)全く備る也とは、信実にして円満具足、穏和なる言霊の妙用である。即ち深厚なる徳を樹て、以て天下万民を撫育し、安住せしめ玉ふてふ言霊であります。
(つ)(一)強く続く也。間断なく続く国の義にして、実相真如の言霊である。如何なる強敵、又た反逆者現はれ来るとも、一朝事ある際は、民の中より一大真人現らはれて万妖を拝し、皇基を守護し奉るてふ言霊であります。
(二)大造化の極力也。宇宙の全象を保ちて、日月と共に無窮に天地を経綸し、司宰し玉ふ天立君主の絶対無限の権能であります。
(三)霊々神々赫々也とは、至神、至聖、至尊、至貴、至真、至美、至善、至愛の天孫、現人神の無限の霊威神徳洪恩を、万世不朽に顕彰し玉ふてふ言霊であります。
(四)大金剛力也とは、皇運隆々として、日月と其の光を争ふ如く、過去と、現在と、未来の別なく、明暗、遠近、大小、広狭、尊卑、親疎の別なく、平等に王化光沢を施こし、至仁至愛の大神の御心に奉答し玉ふ、天津日嗣天皇の神権発揚の絶対的御神力であります。
(り)(一)法の力也とは、宇宙の権威、神界の大法にして人民の相集り、相議りて作製したる、現今行なはるるが如き不完全なる法律の力に非ず、凡て政治は天上より出づるものなれば、人為の法律の力にては、真の太平を来す事は出来ぬのである。惟神の憲法の力でなければ、人民の安寧を保持すると云ふことは不可能である。皇祖皇宗の御遺訓に基いた政治でなくば、如何なる完全な法律でも、体主霊従の人為の法の力ではいかぬのであります。
(二)億兆の極也とは、億兆心を一にして、天津日嗣天皇の政を輔け奉り、天国浄土の神政を謳歌すてふ言霊であります。
(三)定り極る也とは、天下を平定し、極徳を以て、極治極楽の神政を行ひ玉ふ言霊であります。
(四)貫き極る也とは、天地開闢の大初より定まれる神則に由りて、神授の政法を万代に貫き徹し、神慮に対へ玉ふてふ言霊の活用であります。
(ご)(一)父母の精神也とは、国父国母両陛下が、神政を普く全地に、親の徳を布き施こして、万民を赤子の如く愛撫し玉ふてふ言霊の活用であります。
(二)極精体の脳髄也とは、一身上に取りては、臍下丹田を高天原と称し、脳髄を政所と曰ふ。天照大神の神勅を奉じて、祭政一致の治平を進め玉ふは、国の頭脳に坐します、日嗣天皇の御天職であります。
(三)中に固る也とは、総て世界を統治し玉ふ神政の中府は、宇宙の中心にして、地上の中心なる、日本国でなければならぬ。日本国と雖も、偏僻の地では不適当である。故に政治の中心地点は、日本国の中心に位する、神霊所定の霊地に於て行なはるる時は、世界の人民残らず其中枢に集り来りて、天下は茲に修理固成さるるに至るてふ言霊であります。
(と)(一)皆治る也とは、皇運発展して、国体の精華を発揚し給ふ時は、国に戦争無く、天変地異無く、凶歳なく、疾病無く、盗賊無く、至治至安の神国を成就し玉ふてふ言霊であります。
(二)能く産出す也とは、生成化育の道行はれて、国産豊かに、人民蕃殖し、天の益人天下に充ち、皇沢に潤はぬ土地人民も、一も無してふ言霊の活用であります。
(三)一切を能く結び定むる也とは、宗教、教育、実業、芸術、其他一切のものを結合して進展せしむるは、神国政治の根本義にして、日本国が世界各国に対し、統治の大権を天賦的に具有し、之を実行するてふ言霊であります。
以上のまつりごと五言霊の活用を拝し奉つれば、世界の治平は、何うしても神選の地上唯一の君主政治でなければ、真の平和と、万民の幸福とを招来することは、絶対に不可能なることが明らかである。彼の代議政体や、共和政治や、合衆制度や、専制政治の、到底物に成らぬ事は、当然の事であります。故に皇道大本にては、綱領として、政は万世一系、天津日嗣天皇の御天職なりと、強唱する所以であります。
教──教とは天理の真理也。総て教なるものは、今日の人智を以て測り知る事の出来ぬもので、智徳円満豊備なる神の直々の教でなければ、教と云ふ資格は無いのであります。彼の仏教の十戒と曰ひ、キリストの十戒と曰ひ、其の他神仏開教者の、今迄に立たる戒律なるものは、悉皆倫理上の学説を出る事は出来ぬのである。例之猟犬が猟師と共に山に入り、猪なり、兎なり、雉なりを捕獲した時は、其猟犬は主人たる猟師の為に、忠勤を励むだ事を知り、尾を振りつつ主人の前に持来るのである。是れ畜生と雖も、主人の為に善を為したる事を自覚して居るのである。之に反して其猟犬が、主人の眼の届かぬのを幸ひに、主人の大切に飼養して居る家禽を、殺して食はむとする時は、必ず床の下とか、藪の中とか、人の眼に掛らぬ所で喰つて了ふものである。猫が家内の什器を毀損したり、衣類を噛んだり、所在悪戯を為す所の鼠を捕へた時は、其猫は必らず主人の前に持つて来て、嬉しさうに玩弄しつつ、主人の誉め言葉を聞いた上、ポツポツとその鼠を喰つて了ふ。是れ主人の為に善き事を為したるを、畜生と雖も自覚して居るからである。又た其猫が主人の眼を盗んで、戸棚の中の松魚節を盗んだ時は、必ず姿を隠して之を喰ふのである。之れ猫と雖も、盗むと云ふ事は悪い事じやと自覚して居るからであります。況んや万物の霊長たる人間に於いておやである。人は省る、恥る、悔る、畏る、覚るの五情の戒律を、霊魂中に天賦的に付与されて居るに於ておや。盗む勿れ、殺す勿れ、姦婬する勿れ、等の戒は、人類自然に知悉して居る筈であります。之を言霊の上より解釈する時は、
(二)お 天の浮橋也。高遠也。
し 知る也。基也。台也。
え 愛也。心の結晶点也。
(お)(一)天の浮橋也とは、幽遠微妙の神理と、神界の経綸を、一大真人を通じて、人界へ顕示し給ふ其機関を曰ふのであります。
(二)高遠也とは、棹は如何に長くとも天空の星には達せず、飛行機は如何に高昇するとも月界に到る能はず、青き天空は、如何なる測量術も其の端を極むる能はざる如く、神界の経綸は、人心小智の窮知し得る所では在りませぬ。
(し)(一)知る也とは、宇宙一切を支配して、余す所なきの意なり。
(二)基也とは、一切の教の根本は神より出づる也。神より出でざる人為の説は、真の実力無く、権威なきものなり。
(三)台也とは、知るは総ての事の土台にして、土台の上に建てる家屋は転倒する事なし、神界より伝へらるる教も亦斯の如くであります。
(え)(一)愛也とは、神の教は真仁真愛の至情より出づ。故に、天下万民、是に由つて安神し立命し、化育するなり、生成するなりであります。
(二)心の結晶点也。心とは勇、智、愛、親、四魂の合同也。日本魂是より発生し、天功に代る大業を成就するのであります。
要するに教なるものは、過去、現在、未来に通じ、且つ実地に神明、人に憑りて、善悪邪正の模範を示し、世界の現状を具さに顕示し玉ふが故に、一として違ふことなし。神諭に誠の神の教は、毛筋の横巾ほども違はぬぞよと、現れ在る所以であります。二十七年間の神諭と、変性男子、女子の神務と対照すれば、神界の深遠なる御経綸の一分を了知する事が出来るのであります。
慣──慣は天人道の常也。山野に樹木の発生し、且つ其幹の丸く成長するは、是れ天道である。是を人あり、伐截して或は四角の柱と造り替へ、或は平たき板となし、或は諸道具を作製するは、是れ即ち人道である。人に五倫、五情の心得あるは、人類自然の慣性にして、神又は人の教導を待つて知る可きものではありませぬ。
造──造は適宜の事務也。世の中には、神聖な神様を信仰する以上は今迄の様な賤しき商法は止めねばならぬとか、下駄屋をして居て、神様に奉仕しては勿体ないとか、不敬だとか言つて止める人が間々あるが、是は誤解である。人は天地経綸の司宰たる以上、苟くも利用厚生の道の為なら、何の事業も神界、現世の為に結構な事である。神様にも天神、地祇、八百万の神様が御在り遊ばして、上は神界統御の神役を遊ばす、掛巻も畏き天照大御神様もあれば、一家の守神もあり、雪隠の神様もありますが、其御役目に高下は有つても、天地守護の職掌には貴賤尊卑の別は無いのと同様に、如何なる事務に従事するも、社会の為になる事なら、決して尊卑の区別はありませぬ。此大本へ、今迄の結構な役目を棒に振つて、誠心、誠意、神界と国家社界の為に尽さるるのは、実に結構な事業であり、直接に神の御用が勤まつて幸福でありますなれど、日本国中の人が、神様の深浅に由つて、夫れ夫れの神界の御用が仰せ付けられてあるといふ事を知らねばなりませぬ。又綾部の大本へ来て、御用を為さる人士もあれば、地方の重鎮として、神界の御用をなさる方々もあり、又た大本へ反対の御用をなさる方もあります。併し大本を潰ぶさうとして、大々的活動をする人も、之れも亦御苦労な御役である。身魂の因縁相応の御用が申し付けてあると出て居りますから、之も適宜の事務に、惟神に従事して居れるのであります。私が今迄変性女子の緯役の体主霊従的行動も、矢張り身魂の因縁だけの御用を為せられて居つたのでありませう。