霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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田舎の小雀

インフォメーション
題名:田舎の小雀 著者:出口王仁三郎
ページ:403
概要:28歳の頃 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-05-08 00:00:00 OBC :B119800c091
二十八歳の頃
物質の欲より(ほか)にのぞみなき村人われをあざけり(わら)
有望なる牧畜百姓うち捨てて山子神(やまこがみ)をばまつると人(わら)
日露戦争数年(すねん)ののちに勃発と云へば村長空想と笑ふ
空想と笑ふ村長にこまごまと説き諭せども木耳(きくらげ)のみみ
村長の耳は木耳(きくらげ)村びとのまなこは節穴同様なりけり
木耳(きくらげ)のみみや節穴眼(ふしあなめ)の村にわれは愛想をつかしたりけり
治郎松(ぢろまつ)や弟はじめ親族もわれを気狂(きちがひ)にしてしまひけり
稲荷信者
亀岡の西竪町(にしたてまち)伯母(をば)()にたづねてゆけば妙な顔する西竪町の伯母とは、母ヨネのすぐ上の姉の岩崎フサのこと。底本ではこの歌だけ「叔母」になっているが「伯母」に修正した(以降の歌では「伯母」になっている)。
わが伯母は稲荷の信者われをみてお稲荷様と拝む可笑(をか)しさ
平常(ふだん)から呼びつけにするわが名をば(さま)づけにするてれくさきかな
床の間に祀れる稲荷を拝みくれと両掌(りやうて)(あは)せ伯母は頼めり
止むを得ずわれ神床(かむどこ)にひれ伏して天津祝詞の奏上をなす
揚豆腐(あげどうふ)小豆飯(あづきめし)をば進ぜようと稲荷扱ひわが伯母はする
揚豆腐(あげどうふ)小豆の飯はいやですと云へばわが顔つくづく見る伯母
揚豆腐(あげどうふ)がいやならお前は贋神(にせがみ)だとつとと帰れと(はうき)を立てる
揚豆腐(あげどうふ)が食へねば稲荷でないお前けがらはしいと(まゆ)逆立(さかだ)てる
稲荷さんの(ほか)には神は祀らぬと腹立て伯母は(つら)(ふく)らせり
わが伯母に(はうき)立てられ塩まかれ可笑(をか)しさこらへて逃げ帰りたり
寿命長久
産土の神前(みまへ)に一人(まう)でをれば首をふりつつお(まさ)が来たる
鈴の()に手をかけお(まさ)はがらがらと振りつつ寿命(じゆみやう)長久(ちやうきう)と祈る
身勝手な(こと)祈り()へてお(まさ)後家(ごけ)わが手を握り帰れとすすむる
帰らぬと云へばお(まさ)泣声(なきごゑ)(しぼ)りて極道息子と呶鳴る
村びとや友人親族の反対にわれ故郷(ふるさと)をたたむと思ひぬ
宣伝の旅
稲の穂のかたむき()めし初秋(はつあき)をわれ宣伝の旅にたちたり
稲の穂のかたむく野路(のぢ)にたたずみて故郷(こきやう)の山をふりさけ(なみだ)
右左(みぎひだり)稲田(いなだ)に包まる金岐(かなげ)()()にあとふりかへり故郷(こきやう)の山見る「金岐」は地名。「金岐」の「野(野原)」という意味だと思われる。
ばつたりと侠客(けふかく)小丑(こうし)に出遭ひたりこの草の()相摸(すも)とれといふ
よしきたと両手をあげて相摸(すもう)とり首筋(つか)んで小丑(こうし)を投げたり
小男の小丑(こうし)は歯ぎしり噛みながら泥をつかんで(われ)()げつく
(うしろ)より弟幸吉(かうきち)()せて()ぬわれに衣類を渡さんがため
弟の姿見るよりおどろいて小丑(こうし)稲田(いなだ)にもぐり込みたり
小林(こばやし)(さと)まで送ると云ひながら前後にこころ配りて従ふ
小林の井筒屋(ゐづつや)旅館に休憩し再会(やく)して弟とわかるる
虎天茶屋
虎天(とらてん)(せき)のかたへの茶屋に()り茶を(すす)りつつ足を休むる
虎天(とらてん)茶屋(ちやや)主人(あるじ)虎之助(とらのすけ)妻はお(ひさ)と初めて聞きぬ
お前さん印地(いぢ)の狸をしらべたる人ではないかと女房が聞く
はい左様(さやう)神の審神(さには)をする者といへばこの()の女房()をむく
(わたくし)綾部(あやべ)(うま)れた女です貴方(あなた)に一つたのみたいといふ
頼まれてあとへはひかぬと法螺(ほら)吹けば屹度(きつと)ですよと(また)念を押す
お久『(うしとら)金神(こんじん)様のお筆先(ふでさき)を書くわが母の審神(さには)をたのむ』
(をり)あれば一度綾部に出張ししらべてみむと約してたちぬ
八木(やぎ)(まち)広瀬(ひろせ)堀切(ほりきり)鳥羽(とば)越えて第二の故郷園部(そのべ)に着きたり
第一に天神町(てんじんちやう)をおとなへば井上(ゐのうへ)(つら)をふくらしにらむ
神様になるなら妙霊(めうれい)教会をなぜ信ぜぬと叱言(こごと)のみいふ
妙妙(めうめう)といふのが嫌ひと夕まぐれ(めし)も食はさず叩き出したり
楚玉禅師
南陽寺(なんやうじ)楚玉(そぎよく)禅師(ぜんし)のもとを()一夜(いちや)(つゆ)宿(やど)りたのみぬ
神さまの道は結構けつこうと楚玉(そぎよく)禅師はしきりに()むる
仏教は世の(をは)りなりこの先は神の大道(おほみち)(さか)ゆと禅師云ふ
翌日(あくるひ)は禅師のもとを(あひ)()して広田屋(ひろたや)旅館に(とま)り込みたり
藤坂薬店
広田屋(ひろたや)(とま)りてあれば町人(まちびと)()ぎつぎ来たりてわが(のり)をきく
広田屋に道()きをれば藤坂(ふぢさか)主人(あるじ)わが()へ来たれとうながす
藤坂のやかたに到り神術(かむわざ)の実地研究なして見せたり
藤坂の頑固主人(あるじ)神術(かむわざ)に目を丸くして感じ()るをり
わが(たく)にながく(とま)りて道()けと藤坂(ふぢさか)真面目に(すす)めてやまず
藤坂の真向(まむか)ひにある内藤(ないとう)の菓子屋の主人(あるじ)また呼びに来る
藤坂と内藤両家の板ばさみとなりて難有(ありがた)迷惑かんじぬ
内藤氏たちまち道に入門しわが弟子とならむ(やく)を結べり
わがことを伝へ聞きたる近村(きんそん)の人つぎつぎに(あつま)り来たる
奥村の離れ座敷にわれありて神のをしへをつぶさに説きぬ
牛乳屋が神様になつたと町人(まちびと)がなぶり半分あつまり来たる
牛乳屋をやめて神さん商売をするは偉いと町人(まちびと)からかふ
綾部に向ふ
大橋のたもとに景色ながめをれば人力(じんりき)ひける福島(ふくしま)に逢ふ
福島は早く綾部へ()()れと真心(まごころ)こめてわれに頼みぬ
真心(まごころ)(みなぎ)る言葉にいなみ得ずわれは綾部をさしていでたつ
えちえちと観音峠(くわんおんたうげ)急坂(きふはん)をわれただ一人よぢ登りたり
観音の峠に立ちてかへりみれば眼下(がんか)園部(そのべ)(いらか)かがよふ
鬱蒼(うつさう)老杉(らうきん)しげる小麦山(こむぎやま)天神山(てんじんやま)はわが()にすがし
観音峠
観音の峠に立ちて休みをれば下司熊(げしくま)従者(じうしや)を連れて()(むか)
上田(うへだ)さんどちらへおいでと下司熊(げしくま)羽織(はおり)(はかま)で丁寧に問ふ
或人(あるひと)に頼まれ綾部にわれ()くといへば下司熊(げしくま)フフンとわらふ
園部(そのべ)(ちやう)(さか)しき人間()にあはず山奥(やまおく)人間(だま)すかとののしる
神様の道ゆくわれは狐狸(こり)でなし人を(だま)して何の(えう)あるか
穴太(あなを)では愛想つかされ園部(そのべ)では叩き出されて来たかと(あざけ)
下司熊(げしくま)は園部の住居(すまゐ)わが布教(けむ)たがりける恨みを云ひをり
二三日(にさんにち)すれば園部に帰り()るとわれの(いら)へに下司(げし)(あご)しやくる
下司熊(げしくま)はこれでも名のある侠客だ滅多に園部に置かぬといきまく
二三日すれば園部へ立ち帰り(ちから)(くら)べとわれもからかふ
あの牛はどうなつたかと(われ)いへば天窓(あたま)かきかき逃げ出しにけり
下司熊(げしくま)の逃げゆく後姿(うしろで)見ながらにわれは思はず噴き出しにけり
御夢想の湯
観音峠西(にし)にくだれば水戸(みと)(さと)数十本ののぼりたちをり
よく見れば下司熊(げしくま)様へ信者よりと染めぬき文字を(のぼり)にしるせり
弘法(こうぼふ)大師(だいし)御夢想(ごむさう)のお湯と(おほ)いなる看板かけあり下司(げし)()(たく)
近在の神職(ぼう)としめし(あは)大杉(おほすぎ)(もと)に仏像いけをり
大杉のもとに大師(だいし)(うづ)もれり掘つて祀れば(ふく)やるといふ
素朴なる村人たちは下司熊(げしくま)偽術(ぎじゆつ)としらず杉の根を掘る
清水()く杉の根元(ねもと)大師像(だいしざう)やつと掘り出し下司熊(げしくま)を拝む
地の中の物まで見える先生は今弘法(いまこうぼふ)よと信者あつまる
愚夫愚婦(ぐふぐふ)数多(あまた)集めて御託宣(ごたくせん)しこたま(かね)(しぼ)れりと聞く
一ケ月経たぬあひだに下司熊(げしくま)園部(そのべ)警察に引致(いんち)されたり
会場は(とざ)され下司(げし)は警察で五十銭の科料(くわれう)取られたりけり
水戸(みと)を越え須知(しゆち)を越えて桧山(ひのきやま)の知人の宅に一夜(とま)りぬ
この宿は内藤氏の()に仕へたる八木(やぎ)清太郎(せいたらう)(やかた)なりけり
この(をとこ)菓子製造業を営みてなかなか羽振り()かしをりたり
神界のはなしをすればよろこびて家内(かない)一同入信をなす
桧山(ひのきやま)あとに保野田(ほのだ)や三の宮榎峠(えのきたうげ)急坂(きふはん)たどる
(しば)を負ふをんなに綾部の道()へば山坂(さまさか)三里と(こた)へ坂(くだ)
榎峠(えのきたうげ)くだればまたも枯木(かれき)(たうげ)この急坂(きふはん)()きなやみたり
足なやみ草鞋(わらぢ)(やぶ)れて困りけり石坂道(いしさかみち)をえちえちくだる
道に会へる(そま)に綾部の里程(みち)()へば三里半よと意外の事いふ
三里の道一里(いちり)歩みてまだ三里半と聞きたるわれの失望
大原(おほはら)台頭(たいとう)を越えて山道を一人さびしく辿(たど)りてゆきぬ
草鞋(わらぢ)売る店を見付けて買ひもとめ足に穿(うが)ちて(こころ)安けし
綾部まで幾里あるかと(たづ)ぬれば(たしか)に三里はあると答ふる
綾部に到る
須知山(しゆちやま)の峠にやうやう辿(たど)りつき疲れし足を揉みて休らふ
須知山(しゆちやま)の峠をくだり妙見(めうけん)の茶屋にやすめば僧侶(ちや)を汲む
しなびたる坊主の姿見入(みい)りつつ何かは知らずあはれもよほす
七十を超えたる茶屋の痩坊主(やせばうず)六十余りの妻を持ちをり
上人(しやうにん)に茶を汲ませたるお前さんは果報者よと恩に着せる(ばば)
茶代(ちやだい)二銭やれば(ばばあ)三四度(さんしど)天窓(あたま)をさげて喜んでをり
この茶屋の裏の杉生(すぎふ)(した)かげに小さき妙見の(ほこら)たちをり
()きゆけば風致(ふうち)(たへ)なる小雲川(こくもがは)わが目の前に展開なせり
永久(とこしへ)にわが住む綾部と知らずしてただ面白く景色見て居り
川の(おも)吹き来る風は(ひや)やかに旅路(たびぢ)の汗をぬぐひ去りたり
大いなる町にあらねど人びとの言葉の(なま)(ゆか)しみにけり
出口開祖お宅は何処(いづこ)と尋ぬれば紺屋(こうや)の妻は案内(あない)すと云ふ
大本の出口開祖の住みたまふ綾部裏町(うらまち)寓居(ぐうきよ)()ひぬ
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