二十八歳の頃
物質の欲より他にのぞみなき村人われをあざけり嗤ふ
有望なる牧畜百姓うち捨てて山子神をばまつると人嗤ふ
日露戦争数年ののちに勃発と云へば村長空想と笑ふ
空想と笑ふ村長にこまごまと説き諭せども木耳のみみ
村長の耳は木耳村びとのまなこは節穴同様なりけり
木耳のみみや節穴眼の村にわれは愛想をつかしたりけり
治郎松や弟はじめ親族もわれを気狂にしてしまひけり
稲荷信者
亀岡の西竪町の伯母の家にたづねてゆけば妙な顔する
わが伯母は稲荷の信者われをみてお稲荷様と拝む可笑しさ
平常から呼びつけにするわが名をば様づけにするてれくさきかな
床の間に祀れる稲荷を拝みくれと両掌を合せ伯母は頼めり
止むを得ずわれ神床にひれ伏して天津祝詞の奏上をなす
揚豆腐小豆飯をば進ぜようと稲荷扱ひわが伯母はする
揚豆腐小豆の飯はいやですと云へばわが顔つくづく見る伯母
揚豆腐がいやならお前は贋神だとつとと帰れと箒を立てる
揚豆腐が食へねば稲荷でないお前けがらはしいと眉逆立てる
稲荷さんの他には神は祀らぬと腹立て伯母は面膨らせり
わが伯母に箒立てられ塩まかれ可笑しさこらへて逃げ帰りたり
寿命長久
産土の神前に一人詣でをれば首をふりつつお政が来たる
鈴の緒に手をかけお政はがらがらと振りつつ寿命長久と祈る
身勝手な事祈り了へてお政後家わが手を握り帰れとすすむる
帰らぬと云へばお政は泣声を搾りて極道息子と呶鳴る
村びとや友人親族の反対にわれ故郷をたたむと思ひぬ
宣伝の旅
稲の穂のかたむき初めし初秋をわれ宣伝の旅にたちたり
稲の穂のかたむく野路にたたずみて故郷の山をふりさけ涙す
右左稲田に包まる金岐野手にあとふりかへり故郷の山見る
ばつたりと侠客小丑に出遭ひたりこの草の上で相摸とれといふ
よしきたと両手をあげて相摸とり首筋掴んで小丑を投げたり
小男の小丑は歯ぎしり噛みながら泥をつかんで吾に擲げつく
後より弟幸吉馳せて来ぬわれに衣類を渡さんがため
弟の姿見るよりおどろいて小丑は稲田にもぐり込みたり
小林の里まで送ると云ひながら前後にこころ配りて従ふ
小林の井筒屋旅館に休憩し再会約して弟とわかるる
虎天茶屋
虎天の関のかたへの茶屋に入り茶を啜りつつ足を休むる
虎天の茶屋の主人を虎之助妻はお久と初めて聞きぬ
お前さん印地の狸をしらべたる人ではないかと女房が聞く
はい左様神の審神をする者といへばこの家の女房目をむく
私は綾部に生れた女です貴方に一つたのみたいといふ
頼まれてあとへはひかぬと法螺吹けば屹度ですよと又念を押す
お久『艮の金神様のお筆先を書くわが母の審神をたのむ』
折あれば一度綾部に出張ししらべてみむと約してたちぬ
八木の町、広瀬、堀切、鳥羽越えて第二の故郷園部に着きたり
第一に天神町をおとなへば井上面をふくらしにらむ
神様になるなら妙霊教会をなぜ信ぜぬと叱言のみいふ
妙妙といふのが嫌ひと夕まぐれ飯も食はさず叩き出したり
楚玉禅師
南陽寺楚玉禅師のもとを訪ひ一夜の露の宿りたのみぬ
神さまの道は結構けつこうと楚玉禅師はしきりに褒むる
仏教は世の終りなりこの先は神の大道栄ゆと禅師云ふ
翌日は禅師のもとを相辞して広田屋旅館に泊り込みたり
藤坂薬店
広田屋に泊りてあれば町人は次ぎつぎ来たりてわが教をきく
広田屋に道説きをれば藤坂の主人わが家へ来たれとうながす
藤坂のやかたに到り神術の実地研究なして見せたり
藤坂の頑固主人も神術に目を丸くして感じ入るをり
わが宅にながく泊りて道説けと藤坂真面目に勧めてやまず
藤坂の真向ひにある内藤の菓子屋の主人また呼びに来る
藤坂と内藤両家の板ばさみとなりて難有迷惑かんじぬ
内藤氏たちまち道に入門しわが弟子とならむ約を結べり
わがことを伝へ聞きたる近村の人つぎつぎに集り来たる
奥村の離れ座敷にわれありて神のをしへをつぶさに説きぬ
牛乳屋が神様になつたと町人がなぶり半分あつまり来たる
牛乳屋をやめて神さん商売をするは偉いと町人からかふ
綾部に向ふ
大橋のたもとに景色ながめをれば人力ひける福島に逢ふ
福島は早く綾部へ行て呉れと真心こめてわれに頼みぬ
真心の漲る言葉にいなみ得ずわれは綾部をさしていでたつ
えちえちと観音峠の急坂をわれただ一人よぢ登りたり
観音の峠に立ちてかへりみれば眼下に園部の甍かがよふ
鬱蒼と老杉しげる小麦山天神山はわが眼にすがし
観音峠
観音の峠に立ちて休みをれば下司熊従者を連れて来向ふ
上田さんどちらへおいでと下司熊が羽織袴で丁寧に問ふ
或人に頼まれ綾部にわれ行くといへば下司熊フフンとわらふ
園部町の賢しき人間手にあはず山奥人間欺すかとののしる
神様の道ゆくわれは狐狸でなし人を欺して何の要あるか
穴太では愛想つかされ園部では叩き出されて来たかと嘲る
下司熊は園部の住居わが布教煙たがりける恨みを云ひをり
二三日すれば園部に帰り来るとわれの答へに下司顎しやくる
下司熊はこれでも名のある侠客だ滅多に園部に置かぬといきまく
二三日すれば園部へ立ち帰り力競べとわれもからかふ
あの牛はどうなつたかと吾いへば天窓かきかき逃げ出しにけり
下司熊の逃げゆく後姿見ながらにわれは思はず噴き出しにけり
御夢想の湯
観音峠西にくだれば水戸の里数十本ののぼりたちをり
よく見れば下司熊様へ信者よりと染めぬき文字を幟にしるせり
弘法大師御夢想のお湯と大いなる看板かけあり下司の借り宅
近在の神職某としめし合せ大杉の下に仏像いけをり
大杉のもとに大師は埋もれり掘つて祀れば福やるといふ
素朴なる村人たちは下司熊の偽術としらず杉の根を掘る
清水湧く杉の根元ゆ大師像やつと掘り出し下司熊を拝む
地の中の物まで見える先生は今弘法よと信者あつまる
愚夫愚婦を数多集めて御託宣しこたま金を搾れりと聞く
一ケ月経たぬあひだに下司熊は園部警察に引致されたり
会場は閉され下司は警察で五十銭の科料取られたりけり
水戸を越え須知を越えて桧山の知人の宅に一夜泊りぬ
この宿は内藤氏の家に仕へたる八木清太郎館なりけり
この男菓子製造業を営みてなかなか羽振り利かしをりたり
神界のはなしをすればよろこびて家内一同入信をなす
桧山あとに保野田や三の宮榎峠の急坂たどる
柴を負ふをんなに綾部の道問へば山坂三里と答へ坂下る
榎峠くだればまたも枯木峠この急坂を行きなやみたり
足なやみ草鞋破れて困りけり石坂道をえちえちくだる
道に会へる杣に綾部の里程問へば三里半よと意外の事いふ
三里の道一里歩みてまだ三里半と聞きたるわれの失望
大原や台頭を越えて山道を一人さびしく辿りてゆきぬ
草鞋売る店を見付けて買ひもとめ足に穿ちて心安けし
綾部まで幾里あるかと尋ぬれば確に三里はあると答ふる
綾部に到る
須知山の峠にやうやう辿りつき疲れし足を揉みて休らふ
須知山の峠をくだり妙見の茶屋にやすめば僧侶茶を汲む
しなびたる坊主の姿見入りつつ何かは知らずあはれもよほす
七十を超えたる茶屋の痩坊主六十余りの妻を持ちをり
上人に茶を汲ませたるお前さんは果報者よと恩に着せる婆
茶代二銭やれば婆は三四度も天窓をさげて喜んでをり
この茶屋の裏の杉生の下かげに小さき妙見の祠たちをり
行きゆけば風致妙なる小雲川わが目の前に展開なせり
永久にわが住む綾部と知らずしてただ面白く景色見て居り
川の面吹き来る風は冷やかに旅路の汗をぬぐひ去りたり
大いなる町にあらねど人びとの言葉の訛り床しみにけり
出口開祖お宅は何処と尋ぬれば紺屋の妻は案内すと云ふ
大本の出口開祖の住みたまふ綾部裏町の寓居を訪ひぬ