霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第三章 世界宗教統一

インフォメーション
題名:第3章 世界宗教統一 著者:出口王仁三郎
ページ:136 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-04-20 03:36:07 OBC :B121802c130
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『神の国』大正14年4月10日
 追々と大本の教も世界に判りかけ、ことに私の蒙古行以来、海外諸国の人々の神経を聳動させ、大本の新精神運動は、日を追うて益々世界的に拡まつて行きつつあります。ついては、今度、海外の某々氏らと吾々との相談によつて世界宗教連盟会を拵へることになつたが、これは必ず神様の御経綸でありますから成功することと思ひます。
 世界の統一も、霊主体従的すなわち宗教的、道義的にやらなければならない。世界同胞の精神的結合が何よりの一番大切なことである。この世界宗教連盟会は、土耳其(トルコ)、波斯(ペルシヤ)、印度(インド)、西蔵(チベツト)、支那、朝鮮共他の各国の各宗教の代表者が集まつて組織されるもので、それ等の代表者から私も一方の職に推薦されて居ります。大本も単なる大本でなく、世界各国に大本の教が宣伝される機運に向ひつつあります。
 既成宗教はいづれも或者を中心にして連盟せむとするのも、お筆先が実現して参つたのであります。私も連盟会の幹部の一人でありますから、大本は大本として充分の活動をやらねばならぬ。既成宗教は何億と言ふ大衆を率ゐて居りますが、大本はこれらと肩を並べて進まねばならぬのであるから、たとへ量は少くても、真の信仰に生きる人が固まつてほしいものであります。大本は今迄の雌伏、潜伏の時代を脱し、今や黎明期に到達し、今後は進展主義をとつて、()めず憶せず、神様の為、人類の為にあらむ限り尽力をしてほしいものである。それについて、亀岡に世界宗教連盟会東亜本部の下準備をこしらへかけて居りますから、余裕のあるお方は援助して頂き度い。時期も切迫して神様はお急ぎになりますが、人間の考へもそれに伴はねば行きませぬから、所謂惟神に任してやつて居ります。
(大正一四、三、二七、全国大本職員会議席上講話筆録 大正一四、四、一〇号神の国誌)
 去年の来月,今日(大正十三年四月廿八日)を回顧すれば、外蒙古公爺府を廿七日に出発し、盧占魁大将はじめ其他多数の将校兵士を引卒し、松村氏と二薹の轎車に分乗し、前後を多数の兵士に(まも)られて索倫山に向け進軍し、今朝は「王仁蒙古入記」に在る「天の原」と命名したところを出発したのである。挑児河は幾条も幾条も丁度蛸の足の様に岐れて清く流れてゐて、見渡す限り目も届かぬ大原野には、楊柳楡の古木が密生し、楡の古木には真白い花が咲きほこり、大原野の草は一面に青々として芽生え、凡ての柳は紅い小枝を真直に天に向つて伸ばし、丁度金赤の水引を立てたやうで、この麗しい大自然の景色を眺めながら、たとへ方ない爽快な気分で進軍したのであります。今頃は大庫倫に入り、三十万の喇嘛僧(らまそう)と、部下十万の兵を従へて、蒙古の経綸をやるつもりであつた。
 さて、綾部を出発する二、三日前の夢に、……自分が大きな磯端に行つた。見ると子供が魚を捕つてゐるので、自分も捕らうと思つて、一匹の鰻を捕まへた。すると、見る見る五六丈もある竜となつたので、(かた)げて石垣の上に上り、そこに置いて、また磯端に下りて手足を洗ひ、上つて見ると、その竜が人間に()つてしまつて、五、六人の人と一緒になつて火にあたつてゐる。何程人間に()けても竜は竜であるから、自分はその後を追かけて行くと、一間位の幅の細い道をドンドン入つて、ついに見失つてしまつた。
 そこらに在る家は支那の家ばかりで、一軒の家の前に五十位の男が立つてゐたので聞いて見ると、その男は『竜の事ですから、どこかへ隠れてゐるでせう』と云ふ。自分は大分捜して見たが、どの家にも居らぬので、畑へ出て見ると、孟宗竹の筍が五六寸も出てゐる。そして家々には(かいこ)が繭を造つてゐた、それから、裏に回り、七、八軒探つた後、表通の「北」と云ふ表札の掛つた門構へのかなり大きい家があつたので、私が大声で『竜は居らぬか』と聞くと、中から雷のやうな声で、『沼の主でさへも、人がおそれるのに、竜を喰ふと云ふことがあるものか』とどなる。そこで、自分はその前に竜を二匹喰つてゐたのだと云つた。門内より大の男が大声をあげて、(まさかり)を持つて追かけてくる。自分は懐手(ふところで)をしてゐるので、どうにもしやうがないので爪先下がりの坂道を手の出るところまで二、三丁逃げた。そこで、ようやくにしての懐手が出たので、サア来いと四股(しこ)を踏んで、とつ組まふと身構へをした。男は驚いて、何十丈とも知れぬ池の中へ自ら飛び込んでしまつた。よくよく見ると馬の顔を二つ合した位の顔をした竜である。
 その「北」の字は「北京」の北で、北京がなかなか難かしいことだらうと思つてゐたが、今考へて見ると「敗北」の北で、鉞を持つて追かけられたのが、白音太拉(パインタラ)の難に相当し、懐手をして逃げたのが内地へ退去命令をくつて帰ったことであり、現在はちようど、自分が懐から手を出しかけてゐるところであります。
 もう一つの夢は、……自分が女神の姿になつて、百畳ばかりもある様な大きな東半球の地図を拡げて見てゐゐと、父と母とが出て、そんなものを拡げたりしないでくれと止められたが、私は父母に向つて、『今日まで天下のためにあらゆる苦辛をなめて来たのだから、これ位な気儘は許してもらはねばならぬ』と言つて、ブツブツ小言を云ひながら川の堤を一人で東へ向ふのであつた。
 蒙古入りをして以来、皆様に大層御心配をかけましたが、この事も後で判る事であります。
 私は随従の希望者とともに、まづ蒙古の統一を計り、新疆、西蔵、アフガニスタン、波斯、西比利亜(シベリア)、土耳古と云ふ順序にコーランと兵隊でもつて、開拓しようと思つてゐたのである。
 何事でも、二度目の立替で、二度目でないと成就せないもので、今回の事も決して失敗ではないと思ふ。私の蒙古入りは、世界といふ大きな池に一石を投じたものである。うんと響かしておかぬと、今後の経綸が出来ない。今やその芽が吹き出し、亜細亜(アジア)、欧羅巴の諸国から続々とこの出口王仁三郎を頼つてくるといふのも、蒙古入と云ふ石を投げ込んだ結果であります。
 大本も今迄の役員のやり方や考へが狭小で、鎖国主義で排他的であつた様です。吾神尊し、他の宗教は取るに足らぬと云ふやうな態度で来たが、智慧証覚と愛善真信の度合によつて、それに相応したそれぞれ異つた教を信じて満足してゐるのである。雪隠虫は雪隠で満足してゐるやうなものである。人間は人間の喰べ物、獣はけだもの、虫類は虫類と、それぞれ相応した喰物がある如く、天国には幾百千とも数知れぬ団体と階段がある。信仰団体もそれと同じく、移写されて多数の宗教があるので、霊魂の餌食である宗教にも、相応して種々と種類があるのであるから、天理教を信仰する人であつたら、天理教の天国に行けるのである。しかし、何を信じても喰ひ足らぬ人は、より以上徹底した教を求めるものである。大本に寄つてゐる人は、どの既成宗教にも飽き足らない、満足出来ない人々であるから、他の宗教の信者に比較して、智慧証覚の度の優れてゐる人々で、いはゆる手に合はぬ人逹であります。他の宗教のやうに南無阿弥陀仏、有難い有難いだけでは満足出来ない人達である。だから大本の統一はむつかしいのである、一歩進んでゐる人達の集まりであるから、統一の難かしいのも、むしろ当然であります。
 右のやうな次第であるから、他の教を信仰、それで満足してゐる人であつたら、無理に大本に引き入れなくてもよい。さう云ふ人に出会つた時は、その人の信ずる教のよい点のみをあげて、生命を与へたらよいのである。祝詞の『善言美詞(みやび)神嘉言(かむよごと)を以て、神人を(なご)め』でやつたらよいのである。
 右のやうな態度であつた時には、既成宗教にあきたらない人は、入るなと言つても、入信したくなつてくるものである。
 すべて、如何なる宗教であらうとも、世を利し、人を益し、天国を建設するをもつて目的とせないものはないのであるから、その美点のみを調べて、その点を()める様にするのである。
 今後大本は、世界の道義的の立替立直しをやらねばならぬ。ついては、すべてを抱擁し、神は一切をもつて吾愛子(あいじ)(みそなは)し給ふ、その大きな気宇を持つて、あまねく世人に接し、同信者間においては、人の非を言はず、もしも悪い所のあつた場合は、直接に注意し合つて、大同団結して神業に奉仕してほしいものであります。
 さて、今回、世界宗教連盟会を設ける事になつてゐるが、それについてまづ大本の団体から、その鑑にならねばならぬ。それには、謙譲と忍耐と、進展主義で積極的にやり、何事も神第一主義で、所謂霊主体従で世に処し、一致団結して誰が見ても「あれなればこそ」と云はれるやうにならねばならぬ。それには、膝元からまづ改良せねば、ぐづぐづしてゐると外国の方が早くなるかも知れぬのである。もしそんな事になれば、直接神論や霊界物語を読んで居りながら、世界に対して誠に申訳のない次第であるから、層一層の御奮励を希望する次第であります。
 神論は中々御神意がとり難いから、神様の前で、お経を読むやうな考へで拝読したらよい。こう考へる位まではよいが、もしも断定的に解釈をした場合は、すつかり違ひますから、霊界物語に御神意が出してあるのである。神論を勝手に解釈することは、神様から許してないのであるから、もしもこれを解釈すれば、神を冒涜する事になるのである。
 自分は去年入蒙した時、今頃は大庫倫の真中にゐるつもりであつたのが、引掛戻しの仕組で、本日ここに立つて皆様にお話しすると云ふやうなことは全々予期してゐなかつた。どうしても五年間位はは帰国出来ないと思つてゐた。ところが、半年か一年足らずで帰国したのも、神様のお経綸がそれだけ早くなつたのであります。
 大本は未だ根城が固まつてゐない為、自分が蒙古に行つてゐる間は、気がかりで、丁度尻に糞を挟んで他家の座敷に行つてゐる様な工合で、大本に居る間は別に気づかなかつたが他へ出て見ると、もう少し言つておけばよかつたに、あの事も云つておけばよかつたと、何時も頭を悩めたやうな訳であります。
 神様のお道は何も難かしいことはいらぬのであつて、この大道場を見ても入口は御覧の如く、小さく狭いが中はこの通りに広々としてゐる。
 大国主神が矢を拾ひに原野に行き、野原の草に火をかけて焼かれやうとされた時に、内はホラホラ外はスブスブと鼠が叫び、命は大きな穴の中に落て、助かられた古事のやうに、神様のお道は、外面は狭く汚く見えても、内面は広く()れいなもので、外と中とは全然異つてゐる。しかし、世の中はこれと正反対で、ちようど伏見人形の様に、前側は種々な色彩で美しいが、裏面は土がそのまふ出てゐて汚いのと同じやうなものである。神様はこの道場の構造にも御心を示されてあるのである。
 私は、目下、明智光秀の城趾に、世界宗教連盟会東亜本部事務所の基礎工事をやつてゐますが、この明智光秀は近江の坂本に十九万石、丹波に五十六万石、福知山に十八万石を領してゐた智仁勇兼備の英雄であるが、歴史上では悪逆無道、主殺の如く悪く伝へられてゐるが、光秀にとつて信長はなんら三代相恩の主人でもなく、常に信長を(たす)け、幾多の戦場に軍功を顕はし、左右に策を献じ、信長をして天下に覇たらしめた人であつて、信長と光秀の関係は、現代政党の首領と首領が、合同提携して居たやうなものであります。
 私は、信長、光秀、ともに互角の英雄であると思つてゐるものであります。
 歴史といふものは実にあてにならぬもので、ちようど大本が天下国家のために至誠以て尽してゐるにもかかはらず、世には大逆臣の集団かの如くいひ伝へられてゐるのを見ても、よく判る次第であります。
 さて、この明智光秀の亀山城趾に世界宗教統一の土台をつくる事は、実に意義あることと思ひますから、お繰合せのつく方はお手伝をされたら結構だと思ひます。しかし、これも無理にはお願ひしない、皆様の自由意志にお任せします。
 今年は丑の年、明年は寅の年、この丑寅の両年は余程注意を要する年である。世界は一大転回をなす変りた年であります。しかし、まだ最後ではないから安心してよろしい。地震や雷は別段恐るるに足らないが、思想界の洪水が氾濫してゐるのが、一番恐るべきである。人間は霊主体従で、精神すなはち思想がもとであります。天国も地獄も、思想が基をなしてゐるのである。一発のピストルが、かの世界大戦を惹起した如く、今後如何なる事が突発せむも計り難い。しかし信仰さへ徹底しておれば、さまで驚き騒ぐ事はないのである。
 世界の統一は武力や権力でやつた場合は、先に力が出た時はまた一方を圧倒して、争乱の絶間なく永久の平和を招来する事は望まれない。だからどうしても統一は精神的、宗教的、道義的に経綸を進めなくてばならないのである。大本の呼号する世界宗教統一は、大抵の人は世界中が大本の教にならねば、世界宗教の統一でないやうに思つてゐるが、各々(めいめい)意志想念が(ちご)うてゐるに相応して、(おのおの)宗教も異つてゐるのであるから、大きな目で観た場合、名称は神であらうが、仏だらうが、基督であらうが何でもよい。すべての宗教団体なり思想界が、大本の意志通になつたら、それが大本の世界宗教統一が実現したのである。回教でも基督教でも、大本の分所支部位に見做(みな)して居ればよいのである。
 ちよつと見ると鵺式(ぬえしき)のやうに見えるが、それは皮相の観察であつて、形式はどうでも、精神と精神との統一結合を主眼として、今後活躍するのであるから、誤解のないやうにしてほしいものであります。
 惟神霊幸倍坐世。
(大正一四、三、二八講話筆録、同年四、一〇号神の国誌)

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