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第四章 信仰は異なるとも

インフォメーション
題名:第4章 信仰は異なるとも 著者:出口王仁三郎
ページ:146
概要: 備考:2023/10/03校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-03 22:19:47 OBC :B121802c131
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『神の国』大正14年5月25日
 宗教は芸術を生み、芸術は(また)宗教を生む。芸術は人生の花である。人生に宗教及び芸術無き時は、世の中は実に寂寥(せきれう)な、そして無味乾燥なものである。そして変愛と信仰とは人生に欠く()からざる真実の果実である。
 神仏や其他の宗教を信仰すると云ふのも、要するに恋愛を拡大したものであつて、宇宙の元霊たる独一真神を親愛するのを信仰と云ひ、個人を愛するを恋愛と云ふ。故に恋愛と信仰とは其の根底を同じうし、ただ大小の区別があるのみである。(いづ)れの宗教も、社会人心(じんしん)の改良とか人類愛の実行とか、霊肉の救治(きうぢ)とか、天国の楽園を地上に建設するとか云ふ趣旨の他に()づるものでない。故に古往(こわう)今来(こんらい)、幾多の宗教が現はれても、人生に光明を与ふるを以て目的とせないものはない。期する所は同一の目的に向つて流れて居るものである。『あめあられ雪や氷と(へだ)つれど解くればおなじ谷川の水』と古人(こじん)が歌つたのは至言だと思ふ。(いづ)れかの宗教を信じ、一つの信仰をもつて居る人は、何処(どこ)ともなく物優(ものやさ)しく(なつか)しみがあり、そして一種の光明に包まれて居るやうな感じがするものである。
 それ故自分は、宗教の宣伝使を以て自認して居るが、同じ宇宙唯一の大神霊に向つて同じ神霊の愛に浴せむとする目的を以て居る宗教である以上は、眼目点(がんもくてん)さへ同じければ、枝葉にわたる宗教的儀式や説き方(など)は次ぎの次ぎである。宗派及び信仰を(こと)にする人々と対立した場合の自分の心持(こころもち)は、春の花見に行つた時、一方には上戸(じようこ)が居つて酒に(ひた)り、『酒()くば()んの(おのれ)がさくらかな』と云うて一日(いちじつ)の歓楽を尽す人と、竹の皮の握り飯を開いて食つて居る人や、芸者などの手を引いて花の下で他愛なく(たはむ)れて居る人があるやうに、(いづ)れも目的は花見にあるのである。其の人々の嗜好に依つて、千種万様の自由自在の歓楽を尽して居るやうなもので、(その)目的さへ一つであれば別にいやな感じもせず、春風(しゆんぷう)駘蕩(たうたう)として(おもて)をやはらかに吹くやうな感じがする。(また)同じ共同風呂に這入(はい)つて、温かなゆつたりとした気分に浸り、一人は詩吟(しぎん)をやり、一人は浪花節を唸り、一人は浄瑠璃を語り一人は端歌(はうた)を唄つて居る。(いづ)れも同じ風呂の中であり乍ら思ひ思ひの事を云つてゐる。(しか)し人々の嗜好は(かは)つて居つても、温かい風呂に浴し、身体(からだ)(あか)(おと)し、爽快の気分を味はふ点に(おい)ては一つである。(また)詩吟、浪花節、浄瑠璃、端歌(はうた)など何を聞いても余り気分の悪いもので無い、其の時の様な感じを自分は何時(いつ)も持つて居る。
 宗教を持たず信仰の無い人に接した時は、仮令(たとへ)自分の兄弟であらうが、親であらうが、妻であらうが、(また)子であらうが、何とも云へぬ(さび)しみがあり、(また)自分との間に薄い幕が張られて居るやうな気分のするものである。
(大正一四、五、二五号 神の国誌)
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