霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
目 次設 定
設定
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
フォント

ルビの表示



アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注 [?][※]や[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。まだ少ししか付いていませんが、目障りな場合は「表示しない」設定に変えて下さい。ただし[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]


文字の色
背景の色
ルビの色
傍点の色 [?]底本で傍点(圏点)が付いている文字は、『霊界物語ネット』では太字で表示されますが、その色を変えます。[×閉じる]
外字1の色 [?]この設定は現在使われておりません。[×閉じる]
外字2の色 [?]文字がフォントに存在せず、画像を使っている場合がありますが、その画像の周囲の色を変えます。[×閉じる]

  

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。


【新着情報】12/5発売『あらすじで読む霊界物語』(アマゾン楽天ブックス
マーキングパネル
設定パネルで「全てのアンカーを表示」させてアンカーをクリックして下さい。

【引数の設定例】 &mky=a010-a021a034  アンカー010から021と、034を、イエローでマーキング。

          

〔一〕西王母

インフォメーション
題名:〔一〕西王母 著者:出口王仁三郎
ページ:239 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B121805c116
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正10年3月1日号(第135号)【出口王仁三郎執筆】 > 謡曲言霊録 一 西王母
   一
 西王母(せいわうぼ)は、大和田(おほわだ)建樹(たてき)()編纂(へんさん)の、謡曲(えうきよく)通解(つうかい)には、天上の仙女であつて、三千年の桃実(もものみ)を君に捧ぐることを作つたのだと出て居るのである。大本(おほもと)言霊学(げんれいがく)の見地から見ると、西王母(せいわうぼ)は、陰を意味し、月、水、体、女、地等を意味するのである。要するに水の御魂(みたま)、月の神、坤金神(ひつじさるのこんじん)神皇産霊神(かむみむすびのかみ)なぞの(よこ)の地位に(まし)ませる神様である。
 ワキ『有りがたや、三皇五帝の昔より、今此(いまこの)御代(みよ)に至るまで、かかる聖主のためしはなし。地『(その)御威光は日の如く。ワキ『(その)御心(みこころ)は海の如くに。地『(ゆたか)に広き御恵(おんめぐみ)。ワキ『天に輝き地に満ちて、北辰(ほくしん)の興ずる数々の、万天に(めぐ)る星の如く、百官卿相雲客(かんけいしやううんかく)や、千()()の旗を(なび)かし(ほこ)を横たへ、四方(よも)の門辺にむらがりて、(いち)をなし金銀珠玉(きんぎんしゆぎよく)、光を交へ、光明(くわうみやう)赫奕(かくやく)として、日夜の勝劣見えざりけり、かかるためしは喜見城(きけんじやう)()(たのし)みも如何(いか)ならむ』
 ワキ『有りがたや』空前絶後の慶事(けいじ)とか、数千年又は数万年に一度あるか無いか知れぬ様な、吾人人類に対して結構なる事の出来て来た時に用ふる言葉である。乞食が一椀の飯を貰つて礼を言つたり神様に幸福を願つて叶へて頂いたり、軍人が金鵄(きんし)勲章(くんしやう)を頂戴した時に発する感謝の辞なども、有りがたいには相違ないが、(この)段の有りがたいと云ふ意義は、宇宙(うちう)開闢(かいびやく)以来(いらい)、日本にも外国にも古来類例の無いと云ふ事の意味である。現界に(おい)未曾有(みぞう)祥瑞(しやうずゐ)が現れたことに対して、感歎(かんたん)()(あた)はざるの形容詞であつて、滅多に無い、有難い、結構な事と()ふ意味である。
 『三皇五帝の昔より』三皇五帝とは、支那(しな)伏義(ふくぎ)神農(しんのう)黄帝(くわうてい)の三時代と、少昊(せうかう)顓頊(せんぎよく)帝嚳(ていこく)(げう)(しゆん)の五代にして、実に天下泰平に治まつた太古の世の事であるが、我神典の示し給ふ処に()れば天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)高皇産霊神(たかみむすびのかみ)神皇産霊神(かむみむすびのかみ)、の造化三神を三(くわう)()ひ、(これ)蘆芽彦舅神(あしがひひこぢのかみ)天之常立神(あめのとこたちのかみ)を合して五帝と云ふのである。
 『今此御代に至るまで、かかる聖主のためしはなし』宇宙(うちう)開闢(かいびやく)太古(むかし)より、今上の御代に至る数百万年の間に、国華発揚して、皇運隆々、神威(しんゐ)八紘(はつかう)に輝き渡り、世界に神威皇徳の光被(くわうひ)せる、聖明の君主の()で給ひたる祥瑞(しやうずゐ)は、今上の御代より外には無かつたとの祝辞である。
 地『(その)御威光(ごゐくわう)は日の如く。ワキ『(その)御心(みこころ)は海の如くに。地『(ゆたか)に広き御恵。ワキ『天に輝き地に満ちて』
 天津日嗣(あまつひつぎ)主師親(しゆししん)の三徳は、天津日の万有を光被(くわうひ)し給ふ如くに三千世界に照徹し給ひて、(その)臣民(しんみん)(いつく)しみ給ふ御聖慮は、広く深くして海洋(うみ)の如く、天界(てん)にも地上()にも満ち溢れたる聖代(みよ)の意味である。  『北辰(ほくしん)の興ずる数々の、万天に(めぐ)る星の如く云々(うんぬん)』とは、天界一切の星が、北極星座に向かつて従ひ運転するが如くに、郡臣万民が仰いで聖主の徳に(なび)き仕へ、天下無数の人家は、国旗を軒頭に掲げ、清風に(なび)かせて、聖主の祥代(しやうだい)を祝し(たてまつ)り、仁慈無量の聖徳を慕ひて、朝廷四隅の門前に群集し、金銀珠玉珍宝を(おのおの)競うて、聖主に(おびただ)しく貢献し、武器を納めて、至治(しち)泰平(たいへい)瑞雲(ずゐうん)(たな)びき渡り、光徳(くわうとく)霊威(れいゐ)昭々(せうせう)として、昼夜の区別なく、山野海河(やまぬのうみかは)も清く明かに、喜見城(きけんじやう)(天上の都)を地上に現出し、至楽至美至善の神代を招来せし、五六七(みろく)祥世(みよ)讃仰(さんかう)せる現象である。
   二
 『桃李物(たうりもの)いはず、(しも)おのづから(いち)をなし、貴賤(きせん)交はり、ひまもなし。シテ『おもしろや四季折々の時を得て、草木国土おのづから、皆()れ真如の花の色香、(たへ)なる(のり)の三つの心、潤ふ時や至りけむ。三千年(みちとせ)に咲く、花心の、をり知る春の、かざしとかや』
 大本開祖は(いづ)御魂(みたま)の生宮として、地の高天原なる綾部本宮の聖地に現れ、国祖の神業に参加し給ひ、霊肉共に千辛万苦(しんばんく)()め給ひ、明治廿五年の初春、梅香(ばいかう)馥郁(ふくいく)として四隣に匂ふ頃、惟神(かむながら)の神筆を(ふる)ひ給ひて『三千世界一度に開く梅の花、(うしとら)の金神の世に成りたぞよ』と獅子吼(ししく)され、大歓喜と大希望とを(もつ)て出現され、三千年の辛苦の花の、開き()めたる事を(せん)し給うた。以来筆に口に世界の改造を絶叫し、救世主の出現を豫示(よじ)されたのは、桃李物(たうりもの)いはず、おのづから(こみち)をなすの、一大神人の現れ(きた)ることを、待たせ給うたのは、即ち()桃李(たうり)祥瑞(しやうずい)であつたのである。桃は言霊学上、(しも)に働く言霊であつて親心であり、子の心である。又水の座にして、(あめ)の手となり、世の芽出しとなり、数を寄せ数を集め、一切の本元となる意義があるのである。
 (すもも)は、モモの(くは)しく勝れたるものにして、中に集まる言霊である。本末を一徹に貫き、八極を統べ八咫(やあた)に伸び極まり、八極を統べ、真中真心(しんちうしんしん)結びの柱にして、玉の活用である。
 三月三日は桃の節句であり、女の祝日である。三月は変性(へんじやう)女子(によし)の肉体にして、即ち(みづ)御魂(みたま)月の大神を意味し、三日は変性(へんじやう)女子(によし)御魂(みたま)を意味するのである。()づ第一に、三千年の霊界経綸の梅の花なるヨハネの御魂(みたま)現れ、次に桃の花の御魂(みたま)の現れたのは、実に神界の深き御思召(おぼしめし)が実現したのである。貴餞(きせん)老幼(らうえう)の区別無く、(かく)の如き目出度き桃李(たうり)の花実を四方(よも)の国から慕ひ集まり、別に宣伝もせず計画も()さざるに、自然に(いち)()す、金輪聖王の治め給ふ大御代(おほみよ)は、春夏秋冬の季節も順調にして、四民(こぞ)つて鼓腹(こふく)撃壌(げきじやう)し、国土山川草木に至るまで、皆()れ真如実相の花の色香を保ち、妙法華(めうほふくわ)の三つの心の、天下に潤ふ時の(きた)りて、三千年を経て開き匂ひ()づる桃の花心。世人に媚びず、(へつ)らはず、別に言語は発せざれども、人々のその木蔭(こかげ)を慕ひ寄り(きた)ること、皇道大本の神業に()ける如くである。愈々(いよいよ)神政成就の時機到来を、天下の万民(ことごと)く知得すべき時期となりて、(みづ)御魂(みたま)真人(しんじん)を的とし、力として群集するを『をり知る春の、かざしとかや』と云ふのである。
     =歌=
 総て歌は天地神明の心を(やは)らげ、人心を平かならしめ、万有を左右し、大三災小三災の支障(さはり)を消滅せしむる権力がある。如何に天地の大神様と(いへど)も、日に三熱三寒の苦しみが御有りなさるのである。天国浄土極楽と()つても、決して歓楽ばかり続けて遊び暮して居るのでは無い。神は神としてのそれぞれの艱難(かんなん)もあり、苦悩もあるのである。(しか)るに俗人は、天国浄土とか極楽とか()へば、至喜至楽の遊園地の如くに誤解して居るものばかりである。故に天地経綸の司宰者(しさいしや)たる人間即ち神の生宮の言霊の権威によりて、天地の神明(しんめい)も三熱三寒の苦しみを(まぬが)れたまふものである。(いは)んや善言美詞の祝詞(のりと)や優雅にして高尚なる和歌の力に(おい)てをやである。
 小野小町(おののこまち)が和歌を(えい)じて雨を降らしたと云ふのも、皆言霊の妙用利生である。
   三
 『いざや君に捧げむ、いざいざ君に捧げむ、すべらぎの、(その)御心(みこころ)(あまね)くて、隙()く駒の(のり)の道、千里の外まで上もなき、道に至りて明らけき、霊山(れいざん)会場(ゑじやう)(のり)(には)、広き教の真ある、君々たれば誰とても、いさみある世の心かな』
 いよいよ芽出度き神の経綸(しぐみ)桃李(もも)の花実をば、天津日嗣(あまつひつぎ)の御料として、赤誠()めて捧げ(たてまつ)らむとの言霊である。皇大君(すめおほかみ)の大御心は、仁慈の大徳、顕幽両界に(あまね)く充満して、治国平天下安民の大道たる、皇祖の御遺訓は、隙()く駒の暇さへ無く、聖恩(せいおん)洪徳(こうとく)宇内(うだい)に輝き、至上至高の(のり)の大道は、日月の如く明らけく、霊山会場の(のり)(には)に、諸神諸仏の集ひ給ひて、惟神(かむながら)の大法を守護し給ふ、鎮護国家(ちんごこくか)の大経綸を、至尊の大前に捧げ(たてまつ)る、天地神明の御聖慮を、(うた)はせられたのである。霊山(れいざん)会場(ゑじやう)とは、仏教(ぶつけう)真言宗(しんごんしう)開山(かいざん)弘法(こうぼう)大師(だいし)は、紀州の高野山なりと()ひ、伝教大師は比叡山なりと()ひ、日蓮は身延山(みのぶさん)にありと()ひ、神道家は高天原なりと()つて居る。昨年の初夏、真言宗の名僧(めいそう)丸山(まるやま)貫長(くわんちやう)()は綾部に(きた)り、本宮山(ほんぐうやま)に登り、四方青垣山を(めぐ)らし、和知川(わちがは)の清流山下を帯の如く流るるの風景を見て、驚かれた。嗚呼(ああ)高野山こそ霊山会場(ゑぢやう)の蓮華台として、宗祖弘法大師が選定して置かれたのだが、当山こそは、高野山に勝る霊山であつて、所謂(いはゆる)蓮華台であり、地の高天原に相違無いと感歎されたことがある。次に宇治(うぢ)醍醐(だいご)宝院(ばうゐん)の僧侶が参綾して、本宮山(ほんぐうやま)に登り、四方の山容風景を見て、丸山氏と同様のことを言つて感歎した事がある。神諭(しんゆ)にも、綾部には地の高天原があると示されてある。()かる霊山(れいざん)会場(ゑぢやう)の本宮山上に天津御祖(あまつみおや)の大神を奉齋(ほうさい)し、八百万(やほよろづ)神達(かみたち)の集ひ給ひて、天下国家を夜の守り、日の守りに(まも)り幸ひ給ふは、実に尊く有難き、惟神(かむながら)なる広大無辺の、皇祖皇宗の伝へ給ひし大道であつて、真に天立君主の慈愛に(なつ)き、天下万民誰一人として、この聖代を心底より欽慕(きんぼ)せざるものは無いと云ふ意義である。
   四
 詞『如何(いか)奏問(そうもん)申す()き事の(そふろ)ふ。ワキ詞『奏問(そうもん)とは如何(いか)なる者ぞ。シテ『(これ)三千年(みちとせ)に花咲き実なる桃花(たうくわ)なるが、(いま)(この)御代(みよ)に至り花咲く事、ただ(この)君の御威徳(おんゐとく)なれば、(あふ)ぎて捧げ参らせ(そふろ)ふ。ワキ『そも三千年(みちとせ)に花咲くとは、如何(いか)さま(これ)は聞き及びし、(その)西王母(せいわうぼ)が園の桃か。シテ『中々にそれとも今は物いはじ。ワキ『さればこそそれぞ殊更(ことさら)名に負ふ花の。シテ『桃李物(たうりもの)いはず。ワキ『春いくばくの年月を。シテ『送り迎へて。ワキ『此春(このはる)は。地『三千年(みちとせ)に、なるてふ桃の今年より、花咲く春にあふ事も、(ただ)()れ君の四方(よも)の恵み、あつき国土の千々(ちぢ)の種、桃花(たうくわ)の色ぞ(たへ)なる』
 詞『如何(いか)奏問(そうもん)申す()き事の候ふ』とは、西王母(せいわうぼ)の言葉である。三千年来養成されたる日本魂(やまとだましひ)を発揮し、(もつ)て聖主に、麻柱(あななひ)の至誠を捧げ(たてまつ)らむとする、忠君愛国の士の一大団結を(もつ)て、天壌無窮の皇運を扶翼(ふよく)し、(おほい)皇基(くわうき)を、振起し奉るべき、御神策を天上より、(もたら)(くだ)りたれば、(いづ)れの方法を持ちてか、万世一系天津日嗣(あまつひつぎ)御許(おんもと)に、奏問(そうもん)せむとかとの神言(かみごと)である。ワキ詞『奏問(そうもん)とは如何(いか)なる者ぞ』(これ)は、ワキの怪しみて、奏問の理由を糺問(きうもん)された事である。シテ『(これ)三千年(みちとせ)に花咲き実なる桃花(たうくわ)なるが、(いま)(この)御代(みよ)に至り花咲く事云々(うんぬん)』は、そこで西王母(せいわうぼ)は答へて、(これ)は遠き太古より植ゑ付けられたる、至誠忠良の日本魂(やまとだましひ)を具足せる、天皇の赤子(せきし)の聖団にして、弥々(いよいよ)今上(きんじやう)の聖代に当りて、その至誠を発揮し、君国を泰山(たいざん)の安きに護り(たてまつ)らむとする者の、数多(あまた)出現した事は、全く仁慈無量の大君の神威と、聖徳の致す処であるから、天津神の大命を奉じて、地の聖場に(くだ)(きた)り、神と人と合一して、(もつ)桃花(たうくわ)優美(いうび)醇清(じゆんせい)なる、赤誠の士を御使奴(みやつこ)として、奉献せむとの神意である。ワキ『そも三千年(みちとせ)に花咲くとは、如何(いか)さま(これ)は聞き及びし、(その)西王母(せいわうぼ)が園の桃か』は、桃の花の咲き出ては、皇基(くわうき)擁護(ようご)し、国土を修理し(たてまつ)るもの、現はれ(きた)ると云ふことは、如何(いか)にも今までに、幾度とはなく聞いた神言(しんげん)である。然らば今捧げ(たてまつ)ると、仰せらるるのは、果して西王母(せいわうぼ)が培養された神園の桃であるか、と反問されたのである。シテ『中々にそれとも今は物いはじ』西王母(せいわうぼ)は不言実行の神使(しんし)であるから、容易に実情を何人(なんびと)にも申さない。奏問(そうもん)すべき御方(おんかた)拝謁(はいえつ)する迄は、言挙(ことあ)げせぬとの意である。ワキ『さればこそそれぞ殊更名に負ふ花の』は、非常に西王母(せいわうぼ)の言行に感心して、()ればこそ、言行心一致の神使で、救世主の資格を有し給ふ、流石の西王母(せいわうぼ)である。()(うる)はしく清らかなる、桃の名を負ひ給ふ、神使かなと(こた)へられた。(この)ワキの人は奏問(そうもん)を取次ぐ()き、高き位にある役人である。シテ『桃李物(たうりもの)いはず』西王母(せいわうぼ)は答へて、わが養成し(きた)りたる、数多(あまた)の赤誠者は、常に不言実行を(むね)とし、(もつ)て軽々しく大小事に向つて、言舌(+ごんぜつ)(ろう)せず、実に感心なものである。との意を表示されたのである。そこでワキ『春いくばくの年月を』は幾ばくの春を()、年月を重ねて、()くも立派に花の咲きしことよ、と感賞(かんしやう)(てい)であつた。シテ『送り迎へて』は、(それ)西王母(せいわうぼ)が更に送り迎へてと、言葉を合はされたのである。送り迎へてといふのは、三千年(みちとせ)を送つて来て、(いよいよ)今日(こんにち)は天運循環して、花咲き匂ふ春を迎へて、奏問(そうもん)の時を得たりとの意義である。ワキ『此春(このはる)は』今年の春は、如何(いか)なる芽出度いことの現れしぞと、感嘆の意を表したのである。地『三千年(みちとせ)に、なるてふ桃の今年より云々(うんぬん)』とあるは拾遺集(しふゐしふ)躬恒(みつね)の歌に、
  三千年(みちとせ)になるてふ桃の今年より 花咲く春にあひにけるかな
とあるを作者の(ここ)に引きしならむか。三千年(みちとせ)の千辛万苦の西王母(せいわうぼ)が救世の願望成就の時到り(いよいよ)その忠誠の、雲上高く達するに到りしも、(ただ)これ仁慈の大君の、(あめ)の下四方(よも)の国を、平けく安らけく知召(しろしめ)し守り給ふ大御恵(おほみめぐみ)の発動にして、地球上各国土の諸民族は王化に浴し、(かみ)治教(ちけう)(あきら)かにして、下万民(しもばんみん)は皆押並(おしな)べて、風俗敦厚(とんこう)に進み、赤誠を上に捧げて、臣民(しんみん)たるの職責を全うし、国土安く治まり、世に戦争なく、悪病なく、貧賤なく、暴風狂水大火なく、飢饉なく、万民の顔色(こと)に勝れて(うる)はしく、愉快の色を(たた)へ、(あだか)も桃の花の、一度に満開したるが如き、神妙不測の天国を招来すべき瑞兆(ずゐてう)である天国浄土の招来は、三千年(みちとせ)()て咲き匂ふ、(みづ)御魂(みたま)の世に()で給ふに由りて、完成さるる事を窺知(きち)する事が出来るのである。
   五
 ロンギ地『(さて)は不思議や久堅(ひさかた)の、天つ少女(おとめ)()のあたり、姿を見るぞ不思議なる。シテ『疑ひの心な置きそ露の間に、宿るか袖の月の影、雲の上まで其恵(そのめぐみ)(あまね)き色にうつりきぬ。地『うつろふ物は世の中の、人の心の花ならぬ。シテ『身は天上の。地『楽みに、明けぬ暮れぬと送り迎ふ、年は()れど限りもなき、身の程も隔てなく、誠は我こそ西王母(せいわうぼ)の、分身よ、まづ帰りて花の実をもあらはさむと、天にぞ上りける、天にぞ上り給ひける』
 ロンギ地『(さて)は不思議や久堅(ひさかた)の、(あま)少女(おとめ)()のあたり、姿を見るぞ不思議なる』神界の御経綸の深遠にして不測なる、人心小智の窺知し()べからず、思はざる時、知らざる時、忽然(こつぜん)として、晴天の霹靂(へきれき)の如く天上の月球殿より、天使として、天津乙女の眼前に(くだ)(きた)るを見ることの不可思議なる、如何なる神慮神策の御在(おはし)ますぞと、少しく疑雲に包まれ、呆然たるの形容である。
 シテ『疑ひの心な置きそ露の間に』決して疑念を露ばかりも置くな。天上より神勅を奉じて、降り(きた)りし、(みづ)御魂(みたま)の神使であるとの証言である。
 『宿るか袖の月の影』月は水面に影を宿し、露霜雪(つゆしもゆき)なぞに移る。(これ)を風流に月が宿るとか、宿を借るとか(とな)へるのであつて、宿るか袖の月の影とある月は、決して真の月球ではない。袖に宿ると()ふことは別に深き意味が含まれてある。(これ)言霊学(げんれいがく)の上から略解すれば、 は、()包裏(つつみ)居る(なり)。心の本府(ありか)(なり)神府(しんぷ)(なり)()の質に染む(なり)。蒼空也。身の家也。
 は、大勇力也。勤め遂ぐる也。大造化力の号令官也。()く忍び堪ゆる也。既定也。忍耐力の極也、照込みの極也。()を見て心を知る也。
 以上の二言霊を総合解釈する時は、地上に出現したる救世主、一大真人の身魂の本能である。この身魂に、(みづ)御魂(みたま)の分霊分体の宿り給ふ状態を称して、宿るか袖の月の影と()ふのである。『雲の上まで其恵、(あまね)き色にうつりきぬ』久方の天津御空も、葦原(あしはら)の国も押並べて、五六七(みろく)の大神の、広き厚き深き御恵沢(みめぐみ)の、(あまね)()き届き照り渡りて、(うる)はしき三千年に咲き匂ふなる、桃の花の色に感染し、上下億兆(ことごと)く神心に立帰りて、神の御子たる本分を尽すに至つた、泰平の御代の表徴である。
 地『うつろふ物は世の中の、人の心の花ならぬ』
 色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける
と云ふ古今集(こきんしふ)の歌を引きて、(ここ)に用ひしならむか。移るべきものは、人々の心に匂ふ花ばかりでは無い。月の影も移れば、神霊も移り給ふとの意義である。
 シテ『身は天上の。地『楽しみに、明けぬ暮れぬと送り迎ふ』
 『身は天上の』と云ふことは、天上に(まし)します、月の大神の分身であると云ふ事を、言外に含ませたる名文である。明けぬとは、日輪即ち天照(あまてらす)大御神(おほみかみ)、暮れぬとは、夜の食国(をすくに)知食(しろしめ)す月輪を意味する。夜の守り日の守りに、天上天下一切万有を保護しつつ、多くの年月を経過せる事であつて、朝に日を迎へ、夕に日を送り月を迎へて、天地を守護し給ふと云ふ讃辞である。
 『年は()れど限りもなき、身の程も隔てなく、誠は我こそ西王母(せいわうぼ)の、分身よ、まづ帰りて花の実(身)をもあらはさむと、天にぞ上りける、天にぞ上り給ひける』
 三千年の永き歳月を、天上の尊き神様でありながら、地上に降つて地位をも(かへり)みず、世界修齋のために身を(ひく)うして、人界に交はり、変性(へんじやう)女子(によし)の活動を続け(きた)たりし、天津少女(あまつおとめ)こそは、()の実際は、西王母(せいわうぼ)即ち月の大神、(ひつじさる)(かね)の大神の分霊分身に、御在(おは)しましたのであるとの事である。()づ元の神の座に帰つて、今までの桃の花の()のりたる、盛威神徳を現さむものと仰せられて、再び元の任所(にんしよ)なる、高天原の月宮殿に、(のぼ)り給うたと云ふことである。重ねて『天にぞ(あが)り給ひける』と示されたのは、感歎()(あた)はずして、その神徳を繰返し繰返し讃称された意味である。(みづ)御魂(みたま)変性(へんじやう)女子(によし)は、三千年の辛苦(しんく)艱難(かんなん)を世界の為に()められ、幾度(いくたび)と無く天地に昇降させられたのであるが、弥々(いよいよ)天津日嗣(あまつひつぎ)の大神様に、桃李(とうり)の花を(たてまつ)り、国土安穏にして、何時も陽々たる、春の如き世界に立直し置き、無限の神力を隠しつつ、神の誠実を(あまね)く天地に(あらは)し、麻柱(あななひ)の大道を万民に示さむが為に、再び天上へ御昇りになつたと()ふことである。
   六
 ワキ歌『絲竹(しちく)呂律(ろれつ)の声々に、しらべをなして音楽の、声すみ渡る(あま)つ風、雲の通ひ()心せよ』
 『絲竹(しちく)呂律(ろれつ)の声々に』とは、笛、(しやう)篳篥(ひちりき)、琴、琵琶、太鼓(たいこ)羯鼓(かつこ)鉦鼓(しやうこ)なぞの、音楽の声といふことである。西王母(せいわうぼ)の分身なる天津少女(あまつおとめ)は、三千年の艱苦を経て、咲き揃ひたる桃花を、天津日嗣(あまつひつぎ)の御子の御許(みもと)(たてまつ)()へて、地上を離れ、改めて、天上に帰り給ふ時、地の上の諸神諸仏を始め、一切の万霊、別れを惜みて集まり(きた)り、諸々の音楽のしらべを()して、其の昇天を送り奉るのである。
 『声すみ渡る(あま)つ風、雲の通ひ()心せよ』
 古今集(こきんしふ)に、
 天津風雲の通ひ()吹きとぢよ 少女(おとめ)の姿しばしとどめむ
とあるを引き用ひたのである。この歌は、五節の舞姫を見て、読み()でたる歌である。
 地上よりは、諸神諸霊が別れを惜みつつ、あらゆる音楽を奏して、感謝の意を表し、神慮を慰め奉ると共に、天上よりも(これ)に応じて、絲竹呂律(しちくろれつ)の調べも正しく、勇ましき音楽を奏して、天津神達の数限りも無く迎への為に、雲路を押分けて現れ給ひ、三千年の神の艱苦の(いさを)を感賞し、綺羅星(きらぼし)の如くに現れ給ふ()の盛況も、地上の俗人には、(うかが)ひ見ることは六ケ敷いが、(しか)し雲の通ひ()を心して伺へば何とはなしに、天上の勇ましく、(にぎは)しき様子である事が、伺ひ得らるるてふ事を、示したる名文である。
   七
 地『おもしろや、かかる天仙理王(てんせんりわう)の、来臨なれば数々の、孔雀(くじやく)鳳凰(ほうわう)迦陵(かれう)頻迦(びんが)、飛び廻り声々に、立ち舞ふや袖の羽風、天つ空の衣ならむ、(あま)の衣なるらむ』
 (これ)までは西王母(せいわうぼ)の分身分霊は、葦原瑞穂国(あしはらみづほのくに)を修理固成の目的を(もつ)て、地上に降り、稚姫君(わかひめぎみ)(みこと)と化し、(あるひ)(ひつじさる)金神(かみ)と化し、澤田姫命(さはだひめのみこと)と変じて、国祖の神業を補佐し、地上の幽界、顕界を(あまね)く調査し開拓し、弥々(いよいよ)神政成就の、経綸大略なりたれば、天津神(あまつかみ)(みこと)()りて、目出度く天津神国(あまつみくに)へ帰り昇り給ひ、再び天津大神の神勅を奉じて、豊葦原(とよあしはら)の中津国に、降り給うた一段である。天津少女(あまつおとめ)形姿(すがた)にて、昇天されしが、此度(このたび)は四辺に輝く、黄錦(くわうきん)御衣(ぎよい)(ちやく)し、神格も一層高く、神威も赫々(かくかく)として西王母(せいわうぼ)の全能、月の大神となつて、降臨遊ばしたのである。(これ)からがいよいよ待ちに待ちたる、五六七(みろく)神代(みよ)が、地上に()てられて、万世(ばんせい)(けい)の皇室の御稜威(みいづ)が、地上の世界一般に輝き渡る様になるのである。この西王母(せいわうぼ)の著作は、全く神明の指示に()つて、物された神文(しんもん)であつて、実は今日(こんにち)の世の現在、(ならび)に近き将来の出来事の真相を、予告したものである。『おもしろや』と云ふ事は、慶賀(けいが)歓喜(くわんき)の至極の辞にして、太古(たいこ)天照大御神(あまてらすおほみかみ)(あま)の岩戸に隠れ給ひ、六合(りくがふ)暗黒にして、昼夜を弁ぜず、天上天下は、大騒乱勃発して、(ほとん)ど地獄の状態と()つた時に、思兼神(おもひかねのかみ)其他(そのた)八百万(やほよろづ)の神々が、(あま)の岩戸の前に(おい)て、音楽を奏し、(もつ)て神慮を和らげ奉り、再び岩戸より、大神出現ましまして、宇宙一般照明りたる時に、八百万(やほよろづ)の神の口より、異口同音に惟神的(かむながらてき)に発したる讃辞歓語である。本段の『おもしろや』も(また)、その時の如く、万神歓喜の声であつた。大本(おほもと)神諭(しんゆ)所謂(いはゆる)、二度目の(あま)の岩戸開きは、即ち天仙理王(てんせんりわう)の、降臨さるる時の、この実況を諭示(ゆじ)あらせられたのである。天仙(てんせん)とは天上に()す仙人のことで理王(りわう)は仙人の名である。すべて仙人には神仙(しんせん)天仙(てんせん)地仙(ちせん)凡仙(ぼんせん)の四種の階段がある。天仙の地に降りし時は、其間(そのかん)これを地仙といふ。凡仙は、仙人の内でも最も下級劣等の仙人であつて、俗塵(ぞくぢん)を避けて深山幽谷(しんざんいうこく)(のが)れ、松葉なぞを食物にして、只管(ひたすら)長寿を保つ位が能であつて、天下公共の為には、何一つ貢献する事の無い無用の長物である。
 天仙(てんせん)理王(りわう)とは、天上に()ける(かり)の名称であつて。其の実は月宮殿(げつきうでん)主神(スしん)月読(つきよみ)の大神の、御化身である。地上に天国高天原を建てて、至美至善なる五六七(みろく)の神代の政治(まつりごと)を執り行はむが為に、御降臨になるのであるから、数々の孔雀(くじやく)や、鳳凰(ほうわう)や、迦陵(かりよう)頻伽(びんが)なぞの、目出度き天上に住む鳥が、神明の聖代(せいだい)を祝して、中空を飛び廻り、各自(てんで)に声を放ちて、太平の御代(みよ)(うた)ひ、立ち舞ふ、その翼の羽風も勇ましく、地上に(とどろ)き渡り、天地清浄にして、実に極楽の状況が現れて居るのである。
 『(あま)つ空の衣ならむ、天の衣なるらむ』とは、()の目出度き祥鳥(しやうてう)の翼の綺麗な、立派なのを歎賞(たんしやう)して、天津神の御神衣(ごしんい)であらうと()つた意味である。(しか)しながら孔雀(くじやく)鳳凰(ほうわう)迦陵(かりよう)頻伽(びんが)と云ふは、その実は形容詞であつて、天津神に仕へ奉る天使の事である。その天使の中でも最も勝れたる使神(ししん)が、月読(つきよみ)の大神を中空まで送り(きた)りて、中空より()祥瑞(しやうずゐ)を讃美して、舞楽を奏し、祝意を表し給へる事を示されたる名文である。
 『天つ空の衣ならむ、天の衣なるらむ』の文意をよく研究すれば、鳥のことでは無いといふ事が(うかが)はれるのである。
   八
 シテ『いろいろの捧げもの。地『いろいろの捧げものの中に(たへ)に見えたるは西王母(せいわうぼ)其姿(そのすがた)、ひかり 庭宇(ていう)を輝かし、黄錦(くわうきん)御衣(ぎよい)を着し』
 『いろいろの捧げもの』とは、普天の(もと)率土(そつと)(ひん)に至るまで、王臣王土に(あら)ざるは無きを(もつ)て、宇宙一切の金銀珠玉珍宝は更なり、地球上一切の国土を挙げて、天津神の御子(みこ)()れます、天津日嗣(あまつひつぎ)天皇(すめらぎ)に奉献し奉る神の御経綸である。天に二(じつ)なく、地に二王なし。然るに現代の如く、天下到る処に粟散王(ぞくさんわう)があつては、到底天祖の御神勅なる、豊葦原(とよあしはら)瑞穂(みづほ)の国一般(地球)を、平けく安らけく知食(しろしめ)す事が出来ない。為に神諭(しんゆ)に在るごとく、七王も八王も世界に王が出来ては、世界の苦舌(くぜつ)は絶滅せないので、変性(へんじやう)男子(なんし)変性(へんじやう)女子(によし)の二柱の神霊地上に現れて、久良芸那須(くらげなす)(ただよ)へる、混乱世界を修理固成し給ひて、真の五六七(みろく)の聖代を樹立し、(これ)を雲上の皇大君に捧げ奉り、治国安民の神策まで()して、万劫末代の神代の経綸策を奏上し給ふ事を、いろいろの捧げものと申すのである。神諭(しんゆ)にも『()の世界は人民の力では幾万年経ちても治まりは致さぬぞよ。神が表に表れて、男子(なんし)女子(によし)の因縁の身魂を現して、(たて)(よこ)との守護で無ければ、人民の細工では万劫末代の世は続きは致さぬぞよ』と示されてあるのに(ちよう)しても、明白なる事実である。
 『中に(たへ)に見えたるは西王母(せいわうぼ)の其姿、ひかり庭宇(ていう)を輝かし、黄錦(くわうきん)御衣(ぎよい)を着し』
 種々(いろいろ)の捧げ物の中にも、至つて霊妙(れいめう)艶麗(えんれい)なりしは、西王母(せいわうぼ)崇高(すうかう)優美(いうび)にして、(かつ)偉徳(ゐとく)全備(ぜんび)御神姿(ごしんし)である。玉身(ぎよくしん)よりは、明彩なる光華を発揮し給ひて、宮殿(くま)なく照り渡り、宇内(うだい)六合(りくがふ)に光明(あまね)(とほ)(かがや)き、眼も眩ゆきばかりである。(これ)西王母(せいわうぼ)の神威霊徳を称へ奉れる形容詞であることを知るのである。『黄錦(くわうきん)御衣(ぎよい)を着し』とは、立派な黄色の錦衣(きんい)御召(おめ)しになつてといふことであるが、其の真意は、葦原(あしはら)瑞穂(みづほ)の国の()く治まりて、立派なる天来の日本魂(やまとだましひ)に、地上の神々及び人類が立帰り、月の大神の神徳に、御衣(ぎよい)の如く親しく附従(つきしたが)ひ、(かつ)御神体(ごしんたい)を護り居ることの形容詞であつて、如何にこの大神の御仁徳の高くして広きかを(うかが)はれるのである。
   九
 シテ『(つるぎ)を腰に()げ。地『剣を腰に提げ、真纓(しんえい)(かむり)を着、玉觴(ぎよくしやう)に盛れる桃を侍女が手より取りかはし』
 『剣を腰に()げ』剣とは両刃(もろは)の剣である。敵も斬れば自分も斬るてふ戒めの武器である。戦場なぞにて用ふる剣は、敵のみに向つて斬り付けるやうに出来て居るが、神の()ばせたまふ物は(すべ)両刃(もろは)である。自分が悪い時には自分を斬り、他人(ひと)の悪い時には他人(ひと)を斬る、両方釣合ひの剣である。ツルギは、釣合(つりあ)ひ切るの(つづま)り言葉で、(これ)を正中から割いて(むね)を作り、自分の方へ棟を向けて、(ひと)のみを斬る如うに作つたのは、所謂(いはゆる)攻撃侵略を意味する不祥(ふしやう)の武器である。三種の神器の一つなる草薙(くさなぎ)の神剣の如きは、(すなは)ちこの釣合切(つるぎ)の意味から、現れた両刃(もろは)の神器である。又剣は極東日本国の地形の象徴である。話が脱線したが、(ついで)だから(ここ)に書き加へて置くことにする。剣は日本国土の形象で、草薙(くさなぎ)の神剣である。故に日本に生れた民族は、この神剣の霊能を受けて生れて来て居るのであるから、自分を(かへり)み、他を助け、正義と武勇に富んで居るのである。古来、外国より我皇国へ向つて攻め寄せて来たことが、十数回あつたけれども、この神剣の威徳と日本魂(やまとだましひ)の光輝に射抜かれて、何時も敗亡して居るのは、()の神剣の御威勢の効果である。鏡は日本固有の七十五声の言霊の表徴であり、玉は(あめ)の下を平けく安らけく治めたまふ、天立君主なる天津日嗣(あまつひつぎ)天皇(てんわう)の統治権の表徴である。故に天皇の御神体を玉体(ぎよくたい)と奉称するのである。
 『真纓(しんえい)(かむり)を着、玉觴(ぎよくしやう)に盛れる桃を侍女が手より取りかはし』大君に捧げ奉る桃実(もものみ)といふ意義は、真纓(しんえい)と云つて、日月(じつげつ)(あや)の織込みたる(えい)の附いた冠を着けられたのである。(えい)は冠の緒であつて背後(うしろ)に下りたものである。()御神姿(みすがた)を伺ひ(たてまつ)る時は、実に変性女子(へんじやうによし)御霊(みたま)が、衣冠を着して大神の大前に奉仕せる時の姿その儘である。『玉觴(ぎよくしやう)に盛れる桃を侍女が手より取りかはし』玉の(さかづき)に桃の花実を盛りたるを、侍女が捧持(ほうぢ)して、大君の御前近く進みたる時、西王母(せいわうぼ)の月の大神は(これ)を受取りて、自ら大御前に進み出で給ひて、日嗣(ひつぎ)の皇大君に(たてまつ)られたる時の荘厳なる儀式である。
   十
 シテ『君に捧ぐる桃実(もものみ)の。地『花の盃、取りあへず、花も酔へるや盃の、手まづさへぎる曲水(ぎよくすゐ)の宴かや、みかはの水に戯れ戯るる、手弱女(たをやめ)の、袖も裳裾(もすそ)もたなびきたなびく、雲の花鳥、春風に和しつつ雲路に移れば、王母(わうぼ)も伴ひよぢ上る、王母(わうぼ)も伴ひ上るや天路(あまぢ)の、ゆくへも知らずぞ、なりにける』
 シテ『君に捧ぐる桃実(もものみ)の』(これ)西王母(せいわうぼ)が永年の苦心された結果として、三千年の桃の花も咲き揃ひ()つ立派なる風味よき果実となりたるを、手づから三ツの御魂(みたま)と現れて献上された事である。伊邪那岐大神(いざなぎのおほかみ)黄泉軍(よもついくさ)に追撃されて、黄泉比良坂(よもつひらさか)桃実(もものみ)(もつ)て、魔軍を討滅したまひたる、大神津見命(おほかむづみのみこと)の忠勇なる活動に依りて、神業を補佐し奉りたると同様の桃実(もものみ)である。要するに智仁勇の三徳を備へたる至誠至実の忠臣を、大君の大前に、五六七(みろく)の大神の(たてまつ)られし意義である。『君に捧ぐる桃実(もものみ)の』と(しる)して後の文句を隠されしは、言外の言、書外の書たる所以(ゆゑん)にして、(ここ)には深遠玄妙(しんゑんげんめう)なる神意が包含(はうがん)されてあるのである。
 地『花の盃、取りあへず』(いよいよ)(これ)からが五六七(みろく)神政出現して、大君の群卿(ぐんけい)百官を禁庭に召し出され、盛んに(とよ)(あかり)を宴を催し、祝し給ふ光景を描出したものである。『花も酔へるや盃の』とは、盃に桃の花を浮べて祝酒を飲むや、(すぐ)に酔つて(しま)ふことである。花も(また)酒に酔つた様に、盃面(はいめん)に漂ふと面白くかけたる文章である。
 『手まづさへぎる曲水(ぎよくすゐ)の宴かや』手を差し出して、盃を(さへぎ)り採ることである。
 『曲水(ぎよくすゐ)の宴』とは(いにしへ)禁裏(きんり)の御遊びに、曲水(ぎよくすゐ)の宴と云ふ事が行はれて、水に盃を浮かし、その盃が流れ来る時、受けたる人が詩歌(しいか)を作り酒を飲むことあり。(その)盃の流れ来やうが早かつた時は、詩歌(しいか)はまだ出来て居ないが、()づ手を差出し、盃を遮り取ると云ふ意にして、菅原惟規(すがはらのこれのり)の詩に「(ひいて)(すみやかに)過手先(さへぎる)漢文と作れるより来たもので、(ただ)禁中に()ける御酒宴の故事を(ここ)に引きて(さく)したものである。公事根源には『曲水(ぎよくすゐ)の宴は三月上巳(かみみ)の日に行はる』とあり、三月と()の日をに注意すべきである。『みかはの水に戯れ戯るる、手弱女(たをやめ)の、袖も裳裾(もすそ)もたなびきたなびく』みかはの水とは御溝(みかは)の水のことであつて、内裏(だいり)御庭(みには)にある清浄な流れである。(これ)にて曲水(ぎよくすゐ)の宴を行はせ給うたのである。『袖も裳裾(もすそ)もたなびきたなびく』とは、舞曲の美女(おとめ)の調子よく立舞ふ(さま)を、天女の舞ひ遊ぶにたとへて書かれたのである。
 『雲の花鳥、春風に和しつつ雲路に移れば』雲に花鳥の模様を織りなせる衣をいふ。それを前の孔雀(くじやく)鳳凰(ほうわう)迦陵(かりよう)頻伽(びんが)などの鳥に云ひかけて、雲路にうつると文を云ひ続けられたのである。
 『王母(わうぼ)も伴ひよぢ上る』王母(わうぼ)西王母(せいわうぼ)のことで、一名を広教(くわうけう)真君(しんくん)と云ふ。『霊山会場(ゑぢやう)(のり)(には)、広き教の真ある、君々たれば、誰とても、勇みある、世の心かな』とあるを見て、西王母(せいわうぼ)の仁慈深き神徳を備へたる神君たることを知らるるのである。
 以上の言霊解により、西王母(せいわうぼ)は月の大神にして、変性(へんじやう)女神(によしん)の大活動神たる事が分るであらう。西王母(せいわうぼ)は世界救済、修理固成の神業を負担して、三千年の長歳月を、千辛万苦し、終に神業を完成し、五六七(みろく)の神政を地上に樹立して、天祖の御子たる、天津日嗣(あまつひつぎ)の御子に万有一切を奉献し、跡に毫末の未練も残さず、勇ぎよく、再び天上の月宮殿(げつきうでん)(かへ)(のぼ)り給へる、()の忠誠は、(あめ)益人(ますひと)なる地上の民の(もつ)て規範とすべき麻柱(あななひ)の大道である。綾部(あやべ)()ける変性(へんじやう)男子(なんし)変性(へんじやう)女子(によし)の天下修齋の神業に対して彼(これ)と疑惑を(いだ)き、種々論難攻撃するの人々よ。西王母(せいわうぼ)の至誠至実なる麻柱(あななひ)神蹟(しんせき)を了解し、(もつ)て敬神尊皇報国の聖団、皇道大本の真相を(さと)られたい。
   
オニド関連サイト最新更新情報
11/30霊界物語音読霊界物語の音読(朗読)をユーチューブにアップしました。今回追加したのは第1巻と第68~72巻の計6巻分です。「音読まとめ」を見て下さい。
5/1【霊界物語ネット】霊界物語本文中の「ビクトリア」を「ビクトリヤ」に直しました。事情はオニペディアの「ビクトリヤ」の「ビクトリヤとビクトリア」をお読みください。
このページに誤字・脱字や表示乱れを見つけたら教えて下さい。
合言葉「おに」を入力して下さい→