一
西王母は、大和田建樹氏編纂の、謡曲通解には、天上の仙女であつて、三千年の桃実を君に捧ぐることを作つたのだと出て居るのである。大本言霊学の見地から見ると、西王母は、陰を意味し、月、水、体、女、地等を意味するのである。要するに水の御魂、月の神、坤金神、神皇産霊神なぞの緯の地位に坐ませる神様である。
ワキ『有りがたや、三皇五帝の昔より、今此御代に至るまで、かかる聖主のためしはなし。地『其御威光は日の如く。ワキ『其御心は海の如くに。地『豊に広き御恵。ワキ『天に輝き地に満ちて、北辰の興ずる数々の、万天に廻る星の如く、百官卿相雲客や、千戸万戸の旗を靡かし鉾を横たへ、四方の門辺にむらがりて、市をなし金銀珠玉、光を交へ、光明赫奕として、日夜の勝劣見えざりけり、かかるためしは喜見城、其の楽みも如何ならむ』
ワキ『有りがたや』空前絶後の慶事とか、数千年又は数万年に一度あるか無いか知れぬ様な、吾人人類に対して結構なる事の出来て来た時に用ふる言葉である。乞食が一椀の飯を貰つて礼を言つたり神様に幸福を願つて叶へて頂いたり、軍人が金鵄勲章を頂戴した時に発する感謝の辞なども、有りがたいには相違ないが、此段の有りがたいと云ふ意義は、宇宙開闢以来、日本にも外国にも古来類例の無いと云ふ事の意味である。現界に於て未曾有の祥瑞が現れたことに対して、感歎措く能はざるの形容詞であつて、滅多に無い、有難い、結構な事と曰ふ意味である。
『三皇五帝の昔より』三皇五帝とは、支那の伏義や神農や黄帝の三時代と、少昊、顓頊、帝嚳、堯、舜の五代にして、実に天下泰平に治まつた太古の世の事であるが、我神典の示し給ふ処に依れば天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、の造化三神を三皇と謂ひ、之に蘆芽彦舅神、天之常立神を合して五帝と云ふのである。
『今此御代に至るまで、かかる聖主のためしはなし』宇宙開闢の太古より、今上の御代に至る数百万年の間に、国華発揚して、皇運隆々、神威八紘に輝き渡り、世界に神威皇徳の光被せる、聖明の君主の出で給ひたる祥瑞は、今上の御代より外には無かつたとの祝辞である。
地『其御威光は日の如く。ワキ『其御心は海の如くに。地『豊に広き御恵。ワキ『天に輝き地に満ちて』
天津日嗣の主師親の三徳は、天津日の万有を光被し給ふ如くに三千世界に照徹し給ひて、其臣民を愛しみ給ふ御聖慮は、広く深くして海洋の如く、天界にも地上にも満ち溢れたる聖代の意味である。
『北辰の興ずる数々の、万天に廻る星の如く云々』とは、天界一切の星が、北極星座に向かつて従ひ運転するが如くに、群臣万民が仰いで聖主の徳に靡き仕へ、天下無数の人家は、国旗を軒頭に掲げ、清風に靡かせて、聖主の祥代を祝し奉り、仁慈無量の聖徳を慕ひて、朝廷四隅の門前に群集し、金銀珠玉珍宝を各競うて、聖主に夥しく貢献し、武器を納めて、至治泰平の瑞雲靉びき渡り、光徳霊威昭々として、昼夜の区別なく、山野海河も清く明かに、喜見城(天上の都)を地上に現出し、至楽至美至善の神代を招来せし、五六七の祥世を讃仰せる現象である。
二
『桃李物いはず、下おのづから市をなし、貴賤交はり、ひまもなし。シテ『おもしろや四季折々の時を得て、草木国土おのづから、皆是れ真如の花の色香、妙なる法の三つの心、潤ふ時や至りけむ。三千年に咲く、花心の、をり知る春の、かざしとかや』
大本開祖は厳の御魂の生宮として、地の高天原なる綾部本宮の聖地に現れ、国祖の神業に参加し給ひ、霊肉共に千辛万苦を嘗め給ひ、明治廿五年の初春、梅香馥郁として四隣に匂ふ頃、惟神の神筆を揮ひ給ひて『三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ』と獅子吼され、大歓喜と大希望とを以て出現され、三千年の辛苦の花の、開き初めたる事を宣し給うた。以来筆に口に世界の改造を絶叫し、救世主の出現を予示されたのは、桃李物いはず、おのづから径をなすの、一大神人の現れ来ることを、待たせ給うたのは、即ち此の桃李の祥瑞であつたのである。桃は言霊学上、下に働く言霊であつて親心であり、子の心である。又水の座にして、天の手となり、世の芽出しとなり、数を寄せ数を集め、一切の本元となる意義があるのである。
李は、モモの精しく勝れたるものにして、中に集まる言霊である。本末を一徹に貫き、八極を統べ八咫に伸び極まり、八極を統べ、真中真心結びの柱にして、玉の活用である。
三月三日は桃の節句であり、女の祝日である。三月は変性女子の肉体にして、即ち瑞の御魂月の大神を意味し、三日は変性女子の御魂を意味するのである。先づ第一に、三千年の霊界経綸の梅の花なるヨハネの御魂現れ、次に桃の花の御魂の現れたのは、実に神界の深き御思召が実現したのである。貴賤老幼の区別無く、斯の如き目出度き桃李の花実を四方の国から慕ひ集まり、別に宣伝もせず計画も為さざるに、自然に市を為す、金輪聖王の治め給ふ大御代は、春夏秋冬の季節も順調にして、四民挙つて鼓腹撃壌し、国土山川草木に至るまで、皆是れ真如実相の花の色香を保ち、妙法華の三つの心の、天下に潤ふ時の来りて、三千年を経て開き匂ひ出づる桃の花心。世人に媚びず、諂らはず、別に言語は発せざれども、人々のその木蔭を慕ひ寄り来ること、皇道大本の神業に於ける如くである。愈々神政成就の時機到来を、天下の万民悉く知得すべき時期となりて、瑞の御魂の真人を的とし、力として群集するを『をり知る春の、かざしとかや』と云ふのである。
=歌=
総て歌は天地神明の心を和らげ、人心を平かならしめ、万有を左右し、大三災小三災の支障を消滅せしむる権力がある。如何に天地の大神様と雖も、日に三熱三寒の苦しみが御有りなさるのである。天国浄土極楽と謂つても、決して歓楽ばかり続けて遊び暮して居るのでは無い。神は神としてのそれぞれの艱難もあり、苦悩もあるのである。然るに俗人は、天国浄土とか極楽とか謂へば、至喜至楽の遊園地の如くに誤解して居るものばかりである。故に天地経綸の司宰者たる人間即ち神の生宮の言霊の権威によりて、天地の神明も三熱三寒の苦しみを免れたまふものである。況んや善言美詞の祝詞や優雅にして高尚なる和歌の力に於てをやである。
小野小町が和歌を詠じて雨を降らしたと云ふのも、皆言霊の妙用利生である。
三
『いざや君に捧げむ、いざいざ君に捧げむ、すべらぎの、其御心は普くて、隙行く駒の法の道、千里の外まで上もなき、道に至りて明らけき、霊山会場の法の場、広き教の真ある、君々たれば誰とても、いさみある世の心かな』
いよいよ芽出度き神の経綸の桃李の花実をば、天津日嗣の御料として、赤誠籠めて捧げ奉らむとの言霊である。皇大君の大御心は、仁慈の大徳、顕幽両界に普く充満して、治国平天下安民の大道たる、皇祖の御遺訓は、隙行く駒の暇さへ無く、聖恩洪徳宇内に輝き、至上至高の法の大道は、日月の如く明らけく、霊山会場の法の場に、諸神諸仏の集ひ給ひて、惟神の大法を守護し給ふ、鎮護国家の大経綸を、至尊の大前に捧げ奉る、天地神明の御聖慮を、謳はせられたのである。霊山会場とは、仏教真言宗の開山弘法大師は、紀州の高野山なりと曰ひ、伝教大師は比叡山なりと曰ひ、日蓮は身延山にありと曰ひ、神道家は高天原なりと謂つて居る。昨年の初夏、真言宗の名僧丸山貫長師は綾部に来り、本宮山に登り、四方青垣山を廻らし、和知川の清流山下を帯の如く流るるの風景を見て、驚かれた。嗚呼高野山こそ霊山会場の蓮華台として、宗祖弘法大師が選定して置かれたのだが、当山こそは、高野山に勝る霊山であつて、所謂蓮華台であり、地の高天原に相違無いと感歎されたことがある。次に宇治醍醐三宝院の僧侶が参綾して、本宮山に登り、四方の山容風景を見て、丸山氏と同様のことを言つて感歎した事がある。神諭にも、綾部には地の高天原があると示されてある。斯かる霊山会場の本宮山上に天津御祖の大神を奉齋し、八百万の神達の集ひ給ひて、天下国家を夜の守り、日の守りに護り幸ひ給ふは、実に尊く有難き、惟神なる広大無辺の、皇祖皇宗の伝へ給ひし大道であつて、真に天立君主の慈愛に懐き、天下万民誰一人として、この聖代を心底より欽慕せざるものは無いと云ふ意義である。
四
詞『如何に奏問申す可き事の候ふ。ワキ詞『奏問とは如何なる者ぞ。シテ『是は三千年に花咲き実なる桃花なるが、今此御代に至り花咲く事、ただ此君の御威徳なれば、仰ぎて捧げ参らせ候ふ。ワキ『そも三千年に花咲くとは、如何さま是は聞き及びし、其西王母が園の桃か。シテ『中々にそれとも今は物いはじ。ワキ『さればこそそれぞ殊更名に負ふ花の。シテ『桃李物いはず。ワキ『春いくばくの年月を。シテ『送り迎へて。ワキ『此春は。地『三千年に、なるてふ桃の今年より、花咲く春にあふ事も、唯是れ君の四方の恵み、あつき国土の千々の種、桃花の色ぞ妙なる』
詞『如何に奏問申す可き事の候ふ』とは、西王母の言葉である。三千年来養成されたる日本魂を発揮し、以て聖主に、麻柱の至誠を捧げ奉らむとする、忠君愛国の士の一大団結を以て、天壌無窮の皇運を扶翼し、大に皇基を、振起し奉るべき、御神策を天上より、齎し降りたれば、何れの方法を持ちてか、万世一系天津日嗣の御許に、奏問せむとかとの神言である。ワキ詞『奏問とは如何なる者ぞ』是は、ワキの怪しみて、奏問の理由を糺問された事である。シテ『是は三千年に花咲き実なる桃花なるが、今此御代に至り花咲く事云々』は、そこで西王母は答へて、是は遠き太古より植ゑ付けられたる、至誠忠良の日本魂を具足せる、天皇の赤子の聖団にして、弥々今上の聖代に当りて、その至誠を発揮し、君国を泰山の安きに護り奉らむとする者の、数多出現した事は、全く仁慈無量の大君の神威と、聖徳の致す処であるから、天津神の大命を奉じて、地の聖場に降り来り、神と人と合一して、以て桃花の優美醇清なる、赤誠の士を御使奴として、奉献せむとの神意である。ワキ『そも三千年に花咲くとは、如何さま是は聞き及びし、其西王母が園の桃か』は、桃の花の咲き出ては、皇基を擁護し、国土を修理し奉るもの、現はれ来ると云ふことは、如何にも今までに、幾度とはなく聞いた神言である。然らば今捧げ奉ると、仰せらるるのは、果して西王母が培養された神園の桃であるか、と反問されたのである。シテ『中々にそれとも今は物いはじ』西王母は不言実行の神使であるから、容易に実状を何人にも申さない。奏問すべき御方に拝謁する迄は、言挙げせぬとの意である。ワキ『さればこそそれぞ殊更名に負ふ花の』は、非常に西王母の言行に感心して、然ればこそ、言行心一致の神使で、救世主の資格を有し給ふ、流石の西王母である。実に美はしく清らかなる、桃の名を負ひ給ふ、神使かなと対へられた。此ワキの人は奏問を取次ぐ可き、高き位にある役人である。シテ『桃李物いはず』西王母は答へて、わが養成し来りたる、数多の赤誠者は、常に不言実行を旨とし、以て軽々しく大小事に向つて、言舌を弄せず、実に感心なものである。との意を表示されたのである。そこでワキ『春いくばくの年月を』は幾ばくの春を経、年月を重ねて、斯くも立派に花の咲きしことよ、と感賞の体であつた。シテ『送り迎へて』は、夫を西王母が更に送り迎へてと、言葉を合はされたのである。送り迎へてといふのは、三千年を送つて来て、弥今日は天運循環して、花咲き匂ふ春を迎へて、奏問の時を得たりとの意義である。ワキ『此春は』今年の春は、如何なる芽出度いことの現れしぞと、感嘆の意を表したのである。地『三千年に、なるてふ桃の今年より云々』とあるは拾遺集躬恒の歌に、
三千年になるてふ桃の今年より 花咲く春にあひにけるかな
とあるを作者の茲に引きしならむか。三千年の千辛万苦の西王母が救世の願望成就の時到り弥その忠誠の、雲上高く達するに到りしも、唯これ仁慈の大君の、天の下四方の国を、平けく安らけく知召し守り給ふ大御恵の発動にして、地球上各国土の諸民族は王化に浴し、上は治教明かにして、下万民は皆押並べて、風俗敦厚に進み、赤誠を上に捧げて、臣民たるの職責を全うし、国土安く治まり、世に戦争なく、悪病なく、貧賤なく、暴風狂水大火なく、飢饉なく、万民の顔色殊に勝れて美はしく、愉快の色を湛へ、恰も桃の花の、一度に満開したるが如き、神妙不測の天国を招来すべき瑞兆である天国浄土の招来は、三千年を経て咲き匂ふ、瑞の御魂の世に出で給ふに由りて、完成さるる事を窺知する事が出来るのである。
五
ロンギ地『扨は不思議や久堅の、天つ少女の目のあたり、姿を見るぞ不思議なる。シテ『疑ひの心な置きそ露の間に、宿るか袖の月の影、雲の上まで其恵、普き色にうつりきぬ。地『うつろふ物は世の中の、人の心の花ならぬ。シテ『身は天上の。地『楽みに、明けぬ暮れぬと送り迎ふ、年は経れど限りもなき、身の程も隔てなく、誠は我こそ西王母の、分身よ、まづ帰りて花の実をもあらはさむと、天にぞ上りける、天にぞ上り給ひける』
ロンギ地『扨は不思議や久堅の、天つ少女の目のあたり、姿を見るぞ不思議なる』神界の御経綸の深遠にして不測なる、人心小智の窺知し得べからず、思はざる時、知らざる時、忽然として、晴天の霹靂の如く天上の月球殿より、天使として、天津乙女の眼前に降り来るを見ることの不可思議なる、如何なる神慮神策の御在ますぞと、少しく疑雲に包まれ、呆然たるの形容である。
シテ『疑ひの心な置きそ露の間に』決して疑念を露ばかりも置くな。天上より神勅を奉じて、降り来りし、瑞の御魂の神使であるとの証言である。
『宿るか袖の月の影』月は水面に影を宿し、露霜雪なぞに移る。之を風流に月が宿るとか、宿を借るとか称へるのであつて、宿るか袖の月の影とある月は、決して真の月球ではない。袖に宿ると謂ふことは別に深き意味が含まれてある。之を言霊学の上から略解すれば、
ソは、⦿を包裏居る也。心の本府也。神府也。⦿の質に染む也。蒼空也。身の家也。
デは、大勇力也。勤め遂ぐる也。大造化力の号令官也。克く忍び堪ゆる也。既定也。忍耐力の極也。照込みの極也。眸を見て心を知る也。
以上の二言霊を総合解釈する時は、地上に出現したる救世主、一大真人の身魂の本能である。この身魂に、瑞の御魂の分霊分体の宿り給ふ状態を称して、宿るか袖の月の影と謂ふのである。『雲の上まで其恵、普き色にうつりきぬ』久方の天津御空も、葦原の国も押並べて、五六七の大神の、広き厚き深き御恵沢の、普く行き届き照り渡りて、美はしき三千年に咲き匂ふなる、桃の花の色に感染し、上下億兆悉く神心に立帰りて、神の御子たる本分を尽すに至つた、泰平の御代の表徴である。
地『うつろふ物は世の中の、人の心の花ならぬ』
色見えで移ろふものは世の中の 人の心の花にぞありける
と云ふ古今集の歌を引きて、此に用ひしならむか。移るべきものは、人々の心に匂ふ花ばかりでは無い。月の影も移れば、神霊も移り給ふとの意義である。
シテ『身は天上の。地『楽みに、明けぬ暮れぬと送り迎ふ』
『身は天上の』と云ふことは、天上に坐します、月の大神の分身であると云ふ事を、言外に含ませたる名文である。明けぬとは、日輪即ち天照大御神、暮れぬとは、夜の食国を知食す月輪を意味する。夜の守り日の守りに、天上天下一切万有を保護しつつ、多くの年月を経過せる事であつて、朝に日を迎へ、夕に日を送り月を迎へて、天地を守護し給ふと云ふ讃辞である。
『年は経れど限りもなき、身の程も隔てなく、誠は我こそ西王母の、分身よ、まづ帰りて花の実(身)をもあらはさむと、天にぞ上りける、天にぞ上り給ひける』
三千年の永き歳月を、天上の尊き神様でありながら、地上に降つて地位をも顧みず、世界修斎のために身を卑うして、人界に交はり、変性女子の活動を続け来たりし、天津少女こそは、其の実際は、西王母即ち月の大神、坤の金の大神の分霊分身に、御在しましたのであるとの事である。先づ元の神の座に帰つて、今までの桃の花の実のりたる、盛威神徳を現さむものと仰せられて、再び元の任所なる、高天原の月宮殿に、上り給うたと云ふことである。重ねて『天にぞ上り給ひける』と示されたのは、感歎措く能はずして、その神徳を繰返し繰返し讃称された意味である。瑞の御魂の変性女子は、三千年の辛苦艱難を世界の為に嘗められ、幾度と無く天地に昇降させられたのであるが、弥々天津日嗣の大神様に、桃李の花を献り、国土安穏にして、何時も陽々たる、春の如き世界に立直し置き、無限の神力を隠しつつ、神の誠実を普く天地に顕し、麻柱の大道を万民に示さむが為に、再び天上へ御昇りになつたと謂ふことである。
六
ワキ歌『絲竹呂律の声々に、しらべをなして音楽の、声すみ渡る天つ風、雲の通ひ路心せよ』
『絲竹呂律の声々に』とは、笛、笙、篳篥、琴、琵琶、太鼓、羯鼓、鉦鼓なぞの、音楽の声といふことである。西王母の分身なる天津少女は、三千年の艱苦を経て、咲き揃ひたる桃花を、天津日嗣の御子の御許に献り了へて、地上を離れ、改めて、天上に帰り給ふ時、地の上の諸神諸仏を始め、一切の万霊、別れを惜みて集まり来り、諸々の音楽のしらべを為して、其の昇天を送り奉るのである。
『声すみ渡る天つ風、雲の通ひ路心せよ』
古今集に、
天津風雲の通ひ路吹きとぢよ 少女の姿しばしとどめむ
とあるを引き用ひたのである。この歌は、五節の舞姫を見て、読み出でたる歌である。
地上よりは、諸神諸霊が別れを惜みつつ、あらゆる音楽を奏して、感謝の意を表し、神慮を慰め奉ると共に、天上よりも之に応じて、絲竹呂律の調べも正しく、勇ましき音楽を奏して、天津神達の数限りも無く迎への為に、雲路を押分けて現れ給ひ、三千年の神の艱苦の功を感賞し、綺羅星の如くに現れ給ふ其の盛況も、地上の俗人には、窺ひ見ることは六ケ敷いが、併し雲の通ひ路を心して伺へば何とはなしに、天上の勇ましく、賑しき様子である事が、伺ひ得らるるてふ事を、示したる名文である。
七
地『おもしろや、かかる天仙理王の、来臨なれば数々の、孔雀鳳凰迦陵頻迦、飛び廻り声々に、立ち舞ふや袖の羽風、天つ空の衣ならむ、天の衣なるらむ』
是までは西王母の分身分霊は、葦原瑞穂国を修理固成の目的を以て、地上に降り、稚姫君の命と化し、或は坤の金神と化し、沢田姫命と変じて、国祖の神業を輔佐し、地上の幽界、顕界を普く調査し開拓し、弥々神政成就の、経綸大略なりたれば、天津神の命に依りて、目出度く天津神国へ帰り昇り給ひ、再び天津大神の神勅を奉じて、豊葦原の中津国に、降り給うた一段である。天津少女の形姿にて、昇天されしが、此度は四辺に輝く、黄錦の御衣を着し、神格も一層高く、神威も赫々として西王母の全能、月の大神となつて、降臨遊ばしたのである。是からがいよいよ待ちに待ちたる、五六七の神代が、地上に樹てられて、万世一系の皇室の御稜威が、地上の世界一般に輝き渡る様になるのである。この西王母の著作は、全く神明の指示に由つて、物された神文であつて、実は今日の世の現在、並に近き将来の出来事の真相を、予告したものである。『おもしろや』と云ふ事は、慶賀歓喜の至極の辞にして、太古天照大御神、天の岩戸に隠れ給ひ、六合暗黒にして、昼夜を弁ぜず、天上天下は、大騒乱勃発して、殆ど地獄の状態と化つた時に、思兼神其他八百万の神々が、天の岩戸の前に於て、音楽を奏し、以て神慮を和らげ奉り、再び岩戸より、大神出現ましまして、宇宙一般照明りたる時に、八百万の神の口より、異口同音に惟神的に発したる讃辞歓語である。本段の『おもしろや』も亦、その時の如く、万神歓喜の声であつた。大本神諭の所謂、二度目の天の岩戸開きは、即ち天仙理王の、降臨さるる時の、この実況を諭示あらせられたのである。天仙とは天上に在す仙人のことで理王は仙人の名である。すべて仙人には神仙、天仙、地仙、凡仙の四種の階段がある。天仙の地に降りし時は、其間これを地仙といふ。凡仙は、仙人の内でも最も下級劣等の仙人であつて、俗塵を避けて深山幽谷に遁れ、松葉なぞを食物にして、只管長寿を保つ位が能であつて、天下公共の為には、何一つ貢献する事の無い無用の長物である。
天仙理王とは、天上に於ける仮の名称であつて。其の実は月宮殿の主神月読の大神の、御化身である。地上に天国高天原を建てて、至美至善なる五六七の神代の政治を執り行はむが為に、御降臨になるのであるから、数々の孔雀や、鳳凰や、迦陵頻伽なぞの、目出度き天上に住む鳥が、神明の聖代を祝して、中空を飛び廻り、各自に声を放ちて、太平の御代を謳ひ、立ち舞ふ、その翼の羽風も勇ましく、地上に轟き渡り、天地清浄にして、実に極楽の状況が現れて居るのである。
『天つ空の衣ならむ、天の衣なるらむ』とは、斯の目出度き祥鳥の翼の綺麗な、立派なのを歎賞して、天津神の御神衣であらうと曰つた意味である。然しながら孔雀、鳳凰、迦陵頻伽と云ふは、その実は形容詞であつて、天津神に仕へ奉る天使の事である。その天使の中でも最も勝れたる使神が、月読の大神を中空まで送り来りて、中空より其の祥瑞を讃美して、舞楽を奏し、祝意を表し給へる事を示されたる名文である。
『天つ空の衣ならむ、天の衣なるらむ』の文意をよく研究すれば、鳥のことでは無いといふ事が窺はれるのである。
八
シテ『いろいろの捧げもの。地『いろいろの捧げものの中に妙に見えたるは西王母の其姿、ひかり庭宇を輝かし、黄錦の御衣を着し』
『いろいろの捧げもの』とは、普天の下率土の浜に至るまで、王臣王土に非ざるは無きを以て、宇宙一切の金銀珠玉珍宝は更なり、地球上一切の国土を挙げて、天津神の御子と生れます、天津日嗣の天皇に奉献し奉る神の御経綸である。天に二日なく、地に二王なし。然るに現代の如く、天下到る処に粟散王があつては、到底天祖の御神勅なる、豊葦原の瑞穂の国一般(地球)を、平けく安らけく知食す事が出来ない。為に神諭に在るごとく、七王も八王も世界に王が出来ては、世界の苦舌は絶滅せないので、変性男子と変性女子の二柱の神霊地上に現れて、久良芸那須漂へる、混乱世界を修理固成し給ひて、真の五六七の聖代を樹立し、之を雲上の皇大君に捧げ奉り、治国安民の神策まで付して、万劫末代の神代の経綸策を奏上し給ふ事を、いろいろの捧げものと申すのである。神諭にも『此の世界は人民の力では幾万年経ちても治まりは致さぬぞよ。神が表に現れて、男子と女子の因縁の身魂を現して、経と緯との守護で無ければ、人民の細工では万劫末代の世は続きは致さぬぞよ』と示されてあるのに徴しても、明白なる事実である。
『中に妙に見えたるは西王母の其姿、ひかり庭宇を輝かし、黄錦の御衣を着し』
種々の捧げ物の中にも、至つて霊妙艶麗なりしは、西王母の崇高優美にして、且偉徳全備の御神姿である。玉身よりは、明彩なる光華を発揮し給ひて、宮殿隈なく照り渡り、宇内六合に光明遍く徹り暈き、眼も眩ゆきばかりである。是は西王母の神威霊徳を称へ奉れる形容詞であることを知るのである。『黄錦の御衣を着し』とは、立派な黄色の錦衣を御召しになつてといふことであるが、其の真意は、葦原の瑞穂の国の能く治まりて、立派なる天来の日本魂に、地上の神々及び人類が立帰り、月の大神の神徳に、御衣の如く親しく付従ひ、且御神体を護り居ることの形容詞であつて、如何にこの大神の御仁徳の高くして広きかを窺はれるのである。
九
シテ『剣を腰に提げ。地『剣を腰に提げ、真纓の冠を着、玉觴に盛れる桃を侍女が手より取りかはし』
『剣を腰に提げ』剣とは両刃の剣である。敵も斬れば自分も斬るてふ戒めの武器である。戦場なぞにて用ふる剣は、敵のみに向つて斬り付けるやうに出来て居るが、神の帯ばせたまふ物は凡て両刃である。自分が悪い時には自分を斬り、他人の悪い時には他人を斬る、両方釣合ひの剣である。ツルギは、釣合ひ切るの約り言葉で、之を正中から割いて棟を作り、自分の方へ棟を向けて、他のみを斬る如うに作つたのは、所謂攻撃侵略を意味する不祥の武器である。三種の神器の一つなる草薙の神剣の如きは、則ちこの釣合切の意味から、現れた両刃の神器である。又剣は極東日本国の地形の象徴である。話が脱線したが、序だから茲に書き加へて置くことにする。剣は日本国土の形象で、草薙の神剣である。故に日本に生れた民族は、この神剣の霊能を受けて生れて来て居るのであるから、自分を省み、他を助け、正義と武勇に富んで居るのである。古来、外国より我皇国へ向つて攻め寄せて来たことが、十数回あつたけれども、この神剣の威徳と日本魂の光輝に射抜かれて、何時も敗亡して居るのは、此の神剣の御威勢の効果である。鏡は日本固有の七十五声の言霊の表徴であり、玉は天の下を平けく安らけく治めたまふ、天立君主なる天津日嗣天皇の統治権の表徴である。故に天皇の御神体を玉体と奉称するのである。
『真纓の冠を着、玉觴に盛れる桃を侍女が手より取りかはし』大君に捧げ奉る桃実といふ意義は、真纓と云つて、日月の紋の織込みたる纓の付いた冠を着けられたのである。纓は冠の緒であつて背後に下りたものである。斯の御神姿を伺ひ奉る時は、実に変性女子の御霊が、衣冠を着して大神の大前に奉仕せる時の姿その儘である。『玉觴に盛れる桃を侍女が手より取りかはし』玉の觴に桃の花実を盛りたるを、侍女が捧持して、大君の御前近く進みたる時、西王母の月の大神は之を受取りて、自ら大御前に進み出で給ひて、日嗣の皇大君に献られたる時の荘厳なる儀式である。
十
シテ『君に捧ぐる桃実の。地『花の盃、取りあへず、花も酔へるや盃の、手まづさへぎる曲水の宴かや、みかはの水に戯れ戯るる、手弱女の、袖も裳裾もたなびきたなびく、雲の花鳥、春風に和しつつ雲路に移れば、王母も伴ひよぢ上る、王母も伴ひ上るや天路の、ゆくへも知らずぞ、なりにける』
シテ『君に捧ぐる桃実の』是は西王母が永年の苦心された結果として、三千年の桃の花も咲き揃ひ且つ立派なる風味よき果実となりたるを、手づから三ツの御魂と現れて献上された事である。伊邪那岐大神が黄泉軍に追撃されて、黄泉比良坂の桃実を以て、魔軍を討滅したまひたる、大神津見命の忠勇なる活動に依りて、神業を輔佐し奉りたると同様の桃実である。要するに智仁勇の三徳を備へたる至誠至実の忠臣を、大君の大前に、五六七の大神の献られし意義である。『君に捧ぐる桃実の』と誌して後の文句を隠されしは、言外の言、書外の書たる所以にして、茲には深遠玄妙なる神意が包含されてあるのである。
地『花の盃、取りあへず』弥是からが五六七神政出現して、大君の群卿百官を禁庭に召し出され、盛んに豊の明の宴を催し、祝し給ふ光景を描出したものである。『花も酔へるや盃の』とは、盃に桃の花を浮べて祝酒を飲むや、直に酔つて了ふことである。花も亦酒に酔つた様に、盃面に漂ふと面白くかけたる文章である。
『手まづさへぎる曲水の宴かや』手を差し出して、盃を遮り採ることである。
『曲水の宴』とは古禁裏の御遊びに、曲水の宴と云ふ事が行はれて、水に盃を浮かし、その盃が流れ来る時、受けたる人が詩歌を作り酒を飲むことあり。其盃の流れ来やうが早かつた時は、詩歌はまだ出来て居ないが、先づ手を差出し、盃を遮り取ると云ふ意にして、菅原惟規の詩に「牽㆑流遄過手先遮」と作れるより来たもので、只禁中に於ける御酒宴の故事を茲に引きて作したものである。公事根源には『曲水の宴は三月上巳の日に行はる』とあり、三月と巳の日をに注意すべきである。『みかはの水に戯れ戯るる、手弱女の、袖も裳裾もたなびきたなびく』みかはの水とは御溝の水のことであつて、内裏の御庭にある清浄な流れである。是にて曲水の宴を行はせ給うたのである。『袖も裳裾もたなびきたなびく』とは、舞曲の美女の調子よく立舞ふ状を、天女の舞ひ遊ぶにたとへて書かれたのである。
『雲の花鳥、春風に和しつつ雲路に移れば』雲に花鳥の模様を織りなせる衣をいふ。それを前の孔雀鳳凰迦陵頻伽などの鳥に云ひかけて、雲路にうつると文を云ひ続けられたのである。
『王母も伴ひよぢ上る』王母は西王母のことで、一名を広教真君と云ふ。『霊山会場の法の場、広き教の真ある、君々たれば、誰とても、勇みある、世の心かな』とあるを見て、西王母の仁慈深き神徳を備へたる神君たることを知らるるのである。
以上の言霊解により、西王母は月の大神にして、変性女神の大活動神たる事が分るであらう。西王母は世界救済、修理固成の神業を負担して、三千年の長歳月を、千辛万苦し、終に神業を完成し、五六七の神政を地上に樹立して、天祖の御子たる、天津日嗣の御子に万有一切を奉献し、跡に毫末の未練も残さず、勇ぎよく、再び天上の月宮殿に還り上り給へる、其の忠誠は、天の益人なる地上の民の以て規範とすべき麻柱の大道である。綾部に於ける変性男子と変性女子の天下修斎の神業に対して彼是と疑惑を抱き、種々論難攻撃するの人々よ。西王母の至誠至実なる麻柱の神蹟を了解し、以て敬神尊皇報国の聖団、皇道大本の真相を覚られたい。